作品 - みる会図書館


検索対象: SFマガジン 1970年6月号
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1. SFマガジン 1970年6月号

る〉という作業が開始されることになると言えるのではないでしょ rn 美術館 私の使っているカードを見本にお目にかけます。 〈マガジン〉も出ていなかった 原書を読む必要はまずない。 ついたことを二、三書いておくだけにします。 最近いろいろなファンからよくいわれるのは、があんまり多時代ならいざしらず、これだけ豊富に関係の出版物が邦訳で出 すぎて、どれから読んでいいのか手のつけようがないというなやみているのですから、特別な場合を除いては原書をあたる必要はまず ないのではないでしようか。処女作だとか、最近作だとかをどうし です。 まさにその通りで、私なども、まったく手つかずの本が次かても読むとなると原書以外ないわけですが、それもどしどし邦訳さ ら次へと山積して、おそるべき状態になっています。私がを読れつつありますし、むしろ邦訳の枠内でみっちり読む方がはるかに みはじめたころ、先輩からうけた忠告のひとつに、〈自分の好きな意味があると思います。これだって大変なことです。目下開店休業 の「セミナー , では毎回一人の作家をきめて、その人の邦訳全 作家、自分の存きな作品傾向をはやくつかまえること〉というのが 作品をひとつのこらず読んだやつだけで討論するというシステムを あります。これはとても大事なことだと思います。自分の好きな作 家をひとりつかまえただけで、まずは一本のレールがひかれたこととってきましたが、毎回本当に死ぬ思いで読みまくらなければ、追 いっかなかったものです。 になります。こうなったらしばらくは、傍目もふらずにその人のも のだけを徹底的に読むのです。 それはまあ、原書を読むのはカヴコわるいことではないし、英語 この場合、できることなら書かれた順に読んで行くこと。それにの読解力を養成する上にも無駄ではないし、いずれにしろマイナス よって、その人の作品の傾向がどんなふうに変ってきたかをとらえはなにもないはずです。ただし、原書で読むのならちゃんとした作 ることができるからです。また、その人の作品がどこに出ているの品を読むこと。 かを知るには、石原藤夫編の〈マガジン・インデックス〉と大学や高校の研究会の方などで〈アメ 1 ジング・ストーリー などという 〈図書解説総目録〉が絶大な役目をはたします。とくに前者にズ〉を毎月購読して、ゼミナールをやりたいのだが はオリジナルの発表年代がちゃんと出ていますから、読む順序もお質問をうけるたびに、そいつは止めたほうがいいでしようと答える のずからきまってくるわけです。 のは、わざわざ苦労して原文で読むほどの作品がそうそう載っては いないからです。 それから、これは私が物覚えが悪いからやっているにすぎないこ とですが、一篇を読むたびにその印象ゃなにかを一枚のカードにす話が前後しましたが、を読む上になによりも大切なことは、 るのもいい方法でしよう。あとで、もう一度読みたいときも、その 〈ばっかり読んでいても駄目だ〉ということではないかと思う カードをひけば何年の何月号にのっていたかがすぐわかるわけですのです。たとえば小松左京のどの作品をとりあげてみても、必ず感 し、その人の作品に関するカードを全部ひき出してみて、いろいろじるあの怪物じみた迫力が、どこからくるのかを考えてみればすぐ とならべ変えてみたりしているうちに、なにかあたらしいことを発にわかっていただけるでしよう。 見するかもしれません。むしろ、そこではじめて、〈を研究す書く方に限らず、読む方にもおなじことが言えると思います。 ( 新ページよりつづく )

