101 剣刻の銀乙女 マナは恐る恐る、路地の奧を覗き込んで見た。 その先では兵の格好をした男たちが何人もいて、その中によく知った顔があるのがわかって しまった。 「お兄ちゃん : : : ? 」 学園から逃げ延びたヒースは、街の繁華街ーーーその裏路地に出ていた。 0 ーーー内地から逃げないと : まずは家に帰ろう。夕方になればマナも帰ってくる。 マナに、なんて言おう : けんこく 《剣刻》が刻まれた右手には、布切れを巻き付けている。 騎士のような力があれば、死んだ門番が言っていたように士官を志願することもできただろ う。しかし一介の門番のヒースには、そんな大それたことをする力も度胸もなかった。 あいつの話が本当なら、手放すことはできるはずだ。 まぶた 目を閉じれば、まだ門番とギャレットの最期が瞼に浮かぶ。 あんな死に方はしたくない。ヒースはただ、旅人や商人から各地の自漫話を聞きながら、平 凡な門番をやっていられれば良かったのだ。妹を良い学校に通わせてやれれば、なお良い 0
212 「ぐ、げ : : : あ、あれ : : : 違った : かたむ 途切れ途切れの言葉に、トーラットは眉をひそめながらも耳を傾けてみた。 「騙され、 : だ。あれ : : : は : : : じゃな、かった : : : 」 おび なにを言っているのかは聞き取れないが、男が怯えているのはわかった。それから、男の腕 が妖しく光を発していることに気づいた。 「おい、お前、そいつはなにを持ってやがるんだ : 服を引き破って、トーラットは絶句した。 けんこく 「《剣刻》・ - プ、じ それは、昼間の少年の右手にあった刻印と酷似していた。 違いがあるとすれば、それがどす黒い赤の光を放っている点だ。 それから、男の特徴が先日、騎士を殺して《剣刻》を奪い、騎士から追われているという犯 人と共通していることに気づいた。 こいつが犯人 ? だがなぜだ ? かいさい 《剣刻》を手に入れ、快哉を叫んでいるはずの犯人が、なぜここで死に損なって怯え狂って いるのか うめ トーラットが困惑を深めると、男は絶望に満ちた顔で呻いた。 「ああ : : : 駄目だ : : : 追いっかれた : : : もう : : : 終わりだ : : : 」 : だと ? ・
182 「キミは : ・・ : マナ、だったつけ ? 」 「エステルさん : : : 」 昼間、芸をするときに場所を借りた店の娘だ。向こうも少し驚いた顔をしていた。 「驚いたなあ。キミ、ここの生徒だったの ? 「いえ、そういうわけじゃないんですけど : : : それより、お兄ちゃんはどうしたんですか ? 「ああ、ヒース ? ここにはいないよ。別々に逃げてるから」 うなず 冗談めかしてそう言うと、マナはルチルに目を向けた。ルチルが頷くと、マナはそのまま走っ て行ってしまった。去り際に、一度だけ頭を下げて。 ふたりきりになると、ルチルは大剣の切っ先を向けてきた。 しゅしよう 「人質を解放したのは、殊勝だと褒めておくわー 「人質 ? ヒースのこと ? ばちくりとまばたきをして、エステルは噴き出した。 「あっははー、ヒースは仲間だよ。別に脅したわけじゃないよ ? 実のところ、最初の出会いはティーフェを使って脅したようなものだったが、彼女はそうは 認識していなかった。 「捕まえれば、全部わかるわー そう言うや否や、ルチルは地を蹴った。剣を二本も , ーーそれも片方は大剣を抱えているとは
