トルコ軍 - みる会図書館


検索対象: SFマガジン 1970年11月号
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1. SFマガジン 1970年11月号

- , ます。聖母マリアが、まばゆいスミレ色のマントを着て現れ、城壁の数は、四九三隻。ビザンティン側の守りは、八千の兵士と十五隻 の上を歩いたので、トルコ軍は恐れをなして退却した、といいまの軍船です。ヨーロツ。ハ・キリスト教圏からビザンテイウムにきし・ 9 のべられた救いの手といえば、ジェノヴァ人の兵士と水夫七百人だ け。指揮するのは、ジョヴァンニ・ジュスティニアーニ」・ほくは余 「どこに ? 」 . と、女婿がきいた。「奇蹟なんかないそ ! 聖母マリ アなんかいないじゃよ、 . 韻たっぷりに、 このビザンテイウム最後の名将の名をとなえ、過去 こだま 「ジュスティニアーニ・ 「三十分あと戻りして、もう一度見たらわかるかしら」彼の妻が自からかえってくるその谺を重ねあわせた。 「ビザンテイウムは、 : ュスティニアヌス・ーー」誰も気づかない。 信なさそうにいナ ・ほくは説明した。聖母マリアが戦場に現れたわけではなく、スルオオカミどもの餌食になろうとしています」・ほくは続けた。「聞き おたけ タン・ムラットのところに、 小アジアで反乱がおこったという知らなさい、トルコ軍の雄哮びを ! 」 せが届いたのだ。コンスタンティノープルを占領したとしても、逆金角湾には、有名なビザンティンの鎖状防材がはりわたされ、両 に補給路を絶たれ、包囲されてしまう危険がある。それで、スルタ岸につなぎとめられている。港を侵略者たちから守るため、太い丸 ンは攻撃をすぐにやめ、東方の反乱軍を鎮圧する決心をしたのだ。太を鉄の鉤で連結した防衛線だ。それは、一二〇四年に一度破られ オ ( イオ州人一家は、がっかりした様子だった。どうやら本気で聖ている。だが、今度は頑丈だ。 くトルコ軍を ・ほくらは四月九日へと下り、城壁にじりじりと近づ 母マリアを見る気だっ・たらしい。「去年旅行したときは見たんだ」 ながめた。そして四月十二日へとび、トルコ軍の大砲〈王家の砲〉 と、女婿はつぶやいた。 「あれは別よ」と、彼の妻。「あれは本物のマリアよ、奇蹟じゃなが威力を発揮するところを見た。これをトルコのために建造したの くて ! 」 は、ハンガリアのウル・ハンと名乗るキリスト教の背教者だ。二百頭 ぼくはみんなのタイマーを調節すると、時間線を下った。 の牛にひかれて都市へと運ばれたそれは、砲身が直径三フィ 一四五三年四月五日、明け方。・ほくらはビザンテイウムの城壁で重さ千五百ポンドの花崗岩の砲丸を発射することができた。・ほくら 日の出を待った。「都市は、今では完全に孤立しています。征服者の見守る前で、大砲が火をふき、煙がたちのぼった。つぎの瞬間、 メフメットが、ポスポロスのヨーロッパ側に要塞ルーメリ・ヒサリ巨大な岩の砲丸がものうげに、ゆっくりと宙にあがり、大地をゆる を建造したからです。トルコ軍が近づいてきます。さあ、お聞きながすすさまじい勢いで城壁に激突すると、もうもうと土埃を舞いあ げた。都市全体が揺れ、爆発音は長いあいだ耳に残った。「〈王家 暁の光がさした。ぼくらは城壁の上から見おろした。叫び声が怒の砲〉は一日に七回しか発射できません。弾薬の装填に時間がかか 濤のようにわきおこった。「金角湾の対岸には、トルコ軍のテントるのです。さあ、今度はこれをごらんなさい」ぼくらは一週間後へ が見えます , ーー総数二十万。ポスポロス海峡にうかぶトルコの軍船シャントした。侵略者たちが巨砲のまわりにむらがり、発射の準備