2. SFマガジン 1970年6月号

山野浩一 作品群を起点とし、四方八方へ拡散していったものといえるかも知 れない。もちろん拡散せずに、過去の作品群と同じような意図で書 かれた作品も「ニ = ーウ = ーヴ」と呼ばれているものにはあるが、 「 = ーウ = ーヴ」とは、要するにの新しい傾向であって、明「 = = ーウ = ーヴ」の新しいものとしての意味を理解すれば、そう 解な論理構造によるテーゼを持った運動とはいえないものだろう。 いういい方になるだろう。 従って「ニューウェーヴ」について総括的な分析解釈を行なうこと ここで、あえて図式的に″拡散″といったが、新しい傾向として は不可能であり、「 = = ーウ = ーヴ」という傾向そのものは状況的の状況的な意味を付け加えるならば、それは " 解放。というべきも な意味しか持たないことになる。 のである。おそらく「ニ = ーウェーヴ」の持っ最も重要な意味は しかし、「ニ、ーウ = ーヴ」という名のもとに登場した個々の作″解放″という言葉に代表されるものであろう。 家・作品にある理念は、にとって全く新しい意味を持ったもの この″解放″という流行語ともいえる言葉には、現代文明に対す も多く、いわば、「ニ = ーウェーヴ」の作家や作品の切り開、て、 し、る重要な意味があり、単に、或いは文学におけるニューウェー った新しい世界に「ニ = ーウ = ーヴ」というものの意味を発見するヴのみならず、音楽における「ニ = ー ことはできる。 などの新しいポップミ = 1 ジック ( ここでは「ニ = ーポツ。フス」と ある意味で「 = ーウ = ーヴ」とは、過去にと呼ばれてきた呼ぶ ) 、映画、演劇などの新しい傾向なども同様に " 解放。されよ 若い創造としての 〈ニューウェープ〉と〈ニューポップス〉 過去のとの訣別を宣言するニューウェープの理 念は″解放″をめざすニューポップスのそれと必然 的に共通し、文化変革のダイナミズムを包含する / 放 ー 36 ー

