もですよ、一九〇〇年代は二十世紀などといいながら、その一九〇であることは疑いのない事実だ。 〇年自体は、十九世紀なのです。二十一世紀の開幕は、二〇〇 0 年おれが喋り終るなり、今度は所長が喋りはじめた。おれに自信を 3 からではなく、二 0 〇一年からなのです。二〇〇〇年と二〇〇一年持たせようとする意図のもとに喋っていることはまちがいなかった が別べつの世紀に所属するなど、まともな感覚の人間に理解できるが、おれがそう感じていようがいまいが、おれの中の自信は勝手に 筈はありません。その証拠に、おそらく二〇〇〇年になれば、二十ふくれあがっていった。それが催眠術であることを知っているが故 一世紀開幕の祭典が大々的に行われることでしよう。見ててごらんに、かえって催眠術にかかりやすいという場合があり、おれの場合 なさい。みんな、きっとそうします。みんな感覚的には、九進法がはまさしくそれだったのではないだろうか。 理解できていないのです。だから二〇〇〇年は二〇〇〇年ではな「あなたは自分の欠陥を自覚していません。それこそがあなたの長 一九九乙年ということにし、その次から世紀が変わることにす所なのです。あなたの欠陥が何であるか、むろん、わたしにはわか っていますが、それは申しあげられません。それを言うと、あなた れば、誰にでも納得できる筈なのです」 の長所が失われるからです。ある生物学者はこういっています。 おれがあの時ほど筋道立った内容を理論的に喋り続けたことは、 かってなかっただろう。当然のことながらその時おれは自分のこと『人間にはさまざまなタイ。フがある。 , これを多変型現象とい ばに酔い、自分の主張を信じていた。しかしそれも、あの職業適性の多変型現象こそ、人類の成功の主な理由である』そしてこの生物 所長の催眠術によるものではなかっただろうか。そうだ。おれが夢学者は、自分のことを例にあげています。この人は生まれつき音痴 だった。しかし一方、数学の才能には恵まれていた。ところがこの 中で喋り続けている間に、何かが変化したのだ。おそらくは世界が 変化したのだ。あの世界が、おれのお喋りの中でこの世界に変化し人の同僚で、音楽演奏にすぐれ、専門家になれたかもしれないほど たのだ。しかし、そうすると前の世界がほんとは十進法の世界で、 の才能を持っていた人がいました。その人を指して、この生物学者 はいっています。『もし彼くらいの音楽的才能を私が持っていた おれのやってきたこの世界こそが、九進法の世界なのだろうか。も しそうだとすれば、この九進法の世界は、おれの主張が生み出したら、私は彼と同じくらい音楽に時間をさいて、科学上の成果を犠牲 にしただろう』おわかりですか。あなたの欠陥は社会にとっても、 おれの内的宇宙だということになる。あるいはまったく逆で、以前 の世界が九進法の世界だったのであり、それをおれがあの主張の中あなたにとっても利益となるのですさあ。あなたはすぐ会社をお で非難したため、おれはこの十進法の世界へやってきたのだろうやめなさい。多変型現象を有利に使うのです。あなたは明日から、 か。九進法の世界を非難し、否定するおれの主張が、おれをこの十いや、すでに今から、作家なのです」 進法の内的宇宙につれてきたのか。ともあれ、九進法、十進法は本今から考えれば、あの時たっておれは自分の欠陥をまったく自覚 質的にはどうでもいいことである。どちらにしろ、以前いた世界こしていないなんてことはなく、むしろ身にしみてよく知っていたび そが本もので、この世界が以前の世界そっくりに作られたにせものところがあの平凡な中年男の所長は、あの催眠術まがいの大芝居に
