この十月十一日、ソ連はひさびさに一一人乗り宇宙船ソ = ーズ 6 号 ( 船長ゲあった。宇宙空間における溶接というのも、こうしてドッキングした宇宙船 ォルギー・ショーニン中佐 ) を打上けた。タス通信は例によって、きわめてを半恒久的宇宙ステーションとして組立てる際に是非必要な技術だと説明さ 慎重に「真空、無重量状態における金属溶接のためのさまざまな方法の実験れた。ただ問題は三隻のソューズ宇宙船の高度で、遠地点一一〇〇キロあまり を含む広範な研究、実験計画」を目的とすると発表しただけだ「たが、アボの楕円軌道では、宇宙ステーションとしての寿命が短かすぎる。しかしこれ ロⅡ号の月計画達成以来、ソ連はアメリカにすっかり水をあけられた観があも、三隻めないし四隻めの宇宙船が宇宙タグボートとなって、軌道船だけ ったから、何かやるのではないか、と期待が持たれていたし、その前後ソ連で、字型あるいは十字型を組んだ宇宙ステーションを一〇〇〇キロ前後の の宇宙科学者たちが口を開けば宇宙ステーションの建設に就いて語っていた高度までひきあげることによって半恒久的なものにすることも可能だという しよいよ実現一歩てまえま 矢先だけに、いよいよ宇宙ステーションの建設実験か、と推測されていた。説明もなされ、ソ連の科学宇宙ステーションは、、 果然、その推測を裏づけるように、十二日には三人乗り宇宙船ソューズ 7 で迫っているかに見えた。 だが、その後、ドッキングのニュースは誤報だったことがわかり、三宇宙 号 ( 船長アナトリ・フィリプチェンコ中佐 ) を、さらに十一一日一一人乗り宇宙 船ソューズ 8 号 ( 船長シャタロフ大佐 ) があいついで打上けられ、「過去のソ船は数百メートルまで接近してのグループ飛行をつづけているだけで、わす ューズ宇宙船の繰返しではなく大気圏の征服への新たな一歩を画するものかに十六日、ソューズ 6 号が、軌道室内を真空にしての金属自動溶接実験を だ」というソビエッカヤ・ロシャ紙の論調からも、ある程度までの宇宙ステ 行なったのち、地上に帰遠したことが明らかにされた。 ーション建設実験であることは確実だと見られた。とくに、打上けられた七これにつづいて、十七日にはソューズ 7 号、十八日にはソューズ 8 号もぶ ズ三隻による宇宙実験は、 人の宇宙飛行士のうち三人までが民間人の工学関係の技師であること、グルじ帰還ーーけつきよく、今度のソューズ・シリー ープ飛行全体の指揮をとっているのがこの一月宇宙空間での有人ドッキングややあっけない幕切れとなった。その後、モスクワ消息筋からの報道による ズの飛行には、初 にはじめて成功したソューズ 4 号船長だったシャタロフ大佐であること、技と、ソ連の各新聞の論調からして、このソューズ・シリー 師のなかにはソューズ 5 号に乗り組んで宇宙遊泳を行ない船外作業訓練をし期の目的ーーーっまり、少なくとも 7 号、 8 号のドッキングを、不可能とする たと思われているエリセイエフ技師が入っていることなども、この推測を裏ような重大な障害があったらしく、宇宙ステーションの基礎実験としては失 敗だったのではないか、と見られるにいたった。 づける要因とされた。 モスクワ十四日発は、モスクワ消息筋の談話として、同日ソューズ外電から受ける世界の輿論は、例外なくやや拍子抜け気味だし、アメリカ 7 号と 8 号とが予想どおりドッキングした、 6 号はその間軌道上の工作船の筋の報道には、明らかにほっとしたような印象があるのは面白いが、これに 役割を果した、と伝えていた。また一説によると、この日四隻めのソューズよっても、本格的な宇宙ステーションの建設が、技術的に決して容易ではな いことを、つよく印象づけられた一幕の宇宙劇ではあった。 型宇宙船が打上けられ、かってレオーノフ宇宙飛行士やベトロフ・ソ連科学 もちろん、ソ連も、このまま引き下るはすはなく、再び三たび宇宙ステー アカデミー会員が言明したようなソューズ宇宙船四隻による十字型ドッキン グや三隻による字型ドッキングが行なわれるのではないか、という見方もションの建設実験に挑むであろうことはまちがいない。 連】 . Ⅱイエ を : 言甲島 " 正一実 6