3. SFマガジン 1970年6月号

〈世界全集〉は第燔回配本・第 2 巻ウェ配して医者に相談したり精神分析医に診せた得している。 ( インラインに私淑して作家に ルズの『タイムマシン・透明人間・宇宙戦争』りするが、少年にありがちの空想癖とか憑きなったというだけあって、この作品は、、 惑 0 2 THE TIMEMACHINE AN INVEN- もの現象とみるだけで、それ以上のことはわ星を改造してつくった巨大な宇宙船を舞台と - TION ( (5) THE INVISIBLE MAN からない。だがそのうち、シ、ーが、泳ぎをする ( インライネスクな宇宙小説だ。時は二 ( 富 0 「 ) THE WAR OF THE WORL- 知らないはずなのに転覆したポートからほう一八九年、地球が減びてすでに百数十年が経 尽 0 新 DS ( 03 ( 早川書房・八三〇円 ) の刊行で、りだされた妹を助けたり、と 0 ぜん独創的な過している。主人公は十一一歳の少女だが、十 、き全巻の半分に達した。成績も順調という。 絵を画きだしたり、年令のわりには驚くほど四歳になると植民惑星の一つにただ一人降ろ ウエルズのこの古典について、ここで数多の科学的な概念を持ちはじめたりするに至っされて一カ月、孤立無援で生きぬかなければ 壘くの言葉を費す必要はないだろう。ただ、こて、ゴア夫妻も、チョッキ 1 の実在を信じなならない。これを〈成長の儀式〉と、 ~ れらの古典作品を、ただ古いというだけでー いわけにはいかなくなってくる : : : その結果の試練を通過したものだけが正規の乗員とな ーそのアイデアが後の作家たちに余りにチョッキーが宇宙からの探検者ー教師であるる資格を得る。小説はこの少女の〈成長の儀 、「も濫用されてしま 0 たがためにーー図式的なことがわかるのだが、こうした簡単な筋書の式〉までの二年間をリアルな船内生活を・ ( ッ クに生き生きと描いている。 ' ) 心捕えかたで済ましてお = うと」う怠惰な精神説明では表わせな」味わい 0 深」内容と、ー ~ だけは捨てなければならない。これらの作品 トを、この作品は持っている。異常な言動を創元推理文庫はこのところ、冒険もの ( ホ が意識的あるいは潜在的に含んでいるものはみせはじめた子供に対する男親と女親のそれープの『ゼンダ城の虜』ツカレ 1 の『怪傑 ・「あまりに複雑かっ豊かであり、ある意味ではぞれ異る心配と反応や、十一一歳の少年の成長ゾ。』など ) に力をそそいでが寡なかっ の持つ意義と可能性のすべてを持って、 しと感受性は、この作品を単なる状況小説としたが今月はアンダースンの『処女惑星』 ~ み、るからだ。この機会に、既読の読者も、・せひてのの枠から大きくはみださせている。 VIRGIN PLANET ( 一九五九年・榎林哲 もう一度読み返すことをお奨めする。 侵略テーマ、 コンタクト・テーマのウインダ訳・一七〇円 ) が出た。三〇〇年まえ遭難し た宇宙船の生き残りからなる惑星フリーツー ハヤカワ・・シリーズの二冊の新刊ジムの、遺作として恥かしからぬ佳作である。 ョン・ウインダムの『宇宙知性チョッキー』 パンシンは今年三〇歳の新進作家で、このンの住民は、しだいに科学・技術を忘れて野 CHOCKY ( 一九六八年・峯岸久訳・二九〇作品を含めて五冊 ( うち一冊は傑れたハイン生化し鉄器時代に退行していたーーしかも彼 円 ) とアレクセイ / 、 ・。、ノシンの『成長の儀ライン論として高く評価されるエッセイ ) のらは女ばかりだった。特権階級が女だけを生 式』 RITE OF PASSAGE ( 一九六八年・本の著者である。本書は、その第一一作にあたむ処女生殖装置を操り、この女護島の秩序を 深町真理子訳・四三〇円 ) は、べテランと新り一九六八年度のネビュラ最優秀長篇賞を獲守ってきたのだ。 ところがある日そ 人の最新作だが、いずれも一種爽や こへ、宇宙探検家 、・かな読後感を持っ佳篇だ。 実 ーラムの宇宙船 ウインダムは去年 ( 一九六九年 ) 三月六十五歳で惜しくも逝き、この 正 キが振動渇流にまき ョ ッこまれてまぎれこ , 作品はこの特異な作家の遺作とな「・ シ島 ョむ : : ・・アンダース た。主人公ゴア夫妻の養子マシ、ー第 ク一邑 が、十二歳の春から、異常な言動を ン十八番の、アマ 性 ゾーヌ伝説を下敷 するようになる。思いもかけない質 知 い 外 宙にしたユーモラス 問をして大人を困らせたり、ひとり 当 海 宇なスペース・オペ ごとをいったりするのだ。そしてそ、、 3 第 日一 を当れは、目に見えない架空の存在チョ ッキーのためだ 0 た。ゴア夫妻はむみ、、 ) ℃ A 'HAYAKA 、 MA SC 、 CE 円 0 物 02 当を R ー ES に

