一九一七年 ( ロシア革命の年 ) 以降、ロシア語で出版されたソビ エト作家の作品は一六二四点 ( 再版を含まず ) 、そのうち、一 〇〇〇点は過去十年間で出版された。外国のについては、ジュ ール・ヴェルヌとウエルズは除いて一二〇〇点。毎年出版される点 年 数は、ソビエト作家の作品が一〇〇点を越え、外国のでおよそ 五〇点。だけの総出版部数はロシア語のものだけで三〇〇万部 にの・ほる。これに、ロシア語以外のソ連領内の諸民族語で出版され 一チているものまで加えるとおびただしい部数に跳ね上ることは間違い タない。しかも読者の大部分が青少年である。これは放置しておくべ ンき状態ではない。したがって文学批評の側面からをマークする 第 ア 価値は充分にある。いったいの思想的、美的、道徳的背景とな っているものはなにか ? とその論文の筆者ワレンチン・スヴィン 一一コフは論文を始めている。 ますます尖鋭化している一一つの世界観 ( あっさり二つなんて して権威のある専門誌「外国文学」 ( 編集責任ソ連作家同盟 ) が発 表した「なぜあなたは作家になったのか ? 」というアンケート に対する、主として外国作家の回答に端を発している。回答を寄せ た作家は次の通りである。アイザック・アシモフ、ポール・アンダ スン、ジェイムズ・プリッシュ、フリツツ・ライバ ン・ナイト、フレデリック・ポール、レイ・ブラッドベリ ( アメリ カ ) 、・フライアン・オールディス ( イギリス ) 、ビエール・・フール ( フ ・クルプ ヘルベルト・ ランス ) 、 ・フランケ ( 西独 ) 、ギュンター カット、ハインツ・フィヴェグ ( 東独 ) 、クシュシトフ・ポルン ( ポ ーランド ) 、ヤン・ヴェイス、イヨゼフ・ネスヴァードバ、・べ ゴウネク ( チェコスロヴァキア ) 、ラドウ・ノール、イオン・ハく ナ ( ルーマニア ) 、ヨルダン・ヴィルチ = フ C フルガリア ) 、以上外 ( : 国作家の他にソ連の作家として、ストルガッキー ( 兄 ) とゲン ナージイ・ゴ 1 ールの二人がアンケートに答えている。 第い ィををを第こ三を第 矼気 第 0 くタト S 第シリース 2 ハリ 4 ・ハリ人ン祖扁集
深見弾 本誌四月号の〈世界情報〉でオーストリア ( オーストラリアの問題をセンセーショナルに扱うあまり、つい筆が走り過ぎたと思 とあるのは誤り ) のフランツ・ロッテンシタイナが、いささか誇張われるふしがないでもない。かれの情報によれば十五巻までで刊行 して報じたソ連界の最近の様子が「ソ連界に整風」としてが中止されたことになっている「現代文庫」 ( 〈世界情報〉 には「世界シリーズ」となっている ) は今も健在で、第十六巻 紹介された。 、ート・シェクリイの短中篇十一篇を収め、最近はロ・ハ 情報提供者であるロッテンシタイナは、ポーランドのスタニスラ フ・レムとも極めて密接な関係にあるようで、欧米の社会主義圏マールの『人間的動物』 Un animal doué de raison が第十七巻と 研究家、紹介者として、相当に精度の高い情報を入手しているこして出版され、市場に流れた。第一巻が出た一九六五年当時の企画で とは間違いないようである。地理的にも、政治的にもオーストリアは全十五巻で完結することが「文庫」の予約購読者には分っていた のだから、かれはおそらくその後なんらかの方法で十五巻以降も続 という場所は、日本などとは比較にならぬほど有利な条件にあり、 虚実こもごもの情報が流れ込む所だと思うと羨ましいかぎりであ巻が出ることを知っていたに違いない。そうでなければ話のつじっ る。シベリアのせい・せい三〇〇〇部ていどの一地方誌の編集長が首まが合わない。しかも、編集委員の顔ぶれの中で、第一巻から最新 刊の第十七巻まで終始名前を連ねているのは、ソ連界の第一人 になったというような情報は、とても日本では入ってこない。 