られるように揺れるはすはない。だってここには、僕たち以外には 誰もいないのだからーー・暗闇の中を偉大な足音が、そっとやわらか アランナは行ってしまった。どこかあり得ない世界へ、二人を襲 に近づいてきて、かすかに壁をふるわせるなんてことは、あり得な 0 た暗闇の中〈。巨大な音をたてない重い足音、壁をゆさぶ「た巨 大な足が、「ポ 1 ル と言った瞬間に彼女を捉えたのだ。それ アランナが、 ( ッと息をのんだのが、静寂の中ではっきりとわかが彼だと思ってそう呼んだ瞬間に。そして悲鳴をあげ続ける彼女を った。はじめは、恐怖からそうしたのではなく、驚きと不審の思い さらって、あいつはこの部屋から、無限のかなたへ消えてしまった からであった。彼女は言った。「ポール ポール、やめてーーー」 のだ。 それから彼女の悲鳴がきこえた。彼が聞いたのはその悲鳴のほん どうしようもなかったのだ。考えるひまさえなかったのだから。 のはじめで、奇妙なことに、悲鳴は消えていった。一瞬、咽喉いっそれにしても今やっと、あのドアへ向って自分のそばを通りぬけて ばいの叫び声が部屋中にひびき渡り、それから声は小さくなり、無 いったものなどはないことがわかるだけのゆとりが出てきた。とこ 限のかなたに吸いこまれてゆき、彼からスーツと遠ざかり、細く小 ろで、目の前の壁の上にあるあの大きな輪はーーー入口だろうか ? さくなっていったが、その残響はまだ、部屋の中にこもっていた。 そこから、なにものかがやってきて、またその中へ、そいつはひっ このあり得べからざる速度は、今おこった一連の事件に対する悪夢こんでいったーーーそれもそいつ一人だけじゃない : の最後の一はけとでもいえよう。彼は、狐につままれたような気持そして入口はしまった。 ちであった。 理由もなく、とっさに彼は一歩そこへ近づいた。それからあの異 闇はうすれはじめた。彼は目をこすりこすり、いまだにこのでき様なものが部屋へ侵入してくる直前にテストしていた箱に入った機 ごとが、意識がうすれていた短い時間の間におきたこととは、どう械のほうへ、よろよろと近寄「た。それを見て、またそれに触れて しても思えない風情であった。「アランナーーー・僕は みて、少し正気をとり戻した。ここに武器があったのだ。それで彼 だが、彼を包んでいる黄昏の中には、誰もいない。 は、ようやく、自分が全く無力ではないと悟り、ずり落ちていた現 あの瞬間と、それからまだ影が落ちている壁に向って立っていた実への手がかりを得たのである。あの信し難いような暗闇の中を、 瞬間との間に、。 とのくらい時間がたったのか、まったくわからなか音もたてずにしかも建物の土台をゆり動かすほどの勢いで歩いてや った。その間に、狂気のようになって事態を解明しようとした時ってきたあいつに対して、効果のある武器があるだろうか、と彼は 間、ヒステリーのような状態と自信喪失、そしてとても信じられな一瞬考えた。 い気持がゆらめいていた時間があったに違いない。だが、部屋の四 だが武器は重い。親装置から離れて、どの程度の距離のところま 隅に黄昏の最後のヴ = ールをひきずっている影がまだ漂っている壁で使いものになるのだろう ? ふるえる指で、彼は機械の運搬用 ( 9 を見上げながら、今はもう考えることも、疑う気持ちもなくしてい ンドルを探った。機械を持ちあげると少しよろめいたが、大きな輪
が、黄昏の最後の薄明の中にのみこまれて、壁の上にうっすらと影てにならないのだ。うす暗がりの中で、アランナを見たように思っ を落とし、やがて消えていこうとしている部屋の隅めがけて歩き出た。淡い髪が、うっすらと輝く肩の上に落ち、その顔は驚愕と恐怖 5 した。驚いている間に彼の前から姿を消したあいつを追いかけてい にゆがんでいた : ってつかまえるのなら、急がなければ : ポール、返事をして ! これなんなの ? どうしたの 親装置のレ・ハーをチラリと見ると、もう十分に限界を越している ? のがわか「た。とにかく武器自身は、その電源からしかパワーを補彼はまだ、ロをきくことができなかった。