クラーク - みる会図書館


検索対象: SFマガジン 1971年1月号
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1. SFマガジン 1971年1月号

しかし、われわれが十分注意しないとあと一世代か、そのくらい もらいたくないということを書いているんですね。 6 でこうしたすばらしい哺乳類を減してしまうおそれを持「ておりま私のノンフィクシ ' ン、たとえば『未来の。フロフィル』といった す。イルカだけではないのです。現在でも捕鯨がひじようにすたれものについては、もっと考え得る、可能性のある将来を書いておる てしまって、クジラがいなくなってしまっているのです。これはまわけです。中には両方とも起り得ないという情勢もあります。これ ったくおろかなことであって、われわれに無限に食料を与えてく が起ればこれは起らないというのも。しかし私のノンフィクション れ、牧場のように彼らを飼育することすらできるのですが、それをにおいては、想定できる将来をいつも書こうとしております。フィ あえて絶減させてしまうようなおろかなことを人間はしています。クシ「ンの分野についても私の考えておるは全くの幻想、夢物 ただ、これには経済的にも道義的にも問題がありましよう。ひじよ 語ではなく、起り得ることを書いているつもりです。の重要な うにス ーパーインテリジ = ントなイルカが現われた場合、中しわけ役割りの一つというのは可能性のある将来の地図を書くということ ない、あなたの親類は人間が皆殺ししてしまったという間の悪いこじゃないでしようか。その意味で斥候的な役割、スカウト的な役割 とになってしまうかもしれません。 ( 笑 ) を一歩人に先んじてやっているのです。これによって未来というも 小松『海底牧場』の場合もそうですが、クラークさんがいままのが、ひじように急速に、現実化しつつあるときにを読んでも で書かれたの中で出されたアイデアというものは、もうほんとらうことによってのみ、一般の人や政治家等もひじように極端な未 うに書かれてからクラークさんがまだ生きておられるうち五年、十来の変化に対して心構えをすることができると思います。読んでお 年という間に、どんどん実現してくるわけなんですが、クラークさもしろいということや芸術的価値とはまた別にはこのように社 んにおいてを書くということと未来学者としていろいろなデー会的意義を持っていると思います。 ターの中から未来予測についてのエッセイを書くこととはどういう 小松私もを書いているのですが、今、クラークさんは、起 ふうにつながっておりますか。、 って欲しくないことをにされておるといわれましたけれども、 クラークここで一つ、はっきり申し上げたいことがあります。 たとえば、クラークさんのお書きになった『幼年期の終り』である 私が書くにおいて、私は決して将来を予測しようと試みているとか、先ほどの『二〇〇一年宇宙への旅』は、何か人類の全体の大 のではないのです。ライターで予測しようとしている人は実際きな運命みたいなもの、宇宙へ向って知識が開かれてしまった時代 にひじように少ないので、この点、大いに誤解されているようでの運命というものの壮大な予感のようなものを人々の魂の底に送り す。一作家はほとんどーー私は必ずそうなんですが 届けるような役割りを果たしていると思うのです。というもの 線に沿「てや「ているのです。すなわち、ここにひじようにおもしはそういうふうな進化史的な未来であるとか、人類であるとか、そ ろいアイデア、発想、発明がある、こういうことが可能かもしれなれから、宇宙の中の小さな惑星の上にいる知的生物であるとか、個 。もし、それが現実化したら、どうなるだろうかという線をと 0 人のせいぜい六、七十年の生涯の枠の中では、とても経験すること てテーマを発展させていくわけですただ、ほとんどの科学小説とのできないような何十億年というふうな時間、何百億光年という距 いうより、「通俗的な」ーーたとえば恐怖映画なんていうのが離というものを何か感覚的に、感情的に、あるいは魂の中に実感さ それですけれども、そういったものはたいていそんなことは起ってせるような役割を果たしているのじゃないでしようか。

