だ。この女たちこそ彼女の姉妹、同胞なのだ。 ない。それなら彼女はたれだというのだ ? あんまり気分がよくない。こんなに遠出をしたのは久しぶりのこ タヴィリを愛している人物。 とだ。喧噪と、群衆と、悪臭の漂う炎熱の通りを、四、五・フロック そう。その通り。だが、そうともいいきれない。あれは昔のこと も。一人で。彼女はコーリイ公園に行きたいと思っていた。テメ・ハ だ。彼が死んでからずいぶんになる。 のはずれにある、芝生がチョロチョロと生えた三角地帯。そして、 「あたしはだれ ? 」ライアは見えざる聴衆に向かって呟く。する 他の常連の老人たちとしばらくそこに坐っていたい。そんなところと、聴衆は答を知っていて、いっせいにいう。かさぶただらけのひ に坐って老いていくというのはどんな気持ちがするものか味わってざこそうをした少女、入り口の石段に坐って、晩夏の暑熱にかすむ みたい。けれどもそこは遠すぎた。今すぐ引き返さなくては目まい リヴァ ス . , 「リ . 1 ー を見下ろしている。六歳の幼女、十六歳の少 を起すかもしれない。彼女は倒れるのがこわかった。倒れて、その女、激情家で、短気で、たえず夢に駆り立てられている娘、何もの 場に横たわったまま、卒倒した老女を眺めにやってきた野次馬の顔からも干渉を受けず、何ものも干渉できない存在。彼女は彼女以外 くびす を下から見上げなくてはならないなんて。彼女は踵を返して帰りはの何ものでもないのだ。たしかに彼女は疲れを知らぬ行動家であ じめた。歩く辛さと自己嫌悪に顔を歪めながら。顔が真赤になってり、思索家たった。だのに静脈中の血塊が、その女を奪い去ったの いるのがわかる。眩暈感が耳の中を何回となく見舞っては消える。 だ。人生の半ばにあって、彼女は愛人であり、時流の寵児だったと それが少しずつ頻繁になっていくので、今にも倒れるのではないか いうのに。タヴィリは、死ぬ時、その女を彼とともにつれ去ったの と本気で心配になってきた。とある日蔭になった入り口の石段に目 だ。もう、土台以外はなにも残っていない、 ~ まんとうに。彼女は帰 をとめて、そこにたどりつき、そうっと腰を下して溜息をついた。 りついたのだ・ーー家を離れたことはなかったのた。「真の旅は回帰 すぐそばに、果物売りが、埃りをかぶってしなびた商品の蔭に黙である」。埃と、泥と、スラムの石段。そしてはるか向こうの、この よ′ ) と 然と坐っている。行き交う人々。だれもその男から買わない。だれスラム街のはずれの草原には、丈高い、カサカサした雑草が、夜毎 も彼女を見ない。オドー ? オドーってだれ ? 有名な革命家だ風に吹かれて。 よ、〈共同社会〉や、〈アナロジー〉や、その他諸々の著作をもの 「ライア ! こんなところでなにしてるの ? 大丈夫 ? 」 ハウス した人物。彼女 ? 彼女ってだれ ? 白髪まじりの婆アさ。赤い顔見るまでもなく、〈館〉の住人の一人だった。気のいい女で、や して、スラムのきたない石段に坐り、ぶつぶつひとりごとをいってや狂信的で、しよっちゅうしゃべっている。何年来の知り合いだと る。 いうのに、名前が覚えられない。 ライアはつれて帰ってもらった。 ほんとうに ? それが彼女 ? そうとも、それが通行人の目に映女は道々しゃべりどおしたった。広くて涼しい集会室で ( 以前は金 る彼女の姿。けれどもそれがほんとうの彼女ではないのか たた銭出納係が。ヒカビカのカウンターの後で、武装した守衛に守られて の有名な革命家、エトセトラにすぎない人物 否。そうでは金を数えていたものたった ) 、ライアは椅子にどっかりと腰を下ろ け 8
