これらのルールは、われわれがを読み、理解するう えで役に立つものである。どのような作品にも必ずつき 4 5 批評におけるニつのレベル まとうものなのに、われわれはなぜその助力を無視しょ うとするのだろう。そのルールは、作品のなかに含まれ 『航時軍団』のプロット、科学、ロジック、キャラクタ ており、作品はそれによって批評されるべきなのだ。マ については、これくらいにしておこう。 ンゾーニの言葉に従えば、「評価するために必要な原理 ただ、この興味つきない作品から目を転じるまえに、 もう一つ片づける要素がある。しかし、ちょうどよい機は、作品そのものが、それを研究したいと思う人間に与 会なので、まずここで『航時軍団』が、ずらりと並ぶけえてくれる」のだ。ここで言われている原理は、三つの ばけばしい単行本の棚のなかで占めている位置を考疑問として提示することがでぎる。作者の意図は何か ? えてみることにしたい。われわれみたいに、を子供その意図は理にかなったものか ? 作者はそれをうまく 時代から読んでいる人間は、みな用の本棚を持って表出しているか ? いる。この分野を、西欧文学のもっとも熟した果実と見 * ここで急いでつけ加えておくと、この情報の入手 先は、マンゾーニの著書ではなく、それを論じてい なすか、躁病的空想ごっこの広場と見なすか、そういっ るラセルズ・ア・ハクロンビー ( 一八 2 一 ~ 一九三八 たこととはかかわりなく、われわれはこの種の本をほか の Principles of Literary Criticism 》》 ( 文芸批 のものより好む。なぜか。 評の原理 ) である。 これが気になりだしたら、あなたの批評機能が活動を いいかえれば、目的を発見せよ、その価値を判定せよ はじめた証拠だ。生気の感じられる作品がなかにいくっ 技法を批評せよ、ということになる。 かあるから、そうあなたは答えるだろう。そのとおり。 この原理を応用して、われわれは『航時軍団』を客観 そして、その生気とは、ほとんどとらえることのできな い何か、言葉と言葉のあいだにあ「て、プロ ' トとはほ的に論じるわけである。とい 0 ても欠点に反発する一方 とんど独立した何か、そんなものを創造できる上質な精で、着想に感心してしまい、見かたが多少ぐらっくのは また、これらの原理に従ってある作品 神を、作者が持 0 ているか否かにかか 0 ているのだ。こやむをえない。 ワ ) . ダー・ノーベル ( 特に『航時軍団』のような驚異小説 ) を分析したとし の要素には、神話を生み出す力とでもいった名がつくだ ても、まだあとに何かが残るのにわれわれは気づかずに ろう この何かについては、サイモン・ 0 ・レ はいられない。 界に限らず、一般にほとんど認識されていないこ ッサーが Fiction and the Unconscious ) ) ( 小説と無意 とだが、どのような作品にもそのまま適用できる文芸批 評の原理は、たしかに存在するのである。イタリア人マ識 ) を論じた同題の著書のなかで触れている。これは、 フロイト的な分析の書であるが、根本にある仮設は、俗 イタリアの詩人、作家。 ) が彼の詩。 = conti di ノン・パーティ にいう、非党派的だ。 Carmagnola" の序文でその原理を明確に述べている。
空一一マイル以上のところでは起こっていない かしになる。正直なところ、三ペンス均一の売場で十三 しかし出版社の常識はずれは、今のわれわれの関知す才の少年を魅了したのは、美しい女を描いたその表紙絵 るところではない そんなものは貧乏人と同様、いつだったのだ。彼女は、船のそばの宙にうかぶ貝殻に乗っ の時代にもある ここで、われわれが関心を持ってい ていて、手すりから若い男が憧れの眼差しで見つめてい るのは、『航時軍団』の常識はずれと、それ以上に、 読者の嗜好の常識はずれだ。 連載第一回は、胸のすくようなおもしろさだった。と さて、本来の『航時軍団』は、アスタウンディング・ ころが、である。理由は思いだせないのだが、その続き サイエンス・フィクション誌一九三八年五月号から八月を私はとうとう読まなかったのだ。