コンスタンティノープル - みる会図書館


検索対象: SFマガジン 1970年11月号
7件見つかりました。

1. SFマガジン 1970年11月号

殺を行ない、 ついでトルコ軍を攻撃しますが、ほとんど全減に近い ロレーヌが近郊の略奪を開始する一方、ゴドフロアはビザンティン 被害をこうむります。もし時間があれば、一〇九七年へ行って、道兵の小隊を捕庸にして、城壁から見える場所で死刑にした。そして ばたにひろがる白骨の山をお見せしますよ。それが、民衆十字軍の四月二日、十字軍はコンスタンティノープルの攻略をはじめた。 未路です。しかし職業軍人たちも行軍を始めています。彼らをなが「ごらんなさい、ビザンティン人はいとも簡単に彼らを撃退してし めることにしましよう」 まいます。堪忍袋の緒を切らしたアレクシウスが、えりぬきの中隊 ぼくは、十字軍が四つの軍団からなっていることを説明した。レを送りだしたのです。復活祭の日、ゴドフロアとポドウアンは降服 ィモン・ド・トウールーズの軍、 / ルマンディ公ロべールの軍、ポし、アレクシウスに忠誠を誓います。これで問題は解決。皇帝は、 へモンドとタンクレドの軍、ゴドフロア・ド・ ・フィョン、ウスタ コンスタンティノー。フルにはいった十字軍のために祝宴を催し、そ ・プーローニ = 、ポドウアン・ド・ロレーヌの軍。十字軍のして手早く船に乗せて、ポスポロスの対岸へわたしてしまいます。 歴史を読んだことのある何人かは、知っている名前を耳にしてうなその数日後には、後続の十字軍・ーー・ポへモンドとタンクレドの軍が ずいた。 到着することを知っているからです」 ぼくらは、一〇九六年の最後の週にシャントした。「アレクシウ その名が出たとたん、マージ・ヘファリンが、感きわまったよう スは、民衆十字軍からひとつの教訓を学びました。彼は、十字軍をな小さなうめき声をもらした。そのときに、ぼくは気づいてしかる コンスタンテイメー。フルに長いあいだ逗留させないことに決めましべきだったのだ。 た 0 聖地へむかうには、ビザンテイウムを通過しなければなりませ ぼくらは後続の十字軍をながめるため、四月十日へとんだ。数千 ん。だが、それをなるべく短期間に終らせるのです。そして市内にの兵士が、ふたたびコンスタンティノープルの城壁のそとにキャン はいる前に、指揮官を呼び、自分への忠誠を誓わせるのです」 。フをはった。彼らは鎖かたびらに外衣といういでたちで尊大にのし っちほこ ・ほくらは、ゴドフロア・ド・・フィョンの軍が、コンスタンティノ歩き、退屈すると剣や槌矛で楽しそうにわたりあった。 1 プルの城壁のそとにキャンプをはるのをながめた。使者たちが忙「どれがポへモンド ? 」と、マージ・ヘファリンがきいた。 しく往復している。忠誠を求めるアレクシウス、それを拒否するゴ ぼくは平野を見わたした。「あれがそうです」 ドフロア。ぼくは細心の編集で、四カ月を一時間足らずに縮め、聖「オウ 地の解放のためには本来協力しあわなければならない十字軍とビザ彼は偉丈夫だった。身長はおよそ二メートル、この時代にあって ンティン人のあいだに、不信と反目がひろがってゆくのを見せた。 は巨人であり、並いる男たちのなかでひときわぬきんでている。広 ゴドフロアは、かなくなに忠誠を拒み続ける。アレクシウスは、十い肩巾、厚い胸板、短く刈った髪。奇妙に白い肌。堂々とした歩 字軍をコンスタンティノープルへ入れないばかりか、飢えで苦しめみ。タフで冷酷な野性の男だ。 て退却させようと、キャンプの封塞をはじめた。ポドウアン・ド・ 彼はまた、他の指導者たちよりも利ロだった。アレクシウスとい ー 05