「いいえ、あたしはいやよ」ライアは声に出していった。「いや」。 をつくってみせた。アマイとアエヴィが、白ワインと褐色パンを配 彼女は独り言をいうのを恥しいと思っていなかった。昔からしよっ った。ここではそれがもてなしだった。けれども遠慮深い訪問者た 7 しとま 1 」 ちゅう独り言をいっていたからだ。「ライアの見えない聴衆」。彼女ちは、三十分と経たないうちに腰を上げて暇乞いをした。「あら、 がぶつぶっと呟きながら部屋の中を歩き回るたびに、タヴィリはい しものよ」ライアよ、つこ。 冫オ「ここにいて、アエヴィやアマ ったものだった。 「くる必要ないわ、あたしはいないもの」目に見イとお話をして行きなさい。あたしはずっと坐ってるとあちこちが えない聴衆に向かって彼女はいった。 / 彼女は、これからしなくては凝ってくるというだけなの、だから少し動かなきや、ね。お会いで ならないことが何か、今決めたばかりだった。あたしは出かけなくきてほんとによかったわ。みなさんはあたしの弟や妹。またじきに ちゃならないんだ。街へ出るんだ。 来てくれるわね ? 」これもお互いに心が通い合ったからだ。彼女は 外国からの学生を失望させるのは心ないことだった。それはとっ 一人一人とキスをかわして回り、笑声を立て、黒くて幼い頬、愛情 ーもうろく のこもった目、 びな行為、耄碌の証拠たった。オド 1 主義者のすることではない。 しいにおいのする髪を楽しんだ。そして足を引きす だが、それもこれもクソクラエだ。一生を自由のために働いてきるようにして出て行った。いささかくたびれたのは事実だが、部屋 て、そのあげく、自分にはこれつぼちの自由もないとしたら、いっ に上がって行って昼寝をしては負けだ。いったんは外出したいと思 たい何をしてきたかわからないじゃよ、 オしか。散歩に行ってくるんったのだ。だから出かける。一人で外出しなくなってーーもうどの くらい経っ ? 卒中を起す前、冬以来のことだー たしかにだんだ 「無政府主義者とは ? みずから選んで、選択の責任を受容するもん体調が狂ってきている。あれは一種の定期刑だった。戸外、街 頭、そこが彼女の住処なのだ。 ののことである」 階下へ降りて行く途中、彼女は苦りきった顔で、外国人学生に会 こっそりと裏口から出、菜園のわきを通って道路に出た。狭い帯 うことに決めた。それでも出かけるのをやめたわけではない。 状の、都会のやせ土はみごとに手入れされ、豆やシーアが豊作だっ しんし た。だがライアは農業には明るくない。無論、アナーキストの社会 みんなごく幼い学生ばかりだった。非常に真摯である。雌鹿のよ うな目、もじゃもじゃの髪、なんとも愛らしい生物たち。西半球のが、その過渡期においてさえ、最善の自給自足をめざして努力を払 ペンビリとマンド王国からやって来た。少女は白ズボン、少年は長わなくてはならないのは明白だったが、実際に土や苗をどうするか いキルトという、勇ましくも古風ないでたちだった。彼らは自分たということは、彼女の仕事ではなかった。そのことなら農業家もい ちの希望についてのべた。「わたしたちマンドの国民は、〈革命〉るし、農学者もいる。彼女の仕事は街の巷。騒々しい、悪臭たたよ う石だたみの街路。彼女が成長し、一生をすごしてきた場所。十五 からずっと遠いところにいるからこそ〈革命〉に近いのですわ、た ぶん」一人の少女が、微笑を浮かべ、しんみりといった。「〈人生年間の獄中生活を除いては。 ハウス は一つの輪〉でしょ ! 」少女は、ほっそりとした、黒い肌の指で輪彼女は〈館〉の正面をいとしけに見上けた。これが銀行の建物だ
した。一人になりたかったのだが、まだちょっと階段を上るのは無たいどういう風の吹き回しであたしはあんなことを口走ったのだろ 理だった。女がしゃべりつづけていると、他にも興奮した人々がは う ? あれが〈革命〉前夜にいうべきことか、たとえ事実だとして いってきた。察するところ、デモが計画されているらしい。刻々とも。 変化するスーの情勢は、ここの人々の心情にも飛び火し、何かやら彼女は潮時をうかがい、ぶざまながらもなんとか立ち上がって、 なくてはということになったのだろう。明後日、いや明日にも、大一同が準備と興奮にとりまぎれているすきに、こっそりと脱け出し 規模なデモ行進がオ 1 ルド・タウンからキャ。ヒトル・スクエアに至た。廊下に出て、階段にたどりつき、一段一段の・ほりはじめた。 るお定まりのコースで行われる予定たった。「九月蜂起の再現だ」 「ゼネストた」一人、二人、十人の声が、背後の、階下の集会室で 一人の青年が、目をギラギラさせて笑いながらライアをちらと見いうのが聞えた。「ゼネストか」踊り場で一息入れながら、ライア 非公式卒 た。〈九月蜂起〉当時はまだ生まれてもいなかった青年にとっては呟いた。目ざす階上の部屋には何が待ち受けている ? は、すべては歴史上の出来事でしかない。