2. SFマガジン 1971年1月号

アーサー・ O ・クラーク 松左京 この対談は、教育教養特集 番組 ( 一九七〇年九月二十四日放映 ) を誌上完全再録したものです。 小松二十世紀後半に至って私たちの科学技術文明はすべての面踏み入れた私たちの文明は、かってが予言的に描き出した状況 にわたってきわめて巨大化してまいりました。交通、通信産業それにますます似つつあり、さらに一部においてはの描いた状況を から経済、政治、文化、それから戦争や公害といったものに至るま越えつつあると思われます。 ですべて地球大のスケールの最高の次元というものを採用せざるを さて、きようスタジオにお招きしており、ますアーサー・ O ・クラ 得ないようになってきたと思います。しかも、さらに巨大化されつ ークさんは現在世界最高の作家のお一人であり、また科学者、 つある機械文明の無気味な発展ぶりは私たちの生活や社会の未来を未来学者としても幅広い活躍をなさっております。クラークさんは 宇宙史的スケールでもって真剣に考える必要を増大させていると思日本で開かれた国際シンポジウムにご出席のため来日されたわ けですが、クラークさんのお名前は、ひじように います。こういった未来飃第【 ~ ー物籥、ま、物・「 的、宇宙的な状況をテーマ 美しい、きわめて予言的な映画「二〇〇一年宇宙 にすえて取り組んできた文 への旅』の原作者ということで皆さんよくご存知 学の一つにサイエンス・フ のことと申〕います。さらにもう一つ、クラークさ イクンヨソ、があるこ んはア求ロ中継あるいは万国博以前はオリン。ヒッ ク中継で大活躍した通信衛星のアイデアを世界で とを皆さまご存 - 知だと思い・を ます。そして、現在二十世 初めてお出しになった方でもあります。いまから 紀の最後の三分の一に足を 二十五年前の一九四五年に、まだ戦争中にクラー 国際 U) u- シンポジウム記△心特別企画 1 未来社会への展望 8 5

3. SFマガジン 1971年1月号

クラーク大〈ん複雑な形而上学的な議論にな 0 てきたようで しました。それからもう一つのショックは、やはり原子爆弾でし た。水爆の出現にいた「て、私たちが科学技術文明を通じて、惑星す。私の『二〇〇一年宇宙への旅』とか「幼年期の終り』なぞにも 書いているところですが、想像力の限度というものに達したときに 規模の破壊手段をもったことを知りました。 はもうはっきりと明確に叙述をするということができなくなりま それでこういった私たちの置かれている前時代とまったくちがっ た状況というものを全的に表現するためには、どうも何かいままです。たとえば月の探険につきましても、これは野球のゲームのよう に説明することはできません。したがって、必然的に知的な表現と の主題や形式ではうまく行かないような気がしました。たとえば恋 冫しいものがありますけれども、そか、幻想に走るわけです。は現実か、という議論はよくあるの 愛小説たったら過去にひじようこ、 ういった形式やそういうふうなテーマではこの状況を描きつくす一」ですが、実際われわれそうした現実的なものにずいふん頼ります。 『二〇〇一年宙への旅』の場合でも、こうした形而上学的な考え方 とができないだろうし、といって恋愛小説についても前代よりいし ′ード・コア ものは書けないだろう、と思って、何か探しているうちににぶというものが、いわゆる本格派といわれる作家から批判された つかったわけです。それからをやる前の過程で私は文学部ですりしましたけれども、しかし、こうした形而上学的な考え方をする からアウトサイダーとして、現在の人間の認識のレベルというものことは当然必要だと思いますね。 を知るために科学の勉強を始めたんですけれども、そのときに科学 小松わかりました。私はいままでクラークさんの書を通じて のもたらすスリルというものはひょっとすると過去に描かれたいかしかクラークさんを知らなかったわけですけれども、きようこうい なるファンタジイよりも、もっと大きく、ファンタスティックなもうふうに、お会いしてお話してみて、私がクラークさんにその御本 これは理論 のかもしれない。それから現在の科学というものは を通じてあらかじめ抱いていた一つの印象というものがまったくそ だんだん進歩すればするほ 科学も応用科学も両方ですけれども のとおりだったということがわかりまして、まことにうれしく思い ど、ひじように哲学的、形面上学的なあるいはひじように文学的なます。やはりというものは、単にいままでの文学の中のはしつ 問題にぶつかりつつあるような気がするのです。それでという このほうに咲いたあだ花、科学の上昇期にあらわれた娯楽文学のあ ものにぶつかったときに、私の求めていたものはこれだと思ったんだ花であるとかいったものではなしに、むしろ人間の文学的な魂が です。クラークさんはいかがでしよう。 この科学文明時代の新しい状況に取り組まなければならないときに これは最後にお聞きしたいのですが、科学が現在遭遇しつつある必然的にとるようになった形式じゃないかという感じを強くいたし 問題は、実は科学の中だけでは解決できないようなスケールをもちました。ほんとうに長い間ありがとうございました。 つつある。つまり人間の存在の根源に触れるような、あるいは宇宙 というものの存在の根源に触れるような大きな哲学的な問題に、次 第に直面しつつあると思います。それからもまた、別のコース を通って、やはり同じような問題に当面しつつある。この二つの人 間精神の活動形式の関係、その問題に対する解き方の違いのような ものについて何かお考えございましようか。