2. SFマガジン 1970年11月号

をしている。彼らは点火した。そのとたん、肝をつぶすような閃光族、聖職者、そして未来世界から何食わぬ顔でやってきた多数の訪 とともに爆発がおこり、砲身の巨大な破片がトルコの軍勢のなかへ しや、もしかしたらビザンティン人よりも、こちらのほ 問者たち。、 はじけとんだ。あとには、数知れぬ死体が残った。「ハンガリアのうが多いかもしれない。ぼくらは鳴りわたる鐘の音とメランコリッ ウルバンも、ここで死にました。しかしトル 0 軍は、まもなく新しクな〈キリ = 〉 ( ら ミサの式に用い ) を聞き、ひざまづいた。たくさんの い大砲の建造にとりかかります」 人びとが、ビザンテイウムの運命に涙を流していた。時間旅行者の その夜、トルコ軍は城壁へ殺到した。ぼくらは、〈アメリカ讃なかにさえ、泣いているものがいた。やがて礼拝式が終ると、明り が消され、闇がきらめくモザイクやフレスコをつつみこんだ。 歌〉や、〈オテルロ〉からのアリアなどを歌いながら、勇敢なジェ ノヴァ人ジョヴァンニ・ジュスティニアーニが彼らを撃退するとこ そして五月二十九日、最後の日がきた。 ろをながめた。頭上を、矢が風を切ってとんでいく。何人かのビザ その日の午前一一時、トルコ軍は聖ロマノス門に押しよせた。ジュ ンティン人は、ト銃で不器用に応戦していた。 スティニアーニが傷ついた。戦いは熾烈をきわめ、ぼくは観光客た 最後の攻城場面は、自分の妙技に感動の涙をお・ほえるほどのすばちを現場から遠ざけるのに苦労した。リズミックな「アッラー らしい出来ばえだった。海戦、城壁の上の白兵戦、ハギア・ソフィ ! 」という叫びはしだいに高まり、ついには全宇宙にひび アにおける祈疇式などを、ぼくはやつぎばやにくりだした。トルコきわたるまでになった。防衛側は恐慌をきたし、逃走した。そして 軍は、あの有名な鎖状防材を迂回する作戦をとり、軍船をひそかに トルコ軍は市中になだれこんだ。 陸上げすると、車輪つきの台にのせてポスポロスから金角湾へ運び「最後です。皇帝コンスタンテイヌスは、敵軍のなかに身をおどら かんぬき はじめた。四月二十三日の明け方、十二隻のトルコの軍船が港のなせます。都市から逃れる人びと、ハギア・ソフィアの閂のおろされ かに錨をおろしていることを知ったときの、ビザンティン人の恐た扉のうしろに隠れる人びと。ごらんなさい、略奪を、虐殺を ! 」 怖。だがジェノヴァ人の奮戦の前に、艦隊は空しく敗退した。 ・ほくらは夢中でジャンプをくりかえした。愉快そうに通りを疾駆す ぼくらは攻城の日々を駆け足で通りすぎた城壁は崩れる一方だる騎馬兵に蹴倒されないよう、消えては現れ、消えては現れた。ば ったが、敵はどうしてもそれを突破することができなかった。防衛くらの動きは、たぶん多くのトルコ兵を驚かせたことだろう。だが 側の士気はあがり、攻撃側の決意はしだいにゆらぎはじめた。五月が、この狂乱状態のなかでは、一握りの巡礼者の奇蹟的な消失など 二十八日、・ほくらは夜陰に乗じてハギア・ソフィアを訪れ、そこで大した事件にもならない。そしてぼくらは、五月三十日のクライマ イェニチェリ ックス・シーンにとぶと、大臣やパシャや親衛兵を従えて、ビザン 行なわれる歴史上最後のキリスト教礼拝式に参列した。ビザンティ ウムの全市民が、そこにあつまったかのようだった。皇帝コンスタテイウムに意気揚々とのりこむ馬上のスルタン・メフメットをなが めた。 ンテイヌス十一世とその廷臣たち、乞食、泥棒、商人、ポンビキ、 ジェノヴァやヴェネチアのローマ・カトリック教徒、兵士、水夫、貴「彼はハギア・ンフィアのまえでとまります」・ほくはささやいた。 ヴェジール 3 9

