さきにおりたとき、化身である仮りの姿はきえ、巨大な海竜の姿にである。 変っていた。 そのとき、巨竜の顔面めがけて、陽光がひらめいた。石占の横立 楼門のうえに爪のある前足をかけ、盤石のごとき頭をふりたて、 が、八咫の鏡の向きをかえ、巨竜の火をはく術を封じたのである。 あぎと 目を射るような白銀の鱗をひらめかせ、燃えるような顎をひらいて だが、このとき、竜の背にはえた巨大な翼が、鏡のはなっ陽光から ほうこう ろう 一声たかく哮咆した。 はすれ、耳を聾する羽音をたてて羽ばたきはじめた。ひとっしかな 「者ども、銀竜が姿をあらわしたそ ! 」 い鏡をもって、巨竜の火と翼を同時に封じることはできない。巨竜 王子は、部下たちに声をかけてから、悪竜にむかって剣をかまえは、いまにも天へ昇ろうとしている。 ゆずる た。石占の横立は、勾欄のうえにかけあがり、懐中から一枚の鏡を 弓弦の音が鳴ったかとおもうと、一本の矢がとび、巨竜の喉もと とりだし、竜めがけて陽光を反射させた。この八咫の鏡こそ、大和を射ぬいた。節くれだった喉の白銀の鱗のうえに、山鳥の尾羽の矢 王家の重宝のひとつで、いかなる妖魔変化をも、すくみあがらせる が突きささっていた。しかも、鱗をつらぬいて、まだ羽の先がふる えている。 力をもっという。この鏡に照らされておるかぎり、さしもの悪竜 おとひこ つきやま も、雨をおこし雲をよぶ術を封じられ、飛ぶことさえかなわなくな築山のかげから、美濃の弟彦がすすみでて、むなしく翼をふるわ るであろう。 す巨竜を見つめて、二の矢をつがえた。矢の先には、緑色のまがっ やさかまが 八咫の鏡に照らしだされ、悪竜は苦悶の形相ものすごく、巌のごた石が、くくりつけてある。この石こそ、大和王家の宝、八坂の曲 たま とき頭をふりたてながら、王子めがけて襲いかかってきた。王子は玉である。曲玉に秘められた神秘な力が、ついに巨竜の鱗を貫いた まがねあかがね は、右へ左へと逃げながら、剣をふるって攻めたて、かたい鱗のあのであった。この神宝のカのまえには、真鉄も赤銅も、紙にひとし いものになってしまうという。いま、弟彦は、その証を見せたので いだを狙って、突きをいれる。重量のある巨体にもかかわらず、竜 の動きは速かったが、王子の動きはそれを上まわっていた。昨夜、ある。 かぎづめ 弟彦に射ぬかれた左眠のほうへまわるので、太い鉤爪もななしく土弟彦は、つづいてこの矢を切ってはなした。狙いあやまたず、矢 をかむばかりであった。そのうち、竜の顔面は、無数の突き傷で、 は、巨竜の胸をつらぬいた。痛手をうけた巨竜は、猛然と王子めが 血みどろになった。だが、いずれも、鱗のあいだを突かれたというけておどりかかる。王子は、横っとびにさけながら、針金のような あぎと たけで、致命傷にはなっていない。 巨竜の髭を切りおとし、さらに顎のちかくの鱗をそぎおとした。こ げきりん あぎと とっぜん、竜の顎がかっと開かれ、すさまじい火炎をふきだしの鱗は、逆鱗といって、鈍感にちかい竜の表皮のうち、もっとも感 た。王子は、からくもとびさがったが、熱風にあおられて仰向けに覚の鋭敏なところであり、触れられただけで竜は激怒するという。 たおれる。そのうえにのしかかるように、ふたたび竜のロがひらか銀竜は、怒りのあまり我をわすれ、楼門をふみつぶした。そこにと 7 れる。いま一度、灼熱の炎をあびせられれば、王子の命もこれまでりついて矢をはなっていた兵士を、ロにうけとめて呑みこむと、松 ばんじゃく やた