4. SFマガジン 1971年1月号

クさんは、こういうふうに、 - 第一クラークさん、どうもありがとうございます。 すれば世界中が通信衛星で いまご紹介のときに『二〇〇一年宇宙への旅』の もって結ばれるという基本 を一 3 話が出ましたので、そこから話を始めてみたいと アイデアを発表されまし 思うのですが、あれは地球人が宇宙へ飛び出して た。まだ宇宙技術が夢のよ 氏いって、そこに自分を越える存在にあい、変貌し 京 うな時代にそのアイデアを「〉 左ていくというテーマであったと思います。あのテ お出しになり、現在の宇宙 ' ーマの中にはクラークさんの人類の未来に対する 衛星はその通りの形で現実 る一つのビジョン、予言的感情といったものが現わ 化しているわけです。クラ 談れているように思うのですが、それについて少し ークさんは一九一七年生れ ・鑿、対お話願えませんでしようか。 のイギリスの方ですが、現 2 、 ~ 蕊氏クラーク『二〇〇一年宇宙への旅』の筋書は 在でもプロの第一線級の科 一いま、あなたがご紹介下すったようなわけです。 学者であり、先ほど申上げ ラ人間と何かそれ以上にすぐれた存在というものと たように、最高の作家 、たの接触は ( 必ずしも常にすぐれたとは限らないで し のお一人です。いま中しあ しようが ) の一番古いテーマなんですね。こ 日 げた『二〇〇一年字宙への 、、、 ~ 、来れはある意味においては昔の神話的なものから生 旅』という著作 ( 邦訳題名 まれたものかもしれません。たとえば怪物である は「宇宙のオデッセイ 2 0 とか電物であるとか、そういったイメージからの 01 ) 」でありますとか、 産物かもしれません。しかし、今日ではそれがひ それから『幼年期の終り』 じように重要になっているのです。宇宙研究家 という r-n とか、それから も、天文学者も生命というのは実は宇宙にたくさ んあるのたといし ( これも最近ひじように有名 、よじめています何億、何十億 になりました『未来のプロ とある天体の中に生命がないと考えることのほう フィル』というェッセイ集をお出しになって日本でも一番たくさんが不合理な、考えられないことです。したがって、われわれ人類と 翻訳の出ている作家でいらっしゃいます。これから、作家 いうのは、この大体において比較的その歴史は若いわけで、せいぜ 宇宙の歴史から考えれば、ほんの一瞬といって であり、科学者であるクラークさんに、二十世紀後半の科学技術文い数十万年という、 明の発展が、未来へかけて私たちにどんな世界をもたらそうとして しいほどわすかな歴史しか持っていないわけですね。したがって、 いるのか、一体全体私たちはそれに対してどういうふうに対処した この実際の全宇宙系の序列から見ると、人類は一番下のほうにある らいいのか、そういったことをいろいろお伺いしたいと思います。 ことになる。ですから、いずれ、どこかほかの天体の生物の存在が一一