3. SFマガジン 1970年11月号

に、彼らのお気にいりもまた反乱であり、暴動であり、騒擾、攻のに気づくはずはないし、気づいたとしても、その機能がわかるは 略、殺戮、侵略、焼打ちであったからだ。 ずはないからだ。彼のがにまたの短期妻は、よたよたと歩きまわっ 「トルコの殴りこみは、いつ見せてくれるんだ ? 」それが、オハイては、目にはいるものすべてに感嘆のうめき声をもらしていた。オ ハイオ州の一行は、思ったとおり退屈していた。これはしかたがな オ州の不動産業者の口癖だった。「トルコの蕃族どもが町をぶつこ い。だいたい教養というものを持ちあわせていない連中なのだ。 わすところを、わしは見たいんだ ! 」 「もうすぐですよ」と、・ほくはいっこ。 「トルコ人はいつ見せてくれる ! 」オハイオ州人たちは、待ちきれ ない様子でそればかりきくのだった。 はじめ、ぼくは、歴史に最後の光芒を放っパラエオログス朝のビ 一三四七年から八年にかけての黒死病の時代は、要領よくとばし ザンテイウムを域間見せた。「帝国領の大部分は失われました」一 二七五年に立ち寄ったところで、ぼくま、つこ。 をしナ「ビザンティンのた。「行けないのです」抗議の声があがると、・ほくは答えた。「そ 考えかたや建築は、今ではすっかりなくなっています。親密さ、そういう時代を見物したかったら、まず特別疫病旅行の許可をとらな モンゴル れがこの時代の合言葉です。これが、蒙古人の聖マリアのために建ければ」 てられた小教会です。彼女はミカエル八世の妾腹の娘で、短い期オハイオ氏の女婿がぶつぶっといった。「予防注射はみんな受け モン・コル 間、蒙古の汗の妻となりました。ごらんなさい、この美しさ、単純ているのにな」 さ」 「しかし、現在にいる五十億の人びとは無防備ですよ。帰ったと ・ほくらはコーラの聖救世主教会を見物するため、一三三〇年へとき、体のどこかに菌がこびりついていて、疫病が世界中にひろがっ 下った。観光客たちはすでに現在のイスタイフールで、カリエ・カてしまうかもしれない。そのときには、惨事を未然に防ぐため、歴 ミノイというトルコ名で残るこの教会を見ている。だが今ここで見史の流れのなかから、あなたの時間旅行を切りとらねばならなくな るのは、モスク化される前の状態にあるそれなのだ。目を奪うモザります。そんなことはしてもらいたくないでしよう ? イク画も、できたばかりの完全なものだ。「あちらをごらんなさ 混惑。 い。蒙古人と結婚したマリアです。彼女の姿は、時間線を下った世「そりや、できれば、連れていってあげますよ。しかし、それがで 界でも見ることができます。けれども、こちらーーキリストの若ききないんですよ。法律で決っているんです。特別の監督者がっかな 日と奇蹟を描いた部分ーーそれは今日残っていません。しかし、こ いかぎり、誰も疫病の時代にはいることはできません。わたしはそ こではその比類ない美しさをたっぷり鑑賞することができます」 のライセンスを持っていないんです」 シチリア人の精神分析医は、教会をあますところなくホログラフ ぼくは彼らを一三八五年へ連れて行き、衰退したコンスタンティ 写真にとった。時間局が許可している数少ない所持品のひとつが、 ノー。フルを見せた。城壁の内部の人々は激減し、市街には人気はな 9 彼の持っている掌中力メラだった。″上″のほうの人間がそんなもく、教会は半ば廃墟と化していた。トルコ人たちは、都市周辺の土 じよう

4. SFマガジン 1970年11月号

「そして、土をすくいあげ、、ター ハンの上にのせます。それが彼に にふりこんだことを知った。だが上司には、このことは報告しなか 勝利をもたらしてくれた、アッラーへの感謝のしるしなのです。彼った。規則はどうであれ、それだけの仕事をしたという自信があっ 9 は教会堂にはいります。危険ですから、あとについていかないよう たからだ。 に。なかで彼は、モザイクの床をこわしている、ひとりのトルコ兵 を見つけます。彼はその兵士を殴り、神聖な教会堂を傷つけてはな らぬと命じます。そして祭壇にの・ほり、額手礼をします。ハギア・ ソフィアは、もう回教寺院アヤソフィアです。ビザンテイウムは減もうひとっ断言できるのは、一一〇五年のメタクサスの別邸で休 びました。こちらへ。さあ、時間線を下りましよう」 暇をすごす権利も、これでかちとったということだ。もう他人の足 六人の観光客は呆然とした様子で、ぼくにタイマーの調節をまか手まといでもなければ、鼻たれ見習い生でもない。今やぼくは、タ した。ばくは調子笛を鳴らすと、一路二〇五九年へとジャンプしイム・クーリア組合の立派なメイハーなのだ。個人的な意見をつけ 加えるなら、そのなかでも最優秀のひとりではないかと思う。メタ 時間局オフィスへ着くと、例のオハイオ州の不動産業者がぼくのクサス邸で肩身のせまい思いをする必要はなくなったのだ。 ところへやってきた。彼は、いなか者がチップをわたそうとすると掲示板を調べると、メタクサスを、・ほくと同じように周遊旅行を きの特有のやりかたで、えげつなく親指をつきだした。「いや、あ終えたばかりだということがわかった。つまり、別邸にいるという んたがやってくれたことに礼をいいたくてな。ありや、大したもんことだ。・ほくは新しいビザンティン衣装に着換え、べザント金貨を いっしょに来て、この親指がインブット・。フレートを押すの財布に補給すると、一一〇五年へジャン。フする用意を整えた。 を見ててくれんか ? わしの感謝のしるしだ、かまわんだろう ? 」 そのとき〈不連続バラドックス〉のことが、とっぜん頭にうかん 「申しわけありませんが」と、ぼくはいった。「そのような心づけだ。 を受けてはならないことになっているので」 一一〇五年のいつに着けばいいのか、・ほくは知らないのだ。現在 「忘れちまえ、そんなこと。知らんふりをすればいいんだ。わしが時をベースにした、メタクサスのあちらの時間に合わせなければな 勝手にあんたの口座にふりこんだというだけだ、そうだろう ? あらない。今、ぼくの現在時は、二〇五九年十一月だ。だからメタク んたはそれについては、なんにも知らんわけだ」 サスも、彼にとって二〇五九年十一月に対応する一一〇五年のある 「何も知らなければ、振替をことわることはできませんからね」 時点に行っているにちがいない。その時点を、一一〇五年七月と仮 「よし、きまった。しかし、トルコの畜生どもが町にはいってきた定しよう。もしぼくが、それを知らずに 4 ーたとえば、そうーーー一 一〇五年三月にシャントしたとすると、そこにいるメタクサスは・ほ ときの、あれはすごかったー・すさまじいもんだったな ! 」 1 ティにわりこんできた。どこかの馬 翌月届いた収支計算表を見て、彼が千ドルもの大金をぼくの口座くをまだ知らない。楽しい ・ヒッチ・ハイプ サラーム