申し訳なさそ、つにそ、つ言、つと、なにか思い出したよ、つに笑みを浮かべる。 「そういえば、お前はヒ 1 スのことも知っているようだったな」 : ええ」 「あれは一皮剥ければ、きっと強くなるのだろうにな。師もそれを期待して厳しい言葉をぶつ けたようだが、逆効果だったらしい。久しぶりに、顔を見たいものだ」 そう言って、ギャレットは不意に困惑した声を漏らす。 : ? だが、それはどこで・ : ・ : ? それに : 「いや待て、会った : : : のではなかったか : 「ギャレットさん ? ルチルが声をかけると、ギャレットはハッとしたように首を横に振った。 「なんでもない。それより、そろそろ私は生徒たちの方を見てこよう。お前も、不利だと感じ たら手段は選ぶな。お前をここで失えば、この国はもう立て直せぬやもしれん」 「大げさですよ」 苦笑するルチルに片手を上げて、ギャレットは去って行った。 女それと入れ違いに、マナが姿を見せる 乙 銀「マナさん ? 」 「あ、あの、兄が見つかったって、聞いたもので、 ・ : その、すみません」 剣 少女はあたふたと慌てた様子でロを開く。どうやらルチルが話しこんでいるのを見て、待っ あわ
そうしてガラリと扉を開けると、そこにはここの生徒らしい少年が通り過ぎるところだった。 いぶか とら 少年は、訝しげにヒースを横目で眺め、その後ろのエステルを視界に捉えると露骨に顔を硬 直させた。 げ、バレたんじゃ : 貌を引きつらせるヒ 1 スをよそに、エステルは軽央に声をかけた。 「こんにちは ! ねえ、ルチルって今、どこにいるか知ってる ? 「え、ルチルって、アフナール様 ? ええっと、街からは戻ったみたいだけど : : : 」 「じゃあ、いるのはいるんだね ? 「ええ、まあ : ・ 「そう。じゃ、探してみるよ、ありがとうー まばゆいばかりの笑顔を向けられ、少年もだらしなく口を緩めた。 「あ、そうだ。アフナール様なら、もしかしたら生徒会室かもしれないよ」 そう言って、少年は去って行った。その背中を見送って、エステルが自げに振り返った。 「どう ? 全然怪しまれなかったろ ? 「ええっと : 、うん、まあ、そうだね」 どちらかというと、今の少年はエステルに見れていただけのような気がする。あとで我に 返ったときに騒がれないと良いのだが : みと
「どう ? ここの生徒に見える ? 」 どうせなら「似合う ?. とか訊いてほしいもんだけどなあ : 年頃の女子として、笑いを取る以外のことにも目を向けてほしいと、ヒースは切に思った。 「大丈夫なんじゃないかな ? 」 「よおし ! じゃあ、次はみんなを驚かせに 「ーーー違、つー・そうじゃないだろっ ? 」 瞬時にヒースが止めると、エステルは迷惑そうな顔をした。 しの キミは少し、忍ぶって言葉の意味を考えた方がいいと思 「なんだい、急に大声を出して : 、つよ ? 」 「忍びたいな ! 俺、とっても忍びたいな ? 頼むからいっしょに忍ばうよっ ? ヒースが必死に訴えると、エステルはまたしてもケラケラと笑った。 ほら、ルチルって子を探そう ? 有名人らしいからすぐに見つかるんじゃな 「あっははー ! いか ? それでドカンと驚かせてやろうよ」 女「驚かしたら斬られちゃうと思うな俺ー 乙 銀「ええーっ ? 気の小さい子なんだなあ えんたく 「相手は円卓の騎士なんだってばー 剣 いい加減、叫びすぎて喉が痛い
「ねえ、これってどうやって使、つんだい ? 」 ネクタイをヒラヒラと揺らし、エステルがそんなことを言ってくる。緊張感の欠片もない。 「巻いてやるからもう少し警戒心を持ってくれよ」 ヒースはネクタイを受け取ると、エステルの首に巻いてやった。 「どうしたの ? ネクタイを巻こうとすると、しやらりとした銀髪が指に触れた。柔らかい。シャツのボタン もまだ留められてなく、ほっそりとした首の下には、わずかに鎖骨が見えていた。 ーーー女の子って、こういうにおいがするんだ : 果実のような濃密なものではなく、一輪の花のような、ほのかに香る甘いにおいがした。 それに加え、この紅玉のような瞳が期待に満ちた色で真っ直ぐ向けられているのだ。この状 きようじん 況で平静でいられるほど、ヒースの平常心というものは強靱ではなかった。 「ヒース、キミ、顔が真っ赤だけど、具合悪いの ? 「な、なんでもないよ」 オーメントーカー 緊張で震える指で、ヒースはなんとかネクタイを結び終わった。結び方は、〈占刻使い〉の 資質確認などで、何度か妹に正装をさせたときに覚えたものだ。 ネクタイが整うと、エステルはすっかり制服を着こなしていた。