5. SFマガジン 1971年1月号

間の頭脳と = ンビ、ーターの頭脳とがい 0 か収斂し、同一シテムは、だんだんス 0 ーになるというのが実態でし = う。しかし、それ一一 にしても、あと何世紀もかかるでしよう。 にくみこまれるということは可能だと思います。それから、もう一 その過程で、一つの問題は、情報汚染、インフォメーション・ポ つ、コン。ヒューターの設計をやることによってわれわれは脳の病気 リューションという・ことです。これは、ある意味においては大気の や故障というものを勉強することができると思います。これは医学 汚染以上に深刻な問題です。情報があり過ぎるために必要な情報が 的にひじように有意義だと思います。 小松そういうふうに、人間の技術文明とそれがつくり出した機得られない。必要な情報があるのかないのか、それすらわからな い。だれかがどこかに答えを持っているのかもしれないけれども、 械はどんどん発達してきたのですけれども、その発達がこれまでは この情報汚染ということはコン ひじように爆発的に進んできたが、これから先発達のテンボというそれがどこにあるのかわからない 。ヒューターによって解決できる問題の一つだと思います。コンビュ ものは、いままで通りのカー・フを持っことはできないだろうという ーターというのはスキャン一一ングをして巨大な量の物質または材料 予測もあります。たとえば機械文明が大きくなってきて、環境の汚 染がひどくなってくる。そのことが機械文明の発達全体に大きなプの中から必要なものをひじように短時間に探してくることのできる レーキをかけてくるだろう。それから人間の持っているいろいろな能力を持っているわけです。それはコンビ = ーターに命令ができれ 知的カード の組み合わせがますます複雑になるにつれて、全体を整ばの話ですが、ただ自分が何を探しているかわからないじゃあコン 理して、さらにそこから新しいアイデアを生み出していくことが逆。ヒ = ーターに命令のしようもありませんが。われわれは、やはりど うしても電子的な情報保管および索引装置・システムというものを にますます困難になってくるのではないかという議論があることが つくっていかなければならないでしよう。それはわれわれの持って あるのです。それはどうお考えでしようか。お作の『未来の。フロフ 、る巨大な情報を整理するために絶対に必要です。それがなかった イル』を見ますと、むしろわれわれはそういう機械の発達に対しし て、いままでひじようにイマジネーションが足らな過ぎたとおっしら、われわれは情報に押しつぶされてしまうと思います。そうすれ ば進歩は終わりです。 やっているように思えます。あまり、機械の発達を低く見積り過ぎ 小松さて、ここらへんで、話題をかえたいと思いますが、クラ たというお話が繰り返して出てくるのですが、これから先の機械の ークさんは宇宙に関してひじように大きな関心を、科学者として 発達がまだより高いペースを維持できるというふうにお考えになる も、作家としても抱き続けておられましたが、同時に海洋とい でしようか。 うものに対して、あるいは海底の生活に関してもひじように大きな クラークいま挙げられたコメントの中には、ずい分いろいろな ものが含まれております。まず、一つは、この曲線の上りぐあいで興味を持たれているようです。それからまた海底牧場という、ひじ す。むろん永久にそのような上昇をしていくことは不可能です。地ようにおもしろい未来的なー・・ー未来的なというよりもひじように近 球の人口がそんなに無限に増えることができないのと同じで、いずい未来に実現しそうなを書いておられます。そこでおうかがい れは頭打ちになるのです。科学知識の上昇曲線というものもいつのしたいのですが、宇宙と海洋というのはクラークさんの中ではどう いうふうにつながっているのでしようか 日にかはだんだん頭打ちになるかもしれません。しかし、それは相 クラーク私の経験では、宇宙に関心を持つ人はだれでも必ず、 当先のことです。上昇率というのはだんだん急になるというより 4 6

6. SFマガジン 1971年1月号

マカジン , ーリンク長物を ンタジイ第 1 作 220 枚 テル豊田有恒 ム記念特別企画 、の展望クラーク : 小松左ま の世界小野耕世 ンタジア 和明 ■長期連載ニューフ 脱走と追跡のサン , ・連作ヒロイック・フ 火の国のヤマトタ ■国際 S F シンポジ く対談〉未来社会 ■新連載コラム ・ S F ト・ファ 地球 い一イ 早川書房 SCIENCE/SPECULAi10N & 日 ON / N 犱 SY