4. SFマガジン 1970年6月号

にて』『世界の小さな終末』『ニュ 1 ョ 1 ク情報ではなく、新 切り抜きから しい思考回路の提 「だんだんに、文学の領域全般にわたって侵略さる』の三つのを扱っている ) 司 的趣向がはいってくるんじゃないかしら」 「 ( 深沢七郎の『楢山節考』は ) 不快な傑作で供といえる。整理 ( 『新刊ニュ 1 ス』 3 月 1 日号の座談会でのあった。何かわれわれにとって、美と秩序へされた情報はいく ョ 福永武彦の発言 ) の根本的な欲求をあざ笑われ、われわれがらでもあるが、そ 「これらの作品はいわゆる純文学畑、ことに″人間性〃と呼んでいるところの一種の合意の分類境界を無視 ク石 わが国のそこでは、ほとんど話題にされること約束を踏みにじられ、ふだんは外気にさらし新回路を作るこ ともなければ論じられることもないが、かなされぬ臓器の感覚が急に空気にさらされたよころみをするの り多数の上質の読者を持ち、その知的アク 0 うな感じにされ、崇高と卑小とが故意にごちに、ほど適当本 当 日 ' ( ットを歓迎され、愉しまれているようであやまぜにされ、″悲劇〃が軽蔑され、理性もなものはない。 日一 、る。ウ = ルズや ( クスリーやチャベックの名情念も二つながら無意味にされ、読後この世の評価はここで を持ちだせばたちまちガクガクと論じられだにたよるべきものが何一つなくなったようなきまる」 ( 星新一 すのに同じ川の分流であるこれらの作品があ気持にさせられるものを秘めている不快な傑『の課題』 作であった。・ ・ : そのような文学上の傑作と東京新聞 3 月 6 、 7 日付夕刊ーから ) , 第まりにもとりあげられなさすぎるのは、、、 にも不公平である」「諷刺の笑いは巨人化かは何だろうか。私はその後、もう一度このよ 、一、矮人化かの、いずれにしてもとほうもない誇うな体験をしたことがあるが、それはアーサ倉橋由美子『ヴァージ = ア』 ( 新潮社・ 3 ・クラークの『幼年期の終り』を読んだと 70 円 ) は近作三短編を収めてあり、そのう 8 。張からたちの・ほる生体反応たが、最終兵器は こ。その物質としての本性からして現代に無数のきであ 0 た。クラ , ・クのこの作品は、私の読ち『霊魂』が " 境界作品。として注目され 小スウイフトを生みださせる素地を日常としんだおよそ百篇に余るのうち、随一の傑る。死んだ恋人の霊魂と同棲する青年の話 ッ学て露呈している。スウイフトは狂疾から理性作と呼んで憚らないものであるが、『幼年期で、川端康成の『片腕』に似た味わいがある。 福永武彦『加田伶太郎全集』 ( 桃源社・ 9 新の物語を編みだしたが、現代では若干の閑暇の終り』は徹頭徹尾知的な作物である点で、 8 0 円 ) に、船田学のペンネームで十二年前 と才智がありさえすれば、全身を朽ちさせる『楢山節考』とは正に対蹠的でありながら、 に発表された本格短篇『地球を遠く離れ ( も狂疾に浸らなくとも誰でも容易に効果的な痛その読後感のいいしれぬ不快感は共通してい 罵の物語を書くことができるかのようであるのである」「或る種の小説は、たしかに浄て』が収録された。木星探検に出発した宇宙 る。それがあまりに容易なので、最終兵器は化を目睹してはいるが、その浄化がわれわれ船の運命をサスペンスフルに描いたカ作だ。 、 2 、物語の道具としては避けたいと、いくらかでの信じている最終的な矜りを崩壊させること科学読物では、都筑卓司『「ツクスウ = ル 〕破も鍛練された作家は趣味から考えるわけであと引代えでなくては与えられぬように仕組まの悪魔』 ( 講談社・ 290 円 ) がファン : ・これは道具が原爆であろうと、子役れている」 ( 三島由紀夫が『波』に連載中の向きの好著。中岡俊哉『怪奇がいつばいの国 南米ふしぎ旅行』 ( 芸文社・ 330 円 ) であろうと、ライ病、刑務所、密室、無人工ッセイ『小説とは何か』第十回ー 3 ・ 4 月 と同『世界驚異人間物語』 ( 波書房・ 4 2 0 〕 & 島、難破船、強制収容所、独裁社会、すべて号ーから ) " 極限。と呼ばれる状況設定にあた 0 てかな「根源的問いかけの重要性はさらにます一方円 ) は、例によ「て " 世にも不思議な話。を 。一らず考慮されなければならない点である。 であり、その対象となるものも多くなる一方こまめに集めてある。 ″極限“の物語の困難さはあまりに容易に状である。そこにの意義がある。投石やゲ雑誌では、『推理文学』陽春特別号の海渡 一 , 況設定ができるということにあると思われ・ ( 棒とともでなく、それを娯楽化して提供す英祐『″希望〃の死』 ( 地球に似た未知の惑星 る」 ( 開高健が『文学界』に連載中のエッセるのが作家の役目だと思う」「規格化へに着陸した四人の乗組員を襲う連続殺人の恐 霹イ『紙の中の戦争』第十回〈愉しみとしてのの抵抗は、根源的問いかけとともに、こんご怖 ) が面白かった。同人誌『パラノイア』復 原爆作品群〉ー 4 月号ーから。この回は『渚のの課題である」「これから重要なのは刊第 1 号が問題意識にみちた編集で充屮。 >S F でてくたあ