5. SFマガジン 1970年11月号

に直面した。タイム・パトロールに助けを求めることは自尊心が許「どれが、その隠者ベトルスなの ? 」一行のなかで、いちばん手に さず、おかげで〈重複パラドックス〉をおかし、〈通過線転位パラおえない女がきいた。ディモインズ ( ア オ。州首都イ ) から来た、四十 8 ドックス〉すら味わう羽目になってしまったのだ。しかし、われな くらいの丸々と肥った独身女性だ。名前はマージ・ヘファリン。 がら感心するほど、みごとにその難局を切り抜けた。 ぼくは時間を確かめた。「あと一分半で見ることができますよ。 事件がおこったのは、九人の観光客を連れて第一回十字軍のビザアレクシウスは二人の役人を使いに出して、ベトルスを宮廷に招待 ンテイウム到着を見物しているときだった。 したのです。貴族たちが着くまで、ベトルスの率いる暴徒をコンス 「一〇九五年、教皇ウル・ハヌス二世は、聖地をサラセン人の手からタンティノープルに滞在させなければなりません。軍隊の護衛なし 解放しようと呼びかけました。まもなくヨーロツ。ハの騎士たちが、 で彼らが小アジアにわたれば、トルコ軍に皆殺しにされることはわ 十字軍へと加わりはじめました。ビザンテイウムの皇帝アレクシウかりきっていますから。ごらんなさい、あれがベトルスです」 スも、そのような聖戦を歓迎したひとりでした。トルコ人やアラブ ダンディな恰好をした二人のビザンティンの高官が、群衆のなか 人に奪われた近東の領土を奪いかえす好機だと考えたからです。百 から現れた。明らかに息をとめているのがわかる。できれば、鼻も 戦錬磨の騎士たちが異教徒の征伐を助けてくれるなら、何百人来よっまみたいところだろう。二人にはさまれて、ぼろをまとった、う うと喜んで迎えよう。アレクシウスは、教皇にそう書き送りましすぎたない、みす・ほらしい、はだしの、長い顎の、小鬼のような男 た。しかし、予想に反してやってきたのはーーその成行きをこれか が歩いていた。あばた面に、眼だけがぎらぎらと輝いている。 ら見物します。一〇九六年へ下りましよう」 「皇帝に謁見にむかう隠者ベトルスです」 ぼくらは、一〇九六年八月一日へシャントした。 ・ほくらは三日後にシャントした。民衆十字軍はコンスタンティノ コンスタンティノープルの城壁にの・ほり、市外を見わたすと、あ ー。フルにはいり、このアレクシウスの都市で乱暴狼藉をはたらいて たりは軍隊で埋まっていた。鎖かたびらを着た騎士たちではない。 いた。たくさんの建物が火につつまれていた。十人のにわか仕立て ぼろをまとった農民の大混成部隊だ。 の十字軍兵士が、教会の屋根にのぼり、どこかで売って金にするつ たん 「これが、民衆十字軍です。職業軍人たちが、進軍のさいの兵站術もりだろう、鉛板をはがしていた。嵩貴な家柄の生れらしいピザン を練っているあいだに、隠者ベトルスの名で呼ばれる、インチキ教ティンの女が、ハギア・ソフィアから現れたが、たちまちベトルス 祖くさい痩せた小男が、乞食や農民をかりあつめてビザンテイウム配下の巡礼者の一団にはだかにされ、ぼくらの目の前で犯された。 へとおしよせたのです。彼らは行く先々で略奪を重ね、南ヨーロッ 「このならず者の群を市中に入れたのは、アレクシウスの計算違い 。ハの収穫物を踏みにじり、ビザンティンの行政官と対立してベルグでした。いま彼は、ポスポロスの渡し船を無料で貸しだし、この連 ラードを焼きはらいました。そして、とうとう三万人がここまでた中をアジア側に追いやる工作をしています。八月六日、彼らは出発 どりついたのですー します。まず彼らは、小アジア西部にあるビザンティン植民地で虐