ただ首を振って、ズシ 給することができないのだーーーもしそれが、これから行こうとして リと片腕をひつばる重みに対して、やみくもな本能にすがっている いる測りしれぬほど遠いところで、パワーをす「かり使い果たしてほかなかったのである。アランナは、あらわな肩を落ちかかる髪の しま「たら : : : もう一度最後に、まだ狐につままれたような心地で中にかくして、恐ろしそうに体を抱いている。クリーム色の腕に、 部屋の中を見まわした。アランナがいなくな「てしま「たことにま指先がきつく喰い入って、白くまるい跡がついている。歯の根は、 ちがいはない 寒さのせいではなく、ガタガタと鳴った。 輪の下側の弧が、暗闇に向「て開いている入口なのだ。そこを通「どうやってここへ来たのかしら ? 」と彼女は言 0 ている。「どう . れるとは彼は思「てもみなか「た、平「たい硬い壁の上に落ちた平やってここへ来たの、ール ? 帰らなければならないわね、そう ったい影なのだから。それでも彼は不確かに片手を突き出して、一でしょ ? いったい私たち、どうなったの ? 」言葉は、まったく意 歩前〈進んた。そしてもう一歩、持「ている箱の重みで前こごみに味のないような感じである。その意味するところのことよりも、言 なりながら、前進した。 葉を口に出すその響き自身のほうが、いまはもっと意味があるかの ところが、もはや重みがなくなっている。光も音もないーーー荒々ようだ。「後を見てごらんなさい、ールーーーわかった ? 私たち しく旋回する動きに、彼はクルクルとなにも見えぬ深みの中で、た あそこから来たのよ」 だまわ「ているだけだ。いっ終るともわからぬ旋回 , ーー未来永劫に彼は後をふり向いた。・ほんやりとかすんだ壁に、大きな円型の鏡 まわり続ける旋回、それが、矢のように片眠に映って過ぎ去ってい がもり上ってみえた。だが鏡は裏返しにされているので、そこに映 く。すると っているのは彼らではなく、今しがた後にしてきたばかりの部屋で まあ、ポール あった。 彼は奇妙なデザインの壁に囲まれた、うす暗い丸い部屋の中に、 写真よりももっとはっきり見えるーー彼はその中をのぞきこんだ 足もとがフラフラとする感じで立っていた。壁の模様は、まだ焦点 にぶい光を反射して光る壁、 ッテリーにダイアル、その前に がさだまらなくて、はっきりとわからない。彼には耐えがたいほど 。ヒンと立っているレ・ハーは、彼が持っている重い物に、必殺の威力 ゆすぶられたという感覚がないでもなかった。視覚さえも今は、あがあることを示しているのだろうーーきっと。必殺の威力だって ?
つめたいまじり気のないグリーンになった。この宝は、まったく身た。これは、彼のものすごい力があって、はじめてできることであ の危険なしに手に入れたものであった。それを思い出したので、とる。それに触れた時、色とりどりの火花が噴出したが、その美しさ たんに、価値が減ってしまったのである。不満の震えは、心中にい も、もはや彼の足をとめさせることはなかった。 っそう強く拡がっていった。そうだ、またふたたび獲物を求めて出 心はすでに前方の宮殿の中央にある丸いぼんやりとかすんだ部屋 て行く時がきたのだ・ : にあった。ここから宝物を求めて宇宙へ出かけていくのであり、こ ここにはまた、ヴェルヴェットのパネルの上に置かれた大きな卵 の部屋の出口から、出発するのだ。彼は重々しくその扉へ向ってホ 型の石がある。表面からは、煙のようなやわらかな光が放出され、 ールを歩いていった。あたりの宝物には目も留めず、ロー・フの薄衣 光の色は波状となって、おそろしく緩慢に変化していく。その効果を雲のようになびかせて。 に、かっては陶然と酔いしいれた彼であった。これは、どこにあっ 部屋のうす暗くかすんだ中に、目の前の壁にはめ込まれた大きな たのか、もうとっくの昔に忘れてしまった世界の大都会の広場の中円型のスクリーンが、彼の手が触れるのを待ちながら、・ほんやりと 央の敷石から取ってきたものである。その都市の人たちがこの石に姿をみせている。これが宇宙への出口なのだ。美と、おそろしい危 訂価を与えていたかどうか、その美しさを認めていたのかどうかに険と、すでに失って久しい生甲斐とを与えてくれるものすべてに到 ついては、彼のあずかり知らぬことである。