5. SFマガジン 1970年6月号

のあげく、次に出て来る革新的なものに脅かされ、ついに破壊され もだれにでも合うように調整して提供していた。 しかし、これにはまた極端な反対論もあった。これが観客を完全てしまったのだ。 に骨抜きにするおそれがあゑというのだった。こうした批評も感良かれ悪しかれ、感覚器は存在した。プレインはその分け前にあ 覚器に同化するときの、あのえもいわれない快感の前ではききめがずかるべく店へ入って行った。 うすかった。事実、人妻のなかには日中うつろな目をして歩いてい いろいろの型のモデルを調べた後、値段の手頃なべンデックスの るものが多かった。それはいわば、終えることのない輝かしい夢に プレイヤ 1 を買った。それから、店員のすすめで、人気のあるレコ つながれた現代の神秘だったのだ。 1 ディングを三枚選び、それをかけさせるために試聴席へ持って入 本を読んだり、テレビを見たりするとき、それと一体になるため には、かなりの努力が必要だ、と批評家はいう。しかし感覚器の場った。額に電極をつけて、最初の一枚をかけた。 それは大衆的な歴史もので、ひどく口マンティックなシャンソン 合には、たちまち魂までうばわれ、。強烈に、鮮明に、心の奥にまで ・ド・ローランの演奏だった。低強度で、しかも作中人物が感応者 入りこんできて、そのあとに夢が実人生よりもすばらしく望ましい と同化しない技法によって作られ、大戦争の効果と大軍の動きをよ ものだという危険な精神分裂病的印象を残す。このような印象は、 冫をしかない。感覚器は危険なもく表現していた。夢が始まった。 たとえ事実だとしても、許すわけこま、 ・ : ・フレインは、あの運命をはらんだ七八七年のある暑い八月の のだ ! なるほど、ある程度の芸術作品がこのような感覚状態で作 られてはいる ( ヴェロホーやジョンストンやテルキンは認めないわ朝、ローラン軍の後衛といっしょに、ロンスヴァルの峠に立って、 ミケルセンも有望だ ) 。しかし、すぐれた作品はシャルルマーニュの軍隊がフランクランドに向ってゆっくり迂回し け・こま、 あまりない。危険な心霊的効果や大衆の趣味の低下や、完全な受動て行くのを見つめていた。疲れ切った老兵が拍車を青銅のあぶみ留 的傾向なども考えあわせれば、やはりこれは : めにがちゃっかせ、革をきしませながら、後弓の高い鞍にどっかと 次の世代には、人は読んだり、考えたり、行動したりすることが跨がっていた。あたりには松と汁の臭いが漂い、壊減したバムペロ ナからかすかに煙があがり、油を塗った鉄と、かわいた夏草の味が できなくなるだろうーー批評家たちは警鐘を鳴らしていた。 こうした声は高かった。だがプレインは百五十二年前に、これとしていた。 プレインはそれを買うことにきめた。つぎの高強度のレコーディ ほとんど同じ意見がラジオ、映画、漫画、テレビ、単行本にたいし てもいわれていたことを思い出した。評判の小説は、純粋な詩美かングは、金星上の追跡で、感応者は追われる男ー、ーじつは無点の男 ら逸脱するものであるとしてひどくたたかれる。革新的なものは何と自分を完全に同化させられるのだった。最後のは「戦争と平和」 でも文化を破壊するものとみなされる。だが結局は、それが文化的の不定強度レコーディングで、ときどき作中人物と一致する箇所が 3 な主題となり、古き良き時代の権化、黄金時代の精華となり・ー・そあった。