彼は自分なりの歴史をつ中。なんとなくおかしい。彼女は、あらためてつぎの一連の階段 くりたいのだ。集会室は満員となった。総会はここで、明日、午前を、一段ずつ、小さな子どものように、一足ひとあしの・ほりはじめ 八時に開かれる。「ライア、あなたもスピ 1 チをして下さらなく た。目まいがしたが、もはや倒れることを恐れてはいなかった。前 ちゃ」 方に、あそこに、ひからびた白い花々が、タ闇の草原でおじぎを 「明日 ? あら、明日はいないのよ、あたし」彼女はそっけなくいし、ささやいている。七十二歳の今日にいたるまで、その花の名を った。彼女にスビーチを頼もうとしたその人物は微笑し、別の一人覚えるひまは、ついぞなかった。 けげん が笑った。もっとも、アマイは怪訝な顔でちらとふり返ったが、彼 らは引き続きしゃべったりわめいたりしていた。〈革命〉だ。いっ 心の優しいニヒリストが描く異形の未来図 プレイヤー・ピアノ彎 カート・ヴォネガット・ジュニア / 浅倉久志訳 \ 470 現代アメリカ文学の旗手といわれる作者のナイーヴな感性が産みだした処女長篇 ハヤカワ文庫 SF 9
洗い上がりのシャツを頭からかぶりながら、考えた。ノイだから「おはよう、ノイ」 どうだというのだ ? あきれた。単なる体裁から、なんかじゃないわ。なにが体裁なも 彼女は、衿の留めポタンを左手でゆっくりととめた。 んか。愛していた男がーーその男となら年齢など気にかからなかっ ただろうーーー死んだからといって、自分はセックスとは無縁だとい ノイは三十そこそこ。やせ形の、筋肉質の男で、物静かな声と、 聡明な黒い瞳を持っていた。とりたててノイの特徴といえばそれくう顔をしなくてはいけないのか ? 真実を押し殺さなくてはいけな い ? ばかげた清教徒的権威主義者のように ? 卒中を起す前、今 らいのものだ。たったそれだけのこと。古き佳き異性。彼女は、 なまちろ 生っ白い男とか、肥満型、あるいは筋骨隆々たる大男にはかって惹から六カ月前ですら、彼女は男をふり返らせ、彼女を見たいと思わ かれたためしがなかった。ただの一度も。男とみれば恋に陥ちた十せたものた。そして今は、たとえ彼女の方からなんの喜びも与えら れないにせよ、自身が楽しむのは勝手だ。 四歳の頃でさえそうだった。浅黒く、やせぎすで、激情を秘めた、 そういうのが好みなのだ。無論、タヴィリ。 六歳の頃、パパの友人ガデオが、夕食後パパと政治の話をするた あの青年は、頭脳にか けてはタヴィリの足もとにも及ばない。容貌においてさえも。だめによく立ち寄ったが、そんな時、彼女はママがごみ捨て場から拾 が、男は男。衿によだれのあとをつけているところや、髪が解けてってきてくれた金色のネックレスをかけたものだった。そのネック レスはとても短くて、いつも衿の下にかくれてだれにも見えなかっ きているところを見られたくはなかった。 。彼女はそういう具合になっているのが好きだった。自分だけに 薄くなった、半白の髪。 ノイがはいってきたーーーその前に、開いた戸口のところでちょっわかっていればいいのだ。彼女は戸口の上り段に腰を下ろし、パ。、 と足をとめて。まあ、どうしよう、シャツを着換えている間もドアたちの話に耳を傾けた。自分がガデオの目に美人と映るのを承知の は開けつばなしだったんだわ ! ーー・彼女は / イを眺めてそこに己れ上だった。彼は色が黒く、笑うと白い歯がまばゆかった。時々、 を見る。老女。髪を梳かしてシャツを着換えようと、先週のシャッ彼女のことを、「かわいいライア」と呼んだ。「あそこに・ほくのか のまま、昨夜の三つ編みのままだろうと、黄金の衣裳をまとい剃りわいいライアがいる ! 」六十六年前のことだ。 上げた頭皮にダイヤモンドの粉をふりかけようと、所詮は同じ。老「なんですって ? あたし頭が・ほやけてるの。ゅうべは眠れなくて ね」それはほんとうだった。ふだんにもまして眠れなかったのだか 女は醜怪そのものなのだ。 ひとは、単なる体裁から、あるいは単なる衛生的見地から、あるら。 いは他人への配慮から、身だしなみをする。 「けさの新聞をごらんになりましたかっていったんですよ」 彼女は肯いた。 そして、ついにはそれすらも気にかからなくなると、臆面もなく 「ソィネへのことを喜んでおられますか ? 」 よだれを垂らすようになるのだ。 「おはようございます」青年は穏やかな声でいった。 ソィネへとは、昨夜スーヴィア国から分離を宣言したスーの一ー