林のなかへ逃げこもうとする。八咫の鏡が投光できる距離からはずのは、いかなる理由あってのことか ? 」 れてしまえば、登雲、変身、火炎などの術を、とりもどすことがで 王子は、問いかけた。この悪竜は、蛟のような位の低い竜ではな きる。 く、歴とした由緒のある竜であった。 「逃がすな、弟彦、眠だ。残った眠を狙え」 「わしは、人間になろうと思った。一万人の人間をとらえて食えば 王子は、竜の行手に立ちふさがり、弟彦を呼びよせた。弟彦は、人間になれるという。そして、九千九百九十九人を食らい、王子の 八坂の曲玉の矢をつがえ、切ってはなした。矢は残る右眼を射ぬい船をむかえたのだ。わしは敗けた。大和の勇敢な王子に破れた。だ た。盲目となった竜は、やみくもに突進するばかりである。竜の動が、さきほど最後の一人の人間をのみこみ、ついに人間になること きをよくみながら、王子は、前足の腱のうえをめがけて、カまかせができた。そして、人間として死んでいくことができる。美しい王 あぎと に剣をつきさした。耳を聾する悲鳴とともに、巨竜の顎がおそって子よ、わが父の東海屯王は、おまえを許すまい。もちろん、竜には よう力、 くるが、すでに王子の姿はそこにはない。もう一方の前足のところ人界のことに容啄することはできない。だが、天候をもっておまえ の行手をはばむことができる。おまえの征服の行手には、つねに暗 にうつり、ふたたび足の腱をねらって、剣をつきさした。 しよう 巨竜の上体が、がくんと沈みこみ、後足の爪がむなしく土をけっ雲がただよい、瘴気がたちこめ、嵐が吹きまくり、氷雪がふるであ た。その肩にかけあがった王子は、首筋めがけて、剣を突きさしろう。それが銀竜をたおした者の宿命だ。竜王の呪いだ。だが、こ た。柄までも血にまみれた剣を、くりかえし突ぎさすと、とっぜれだけは信じてくれ。わしは、心から妃を愛した。妃は : : : 」 ん、巨竜の姿が消えうせ、王子は大地に投げだされた。 竜の貴公子は、恐ろしい竜王の呪いを告げ、そこまで言いかけて から、血みどろの頭をおとした。絶命した男の顔には、どことなく 「王子よ、これをごらんなされまし ! 」 弟彦と横立に抱えおこされ、王子が見つめると、いままで巨体の満足そうな表情が浮かんでいた。 あった土のうえに、血みどろの男が倒れていた。その男の顔は、竜「王子、竜の妃が見あたりませぬそ。黒姫さまをかたる海を逃が の化身であった貴公子のものであった。その眼は両方ともつぶれてせば、かならずや災いのもとになりましよう」 おり、すでに死相が現われはじめている。 石占の横立は、勾欄のうえを見あけ、しわがれ声をあげた。する 「小碓の王子よ、わしの臨終の言葉、きいてくれぬか ? 」 と、弟彦も、曲玉の矢をとりあげ、はやくも王子をうながした。 「よかろう、申してみよ」 三人そろって殿上にあがり、そこから回廊をたどっていくと奥ま 王子は、竜の貴公子のところに膝をつき、その鉛色の顔を見つめったところに、またひとつの御殿があった。三人がかけよると、扉 をひらいて、あの女があらわれ、柱に背をもたせかけて立ちどまっ 「わしは、蓬山に近い海中にすむ東海竜王の第三太子であった」た。 「その東海竜王の太子が、人をとらえて食らう悪竜になりさがった「海覚悟 ! 」 ほうらい ゆいしょ