6. SFマガジン 1970年6月号

ハヤカワ・ノヴェルズ / 最新刊 0 箱入クロス装特製本 4 X 6 判 定価 70 第 1 回配本 ・好評発売中 なぜぼくらはヴェトナムへ行くのか ? 那高忠二訳¥ 1 , 000 メイラーは題名に反して , ヴェトナム戦争について一度 もしゃべらない。彼はアラスカ山中での残酷な , 卑猥な 熊狩りについてのみ語る。しかし , この熊狩りとヴェト ナム戦争との怖るべき類似性を , われわれはいやでも思 い起させられる。アメリカの野蛮さ , 愚かさ , 不面目さ をこれほど見事に , 淫猥に描いた小説は見あたらない。 0 全巻全容 I なぜぼくらはヴェトナムへ行くのか ? Ⅱ夜の軍隊 ( 5 月刊 ) Ⅲ月にともる火Ⅳ偶像と蛸 V マイアミとシカゴの包囲 ・近刊 ツオグ ソウル・べロー / 宇野利泰訳①¥ 980 『同の . 王ー、ンダーソン』 由」ゞらりんの男』と、わカゞ 国でも初期の作品か、紹介されて、偉大な才能の片鱗を み、一女台めたソウノレ・ - べロ 『イ彦理屋』のマラムード とともに現代アメリカ文学最高の作家といわれるべロ ーの待望の傑作 ! 1 9 64 年度全米図書賞受賞作品 /

7. SFマガジン 1970年6月号

と「 = 、ーウ = ーヴ、に共通する理念は確かにあるといえるだろ作家がいかに優れたものを書いても文学として認められず、三島由 紀夫や北杜夫の作品はではなく、「ヌヴォーマン」を研究し う。そしてそれが″解放″という言葉で表現されるものであり、 ている人たちはパラードなどには眼を向けず、シュールレアリスム ″自由″自然〃というようなものである。 、ージックのルールもの愛読者たちは大部分など読まない。 ジャンルとしての cn やポビ 4 ラ もちろんオールディスや・ハラードの作品が、いわゆる文学体系に ″管理″であれば、ヴェトナム戦争も″管理″世界の産物であり、 シュールレアリスム理論が「ニュ 小市民的な日常生活も″管理当世界である。それらに対し″解放″認められる必要など全くないが、 を呼びかける声こそ、「ニ、 1 ポップス」「ニ = ーウ = 1 ヴ」の最ーウェーヴ」にとって重要な意味を持ち、またパラードの作品がそ も大きな役割といえよう。 れを実現したものの一つであることは確かである。「浜辺に寝ころ んだ健忘症の男と、銹びた自転車の間の本質」という・ハラードの言 葉は、そのままシ、ールレアリスム理論であり、おそらく・ハラード Ⅲアベンディクス は、ジ、リアン・グラックとともに現代に新しいシュ 1 ルレアリス 三島由紀夫はかって「は自由な小説であ 0 てほしい」と述ムを開発している作家といえるであろう。また、・「ヌヴォーロ ン」と呼ばれる思弁的小説も「 - ニューウェーヴ , に実現しており、 べ、安部公房はを「名づけ得ないもの」であれと述べている。 これらは「 = ーウ = ーヴ」の考え方と共通しており、英国に ( ッ外観を描写せず本質を書くという方法が自由に展開されている。・フ クスリイらがあるように、日本にも安部公房のようなと呼ばれランシの述べるような、すてべの因果律から離れて文学そのもの たるものは、やはり完全な解放によって生まれるものである。ポル ないがある。さらに、日本には世界的な大文学の伝統はなく、 常に新しい文学に対する研究がさかんで、世界の現代文学が次々と〈スの追い求めた″迷宮。も、ノサックやャーンの精神世界も、す べて「ニューウェーヴ」に展開できるものである。 訳され、読まれている。 しかるに、日本文学界は、かくも熱心に英仏独米ソからインド、 こうした中で、日本に「ニューウェーヴ」が受け入れられるのも 時間の問題と思えるのだが、ただ一つ、それを不可能にするものがアルゼンチンまでの文学を研究しながら、日本にはアンチロマン あるとすれば″解放″という考え方の貧困であろう。だからこそ、も、シュールレアリスムも生まれず、わずかな日本文学の伝統体系 このエッセイで、特に解放、解放と叫びまわったのであるが、日本において細々と生息し続けているのだ。 ほど小説が″純文学″″中間小説″大衆小説石″歴史小説″プ今こそ「ニ、ーウ土ーヴ」の名の下に、すべてから解放され、現 ロレタリア文学″″推理小説″″空想科学小説″″純愛小説″″異代人の生の文学として小説が生まれるべき時ではないか ! 色文学。 " 冒険小説。 " 少年小説。などと細かく分かれ、それそれ「芸術家が否認するのは、すべての制度や体制が絶対たることを要 がジャンルとして孤立している国はないだろう。事実、大衆小説の求する致命的な傾向なのである」 ( ノサック )