しった それがこの原稿には出ていない。そこには彼の意見以外に何一つ彼時間はどんどん過ぎて行く。ノイがもうくるというのに、、 らしいものはなかった。 / 彼女の手もとには、書類ばさみに記されたい朝食後いままで何をしていたんだろう ? 名前のほかは何もない。彼からの手紙もとっておかなかった。そも あんまり急に立ち上がったので、彼女はよろめき、転倒しないよ そも手紙をとっておくなんて、センチメンタルなことだ。それに彼うに椅子の背を擱んだ。廊下伝いに浴室に行って、そこの大きな鏡 まげ しらが 女は何かをとっておくなどということをしたためしがなかった。 をのそいた。白髪まじりの髷は、ゆるんで下がってきている。朝食 一「三年以上も所有していたものが何かあるだろうか。思い浮かば 前にきちんととめておかなかったからだ。しばらくの間、それと格 ない。無論、この老い・ほれたガタガタの肉体のほかには、というこ闘する。腕を宙に上げたままでいるのは辛かった。たまたま小用に とだが、もうこれにはうんざりだ : 立ち寄ったアマイが、足をとめていった。「あたしにやらせてくだ アマイは、またたくまにしつかりと手ぎわよく結い上げ またしても二元的にものを見ている。『自己』と『それ』。老齢さい た。無言で、微笑しながら、ふつくらとした、カのある美しい指 と病気が、一個の二元論者、一人の現実逃避家を作りあげるのだ。 魂は主張すゑそれはわたしではない、それはわたしではない。だで。アマイは二十歳。ライアの年の三分の一にもならない。両親 が、そうなのだ。たぶん神秘主義者なら、魂を肉体から分離させるは、ともに〈革命運動〉のメイハーだったが、一人は六十年の暴動 ことができるだろう。彼らのそんな身分を、彼女は常に憧憬にも似で殺され、一人は南部でなおも同志を募っていた。アマイは〈オド た気持ちで羨んできた。彼らと張り合うのそみもないままに。逃避 1 主義者の館〉で育った。革命のもとに生まれた、混乱の申し子で をもくろんだことはかって一度もない。彼女は、心身ともに自由をある。それにこの娘のしとやかで、のびのびとして美しいこと。考 えただけでも涙が湧いてくる。われわれの努力はこのためだったの 求めてここへやってきたのだ。 だ。これが、これこそが、われわれの目的だったのだ。今、娘はこ さっきは自己憐憫で、つぎは自画自讃。そして、あきれたこと なさけ こにいる、生き生きとして。情深く、美しい未来。 に、彼女は依然として彼の名前を手にしたまま動かない、なぜ ? たしかめないでも彼の名前がわかったくらいなのに ? どうしたと洗面所と便所の中間に立ち、己れが生んたのではない娘に髪を結 ってもらうライア・オサイエオ・オドーの右目から、小粒の涙が数 いうのだろう ? 彼女は書類ばさみを唇に近づけて、名前の筆跡に きつばりとくちづけをし、引き出しの奥に書類ばさみをもどし、引滴流れた。が、左目、強いほうの目は、泣かなかったし、右目のし たことも知らなかった。 き出しを閉め、坐ったまま背筋を伸ばした。右手がむすむずする。 彼女はその部分を掻いてから、意地悪く振り回した。後遺症が治ら彼女はアマイに礼をいって、そそくさと部屋に帰った。鏡を見て ないのだ。手ばかりではない、右脚も、右眼も、ロの右端も。それ発見したのだ、衿にしみがついていたことを。桃の汁だろう、たぶ らの機能は緩慢で、ぶざまで、その上、むすむずする。そのためん。よだれをたらす老い・ほれ婆。はいってきたノイに、衿によだれ をつけたままのかっこうでいるところを見られたくなかった。 に、彼女はショートしたロポットのような気持ちになるのだった。 アナーキー ー 72