今月の世界全集は第回配本のベスタとなる二十四世紀社会は、テレバシーとテレされている。彼の創造した超現実世界ヴァー 0 ミリオン・サンズにたてられた、住む人間の ー / ディック篇『虎よ、虎よ ! / 宇宙の眼』ポーテーションの実現によって、それまでの 2 サイコトロビック・ハウス 、「〕 TIGER! TIGER ( 一 6 ) EYE IN THE 数十世紀にわたる人類文明がその存在価値を意識や意志に応じて変化する向心理性家屋の ←。 SKY 09 望 ) ( 早川書房・中田耕治訳・九七うしな 0 てしまおうとしている、驚くべき断話「ステラヴィスタの千の夢」何世代にもわ 絶の時代なのだ。小説としての密度の高さかたって恒星間空間を飛びわたる恒星船の乗組 宀斗〇円 ) らいっても、史に占める位置からいって員たちがじつはーーーという「アルフア・ケン アルフレッド・ ベスターとフィリップ ・ディックとは、一九五〇年代初期に現わも、つねに新鮮さを失わない傑作であることタウリへの十三人」月からの帰還の途中大気 圏突入のとき行方不明になった宇宙船を探し れたアメリカの作家たちーー戦後の第一は、誰しも異論のないところだろう。 い一世代の、したがって現在のアメリカの主ディックの『宇宙の眼』も、新しいエンタにプラジルの奥地に入る国連捜査員の話「地 流を占める作家たちのなかでも、とくに人気ーティンメントとしてのの力を遺憾なく球帰還の問題」火星の砂にうちよせる大西洋 の高い、またそれだけの資質に恵まれた作家発揮している点で、好一対といっていい。原の波という奇妙な描写ではじまる破減テーマ である。 子核破壊装置ビヴァトロンの故障で、六〇億の「砂の檻」などが、いかにも・ハラードのニ ベスターの『虎よ、虎よ ! 』は発表当時ア電子ポルトのエネルギーのただ中へほうりこ ューウェーヴらしい匏負とユニークさを持っ ・・ ( ウチャーなどから「ベスターのまれた八人の人物が、つぎつぎに、その八人ていて面白い。これと関連して、山野浩一ほ 、導もっとも華麗な傑作」「アメリカ界が生の主観世界を経めぐるというストーリーで、 か数人が最近創刊した季刊同人誌一号「 Z3 ~ まみだした最大の傑作」などともてはやされた典形的な多元宇宙ものなのだが、その主観世」に載せられた・ ( ラードの「内宇宙〈 が、事実この作品の持つイマジネーションの界が、あるいはファナチックな白人優越の世の道はどれか ? 」 ( 伊藤典夫訳 ) は、・ハ 華麗さとベスター一流の新形式の叙述法の鋭界のパロディであり、あるいは偏狭なカソリ ドの主張がよく判り、またその主張自体の持 こ ック世界の。ハロディであるという具合に、 さと、それがあいまって読者に与えるイン。 ( っている意味からも非常におもしろいエッセ ~ " 第クトとは、他に類を見出すのがむずかしいとの現実を、にしてはじめて可能な徹底し ーだ。ここで。ハラードは、・かより ~ 局い・次 いっていい過ぎではあるまい。ス トーリーはた諷刺精神で見まわすところ、もちろんたん元へとその将来を切りひらいていくとするな 宇宙空間で遭難した宇宙飛行士フォイルが、 なるエンターティンメントの領域を越えていら、旧態依然たる 、自分を見捨てて去った宇宙船ヴォーガの乗員る。の = = ークな面白さと、同時に問題宇宙小説ではな ~ " たちに、絶体絶命の窮地に陥「て体得したテ提起の精神とを、知らす知らずのうちに読みく、内宇宙〈の 実 レポーテーションの能力を武器として、つぎとれるという意味で、とくに初心者に読んで道を探る以外ない 正 つぎと復讐していくというもので、いわば二もらいたい一冊ではある。 のだとい - っこ -IJ シ島 十四世紀版「モンテ・クリスト伯」である。 今月は海外ものの新訳が少なくて、・・を、明快かっ説得 ク言田 その復讐譚の面白さ、寄抜さ、逞しさは、真ラードの『永遠への。ハスポート』 PASS ・カある言葉で語っ の意味でならではのものであり、「行 PORT TO ETERNITY ( 一九六三年・永ているがーーこれ 外 当 動」と「物語」という、現代小説に欠けてい井淳訳・東京創元新社二〇〇円 ) が一冊だに対する日本人側 海 日一 たものを回復したという意味では、文学的にけ。これは・ハラードの『時の声』『時間都市』からの反応が、待 も価値が高いと評価されている。しかも舞育などにつづく第三短篇集で九つの短篇が収録たれる。 S F でてくたあ