6. SFマガジン 1970年11月号

えると、賛美歌をうたい祈りの言葉をとなえながら先にたって進ん だ。もちろん、連中にまで正しいビザンティンの賛美歌をうたわせ ることはできない。そこで、重々しい、敬虔な感じのする歌をなん でもうたえと指示した。オハイオ州人一家は〈星条旗よ永遠なれ〉 を何回も何回もくりかえし、精神分析医とその連れは、ヴェルディ と。フッチーニのオペラのアリアをうたった。ビザンティンの兵士た ちは戦いの手を休めて、・ほくらに手をふった。・ほくらもそれにこた えて手をふり、十字を切った。 「死んだりしないかな ? 」と、例の女婿がきいた。 「だいじようぶ。どっちにしろ、永久的なものでもないし。もし流 れ矢があたったら、タイム・ / 。、トロールを呼び出して、五分前にあ なたをここから退避させますよ」 女婿はキツネにつままれたような顔をした。 チェレステ・アイーダ・フォルマ・ディヴィナ 「ーー浄きアイーダ、神々しい姿・ーー」 ( のアアの一節 ソー・プラウドリ・ウィー・ヘイルド 「 : ・ : ・誇りもて、われらは仰ぐーー・」 ( 歌 ~ 7 節 ビザンティン人は、トルコ軍を市中に入れまいと死にものぐるい で戦った。・ キリシャ火薬や煮えたっ油を敵の頭上にぶちまけ、城壁 の上に現れた首をかたつばしから切り落し、重砲類の攻撃に耐え た。にもかかわらず、日没までには都市は陥落してしまいそうだっ た。夕暮がしだいに迫ってきた。 「ごらんなさい、あれを」 城壁に沿った数カ所で、火の手があがった。トルコ軍が、自分た ちの攻城機械に火をつけ、撤退をはじめているのだ ! 「なぜ ? 」と、質問が出た。「あと一時間もあれば、市を占領でき るのに」 「奇蹟がおこった。ビザンティンの歴史家は、あとでそう書いてい 全に生活をつづけているのを確認し の手術を行ってその暗示を解除した たのち更にもっと面倒な手続きをふ ところ、その腕のどこにも、異常は まなければならない。 見られなかった。そこでさらに次の すなわち、その筒状の皮膚の一方第四段階では、腕を膝との関係で一 の端を左腕から切り離し、これをい 定の位置に保つのに暗示以外何の手 よいよ右膝の適当な部分に縫いつけ段も用いず、その位置を正確に一定 る。こうして、皮膚の端がその部分に保つかぎり、どんな具合に体を動 の血管とうまく連絡出来るようになかしてもよい、と暗示をかけた。 るまで数週間付って、その上でいよ その結果は全く驚くべきものであ いよもう一つの端を腕から切り離って、患者はその左腕の位置を膝か し、膝の皮膚のない部分へ縫いつけら一定の位置に保ち、しかも何ら動 るのであるが、そうするまではあく作に不自由を感ぜず、いろんなこと まで左腕は右脚に対して一定の位置を全部自力でやってのけ、ほとんど に保たなければならない。これが付き添い人の世話にならなかった。 仲々の苦痛でもあれば、困難でもあ そして二十八日が経過し、いよい るわけである。 よその腕から筒状の皮膚の残りの端 そこで、この第二段階と第四段階を切り離して膝の方へ移植したと とを、催眠術の術後暗示 , ( 催眠術か き、患者はただちに自由にその腕を ら醒めた後も無意識的にその暗示に動かせるようになり、今度も又腕に 従わせる暗示 ) を用いて、患者が無も肩にも手の指にも何のシゴリも残 らなかった。例えば、その指で早速 意識のうちにその腕と胴なり、腕と ライターが自由に使え、また背中を 脚との位置を一定に保たせ、しかも うしろへそらして柔軟な姿勢をとる 患者に何らの苦痛も与えぬようにし よう、というのである・この実験の ことも出来た。 これによって、人間は催眠術によ 話をすると、患者は喜んでその実験 る暗示の下では体を不自然な姿勢に の対象になろう、と申し出た。 していても、何らの苦痛をも感じず そこで、まず第二段階の部分を、 催眠術をかけて、手術後絶対に左腕それを一定に保ち、一定期間後その を胴からはなさぬ、という術後暗示暗示を解いて普通の姿勢に戻して をかけてやってみたところ、これが も、何の障害も残っていない、とい うことが、実証されたわけである。 実にうまく行き、手術後の必要期間 中、患者は何の意識的な努力もなし 全く催眠術とは、不思議な術であ に、その左腕を胴の左側の一定位置る : ・ ( 近代宇宙旅行協会提供 ) から動かさず、その上約三週間後次 9