宙船の乗員と交替する。そこへ、第 一方アメリカは、この十一月十五日アポロ肥号 4 の無人の改造型アポロ宇宙船が太 によって再び月着陸、月面活動、帰還という月計 陽遠望鏡をそなえつけて到着、宇宙 画を行ない、その技術的な完成と拡張とをめざす 作業場とドッキングする。 3 人の宇 が、これと平行して、やはりアポロ宇宙船やサタ 宙飛行士は、この太陽望遠鏡をつか ーン・ロケットを利用して宇宙ステーションを建、 って、やはり五十六日間太陽観測を 設する。いわゆるアポロ応用計画を、意欲的に推 おこない、終れば、同じくアポロ宇 進しようとしている。アポロ応用計画は、つぎの 三つの段階にわかれている。 宙船で帰還する。 これがアポロ応用計画の全容で、 一、宇宙作業場の建設 全期間約十カ月ーーーこの研究データ 一一、宇宙作業場をつかっての実験と観測 が解析されたところで、いよいよ、 三、太陽望遠鏡をドッキングさせての太陽観測 もっと本格的な宇宙ステーションの 計画第一段階の宇宙作業場の建設は、ますサタ 宇宙ステーション想像図 建設にとりかかるのである。 ーンロケットが無人のまま衛星軌道に打上け ・デザインにすぎないが、それにはつぎのよう いまのところ、ファンシー られる。これはアポロ 7 号の打上けに使われたもので、一段めは切り離され るが、一一段めの燃えがらが燃料を使い切ったあと、作業場の主な材料にななものが考えられている。その一つは一 . 九七五年ごろ実施される予定で、十 る。この燃えがらは、直径六・六メートル、長さ十七・八メートルで、ドッ 一一人乗り、耐用期間すくなくとも十年間の宇宙ステーションを建設する。 キング装置やエアロック装置があらかじめ装備されている。そこへ、司令船 つぎに、一九八〇年代前半には、五〇人乗りから一〇〇人乗りの宇宙キャ と機械船だけの 3 人乗りアポロ宇宙船が同じ軌道に打上げられ、司令船の操ンパスが、打上けられる。これは、居住室、研究室、実験室、倉庫、機械 縦によって、宇宙作業場とドッキングする。 3 人の乗組員はエアロックから室、修理室などを、それそれべつのロケットで打上げ、宇宙空間でドッキン この二段めに乗り移り、これを実験室と居住室とに整備する。この作業の完グさせて組立てていく。乗員は六カ月交替で、この乗員の交替をはじめ、 成には、 3 週間かかるが、作業が終ると、 3 人の宇宙飛行士は、アポロ宇宙水、食料、燃料、部品などの補給のためには、引込み式のみじかい翼をつけ 船を切り離して一度地球へもどる。 て、帰りは大気中を滑走してふつうの空港にも着陸できる宇宙機ーー宇宙・ハ つぎに、医師一人を含む 3 人の宇宙飛行士の乗ったアポロ宇宙船が打上けスを用いることになっている。 られ、再び宇宙作業場とドッキングする。そして、この 3 人が、五十六日間 あと一一、三年から五、六年のちには、こうした有人宇宙ステーションが、 宇宙空間に滞在し、本格的な宇宙医学実験や科学観測を行なうのだ。滞在期実際われわれの地球の周囲を幾台もまわっていると考えると、的状況が、 間が終ると、 3 人はまたアポロ宇宙船を切り離して帰還し、第 3 のアポロ宇ますます現実のものになってくることを、しみじみと感ぜずにはいられない。 7
前の、テラ星人の原始的な宇宙船が、微細な宇宙塵にび 0 しりそのま二つの天体の上からま 0 たく姿を消してしま 0 た。彼らは、種の 表面をおおわれ、重力変型でおしつぶされて、ぶざまな虫のように寿命をつかい果し、この宇宙の中から完全に消減してしま 0 たのだ 隕石の穴たらけの地下工場の中では、巨大なろうか ? それとも、亜光速航行による相対時差にささえられ、 横たわっていた。 まなお宇宙のどこかをさまよいつづけ、あるいは、別の恒星系に定 宇宙船が二隻、建設途中のまま放置されていた。 大きさからして、テラ星人なら、二千個体が当分生活ができるた住することに成功したのだろうか ? とリイは思った。ー・・・ーー数億ニーヤ : ほとんど不可能たろう ろうーーと建造台の上の宇宙船を見ながら、リイは目算したーーす それはあまりに長い。