これを手に入れるにつる門ロでもある。もう今は忘れてしまったような強い刺激に対し いては、ほんのちょっとした争いがあっただけであり、不気嫌な今て、もっともっとと貪欲なまでに反応した今は失われている感覚を の彼の眼には、価値のないものであった。 よみがえらせるには、強力な手段が必要であった。彼は吐息をもら 彼は足を早めた。宮殿の堅い建物は、彼が重々しい足どりでホー した。巨大な胸がグッと拡がった。スクリーンの向うのどこかで、 ルへ降りていく時に、足の下でわずかに震えた。彼はまだ片手で、 まだ一度も踏みこんだことのない世界で彼の退屈な心をそそる美し どっしりとした体の脇のロー・フの上を、無意識に撫でていたが、そさをたたえ、一瞬、退屈な心をふきとばすような危険を孕ませて、 の心はもう今ここにある宝物にはなかった。今見ているのは未来で宝物が待ちうけているのだ。 あった。そして眼の光はこまかくふるえてオレンジ色になり、危険 への期待で暖かく輝いた。鼻孔が少し開き、大きな口は、しかめ面壁に近づくと、スクリーンが明るくなった。・ほんやりと影が動 にロ角がさがり、への字型に結ばれている。ナイフの刃の模様があき、不明瞭な音が部屋に漂った。彼のすばらしい五官は、音と形と る床は、彼の足の下でかすかにたわみ、そのするどい模様の錯綜を選りわけ、それがはっきりしてくると、それを退けた。眼は今、 は、重い足どりが過ぎていくときに、ふるえた。 まるく見開かれ、輝きを増し、ぐっと瞳を凝らすと、オレンジ色の 一部分を破壊してようやく手に入れた色彩豊かな火の噴水の傍を炎が深まった。スクリーンの上の影は、速度を増して動いている。 通り抜け、硬いクリスタル製の槍がぶらさがっているのを押しのけ形がはっきりとしてきた。影は立体的になり、一瞬揺れ動いたが、 5 4
たいしたもんでしよ。 祈りを唱えるだけ。命中かはずれか、どっちを祈っていいやらもわ 列車を走らせるときには、彼は四軒の家をレールのわきへ離れば からないわ。ときおり、マー・フルの一つがまともに兵隊の顔にあた なれに並べるのよ。ウィリーから買った中で、ほかの三軒は、気につて、。ほろんと首がおっこちる。 いらないのか。いつも押入れの中で眠ってるわ。これでぜんぶよ、 たのしいじゃな、。 クライド。あたしと汽車だけ。ほかの家には住む人間さえいない。 それにもう一つ、ちょっとした敵がいるの。アリ。ここにはアリ いまでは機関士もうんざりしてしまって、手も振ってくれないわ。 がいるのよ。でも、その話をするのはよすわ。あなたのご想像にま あたしはみす・ほらしい揺りイスに坐って、窓から外を眺めるの。 かせて。まあ、そんなところかしら。だいたいはわかったでしょ おお、なんてすてきな眺めでしよう。目にはいるのは、古・ほけた青う、クライド ~ あなたとお話できて、とってもたのしかったけれ い敷物と、頭文字のはいった化粧だんすと、部屋の隅へ山になったど、もうこれ以上お話することもなさそう。もう、あなたにも、う 汚れものと、寝乱れたままのべッド。 るさい思いはさせないわ。 ときおり、マークっていうあの小さな天使は、鉛の兵隊を持ち出 ただ一つだけおねがいがあるの、クライド。いままでのあたしな してきて、戦争ごっこを始めるわ。まず、あたしの家から三十センら、こんなことはロに出さなかったでしようけれど、年をとるとへ チばかり離れたところへ、丸太でリンカーン砦を組立てる。それかんに涙もろくなるのね。実はハンフリーのことなの。エディ・アッ ら、折れた小銃をかついだ、えらの張った兵隊たちを壁ぎわに並べ。フマンという子が彼を買っていったけれど、あの子の家はお金持な たあと、三メートルばかり後ろにさがって、沿岸警備砲を構えるのんですってね。ウィリーがそういってたわ。それならきっと大きな よ。おもしろいでしよう、クライド ? 沿岸警備砲は、大きな、青 テープルも、新しい町も、それから木立も川もあるでしよう。 ・ハネ仕掛けの大砲なの。マークは筒先からマー・フルをこめて、 あなたにお手数をかけたくはないわ、クライド。