7. SFマガジン 1970年11月号

殺を行ない、 ついでトルコ軍を攻撃しますが、ほとんど全減に近い ロレーヌが近郊の略奪を開始する一方、ゴドフロアはビザンティン 被害をこうむります。もし時間があれば、一〇九七年へ行って、道兵の小隊を捕庸にして、城壁から見える場所で死刑にした。そして ばたにひろがる白骨の山をお見せしますよ。それが、民衆十字軍の四月二日、十字軍はコンスタンティノープルの攻略をはじめた。 未路です。しかし職業軍人たちも行軍を始めています。彼らをなが「ごらんなさい、ビザンティン人はいとも簡単に彼らを撃退してし めることにしましよう」 まいます。堪忍袋の緒を切らしたアレクシウスが、えりぬきの中隊 ぼくは、十字軍が四つの軍団からなっていることを説明した。レを送りだしたのです。復活祭の日、ゴドフロアとポドウアンは降服 ィモン・ド・トウールーズの軍、 / ルマンディ公ロべールの軍、ポし、アレクシウスに忠誠を誓います。これで問題は解決。皇帝は、 へモンドとタンクレドの軍、ゴドフロア・ド・ ・フィョン、ウスタ コンスタンティノー。フルにはいった十字軍のために祝宴を催し、そ ・プーローニ = 、ポドウアン・ド・ロレーヌの軍。十字軍のして手早く船に乗せて、ポスポロスの対岸へわたしてしまいます。 歴史を読んだことのある何人かは、知っている名前を耳にしてうなその数日後には、後続の十字軍・ーー・ポへモンドとタンクレドの軍が ずいた。 到着することを知っているからです」 ぼくらは、一〇九六年の最後の週にシャントした。「アレクシウ その名が出たとたん、マージ・ヘファリンが、感きわまったよう スは、民衆十字軍からひとつの教訓を学びました。彼は、十字軍をな小さなうめき声をもらした。そのときに、ぼくは気づいてしかる コンスタンテイメー。フルに長いあいだ逗留させないことに決めましべきだったのだ。 た 0 聖地へむかうには、ビザンテイウムを通過しなければなりませ ぼくらは後続の十字軍をながめるため、四月十日へとんだ。数千 ん。だが、それをなるべく短期間に終らせるのです。そして市内にの兵士が、ふたたびコンスタンティノープルの城壁のそとにキャン はいる前に、指揮官を呼び、自分への忠誠を誓わせるのです」 。フをはった。彼らは鎖かたびらに外衣といういでたちで尊大にのし っちほこ ・ほくらは、ゴドフロア・ド・・フィョンの軍が、コンスタンティノ歩き、退屈すると剣や槌矛で楽しそうにわたりあった。 1 プルの城壁のそとにキャンプをはるのをながめた。使者たちが忙「どれがポへモンド ? 」と、マージ・ヘファリンがきいた。 しく往復している。忠誠を求めるアレクシウス、それを拒否するゴ ぼくは平野を見わたした。「あれがそうです」 ドフロア。ぼくは細心の編集で、四カ月を一時間足らずに縮め、聖「オウ 地の解放のためには本来協力しあわなければならない十字軍とビザ彼は偉丈夫だった。身長はおよそ二メートル、この時代にあって ンティン人のあいだに、不信と反目がひろがってゆくのを見せた。 は巨人であり、並いる男たちのなかでひときわぬきんでている。広 ゴドフロアは、かなくなに忠誠を拒み続ける。アレクシウスは、十い肩巾、厚い胸板、短く刈った髪。奇妙に白い肌。堂々とした歩 字軍をコンスタンティノープルへ入れないばかりか、飢えで苦しめみ。タフで冷酷な野性の男だ。 て退却させようと、キャンプの封塞をはじめた。ポドウアン・ド・ 彼はまた、他の指導者たちよりも利ロだった。アレクシウスとい ー 05