た。一般的な解答は、悪魔が異教徒の魂を利用して、彼らの外観に 退行変化をおこさせたというのである。内分泌学そこのけの疑似超 団未来も素敵だろうさ 科学だが、異教徒こそいい迷惑だ。ネ・フカドネザル王などは、一人 の男をケダモノに変えたことにされてしまう。また、モンスターは ホモ・モンストローズス後史 平らな世界の端に登り上った反世界の生物だ、という珍説もある。 常識的な意味からいえば、ホモ・モンストローズスという種はい この反世界は、物理学でいう反宇宙とは異なり地球平坦論者が考え そうにもない。しかし、長いあいだ生きつづけてきたモンスター人るような世界だから、的というよりは怪談的だ。それ自体のも べントリー スベキュレーション 間の世界は、衒学と思索の宝庫でもあるようだ。 っ面白味は別としても、とうてい近代人を納得させるような代物で たとえば、シェークスビア作『真夏の夜の夢』では、ロの頭をはない。しかし一九世紀のはじめ、マダム・シェリイによるフラン はめられた男に、妖精の女王が恋をする。そして『嵐』には、キャケンシュタインの怪物が生まれたときには、想像上のモンスター人 間にも近代化がはじまりつつあった。 リ・ハン (CaIivan) という獣人がでてくる。 マレフィートの論文によると、これはスペイン語の canival を綴マリフィート流にいうと、一九世紀は「ホモ・モンストローズス り換えたものだ。 canival は carival ( カリ・フ島の住民 ) からの転化が衰微して、人類がホモ・サビエンス一種類だけになってゆく」時 なのだが、同時に canino ( イヌの意味 ) とも重なっているらしい 期である。だがその世紀のおわり頃、・・ウエルズは機械を使 尸 ( 頭にイヌ起源の獣人というところには、伝統的な怪物作法の一 って、二つのホモ・モンストローズスを見せることに成功した。 端がうかがわれるが、理論的根拠のようなものはあったのだろう『タイム・マシン』における、ひょわなエロイと人間蜘蛛のモーロ ックだ。こうしてモンスター人間たちは、ホモ・モンストローズス か ? あるとすれば、多分、エンペドクレスのギリシャ的進化論や 中世の悪学だろう。 という学術的な時点を経由しながら、未来へとつづいていく。 ヘロドトスと同時代のエンペドクレスは、「生きものの体の各部そして二〇世紀のでは、平らな世界のかわりに広い宇宙が、 分は、それそれ独立して生じる」と考えていた。原子論の生物版で悪魔のかわりにはべムや宇宙人やマッド・ サイエンティストが登場 ある。そこで、手と腕とは無関係に、足は脚なしに、頭は胴体からする。だが、古くからの好奇心や恐怖が失われてしまったわけでは はなれて、目は顔とは関係なく、てんでばらばらに放浪する。ヒト ない。じつのところ、それらをもたぬを読むのは、ワサビのき も下等動物も自由平等で、それらの孤立した各部品は、まったくアかぬニギリを食うようなものだ ! また、形態的な面だけからいえ トランダムに結びつくのだ。動物の人間化か人間の動物化か、ともば、古いモンスター人間そのままのような連中に、でもお目 ・フロトタイ・フ かく犬頭人、蛇男、人魚、その他ありとあらゆるものが生じるのだ にかかることがある。いや極言すれば、過去に原型を見いだせな が、ここにも自然淘汰が働くというのだから浮世はつらいもの。時いようなものはない、 といってもいいほどた。クラークの『幼年期 間の経過とともに生き残ったのが、愉快・痛快・奇々怪々のモンスの終り』をはじめ、名作のなかには中世の香りを感じさせるものも ター人間たちだったのである。 多い。だがそこで使われるのは、もはやエンペドクレス的な理論で これに対して中世の学者たちは、なんでもかでも悪魔のせいにしはなく、分子や量子の領域であり、あるいはそれを超えるものだ。
つもりではないが、事実は事実として認めておかないと、文明も未曲 来もありはしない。そこまで大上段にふりかぶるのはオー 国昔はよかった しても、モンスター人間の調査が関心のまとになっていた時代もあ るし、現代でも、一部の世界では大真面目につづけられている。 ホモ・モンストローズス前史 じっさい、書誌学的に、あるいは深層心理学的に、または考古学 モンスターの調査などというと、まともな仕事とは思われないのや医学・生物学の領域で、伝説的なヒトについて多くの研究がおこ なわれてきた。日本では、妖怪博士と異名をとった井上円了の業績 が普通だ。 