でも、もしエデ バネをうしろへ引き、それから気ちがいみたいな大声で、「射て ・アッブマンの家へ行くついでがあったら、ちょっとのまでいし ーとどなるわ。すると、二本の折りたたみ脚で立ったあのくそい から、屋根裏部屋へ寄ってもらえないかしら。たぶん、ハンフリー まいましい大砲が、あたしの家のとなりの砦へむかって、つぎからはそこにいるでしよう。い、 しえ、べつに子どもじみたまねや、セン つぎへとマー・フルを発射するわけ。 チなことをしてもらわなくてもいいの。あなたがたいへんな照れ屋 あとは、もうめちゃくちゃよ、クライド。 なのは知っているわ。でも、もしできたら、その部屋を出るとき、 丸太があたりいちめんに飛び散る。風を切ってとんできたマー・フ汽車のほうは動かさずに、うつかりスイッチを切り忘れたというか ルが、雷みたいな音を立ててべッドの下へころがる。あたしの家っこうで、弱い電気を流したままで帰ってくれないかしら。 も、大きな穴を二つも明けられてしまった。それなのに、こっちに年とったハンフリーは、きっとよろこぶと思うの できることといえば、この古風な揺りイスにじっと坐ったまま、お そうしてくださる、一 . クライド ? あたしのために。
ャドスン・ダニエル・エリオット三世が、スーツケースを手に、ひ彼は物馴れた手つきでぼくのズボンの前をさぐると、タイマーを よこひょこと角のスニッファー ・パレスめざしてやってくるのをな軽く調節した。そして、自分のにも同じことをすると、「もっと上 がめた。姿勢にもどことなく気合いがはいっておらず、田舎ものく にシャントしよう」といっこ。 さく、爪先をそとに向けて歩いている。耳がいやにだだっ広く、右彼の姿が消えた。・ほくもあとに続いた。・ほんやりとした一瞬がす 肩が左肩よりちょっとさがり気味だ。のろまそうで、どう見ても百ぎ、ぼくらは同じ時刻の、同じ通りに立った。 。 ) レ 「ここは ? と、・ほくはきいた。 姓だった。彼はぼくらのそばを通り抜けると、スニッファー スの前で立ちどまり、コニャックのタンクのなかで泳いでいる二人「おたくがニーオーリアンズに着く二十四時間前だ。びとりはこ のヌード の娘に目をこらした。彼の口から舌が現れて、上唇をなめこ、もうひとりはニ = ワー・ヨークで、南部行きのポッドに乗る準 た。足の親指に重心をおいて、体をゆすっている。そして顎をなで備をしてる。どう思う ? 」 た。今夜じゅうに、このはだか美女のどちらかの股を広げさせるこ 「こんぐらがってきた。だけど、だんだん慣れてきた感じだ」 とができたら、と考えているのだ。可能性は大きいそ、と教えてや「これはまだ序のロだ・せ。家に行こう」 りたいくらいだった。 彼はアパートへ・ほくを連れていった。部屋には誰もいなかった。 彼はスニッファー ・パレスにはいっていった。 ・パレスに出ているのだ。・ハ サムはこの時間には、スニ - ッファー 「どんな気持だ ? 」と、サムがきいた。 ルームにはいると、サムは・ほくのタイマーをふたたび調節し、三十 「ガタガタだ」 一時間あとにずらした。「シャントだ」サムのひと声で・ほくらは時 「正直でいい。時間線を最初にのぼって自分を見たときには、こ、 間線を下り、翌日の夜の同じ・ハスルームに現れた。隣りの部屋か へんなショックを受けるものなんだ。まあ、そのうち慣れるさ。自ら、酔った笑い声が聞えてくる。そして耳ざわりな歓喜のうめき 分がどんなふうに見えた ? 」 声。サムは急いで・ハスル 1 ムのドアをしめ、錠をおろした。隣りの 「まるでうすのろだ」 ーかへレンのどちらかとセックスして 部屋にいる・ほくは、べツツィ 「それも普通の反応さ。やさしくしてやれよ。やつはなんにも知ら いる最中なのだ。そう思いあたったとたん、恐怖が戻ってきた。 「ここで待ってろよ」サムがきびきびといった。 ないんだ。とにかく、おまえさんより若いんだからな」 サムは低い声で笑った。ぼくは笑わなかった。通りをやってくるン、トンと三つノックがあるまで、誰も入れるんじゃない・せ。すぐ ぼく自身を見た衝撃から、まだ立ち直れないでいたのだ。まるで自戻るからな」 ディスオリエンテーション 分が幽霊になったみたいだった。予備的な所在識喪失テスト、と彼は出て行った。ぼくはすぐに・ハスルームの錠をおろした。二分 か三分すぎたこゑトーン、トーン、トンと三つノックがあり、ド 6 シュコウィッツはいった。そのとおりだ。 アをあけた。にやにや笑いながら、サムがいった、「もうのそいて 「心配するな」と、サム。「なかなか健闘してるぜ」