ったということが、現在の居住者たちに奇妙な満足感を与えてい るまったことはない。なにはさておき。人々に選択の自由があるか た。彼らは食糧袋を防爆金庫室に保存し、リンゴ酒の樽を地下の貸ぎり、たとえ殺虫剤をのみ、溝の中で暮そうと、それは彼らの勝手 金庫に寝かせた。通りに面した、いやに凝った柱には、『全国投資 だ。利潤の追求としてのビジネスでないかぎりにおいては。そんな 家及び穀類仲買人銀行協会』と刻まれているのがまた読める。〈革ことは、物心のつく前から彼女が感じとっていたことだった。最初 命〉では、名称は問題にされなかったからだ。彼らには旗というものパンフレットを書く以前から、パルヒオを発つ前から、『資本』 のがなく、スローガンは必要に応じて作られては消えた。いやでもの意味を知る以前から、舗道にかさぶただらけのひざをついて、同 当局の目につくような場所の壁には、常に〈人生の輪〉が書きつけい年の子供たちと鬼ごっこをして遊んでいたリヴァー てあった。けれども、こと名前に関しては、彼らは無頓着だった。時代から。彼女は承知していた、自分がーーー他の子供たちも、自分 どういう名で呼ばれようと、それを受け入れ、聞き流した。たとえ、 の両親も、他の子供たちの両親も、よっぱらいも、売春婦も含めて リヴァ ばかげてみえようと、名前によって拘東を受けることを恐れたか ・ストリートのすべてがーーー何ものかの下積みになってい るということを。自分は底辺であり、実在であり、根源であるとい らだった。そんな次第で、すべての共同施設の中でも最も有名で、 ハウス 二番目に古いこの〈館〉には、〈銀行〉という以外に名称はついてうことを。 よ、つこ 0 でもあなたは文明を泥の中に引きすりおろそうとなさるのです 〈銀行〉は静かな広い通りに面していたが、わずか一プロック先かか ? 後日、ショックを受けた善良な人々が叫んだ。そこで彼女は ら向こうは露店市テメバだった。ひと昔前は、狂人と奇形の闇市場何年もかけて説明しようとしたーーーもしもあなた方が泥しか持って もし だったが、現在は野菜や、中古衣料や、みじめったらしい見世物小おらす、あなた方が神だったら、その泥で人間を作ればいし 屋が並ぶだけとなっていた。往年の遊蕩的な・ハイタリティは失せ、もあなた方が人間なら、その泥で人間の住める家を作ろうと努力す あとに残ったのは、半身不随のアル中患者、麻薬常用者、不具者、れば いい。だが、己れが泥よりましな存在だと考えている者は、だ いれずみ 行商人、娼婦、質屋、博徒の巣、占い師、刺青師、それに安宿くられ一人として彼女を理解してくれなかった。今、ライアは、水が平 いのものた。ライアは、水が平地を求めるようにテメバに足を向け地を求めるように、ぬかるみからぬかるみへ、喧噪と不潔の通り を、足をひきずりひきずり歩いていく。すると老いの醜い弱点の 彼女は都会を恐れたことも軽蔑したこともなかった。そこは彼女すべてがくつろぎを感じるのだ。しどけない娼婦たち、結いあげて の故郷だった。〈革命〉が普及したら、こんなスラムはなくなるだスプレーで固めた髪が、ポサポサになって歪んでいる。片目の女 ろう。だが不幸は存在しよう。不幸、荒廃、虐待「それらは常に存が、疲れた声で野菜を売り歩いている。薄バカの女乞食が、たかっ 在する。彼女は敢えて人間の資質を変えようとしたことはない。子てくる蠅を叩いている。この女たちが彼女と同郷なのだ。彼女に似 供たちが苦しむことのないように悲劇を取り去ってやるママ然とふている。みんな不幸で、厭わしく、さもしく、哀れっぽく、醜怪 こ 0 どぶ ピジネス
ての彼は、影すらもなかったのだ。当今、彼のことを多少なりとも押し入れにガウンを取りに行った。 ハウス 知っているものはごく少数しか残っていない。仲間は当時ことごと若者たちは、〈館〉の廊下を、若者らしくわがもの顔に歩いてい く獄中にあった。どこの監獄にも誰かしら友人がはいっているね、 た。が、彼女はそうするには年を取りすぎていた。彼女は、己れの といって笑ったものだ。けれども今はもうそこにすら彼らはいな姿をさらして彼らの朝食を損ねたくなかった。それに、彼らは、衣 。監獄内の墓地か、共同墓地にいる。 服、セックスその他すべての自由を原則として育ってきた連中で、 「おお、おお、なんてことだろう」ライアは声に出していって、再彼女はそうではない。彼女はその原則の創始者であるにすぎない。 フォート びべッドにへたりこんだ。〈堡塁〉の独房ですごした、あの最初のそれとこれとは同じではないのだ。 何週かの記憶の重みに、立っていることができなくなったのだ。