宙ぶらりんにしてお コンセプト・タイム・ 号まで三回にわたって連載された。〈新しい概念の時間くには長すぎる期間だけれど、ジョイハ ールの都がどう ストーリイ 小説〉という角 虫れこみで、挿絵はシュニ ーマン、読者のなったか知ったのは、それから四半世紀近くもたってか 反応は熱狂的だった。後年の時間小説への影響は大きらだった。 く、ウォード・ムーアの Bring the Jubilee ) ) もその恩 そんなふうに、人間の心とは信用できないものだ。も 恵を受けているかもしれない。 とにかく今ま しあのとき小説を読み終わっていれば ジョノく 自叙伝に筆をついやすつもりは毛頭ないのだが、こので忙しかったことー ールの魔力もこれほど 小説に対する私の興味をはっきりさせておく必要はある長くはもちこたえなかったかもしれない。 と思う 一九三八年といえば、ヒトラーがオーストリア これだけ脱線して説明すれば、私がディジット版の とチェコスロヴァキアをナチス・ドイツに併合し、第三 『航時軍団』を喜びと好奇心をもって手にしたことは、 帝国にさらに一千万のドイツ人をつけ加えた年である。 おわかりいただけるだろう。 連載が始まったとき、ヒトラーとムッソリーニはローマ 私は一気に読み終えた。結末にいたって、ジョン・ハ で蜜月を楽しんでいた。十三才の学童であった私は、ウ ルとそれに拮抗する敵ギロンチの秘密を、ついに解き明 スリー・アンド・シクス・べンス・ストア ルワース安物雑貨店にはいる許可をもらい、最かしたばかりではない。同時に私は、一九三八年と同 初に目にとまった雑誌ーーーアスタウンディングを買っ様、今日でも変わることなく cn をかたちづくって て、この自由を乱用したのだった。 る、一一つの対立する分派の存在に気づいたのである。 当時、私はすでにかなりを読んでいたし、じっさ 小説が優れたものであればあるほど、プロットの要約 い書いてもいたのだが、い ま考えると、その名称にはまだけでは、その特質は伝えにくくなってくる。大部分の だ馴染んでいなかったような気がする。表題にある「サでは、プロットが作品の心臓部である。『航時軍団』 イエンス」の語は、私より一一十年前の、同じ社会階級のでも、それは同様だから、ます粗筋の紹介をしなければ 子供なら反発するところだろうが、それが私を惹きつけなるまい。 たにちがいない。い や、そう言いきってしまえば、ごま 時は、一九ニ七年。デニス・ラニングは、ハ こ 0 8
で日本軍と戦うため、「東洋に向かう使船」でカイロをそれは低くなっている。そこでジョン・ハールのために戦 発つ。 おうと、マクランは人を集めに戻ったわけである。彼ら 2 0 まジョノく ト大学にとって悲しいことに、 ラニングは 、 / ールをめざす。だが今では、実在の確率はあ シャソハイ まりにも少なく、道は簡単には見つからない。 上海上空を戦闘機で飛んでいるところを撃ち落される。 しかし墜落する前に、どこからともなく奇妙な船が現わ「クロニオン号」の七人の兵士は、ラニングの下で戦う れて、彼を中にひつばりこむ。乗っているのは、さまざことを誓う。イギリス人、ドイツ人、ロシア人、中国 まな時代のさまざまな国の兵士たちである。 人、彼らは「″ジョン・ハ ールとラニング隊長〃」のため ラニングが収容された船の名は、「クロニオン号」。 に万歳を叫ぶ。〈航時軍団〉の誕生だ。そうこうするう 旧友マクランが建造し、船長をしている航時船だ。マクちに一行はジョイハールに着く。 ランは、見るも無惨に変わり果てている。ギロンチの地 レゾネーのあたたかい出迎えにもかかわらず、事態は 下牢に十年間捕えられていたのだ。 暗澹としている。時間を飛ぶ貝殻に乗ったソライニヤが 時間に関する彼の実験は、理論的な段階から実用的な現われ、ギロンチの勝利を告げる。ギロンチで優秀な航一 段階へと進んでいた。「航時放射線の出力を増大し照準時船がつくられ、それが時間をさかのぼって、ジョン・ハ 精度を高めることによって」、彼はソライニヤの前に言 ル実在の可能性を保証する小さな品物を、過去の世界 葉も話す自分の実体像を投影しーーそして彼女に恋をし から取り去ってしまったのだ。 