2. SFマガジン 1970年11月号

たとえばーー一一〇五年六月にジた。二人が保証したのだろう。帰ってきた。フロトポポーロスは、ぼ の骨でしかないわけだ。また ャンプしたとすると、メタクサスから見たぼくは、彼といっしょのくの耳にささやいた。「一一〇五年八月十七日だ。礼をいえよ」 ・ほくは礼をいい、時間局オフィスを出た。 実習行から帰ったばかりの、実力も何もわからぬ青二才にすぎな い。そしてーー・たとえばーー一一〇五年十月にジャンプしたとする メタクサスの屋敷は、コンスタンティノープルの郊外、城壁の外 と、そこで出会うメタクサスは、現在時で三カ月進んだところこ、 冫し側にあった。十二世紀初期においては、このあたりの土地は安かっ る彼であり、当然・ほくの未来を知っていることになる。方向は逆だ た。一〇九 0 年には、野蕃なパチナック人が侵入して略奪をほしい が、これもまた、あまり経験したくない〈不連続。 ( ラドックス〉ままにし、それから六年後には、十字軍と称する暴徒の群が到着す だ。危険だし、それに自分の知らない未来に生きている人間と出会るなど、騒動が絶えなかったからだ。城壁の外に住む人びとはひど い目にあい、多くの豊かな地所が売りに出された。メタクサスがそ うなどというのは、あまり気持のいいものではない。時間局員なら れを買ったのは、一〇九五年。地主たちが、パチナック人からこう ら、誰だって知っている。 むった傷をいやしながら、新たな侵略者の到来におびえはじめてい 情報が必要だった。 ・ほくはス。ヒーロス・。フロトポポーロスのところへ行った。「休暇たころだ。 のときに、おれの家に来いとメタクサスからいわれたんですが、彼メタクサスには、売り手にないひとつの強みがあった。時間線を 下って、アレクシウス一世コムネヌスが統治する、この地方の将来 のいる時点がわからないんですよ」 。フロトポポーロスは用心深く答えた。「なぜ、おれなんかにきの安寧を見定めることができたことだ。メタクサスは、自分の別邸 のある地所が、十二世紀すべてを通じて一度も災害にあわないこと く ? おれはあいつには信用がないんだ」 とを、最初から知っていた。 「現在時との関係を書いたメモでもおいてあるんじゃないかと思っ ・ほくは旧イスタン・フール市にはいると、タクシーをつかまえ、崩 て」 れおちた城壁を通り抜けて、さらに五キロほど進んだ。いうまでも 「いったい何の話だ ? なく、現在のこのあたりは、のどかな田舎ではない。現代都市の火 たいへんな失敗をしでかしたのではないかと、つかのま思った。 、つ色のスプロールがあるだけだ。 だがそんなことはおくびにも出さず、・ほくはウインクして、 た。「メタクサスの居場所を知らないはずがあるもんか。いる時点町から適当な距離だけはなれると、プレートを押し、タクシーを かえした。そして歩道に立ち、ジャン。フにそなえて所持品のチェッ だって、知っているはずです。教えてくださいよ。プロト。ぼくだ って仲間なんですよ。隠しだてする必要なんかないじゃありませんクをした。ビザンティン衣装を着ているぼくを、子供たちが見つ け、時間線をの・ほるところを見物に来た。トルコ語で元気よく話し 5 か」 かけてくる。連れていってくれとでもいってるのだろう。 彼は隣室へはいり、プラステイラスとハーシェルに相談してい

