ね、の一般論でも、いわゆる科学派と ゆる児童文学を読んでいる子供の数と、す、企劃者として。 発想は、かんたんだったんです。派というのがあって、あの発言はやは を読んでいる子供の数とでは、それこそ 天文学的な差があるんだ。その現象に目を少年もののの、もっと低い年齢層に読り科学派の意見なんだね。だから、・ほく つぶって、せいぜい認めても必要悪だと頭ませるものを作りたい、ということね。そは、悪意というよりは、やつばり、児童 して、話をしてみたら、いわゆる大衆児童一般にあやまって求められているーーと ごなしにいっていた連中が殆んどだった。 いうか、そうしたもの、と思われている科 それがいわゆる児童文学者だった。・ほく文芸の作家たちと純粋な童話作家たちとの は、今、北川さんがいわれた自信は、このあいだで、話が一致してできた。いわば中学主義の弊があらわれた現象だと思うんで ことと、心理的にも社会的にもつながりが共貿易みたいな恰好になったんですよ。すよ。つまり瀬川昌男などが、童話な あると思うな。彼らがなぜ、子供たちがこ ( 笑 ) そして本はまあよく売れた。そこでどというのは認めない、といっている狭い れほど欲しがっているものに目をつぶって児童文学界で評価しなければならなくなっ科学主義と、結局は軌を一にする発言なん いたか。自信がなかったからだ。子供の欲たということでしようね。ただここで、ちですよ。童話なんていうのは、児童 求に答えられるものが cnr-k でありその周辺よっと問題にしたいのは、小隅黎氏の書いの本道をはずれている、というわけなん のものだったから、われわれは、自信をもた論文の中で、マンガ家などの話はたくさだな。これは余談になるけど、これが巻頭 ち、コンプレックスを感じないですんだんん書いてあるのに、童話のことになる論文だというのは、面白い皮肉でね。 と、「本論とは全く別のアプローチを必要が童話の領域に入ってきたからを問題 にした日本児童文学界が、その特集の巻頭 亀山・ほくらを支持してるものが子供たとするため意識的に避けて通らざるをえな ちだということがぼくらの自信なんだ。昔かった」うんぬんと書いてあることだ。別論文において、童話を否定されたわけだか はほんの片隅にすぎなかった。しかしこののアプローチかどうか知らないが、意識的ら。 頃はちがう。子供の真に欲してるのは、彼に避けたことは事実で、これは児童文内田だから、ぼくにいわせれば、なぜ これが童話という名を題して出してこ らの空想力なり活発な動きなりにあてはま学の問題を論じる態度ではないと思うな。 るものなのだ。これを考えずにを論ずまた「はっきりいえばの本質とは無関なければならなかったのかということに疑 を感ずるんだ。・ほくはをつける必要 るのはちょっとおかしいんだ。 係であっていいのかもしれない」ともいっ問 てるが、これは投げ出しですね。・ほくは悪はなかったんじゃないかと思うんだ。なに 意の陰蔽だと思う。こうではない、と思うゆえにとつけて限定したのか、ただの △童話をなぜ避けた ? ▽ のなら、その理由を論じるのが本筋で、マ童話といって、立派に通用したじゃない か、ということなんだ。もう一つは、もし 福島それでは、今度は、児童文学界がンガがどうしたとか玩具がどうしたと を問題にせざるを得なくなったきっか かいう話よりもその方が主題だったのじゃ童話と銘うって、いままでの童話に飽 きたらないから、ちがうものをうち出そう けをつくったものとしての、童話につないか いて少し話しませんか。」丿 日さんどうで福島ぼくからちょっと説明しますととしたんなら、なぜいわゆる純粋な童話作 ミ」 0 9