8. SFマガジン 1970年11月号

「だいじようぶなもんか」・ほくはつぶやいた。「プルゲリア・ドウけ、プルケリアに紹介してもらうのか ? カスーーーあれが、プルケリア・ドウカス ぼくはその考えから慌てて背を向けた。 「だから ? 」 タイム パトロールでは、クーリア ( その他の時間旅行者 ) と 「彼女を愛してる、シュペール、あんた、この意味がわかるか ? 」 ″上″に住む人びとの親交を、特にきびしく取締っている。過去の 住人とのコンタクトは、常に簡略かっ偶発的でなければならないー シュペ 1 ルは、ぽかんとした顔でいった。「馬車が出るよ」 ーオリープの袋を買うとか、ハギア・ソフィアへの道をたずねると 「そんなことはどうでもいい。行くのはやめた。メタクサスに、よ か、せいぜいその程度までだ。 , 彼らと友情で結ばれたり、哲学的な ろしくといってくれ」 苦痛をいやす術もなく、ぼくはめくらめっぽうに通りを走った。討論をえんえんと交したり、性的な関係を持ったりすることは許さ 。フルケリアのイメージが、頭や股のつけ根を燃え上がらせていた。 れない。 特に、相手が自分の祖先である場合には。 ぼくは震え、滝のような汗を流し、すすり泣いた。やがて、どこか 血族相姦タ・フー自体は、さほどおそろしくなかった。すべてのタ の教会の壁のところへたどりつくと、冷たい石に頬を押しつけなが・フーと同様に、これもそんなに深刻に考えるほどのものではないか ら、タイマーを調節し、観光客たちが待っている一〇九八年へシャらだ。もちろん自分の母親や妹と寝るのは、ぼくだってごめんだ ントしこ。 が、プルケリアと寝てはいけない理由となると別に何も思いうかば ないのだ。ビュリタニズムの殻が多少残っている感じはする。そん なものは。フルケリアが目の前に来れば、たちまち消えてしまうこと はわかりきっていた。 それ以後のぼくは、最低のクーリアだった。 ぼくを思いとどませたのが、例の普遍的な抑止力、懲罰の恐怖で 陰気にふさぎこみ、満たされぬ愛に悶々としながら、一二〇四年あったことは確かだ。もし自分の大大大大 : : : 大おばあさんとセッ のヴ = ネチア人の侵略、一四五三年のトルコ人の征服など標準的なクスしている現場をおさえられたりすれば、必ずクーリアをクビに 事件を、 - 月並に、機械的にこなしていった。仕事を最小限に減らしなり、投獄され、まかりまちがえば第一級時間犯罪で死刑を宣告さ ていることを、彼らが気づいていたかどうかはよくわからない。それるかもしれない。その可能性におびえたのだ。 んなことは、どうでもよかったのか。それとも、マ 1 ジ・ヘファリ どんなかたちで発覚するだろう ? ンが悪いのだと、あきらめていたのかもしれない。いずれにせよ、 いろいろな筋書きが思いうかんだ。たとえば ぼくは日程を消化し、彼らを無事に現在に送り届けた。 策を弄し、プルケリアに近づく。彼女と二人だけになる機会をつ そして休暇がはじまったわけだが、・ ほくの心はすでに欲望の虜とかむ。その美しい肌に手をのばす。彼女は悲鳴をあげる。ボディガ ・パトロールは、休暇が終って なっていた。一一〇五年へ行くのか ? メタクサスの申し出を受 ードに捕えられ、殺される。タイム

9. SFマガジン 1970年11月号

たとえばーー一一〇五年六月にジた。二人が保証したのだろう。帰ってきた。フロトポポーロスは、ぼ の骨でしかないわけだ。また ャンプしたとすると、メタクサスから見たぼくは、彼といっしょのくの耳にささやいた。「一一〇五年八月十七日だ。礼をいえよ」 ・ほくは礼をいい、時間局オフィスを出た。 実習行から帰ったばかりの、実力も何もわからぬ青二才にすぎな い。そしてーー・たとえばーー一一〇五年十月にジャンプしたとする メタクサスの屋敷は、コンスタンティノープルの郊外、城壁の外 と、そこで出会うメタクサスは、現在時で三カ月進んだところこ、 冫し側にあった。十二世紀初期においては、このあたりの土地は安かっ る彼であり、当然・ほくの未来を知っていることになる。方向は逆だ た。一〇九 0 年には、野蕃なパチナック人が侵入して略奪をほしい が、これもまた、あまり経験したくない〈不連続。 ( ラドックス〉ままにし、それから六年後には、十字軍と称する暴徒の群が到着す だ。危険だし、それに自分の知らない未来に生きている人間と出会るなど、騒動が絶えなかったからだ。城壁の外に住む人びとはひど い目にあい、多くの豊かな地所が売りに出された。メタクサスがそ うなどというのは、あまり気持のいいものではない。時間局員なら れを買ったのは、一〇九五年。地主たちが、パチナック人からこう ら、誰だって知っている。 むった傷をいやしながら、新たな侵略者の到来におびえはじめてい 情報が必要だった。 ・ほくはス。ヒーロス・。フロトポポーロスのところへ行った。「休暇たころだ。 のときに、おれの家に来いとメタクサスからいわれたんですが、彼メタクサスには、売り手にないひとつの強みがあった。時間線を 下って、アレクシウス一世コムネヌスが統治する、この地方の将来 のいる時点がわからないんですよ」 。フロトポポーロスは用心深く答えた。「なぜ、おれなんかにきの安寧を見定めることができたことだ。メタクサスは、自分の別邸 のある地所が、十二世紀すべてを通じて一度も災害にあわないこと く ? おれはあいつには信用がないんだ」 とを、最初から知っていた。 「現在時との関係を書いたメモでもおいてあるんじゃないかと思っ ・ほくは旧イスタン・フール市にはいると、タクシーをつかまえ、崩 て」 れおちた城壁を通り抜けて、さらに五キロほど進んだ。いうまでも 「いったい何の話だ ? なく、現在のこのあたりは、のどかな田舎ではない。現代都市の火 たいへんな失敗をしでかしたのではないかと、つかのま思った。 、つ色のスプロールがあるだけだ。 だがそんなことはおくびにも出さず、・ほくはウインクして、 た。「メタクサスの居場所を知らないはずがあるもんか。いる時点町から適当な距離だけはなれると、プレートを押し、タクシーを かえした。そして歩道に立ち、ジャン。フにそなえて所持品のチェッ だって、知っているはずです。教えてくださいよ。プロト。ぼくだ って仲間なんですよ。隠しだてする必要なんかないじゃありませんクをした。ビザンティン衣装を着ているぼくを、子供たちが見つ け、時間線をの・ほるところを見物に来た。トルコ語で元気よく話し 5 か」 かけてくる。連れていってくれとでもいってるのだろう。 彼は隣室へはいり、プラステイラスとハーシェルに相談してい