てしまったのだ。 今では、ジョンパ】ルのすばらしい尖塔の数々も消え 誰の手も借りず身を粉にして、原子における確率の研かけている。〈航時軍団〉は「クロニオン号」へと走る。 究をすすめたマクランは、「クロニオン号」を建造した。 ラニングは、レゾネーを引っぱりあげようとする。彼の 時間流へと飛びたったとき、研究所は爆発するが、それ腕のなかでレゾネーは薄れ、消えてしまう。そして船だ が彼をソライニヤのもとへ運ぶ。ソライニヤはすぐさまけが、ゆらめく青い無のなかに取り残される。 彼を投獄し、船を調べるためギロンチの司祭たちにわた 悲しみにうちひしがれ、ギロンチの黒い航時船に追わ してしまう。 れながら、現代へと帰りついた「クロニオン号」の乗員 彼を救出に来たのは、レゾネーだった。彼女の宝石は、そこからふたたび、例の決定的な品物、ジョン・ ( ジオデシック・トレー は、そのころには透時球と呼ばれており、 「測地線追跡ルを可能性の領域へと復活させ得る唯一の物体を奪いか 機」の機能を持つものである。レゾネーとマクランは連えすためにンライニヤの城砦へむかう。 れだって二十世紀へと戻り、そこから薄れかけた世界線その世界で彼らは、ソライニヤの奴隷となっている蟻 に沿ってジョン・ハ ルに ~ 、。 人にぶつかる。血みどろの戦いで、軍団は、ラニング、 マクランが時間に干渉した結果、ギロンチが実在を獲べリーと呼ばれる男、それにマクランを除いて全員殺さ 得する確率は高まり、それに反比例してジョン・ハ 1 ルのれてしまうが、それでもなんとか品物をかちとる。
とファンジイに対しては、レッサー氏は強い疑惑ど到達でぎない領域にいながら、この神話を生みだす力 の目を向けている。以下の引用は、怪カコナンがハイボをさずけてくれる作家もいる。〈レンズマン〉シリーズ リア時代をうろついているところを連想させないだろうの・・スミスが、その一例だ。また、ヴァン・ヴォ か。「強力なヒーローへの同一化が、恐怖に対する防御クト。彼の作品は、デーモン・ナイトが見事に粉砕して として有効なのは、どう見ても、アクションが支配的な いる。ただし文学的基準を用いただけで、精神分析学的 要素となっている、あまり高く評価されていない一部のなものを無視しているので、ヴァン・ヴォクトのより印 象的な部分といえるものは、現在も不動のままである 小説カテゴリイのなかだけである [ レッサー氏には、われわれがなぜこの種の小説を読む ( の小説お粗末ざを徹底的にあばきだしている これまで述べてきた『航時軍団』の魅力と欠陥は、文 か、『黄金の杯』とか『狂 0 た帰先遺伝の月』跳架 などで、われわれがどのように内なる欲求を満足させて学的あるいは常識的観点だけから見たものだった。さ 私ももって、ここからはかき乱された水のなかへと踏みいり、こ いるか、わかっているのである。彼は言う の小説に対するわれわれの本能的な反応を説明するシン ともだと思う 「世界的な流通性を持っ通貨に似て、 『航時 ポリズムを読みとる努力をしなければならない。 上手に書かれた物語の出来事は、たやすく、すぐに、 ディスカウント 割引きもなく、読者おのおのの感情の世界の貨幣に両替軍団』の場合、これはきわめて得るところが多いと思 う。だからこそ、この小説をこんなふうに、良いな できるのかもしれない」 り悪い (f) なりの見本ではなく、批評の対象となりうる これがマンゾーニの原理のそとにあることはおわかり だろう。彼の言明を無視しているのではない。その先へすべてのの見本として、とりあげることができたの だ。他の作品に比べて『航時軍団』は、ソフィステイケ と進んでいるだけだ。つまり、機会さえ与えられれば、 ーションには乏しいが、魅力は大きく、おそらく広く読 われわれがある作品から自分だけの神話を作ることも可 能になる、ということだ。それは、もはや批評基準が立まれている。そういったすべての因子が、分析の好対象 になる資格を与えたのである。 ち入ることは許さない領域なのである。 ジャック・ウィリアムスンは、われわれにその機会を表面的な魅力は、疑うべくもない。 それは物語の冒頭に始まる。