ド たとえば、アシェオのことを、「わたしの夫」というようなもの リオの〈堡塁〉の独房ですごした九年間の、あの最初の何週間。アだ。彼らはたじろぐ。この場合、よきオドー主義者として彼女が用 ートナー いるべき言葉は「共同者ーだ。しかし、なんでまた、ばかばかし シェオが、キャビトル・スクエアで交戦中に戦死し、〈千四百人〉 彼女がよきオドー主義者でなくてはならないのた ? の闘士たちとともにオリング・ゲートの後方の石灰溝に葬られたと 伝え聞いた直後のあの何週間。独房の中での記憶。彼女の手は、ひ彼女は足をひきするようにして廊下を通り、浴室に行った。マイ とりでにひざの上の昔の位置に落ちていた。左手の拳を右手で握り 口がいて、洗面所で髪を洗っていた。ライアは、そのつややかな、 ハウス しめ、右手の親指で左手の人差し指の関節を押すようにしてこす濡れた長い髪の束を、感嘆のまなざしで眺めた。〈館〉からめった る。何時間も、何日も、幾晩も。そうやって彼ら全員の上に、千四に出かけなくなった昨今、きれいに剃り上げた頭皮を最後に見たの 百人の一人一人に、思いを馳せた、あの独房の中。彼らの横たわるはいつのことだったか。それでも、ふさふさとした髪を目のあたり 姿、生石天が肉を侵蝕していくさま、焦熱の闇の中に骨と骨が触れにしたという事実は、彼女に喜びを、生気に充ちた喜びを与えた。 合う光景。彼に触れているのは誰 ? あの華奢な手の骨は、今どん長い髪、長い髪。警官に、あるいは若いごろっきどもに、何回嘲 なふうに土の中に ? 時が過ぎ、歳月が流れた今。 弄され、引っぱられたことだろう。刑務所を変るごとに、ニタニタ 「タヴィリ、 あなたのことは片時も忘れたことはないわ ! 」われ知と薄笑いを浮かべる兵士たちに、つるつるに剃られたことが何回あ らず呟き、その愚かしさに、朝の光とくしやくしゃのべッドに引きもったろう ? それからまたすっかりもと通りに伸ばしたのだった。 どされた。彼のことは忘れようもない。こういった事柄は、夫婦間最初はワタ毛から、つぎに縮れつ毛、それから巻き毛に、そしてタ ではロに出すまでもないことた。今また、彼女の醜い、老いた足がテガミに : : : あの昔の日々。なんということだ、今日は昔のことし べったりと床の上にある。先刻とまったく同じように。彼女はつい か考えられないというのか ? にどこにも到達しなかった。どうどうめぐりをしていただけだった身づくろいをし、べッドを整え、食堂に降りて行った。申し分の 6 のだ。彼女は大儀さと不機嫌をこめて呻き声とともに立ち上がり、 ない朝食たったが、あのいまいましい発作以来、二度と再び食欲は
のことだ。 に少しは利口になるものだ。 彼はそのことを喜んでいた。浅黒い、明敏そうな顔に白い歯がき だが一方、そのすべてを忘れなくてはならない。 らめく。かわいいライア。 「じゃ、オアイダンからはじめて頂戴」アームチ = アに腰を下ろし 「ええ。心配もしてるけど」 ながら彼女はいった。 / イはデスクについていて、いつでもとりか 「わかりますよ。でも、ほんものなんですよ、今回は。スー政府のかれる態勢だった。彼は彼女が返信する予定になっている手紙を抄 終末のはじまりです。・こ、、 ナししち、彼らはソィネへに軍隊を出動させ読した。彼女は注意を傾けようとっとめ、やっとのことで手紙一通 る命令を出そうとすらしなかったじゃないですか。そんなことをしを終始一貫して口述し了え、つぎの一通にとりかかった。「意す たら、兵士たちの蜂起を早めるだけにすぎないってこと、わかってべきは、現段階において、諸君の同胞愛が、指導者崇拝の脅威 : たんですよ」 いえ、ちがう : : : 危険 : : : 」彼女が模索しているとノイが示唆し た。「 : : : 危険に対して弱点となり得ることであります ? 」 彼女も同感だった。彼女自身、その確実性を感じていたが、さり とて彼とともに喜ぶことはできなかった。希望以外に何もないが故「いいわ。また、なにごとも、利他主義ごとき権力追求によって早 に希望を喰いつぶして生涯をすごしてくると、勝利に対する味覚を期に堕落せしめられるものではないということを、念頭におくべき 失ってしまうものだ。真に勝利の実感を味わうためには、真の絶望であります。だめね。