彼らの子孫が、たとえどこかにのこっていた ると、これは、植民船たったのだろうか ? それにしても、おおー にしても、それは母惑星の記憶さえとどめない、似ても似つかぬ生 こんな素朴な宇宙船で、彼らはいったい、どこ ワープ装置もない。 この衛星上に、無数の穴をうがち、 物に変貌しているだろう。 の星を目ざしたのだろう ? かって、この衛星上の組織体と、母惑星上のそれとの間に、何度無数の建築物をつくり、巨大な宇宙船組立て工場をつく 0 た、孤独 かのはげしい衝突があ 0 た、と記録はったえていた。そしてその衝で、素朴で、勇敢な種族・ーーいじらしくも、星辰の彼方に、未知の 突ののち、この衛星上から、最初の、恒星〈の旅を目ざす一団の宇知的生命をもとめて、原始的な船で船出して行 0 た種族。ーー君たち 。巨大な宇宙船は、もちろん、そが、生きているうちに、われわれにあえていたらなあ : : : と、リイ 宙船がとびたって行った、と : は、宇宙ステーションの、こわれた屋根から、暗黒の宇宙にかか : : : リイは、ムフ、立日も の後母惑星からも発進した。何億ニーヤも前 そうしたら、君た なく崩壊し、土砂に埋もれて行くエ場と宇宙船をながめ、次いで満る、巨大な青い天体を見上げながら思 0 た。 はるかな昔、この衛ちはどんなにかはげまされ、宇宙生命進化の、新しいステージにの 天に星をちりばめた暗黒の空をながめた。 星と、母惑星の上に、素朴ではあるが、それなりに高度な文明を築れたかも知れないのに : 「赤道部付近退去 : : : 」と、母船からの声がさけんだ。「そこにい き上け、原始的な航法ではあるが、巨大な宇宙艝をきずき上げて、 無数にかがやく恒星の世界を目ざして、虚無の大洋へのり出して行るのは ? リイか ? 、 「ええ、ミといっしょです , と、リイはこたえた。「すぐ退去しま った、孤独な、隔絶された種族 : : : 素朴で、偉大で、無鉄砲なまで に勇敢な種族ーー彼らはどこへ行ってしまったのだろう ? 彼らがす」 どうなったか、という記録はまた見つかっていないが、彼らのうち「ンカ・バとトウク・トウクをひつばってきてくれ」と母船司令は いった。「連中、夢中なんた。君の今いる所から東へしばらくいっ のいくらかは、彼らのすめる新しい恒星系に達し、そこに新たな生 この近傍の恒星系のた所で、最古代の記録保存所を発見して、こちらの警告に耳をかさ 活をうちたてることができたのだろうか ? どこかに、彼らの子孫が、残存していないだろうか ? この衛星のない」 空中を、破裂によって投げ出された岩石がとんでいた。 上、そして母惑星の上に、巨大な文明の遺跡をのこした種族は、い リイ 3 7
ては、おそらく、非核方式のものとなるだのなかでもっとも効率のたかい動力ーー原も手早く修理し、保守する能力を持っこと ろう。基地が拡張され、エネルギーの必要子力発電が必要となってくるだろう。月基が絶対不可欠である。それらは、オートマ 0 量が増大すれば、原子力はどうしても必要地の各部の要求に応じて電力を供給し、なチックであるか、あるいは指示をあたえて になってくるが、その場合にも、非核方式おかつ中央に十分な余裕をもっ動力源は、作動できる器具である必要があるが、それ の動力源は欠かせない と同時に、できるかぎり、戸外に置いてお たとえば、本拠原子炉をのそいてないのである。 いてモジュールの中から操作できるものに 非再生循環方式の燃料も必要である。と から遠くにある前進基地用とか、あるいは 急に大量のエネルギーが必要となった場くに、ロケット燃料の推進剤と酸化剤がそする・ヘぎである。それ以外のものは、モジ 合、または非常用にも使わなければならなれで、これらは、液化してタンクの中に貯 = ール内に持ちこめるものでなければなら ないが、その際気をつけなければならない いし、そのほか、月滞在員が月面活動を行蔵しておかなければならない。 基地は、その装置類を、かんたんにしかのに、そうした装置のサイズが、エアロッ なうときの宇宙服用の電源に、ポータブル の装備用に、建設器材あるいは月上 月基地月基地は、今日のアポロ宇宙船の着陸船が基礎となる。それそれの基地の下にかかれた年号は、発 車の電源にも必要になるからだ。 