部屋のなかでひとり、時 与えてくれる作家である。彼はわれわれに神話を生み出 す力をさずけてくれる、しかも、基準を応用できる領域に間について瞑想していたラニングは、彼の名を呼ぶやさ ) ) しい声を聞く。そして目の前に、レゾネーを見出すのだ。 とどまったままで。彼のほかの作品 The Equalizer 「あなたのお力を求めるために、私は死よりもおそろし や『ヒュ ーマノイド』のなかにも、この要素を見ること チャールズ・ハ 5 ができる。同様な作家は多い い淵をこえて参りました」と彼女は言う。ここでもう、 ラニングの立場に身をおかない読者はいないだろう。こー ネス、アーサー・クラーク、・・・ハラードなどが、 しうまでもなくラニングの性格 すぐ頭にうかぶ名前である。文芸批評なるものがほとんの同一化のプロセスは、、
この女性名と都市名はしばしば同義的に用いられ かえれば、それを彼らのものからわれわれのものにすれとに、 ばよいのだ。そしてこれが『航時軍団』の隠れたテーマている ) 。全編を通じて、われわれの関心をひきつける であり、ウィリアムスン自身、書いているあいだ気づかのは、一一つの異なる生活様式の闘争ではない。良い妖精 ーミングな王子さまの助けを借りて悪い妖精を なかったテーマなのである。 ( そして今もって、多くのが、チャ やつつけることができるかどうかなのだ。われわれは一 作家が何も気づかずに書いている ) 特にこれは、アメリカのトップ・クラスの作家のも二もなく、王子さまが良い妖精と結ばれますようにと ものに多い。アシモフの『銀河帝国衰亡史』、ハイ願う ( といっても、ここには肉体的な意味はない ) 。 ンラインの『太陽系帝国の危機』、スタージョンの 物語を無意識にこのレベルで受けとめている読者は、 『人間以上』、ベスターの『虎よ、虎よ ! 』、フラン かなり多いと思う。残りの読者は、想像力豊かな作 ク・ロビンスンの The Power レイモンド・ジ 品として受けとめる。これは二者択一のケースである。 ヨーンズの This lsland Earth ミチャド・オリ ヴァーの『太陽の影』などをお考えになるとよい 前者と見るか、後者と見るかだ。このニ種類の読者がど これらの作品のメッセージは、最後から一一。ヘージ目 んな扱いをうけているか、それを眺めてみよう。 あたりに堂々と公表されている。「やつらを打ち負 最後の場面で、われわれはソライニヤの赤い城砦があ かせないのなら、やつらと手を組め」そういうこと った場所にレゾネーの塔が建っていることを知る。、、 だ。こういった諸作の隠れたテーマが、変化しつつ かえれば、一一つの文明は空間的には同位置に存在してい ある現代アメリカの政治的立場をどれほど直接的に ・くールがマグネットを 反映しているか、それを見きわめる仕事はアメリカるのだが、時間的には、ジョン の批評家にまかそう。 発見する時間点から字形に分岐する時間流のなかにあ もう一つ、普通のおとぎ話は実生活になんらかの意味 ったのだ。すこしでも考えれば、これが論理的にも歴史 を持っことが多いのに対し、『航時軍団』はたんなるお 的にも起こり得ないことがわかる。たった一つの新発明 とぎ話のまま終わってしまう。 によって、全世界の国民がとっぜん邪悪になったり、何 以上の意見を念頭に刻みつけたうえで、ふたたびジョ 百年にもわたって奴隷化されたりすることはありえない ールに戻り、この異質さとカのおとぎ話がどんな仕 からだ たとえ、それを操るのが、ソビエト・ユーラ 組みになっているかを考えることにしよう。 シアから亡命してきた技師と、仏教の破戒僧といった名 レゾネーの存在の可能性が薄れるにつれ、われわれは うての悪漢タイプであっても。 ますます彼女の安否を気づかうようになる。『航時軍団』 ヒトラーがヨーロッパを濶歩していた一九三八年にあ の楽しさの一つは、それが小説の機微などいっこうに問 っては、この設定もけっこう可能性があるように見えた 題にしていないところにある。物語は、むしろ単純な善 かもしれない。しかしプロットと関連づけて考えると、 ールとギロンチ、あるいはレ この設定はいつの時代でも無理なような気がしてくる。 と悪との戦いで、ジョン・、 なぜならこのプロットま、ジョノ・、 「ノールギンチの住 プ、坏ーとソライ = ヤがそらを象徴している ( 奇妙なこ