ところが、日本にいても間違えようのない確かな出版情報で、か者イワン・エフレーモフは当然として、アルカジイ ( 兄 ) ・ストル ガッキーとエス・ジェマイチスの三人だけである。ストルガッキー アルカジイ・ れは大きな誤報をやっているのはど ストルガッキー がソ連界からすでに葬り去られたかのような印象を与え . るロッ ういうことだろうか ? これでは、 こよ多少誇張があるのではないかと思われてや 他の貴重な情報の信憑性も疑いたくテンシタイナの話冫ー なる。日本でもベストセラーになつむを得ない。 ラッセル、ハイン かれが「今はない」といっている「ベスター ービ・ヤール』の著者クズネ 1 くックのアンソロジ ' 4 ツオフのイギリス亡命で、ソ連の文ラインなどの短篇を呼び物にしていたペー 壇が世界の注視の的になっている時イ・シリーズ . 」とはおそらく〈知識〉出版社の年鑑『ア ンソロジイ』に間違いないと思われるが、残念ながら ( ? ) 今も健 に、それとからめてストルガッキー 詳報・ストルガッキー事件 ー 68 ー
在で、最近筆者の手許に第八巻がとどいた。しかしロッテンシタイ ナが出版中止と誤解したには、それなりの理由がある。それは第七 巻が一九六七年に出版されて以後、今回の第八巻が一九七〇年に出 版されるまで、なんらかの理由で中断されていたことである。 第八巻は表紙の装幀こそ今までのものとまったく同じであるが、 文 外国作家の作品を一点も載せていないことと、今までになく巻頭論 文ともいうべき「科学とファンタジイ」と題したエス・ガンソフス 、ー ( ~ を物代 キーの論文を載せていることである。その上、版型を少し大きくし たとはいえ、べージ数を大幅に減らしている ( 今までは、二七〇 ~ 三七〇ページであったものが、一七〇ページになっている ) 。ハイン れ ライン、ベスタ ー、ラッセルなどの作品を積極的にソ連に紹介しょ うとしたアンソロジストであるイエ・プランジス、ヴ = ・ドミトレ、 フスキー、そして。ハルノフなどが排され、堅実派と目されているエ ス・ワルシャフスキーが編者に登用されるまでの経緯については詳 しいことは分らない。しかし、青少年を対象とする出版物が大きな因はさておくとしても、実際に出版が中断されているのであれば、 比重を占めている〈知識〉出版社は、ソ連の出版界でも独自の体当然読者に知らせるのが義務であるわけだが、マガジンにも比 制と流通機構を持ち、影響力も大きいことから考えると、このアン較的よく紹介され知られているユニークなアンソロジイ ( 年鑑 ) ソロジイについても相当深刻な論議があったのではないだろうか ? 『ファンタスチカ』も、その″焚書リスト″に載せなければならな 〈世界情報〉では触れられていないが、ロッテンシタイナがい いのかといささかゆううつだったが、この原稿を書いているところ ここに紹介した うようにベトナム戦争に対するアメリカの作家の態度が、ソ連へ最新刊がとどいた。出版部数も減ってはいない。 でロシア語に翻訳する場合に、雑誌の編集者が作品を選考するとき最新刊の写真を見て読者は一九六八年度版がどうして最新なのかと のある種の基準になっていたかもしれないし、おそらくは今でもそ不審に思われるかもしれないので、ソ連の出版事情を若干説明し うであることは考えられないことではない。しかし、今でも、〈世て、理解していただきたいと思う。六月号の雑誌が四月に店頭に並 界〉出版社が意欲的に「外国の」シリーズ ( これまでに日本ぶ日本などと違って、ソ連では、その月に雑誌は当月号が出る。ま 短篇集二点を含む四十点以上が出版されている ) が出ていることた年鑑類はすべて、出版年の前年度版が出る習慣になっている。日 や、「現代文庫、のことを考えれば、ベトナム戦争に対する作本的にいえば一九六九年度版となるところである。そのため、『フ 家の態度云々ということも原因としてあげるには少し無理があるよアンタスチカー一九六八年版』は一九六九年末に出版され、国外で 入手できるのは郵送上の問題もあって翌年即ち今年の四月になった 6 うに思える。 0 ' テンシタイナがいう出版中止の憂目をみた刊行物として、原わけである。したが「て、『フ , ンタスチカ、一九六八年版』は最一