しかし神話の昔から、あるいは伝説の世界のなかに、・ほくらの祖があるし、最近の海外文献としては、一九六八年のサイエンティフ ィック・アメリカン誌に載った、アンスマリー・ド・ウォール・マ 先は多くの怪物的な人間を登場させてきた。人類は、誕生このかた 化けものと共生している、といってもいいほどだ。迷信を奨励するレフィートの『ホモ・モンストローズス』という論文が面白い。こ れはモンスター人間の盛衰を、リンネの 十五世紀の木版画マレフィートの付図より 分類体系をとおして述べたもので、次の 長耳族フアネシマン 無頭人プレミア ような長い副題がついている。「遠隔地 に住む怪物人種を二〇〇〇年来信じた教 養人たち、人類がただ一つだと分ったの は一九世紀」 どうやら、モンスター人間の住みにく い世の中になりそうだし、あるいは消え てしまうべきかもしれないが、科学と超 科学をとおしてほんとうの結論をだすた めには、まず、この魅力ある連中の軌跡 をたどってみなければなるまい。もっと も、古今東西の化けものを網羅したらき りがないから、西洋に焦点をしぼって話 をはじめてみよう。 伝説的なモンスター人間については、 7 5 すでに紀元前から取りざたされていた。 まず挙げるべき著述家は、風俗・伝説 ・ , 日 0 い第 一へ
新しい雑誌『季刊 Z3 ー』が誕生《 Speculative Fiction 》の一例として紹介ソン」を、後書で したら、読者はどう反応されるだろうか ? は「母子像」「コ に「 ~ した。巻頭で山野浩一がこう宣言してい 司 「が《 Science Fiction 》から《 Spe- これは主として『文芸』に発表された九つのレラ」を採る。前 culative Fiction 》に名を変えたのは最近で連作短篇 ( 第一作は六年前にこの欄で取上げ書 204 ページの ョ 4 ある。名を変えたとはいっても、決してた ) に駒井哲郎の銅版画十一葉を添えてまと一節ーー「これは 4 一《 science 三 ction 》が消減したのではなく、められた豪華本である。「自分の嶇を実験材どたばただ、と、 ク石 むしろ現在でも《 Speculative Fiction 》が料として、眠りについてできるだけ《覚めたおれは思った。こ 少数派で、《 Science Fiction 》を大部分の意識》で観察し、そしてまた、その眠りにさの空虚などたばた 本 人々がと信じていることは否めない事実ながら宇宙と生の必然のごとく随伴するとこの行きつく果てに 当 日 である」「長い歴史の間に、人々はいつも自ろの《自己の闇のなかの光》、つまり、夢に何が待っているの 分の中に現実以外のもう一つの世界を持ち続ついてできるだけ《覚めたかたちの考究》をか。いや、いや、 けていた。そのもう一つの世界を現出させる試み」 ( 暗黒の夢 ) た″実験記録″であり、そう考えてはいけ ことができるのが小説や、音楽や、或いは狂「時間と空間と思考の幅のすべてを、一匹のない。その考えかたはもっとも安易な理想主 気の行為であった。そして、の拡大世界尺取虫のもっ二つの支点と彎曲をもって算出義だ : : : 」 ◇ は、最も自由にそうした世界を展開できるのしつく」 ( 宇宙の鏡 ) そうとした興味深い リ・ハイバル作品では、中央公論社版『日本 である。もう一つの世界、人々の外にある現″内宇宙への旅″である。「おまえが世界を お実ではなく、騒音によ 0 て破壊されていない見たいなら、目をお閉じ、 0 ズモンドよ」との文学』内田百閒、牧野信一、稲垣足穂篇 人々の内にある世界、それこそ本当に″世いうジロドウの言葉 ( シ、ザンヌと太平洋 ) ( 450 円 ) をおすすめしたい。とくに百閒 吻界と呼ぶべきものである。その″世界″をを・ほくは思い出す。「 ( 存在という ) この領域の「忤」「東京日記」、足穂の「弥勒」「山 、アトム化から、或いは管理から救出するための模索は甚だ困難であるけれども、ひとたびン本五郎左衛門只今退散仕る」がファン に、ーーーが必要なのである」のめりこめば、そこは汲めども尽きぬ興味の向きである。 この宣言に戸迷うファンは多いことだ驚くべき深さをもっている広大な世界であっ種村季弘『吸血鬼幻想』 ( 薔薇十字社・ 2 ろう。