7. SFマガジン 1971年1月号

小松そうするとクラークさんは、人間の後継者としての機械とは電子頭脳のほうがはるかに人間の頭脳よりもすぐれたものができ いうものに関して、もしそういうものが生まれてほんとうに人間のると思います。 与えられた生物的な限界というものを乗り越えていってくれるなら 小松実は、これはこの間ある若手の哲学者と議論したことがあ ば、それをむしろ、祝福したいというお立場ですか。 るのです。それは、ロポットについての議論でした。そのときに、 クラークそうですね、いくつかの可能性が考えられます。人為若手の哲学者は、機械というものは、実は人間が自然を理解する上 的に、いろいろ試みられている可能性ですが、われわれの生物学的にひじように役に立っているのだといいました。それは単に観察機 構造も、まだ改善できるかもしれません。たとえば、頭脳も今日よ械をつくることじゃなしに、機械というものを発明したおかげでも って、たとえば人間の体は一つの化学工場だと見なす。それから地 りももっとすぐれたものに改造することができるかもしれません。 ケミカル しかし、根本的にはどうにもならない限度にくるでしよう。頭の大球の中における物質の循環を一つの化学的な過程、ひじように複雑 きさだって、これ以上そう大きくはできない。あまりに大きな頭たですけれども、大まかな化学的な過程、化学的工場の反応として見 ったら肩の上に運べないし、あまりにも壊れやすい、ぶつかりやすなすことができる。それから、コン。ヒューターというものが出てき たおかげでもって人間の脳の中で行なわれている玄妙不可思議な思 いということになります。それから感覚器官、たとえば耳とか目と いいかもしれませ考の過程というものが少しすつわかり始めている。そういう複雑な か、そういったものもどこにくつついていても ん。これを無線でつなぐと これはに昔からあったことです機械をつくり上げていくことが逆に自然の理解を深めることになる 、刀 脳はどこにあったってかまわない。感覚器官と脳との間にうという議論をいっておりましたが、機械というものに対するこうい 目が頭う見方、つまり、自然をモデル化することによって、自然に対する まく連絡がありさえすれば何千キロ離れたってかまわない。 脳から一インチの所にあったって何千キ卩離れてたってかまわな理解がすすみ、同時に、自然の制御もすすむといった考え方につい てどうお考えでしよう。 したがって、そういう意味においてはひじように巨大な、人為的 クラーク確かにコン。ヒューターができるということによって、 な人工的な頭脳をつくることもできると思います。また電子的な頭われわれ自身の心をもっと深く理解できるようになったと思いま アンプリフイケーション 脳と人間の頭脳と両方うまくかみ合わせて頭脳の増幅というす。人間の頭脳がいわばコン。ヒューターと同しようなものだと想定 こともできると思います。そして、長期的には、電子的な頭脳で信するのはあまりにも、ものを簡単に割り切り過ぎているかもしれま コン・ハートメント じられないような計算スビードと、かっ多種多様な「引き出しーをせん。われわれのコンピーターの設計はまたほんとうに第一歩を 持ったものが生まれてくるでしよう。人間の頭脳にはいま大体百億踏み出したばかりでして、またすべての可能性はわかっていないと くらいの引き出しがありますけれども、電子的なコン。ヒュ 1 ターで思います。根本的には、人間の頭脳には、コン。ヒューターと違うと ころがあるように思えます。しかし、頭脳とコンピューターを両方 は、その大きさが三年毎に十分の一くらいになっているということ を考えますと、実際には人間の脳ぐらいの大きさで、ひじように大研究することによって、たとえば脳の専門家がコン。ヒューターの設 きな引き出しを持った電子的な頭脳ができる可能性は大いにあると計者に情報を与え、コン。ヒ「一ーターの設計者がまた脳の専門家に対い 思います。そうい 0 たことをすべて総合して考えますと、究極的にして、ひじように貴重な情報を与えるというような協力によ 0 て人一 、 0