『水虫』などという言葉に、たつぶり意味を持たせるなどというこ雑誌にも、アンソロジイにもかれの作品は載らなくなっている。ま とになれば、魅惑的な特徴などとはいえない。 た単行本としてもかれの作品は新刊、再版の別なく出版されなくな 多分、ストルガッキーにしてみれば、『破滅への遅々たる歩み』 っている。しかし、ロッテンシタイナがいうように、継続出版物が を今までになく腕によりをかけて書き上げたつもりだろう。日常的刊行中止になったり、極端に発行部数が減ったり、外国作家の紹介 なこまごまとしたことを具体的によく書き込んでおり、宇宙的なこに厳しいその筋の干渉があるというような気配は今のところそれほ とに″家庭的団欒″の雰囲気をあたえて効果を上けている。そのこど顕著ではない。ソ連界に整風が吹くとなれば、世界の界 とはこの作家の円熟したよい側面である。しかし、わたくしにいわにとっても、また文学一般にとってもけっして黙って見過ごせる間 せれば、節度の感覚が変れば、その側面も、かれにとっては裏目に題ではない。 出る。 今年の夏に開かれる国際シンポジウムにはソ連からも参加者 さらにここには、″セックス・・ノイローゼ″にかかった男の横面があり、日本側からの要望として日本の翻訳者であるゼ・ラヒ を張りとばして、再教育するというようなわけのわからない嫌な場ムや、当のストルガッキーを参加者リストに加えるようソ連作家同 面が、随所に出てきたり、他の娘を愛している男が、食堂の女主人盟と話しあっている。この機会に、さらにソ連界の事情が知ら が忙しくない時には、夜毎、彼女の所へ寝に行くのをただ黙って見せられれば、日ソ界のみならず世界のにとっても有益なこ ( 筆者はソビエト研究家 ) とと思われる。 ているだけの肯定的主人公がでてきたりする。 『人の住む島』でも、ストルガッキーは女性について、実になげや りな、中途半端な文章を書いている。「かれは立派な男だった。だ から女検事であり、文字通り冷たい、上流階級に属する女であるこ の婆さんは、検事の目にはとっくの昔にもう〈女〉ではなく、ただ の同僚にしか映らなかった。だが、マーク ( 検事 ) がはじめて彼女 はたち にあった頃は、二十前後にみせかけ、ごく自然に振るまったもので こういった文章のどこに価値があるのだろうか ? ある」いっオし ソビエト芸術としての文学作品であれば、どんなものであれ思 想、社会主義ヒ = ーマニズム、人間と人間の精神力にたいする信頼 この点からいうと、最近のス につらぬかれていなければならない。 トルガッキーの作品、ことに『トロイカのおとぎ話』についてはい うべき言葉がない 結論としていえることは、ストルガッキーの文学活動は今までの ように自由ではなくなっていることはほ・ほ間違いないようである。 (J)LL 図書解説総目録 ■戦後二十三年間に国内で出版された全 図書を網羅。解説付。 5 判 / 六百ページ ■価千八百円送料二百円 ( 現金書留のこと ) 盟御要望多数のため増刷いたしました。 ■申込先東京都渋谷区神宮前三ー 〒一五〇石原藤夫
建造、七六 0 億電子ポルトまで加速するこ フランス館の二階には三年前から発電を とができるが、説明不足で一般観客はチン 団原子力関係の展示 叫開始したランス潮力発電所の模型があり、 。フンカンプン。自由主義国の原子物理学者 聞三階の五面スクリーンの一つは深海艇の紹 に対する一種のデモンストレーションなの Ⅷ介映画がうつる。 かもしれない。 この分野も大国であるソ連とアメリカは 日本館は二号館の二階に「日本の海洋」触れようとしていない。いまさら原子力で フランス館は素粒子学、原子核研究、原 Ⅲとして潜水艇のシミレーター ( 映画館形もあるまい、というところか。 