8. SFマガジン 1970年6月号

一をま一 ン、エース亠ーヴォンと、もう一つは・ハーグリイるし、それらでもやはり売れるを だが、これも負けじと同じような広告を雑誌にの掘りだそうと、ある程度の努力をして せ、水準を竸いはじめた。ロ・ハ ・ < ・ハインラいることは疑いない。だが実績では、 イン、クリフォード・・シマック、キイス・ロー先の四社が大きく水をあけている感じ マ 1 をビッグ・スリーとして、ほかに注目の新人ジなのだ。過去一一年間に、・ほくがこのコ ョン・ポイド、べテランのチャ 1 ルズ・»-ä・ 1 ネラムで紹介したは、二、三の例を ス、フランク ハ 1 ト、エドマンド・クーパ除いてすべてこの四社から出版されて / 1 ドカバーで紹介したもの 、そしてデーモン・ナイト編のオリジナル・アンいる ( 、 も、のちには四社のどれかから出てい ソロジイ 0 ~ 、 ( 既刊五点 ) ・ さらこく 冫ノークリイのご自慢は、一人の作家 ( あるる ) 。 いは編者 ) の有名な作品を、豪華な箱入りのセット で売りだしていることだ。ロバ ート・・ハインラあたりはずれも、もちろんなかには デーモン・ナイト編『オービット』 インの洋ト、ミ ~ ・。洋 C 。、、円、洋と銘打つあるけれど、この四社だけが、なぜと た箱入りセットには、『異星の客』『月は無慈悲なびぬけているのか。 夜の女王』『宇宙の戦士』の三長篇に、アンソロジ パランタインだけは、に昔から理解のあるイちがいなくおもしろいを常に出版し続けていれ イ To ミミ・きミ the Stars ( 明日は星へ ) がはいアン & べティ・く / ランタインが、率先して作品の選ばいいわけだ。『アンドロメダ病原体』や、クラー って定価三ドル七〇セント。三分冊となったハ 1 ラ択にあたっていることは知っていたが、あとの三社クの『宇宙のオデッセイ 2 0 01 』みたいに、爆発 ン・エリスンのしミ ~ g ミ・。ミ。、冫は、定価二についてはその疑問がとけたのは最近のことであ的に売れるはまだ少ない。莫大な利益をあげよ ー・ハック出版社にとっては、 ドル八五セント C ハランタインでは、トルキーンのる。 うとする大きなペー The ト。こ of 、ぎ 5 三部作を、数年前箱問題は、要するにあたりまえのことで、編集者のはまだ頼りにならない分野だろう。だが、それ 入りで出版しているが、作家ではまだそれをやに対する情熱と理解の深さなのだ。を理解らの会社が、でさほどの利益をあげていない理 っていない ) 。 する編集者が、それの出版に情熱を燃やせば、優れ由の一つは、編集者がをあまりにも知らなすぎ 部門を持っぺ 1 し ( ック出版社はほかになた作品は必然的に集まり、部門全体の売れゆきるからだ。ろくに読んだこともない作家の原稿 を行きあたりばったりに拾って出版したところで、 しわけではない。。ヒラミッド、ランサ 1 、デル、。 へも伸びる。 し ( ック・ライプラリイ、ベルモント、シグネまた逆に考えれば、月着陸が成功した時代であそんなものが売れるわけがない。あなたにもお・ほえ ット、・ハンタムなど大小とりまぜて十以上の出版社る、潜在的な読者は急速に増えているはずで、はあるだろう、を読みだしたばかりのころは、 が、それぞれ年に数点から数十点のを出してい彼らの心をとらえるには、ランダムにとっても、ま相当な愚作でもけっこうおもしろく読めるからだ。 0 0 0 0 0 0 袱れ袵 0 松依し 65 , 羅 & s Lts ノー総 OB ー・以し出閉乢破・え応 ER R 料 4 , 動巫 0 国 0 夏ま 、スキ ) ャ 以 7