3. SFマガジン 1970年11月号

なってしまうのはまずい。その場合、ひとつの部屋に二人のぼくが 存在することになり、〈累積パラドックス〉の一種である〈複製パ ラドックス〉が生じてしまうからだ。懲戒は避けられないし、タイ その夜、六人が疲れて眠ってしまうと、・ほくはこっそりと宿をぬム・。 ( トロールの耳にでもはいったら、もっとひどいことになる。 けだし、私的な調査旅行に出発した。 要するに、的確な時間調整が必要なのだ。 これは、条例でかたく禁じられていることだった。クーリアは、 もうひとつの問題は、同一地点間のシャントに伴う面倒だ。・ほく 非常事態にそなえて、四六時ちゅう観光客のそばについていなけれのグルー。フが泊った五三七年の宿が、当面の目的時点一一七五年に ばならない 0 彼らはタイマーの使いかたを知らないのだから、トラ存在することはほとんどありえない。部屋からめくらめっぽうにシ ・フルがおこったとき、すみやかに助けだせるのはクーリアだけなの 、カ ャントすれば、後世におかしなもの , ーーたとえば牢獄なんか そこに作られて、そのなかに出現してしまわないとも限らない。 にもかかわらず、ぼくは客たちが眠っている隙に時間線を六世紀唯一の安全な方法は、表通りに出て、行きも帰りもそこから出発 くだり、権勢隠れもなきわが祖先ニケフォルス・ドウカスの時代をすることだ。けれども、それをやると、六十秒以上客たちから離れ 訪れた。 なければならない羽目になる。階下におり、シャントに都合のい 相当なずうずうしさがなければ、もちろん、最初の単独任務でこ安全で静かな場所を捜し、そのほかにもしなければならないことは んなことはできない。だが実際、それほど大きな危険をおかしてい たくさんある。そして、もし巡回中のタイム・パトロールに通りで るわけではなかった。 出くわして、なぜ客をほったらかしてこんなところにいるのだとき メタクサスが教えてくれたことだが、このような横道旅行をするかれれば、まず逃げ道はない。 場合の安全対策は、タイマーを慎重にあわせ、不在の時間が一分間 にもかかわらず、ぼくはなんとか時間線を下り、トラブルから逃 かそれ以内におさまるよう正確を期することだ。・ほくがそこを出たげ切ることができた。 のは、五三七年十二月二十七日の二三四五時だった。出たあとは、 一一七五年を訪れるのは、はじめてだった。これは、ビザンティ 時間線をのぼるも下るも自由だし、どこで何時間、何日、何週間 ウムが平和であった最後の年かもしれない。 いや、何カ月過そうが何の問題もない。ただ仕事を終えて帰る段に コンスタンティノープルは、不穏な空気につつまれているように なったとき、到着時間が五三七年十二月二十七日の二三四六時にな思われた。空にうかぶ雲さえも不吉なものに見えた。あたりには、 るようタイマーを調節するだけだ。眠っている観光客たちから見れさし迫った災厄を予告する刺すようなにおいがただよっていた。 ば、ぼくは六十秒間留守をしていたにすぎない。 だが、これは錯覚にすぎない。時間線を自由に上下する能力は、 もちろん、帰りの到着時間が一一三四四時、つまり出発の一分前に パースペククティッヴを歪め、正常な判断を狂わせる。ばくは、こ 5

4. SFマガジン 1970年11月号

すぎん」と、老人はいった。「皇室こそ、ドウカス家の本家なのじ ・ほくはタイマーを慎重に調節すると、五三七年十二月二十七日に ゃ。コムネヌス家を、コンスタンテイヌス十世とその先祖までたどシャントした。通りは暗く静まりかえっていた。急いで宿にかけこ 8 るとーーー」 む。一一七五年で八時間もすごしたのに、ここでは出発したときか 遠い血のつながりはあるといっても、ぼくはそちらのドウカス家らまだ三分もたっていなかった。観光客たちは、ぐっすりと眠って いた。万事異常なし。 に興味はなかった。皇族のほうのドウカス家の家系を知りたけれ ば、ギポンを読めばいい。 その遠縁にあたる、ひとつのつつましい 満ちたりた気分だった。ぼくはロウソクの火の下で、ドウカス家 分家だけが気がかりなのだ。醜怪なこじき書記のおかげで、・ほくの系図を古い羊皮紙に書き移した。系図学をひねくりまわそうとし は、ニケフォルスにいたる、ビザンティン三世紀のドウカス家の系ているわけではない。力。ヒストラー / みたいに、祖先を誘惑しよう 図を手に入れた。それ以後のことは、もう調べはついている。ニケとしているのでもなかった。ただ、自分の祖先がドウカス家である フォルスの息子、アルバニアのシメオンから、数世代後の子孫であという事実をかみしめながら、優越感にひたりたかっただけなの だ。世の中には、祖先のいない人間もたくさんいる。 るアルギロカストロのマヌエル・ドウカスまで。その長女がニコラ オス・マルケジニスと結婚し、マルチジニス家の連綿とした家系を 経たのち、マルケジニスの娘のひとりが。ハシリディスの息子のひと りと結婚し、尊敬すべき祖父コンスタンティンが生れ、その娘ディ アーナがジャドスン・ダニエル・エリオット二世と結ばれ、そして クーリアとしてのぼくの力量は、メタクサスの足元にも及ぶま 最後に、この・ほくがこの世に誕生するわけだ。 いだが、ビザンテイウムを観光客たちに過不足なく見せたという 「困ったときの足しにしてくれ」そういって、・ほくは醜怪な顔の老自信はあった。最初のソロにしては、最高の仕事をしたといえる。 人にもう一枚金貨をわたすと、呆然と感謝の言葉をつぶやき続けて ・ほくらはビザンティン史のハイライトのすべてに立会い、さらに いる彼を残して、居酒屋から逃げだした。 ロウライトのいくつかも見物した。小便たれ皇帝コンスタンテイヌ メタクサスは、きっとぼくの成果に満足するだろう。もしかしたスの洗礼式、レオ三世の命による偶像破壊運動、八一三年の・フルガ ら、いくらかやっかむかもしれない ほんの短かい時間で、彼の リア人侵略、テオフィルズのマグナウラ宮殿にある金箔をかぶせた より長い系図を作りあげてしまったのだから。彼のは十世紀まで。 ・フロンズの木、酔いどれ皇帝ミカエルの乱行、一〇九六年から九七 ぼくのは ( ちょっと怪しいけれども ) 七世紀まで到達しているの年の第一回十字軍到着、一二〇四年の第四回十字軍到着による惨 だ。もちろん、彼のリストには数百人の祖先の名が刻明に記されて状、二二六一年のビザンティン人によるコンスタンティノープル奪 いる。・ほくのは、まだ二、三十人にすぎない。だが仕事をはじめた還、そしてミカエル八世の即位。要するに、肝心なもの全部だ。 みんな大喜びだった。時間観光客のほとんどがそうであるよう のは、彼のほうが何年も先なのだ。