展の年を示すが、もちろん、実際にはかなりちがってくるだろう。しかし、いずれにしろ一九七〇年代後半に 非核方式動力源は、おもに太陽電 は最初の科学基地が建設され、それがもととなって、最初の大規模な月植民地へと拡大されるだろう。①原子炉 ( 安全のため七六〇メートルはなしてある ) 、②将来の居住区、③クロレラ化学農園、④汚物処理所、⑤光合成 池、燃料電池、バッテリーなどだ 室、⑥居住区、司令センター、⑦望遠鏡、⑧冷凍貯蔵庫、⑨発射台、⑩誘導用アンテナ、⑩通信用アンテナ が、これらが、単一に、あるいは複 合的に用いられるだろう。おそら く、月基地の持つべきサ・フ・システ ムのなかで、動力ほど、慎重に計画 されなければならない問題は、ない といっていし 月の苛酷な環境 と、月での任務の多様さは、最上の 策をえらぶことを極端に困難にする のである。 月上車や生命維持装置、シェルタ ー建設器材、通信設備などの動力、 " 、 は、初期にはおそらく化学的な循環 再生システムのものになるだろう。 だが、やがては、動力に対する要求 が増大するにつれて、再生循環方式 2 5 科学ステーション ( 1975 ) をも およびその発展した 月植民地 ( 1978 ) 中継ステーション および非常待避壕 ( 1974 )
月面に到達する人間が要求されるよりも、 のシステムや、その費用、および技術的要たくないこと、加えて重力が地球の六分の そのレベルにおいて、またその作業の多様求に照らしあわせ、マッチさせて、考えた一であることは、月が、宇宙ステーション 2 とくらべてさえはるかにすぐれた電波天文 さにおいて、はるかに低い、やさしい仕事ものである。 月植民地は、初期の基地から発展し、変学の研究用地であることを示している。 をしたにすぎないのだ。この事実は、つぎ の二つのことに帰因するーーーらまり、地球貌をとげていくだろう。それは、二十四人第三の理由は、月植民地が、アメリカが においては人間の労力が使い易いこと、まから三〇人までの人員が滞在し、六人の人有人宇宙飛行の開発に有利な地歩を占め、 た、過去には、オートメーションの技術が間あるいは同重量の物資をはこぶ、地球かそれをより一層増大させるチャンスを与え まったくなかったことの二つである。今日らの直接運搬システムによって、物資、人てくれるからである。 月植民地は、月面や宇宙船内の生命維持 でも、南極では、人間が、たえず自分の目員の補給を受けるだろう。その補給には、 と手とで器具装置をモニターし、チェック現在のそれよりも六五パーセント強力な推装置や、動力や、ロケットや、月への輸送 し、油を差してやっている。ところが月面力を持っサターン型改良型ロケットが用手段の開発に拍車をかけ、やがて当然やっ いられるだろう。こうした複雑な研究開発てくる他の惑星への有人飛行の準備をさせ では、そんなふうにマンパワーを使うこと ができないのだ、・ーーすくなくとも月への旅は、やがて他のあらゆる料学を、併合するるからである。もし、ロケット燃料が月で 生産できるようになれば、月から地球へ帰 と、月基地での生活とが、もっともっと安ものとなるだろう。 還する宇宙船への燃料補給ははるかに安く くつくようにならない限りはむりなのだ。 月面の科学観測基地を支えるのに、どう 月面で、人間の時間が極端に留保されるのしてこんな植民地が必要か、というと、そなり、同時に、惑星間飛行においても、月 は、人間と機械との作業分野が、精密に分れには三つの主なる理由が考えられる。そ軌道上で燃料の補充をうけることができる 析され、分けられているからだ。人間の活の第一は ( ・月の完全な探究には、これだけようになるだろう。 こうして、輸送重量とドルを節約できる 動は、計画された観測と科学的観察とのたの能力のある拠点がぜったいに必要だから めに向けられている。そこで、きまりきつである。おそらく、やがて、月周回軌道かということは、きわめて有意義だ。アポロ た作業は、ほとんどあますところなく自動らの観測によって、くわしい月面図が完成 8 号の成功以来、われわれは、地球を人類 化されるのだ。 