10. SFマガジン 1970年11月号

の時代の人びとの未来を知っているが、彼らは知らないのだ。一一た。長い黒ひげをはなやかに編み、金モールで精巧に飾りたてたロ 七五年のビザンテイウムは、繁栄に酔う、楽天的な都だった。ぼく ー・フをまとった、堂々たる人物だ。その胸には、大きな宝石をちり 8 はただ不吉な前兆を無意味なもののなかに見ているのだった。 ばめ、金箔をきせた十字架の。ヘンダントがさがっている。両手に 現皇帝は、マヌエル一世コムネヌス。優れた人物だが、その長いは、たくさんの指環がきらめいている。高貴の人ニケフォルスが宮 輝かしいキャリアもそろそろ終りに近い。不幸が近づいているの殿から出るところをながめようと、あたりには人だかりができてい だ。コムネヌス朝の皇帝たちは、十二世紀のすべてを費して、一世た。 紀前トルコに奪われた小アジアを取り戻そうと努力してきた。時間彼は馬を進めながら、群衆にむかって優雅に硬貨をふりまいた。 線を一年くだった一一七六年、ミ、レオケファロンの戦いで、マヌばくも、一枚を手に入れた。アレクシウス一世時代の薄い、みす・ほ エルが一夜にしてアジアの全領土を失ってしまうことを、ぼくは知らしいべサントで、ヘりが欠け、すりへっている。通貨の品質は、 っていた。それ以後、ビザンテイウムは凋落する一方となる。だ このコムネヌス家の時代に極端に低下した。だが、悪質な金貨とは が、マヌエルはそれを知らない。知っている人間は誰もいないの いえ、それを種々雑多な取りまきの群衆に投げ与えるのは容易なこ ど。ぼくを除いては。 とではない。 ぼくは金角湾めざして進んだ。この時代には、山の手が市の最重ぼくは、そのすりきれた、油じみたべザントを今でも持ってい 要部となっている。物事の中心は、 ( ギア・ソフィア / 競馬場 / アる。ぼくにとって、それは、ビザンティン時代に生きた大大大・ : ウグスタ工オン区域から、市の北端、防壁の出会う角にある・フラケ大おじいさんが、ぼくに遺してくれた形身なのだ。 ルナ工地区に移っていた。十一世紀の末、時の皇帝アレクシウス一 ニケフォルスの戦車は、皇帝の宮殿のある方向に消えた。ぼくの 世が、古ぼけ、混乱した大宮殿を見限り、なぜかこの地に宮殿を移そばに立っていたみすぼらしい老人は、ため息をつきながら、何回 「ニケフォルス様に神の恵みが したのだ。いま栄光につつまれて、そこに君臨しているのは、彼のも何回も十字を切り、つぶやいた。 孫のマヌエル。そして金角湾に沿った近くの土地に、封建領主たちございますようにー・まったく、すばらしいお人じゃ ! 」 の大家族が新しい宮殿を建てて住んでいた。 、 - 彼こよ、また左手 老人の鼻は、その根元から切り落されてた。 / 冫ー これらの大理石の建物のなかでも、もっとも美しいもののひとつもなかった。 , 後期のこの時代になって、慈悲深いビザンティン人 カぼくの何十代も前の祖先にあたるニケフォルス・ドウカスの屋は、肉体の破損を多くの小犯罪の刑罰として定めた。ュスティ = ア 敷なのだった。 ヌス法典では、ほとんどすべて死刑だったのだから、これは一歩の ぼくは午前中の大半を費して宮殿のあたりをうろっきまわり、そ前進だ。生命をなくすより、眠や舌や鼻をなくすほうがどれだけマ の荘麗さに酔い痴れた。正午に近いころ宮殿の門があき、ニケフォ シかしれない。 ルスその人が昼どきのドライヴを楽しもうと、戦車に乗って現れ「わしや、ニケフォルス・ドウカス様に一一十年もっかえておったん