文学の主流を占めて、やってるという現実 にある科学恐怖症がイワレないものであるなるんでしようね。 亀山なぜが売れるのか、な があると思うんた。その彼らがをどう ことを書いたんだ。そしたら編集部が、 「まあ見ててごらんよと大きな口をききたが子供から求められるのか、ということ見ているかというと、児童は、現在の を、この人たちは考えていませんよ。 日本の子供たちを正面からとりあげない くなるこのスサマジキ現実 , というアオリ をつけた。こんな文章はぼくは書いた覚え福島それについても。ほくは、児童文壇で、現実逃避したかたちでとりあげる悪し これに支配的な考え方の問題があると思うんだきもの、という具合に見る。もう一つは、 はないし、つけられるイワレもない。 マンガや週刊誌なんかと共にでてきた じゃまるで、は売れちゃいるけど内容が。その点、内田さんなんかどうですか 内田児童文壇には、を見るきまっ は、アメリカニズムの反映であるという見 はひでえもんだといってるみたいに見え る。 方。こういう二つの公式的な見方でと らえているんだ。 内田あなたが書いたんじゃないの 福島そうだね。何かというとすぐ ? ・・ほくは、あんたに、もっとまじめ 米帝の手先といいたそうな口をきく。 にやれといってやろうかと思ってたん 0 み」 0 光瀬何も知らないんだよ。 内田何も知らないんだ。それほ 亀山・ほくもだ。吊し上げてやろう ど、次元が低いということだよ。しか と思ってた。 ( 笑 ) もさらに亜 5 いことに、 ミニコミ書評紙 内田そりや問題だ。 で互にその立場をほめそやし、児童文 光瀬いや、問題外だよ。 ( 笑 ) 学の真にあるべき姿から、ひとびとの 目をそらさせている。 △なぜこうなるの ? ▽ 福島それと、大人の文壇に残って る自然主義的風潮が、かれらの中に 福島どうも皆さんのお話を聞いて いると、この特集をやった側の人たちは co た見方があるんだ。は従来、大人の世は、残ってるなんてものじゃなくて、まだ いつばいあるんだ。 をやっている人たちに私怨を晴らしてる界でもいろいろ誤解されてきて、マガ ジンや作家がそれを是正させるために 内田そうなんだ、田山花袋以前なん んじゃないかとさえ思われるところがあり ますが ( 笑 ) 、それと同時に、その私怨のがんばってきたわけだが、児童文壇の場合だ。 ( 笑 ) もとは、やはりこの人たちがをむやみには、その問題プラス・アルフアがあるん光瀬もう一つ、児童文学者にあるイン だ。それが何かというと、戦前の。フロレタ フェリオリティ・コン。フレックスの問題も やたらと怖がって、花園を乱すものは、つ 9 リア文学ーー・まで行かないで、左翼的な同あると思うな。わたしはジャリものを書い 8 てな目で見てるような感じがするんだが : ・ 。さっきからいってるんだが、な。せこう人雑誌的感覚の連中が、現在の日本の児童てるといった、卑下した考え方がね。 矢野徹氏 北川幸比古氏
ないらしい。スーザ、ンは痛む腰をおさえ、深呼吸をした。新天地にれに、あんな、きみのわるい動物をたべるなんて、考えられもしな 未来の夫とふたりで立っているという事実が、しだいに感動となっ いじゃないの : : : 」 て彼女の胸をあっくしはじめていた。彼女は着地のシ , ックも忘れ「いやかならすしもそうではないよ , シオダはスーザンを起こしな て、大きく伸びをした。顔も、これまでの緊張がほぐれ、自然にほ がらいった。説明調である。「ほら、よくみてごらん、カエルにそ ころんでいた。とにかく、もうふたりきりなのだ。ふたりきりの婚 0 くりの動物だ。食糧難におちいったら、・ほくらだ 0 て食指を動か 前旅行がはじまるのだ。未来の夫は小首をかしげながら、しきりにさないとはかぎらない。しかし、たぶんその肉は有害なのだろう。 メモの手を動かしている。わたしもなにかおてつだいしなくちゃー だから、試験官マシンが注意してくれたにちがいない。・ ほくらにと ースーザンはこう思って、シオダのほうへ近よりかけた。 っては貴重な情報なんだよ、いまのは : ・ : ・」 すると、その足もとの草むらから、とっぜん大きな緑色のかたま「カエル : りが、彼女の胸にむかって、跳躍した。 スーザンはそこまでいって絶句した。くちびるがふるえている。 「キャッ 顔色もわるい。むりもなかった。彼女がふりおとしたその動物は、 スーザンはかなきり声をあげ、両腕を夢中でふりまわし、その緑たしかにカ = ルによく似た体形をしていたが、同じカエルでも、と 色の物体をふりはらった。物体は数メートル前方に落下した。彼女 くべつきりようのわるい、ガマガエルをさらに奇形にしたような顔 はその反動と驚きとで、ドスンとしりもちをついた。 