されるだろうが、それには、地上の観測にの永遠の環境であると考えるとともに月も 月植民地は、天文学と、宇宙物理学の研よって、リモコンの自動器械が送ってよこわれわれの活動領域だと考えるようになっ 究、宇宙空間における人間の研究、さらにした初期のデータを確かめ是正しなければてきた。月植民地を、いかにうまく使いこ ならない。基地は、ちょうど南極でのマクなすかどうかは、未来の人類のコースを決 は、もっと規模の大きい宇宙開発計画や、 の基地のように、長距離におよぶ地定しーー・・・あるいは、運命をも、調整するも 月そのものの科学的解明といったものにもマード のかもしれないのだ。 とづいて、その目的が、決められるのであ上観測隊の活動舞台になるだろう。 る。つぎに書くわたしの予測は、そうした第二の理由は、月を科学的研究、開発の 目的を月基地のために開発されるさまざま基地として用いるためである。大気のまっ
古のテラ星人たちが重力六分の一の状態下における、とびこみや、 「あれ、何かしら ? 」 白い、不思議な曲線をもった建造 バタフライをたのしんだ。フールだったことが、リイやミに理解され 7 ミは膜の一部をのばした。 物が「海」をひかえたクレーター群の斜面にむらがっていた。高さるはずもなかった。一気圧の大気の中で、腕に羽をつけ六十メート はふそろいで、いずれも頂部に透明なドームをもち、中の一つは、 ルの滑空をたのしんだ大遊戯場、月面ゴルフ、月面野球などのさま ふそろいなクレーターと高さをきそうほどぬきん出ている。 ざまな遊戯施設ーーー母惑星の六分の一の重力が、あれほど興奮をさ 「ああーーー母惑星からの一時的な旅行客の宿泊設備だ。トウク・ト そう、センセーショナルな体験としてめずらしがられ、低重力が商 ウクがいっていた」 売になった時代ーーーだが、そんな地球人がたのしんだ日々も、今は 「あんなにたくさんあるわ , すでに、リイたちの時計で、何億ニーヤも過去のことになってしま 「観光客用だったらしい 一時期、母惑星からの観光客が、すった。 ごく多かったらしいね , ホテル群の地下には、この衛星上、いたる所にほられている地下 しかし、それはすべ 彼らは、ホテルの一つにおりたった。彼らから見れば、無数の穴交通機関の通路がいくつもひらいていた。 としかおもえない個室、酸素はとうの昔にぬけてしまったが、長期て、崩壊寸前の震動のために、くずれてうまってしまっていた。 間の間に放射線損傷や重力変成をおこしてしまって、ゆがみ、くず「彼らは、この衛星を、トンネルだらけにしてしまっていたよ」と リイはささやいた。「衛星の重力を利用した、自然落下交通が、一 れてしまった家具類、まるで、岩盤のようにカチカチにかたまった カーベット , ーーーある建物は、巨大な隕石が、斜めにとびこみ、無惨時ひどくはやったらしいんだ」 に破壊されていたが、今もなお横たわる、巨大な鉄質隕石の近辺の「見たいわーとミはいった。「でも、もう全部くずれてしまったで 床に、かすかにのこる黒斑がーーーそれがあの地球人たちの記録にとしようね」 どめられた大惨事の起こった時の、犠牲者たちの血のあとだとは、 「直径トンネルが三本のこっている。ーーー極軸トンネルは、まだガ リイもミも知るよしもなかった。かって豪奢だった建物は、、 ッチリしているが、見ているひまはあるまい」 崩壊に瀕している衛星上のすさまじい地震によって、何千万年、あ彼らは、崩壊しつづけるホテル群から出た。そこからは、両極方 るい何億年ぶりかに生きかえったようにゆれ動き、斜めにかしぎ、 向と赤道方向に、十文字の、月面ハイウェイが走っている。が、む 壁がおち、パイ。フが折れ、ひんまがり、荒々しい痙攣の中で、土にろん、ほとんど破壊され、くずれてしまっている。ひんまがり、あ かえろうとしていた。 るいはひっくりかえった、月面モノレールの鉄塔、爆発した核融合 ひびわれし、失透して鉛のように変形したガラスや、。フラスチッ発電所のあとーーそして、彼らは次に、巨大な宇宙ステーション ク、コンクリート の破片がいつばいちらばった、四角い、大きな凹と、巨大な半地下工場がかたまっている地域に来た。大断層に、ス 。ハッと二つにひきさかれた宇宙ステーションの上には、何億ニーヤ しかし、それが太 みの前に、ミはいぶかしげにたちどまった。