子物理学の全般にわたるダイジェスト展 岡式、四面スクリーン、一五 0 人定員 ) と波 ただ一つソ連館の宇宙コーナーの一角に 示。原子力庁が国内十カ所の原研や大学と 回浪発電の実験水槽がある。人工的に波を起世界最大の陽子加速装置の模型 ( といって協力して開発した原子力機器、たとえば粒 回して、その波力で最大五〇〇の電気をもティス。フレイ用の簡単なもの ) が展示し子測定用に開発中の「泡箱」の模型を公 作りだし小さなランプを点減する。 てある。一九六七年セルプーホフ市郊外に開。このほか放射線の応用器材、測定器、 未来の海底開発を具 ミニカーを使った自動車ゲーム ( 自動車館 ) 川体的に見せてくれるの Ⅷは三菱未来館で「三菱一 ( 影ッ 朏開発区、の海底都市、 ~ 。 耻油田、鉱物採掘、海底、 ( ス航行などが展示さ「一 叫れている。 ソ連館は井戸式スク ロリーンに海底の記録映 画を映写するだけ。具 体的な開発計画の説明 ーはなにもない。 総合的にみて海洋開 発に関する展示は各国 Ⅷともお座なりすぎる。 恥国際見本市のほうがは るかに充実していた。 ! 第 ー 03
Ⅷ分ものがあり五千円と七千円。月面地表のンドがはじめて開発したジェット機で一五 国内企業の日立グループ館ではプラウン Ⅷ立体写真も十種類ほど売っている。 〇機ほど量産されている。技術のほとんど管を使った飛行ッミュレーターを売りもの 宇宙関係のスライドはソ連館の売店でもはイギリスにおんぶした一種のイックダウ にしているが、説明だけはやたら大げさで 「イカルスから宇宙まで」という題の珍らン ( 現地組立 ) 方式。ヒンダスタン機はイ内容に乏しく、本物のシミュレーターには ーしいソ連の宇宙イラストスライドがある。 ンド館の裏側、オンタリオ州館寄り ( 白い ほど遠い 一組十一一枚で六百円。 虎のいる出口とは反対側になる ) の空地に未来交通関係では日本館に国鉄技研が開 トラクターといっしょに置いてある。最近発中のリニアモーター列車の模型が走って 開発された 2 5 0 0 のジェットエン いるが、あまりに小さすぎて仕組みがよく 囘航空交通関係の展示 ジンは館内一階に展示されていて美しい インド人ホステスが「これは純国産で おかしなことに米ンとも航空に関する展すーと誇らしげに説明する。 咀示がない。わずかにソ連館の三階に気球か 歴史的な飛行機ではアメリカン・ らまで式の図解。ハネルがあるだけで ク館のリンド・ハーグが日本訪問 ( 一九三 全力を宇宙展示に投入した感がある。 一年 ) のとき乗ってきた水上飛行機シリ そのかわり宇宙展示にふれなかった英仏ウス号と、イタリア館の中庭にあるロー - はを派手に売り出す作戦。 マ・大阪間航空路を初飛行した ( 一九二 英国館はコンコルド用のロールスロイス〇年 ) > 9 双発機が貴重である。 エンジンや自動離着陸装置、フランス 三菱未来館の未来都市 ー館の二階にはコンコルドの十分の一模 Ⅷ型のほか試験飛行の記録を映画で見せ る。同じフロアにフランス国産のジェ ト機 ( ミラージュ型の各機種 ) のコ ーナーもある。面白いのはパリ空港の 矚保安設備のフィルムで霧を消す装置や 回自動離着陸、滑走路の照明灯を清掃す る特殊車の活動などの短い映画が見ら れる。 インド館は国産のヒンダスタン 聞 e をはるばる運んできた。六四年にイ リニアモーター列車の模型