と、まだらのうすみどりの肌をもっており、しかも、ス。ヒッツほど 「どうしたんだい ? の大きさだったのである。 シオダがメモの手はやすめずにふりむいたとき、そばに放置して それは忍術でもっかいそうな眼つきでスーザンをにらむと、ガサ いたカプセルの中から金属的な声がした。 ゴソと草むらに消えていった。 〈その動物に危害を加えてはいけない。利用するのはさしつかえな シオダは婚約者としての責任を思いだしたように、スーザンをだ いが、食用に供したりはしないように〉 きかかえ、やさしくいっこ。 試験官マシンは、ここでもまだふたりを眺めていたのだ。 「心配することはないよ、スーちゃん。・ほくの推理だが、彼らはお 「わかりました」・ そらく積極的に攻撃してくることはないだろう。なぜなら、いま試 シオダはおちついてこたえた。スーザンはしばらく、しりもちの験官マシンは、〃ト、 羽用するのよ、 ししが、《食用には : 〃といったか ままでロを。 ( ク。 ( クさせていたが、メモをひととおりおわ 0 たらしらだ。つまり、彼らは・ほくたちの脱出に利用できるのにちがいない いシオダが、手をさしのべると、それにすがって、泣き声をだしはんだ。これも貴重な情報だよ。試験官は、むだなことはひとつもい じめた。 っていないんだ」 「あんまりだわ、機械のくせにこんなところにまでついてきて。そ こあばった両噸にキスをしてもらって、スーザンはやっとおちっ 2 5
旗幟を鮮明にしたわけだ。そうしておいてあったということを通じて、また、彼らの 家と一緒にお仕事をなさったのか、という なぜ以外の人と一緒にやったか、とい関心と理解を通じて、現在がかちとっ こと。というのは、たとえば佐藤驍は「 とはすでに科学が手に入れた成果から類うと、大人のでもそうだったが、とくている状況への突破口が出来たことは確か 推し将来におこりうる可能性を素材にしてに児童の ()n においては、現在の段階でなんだ。 一篇の作品を創作する分野と解釈 , してるは、少なくともに理解をもち自分も積内田それは判る。でも、児童ものでは んだよ。そして自分の書く「純粋ファンタ極的にその領域を開拓したいと思っている別なんじゃないかな。児童文壇というへん ジーは、存在せぬもの、存在しえぬものを人、そしてその人の過去の業績からいってなところでは、がどうのという連中の 扱う」、だから、の世界なんかやれなその可能性のある人とは、一種の統一戦線ほうがむしろ一握りなんだ。児童文学のな こよ、ほど子供たちに迎えられどん といってる。そういう立場の人と一緒が必要だと思った。そこに、 ()n 児童文学か冫。 の可能性を期待した。あれは期待たったんどん拡っていくものはほかにないんだよ。 に童話をやったという事実のなかに、 だから彼らのほうで、もうすぐ一緒にやら だよ、つまり、結果はべつの問題なんだ。 児童文学界がを誤解する縁因があった してくれというようになるんだよ。 ( 笑 ) んじゃないか。 内田いや、統一戦線をつくろうとい だから、あんまり取り越し苦労はしないほ 、その考え方じたいが、児童文学側に、 北川あれを童話とうたったのは、 まあいろいろ考えたけれども、結局そう銘こちらを舐めさせる原因をつくってるんじうがいいんた。ひと握りの連中を気にしす ゃないか、というんだよ。それより、ぎるんだ。ぼくがいいたいのは、かって、 うったのは、従来のものとはちがう、とい うことを明確にしたかったからですよ。た作家の書く童話は童話としてすばらしいん山中峯太郎や、佐藤紅緑なんかが、当時の だということを、彼らが認めて、おれも少年に大きな影響力をもった、それと だそれだけです。それから、どうして といって飛びこん質はちがうけれども、同じような大きな影 を認めない人たちと一緒にやったかという的な童話が書きたい、 響力をもてるのは cn で、の中でこそ と、童話のようなものを書く人をもつでくるのをまてばいいのであって、そうい そうした可能性はみんな生かせる、だから と増やしたい、子供たちの手に渡るものをう形で仲間を増やしていくべきであって、 は児童文学の主流になりうると思って いうことをこっちから妥協すべきではないんだよ。 