また、なにごとも利他主義を堕落 : : : ちが という前菜がなくてはならない。彼女は久しい以前に絶望を忘れてう。ああ、もういやになっちまう。あなたにはあたしのいわんとし しまっていた。もはや勝利はやってこない。前進あるのみだ。 ていることがわかってるでしよう、 / イ、あなた、書いて。みんな 「今日はあの手紙をやりますか ? 」 にもわかっていることなのよ。同じことのむし返し。なんであたし の本が読めないのかしらねえ ! 」 「いいわよ。どの手紙 ? 」 「タッチ」ノイは微笑を浮かべてやさしくいい、 「北部地方の人々あてのものです」 オドー主義の綱領 「北部地方 ? 」 の一節を暗誦した。 「。ハルヒオ、オアイダン」 「わかったわ。でもあたしの方はタッチされるのにも飽きちまっ 彼女はパルヒオに生まれた。汚れた河の畔りの汚れた都市。このた。あなたが書いてくれたらサインしましよ。でも、けさはもうご 首都に出てきたのは、二十二歳になって、革命を起す準備が整ってめんだわ」 / イは、やや訝しげに、というか、気遣わしげに見てい からのことだった。もっとも、当時はーーー・彼女と仲間たちが検討をる。彼女は疳癪を起こしそうになっていった。「あたしはほかにし 重ねるまではーー・・革命といってもやたら乳臭い、幼稚なものだっ なきゃならないことがあるのよ ! 」 た。賃上げストライキ、女性の議員選出権。投票権と賃金ーーー権力 と金、どうしてこうなのか ! ま、つまるところ、ひとは五十年間 ノイが去ると、彼女はデスクにつき、書類をあっちこっちと動か 4
うるさくつついていなくてはならない。グラッカスは部下の黒人た ちに向かって、強情なけものを相手にするように荒つ。ほくどなりつ 一九七五年ネビュラ賞上位作品リスト け、裏に回っては、そんざいな軽蔑の言葉で彼らのことをこ・ほす。 が、それもこれも、見せかけの芝居のようなもので、彼自身、白人 〈ノヴェル部門〉 受賞作 "The Dispossessed" アーシュラ・・ル・グイン。 狩猟家の役を演じているのだということにシビルは気づいている。 第二席 "Flow My Tears, The Policeman Said" フィリップ またグラッカスが シビルに見られていないと思うときには ・・ディック。 実際はやさしく、親切で、ポーターたちをかわいがってすらいるこ ー第三席会 334 はトマス・・ディッシュ。 とにも、シビルは気づいている。愛情のこもったスワヒリ語で冗談 第四席 "The Godwhale" ・・・ハス。 をいってからかったり と、シビルは察するのだがーーーふざけて 〈ノヴェラ部門〉 ・ハンチを喰わせる真似をしてみたり。ポーターたちも役者だ。昔な 〔受賞作 "Born With Dead" 『我ら死者とともに産まれる』ロ がらのポーターの態度でふるまう。雇い主たちに対して、うやうや 1 ート・ンレヴ . ア 1 ーく しく接するかと思えば、恩きせがましく構え、叢林のことならなん ( 第二席 "A song for Lya" 『ライアへの讃歌』 ( ヒ = でも聞いてくれという顔をするかと思うと、荷を担ぐしか取り柄の 賞受賞、先月号掲載 ) ジョージ・・・マーティン。 マイケル・ビショ ない単純無知な野蛮人でございといったそぶりをする。だが、彼ら第三席 20n the Street 望 the Serpents" ップ。 が仕える雇い主たちは、ヘミングウェイの時代のスポーツマンとは 〈ノヴェレット部門〉 ちがう。相手は死者だ。ポーターたちは、彼らの主人たる得体の知 受賞作 "lf the Stars Are G0ds" 『もし星が神ならば』ゴー ホーターたちが、 れないものたちに恐怖を抱いている。シビルは、 : ドン・エクランド & グレゴリイ・べンフォード。 偶然死者に触れることがあると、そのつど魔よけをなでまわしてぶ 第二席 "The Rest ls Silence" O ・・グラント。 つぶっと祈疇を唱えるのを見かけたことがある。時には、恐怖その 第一一一席 "Twilla" トム・リーミイ。 ものー・ーあるいは嫌悪かーー・をあらわにした視線を、うつかりとこ 〈ショート・ストーリイ部門〉 っちに投げているのに感づくこともある。