8. SFマガジン 1971年1月号

1 9 7 1 年 1 月号目次 今月の巻末特選ノヴェル ニニ 0 枚一挙掲載 豊田有恒 ) 久火の国のヤマトタケル くまそ わずかな手勢を率いて火の国の熊襲征討に向かう王子の行手に待つは魔か人か ? 連作ヒロイック・アアンタジイ第一作新神話シリーズ誕生ー 恐龍狩り アラリー 禁猟区 必要の母 ロックていこう 国際シンポジウム記念特別企画 アーサー・ O ・クラーク 対談未来社会への展望 松左京 し・スプレイグ・ディ・キャンプ ート・ンルヴァーバ ロク・フィリップス フリツツ・ライ / 山野浩一 9 0 1 2 9 144

9. SFマガジン 1971年1月号

観測機械でわかるかもしれませんし、また、ここ〈くるかもしれまていると思いますけれども、クラークさん自身としては、われわれ一一 せん。また、われわれのほうが他の星へ行「て、そういう生命に接がそれにいどんでいく価値があるとお思いですか。また、いどんで いくべきだとお思いですか。 触するかもしれません。そんなわけで、こうした人類以外の代物と しま人類の歴史の新し クラーク私が思いますのに、ちょうど、、 の接触ーーーある場合には人間よりすぐれていることもあるでしよう い章に入っているところたと思います。過去の数千年の間に、人類 もはや単なる空想ではなくて、現実になりつつあると考えてい 文明がたとえばアフリカか中国かどこかからか始まって、初めはゆ いと思います。 つくりであったでしようが、次第に加速しはしめて、ついにこの天 ト松いま、単なる空想ではないとおっしゃいましたが、ほんと うに、つい二十年くらい前までは、人間が宇宙へ出ていくというこ体を占拠するようになった。そしていま占領の最終段階にあるわけ とが一つのフィクションのテ ! マでありましたし、それからそこでです。しかし、この占領の最終段階というのが最近の数十年程度の 何か人類を越える存在にあうという可能性は、サイエンスフィクシわけですね。 そしてやがて海底以外に住むところがなくなって ョンの荒唐無稽な夢物語として ま ) しまうわけです。土地の上というのはすでに限定さ 扱われたと思います。ところ 供 提れているのです。間もなく人類が地上には = ばいに が、その後、私たちの文明の科第”ートーをーをー。 日なってしまうでしよう。したがって、歴史的に考え 学的認識というものがひじようーまー薯物 ( ても宇宙に行くというのは不可避なことだと思いま に発達してまいりまして、地球ー、 ( 第・第 ( 歩《 クす。しかし、植民地を天体につくることは簡単には の正確な大きさ、宇宙の正確な一 ( ~ ぐし力ないのて いきません。地球上のようなわけこよ、 大きさ、また宇宙の中における一 ~ 、社 ( 「、を ) クす。完全な環境の保護もなく人類が住むことのでき われわれの位置とか、地球史、 ( 一 ( … . あるいは宇宙史の中におけるわ。を , 物 ~ る天体というのはやはり限定されているでしよう。 ・また地球の上では北極や南極をいかに開拓したとし れわれの状況とか、そういった サても、まだ十分問題の解決にはならないわけです。 ものがひじようには「きりして一 くるにつれ、単なる夢物語とは ア人口の問題を解決する方法として宇宙に植民地をつ くるということは、それ自体ではナンセンスかもし いえなくなってきたと思いま〔第ー【 す。しかしながらここでやはり私の考えますのは人間が一つの大きれません。しかし、宇宙探険の重要性、いつの日か、そこに行っ な問題にぶつかっているような気がします。つまり科学の認識の発て、家族も持ち植民するということの重要性はそれによってひじよ 達というものは、私たちが宇宙において、まことに小さな存在であうに新しいカ、新しい知識、そしてまたいつの日にかは新しい原 る事をはっきりさせた。そして、その次にはその小ささの中で、わ料、資源というものをわれわれに与えてくれるかも知れない、とい うところが重要たと思うのです。たしかに、そこにいくのはひじよ れわれはつましく暮すべきか、小さいけれども、なお巨大なものに 向って進んでいくべきか、そういう選択がわれわれの前にあらわれうに金がかかるけれども「 , ものを持って帰ってくるのはそんなにか