置いてセットした。・フラスターを拾い、関は情報省の方向へ駆け出に置かれた機械は、停止状態ではなく、明らかに廃棄状態だった。 ( これは・ : ・ : どういうことなんだ・ : ・ : ) 関はしばらく呆然とあたり した。前方は完全な闇だった。内壁は廃管にしては塵もなく、なめ らかだった。管は広く、曲率の具合から方向は足だけでわかった。 を眺めていたが、側面の階段に気づいた。 関は一分五十秒間、正確に死に走って、前方に伏せ、両耳を押えた。 ( そうか、ここは地下なんだ。動力部は移したのかもしれない ) 管壁がびりつと震えた。爆音は爆風と共にあとからきた。轟音も関は油断なく銃を構え階段を登った。上り口の扉を蹴り開けた。 ろとも、関の体は爆風で十数メートル前方へ押し流された。背後で : ・その階には何もなかった。床が遙か一面に拡がっているだけだ 土砂の崩れ落ちる音がひとしきりつづいた。静寂が蘇ったところでった。床には機械の置かれていたらしい痕跡が一面に残っていた。 関は立ち上がった。関は再び闇の中を走り出した。背後も完璧な暗さらに上層。切れた通信線や電線が蜘蛛の巣のように垂れ下がっ 黒だった。聞えるものは足音と自分の荒い息遣いばかりだ。足に感ている。 じる管の曲面だけが指針だった。 その部屋は少し様子が違っていた。部屋は さらに一階上へ。 走っても走っても闇だった。関は、頭の中で正確に時間を刻みな暗く、床が硬質ですべすべしていた。闇は中央へ進んでいった。 がら、あと五分ほどと判断していたが、不安は打ち消せなかった。 「とうとうここまで来たのね」背後で突然声がした。関は驚いてふ この闇はどこまでつらくのか。この。ハイプは情報省とは無関係なも りかえった。部屋の一箇所が明るくなって、そこに若い女が立って のではなかったのか。前を凝視するあまり関は暗闇に眼がくらなよ いた。華奢な体つきの、額の広い女だった。 うな奇妙な気分すらした。 関は銃を構えた。 「誰だ、きみは : ・ : やがて前方が次第に円形に見えはじめ、進むにつれてはっき「だめよ。私は立体映像なんだから」彼女はちょっと首を傾げて、 りとパイ。フの内面が見えてきた。壁面での光の反射が明るくなり、 髪をうるさそうにかき揚げた。 ついに前方に円形の出口が現われた。 関は銃口を下げた。「きみは何者なんだい」 関はプラスタ 1 を握り直した。左手は使えないのでレ 1 ザー銃は「ただのイメ 1 ジよ」彼女はそっけなくいった。「あなたに語りか 腰に差したままだ。出口には何の障害もない。関は呼吸を整えて、 けてる主体がこんな形をとってるだけのことよ」 一気に情報省の中へ飛び込んだ。 「情報省 : : : なのか ? 」 「あなたの考えている情報省なら、確かにそうね。でも、情報省な んてもうないのよ」 最初に関の見たものは、横転しているスチールポックスだった。 それは。ハイゾ出口のカ・ハーで、先ほどの爆風で壊れたらしかった。 「説明してくれ。どういうことなんだ。ここに何が起こったんだ。 関はあたりに眼をくばって、その光景の意外さに立ちすくんだ。動なぜここには何もないんだ。なぜおれたちはこんな目に会うんだ」乃 いているものは何ひとつない。地下の動力室らしいのだが、まばら「随分せつかちね」彼女はちょっと笑った。「本当はあなたに来て