しかしだからこそ、こうした主張を実て : : : この二十世紀の主課題がまさに私達の 300 円 ) は、異端道の探究者として名高 践する雑誌が必要なのだともいえる。「現在主課題となることを私は望みたい」と作者はい著者が蘊蓄を傾けたッセイ集で、巻末に は吸血鬼画廊が添えられており、大人の絵本 の読者の中核をなしているであろう、保あとがきで述べている。 として楽しい ◇ 守的なスペ 1 ス・オペラ・ファンたちは、こ のメディアムに生命をふきこむ力にはならな筒井康隆の近作短篇集が二冊。『馬は上曜科学読みものでは、石井象二郎『昆虫学へ い」と・・・ハラードは同誌に収録されてに蒼ざめる』 ( 早川書房・ 480 円 ) と『母の招待』 ( 岩波新書・ 150 円 ) 、岡惺治『危 いる『内宇宙への道はどれか ? 』で言いきっ子像』 ( 講談社・ 540 円 ) , ーー例によってない医学常識』 ( ベストセラーズ・ 35 0 円 ) 、ルネ・デュポス『人間であるために』 ている。世界を動脈硬化から救うべき自現代風俗を相手にゴ ーゴーを踊って寝て : ・ ( 紀伊国屋書店・ 650 円 ) などが面白かっ 身が、硬直し規格化しつつある現状に注目しというスラブスティック・コメディ群だが、 よう。『』誌創刊号は、残念ながそのド各ハタによる笑いの共振を通して現代た。 らその姿勢にふさわしい作品を満載しているの病巣が剥離していくような効果が生まれて現代漫画『手塚治虫集』 ( 筑摩書房・ 60 第 1 をとはいいがたいが、その誕生自体に大きな効いる。天性の資質というべきだろう。どちら 0 円 ) は、現在では入手のむずかしい初期の 用が認められるのである。 の作品集にもニューウェーヴへの志向がうか代表作「メトロポリス」と「ファウスト」を たとえば埴谷雄高の『闇のなかの黒い馬』がわれるのが頼もしい。前書では「国境線は軸に編まれている点で興味深い ( 河出書房新社・ 12 0 0 円 ) を、いわゆる遠かった」「穴」「ビタミン」「フル・ネル S F でてくたあ
どんなことがあっても、脱走してやる。このいやらしい世界から 戸時計店の店主はどうか。これはおそらく共謀者ではあるまい。あ の男は牲犠者だ。おれと同じ牲犠者だ。あるいはあの男は、あの世逃げ出してやる。こんなところにとじこめられていてたまるもの 3 界の一部、またはあの世界そのものだったのかもしれず、もしかすか。 るとあの男こそ、あの世界の秩序だったのかもしれない。 ( 以下次号 ) 正子が消えた理由は、おれにはわからない。もしかすると、まだ あの世界にいて、この世界へおれのように誘拐してこようとして新作者註・「多変型現象」のくだりは、・・・ホールディン しい犠牲者を物色したり手なずけたりしているのかもしれない。あ 『人間の進化、その過去と未来』より、また「テスト」のくだり るいはおれのいるこの世界で、どこかおれに見えない場所から、お は、ジャン・シャルル『怠け坊主は天才なり』より、多大の示唆 れの様子を観察し、看視しているのかもしれない。 を得ました。 それにしてもこの世界の正体は、いったい何だろう。あの世界と の決定的な違いは、どこにあるのか。情報による呪縛、時間による 束縛、空間による圧迫、それらを指摘するだけで決定的な相違点を ナししちその違いはもっと本質的な 明確にすることはできないし、・こ、、 ものと考えなければならない。おれが異和感を感じる対象や場合 を、ひとつひとっとりあげてこれがそうだと説明することは可能 だ。しかし、そんなことをしたところで何ら本質に近づくものでは ないことも、また、はっきりしている。だいいちそれは、おれがこ の世界を、以前いたあの世界とは別の世界であると気づいて以来ず っと考え続けてきたことではないか。もはやいくら考えても問題の 解決にはならない。問題の解決とは、むろんこの世界とあの世界の 相違点を見出すことではなく、おれがこの世界から脱出して、あの 世界へ戻ることだったではないか。相違点を発見することは、単に おれの脱走の手がかりを見つけるだけのことだったのだ。しかし、 いくら考えても無駄だとわかった現在、おれには行動しか残されて いない。