「ーーまあ、さすがに助からない、か ただ、それは自爆だった。余波だけでクラウンを消し飛ばした《シュタインボック》は、ヒー スの足下に撃ち込まれたものだ。真上にいるヒースが、そこから逃れる術はない。 空高く吹き飛ばされたヒースは、観念して目を閉じる。 ただの門番が、悪の黒幕に一矢報いたんだ。 くつじよく それは、クラウンの心に屈辱として深く刻まれたことだろう。それだけで、満足だった。 そうして破壊の渦に飲まれたときだった。 いくえ シンツ ハシンパシンパシンツーーー・幾重にも、紅い円環が広がった。 なにをやってるんだー 「ーー・キミはー そして、こんな声が出せたのか驚くような怒声。 銀色の髪が揺れ、グイツと手が引かれる。景色が一変して、足下に地面の感触が現れる。 とどろ わずかに遅れて、背後で爆音が轟いた。《シュタインボック》の破壊だ。ヒースは自分がま たエステルの〈門〉で助けられたのだと理解した。 そこにいたのは、銀色の髪を揺らした少女だった。ただ、いつだって楽しそうにしていたそ の顔が、今は半ば青ざめ、半ば怒りで赤く染まっていた。 なか
なるほど、とヒースは頷いた。 おうか それに加え、エステルは本来魔王級の皇禍だ。交戦意志は見せなくとも、怪物は本能的にそ の力を感じたのかもしれない ルチルの手には、彼女の身の丈よりも巨大な剣が握られていた。その剣に呼応するように、 ヒースの金色の槍が小さく震える。そこから、剣が《剣刻》のものだと、なんとなくわかった。 そのときだった。 『ひひっ、これはなんとも愉央なことになりましてございますな』 目の前に飛び込んで来たのは、クラウンだった。 「クラウン ! 」 ルチルか吼、んると、クラウンはさもおかしそ、つに笑、つ。 『立ち向かわれるとおっしやるか。ですがそれは難しゅうございますぞ、ルチルさま。今のあ なたさまには、身を守る力すら残っておりますまい』 そ・つはく 女チラリと目を向けると、すでにルチルの顔は蒼白で、呼吸も荒い。剣を握ってはいるが、そ 銀の手も小さく震えていた。加えて、今は虎の子の〈円卓の騎士〉を手放してしまっている。 そんなルチルの前に、ヒースは割り込んだ。 「君はエステルを守ってやって。俺じゃあ、手も届かないから , うなず
136 ポカンとして口を開くヒースに、エステルは続ける。 「ものを壊すのって簡単だろ ? 人を傷つけるのはもっと簡単だ。でも、ものを作ることは誰 にだってできることじゃないし、死んだ人を生き返らせるのは神様にだってできやしないんだ」 そこにいたのは、ヘラへラと笑う少女ではなかった。 深紅の瞳に浮かぶのは、どこまでも強固な意志の光だ。 「あたしは不器用だから、なにかを作ることはできなかった。医者みたいに誰かを助けること もできなかった。逆のことしかできなかった。そんなあたしでも、誰かを笑わせることならで きたんだ」 ひざ そう語るエステルの声は、膝をついてかしずきたくなるほど力強いものだった。 それから、どこか幸せそうにすら見える笑みを浮かべる。 ししそんなことより、 「力を振り回すなんて誰にでもできる。そんなの大にでもやらせれば、、。 泣いてる子供を笑わせられる方が百倍すごい。笑いたくないって言ったって笑わせてやる」 そう言って、ビシッとヒースの顔を指差した。 「それが、道化の美学ってもんだよ [ なんでだろう。格好良く見える : エステルの言葉は、ヒースが憧れを抱く英雄譚からはかけ離れている。 きやしやこつけい にもかかわらず、ヒースの目にはこの華奢で滑稽な姿をした少女が、誰よりも優れた英雄の