曲った。 て逃げる態度といえなくもない。 壁は唸りを発し、割れ目の入ったプロックの表面は、 ふつかりあ盲減的に武器を投げつけるなり、後を向いて逃け出した。ナイフ いながら、崩れていく。ゆっくり、ゆっくりと壁は傾き、そしてゆの刃模様の床は、足の下でクルクルとまわりながら後へとんでい つくりと倒れた。石・ほこりがムクムクと雲のようにたちこめて、廊く。この模様の輪状になったすき間を、リズミカルに縫って走れ 下が崩れ落ちる最後の光景を覆いかくしたが、その中を光線のするば「廊下のつきあたりの部屋まで辿りつくことだってできるかもし どい音がひびき、金属が石の上に落ちる耳をつんざくような音がきれない もうどこにも安全な場所はないのに、やみくもな本能 こえた。それからやがて遠くの方で、あらたに重い圧力に耐えてい が、ここでの存在の出発点となった場所へと、彼を導いた : るような深いうめき声がきこえてきた。 前方に青味がかったスパンコーレ : 、 ノカ / タハタとゆれている。それ 男は一瞬、これで敵をくいとめたといういわれのない希望に目がでやっと、アランナが、このナイフ模様の床の上で、奇蹟的にパラ くらみ、釘づけになったように立ちつくした。この作戦が失敗したンスを保ちながら逃け続けているのを知った。目をあげて、彼女の ときの恐怖には、あえて目をつぶったのである。だが、希望と失望様子を見ることはできない。 , の目は、螺旋状と輪状に仕組まれた は、ほとんど同時に彼を訪れた。崩れた壁の塊がガラガラとゆれ動模様の間の不確かな足場に釘づけになっていた。後からは、巨大な き、一瞬、抵抗しているようにみえたのであるーーーだがそれはほん足が、音もなく床をゆり動かしてやってくる。 の一瞬にすぎなかった。ほこりと石のかけらと鋼鉄の桁が、そいっ その次のできごとは、あまりにとっさにおきたため、事態の関連 のおそろしい肩から落ち、そいつはこわれたアーチ型の天井の下を性をのみこむことができなかった。あのうなりを発する光線が途絶 くぐり抜けてやってくる。稲妻のようにカギ型になって放出する光えた時に訪れた静寂は、突如としてよみがえったうなりによって破 線は、そいつの顔を射て、ンユーシューと空しい音をたてた。そい られたのだ。床の金属の模様が、後から照らされた光に、その鋭い つは、光線などかまいつけない。壁の残骸をふり払いながら、怒り影をあらたに浮き上らせたのを見て、敵が、今自分が手放したばか りの引金をみつけ、自分の武器が今、敵の掌中で脈打ち出したのを で眼を紫色に輝かせ、大きな両手を突き出して、前進してくる。 そのとき、武器が役に立たなくなってしまった。彼が引金を手放知ったのである。だがそれと同時に、とつつきの部屋の入口が、彼 してしまったのである。長い光線の筋が消えていくとき、空気をふの目の前に、ポーツと姿をみせた。彼はアランナの後を追って、必 るわせていた放出音がやんだ。彼がとっさにその重い機械を両手で死の思いでそのうす暗がりの中に身を躍らせた。足跡が黒く点々と 頭上にもちあげ、敵の顔めがけて投げつけたのは、人類の祖先がそっいているところをみると、彼女は足を切り、出血しているのに違 の最初の戦いの時から、なん千年もの間くりかえしてきた本能的な いない。二人の目の前に、ポンヤリと鏡が見え、ふたたび生きては 仕事であったろう。そして最後に、あの火を噴くレンズにつながっ帰れないと思ったあのなっかしい部屋の姿が、あるかなきかのごと 7 ている脈打っチュ 1 プを手放してしまったのは、朋友を見殺しにしくたよりない風情で映っている。
要としないほど美しかった。 思うか ? 」 「すごく激しいんだ」 「わかるよ」 「心配しなきゃならんことは一つだけだ。錠剤は持ってるかい ? 」 シドが何かいうと、彼女はよろめく足で立ちあがり、ぼくのとこ 「。ヒル ? 」 ろへやってきた。ポインが釣鐘のように揺れている。ラムのにおい 「ビルだ、・ハカ ! 毎月の避妊薬だ ! 」 「ああ、ああ、それはもちろん」 と情欲のにおいが、彼女の体からたちの・ほっていた。お・ほっかない 仕草で、ぼくの手をとろうとしたが、・ハ ランスを失って、また板ば 「これは肝心だぜ、時間線をのぼるときには。ほかの人たちの祖先 はら りの床に倒れてしまった。そして寝ころんだまま、くすくすと笑っを孕ませて歩くわけにはいかんからな。そんなことをすれば、たち た。「こいっとやってみるか ? 」シドがきいた。「もうちょっと酔まちタイム・パトロールの餌食だ。