5. SFマガジン 1970年11月号

に直面した。タイム・パトロールに助けを求めることは自尊心が許「どれが、その隠者ベトルスなの ? 」一行のなかで、いちばん手に さず、おかげで〈重複パラドックス〉をおかし、〈通過線転位パラおえない女がきいた。ディモインズ ( ア オ。州首都イ ) から来た、四十 8 ドックス〉すら味わう羽目になってしまったのだ。しかし、われな くらいの丸々と肥った独身女性だ。名前はマージ・ヘファリン。 がら感心するほど、みごとにその難局を切り抜けた。 ぼくは時間を確かめた。「あと一分半で見ることができますよ。 事件がおこったのは、九人の観光客を連れて第一回十字軍のビザアレクシウスは二人の役人を使いに出して、ベトルスを宮廷に招待 ンテイウム到着を見物しているときだった。 したのです。貴族たちが着くまで、ベトルスの率いる暴徒をコンス 「一〇九五年、教皇ウル・ハヌス二世は、聖地をサラセン人の手からタンティノープルに滞在させなければなりません。軍隊の護衛なし 解放しようと呼びかけました。まもなくヨーロツ。ハの騎士たちが、 で彼らが小アジアにわたれば、トルコ軍に皆殺しにされることはわ 十字軍へと加わりはじめました。ビザンテイウムの皇帝アレクシウかりきっていますから。ごらんなさい、あれがベトルスです」 スも、そのような聖戦を歓迎したひとりでした。トルコ人やアラブ ダンディな恰好をした二人のビザンティンの高官が、群衆のなか 人に奪われた近東の領土を奪いかえす好機だと考えたからです。百 から現れた。明らかに息をとめているのがわかる。できれば、鼻も 戦錬磨の騎士たちが異教徒の征伐を助けてくれるなら、何百人来よっまみたいところだろう。二人にはさまれて、ぼろをまとった、う うと喜んで迎えよう。アレクシウスは、教皇にそう書き送りましすぎたない、みす・ほらしい、はだしの、長い顎の、小鬼のような男 た。しかし、予想に反してやってきたのはーーその成行きをこれか が歩いていた。あばた面に、眼だけがぎらぎらと輝いている。 ら見物します。一〇九六年へ下りましよう」 「皇帝に謁見にむかう隠者ベトルスです」 ぼくらは、一〇九六年八月一日へシャントした。 ・ほくらは三日後にシャントした。民衆十字軍はコンスタンティノ コンスタンティノープルの城壁にの・ほり、市外を見わたすと、あ ー。フルにはいり、このアレクシウスの都市で乱暴狼藉をはたらいて たりは軍隊で埋まっていた。鎖かたびらを着た騎士たちではない。 いた。たくさんの建物が火につつまれていた。十人のにわか仕立て ぼろをまとった農民の大混成部隊だ。 の十字軍兵士が、教会の屋根にのぼり、どこかで売って金にするつ たん 「これが、民衆十字軍です。職業軍人たちが、進軍のさいの兵站術もりだろう、鉛板をはがしていた。嵩貴な家柄の生れらしいピザン を練っているあいだに、隠者ベトルスの名で呼ばれる、インチキ教ティンの女が、ハギア・ソフィアから現れたが、たちまちベトルス 祖くさい痩せた小男が、乞食や農民をかりあつめてビザンテイウム配下の巡礼者の一団にはだかにされ、ぼくらの目の前で犯された。 へとおしよせたのです。彼らは行く先々で略奪を重ね、南ヨーロッ 「このならず者の群を市中に入れたのは、アレクシウスの計算違い 。ハの収穫物を踏みにじり、ビザンティンの行政官と対立してベルグでした。いま彼は、ポスポロスの渡し船を無料で貸しだし、この連 ラードを焼きはらいました。そして、とうとう三万人がここまでた中をアジア側に追いやる工作をしています。八月六日、彼らは出発 どりついたのですー します。まず彼らは、小アジア西部にあるビザンティン植民地で虐