六一二館で打止めになった。むろん食事 一九五八年のプリュッセル博に 9 抜き、一カ所に一 0 分以上休憩せずのソ連がスプート = クを出品して以 ~ 、一、、 強行軍だったが、山歩きよりもはるか来、米ソの宇宙開発展示競争はエ に疲れ、足は痛く、頭はもうろうとしスカレ・ートする一方だが、今回の〕 ) て、すんでの , , 万国博では冷い宇 ことで有り金 宙戦争が頂点に達 した感がある。ア 残らずはたい一 て買ったアポ メリカはアポロ 1 号の実績を・ハック ロⅡ号の月着。 / 陸のカラーの に、アポロ関係の プリントを噴 齷実物標本を重点的 水のなかに叩 遡に公開して月の石 曲 きこむところ 1 , / サターン 5 型の第一段ロケット 宙で仕上げているの だった。一日 のに対し、ソ連はス。フートニ 皿 ーの次、二階から一階に降りたところから 画 で全部見よう 計 ク 1 号から現在までに主要始まる。 = アドームの空間には宇宙遊泳中 などと愚かな ( ( ニな功績を残した衛星、宇宙の飛行士の人形が九体とジ = ミ = 型カ。フセ 計画を立てず 工船、ロケットをごっそり運ルが二個空中サーカスのように浮かんでい に、ファ んできた。展示面積からみる。階段の右手にはアポロを打上げたサタ ンのあいだで れば圧倒的にソ連が強いの ーン 5 型の第一段ロケットの燃焼部分が一 のちのち話題 だが展示品の半分は一般公個、裸で展示してある。底の部分は直径が になりそうな 開用の木製の模造だという 三・五メートルもあり、釣り鐘を伏せたよ 展示物だけを 説もある。なるほどポスト うなかたちだ。これを五個組合せて第一段 Ⅷ見て歩くほう ークの降下カプセルの外壁 ロケットにするのだ。 山 が利ロだ。この特集が読者諸氏のお役をよくみると、木に紙を貼りつけ着色した このコーナーの天井には電離層を観測し に立てばさいわいた。 ような形跡がある。しかし実物大の模型で たエクスプローラや月面撮影に成功したル あることには変りはなく、五月初旬現在三ナ・オービター、通信衛星として活躍した 五〇万人の見物客を集めただけの迫力はあテルスターが宙吊りになっているが、気が 国宇宙展示 るといっていいだろう。 つく入場者はごくまれである。というのは 9 アメリカ館の宇宙展示はスポーツコーナ階段を降りた最初のコーナーに、一昨年の 第 物 6 9
プリティシュ ・コロンビア館 ワコール館 ソ連館 オランダ館 - び 90- イタリア館 イギリス館 みどり館 富士 / くビリオン 自動車館 住友館 0 0 松下館 アメリカン・ノく一ク 電力館 イラスト☆金森 オーストラリア館ー アメリカ館 西ドイツ館 ー 05
が飛び上って拍手したほどの迫力。このパ鮮さに欠ける。 ら発射され会場を縦横に走りまわる。電圧 ビリオンには電気の発達史や各種の発電方ソ連館には世界一高いモスクワ市のオスを下げているので人体には無害だ。レーザ 法の図解パネルが展示してあるほか水上劇タンキン電波塔 ( 五三三メートル ) の模型ー光線装置の展示は、このほか電気通信館 両場ではアマゾンの電気ウナギの発電実験をが展示してある。 ( カラーテレビ電話の送受信 ) 、アメリカ 見せる。 レーザー光線を売りものにした展示はせ館 ( 鏡の複合反射でレーザーの森を作る ) 、 発電所関係ではソ連館に世界最大の水力んい館の怪奇な人形の光線あやとりや鉄鋼日立グループ館 ( レーザー利用のカラーテ 発電サヤノーシ、シ = ン発電所の模型があ館のスペ 1 ス・シアターのレーザー光線の レビ投影 ) 、東芝— * 館、ペプシ館など 川る。最大六四〇万キロワットの電力を生みショウがある。スペース・シアターのレでみられる。 だして、シベリア開発に使われる。 ーザー光線は赤がヘリウムネオン、青がア未来都市に関する展示はテーマ館の空中 通信関係では電気通信館のワイヤレス電ルゴン パスカルの計算機〔上〕最初のタイプライター〔下〕 川話や日本最大のカラー・アイドホールが珍ガスに よるも らしい。アイドホールのスクリーンは 9 X 貶メートル。東京や種子島から生中継したの。七 画像を拡大映写するが、画面はかなり暗個のレ ーい。テレビ電話の展示もあるが、すでに会 川場全体で実用化されているのでいささか新装置か コンピューター玉入れゲーム ( 古河館 )