10. SFマガジン 1971年1月号

家の手によってなされると思います。しかしながら、何度も申上げ 私は、よく言っていることですが、こそ実際には現代小説の形 るようですけれども、アポロ計画そのものが与えた感動はかって式としては現実を取り扱う唯一の種類の小説であると思います。ほ の中でのみ、予見されていた感動、たとえばクラークさんの『幼んとうの現実の宇宙というものを対象にした文学作品は実はな 年期の終り』というひじようにスケールの大きな話、あるいは『都んです。 それに対しましても、いわゆる通常の小説というのは、今となっ 市と星』というように十億年間続いた都市の中で、また新たに人間 が目ざめていくという話のようにが先取りしてきたスケールのては、逃避主義というべきでしよう。エスケー。ヒズムです。たとえ 大きな感動とひじように似て来ているんじゃないでしようか。そう ばジェイムズ・ポンドの小説はまったくの逃避主義です。また、西 いう意味で、ある種のは、未来に新しい機械が出てくるとか、 部劇的なもの、ウエスタン物、それから歴史小説、こういったもの 新しい乗り物が出てくるとかいうふうな部分的な予言でなしに、そも現実というのはほんの一部分にしかないわけで、それに比べます ういう人類の「的時代」といったものを先取りしていたんしやと cn の将来というのはひじように幅の広いものがあると思いま ないかという気がするんですが、しかがでしよう。これはひょっとす。したがって私、作家は現実逃避をやっているという批判に するとひじように古代的な天才たちが古代の知識の範囲でもって感は、反対だと、むしろわれわれこそそうじゃないんたということを じていた宇宙の大きさの感動、あるいは宇宙の中における人間の運言いたいのです。 命についての、ときには虚無的にさえなってしまうきびしい感情、 小松それは私もまったく同感ですが、二人とも作家なので そういったものを受けつぎながら未来へ向って復活させているよう気炎をあげたかっこうになったかもしれません。しかし、私が な気が私自身にはするのです。やはり、これからのというものを書き始めた個人的な動機について、ちょっとご説明することをお 許しください。私は最初、大学の文学部でイタリア文学をやってお はやはりこの方向をもっと追わなければならないとお思いでしよう りました。文学部ですからいろいろな小説を読むわけです。ところ か。それとも、というものは、まだもっとほかに大きな目標が あるとお思いでしようか。 が、十九世紀に完成された形式の小説というのは、現代の私にとっ クラーク私の考えでは、作家はもっと自体の将来を予てはどうしても「全的な感動」を呼び起すことができない。自分が 想することができるべきですね。たた、私、実際に自分にそれがでこれから小説を書こうとしたときに、先人の開発した主題と形式の きるかどうかわかりません。ここで一つ、いまおっしやったことを枠の中では、私たちは先人よりも、すぐれた小説を書くことはでき 伺っていて考えた点ですが、というものによって多くの人た ないだろうという感じがしたわけです。そこには戦争の影響もあり ち、科学者でない人たちも宇宙というものの感触を少し触れることます。第二次大戦で日本の都市は焼け野原になりました。・ こ存知の ができたということは言えると思います。そして、感情的に、何かように、それまでの日本の都市というのは木と竹の都市でした。都 理解できるような感じがした。これはによって初めてなし得た市というものがきれいに焼かれて、取り払われてしまうと、そこに ことたと思います。事実に基いた科学的なものはあまり読みたくな何かひじように大きな自然というものーーーちょっと極端な言い方で 9 いのかもしれませんし、理解できないのかもしれません。しばしすけれども、「惑星の肌」みたいなものが感じられたわけです。そ 6 ば、詩人のよう」 : + 一た者よりも現実に近いということがあります。 の時私は、「文明」と「地球」というものを同時に見たような気が