6. SFマガジン 1970年11月号

- , ます。聖母マリアが、まばゆいスミレ色のマントを着て現れ、城壁の数は、四九三隻。ビザンティン側の守りは、八千の兵士と十五隻 の上を歩いたので、トルコ軍は恐れをなして退却した、といいまの軍船です。ヨーロツ。ハ・キリスト教圏からビザンテイウムにきし・ 9 のべられた救いの手といえば、ジェノヴァ人の兵士と水夫七百人だ け。指揮するのは、ジョヴァンニ・ジュスティニアーニ」・ほくは余 「どこに ? 」 . と、女婿がきいた。「奇蹟なんかないそ ! 聖母マリ アなんかいないじゃよ、 . 韻たっぷりに、 このビザンテイウム最後の名将の名をとなえ、過去 こだま 「ジュスティニアーニ・ 「三十分あと戻りして、もう一度見たらわかるかしら」彼の妻が自からかえってくるその谺を重ねあわせた。 「ビザンテイウムは、 : ュスティニアヌス・ーー」誰も気づかない。 信なさそうにいナ ・ほくは説明した。聖母マリアが戦場に現れたわけではなく、スルオオカミどもの餌食になろうとしています」・ほくは続けた。「聞き おたけ タン・ムラットのところに、 小アジアで反乱がおこったという知らなさい、トルコ軍の雄哮びを ! 」 せが届いたのだ。コンスタンティノープルを占領したとしても、逆金角湾には、有名なビザンティンの鎖状防材がはりわたされ、両 に補給路を絶たれ、包囲されてしまう危険がある。それで、スルタ岸につなぎとめられている。港を侵略者たちから守るため、太い丸 ンは攻撃をすぐにやめ、東方の反乱軍を鎮圧する決心をしたのだ。太を鉄の鉤で連結した防衛線だ。それは、一二〇四年に一度破られ オ ( イオ州人一家は、がっかりした様子だった。どうやら本気で聖ている。だが、今度は頑丈だ。 くトルコ軍を ・ほくらは四月九日へと下り、城壁にじりじりと近づ 母マリアを見る気だっ・たらしい。「去年旅行したときは見たんだ」 ながめた。そして四月十二日へとび、トルコ軍の大砲〈王家の砲〉 と、女婿はつぶやいた。 「あれは別よ」と、彼の妻。「あれは本物のマリアよ、奇蹟じゃなが威力を発揮するところを見た。これをトルコのために建造したの くて ! 」 は、ハンガリアのウル・ハンと名乗るキリスト教の背教者だ。二百頭 ぼくはみんなのタイマーを調節すると、時間線を下った。 の牛にひかれて都市へと運ばれたそれは、砲身が直径三フィ 一四五三年四月五日、明け方。・ほくらはビザンテイウムの城壁で重さ千五百ポンドの花崗岩の砲丸を発射することができた。・ほくら 日の出を待った。「都市は、今では完全に孤立しています。征服者の見守る前で、大砲が火をふき、煙がたちのぼった。つぎの瞬間、 メフメットが、ポスポロスのヨーロッパ側に要塞ルーメリ・ヒサリ巨大な岩の砲丸がものうげに、ゆっくりと宙にあがり、大地をゆる を建造したからです。トルコ軍が近づいてきます。さあ、お聞きながすすさまじい勢いで城壁に激突すると、もうもうと土埃を舞いあ げた。都市全体が揺れ、爆発音は長いあいだ耳に残った。「〈王家 暁の光がさした。ぼくらは城壁の上から見おろした。叫び声が怒の砲〉は一日に七回しか発射できません。弾薬の装填に時間がかか 濤のようにわきおこった。「金角湾の対岸には、トルコ軍のテントるのです。さあ、今度はこれをごらんなさい」ぼくらは一週間後へ が見えます , ーー総数二十万。ポスポロス海峡にうかぶトルコの軍船シャントした。侵略者たちが巨砲のまわりにむらがり、発射の準備