国船へ乗りうつった。他の者たちも、それそれ手頃な足場をもとめつかも知れませぬが、また、役にたたぬかも知れませぬ。「竜王には けんぞく て、船の残骸にのりうつり、いままで乗っていた大船をとりまくよ他にも多くの眷族がおりまする。銅竜というのは、竜王の縁につな みずち うな位置をしめた。なかには、板子にかじりついている者もある がるもので、昇天を許されておりまする。蛟という竜は、湖や淵な し、突きでた帆柱にしがみついている者もある。 どに巣くって、人を食らうもので、いまだ昇天したことがなく、使 小碓の王子は、異国の少女の肩に手をかけ、せまい船首に伏しい手さえすぐれておれば、剣をもって殺せましよう」 て、時いたるを待ちかまえた。 「なるほど、この淵に住む竜が銅竜か蛟の類であれば、こちらにも 「横立、竜というものを知っているか ~ 」 勝ち目があるというのだな ? 」 王子は、そっと声をおとして、老人にむかって話しかけた。大和 小碓の王子は、答を期待せずに、わざと問いかえしてから、腹這 のようなひらけた土地では、竜の琳をきくことはない。越の国や、 いのまま、大蛇の剣を見つめた。この剣は、叔母の倭姫から授けら 毛の国などという未開な土地で、竜が現われたというような奪がなれたものである。かって出雲には、大和王家とならびたっ強大な国 みや がれ、日代の宮まで伝わってくることがある。だが、王子は、単ながあったという。その国が大和に攻めほろぼされたとき、出雲王家 る以上には、竜について知らなかった。 の重宝である大蛇の剣も、大和へ運ばれてきた。そして、代々にわ こう 「竜には、金竜、銀竜、銅竜、蛟竜の別がございまする。まず、こたって、大王の未婚の姫が預かり、神宝として伝えてきた。 の世界の四海には、それそれ竜王がおりまする。この四大竜王は、 小碓の叔母は、神をまつる巫女として、未婚を通してきたので、 うとん 金竜と申しまして、黄金の鱗と翼をもち、尋常の剣では刃がたちまとりわけこの甥には優しかった。父母から疏じられた王子を育て、 ほうらいさん せぬ。伝えきくところ、東海竜王の宮殿は、かの蓬山に近い海中伊勢神宮へむかうため大和を去るにあたって、この剣を残してくれ にあるとのこと」 たのであった。 横立は、そこまで話してから、しばらく考えた。王子は、ここに そのとき、小碓の王子は、とっ・せん、耳をそばだたせた。夜の闇 いる敵が竜王のような強大な相手でないことを悟り、ひとまずは気をついで、ひとつの声がながれわたった。ものかなしげな大の遠吠 をおちつけて、老人の話のつづきをきくことができた。 であった。 まなくろ 「この四大竜王には、たくさんの子竜がおります。これらは銀竜と「しまった。真黒を船にのこしてきてしまった」 かんしようばくや 中して、銀の鱗におおわれ、やはり干将莫邪の名剣でもなければ、 王子は、おもわず、頭をおこした。真黒というのは、この淋しい 刺しつらぬくことはできませぬ」 王子のただひとりの友、小牛ほどもある愛犬の名である。はじめて すさのおみこと やまたおろち 「須佐之男の命より伝わゑこれなる八岐の大蛇の剣ではどうじゃの船旅に苦しんでいたので、船底に寝かして動かぬように命じた ままここへ移ってしまったのであった。さしも忠実な愛大も、淋し 「はて、この老耄には、なんとも申しかねまする。あるいは役にたさに耐えきれなくなり、遠吠をはじめたのであろう。 こんりゅう じんじよう こし