もっと面白いものにしたいと、 いるんだ。 福島この問題はね、大人の ()n の場合 主として考えたので、これはなんだ、 、ぐ / しノ ということを明確にしておいて、それを書でも、ある時期おなじようにあったわけ矢野児童文学者というのよ、ど 、金になりさえすれば何でも書こうと思 だ。同志が少なかったとき、すでに世の中 こうというならばよい、という態度でいた ってるのが多いんだ。そして書かして貰え わけですよ。いろんなものをただ集めてきに認められているエンタティンメントのジ て、それにとつけたわけじゃない。そャンルの作家たちと統一戦線をつくろうとなきや、根性が汚ないから噛みつくんだ。 われわれは金にならんでもとにかく好きだ の結果がどうだったかというのはまた別のしたことがある。それが、個々の作品でい 問題だ。 って、結果としてプラスにな、ったかマイナから書いとる、気概みたいなものがある 福島ばくも北川さんに賛成たな。まずスになったかは別として、そういう運動がわ。 2 9
光瀬そういうのが、この雑誌の編集者福島編集後記にこんなことが書いてあかくも非礼であっても、われわれとしては の自負心になっているんだな。それで自信る。「児童文学の事情や歴史、問題点門 耳く耳を持っている。ところがその内容た 8 過剰になってるんだ。 などにくわしい人というと、残念ながら協るや、、、 しし悪いというもんじゃない。その ーコ丿 ただ、学校の先生は読んでるし、会外部の人が多いわけだが」ってね。こう 前に恐ろしくズサンなんだ。このズサンさ 図書館にはくばられているし、会員五〇〇 いうものの考え方はおかしいじゃないカ は責められるべきですね。それも、を 人会友一〇〇〇人、それにその周辺の読者何か考えようというとき、外側の話を聞くちゃんと勉強してる人がいないせいか、だ たちーーーその簡囲内では、効果はありますのは当りまえですよ。それを残念ながらとからマイナーな人たちが書いたせいか、と ね。 はね。ほんとは内側ですましてしまいたい りあけられた問題点の次元が低すぎる。座 恒島それはとにかく、こういうこ 談会は毒にも薬にもならないし、幾つ とは、ほかの世界では、たとえば かの論文は、研究じゃなくて悪口だ 作家の世界とか、一般の文壇の場合に し、は八よい科学読みものになる は、あり得ないですよ。どうしてこう か > なんてのに至っては : : こんな問 いうことが児童文学の畑たけで許され・ 題はもう論議以前なんだが、それを承 るのか、それが問題だと思うけどね。 知で、大胆不敵にも、は科学のお 内田それと同時にだからこう 勉強であるべきだと論ずる気なのなら いうことが起きたということはいえる ば、もっと周到な準備をしてきてほし ね。 いな。それなのに、これらに共通して 矢野そうだ、「なんそ犬に喰 ることは、とにかく何でもいいから (.n われろ , と、もともと思ってるんだ。 という怪獣を早くとり抑えよう、飼 福島というのは、彼らにとっ いならそうという態度だね。そのため てやはり異質なもの、わからないも には、初歩的な誤りでも何でも平気で の、くだらんもの、余計なものと思ってい と思ってる。文学上の問題でこんなことを冒そうというわけだ。つまりトライアル・ アンド・ るんだな。 エラー特集だ。 考えるなんてふしぎな人たちだな。 これは・ほくは中にも書いておいた 光瀬そのくせ、「児童文学のため 亀山企画には賛成なんですがね。児童 にいささかの力を尽したい」なんて、おた文学の中で、この問題について、たくさんんだけど、。ほくの貰ったテーマが、「 めごかしをいってやがる。 の人たちと話し合いもして、よりよいものの科学性と人間性」なんだ。つまり科学性 内田どういうふうにしたら、児童を求めたいわけなんですから。 と人間性とは対立するものだ、ということ が、恰も既定の事実であるようなテーマ 文学のために寄与できるか、ご意見をうか福島そう、そう。だから、もしも、こ : 、こ、というへきた。 の特集の内容が非常にいいものだったら、 ね。たからぼくは、むしろ児童文学者の中 亀山竜樹氏 内田庶氏