7. SFマガジン 1970年11月号

地をガッガッと奪いとっていく。ぼくはプラケルナ工地区の裏にあ る城壁の上に一行を案内すると、都市境界にほど近い土地を徘徊し ているスルタンの騎馬兵たちの姿を見せた。オハイオ氏は、彼らに むかって拳をふった。 「この蕃族どもめ ! きさまらは人間の屑だ さらに時間線を下って、一三九八年へ。ポスポロス海峡のアジア 側に作られた、スルタン・・ハヤズイトの要塞アナドル・ヒサリ。夏 の霧がかかってはっきりと見えないので、それから二カ月ばかり後 の秋へとシャントし、もう一度じっくりとながめた。・ほくらは、用 意しておいた双眼鏡を仲間うちでこっそりとまわした。年配のビザ ンティン修道僧が二人通りかかった。それに気づいて、隠そうとし たが遅かった。修道曽よ、 イをいったい何をのそいていたのかとたずね 、急いで一行 「これを使うと眼のためにいいです」・ほくはそういし を退散させた。 一四二二年の夏、ぼくらは、城壁に迫るスタン・ムラット二世の 軍勢をながめた。およそ二万のトルコ兵は、コンスタンティノープ ル周辺の村や畑を焼きはらい、住民を虐殺し、ブドウやオリー・フの 木をかたつばしから根こぎにした後、いま都市へ侵入しようとして いるのだった。彼らは攻城機械を防壁に寄せると、破城槌、投石 器、その他当時の重砲類すべてをくりだして攻撃をはじめた。ぼく の誘導で、一行は戦線のすぐそばに場所をとり、この愉快な光景を 見物した。 そのために用いられる標準的な方法は、巡礼者に変装すること だ。巡礼者はどこへでも、戦いの最前線へさえ行くことができる。 ぼくは一行に十字架と聖画像を配り、信心深そうに見せるコツを教 催眠術の効用 このところ催眠術が大ブームであな患者がいるから、ということで、 る。では、これを医学に応用する早速試みることになった。 と、どういうことが出来るか 2 ・昔 その患者は、事故で右脚の前の部 は無痛手術等、麻酔剤発見前はその分の皮膚を失い、他の場所から皮膚 代用に使われた、他にも用途があを移植しなければならなくなってい る。その一つをここに御覧に入れよ たのである。ところが、脚の膝頭の ような、よく擦れたり、物と当った この応用は、よくテレビなどでやりする個所に皮膚を移植するために っている催眠術実験でもごらんになは、腹部の皮膚を用いて五つの段階 る通り、催眠術をかけてある一定の にわたる面倒な手術が必要であっ 姿勢をとらせておくと、それがどん た。 な無理な姿勢でも、そのままで残 まず第一の段階では、その患者の り、しかも不自然な形をとっていた胴の一方の側の皮膚をつまみ上げ 間中、無意識状態で何ら苦痛を感じ て、筒状とし、ただ筒の両端でだけ なかったということから思いついたまだ胴とつながっているようにしな ものである。 ければならない。こうしないと、た ちまち血の循環が止ってしまい、皮 数年前、米国の精神治療医デニス 膚が死んでもまうのである。 ・ケルシイ氏が、整形外科医のジョ ン・バロン氏と雑談をしていた時、 そして、一週間から二週間そのま たまたま話が、人間の皮膚を一個所まの状態でおいて、血液が順調に皮 から他の個所へ移植するさい相当の膚のその部分にかよっているのをた 期間、その患者に無理な姿勢を取ら しかめた上で、その筒の一端だけ切 せねばならず、いろいろな難問が起り離し、それを患者の左腕の一部に って来る、という話になった。 縫いつける。 さらに次の段階でその筒のもう一 その時、ケルシイ氏はふと前記の 実験のことを思い出し、それを術後方の端を胴の皮膚から切り離し、こ 暗示的に応用すれば、患者に苦痛をれ又左腕に縫いつけるこの段階で 与えることなしにそういう手術を容はもうその筒状の皮膚は左腕だけに ついているので、その腕を振って歩 易にすることが出来るのではない こうと、どうしようと自由である。 か、と思いついた。バロン氏にその こうしてその筒状の皮膚がなおも健 考えを打ち明けると、幸いにも適当 0 9