めがけて上体をのしかけるのに夢中で、王子に斬りつけられたこと 「わしは、真黒を連れてこなければならぬ」 王子は、船体の端に立った。残骸の板子がきしんで、大きく揺れに気づかなかった。あるいは、銀色の鱗があっすぎて、蚊ほどの痛 た。船の板子には、大きな獣の姿が現われた。真黒である。巨大なみも感じないのかも知れない。襲ってくる牙をかいくぐって、真黒 大は、あたりを見まわし、水をへだてて立っ王子の姿をみとめ、船が海へとびこんだが、それでも、銀竜は追おうともしない ~ 船いっ ばいの犠牲がつまっていると、はじめから思いこんでいるらしい 縁に前足をかけた。 泳いできた真黒を板子のうえに引きあげ、王子は横向きに切先を すさまじい水柱が立ちのぼり、王子と真黒のあいだの水面から、 かまえた。船を押し沈めようとして、海屯が体をよじったので、ふ 途方もない大きさのものが突きでたのは、まさにその時であった。 たたび尾が近づいてきた。目のまえに迫る巨木のような尾の鱗のあ 夜目にもくつきりと浮きあがる白銀色の鱗。朱を塗りたくったよ いだめがけて、王子は剣を突きだした。いや、突きだすというよ うな巨大な顎。鋭くつきでた頭上の一角。そして、老松の枝のよう り、剣をかまえたまま、切先で尾を受けとめたというべきであろう に拡がった翼。まさしく、この淵に巣くう悪竜にちがいなかった。 か。肉をたっ音とともに、刀身のなかばまで鱗の継ぎ目に刺しこま 「銀屯じゃ ! 」 小碓の王子は、おもわず、板子の上に膝をついた。東海竜王の眷れた。ひきぬいた切先から鮮血がしたたりおちるのと、巨竜が咆え ぞく 族にあたる白銀の海竜が、姿をあらわしたのである。さきほど、横るのと同時であった。 立からきかされたことを思えば、気も心も萎えはてていく思いであ海竜は、船体にのしかけた上半身をねじまげ、ゆっくりと向きを かえた。はじめて、王子の存在に気づいたのである。巨大な重量を もっ体の動きよ、 : いかにも緩慢であった。 銀竜は、夜気を裂いて鋭く一声ほえた。燃えるような赤い舌と、 「逃げろ ! 」 白磁のような尖った牙が、盤石をおもわせる頭からこ・ほれでた。 身の毛のよだっ恐怖を感じながら、王子は心をはげまして立ちあ王子は叫んでから、異国の少女と横立を押しやり、流木づたい に、べつの船の残骸へ移らせ、自分だけ踏みとどまって、ふたたび がった。幸いにも、巨竜は、こちらに気づいていない。新しい獲物 、つ大蛇の剣をかまえた。そばにたっ真黒が、はげしく吠えたてる。 の船に心を奪われている。板子の上で吠えたてる真黒の声も、 そう竜をひきつけた。海竜の巨大な尾が、水をたたきながら、王子巨竜の顎が、かっと開かれ、赤い舌が炎のようにひらめいた。そ いわお のまえにうねってきた。王子は、剣を両手にもって仁王立ちになのとき、厳のような顔面めがけて、幾節もの矢が振りそそいだ。ひ り、白銀の鱗のうえをカまかせに斬りつけた。だが、金気のある乾らいたロ中にとびこむのも、赤い舌をつらぬくのもあった。異国船 のうえで待機していた弟彦の一隊が、弓をそろえて射てはなしたの いた音をたてて、剣は跳ねかえされてしまった。 である。 「王子、鱗の継ぎ目を刺しつらぬくのじゃ」 石占の横立が、しわがれた声をはりあげて助言する。海竜は、船巨竜は、しばしたじろいで、うるさそうに頭をふりながら、こん ばんじゃく
でも思うのか ? 人間の小ざかしい考えが、竜にも通用すると思う いた竜太子の逆鱗は、いつのまにか消えていた。東海屯王が、風を なら、大まちがいじゃ。わしは、おまえごときは、たちどころに、 おこして運びさったものにちがいない。 とってくうことができるのじゃ」 人間の女を妻にしたかどで、太子を竜宮から追放した竜王も、や 金竜は、雷鳴のような声で答えた。 はり親子の情にかわりないのであろう。悲連の太子の鱗をおさめ、 「ならば、とってくうがよい。人界のことに立ちいれば、竜王の地いずこかへ葬るつもりなのであろう。 位も無事ではすむまい。手をくださずにわしを殺す手段を、思いっ 竜王の去ったあと、風雨は、おさまりはじめていた。