の欠如に助けられている。われわれは喜々としてーーーそではないけれども、続く各章でも、この浸透性の強い恐 して無意識に 自分の個性をそこにあてはめるのだ。 怖はさまざまなかたちをとってあらわれる。 その後、ラニングは軍団の隊長に選ばれる。正常な状況 * 概して、イギリスの作家にはこの傾向はさほど見 られない。アー廿ー・クラーク、エリック・フラン なら、あまりの非論理性に話がしらけてしまうところな ク・ラッセル ( 彼をイギリスの作家と見ればの話だ のに、それはかえってわれわれがひそかに持っ信念、 ' っ : ) 、ジョン・ウインダム、ジョン・クリストファ まり、危機に直面すれば自分だって人びとを指揮するこ 、それに私の作品などをお考えになればよい。 外 とができるという信念を強める結果になる。やがてわか 来者に話しかけるより、外来者を撃つほうに重点が おかれているものは、きわめて少ない。チャヨル るのだが、ウィリアムスンは、ラニングの統率の才をや ズ・エリック・メインや・・・ハラードのよう や違ったかたちで考えているのだ。 に、異星人にまったく興味を示さない作家がいるの またレゾネーが妹的役割を演じているのに対し、ギロ はけっこうなことだ。ヨーロッパや世界の政治の見 ンチの女戦士ソライニヤは〈成熟した女性〉の化身、恐 知らぬ泥沼にはまりこみたくないという、アメリカ の態度のひとつのあらわれだろうか。 怖と情欲の〈緋色の女〉 ( 新約聖書の黙示録 に記載された淫婦 ) である。ソライ 軍団そのものが国際色豊かで、それが善の側について ニヤは肉感的である。よって彼女は悪なのだ。このいか ることは、すでにご存じのとおりである。しかしここ にもアングロ・サクソン的な人種象徴には、苦笑を禁じい えない にすら、異星の物事を深く知るのを是としない作者の姿 勢があらわれていて、一九三八年では当然そうなりそう なス・テロタイプを生みだす因となっている。この無邪気 6 外敵の恐怖 なレベルだけで物語を進めている結果、作者は兵士たち 人種の話が出たところで、この小説のもっとも不快なを受けいれられやすい国の順に殺しているのだと見当が 面の一つがあらわれてくる。『航時軍団』のなかには他ついてしまうのだーー・受けいれられやすいとは、並の権 国人に言及した個所が数多く見つかる。そのほとんどす力意識を持った当時の一般アメリカ人に、の意味であ ・ヘてが、他国人恐怖症によって特徴づけられているのる。ソライニヤの城砦を襲撃する場面で、最初に死ぬの だ。この不愉快な病気は、全般にはびこっている。 はオーストリア人である。つぎがス。ヘイン人、そしてフ クリフォード・シマックやハル・クレメントなど著名な ランス人、ユダヤ人、イギリス人、最後に勇ましい活躍 例を除いて、メージャー級の作家でこれをまぬがれてい をして死ぬのが、ドイツ人。残るは、アメリカ人ふたり るものはほとんどいない。 いま問題にしている作品に だけ。これには重大な意味がある。ラニング ( 作者の分 は、それが特にひどい ド大学生の平穏な部屋身 ) はドイツの威力を思い知っている。物語が始まって のそとで、何が起こっているかを警告しているのだ ( ! ) すぐ、東洋へむかう便船に乗りこもうというとき、ひざ と見ることも、たしかにできようが : これほど極端に受けたドイツ製の弾丸の傷がまだ痛むのである。 6