を、解析し、記憶し、地球の一 = ロ語を、ある程度学習していた。 へ送られた。その電波は Z<-n< の一大追跡網がとらえ、テキサス そのため二万五千年前の新事実が、お・ほろげながら次々と明らか 州ヒ、ーストンの有人宇宙船センターから、民間テレビ局に流され 3 こ 0 にされ、世界はまったく興味と興奮の渦のなかに、巻きこまれてし まったのだ。 それから太平洋やインド洋上の通信衛星で中継して、各国のテレ 電子頭脳は、第一に、月の遺跡と人像を、宇宙人がつくったとい ビ局に送られた。このため世界六億の人々が、宇宙に棲む知的生物 う説を、否定した。ニコラスは、誤っていたのである。 の輪郭というものを、初めて垣間見ることができたのである。 「では、だれがつくったのか ? 」 彼らが、どの星からきたかは、ついに分らなかった。しかしこの カビリノ国、ツマリ、オ前タチ水ノ惑星ノ住人ダ : : : 」宇宙の生物たちが、いまから二万五千年も前に、すでに宇宙飛行の 「その住人は、どうやって月まで来ることができたか ? 」 技術を完成し、月や地球にまで到達していたことは、もはや疑う余 「ソレハ、 ワレワレノナカマガ、運ンデキタ : : : 」 地のない事実となったのだ。 「何のために ? 」 ニコラスは、この電子頭脳との対話をもとにして、自分の説を新 「ソレハ、 ワレワレノキケンヲ、スクウタメダ・ : ・ : 」 らしく立て直した。それはおよそ、次のような内容のものであっ 「宇宙船は、どこから来たか ? 」 「ソレハ、、 / リマウマウ系ノ第八惑星ダ : しかしそういわれても、その惑星が、地球の星図のどれをさすの 「ある未知の惑星を探検しようという場合、その惑星をまわる衛星 か、ついに分らなかった。この点については、電子頭脳も地球人をに着陸するのは、宇宙飛行の常識である。だから地球に近づいた宇 理解させる言葉を持たなかったのだ。 宙人たちは、まず月に着陸したのだ。そこが、〈虹の入江〉だっ 「では、お前の主人たちは、どんな形をしていたか ? 」 そういわれたとき、電子頭脳は黙したままで、これについても残そうして地球を観測している間に、何か重大な事故が起こった。 念ながら解答はえられないかと思われたが、しばらくして、 隕石が落下して、恒星間飛行用宇宙船の一部を破壊したのかも知れ 「図形ヲ見ョ : ないし、あるいは原子核動力装置が暴発したのかも知れない。が、 といったのである。そして電子頭脳の表示盤に描き出された図形幸いにも、惑星着陸用宇宙船は、無事だった。 はーー耳が長く垂れ下り、眼が大きく、唇が薄く、顎の鋭く尖った そこで宇宙人たちは、宇宙船を修理するための資材や労力や、あ 生物の姿で、月やイースター島の人面石像と、余りにも特徴がよくるいは食糧などを得るために、着陸用宇宙船に乗って地球へやって 似ていたのである。 きたのだ。その場合、着陸地点を大陸ではなく、太平洋のもっとも この図形は、〈虹の入江〉の観測基地から、直ちにテレビで地球隔絶した島に選んだのよ、、 。しうまでもなく未知の住民からの危険を こ。
: このやり方は、アメリカの初期の宇宙飛 なく飛び去って行った : 最小限に食いとめるためだった。 その島が、すなわちィースター島である。当時の島は、いまより行士たちが、月着陸船を捨てて、地球へ帰還したのと、同じような もはるかに大きく、住民たちは、高度の巨石文明を築いていた。素ものである。 それから二万五千年の歳月が、茫々と流れ、その間にかなり大き 晴らしい太陽の神殿を中心に、石造りの道路が放射状にのびていた な隕石の衝突などによって、宇宙人たちが月に残していった惑星着 ことだろう。 だが、ある日突然、彼らの上空にきらきら輝く宇宙船が飛来し、陸用宇宙船は破壊され、残骸となった。 だが、精巧な電子頭脳だけは、細々と命脈を保ち、私たちにその たちまち彼らの前には異様な宇宙人たちが立っていた。住民たち は、その姿を見て、天から地上へ降下した神と信じたにちがいな秘密の一部を語りかけたのである」 このニコラスの新説は、ほとんど真相に近いものとして、高く評 彼らは、神のいうことにはきわめて従順で、それどころか神の 価された。