そうだ。行動だ。さっそく行動にとりかかろう。 脱走してやるぞー 次号予告 ! この世界の正体とは何か ? 主人公はこの世界から脱走で きるカ ? 貸ポート屋の親爺の正体はす職業適性所長とは何者か ? 二人は同一人物か ? 電話に出た声の主は誰か ? 時計店主の言う如く、ほんとに時間流の秩序は乱れたか ? 下水道とマンホールは脱出口たり得るか ? 回転木馬のワルツに秘められた謎は ~ 九進法の世界とは 何か ? 秩序を乱す多変型現象を主人公は理解し得たか ? 誘拐された正体不明の美女、正子の行方は ? 、 ニュー・ウみープ 前衛的瀾万丈的大びびんちょ長篇、・謎は謎を呼び、 次号にて高潮の展開 ! 」乞御期待 ! ーマネント・ウェープ
は極微の一点以外の何ものも存在していなかった。その空間も、それは最初の栄光ある企てとは裏腹に、おのれ自身が裏切りと偽瞞に の銀色にかがやく一点の内部に包含されてしまうものだったのかも満ちていた》 しれない。はじめにアイララだけがあった。 「アイララは世界を造ったというが、たとえばおれの着ているこの アイララは世界を造った。 薄膜の宇宙服のようなものか ! 」 アイララはおのれによく似た他の存在を欲した。それはアイララ《形はどのようなものか知れないが、それはどんなものでも作り出 の模写であり、アイララの内部に包含された。アイララは世界を造す装置だったという。これはおそろしい誘惑だ。どんなものでも造 り出すことのできる能力とは、つまり自分自身を減・ほす必然性にほ 、時間の経過を困果関係で示した。 かならない》 「『ア・ス・ク』よ。アイララは何を造り出したのだ ? どんなも 《地球人よ。これがコントロールのキーだ。センターはこれによっ て宇宙をすみずみまで支配した。地球人よ。アイララはすべての故のでも造り出すことのできる能力。自分自身を減ぼすための能力と は。『ア・ス・ク』よ。それは決しておのれに屈することのない存 郷であり、還るべき所だったのだ》 在だと思うが」 《地球人よ。アイララは絶対者を造り出したのだ》 アイララはさらに世界を造った。 「絶対者 ? 」 暗黒の空をおおう無数の星に。すさまじい水素核融合反応の光と《決しておのれに属することのない存在。つまり絶対者た。アイラ 熱を大宇宙にぶちまけ新しい太陽となり、多くの惑星を配置してさラは最終的にそれを作らなければならなかったのだ。どんなもので らに生物を造った。これもアイララに酷似していた。広大なびろが造ることができるもののそれがたどる道であろう》 りはなお造物主の活躍を要求していた。 「『ア・ス・ク』。なぜアイララは減んだのだ ? それだけの能力 アイララは世界を造った。アイララは造られない世界を造っを持っているというのに」 た。造られない世界はいよいよ広くいよいよ深くそのため、造られ エドはカなくつぶやいた。 た世界はつねに造られない世界の反影であった。 《どんなものでも造ることができる能力を制禦することのできる能 力を作らなかったからだ。絶対者は減亡を内抱する》 《おろかなことだ。世界を規定すればするほど、規定されない世界「アイララが減びた理由もそれか ? 」 は急速に拡大してゆく。アイララはそれとの闘いに疲れ果てた。そ《やってきたのだ》 ー 08
歌』ができた頃である。さあ、怪物への興味が欲の皮と重なったか エーデルの『編年史』が出版されている。そしてコン・フスは、カ らたまらない。法王アレキサンダー三世は手紙を侍医に託す。その リブ・インディアンが容姿端麗で知能卓抜なことを記録したが、無 ドクターは帰ってこなかったが、たくさんの旅行家が刺戟される。髪族、有尾人、大頭類などもいると述べてしまった。時代背景とい マルコ・ポーロの『東方見聞録』をはじめ、喜望峰や新大陸の発見うものは、どうしようもないものらしい。そこで法王パウロ二世 は、「インディアンは完全に人間であり不減の精神をもっている」 もこれにつながっているが、旅行者の報告には、いんちきなのもか なりあったようだ。 と宣言することが必要だったのである。 一六世紀には、呉承恩の『西遊記』やトーマス・モアの『ュート それはともかく、モンスター人間そのものを扱った百科辞典的な 仕事としては、セビリアのイシドーレが書いた『辞学』がある。