ある。 ( 足元から消えかけているほど無力であったジョ ども、各人がはっきりと描かれていて混同する気づかい ールは、今やすべての力をそなえているーーーそれはない。そして何よりも、物語が華々しく展開する が、新しいレゾネーに人格化されて彼にかけよってくる虐殺場面にも、それなりの不気味なおもしろさがあるー のだ。今だからこそ、ラニングは彼女をだきしめられる ーウィリアムスンが創作の至上命令を忠実に守って、 わけである。抽象性が薄らぐことによって、彼女の異国「心をこめて」書いていることを示唆するものだ。 それだけに、今まで述べてきたような盲目的な恐怖 性も薄らいだとは思えないだろうか ) なせなら、ウィリ アムスンはこの最後のペーノこ 、、冫いたって、一一人の女を使が、すべての背後にあるのが、よけい残念なのである。 盲目的な恐怖は、未成熟の一つのあらわれである。人 った目的を忘れてしまったからだ。彼が憶えているの は、彼女たちの異国性だけなのである。 はーー少なくとも感受性に富んた人はーー・・みな、何かし 、 0 ・ノョノ . や、 よって彼は何の良心の呵責も感じなし ら恐れを持っている。希望が青春の欠かせない部分であ ルとギロンチは合体し、ラニングは人格化されたアメリるように、恐怖もわれわれの文明の、そしてわれわれが カーーー不意に出現した、戦争によって強大化したアメリ 後世へと伝える遺産の欠かせない部分なのだ。恐怖に直 カーーーをだきしめる。 面することは、成長にさいしての大きな試練の一つなの である。 これは、ウィリアムスンへの発言ではない。そのレベ 恐怖のお遊び ルで論じているのでも、もちろんない。私自身、そんな の未踏の奥地をさまようこの評論のはじめの部分ことを非難できる人間ではないだろう。なぜなら初期の で、私は、『航時軍団』がその明らかな魅力にもかかわ成功した作品のなかにも、私の内なる不安のさまざまな らず、最後には成熟した読者の反感を買うのはなぜかと面にそれとなく基づいたものがたくさんあるからだー いう疑問をといかけた。そして、この小説の美点はすべ ここでは会 Outside" 会 The Failed Men 『世界も涙』 てウィリアムスンのものであるのに対し、欠点はすべての三つだけを挙げておこう。もっとも典型的かっポ。ヒュ (J) のものだからだという、 暫定的な解答を与えておい ラーなの大半をかたちづくり、しかもぶちこわしに た。この格言めいた発言の意味も、ここまでくれば、おしているのは、盲目的な恐怖である。私が言っているの およそおわかりいただけたことと思う。 は、そ ういうことだ。 ウィリアムスンの発明の才は小気味よい。プロットに さらに、 (f) 界ではこの圧力がほとんど原理にまで高 も、 これこそ『航時 いくつか見事なひねりがある。訳知り顔の人間がシめられていることも、私は指摘したい。 リアスなだと感違いするような、百科辞典から丸写軍団』の美点がウィリアムスンのものであり、欠点が しした説教やパラグラフはどこにもない。作中人物がたのものであるという所以なのである。 r-n g-v は無意識の うちにこの圧力に屈しているのた。知識と大言壮語のパ んなる名前の域をとんど出ていないうらみはあるけれ 0
・て・第 マクランの説明に、ラ = ングは畏怖をおぼえる。フ世を向こうに合わせぬ限りは」見ようとしても見られない 界戦が切断されることばない : : ・ ・だからーーその筒に手のだ、とマクランは言う。ところが彼はマグネットを見 4 0 がつけられていない限り , ーー彼女の生存もまだ可能なの つける。 だ。しかし、君がその抗毒素をこ・ほしたとたん、その可「好奇に満ちた輝きーーー科学そのものの輝きが少年の眼 能性は消減してしまう〃」 にあらわれた。知識欲にあふれた少年の指先がその字 ラ = ングはきく、「″君を牢にぶちこみ、俺につきま型をした鉄片に触れた。そのとたん、ラ = ングの体の上 とい、俺たちと一戦をまじえた女ーーー彼女は存在しなか に蟻酸をだらだらと垂らしながら押しかぶさっていた怪 ったのか ? 〃」 物は、突然姿を消した。黒い航時船も一瞬、ゆらゆらと 彼はあらためて教えられる。自分たちが扱っているのゆらめいたように見えたとおもうと姿が消えた」ラ = ン は、その場その場の出来事だけなのだ。因果律は今なおグは、見届けて意識を失う。われにかえると「クロ = オ レ 有効で、女王ソライ = ヤは永久に消去されてしま 0 たン号」のなかに横たわ 0 ている。今ではジ , ンバ が、事象の連鎖は、ジョン・ハ ールとギロンチの運命をまは、むろん可能性の大きなほうである。一行は、そこへ だ確定させてはいない。勝算はまだギ 0 ンチのほうが大むか 0 ている。