だが、ただ一つ、事実と大きく食い違う点がある。それ 姿を石に刻んで尊崇した。 は、ニコラス自身も、指摘しているように、イースタ 1 島の人像の このため宇宙人も友好的で、彼らに文字や技術を教えた。そして 造られた年代が、きわめて若いということである。 ィースター島にいる間に、必要な資材や食糧を集め、月に運んだ 「科学的な年代測定法によると、イースター島の人像が刻まれたの が、そのとき住民の一部を〈虹の入江〉まで連れてきた。 は、紀元一〇〇〇年くらい、つまりいまから高々九〇〇年ほど前に 彼らはここで労役に従ったが、その一方では、すぐれた石の芸術 これと宇宙人が飛来した二万五千年前という、大きな年 家としての本性をも現わし、ジ = ラ山系の石を切り出して、〈虹のすぎない。 代の差は、どのように説明されるべきだろうか 入江〉に、太陽の神殿と、宇宙人像とを造ったのだ。 私は、その秘密は、イースター島自身のなかにあると思う。地球 もっとも巨石を運んだりする場合などには、宇宙人も協力して、 進歩した機械力を提供したにちがいない。このため地上にいるときに帰 0 てから、それを探し出すのが、私の最大の課題である , と、ニコラスの報告は結んでいた。 よりは、はるかに短時日の間に、神殿などを築造することができた のだ。 やがて宇宙人たちは、恒星間宇宙船の修復に成功した。その段階月から戻ったニコラスは、から許可を得て、すぐにイー で、たぶん宇宙人たちは、地球人をもとのイースター島に返したに スター島に渡った。海岸には、例の人面石像が黙然と立ち並んでい ちがいない。なぜなら、月の遺跡の周辺からは、未だに一片の人骨て、彼を迎えるかのようであった。 しかしニコラスは、アリ・キシアが二年も前に死んだということ も発掘されてはいないからである。 地球人を運んで戻ってくると、宇宙人たちは用済みの惑星着陸用を知った。呪術師アタン・アタンは、彼に一通の遺書を手渡した。 宇宙船を月に残し、恒星間用の巨大な宇宙船に乗って、どこへともそこには、生前の愛の追憶が綿々としたためられてあったが、彼 9 3
しかし月に、古代遺跡があるとなれば、問題はまったく別であサターン 5 型は、一度に二二・五トンの貨物を月に着陸させる能 る。それどころか、世界のだれよりも早く、自分がその正体を見たカがあるのた。これによって月面での行動半径が拡大され、滞在期 いと思った。こうして考古地質学者・・ニコラスは、ついに宇間も大幅に延長されるようになった。 宙飛行士になる決心をしたのである。 月は初期の英雄と探検の時代から、科学者や技術者などによる開 発の時代に入ったのである。そしてこの開発期こそ、ニコラスの待 っていたチャンスだった。 幸い彼は、健康には恵まれていた。 それには、第四期の宇宙飛行士から、民間の科学者にも彼は、〈虹の入江〉に、恒久的な観測基地を建設するプランが出 ると、強引に上層部を説いて、先発隊の一員となり、フロリダのケ 広く道を開いた。 これはロケットや宇宙船などの性能が改良されて、 ()5 の負担などネディ宇宙センターを出発した。 も少くなったので、初期のマーキュリー計画のような超人を必要と ニコラスの目的は、むろんあの九本の塔にあったが、そんなこと しなくなったためである。またむろん月や宇宙空間を専門的に研究は、おくびにも出しはしなかった。出したところで、だれも相手に するには、軍人よりは科学者であることが望ましいことはいうまでなどしてくれなかったろう。 もない。 月に行く途中、彼が美しいと思ったのは、月の影のなかを宇宙船 ニコラスは宇宙飛行士の試験にパスすると、テキサス州ヒ、ースが飛行しているときだった。月から三万キロほどに近づいたところ トンの有人宇宙船センタ 1 などで、飛行技術や宇宙医学的訓練などで、影の向うには太陽があった。 を受けるようになった。 つまり月が太陽をちょうど、おおい隠していたわけで、そのため そうして静かに、月へ行く機会を待ったのである。 月のまわりに、壮大な太陽のコロナが見えたのである。