した。だがこれはでたらめで、放送局は特別のプロを組んたわけでの言葉のアヤにすぎないんた、と思ってましたがね、後になって、 なく、単にお話をうかがしたしが、といってきた程度らしい。 数学の公式はたしかに玄妙な絵にちがいない、と信ずるようになり 「まだなにかあたしにお聞きになりたいことがあって ? 」フロナはました : ・ : たとえば、つい先ごろ、私はある学者の公式を見たんで きいた。 すが : : : それは宇宙無限の必然性、その学者の言葉では、ヴェクト 「ぜひテレビで拝見したいものです。お話の方は、これはあなたのルの量の必然性、を説明する公式なんですが : いや、なんとも奇 御意のままですよ。でも、やはり真実の話に限りますな」 妙なものでしてね : 「女のおしゃべりなんか、時間つぶしにもならないでしよう・ ウオイノフはまたすこし考えた。 「そういったものじゃありません。私も外国人といくどか会ったこ フロナは彼の頭に浮かんだ数学の図面をこわごわ透視した。自分 とがありますが、概してご婦人の方が男性よりずっとざっくばらんにはまるきりわからないけれど、それが一流画家のスケッチのよう で、正直だという印象をいつもうけていますー なものであることは、もう知っていた。そういう絵がウオイノフの 「うまいことをおっしやる」。ヒーターは大口あけて笑った。「でもデスクにあることも、もう知っていた。いまこの学者の動作の一つ こんなホールで立ち話はおもしろくない レストランへいきましょ 一つは、それを記憶するいとまがないほど、非常に多くのことを物 語っている。こうなると直接の接触はもはや好ましくない。でも、 小卓に席を占めて、。ヒーター ・ブレイゲンは最初の成果に気をよ話を打切るわけにはいかない くした。 「その学者というのは、西側の方ですか ? 」 「そうです」 どんな目でウオイノフがフロナを見るか、どんなふうに彼女にい すをすすめるか、ふたりが近づきになった展覧会のことを、どんな「もしか、アブラハムスという ? 」 に熱心に話すか、すべてあらかじめ知っていたとおりにことが運ぶ「そうです」 のがおもしろかった。 ウオイノフは気がついた。少数の専門家にしか知られていない名 「なんといわれても、現代美術には何かがある。画家はただ探求しがふいにとび出したことを。彼はびつくりした目を。ヒーターに向け てるだけかもしれませんが、その芸術の発展の道には興味をひかれた。 ます。抽象主義とでもいうのかな ? 」 「あなたはこの人をごぞんじなんですか ? 」 ウオイノフは宙に目を向けてちょっと考えた。 「知ってるどころじゃありません。ごく親しい友人です。しかもお 「そういえば、私たち学者にも、ときに抽象がまかり出ることがあなじプレトリアの出身ですからね。たしかいまはフランスにいるは ります : : : 大学のとき、風変りな数学の先生がいて、いつも〃公式ずです。宇宙船〃リュテチア号〃を救ったのは、アブラハムスだっ を描け〃って学生にうるさくいうんです。そのときは、これはただ たというじゃありませんか」 ー 42
ほかに返事のしようがなかったのだ。 トムは気が楽になって、外に出た。 ' するとそこにロイスがいた 一家のおしゃべりはグループに分れて、なにかサイコ・マシンと「どうしたの ? 」ロイスが尋ねた。 呼ばれるものの話や、ロシャ旅行や、火星や、トムが聞いたことも「べつに」かれは答えた。 ない画家たちの話になった。かれはロイスと話したかったが、ロイ ロイスはトムの手をとって、「わたしたち、あまり押しつけがま スは、火星のことを子供みたいにべちゃくちゃしゃべっているグルしかったかしら ? おしゃべり、退屈だった ? うちは、。、 力やがや ープに入っていた。トムは突然不安になり、取り残されたように感一家なのよ、それに、あなたがローニングかどうかお尋ねしような じた。そして、レイチェルが自分の彫刻した部分をけなしているのんて思いっかなかったの , を聞いても、ジョイスの面白そうな笑顔を見ても、大して慰めには「ローニング ? 」 ならなかった。みんなが立ち始めた時は、ほっとした。かれは、ふ「淋しいってこと」 らりと外に出て、ひどくみじめな気持ちで、子供たちの差し掛け小 「まあね , しばらく二人とも黙っていた。