いた。表現力に富み、まだ今のように似非宇宙用語に毒されず、充志には従わないものとして物真の優位を認め、われわれの思想的役 分深みのあるユーモア、きめこまかく細部まで書き込む能力、生々割や闘争の意義や人民に価値あるすべてのものを卑しめている。 とした主人公の特徴づけなどは、ソ連界でも際立っていた。 ストルガッキーの創作に、地理的もしくは歴史的特徴や社会構造 明るく、楽天的な未来を書いた作品が少なくなかったのだが、最などを探してはいけないといわれている。かれは″純粋な姿で″ド 近はしだいに作品を追うにつれ、ストルガッキーの描く未来は人の題を提起する作家だといわれている。折衷的で混乱しているように 心を惹きつけるものが少なくなってきている。 みえても、作家のプロジェクターの光があたれば、問題が明らかに たとえば『ラドガ壊減 ( 原題『遠い虹』、邦訳・大光社刊 ) 』にしなり、抽象的な思想を芸術的に吟味する古い哲学小説の好ましい伝 ても、″初期のストルガッキー″の作品ならば、魅力的な〈地球統の復活であると主張する。簡単にいいかえれば、モデル化の自由、 的〉特徴のひとっとして評価できたかもしれない主人公たちの粗暴あらゆる約からの自由、「地方色、地理、民族的なつまらないこ さも、最近の作品では節度の感覚が欠除していることからくるものとからの自由」ということをいっているにすぎない。なにも新しい になってしまっている。無理にひねり出したいいかげんな道徳的・ことではない。似たようなことは、「外国文学」のアンケートの中 倫理的葛藤また然りである。誰を助けるべきか ? 惑星に絶対必要でアメリカの作家連中が喋っていることだ。ストルガッキーの作品 な科学者か ? それとも子供たちか ? なにも共産主義の未来でな にあてこすや皮肉、思わせぶりやほのめかしなどあるはずがない くとも、社会体制がどうであろうと答えはひとっしかない。 と懸命に弁護する連中がいる。だが、例えばかれの『トロイカのお ストルガッキ 1 崇拝者の中には、わけもわからずを未来につとぎ話』の中にでてくる次のような履歴書がある。 いての文学と同一視し、過去と現在の問題にも関心を向けるべきで《人種Ⅱ白ロシア人学歴Ⅱ不完全制中等義務教育 ( ソ連では義務 あるし、向けられるものと頭から信じこんでいるものがいる。そう教育は十一年、地方等により、不完全制九年、十年で義務教育を終 いうかれらの意見によれば、ストルガッキーの功績のひとつは、現えているところがある ) 、不完全制中等技術専門学校卒業外国語 在の世界と過去の世界へ向けて、窓を広く開け放ったことであるそ 日ロシア語堪能、白ロシア語、ウクライナ語は辞書を使って読める うだ。であるとすれば、こんな疑問が起る。ストルガッキーはいっ程度》 これだけで、ソ連の社会を歪曲し、ささいなことを大袈裟にし、 たいどんな現在とどんな過去を描いているのか ? 共産主義をめざ している社会を代表しているこの作家よ、、 。、ったいなにを「現代の中傷していることは明らかである。 重要な道徳的問題」として考えているのか ? だから、ストルガッキー兄弟の最近の芸術的成果である新作につ いて、とくに触れておく必要がある。古い真実ーーー欠点は長所の延 ここで、論文の筆者は『おそるべき白鳥たち』、『破減への遅々 たる歩み』、『トロイカのおとぎ話』、『人の住む島』をあけている長であるーーーを、わたくしの観点からすればこの作家にも適用出来 が、これらの作品のモデルはわれわれの世界と無縁ではない。現実る。ストルガッキーの主人公が多少粗野であったにしても、それは 世界とはどんな関係もない、単にそれは想像の産物であり、技術進最も魅惑的な″地球的″特徴のひとつであるとみなしたがる者が多 い。だが、辞典にも載っていないような美しい言葉が、ほとんどど 歩の主観的な評価にすぎないと反論するかもしれないが、作者が意 識するしないにかかわらず、なにか宿命的なもの、人間の社会的意の。ヘージにも現われたり ( 『破減への遅々たる歩み』 ) 、『汚穢屋』、 け 4