過去の人たちと少しぐらい親し いをさまさせたら、おまえさんの部屋へ連れてって、たっぷり楽し くなるのはいし 取引したっていいし、いっしょに寝たってかま みな」 わんーーーだけど、相手のおなかをふくらますことだけはご法度なん ぼくは、彼女が運んでいるかもしれない興味深い病気のことを、 だ。わかったか ? 」 ちょっと口に出した。ぼくには、おかしなときに気むずかしくなる「わかったよ、シド」 悪い癖があるらしい。 「たしかに、おれは過去にちょっかいを出して捕まったさ。だけ ・フォノコアは軽蔑するようこ 冫いった。「予防接種は射ったんたろど、でつかい改変は、それとはぜんぜん性質がちがうんだ。過去で 何が心配なんだ」 子供をつくって、人間の系図を狂わすような犯罪とはな。おんなじ 「たしかに、チフスやジフテリアや黄熱病の予防接種は受けたよ。 ようにしないと、面倒なことになるぜ。。ヒルを忘れんことだ。さ だけど梅毒は ? 」 あ、マリアを連れて、出てけ」 ・ほくはマリアを連れて出ていった。 「彼女はきれいさ。安心しろ。もし気になるようだったら、現在に 帰ってすぐサーモバスを浴びりやいいんだ」彼は肩をすくめた。 ・ほくの部屋に来ると、彼女はたちまち正気に戻った。マリアに 「そんなことでビクつくようじゃ、クーリアにならんほうがよかつは、・ほくらの使う言葉はちんぶんかんぶんだった。ぼくには、マリ た・せ」 アの言葉はちんぶんかんぶんだった。だが、それでも何の支障もお こらなかった。 「・ほくはそんなつもりで , ーー」 「おれがこいっと今まで x x >< >< してたのはわかるだろう ? ジャ ぼくより二五〇も年上だとはいえ、彼女のテクニックその他には ド。おれはふつうの・ ( カか、天才的な。 ( カか、どっちなんだ ? お少しもおかしなところはなかった。時代によって、変らないものも れが梅毒持ちの女と寝ると思うか ? おたくにそんな女をまわすとあるものだ。 228
ほしくなかったの。どうして普通の人間の社会に戻ってくれなかっ 彼女は眠を伏せた。 たのか、とても残念に思ってるわ」 「いえないのかー関はいった。 「その人間の社会のため、それにおれ自身のためじゃないか」 「お話しするわ」彼女は秘密を打ち明ける眼をした。「わたし : ・ 「ちがうわ。あなたはわたしの心変りを自己保存本能と呼んだわ。子供がほしいの。それも男の子。その子にはわたしには見ることの それはわたし自身、身を守らなければならないもの。でも、それはできない世界を知ってほしいの。わたしは自分の世界を守るわ、こ あなた方の未来を否定するものじゃなかったはずよ。ただ、わたしれは信じて。だから、その子だけには冒険してほしいの。宇宙の真 自身の存在を守るためには、あなた方の計画したのとは別のかたち理を知ってほしいの。・ ・ : あなたが狂気と感じるのは、そのための に変らなければならなかったの , 準備なの。狂気と断言されてもしかたがないわ。これが、あなたと 「どう変ったんだ」 理解し合える限界なんだから。 ・ : でも、わたしはそのために決し 「わたしはこの情報省という建物に押し込められてる必要はなかってこの社会、この文明を犠牲にはしないわ」彼女は思いつめた表情 たの。だから三年前から出ていったわ。わたしは、だから今、社会で関を見た。「これでいいかしら」 全体に拡がってるわ。あなた方の大脳皮質の感覚領域みたいに、い ろんな場所がそれぞれの機能を果たしているの」 「もう、お話しすることはないわ。でも、本当に、あなたにはここ 「じゃ、おれたちの情報はいらなかったのかー へ来てほしくなかったのよー彼女の表情はちょっと和らいだ。「わ 「そうなの。ごめんなさい。時機をみて話すつもりだったのよ。悪たし、あなたが好きだったのかもしれないから : さようなら」 気はなかったわ , 女の姿は消え、関は薄暗い部屋の中央にひとり残された。 「あったね、おれは何度も悪夢に苛まれた」 関はしばらく立ちつくしていた。やがて眼が馴染むにつれて、高 「あれは違うわ。あれはわたしが働きかけたんじゃないの。あなたい天井一面に、異様な彫刻が施してあるのに気づいた。よく見ると の人間としての頭脳が感じ取ったことなのよ。私が″心変りを打そのひとつひとつが拷問道具に似た、凶器特有の恐ろしい殺気を帯 ち明けようとする前にあなたが感じてしまったのですもの。