王子は、し いたとでもいうつもりか ? そいで兵士たちのあとを追い、第七の池をかたわらにみて、地獄谷 王子は、金竜にむかって、わざと挑発にでた。金竜は、真紅のロをぬけていった。 をかっとひらき、顎をひろげて前足をふりあげ、翼を大きくはばた ようやく谷をぬけだしたとき、あたりは、嘘のように晴れわたっ いてから、きゅうにからからと打ちわらい、前足をもとへもどしていた。 「小なまいきなことをいう奴だ。これまで、人間の分際で、わし 5 火の山の館 に、そのような口をきいた者はおらぬ。きさまをころす手段、ゆる ゆる考えるとしよう おうすみこ 金竜は、大きくはばたいてから、天空をかけて去っていこうとす 小碓の王子の軍は、けわしい山路をたどって行軍をつづけ、よう る。風雨はますますはげしくなっていく。 やく豊の国をぬけて、火の国のはずれにたどりついた。これより先 「弟彦、今だ。竜王のもたらした風雨が、火の精の泥と毒気を封じは、熊襲の領界であり、兄熊の道案内がなければ、到底すすむこと ているあいだに、 ここを出るとしよう」 はできない。もはや、大和からきた人の住居は、どこにも見あたら 王子は、弟彦を手招きして、そっと耳打ちした。竜王の姿は、しない。ときたま、勇気のある商人が、山中へはいりこんでいくが、 だいに東の空へ消えていく。竜王をよびだせば、かならず風雨をとあえなく殺されたり、火の山の犠牲にされたりするという。 もなって現われる。そうすれば、火の精の魔力を封じることができ王子の一行は、あいかわらず悪天候にたたられながら、森林と山 るにちがいない。王子の計略は図にあたったわけである。 地をとおりぬけてすすんだ。いっ襲われるかわからないので、夜の つまき 弟彦は、さっそく、兵士たちをよびよせ、第七の池が静まってい見張りはたやすことなくつづけられた。途中、兄熊は、楸の木を切 るあいだに、谷をぬけだすように命じたようやく危機をきりぬけりたおして、大槌をつくった。大勢におそわれたときなどは、一ふ た兵士たちは、よろこびいさんで進みはじめた。 りの剣よりも、両手でふりまわす大槌や大斧のほうが威力がある。 王子は、剣を腰にもどしてから、ふと左与に眼をやった。持って兄熊の戦法については、すでに大斧をも 0 て刺客に立ちむか 0 たと てだて 幻 3
、え、それは、王子のせいではありませぬそ。わしは、よう覚 えておりまする。倭姫さまが、王子を育てておられることを耳にな 8 ひしろ 3 神木の村 され、烈火のごとく怒られた日代の大王は「即刻つれてくるよう に、みずからの手で首はねてくれると、おおせられました。あのと き、あなた様は、わずか六歳にあらせられました。あなた様は、大 小確の王子の一行が出発したのは、その翌朝のことであった。尾 張の田子は、村長から水や食糧などをもとめた。あの悪竜の命ずる王に申されましたな。日代の宮の鴨居を、みな高くしてしまえばよ そうすれば、いつまでたっても手がとどくようにはならぬと。 ままにしていたら、やがて村人のすべてがとって食われることにな るであろう。そこへ大和の王子が通りかかったのは運がよかったのそれをきいたとき、倭姫さまは、よろこばれました。利発な王子じ あまかみ だと、すくなからず誇張もまじえて説明したので、村長のほうからや ~ このような総明な王子を殺せば、天っ神の怒りがおそろしい 食糧をさしだしたのである。 ど。この一言で、あなた様の助命がきまったのでございます。それ 一行は、浜より内陸へむかい、山路をたどってすすんだ。