それは妖し 一九六九年七月、アームストロング船長とオルドリン飛行士の二 いほどの美しさをたたえた真珠色で、東西に長い菱形に広がってい 人が、史上初めて〈静かの海〉に着陸して以来、アメリカは次々と た。そうして月そのものは、さらに素晴らしかったのである。 アポロ殍宙船を月へ送った。 宇宙船は月の影のなかにいたから、太陽の光線は、まったく受け そして月の〈海〉だけでなく、クレーターや山岳地帯などの調査ていない。その代り、太陽の光を反射して輝く地球の光を受けて、 にも成果をあげた。この時代は、月のサンプルさえ持ってくれば、青味がか 0 た神秘な灰色に照らし出されていたのだ。このような月 何でもよかった。 の姿は、地球にいたのでは、絶対に見ることの出来ないものであ 石ころであれ、細粉であれ、すべてが新発見につながったからでる。 ある。つづいてアメリカは無人のサターン 5 型ロケットで、月面車やがて眼下に、〈虹の入江〉が迫ってきた。宇宙船は、ヘラクリ や観測装置や水や酸素や食糧などを、どんどん送るようになった。 デス岬の北方の平地に着陸した。そこにはすでに、月面車や建設資
「それは、おれだって宇宙技術者の端くれだ。宇宙の果まで行って その日のうちに計画推進委員会は具体的な作業割とそれに要する みたいさ。しかし、おれはルナ・シティの建設のためにここへ来た新しい人員配置案を作成して管理部に示した。 のだからな」 計画推進委員会は独自に、ルナ・シティによる大型宇宙船の建造 りつばなことをいうが、ほんとうにそうなのか ? ュアサはもうをも要求した。最初、それは極めて遠慮がちであったが、のちには 一つの別な声が口から出かかるのをおさえるのに苦心した。 それは地球側の好意に対するシティ側の当然果すべき自発的義務で 「まあ、そのへんはおれだってほんとうはよくわかっているわけであると称した。 はないのさ。しかし、その目的のためにがんばっているやつもいる からな」 回廊は前にもましてくらくかげり、保守を失った給排水管はいた ュアサは今、イナガキや金はどうしているであろうかと思った。 る所で漏水し、エア・ロックに近い回廊のあちこちに厚い氷を張り 気がつくと自分一人になっていた。ュアサはスパナを手にするつめた。造船台に近い所に資材集積所を設けるために、地表部分を と、キャタ。ヒラーのポルトを点検しはじめた。 全面的に改修することになり、宇宙線観測所と赤道儀ドームが遠く 離れたクレーターの中へ移された。 三十隻の第二次船団が最初の縦通材を船台上に置いた日、地球政 二十隻の船団は、白熱のほのおを曳いて星の海に消えていった。 あとには高熱で焼けただれた二十基のガントリークレーンが残され庁はひきつづいて第三次船団を火星と木星の中間に位する小惑星帯 グレート・オーシャン・プラン た。火星・木星開発計画にはルナ・シテイから十八人の技術者が参へ送る用意のあることを発表した。ルナ・シティの、そうした計画 加した。かれらは二十隻の宇宙船に分散して配置され、みなの羨望に対する異常な熱意が計画の実現性を支えていることはまぎれもな いことであった。 を一身に集めて去っていった。 それから五時間後、地球政庁は宇宙省の名のもとに、第二次火星 オーシャン・プラン ・木星開発計画を発表した。今度は大型宇宙船三十隻。第一次船団そうしたある日、シティは新しい不安におしつつまれた。それは のあとにつづくそれは貨物輸送船だった。その乗組員はすべてル最初、シティの奥深く調理部、食品管理部を中心に巻きおこり、経 ナ・シティの宇宙技術者を当てるという。一隻五十名の乗組員とし理部、医療部などに飛火した。かれらはつぎつぎと各階層の入口を て総員千五百名。ルナ・シティの宇宙技術者たちは歓呼してその計閉ざし、交通を絶 0 た。あきらかに計画的な怠業だ 0 た。 画をむかえた。その計画発表の終り近く、宇宙船建造に必要な技術このままではルナ・シティは壊減してしまう。もともと宇宙観 者もまたルナ・シティが負担するという条件など、もはや誰も問題測、月の全般的探察を目的として設けられた小規模な前進基地が数 にするものはいなかった。 十隻もの宇宙船の建造能力に耐えられるわけがない。たとえ建造施 グレート