あの時びているのだった。関の感受性は確かだった。 わたし本当に人間の認識能力って恐ろしいな、と思ったのよ。だか どこかで動力の入る音がした。 ら : : : 初めにいったでしよ、普通の人間に戻ってほしかったって : ( もう助からないな ) 関は思った。 ・ : 」彼女は咎めるような眼で関を見つめた。 天井一面の凶器がそれそれに、風に波うつ草原のように動きだし 「しかし : : : ぼくは工場地帯で明らかに狂気を感じた。あれは夢じ た。凶器の擦れ合う音が部屋いつばいに充満し、それはサディステ 、確かな現実だった。おれの認識力が確かなら、あれはどう ィックな恍惚感への期待をはらんだ息遣いのように高まった。 いうことなんだー関は口調を荒らげた。 Ⅳ 6
ハルが意識を回復したときからずっと言おうと思いつづけてきた言 つづけた。 「きみたちが非常用電話で交した二回の会話はもちろん録音された葉を無理に口から出した。 もので、再生装置は船内にかくされていた。どんな要求で呼び出さ「きみたちには理解してもらいたいと思う : ・ : ・きみたち双方にだ : ・ : ・きみたちをあんな目にあわせるくらいなら、わたしは自分が行き れても、一番うまく辻つまの合いそうな言葉を、心理班が選んでお いたのだ。これはどうやらうまくいったよケだ。二番目のせりふたいとさえ思ったということを。きみたちがどう感じたか、わたし は、きみたちが疑いを持ち始めた場合に、名演技の総仕上けをするにはよくわかる。いうなれば、われわれは一種の : : : 」 つもりで書かれたものだ。また、人工冬眠には少々工夫を加え、か「宇宙的な悪ふざけをした、ですか ? 」 らだの新陳代謝の約九十九パーセントを休止させるようにした。こ と、トニーは言ったが、ニコリともしなかった。 これと、トニーのあごの のことはまだ部外秘で公表されていない。 「そう、そんなようなものだ」 カミソリによる切り傷に抗凝血剤を塗ることが相まって、長い時間 と、大佐は早口に言葉をつづけた。「あまりたちのよくないもの が経過したという事実をおおいかくしたのだ」 だが、きみたちにもわかるだろう、ああす だったかもしれない 「宇宙船はどうしたのです」と、ハルはたずねた。「われわれはこるよりしかたのなかったことが。残ったのは、きみたち二人しかい の目で見ましたーー・・半分しかでき上がっていなかった」 なかった。ほかの連中は、みんな失格してしまってね。行くのは、 どうしてもきみたち二人でなくてはならなかった。しかも、われわ 「ダミーだよ」と、大佐は言った。「大衆を楽しませるためと、外 国の諜報活動をかわすために、あそこへ置いていた。本ものは何週れは一番安全なやりかたで、それを実行しなければならなかった。 間も前に完成し、テストを終えていたのだ。乗組員を確保すること それに、なにがおこなわれたかを知っているのは、わたし自身の のほうが、むずかしい仕事だった。演習で満足な成績をあげたチー ほかには三人しかいない。今回の旅行中、現実に何が起ったかを知 ムがひと組もないといったわたしの言葉は真実だ。きみたち二人はっているのは、だ。今後とも、決して、このほかの者にはもらさな 成績が一番よく、われわれにとっては一番勝ち目の多い賭けだっ 、。これはわたしが保証できる」 それに対するハルの声は、おだやかではあったが、静まりかえっ だが、今後は、こんなやりかたは二度としなくてすむだろう。心た部屋の空気を、鋭いナイプのように切り裂いた。 理班の話では、次の探険隊には、この種の心配はないとのことだ。 「大佐、・ほくたちがこのことをだれにも話さないことは、確信して 自分よりさきに、だれかほかの者がそこへ行ったことがあるという くださってよろしいですよ」 事実が、心理的な強味になるのだそうだ。完全に未知なものに挑む部屋を出てゆくステハム大佐は頭をたれていた。この二人の史上 のではないからだろうな」 初の火星探検家たちの目を、どうしても、まともに見ることができ 大佐はしばらく坐ったまま唇をかんでいたが、やがて、トニーとなかったからだ。 ー 42