いかに親しげにふるまお 受賞作 "The Day Before the Revolution" 『革命前夜』アー シュラ・・ル・グイン。 うとも、グラッカスは彼らの友ではない。彼らは、グラッカスのこ とを一種の奇怪な魔術師、他の客のことを悪魔の化身と見ているら第二席 "The Engine at Hea 「 tsp 「 ing's Center" ロジャー ゼラズニイ。 第三席 "After King Kong Fell" フィリップ・ホセ・ファー 汗にまみれ、言葉少なに、狩人たちは一列になって進む。先頭は 銃と食糧を担いだポーターたち。つづいてグラッカス、ザカリア ゴ 3 7
くとは。なんということだ ! しかしそれなら、醜悪でなかった がら音もなく起き上がってくる。タヴィリは、丈高い雑草の中に、 とっておきのスーツに身を包んで立っていた。ダークグレイの服頃、こんなふうに漠然と腰を下ろして、自身をつくづくと眺めたこ ひん とがあったか ? あんまりなかった、そういえば。当り前の身体は だ。それを着ると、びりつとした品があって、大学教授か俳優のよ うに見える。彼は幸せそうではないが、笑っている。笑いながら彼問題にならないのだ。当り前の身体は道具ではないし、観賞の対象 女に向かって何かものをいっている。その声の響きが彼女に涙を流となる所持品でもない。それはあなたそのもの、あなた自身。それ させ、彼女は彼の手を取ろうと手をさしのべる。が、止まりきらずがもはやあなたそのものではなくなり、あなたに属するもの、所持 品となってはじめて気にかかるようになるというのかーー・格好はい に駆けつづける。止まれないのだ。 い ? これでいいの ? このままでいられる ? 「おお、タヴィリ、ほら、ついそこにあるのに ! 」 「かまうもんか」ライアは憎々しげにいい放って立ち上がった。 白い雑草の妖しい芳香が、ますます強烈になってくる。足もとに はイ・ハラ、もつれ合った下生え。斜面がある。く・ほみがある。転ん急に立っと、立ちくらみがする。彼女は、手を伸ばしてサイドテ ープルにまらなくてはならなかった。転ぶのがこわかったのだ。 だらどうしよう : : : 彼女は立ちすくむ。 それで、夢の中でタヴィリに手を差しのべたことを、ふと考えた。 彼の手に触れたかどう 彼はなんといったつけ ? 思い出せない。 / 太陽。まばゆい朝の光が、容赦なく、まともに目を射る。昨夜、 ブラインドを下ろすのを忘れたのだった。彼女は太陽に背を向けかすら、さだかではない。彼女は眉根をよせ、無理にも思い出そう が、右下にすると、寝心地がわるい。しかたがない。朝が来たとした。タヴィリの夢を見るのは、久しぶりのことたというのに、 彼女は溜息を二度つき、上体を起こし、べッドの縁から脚を彼がなんといったか憶えてもいないとはー のだ。 / 下ろして、ねまき姿の背を丸め、足先を見下ろした。長年の間、安消えてしまったタヴィリの言葉。彼女は、ねまき姿の背を丸め、 ものの靴をはいてきたおかげで、足指は圧迫され、互いにくつつき眉をひそめ、片手をサイドテー・フルについたまま、佇んだ。彼のこ 合った部分がほとんど四角になり、そこにウオノメができて突出しとを考えたのはーーー夢は別としてもーー・どのくらい前だったろう、 ている。爪ときては変色してしまい、もとの形をとどめない。瘤にそれも〈タヴィリ〉として考えたのは ? 彼の名を口にして以来、 も似た足首の骨の間には、こまかなカサカサのしわが無数に走ってどれだけ経ったことか ? アシェオはいった。アシェオとわたしが、〈北〉の監獄にいた当 いる。指のつけ根のわずかな平面には、またしもなめらかさが残っ ているが、皮膚は泥色で、血管がごっごっと浮き出ている。あさま時のことだ。アシェオに会う前。アシェオの相互作用の理論。そう 、え・よ、わたしは彼のことばかりしゃべっていた。あれはしゃべりす しい、みじめったらしい、げんなりする、あわれつぼい。ありとあ。 らゆる形容詞をつけてみるが、どれもびったりだ。醜悪な帽子のよぎだ。ぶつぶっと。彼を引きずりこんで。けれどもそれは、アシェ うに。醜悪ーーそう、それもびったり。己れを眺めて醜悪さに気づオという姓の、公人としての彼に関してであった。私的な個人とし こぶ