そればかりか〈航時軍団〉も生きてい きいのだ。 る。べ 1 丿ーの言うとおり、彼らは蘇ったのだ。自分の時 ここから読者の興味は、最後の抗争へと向けられる。 代では死んだが、ジョン・ハ ールで生きることはできるの 「クロニオン号は、十一一才のジョン・・、 / ール少年が歩だ。 いている野原に着地する。ギロンチの黒い航時船は、す着くが早いか、ラ = ングはレゾネーの姿を求めてとび でに到着している。それは兵器を総動員して、攻撃を開だす , ーー・しかし今でも、ソライ = ャへの思いをふつきる 始する。銃弾、ギレーヌ放射線。放射線砲の一撃でこな ことはできない。驚いたことに、あたりの風景はギロン ごなになる花崗岩。何ものも、ラニングをとめることはチによく似ている。蟻人の村があったところには、尖塔 できない。折れた歯と血を吐きだすと、マグネットを元群がたっているが、ソライ = ヤの赤い城砦は現にレゾネ に戻そうと、よろめく足で前進する。 ーの塔となっている。 蟻人の軍勢が、その地点を守っている。剣で、銃で、 ふりかえった彼の腕のなかに、美しいレゾネーがとび 斧で、彼らはラ = ングを殺そうとするが、すべて失敗すこんでくる。めくるめくような驚き。何か変わってい くさりかたびら る。ソライニヤの鎖帷子を着ているので、攻撃もすこしる。そう、「ジョン・ハ ールもギロンチも現実に存在した ばかり鈍い。首を半分叩き切られ、「雪崩のように襲い ことはないのだ。同じ出発点から分岐した一一つの世界が かかる巨人蟻」の下で、彼はマグネットを下手投げす今融け合ってひとつの現実となったのだ」 る。ジョンが小石を拾おうと立ちどまる直前だ。 ひとつに融け合ったレゾネーとソライニヤ。ラニング タイム・フィールド 少年には、この修羅場は見えない。 「我々の時間場は高鳴る胸に、ニ人をひきよせるー
はじめ首をかしげた間題も、他国人を劣等視しようと いる 0 を自分で知っていた、・・・・ーしかし奥氏では、同哮に する意識によ 0 て明らかになる。兵士たちは、戦闘的なそれを強く拒絶していることも、漠然とながら気づいて 理由よりも、人種的な理由から一介のジャーナリストを いたのである。 隊長にたてまつったのだ。二人のアメリカ人だけが生き『航時軍団』がなぜこんな結末に到るか、つまりラ = ン 残るのも、どうやら同じ理由と見てよさそうである。 グがなぜ二つの望みをいっぺんに遂け、レゾネーとソラ 兵士たちは後に生き返るが、それは問題ではない。すイ = ヤの愛を得るか、その理由が呑みこめたのは、三度 でに人種の格づけは終わっており、ウィリアムスンは別 目に読み終えたときである。それまで私はこれを、はじ の目標にむかって進んでいるからだ。 めて読む場合には効果的な願望充足の一種と考えてい かんぐりが過ぎるだろうか。かもしれない。しかし、 た。 ( ムレットの言葉に従えば、俗物たちを喜ばせ、賢 ニつの対立する文明ギロンチとジョイハ ールの基礎にご明な人びとを悲しませる、そんな類の結末である。この 注目いただきたい。美しきジョン。ハ ールは、アメリカ合結末を、先行するすべての出来事と関係づけて考えるこ 衆国はアーカンソー州オザーク丘地帯に生まれ育っ とができるようになったとき、はじめて私は〈異質のも た、一人のかわいい少年によ 0 てつくりだされる。憎むのへの恐怖〉の根が、いかに深いところに潜んでいるか べきギロンチは、ソビ = ト・ユーラシアから亡命してきに思いあたったのだった。 た技師と、仏教の破戒僧の協力でつくりだされる。ここ これまでとってきた、一つ一つ手続きを踏むやりかた では、他国人恐怖症がむきだしにされている。さらに読 に代わり、ここではいくつかの意見を述べることにした 者が感違いしないように、そういった異国の住民も、魔 今や濁りきったジョンバ ールの水に最後の飛びこみ 法のペンのひと振りで蟻人に変えられて、やはりこの小 を試みる理由は、それでおわかりいただけると思うから 説に登場しているのだ。 である。 異質のものへの恐怖は、カへの恐怖と密接に結びつい を矛盾でない矛盾 ている。特にそれが未開人において顕著なのは、見知ら ぬもの、すなわち脅威である場合がほとんどだからだ。 