やがて、トムは、「きみ 屋の方へいってみた。 は幸福かい、ロイス、ここで暮してて ? 」と尋ねてみた。 ふたたび、人なつつこい裸んぼうたちに取り囲まれた。ただ例の たちまち笑顔がはねかえってきた。「もちろんよ。うちのグルー しかつめらしい顔をした女の子だけは、あい変らずなわ飛びをして。フは虫が好かないの ? 」 いた。トムはちょっといたずら気を出して、色よい返事は期待しな トムはロごもった。「どちらかというと、好かないな」それから いで、その一番年下の子に尋ねてみた。「一たす一はいくっ ? 」 調子を合せた。「だけど、或る意味では、こんなに魅力のある人た 「とお」ちび公は軽く答えた。トムは嬉しくなった。 ちには会ったことないよ」 「二にもなるよ , 長男が口を出した 「ほんと ? ーロイスの手に力が人った。「それなら、しばらく泊っ 「そうたねートムは相づちを打った。「世界の人口は ? 」 ていらっしゃいな。わたし、あなた好きよ。なにかの申し込みをす 「やく七十億 , るには、まだ早すぎるけど、うちのグループに欠けているものを、 トムはあいまいにうなずいて、今度は、とっさに頭に浮んだ、であなたは持っていらっしやると思うの。きっとうまくやっていけて ポリオミエリティス きるだけ長い単語を、長女にぶつけてみた。「小児麻痺ってなによ。それにジョイスもいるし。あの人も泊りにきているだけなの。 淋しがる必要なくってよ。ひとりでいるのがお好きなら、話は別だ 「聞いたことないわ。 けど」 しかつめらしい顔をした、小さい女の子は、あい変らず、さっき返事を考えるひまもなく、そろった足音がして、二人は家中のも のに取り巻かれた。 のおかしな呪文を唱えていた。「ジク・ロ、アイ・オ、リク・オ、 「泳ぎにいくわよ」シーモヌが告げた。 ジス・ソ」 9
「さあ、ただなんとなく : : : 」と、ぼくはいった。 んのだよ。キリスト教以前、あるいはヤリスト以外の各宗教におけ アーティフィシアル 「なんとなく : ・ ナハティガルは「一音一音、くぎるようにつぶる精神のとりあっかしを 、ま、はるかに技巧的なものだった : : : 。大 ゃいた。「このごろ、あちこちで人々がそのことを考えはじめてい 宗教は、そういった〃技巧〃の繁瑣さとむなしさを知って、そう る : った薬物や技巧にたよるやり方を捨て、ただ人間の自然にそなわっ 「そうですか ? ー。ほくはちょっと衝撃をうけた。「あちこちで ? ー た理智にだけにたよって、超越を達成することをとなえた」 サイコ・メディックス じゃ、誰かが、ぼくらのところにも、流行をもちこんだのかな ? 」 「精神薬学も、あまりのそみはありませんか ? 」 「そうではあるまい その問題を考えはじめている人々は、お「将来、なにかが出てくるかも知れないがーーーしかし、ほとんどの 互いにひどくかけはなれた場所にいる。世界の各地に : ことは古代でやってしまっているからね。おそろしく現代科学の水 ~ 「同時発想ってわけね , とフウ・リャンはいった。「でも、どうし準で、繁瑣な技巧主義におちいって行くのが大勢じゃないだろう ゴータマ か ? 多くはのそめまい。そしてもう一つの方向は - 一ルヴァーナ 「あなたはどう思います ? ナハティガル : 」クーヤがするどく ( 釈迦 ) はえらい人物だった。しかし、湟槃は停止であって超越 きいた。・ , 「人間は、完全ですか ? あるいはいっか完全になり得まではない : すか ? 」 「あなたは仏教徒ではなかったんですか ? 」とフウ・リャンはきい 「完全であるはすがない : : また完全には、決してなり得ない。すた。 : もっと 「ちがうよ、マドモワゼル : : : 私の魂はもっと荒々しい でに限界は見えている : ナハティガルはおだやかな声でこたえ た。「だが、ほぼ完全に近いのではないか、と思われるものを、想〃自然〃そのものに近い」ナ ( ティガルは、しずかに溜息をつい 像し、考えることはできるように思うね。 しかし、人間は自分た。「私は : : : ずっと待ちうけているのだ。可能性について考えな がら : : : 。