9. SFマガジン 1970年6月号

『イ 3 守ー ジョン・キリアン・ヒューストン・プラナ ーは , S F その他の分野で五十冊余りの著作 がある , 本年三十六歳のペテラン ( ? ) 作家で す . 一九三四年生まれのイギス人。六歳の とき , 誰かが育児室に置き忘れたウ工ルズの 「宇宙戦争」を読んで S F にとりつかれ , 十 七歳で最初の長篇を出版しました。以来 , 才 気に富んだスマートな作風で大西洋両岸に名 をあげ , 大な未来小説 Stand on Zanzi- ( 1 % 8 ) で念願のヒューゴー賞を獲得し ました。この「思考の谺」 ( 1 8 ) は , 彼の 二十四歳のときの作品ですが , 終始ロンドン の一郭を舞台にしていながら , 結末でその背 後にある壮大な時空のひろがりを暗示させる あたり , やはりなみなみならぬ力量を感じさ ( 訳者 ) せます。 へあ、・ノ に一 . なへ

10. SFマガジン 1970年6月号

してもひろく知られ、たくさんの作品をのこしています。 聞きたい ハロウズの作品の表紙絵や挿絵を描きはじめたのは一九一九年以くらいで 来のことで、それ以来、戦後のポケット版でロイ・クレンケルやフすが、そ ラゼッタが現われるまで、・ハロウズのイラストといえば、アレン・ もそも評 セント・ジョン以外には考えられなかったくらいです。 論家と研 彼が関係の仕 究家は全 事をしはじめたのは 然ちがう 一九四〇年代初頭の 性質のも ことで、当時〈アメ のです。 ジング・ストーリ Tu が好 ーズ〉の編集長であ きでせつ ったレイモンド・ 1 マーによって迎え を読んで られ、死去する数年 いる人を 前まで同誌と、それ 一そのまま から姉妹誌の〈ファ カ研究 ンタスティック・ア 家と称し 整 ドヴェンチュア〉の 書 ても、こ 蔵 表紙絵やイラストに れは決し の 筆をとっています。 者 ておかし 筆 くありま O ・ほくは評 せんが、 論家か研究家になり 評論家と たいのですが、どん なるとそ な勉強をすればいし うはいきません。に対する深い洞察とひろい視野をはじめとし のですか。 て、要求されることは無数にあります。 ( 九州中学生 ) 類 そこで、この問題についてはまたべつのところで考えていただく 大変むつかし として、ここでは研究の第一歩、つまりを読むうえで気が い質問で、こっちが ( 四ページにつづく ) ィいレ 'AlRTICLEéi4 ー引 B 凵 0 資科 1 9 与 : ASF ・ AMZ•±、に ・ FA ・ FFM 0 一 CAT こ 作家名 町題 州談 領も 発表諟 V C . 年月 P チ日 3 上 同 6