黒姫によりずっと、日代の宮の鴨居は、高くつくられるようになりまし いわれたとおり、伊予の西へでるためである。王子の行手には、白た」 い霧がたちこめていた。太子の死を知った東海竜王は、はやくも復「たが、わしは、叔母を殺してしまった。わしが、あの村へ行きさ 讐の手をのばしてきたのである。霧にまどわされ、狼の巣窟へまよえしなければ、幸うすかった叔母上も、竜王の太子とそいとげてお いこめば、もはや死ぬほかない。白い厚いもやをとおして、かすかられたものを。あのように無残なことになるとは、思わなかった」 な踏分道のあとをたどり、百人の兵士をひきつれての山越えは、容 「なるほど、お二人とも、お気の毒なことでした。しかし、あなた 易なことではなかった。 様は、一万人の人間を食らった悪竜を退治なされたのです。しか 王子のそばには、タ・ハーナ姫と石占の横立がついていた。美濃のも、悪竜は、あの村を仮宮にさだめ、人間になったあかっきには、 しんがり 弟彦が先頭にたち、尾張の田子が殿軍にまわっていた。 大和へ攻めのぼろうと、たくらんでおりました。それは、漢の天子 みつぎもの 「王子よ、 いかがなされました。あの村を発ってから、なにもおおへの貢物にされた黒姫さまの大和への憎しみのためでございます。 せられませぬが ? 」 竜太子にしてみれば、大和にはなんの怨みもなかったでありましょ 無言のまま進んでいく王子を案じて、老いた法術使いが話しかけう。しかも竜体のままでは、人界のことに立ちいることは許されま てきた。 せぬ。そこで人間になろうと思いたったのです。いわば、黒姫さま 「わしは、公承のことを考えていた。双子の弟に生まれた者は、の非運に同情するのあまり、結果としては黒姫さまにそそのかされ あだ 居に手がとどくほどに成人すると、肉親に仇なすという。まさに、 たようなものです」 いしうらよこたち 伝承のとおりじゃ。わしは、叔母にあたる人を殺してしまった」 石占の横立は、若い王子の心情を理解し、こちらに非はなかった さち やまとひめ
た泥の飛沫をあたりにふりまいた。 こうなれば、ここで待っしかないと、腹をくくったようである。 「それまで、わしらが、生きていられるかどうかな ? 」 王子は、ふたたび同じことをさけび、すぐさま場所をかえて、火 横立が、鼻をうごめかしながら、悲しげに首をふった。あたりにの泥の柱をさけた。こうして、三度、四度とくりかえすうちに、晴 は、つよい匂いが、ただよいはじめていた。鼻をつきさす嫌な匂いれわたっていた空が、にわかにくもりはじめた。王子のほうも、無 くす で、ちょうど銅を焼くときの煙とよくにている。だが、あの樟の木傷ではすまなかった。場所をうっすたびに、近くに泥の飛沫がはね の里でかいだものより、はるかに強い匂いであった。こうしているとび、腕や足に火傷をおった。しだいに、王子の動きがにぶってき あいだにも、胸が咳こみ、眠が痛くなるほどである。 「東海竜王よ」 「このままでは、全滅を待つばかりだ」 五度目に王子がよびかけたとき、とっぜん雷鳴がとどろき、満天 王子は、つぶやいた。そして、じっとすわりこんで、考えはじめ をよこぎって電光がはしり、大粒の雨がおちてきた。宙空につきあ 思案は浮かばなかった。い た。大蛇の剣に手をかけてみたが、いい かに名剣であっても、火の精には通用しないであろう。銀竜をたおげた火の柱が、にわかに雨にうたれて湯気をふきあげ、みるみるう し、樟の古木をきり、大和の刺客をさした剣 : : : 。銀竜 : : : 、水をちに萎えたように、くずれて消えた。