人類は、恒星間旅行を、いっ達成するかな ? ーーーまだ、 の考え出した、その完璧なものの中に、決してはいって行くことは 二、三世紀かかるかも知れん。たとえ、もっと早く達成できたとし できない : ても、それは一つのはじまりにすぎないのだからね。 それから 「薬もだめです力 ? 」と・ほくはきいた。 ナーコ・トリップ サイコ・トラヴェル ・ : 探求がはじまるのだ。この宇宙のどこかに、われわれを超える 「そうーーー薬旅行も、精神旅行も、やはり根本的な解決ではない 。生物が見つかっても、人間以下 だろうね。それは人間の心の閉ざされた扉をひらく。幻想の世界をものがいるかどうか、という : くりひろげ、ある場合には、ほっておけば一生つかわない脳細胞のだったらどうにもならんからな。もう一つの可能性は、万が一の僥 一部さえ、刺激して働かせる。 しかし、それは、常人の常態を倖で、宇宙の彼方から、それがやって来てくれるかも知れない、と ナイコティッ いうことがある その方が、かえって可能性として大きいかな 超えても、人間を、人類そのものを、こえるものではない。薬物 ク・テオロジイ 神学は、近代が忘れ ( いた、占いテクニックのリイルにすぎ ? : : : 考え得ることは、まだほかにもあるが : : : 」 9 2
そうだけども、発言するチャンスをもっと 福島そうね、それと話はすこしちがう 福島翻訳技術の上でも不可能だね。可 求めたい。その場合、雑音源は早く切り捨けれども、その同じ連中がまったく中身の能だというやつがいたらそれはインチキ てて、当面議論すべき相手を見定めて、もない完訳主義をふりかざして、正論と称し た。もちろん、言葉を逐語訳するだけで、 っとそういう相手と正面きって話しあう。 てふんそりかえってるのも変なことだね。子供の理解力も観賞力も無視したかたちな そうでなければプラスになりませんよ。そ -TT ーノ 完訳主義 ? ら可能だけど、そんなものは翻訳じゃない 内田そう。海外の児童ものは、完訳でからね。それに、完訳主義でいけば、現状 うでなければ、いま一部では権威あるもの としてまかり通っている批評をやつつけるなければいけないというわけだ。だから、 では、はじめからせい・せい三、四〇〇枚ぐ こともできないと思うんです。 第一に大人のものを子供ものにリトールドらいのものたけに限定しなけりゃならな つまり完訳主義は、ある程度以上なが 光瀬ぼくは一作一作を勝負していく。 してはいけない。第二に、子供ものは、アい。 いものを、海外児童文学から追っはらって それそれあっていいと思うんだ。 TT ー諸 ブリッジしてはいけない、子供むきのもの 科学教育のどうのこうのといった、まちがを完訳で読ませることこそ、今後の海外児しまうことになるんだ。要するに、完訳主 義というのは、聞こえのいいだけの、カッ った意見に、いちいち反対していくことが童文学のありかただというわけ。 絶対必要だと思いますよ。 コいいだけのものですよ。とにかく、こう 福島そして、この行方に反対の連中は いうことのマカリ通る児童文学の世界はお 福島ぼくのいう文学運動というのもそみんな児童文学を毒する大悪人で、てめえ かしいと思うな。とくにわれわれの立場か ういう意味で、そんな動きを、面倒がらすたちは正義の味方だといってる。これは に一つ一つはね返していくことが必要ですね、それこそ、読者に、あるいはやらいうと、の場合は海外の大人むけ作 品をたくさん紹介しなければならないし、 ね。 お母様がたに媚びてるんですよ。 内田・ほくは、を意識しないで 内田これはおかしなことですね、第一こういう悪しき完訳主義のデタラメさを、 大いに指摘していかなきゃね。さて横道に を書いていきたい。つまり、児童文学のなに子供に大人のものを与えてはいけない、 かのという本質を押しだすためにね。 ということはない。 これは、日本だけでなそれたけれど、結論といきましよう。みな でないと枝葉末節の方に目が奪われはしな くどこの国でも行なわれています。な・せ行さんのお話を総合すると、これから・ほくた い力という危惧があるんた。・ ほくとしてなわれているかというと、世界文学の中にちのやることは、ずいぶん多いわけだ。