彼ビア』があらわれた。前者はモンスター人間の宝庫であり、後者に デーフォメム は一人ですべての知識を集約化しようとし、その一巻を「ヒトと怪は「奇形を嘲笑することは不名誉なこと」という一文がある。シラ ベルジュラックの『月と太陽諸国の滑稽譚』が書かれた一 物」のために費した。これはべら・ほうな評判をとり、数カ国語に訳ノ・ド・ されてベストセラーになったらし、 七世紀には、モンスター人間研究の面でも傑作があらわれた。・ . ・、レワーの アルドロヴァンディの『怪物史』 ( 一六四二年 ) 、 一方モンスター人間たちは、中世の世界地図の上にも描かれた。 一三世紀の大会堂では、サイアポードやビグミーはインドにおり、 『人類変化』 ( 一六五三年 ) 、・リセティの『妖怪論』 ( 一六六五 馬のひづめをもっ怪人や長耳族はシジアで、・フレミアやサターはニ年 ) などだ。リセティはカタログのなかに象頭の人間をつけ加えた チオビアだ。サターはギリシャ神話にでてくる半人半獣とは別のもが、体の異常部分にしたがって伝説的な種族を再分類する学徒もい ので、オランウータンみたいなやつである。これらは、のちの地図た。 では国境の装飾物になった。彼らの住んでいそうな方角を指し示す こうして一八世紀がやってくる。真面目なスエーデン人のカルロ のたが、ついには、道徳教育にまで引用されるようになったのであス・リンネウスは、より合理的な自然分類により爵位をさずけられ る。これはまた、なんたる堕落だろう ! てカール・フォン・リンネとなった。一七五八年にホモ・モンスト もっとも、一般大衆は、そんなことなど気にもしない。怪物的なローズスという種を記載したことは、はじめに述べたとおりであ もの自体がお好きなのだ。モンスター人間を印刷したパンフレットる。それはちょうど、フランスでケネーが『経済表』をあらわし、 が、当時の博覧会で売られていたというのだから、その人気たるやウラルではポルズーノフが鉄加工へ蒸気機関を利用した年だ。 おして知るべしである。ちょうど大会などで、未来人のイラス その後、リンネの弟子だった O ・・ホッピウスは『人類諸形』 トが飾られたり、べムの絵に熱中するファンがいるのと似たような という本を出して、モンスター人間の順序づけをした。それによる もの、なんとも嬉しい光景じゃないか。 と、ホモ・トログロディートウス ( 穴居人 ) が普通のヒトにもっと も近く、以下、ホモ・ルシフェルス ( 悪魔人 ) 、ホモ・サチルス ( 有 さて一五世紀末、一つの転機がおこる。新大陸の発見によって、尾人 ) 、ホモ・。ヒグミエウス ( 倭人 ) の順になる。またマルティー 遠い世界の人々が、身近かな関心事になりだしたのだ。 ヌスというドイツ医は、ホモ・シルヴ = ストウリス ( 森人 ) には大 新大陸発見の翌年には、モンスター人間の木版画を載せた・シ 小の二種類がある、と主張した。なんとまあ、ご苦労なことー , そ
よって、いわばその自覚を忘れろとおれに命じたのだ。つまりあれ は、あまりにもすらすらと作家になってしまったおれが、あや しみの念を抱いたり不安定感を起したりせぬよう、前もって張って おいた予防線だったのだ。そうだ。あの大芝居の予防注射こそが、 この世界の虚偽性を物語る何よりの証拠ではないか。 ジンタに送られながらあの職業適性所を出たおれは、すぐに会社 をやめて r-v を書きはじめた。そしてたちまち職業作家になってし まった。それは現在に至るまで続いている。職業作家というものが 特になり難い商売であるということをたとえ勘定に入れずとも、あ まりといえば調子がよすぎるではないか。それはつまりこの世界 が、おれの能力を正当に評価する複雑さを欠いた、作りものの世界 だからだ。もしそうでなければ、おれの望むことがその通りになっ て起り得る、おれの内的宇宙なのだ。そのどちらかなのだ。ほんと の世界というものは、ものごとがまっすぐに進行することなど減多 日、、つ。よ になく、・、らくたがい。し つ。