批評家の仕事には、自分がどこで、なぜうんざりした の大半は、この思想を題材にしている ) そしてカ か知ることも含まれている。『航時軍団』の他国人恐怖は、常に個人の心に不安をかきたてるーー・この傾向は、 症は、私にはうんざりだった。けれども、それを構成す特に西欧社会に強いといえるかもしれない。西欧社会に る数々の理由までは、糸口が目と鼻の先にころがってい はキリスト教の伝統があり、人びとは全能の神を愛し、 るというのに、わからなか 0 たのである。いかに優れたそして恐れるよう説き悟されているからだ。じ 0 さいに 小説でも、多少の欠点は避けられない。だから欠点はあは、力も異質さも決して容認できないものではない。わ るものの、心の表層では、その小説をけっこう楽しんでれわれのほうから、それに妥協すればよいのだ
修飾語を減らすことはできよう。この美しい都の光景くつかの理由がある、二つの外的な理由をあげると、ま は今では陳腐であると言うことも、たしかにできよう。 ず批評の知識に乏しい読者が多すぎること、もう一つは しかし少なくともウィリアムスンが、自分の筆カ以上の金銭的報酬 ( 一文もくれないのに書くのは馬鹿ものだけ ものを試みよう 下手な作家のわるい癖の一つだ だ ) が少なすぎることである。 としている形跡はない。い 『トリフィドの日』といった小説が広く読者をかちえた わゆる「クラシック」、 例えば〈レンズマン〉シリーズなどによくある曖昧さのは、それが優れた作品であったからではない ( もちろ は、ここによよ、。 ん、それが当時も、そして現在でも優れた作品であるこ はじめのところで引用した個所、すなわちレゾネーが とには間違いないが ) 。そうではなく読者にアビールし 世界を、意識の通りぬける長い通廊にたとえた部分のイ たのは、 (f) g-q 的なものとはほとんど逆の理由からなの メージなどは、ごく単純化されていながら、平凡さに堕だ。つまりそれは、産業国イギリスからの完全な逃避を ちることもなく、詩的な感動すら読者に与える。 提供したのである。前文学的時代における詩、あるいは 要するに『航時軍団』の前半部分は、まれにみる成功都市国家における演劇と同じ意味で、は疑いなく産 をおさめているのである。ラニングの前で謎が一枚一枚業革命の産物である。矛盾しているのは、 cn がその祖 そのヴェールをはがし、壮大なテーマがしだいにその全先に背をむけるとき、金銭的にはもっとも成功をおさめ 貌をあらわし、美しい女たちが現われては消え、そしてるということだ。シュート の『渚にて』は、このカテゴ ジョノく ールとギロンチがわれわれの心のなかで伝説と リーのもう少し典型的でない一例だろう。 なっていくにつれ、われわれは感動し、狂喜する。女性 完成されたを書くのがむずかしい内的な理由は、 的な美に表象された、この善と悪との戦いには、そしてこれまでさまざまなところで明らかにされている。一つ この予断を許さない危険きわまりない探究の旅には、そは、疑いなく、余分な創造作業を強いられることだろ の奥に神話的な要素が脈うっている。それが、神話や象 。登場人物、動機、感情、出来事といった普通の前景 徴を栄養にしている、われわれの心の奥底を動かすのばかりでなく、 / 説の全背景までもだ。それらは、その 目新しさゆえに、ストー ーのたんなる背景に終わって それでいて、なせ『航時軍団』が、成熟した読者の反はならず、登場人物に影響を与える積極的な環境でなけ 感を買うのだろうか。 ればならない。 簡単に言えば、答えは次のようになる。この小説の美 もう一つのむずかしさは、自分の経験のはるか外にあ 点はすべてウィリアムスンのものであるのに対し、欠点る物事を書かなければならないという点である。これ はすべてのものなのだ。 は、自分の書いている事柄に充分な思考や共感 ( あるい ()n は、現代の散文メディアのなかではもっとも書きは、嫌悪 ! ) を注ぐかぎり、さほど大きな障害にはなら にくいものに属する。これには、内的にも外的にも、 の ) の最初のページ 。 Non-Stop = 一九五八年 ・こ 0