よ いをたくさん書く、チャンスがあり次 は、児童文学の新らしい傾向のものを、もある普辺的なものば、大人であれ子供であ っと勉強していきたいと思うな。でない れ理解できるししなければならないから第、いや、チャンスをどんどんつくって発 と、最近の海外の児童文学の紹介者たちだ。大人のものは子供のものにならないと言をする、海外児童文学の勉強を大いにす うのは、たんに技術の問題だよ。第二る、翻訳の問題でも、正論めかしたインチ は、書評でちょっと読んだとか、たまたまい 賞をもらったとかいう作品を、新しい児童に、アブリッジしてはいけない、というこキ論を追っぱらう、インチキな科学主義を 文学はこれだといって売りこんでくる傾向とだけども、これは今の段階では物理的に撃退する だ、ぶ、くたびれそうです 9 不可能だーー な。 ( 笑 ) ではこのへんで。 がすでにあるんだからね
「大きくなるころには、戦争はなくなってるよ。しか飛ぶんだ。街を歩く必要がないから、道はなくなっち 、以をし、イギリスとやるかも知れないね、昔、いっぺん戦まう ったことがあるもの 「でつかい機械があって、その電線を頭に巻きつける 「これからは、うんと生活がよくなる。テレビ一台、 と、世界じゅうのことがいっぺんにわかる。だから、 二十五セントで買えるようになるから、貧しい人たち幼稚園は大学みたいになるさ。四つになったら、もう は、きっといなくなってしまうわ」 大学生だ」 子供たちは、沈欝なジョージ・オーウエルとは違っ ライヤンⅡ・フロドスキー報告によれば、活発に未来 て、その未来は明るく、 〃気まぐれ″で楽観的だ。し たがって、その政治的ビジョンは、″オーウエル的世を語る子供たちも、自分はなんになりたいとか、一一十 界″とは対極的ともいうべき政治社会を描いてみせ三年後の一九八四年に自分はどうなっているとか、い ざ個人的な問題に限定すると、子供たちはたちまち返 「お医者さんだの、大統領だの、みんな流行おくれに答に窮してしまう。大人の場合だってそうだといって なると思うな。大統領なんかいらなくなるよ。自分のしまえば、それまでのことであろうが、その回答の大 めんどうは、自分でみるからね。しかし、裁判所だけ半は、あきらかに親たちから繰り返し聞かされたもの は、きっと残るだろう。それから病気になっても、おである。その答え方も機械的である。 っ 「試験にパスしなくちゃならないから、一生懸命に勉 医者さんはいらないんだ。特別のガスを吸えば、 強するよ。大学へはいるには、むつかしい算術が解け ペんに病気がよくなっちまうんだ」 ないと、いけないのだろう ? しい成績をとらなくち 女権社会を予言するマクルー ハン的な直観を、もう ゃね」 ひとつ紹介しておこう。 寄宿こいるやつは、お巡さんにな 「男の子はみんなパパと二人きりでくらすようになる 「・ほくと同じ部屋 ( 舎 ) んだ」 ( この子は、父親と顔を合わすチャンスが少な りたいんだって。『ゃーだね』といってやったよ。・ほ いか、父親のいない子かも知れないということは、こ くはグランプリに出て優勝するレーサーになるんだ」 のさい別問題である ) しかし、彼らは″家庭の番人〃だったオーウエルの 話が日常生活のレベルに立ち返ると、子供たちの子供たちとは違って、その私的な生活では必ずしも幸 的な空想力は、活発に刺激されるようである。子供福たとはいえない。そしてオーウエルの子供たちより たちの小さな頭脳は、次々と〃オーウエル的世界〃をも、早く人間の悲しみを知るようだ。 「幼稚園に入った最初の一週間、ずいぶん泣いちゃっ 乗り越えた″小宇宙〃を築いていく。 た。公園に連れていかれると、みんな泣きゃんだ。幼 「みんな、ロポットのメイドをおくようになるね」 「動く本が発明されるよ。物語を聞かせながら、アク稚園に帰ると、またまた涙が出てくるんだ」 たくさんの友達がきてくれた。ところ 「誕生日に、 ションを見せるだろうね」 ハーテイへいっちまった。 が、みんなすぐに、よその。 「電気歯磨機もできるせ」 よそのパ ーティのほうが面白いと思ったんたね。ぼく 「みんな、背中に飛行モーターをつけて、鳥のように ン ノ ー 02