よ、で、人力し つま、で、雑音がい冫し いで、胸がいつばいで、またそのためにこそその中で揉みくちゃに された人間が、最終的には自分の落ちつくべきところに落ちつくと いう、合理的であるが故にこそ複雑極まりないという徴妙な均衡を 保った精密な機構を持った世界である筈だ。 そうだ。あの職業適性所なるビルの一室こそ、おれがはじめてこ の世界に足を踏み入れた場所だったのかもしれない。あの時にこそ おれは、だまされて、こちら側の世界へつれてこられたのだったか もしれない。そして、もし本当にあの時つれてこられたのだとすれ ば、おれをだました張本人は正子だろうか、それとも職業適性所長 だろうか。だが、どちらにしろあの二人は、黒幕にあやつられてい る存在でしかなかったような気がする。そして黒幕は、おれの前に 2 3
おれと正子が、当然靴をはいていず、そのため裸足のまま街を歩ぎ いや。雨がやんだのか、それともそこでは、もともと雨など降っ続けたにもかかわらず、道行く人たちは何らそれに不審の眼を向け 2 ようとしなかったではないか。 てはいなかったのか。 なぜならそこは今しがたまで大雨に見舞われていた都会とは思え イオン発生装置つきのエア・コンディショニングが、またいやな ぬほど空気が乾燥し、舗道は濡れていず、しかも空には星が出てい音を立てはじめた。だがこの装置のために、おれの部屋の中は快適 な温度、湿度に調節されているのだし、空気も清浄なのである。以 たからである。 ナししちも そうだ。あの時にこそおれは、はじめてこの世界に足を踏み入れ前のおれなら、こんな音には悩まされなかった筈だし、・こ、、 たのだったかもしれない。あの時にこそおれは、だまされて、こちっと悪い空気の中で平気で生活していたではないか。あきらかに、 ら側の世界へつれてこられたのだったかもしれない。下水道、そし現在のおれは疲れているのだ。そしてその疲労の原因は、この世界 てあのマンホールこそ、あっちの世界とこっちの世界をつなぐ通路につれてこられたために、どこがそれとは指すことのできない異和 であったのかもしれない。そして、もし本当にあの時つれてこられ感によるいらだちなのである。窓ぎわに立ち、舗道を見おろせば、 たのだとすれば、おれをだました張本人は正子しかいないわけであ人の往来車の列、以前の世界とは何ら変りのない光景がそこにあ る。もっとも、あの貸ポート屋の親爺も、疑うに足る人物ではあろる。だがそれを見続けるにつれておれのいらだちは増す。異和感に う。しかしあくまで首謀者は正子であった筈だ。あの親爺は、もしよるものである。あきらかに、現在おれのいる場所は、以前おれが おれの誘拐に力を貸していたとしても、せいぜい補助的役割しか演いた場所ではなく、現在おれと共に流れ続けているこの時間は、以 じていない筈であり、また、それ以上の役割を演じることは不可能前のおれが身をゆだねていたあの時間とはどこかで隔絶された別の であった筈だ。もっとも、補助的役割しか演じなかった人物が実は時間なのだ。つまりここは、おれが以前いたところではない世界で 黒幕ということも、考えられなくはない。しかしおれには、あの親ある。それは、はっきりしている。しかしそれが、別の天体なの 爺が黒幕であったとはどうしても思えないのだ直感的にも常識的に か、別の宇宙なのか、別の次元なのか、未たに判然としないのであ も。なぜかというと、もし黒幕がいたとすればその黒幕は貸・ホートる。おまけにこの世界は以前の世界そっくりに造られているため、 屋の親爺や正子の背後にいて二人をあやつっていたに違いなく、お境界がはっきりしないのだ。時間的境界線、空間的境界線、共には れの前には顔をあらわしていない筈だ。だからこそ黒幕ともいえるつきりしないのだ。その境界線を越えたのがいつだったか、それさ のである。さらに考えれば黒幕とは必ずしも人物であることを必要、えはっきりすれば、ある程度はこの世界の正体に近づくことができ ると思うのだが。 としないのであって、あるいは、それは集合意識とか、時代とか、 それは、いっ起ったのか。 環境とかいったものであってもいいのだ。事実、そう考えなければ むろん、心あたりは二、三ある。そして、おれをこっち側へひき 説明のつかないことだってあったのた。あの時、ポートからおりた こ 0