あたりには、激しい風がふき かい、王子の髪をあおりたてた。それとともに、むせるような毒気 司る竜王の太子だ。 は、ふきはらわれていった。 「そうだ ! はげしい電光がかけぬけ、一瞬のあいだ王子の視力をうばった。 王子は、とっぜん、立ちあがった。ゆっくりタ・ハーナ姫のところ ようやく眼をあけたとき、天空には途方もなく大きなものが、なが に近より、その肩をだいて、じっと顔をみた。もし、失敗すれば、 そなたの顔も、これで見おさめになる。と、ロにはださずに、心でながと浮かんでいた。 別れをつげてから、腰につけた小袋に手をいれ、銀色に光るものを 黒い雷雲の峰に水品のような前足の爪をかけ、金色にかがやく鱗 げきりん とりだした。銀竜をたおしたとき、この剣でそぎおとした逆鱗であをさかだて、巨大な翼をひらき、うねうねした黄金の尾をふりまわ こんりゅう る。 し、稲妻の階梯を後足でふみしめ、宙天いつばいに金竜がわだかま 王子は、右手に剣を、左手に逆鱗をもち、岩の凹みからとびだしっていた。見るだに恐ろしい東海竜王の真の姿であった。 し、東のかたへむかって立ち、大声でさけんだ。 「東海竜王よ、わしは、大和の小碓の王子。あなたのご子息を討ち かたみ 「聞け、東海竜王よ。わが手にかけてたおした竜太子の遺物を、こ とった仇じゃ。さ、これに持ってきた太子の逆鱗を受けとるがよ れに持っておるそ。欲しくば、現われてとってみよ . 王子は、ミけびおわると、すぐさま場所をうつった。はたして、 王子は、声をはげまして話しかけた。 火の泥の柱は、今まで王子が立っていたところに降りかかり、熱し「大和の小碓。太子の鱗を返せば、わしの怒りをやわらげられると 幻 2
その柔い手のひらは、歩きっかれて汗まみれになっていた。そして ことを立証し、しきりに勇気づけた。 て、言葉は通じないながらも、そのしっとりとした温もりを通し 8 「竜王は、わしを襲うであろうか ? 」 おきて 「いえ、天界の掟によって、人間に手をくだすことは許されませて、おたがいの気持がかよいあうのが判った。 おうす ぬ。東海竜王は、太子の復讐のため、名誉や地位をすてるほど愚か「小碓」 しだが、竜王は、天候をつかさどる職にありま ではありますま、 タ・ハーナ姫は、王子の名をいつくしむように、ささやきかえし す。竜太子が死にのぞんで予告したごとく、王子の行手をはばもう た。この国の言葉を知らない王女にとって、この王子の名だけが、 とするでありましよう」 すべて言葉にまさる呪文であった。 石占の横立は、そういって行手を、さししめした。乳のように濃困難な山路をこえて、ようやく平地へおりると、小碓の王子の一 い霧がたちこめ、木も草もあっくつつみかくされ、十間さきも見通行は、ひとつの村にたどりついた。山越えに手間どったので、行程 せない有様であった。この内陸にも、竜王の手がのびている。霧を がはかどらなかったから、あの竜の淵からそれほど遠くはなれたわ つかさどる雨公ばかりでなく、雷神や風伯までも、竜王の差し金でけではない。村の者にきいてみると、いったん北へまわり、大河に 動くはずである。このさき、どのような天変地異が襲ってくるか、沿って西へすすめば、四日の行程にすぎなかったという。 まったく予測できない。 そこは、大河の岸にひろがる平地で、もはや霧はたちこめていな 王子は、はかり知れない恐怖をお・ほえながら、つつましくついて かった。ここまでくれば、もはや竜王の力もおよばないのであろ くる異国の王女を見やった。そうた、この女を救っただけでも、悪う。河に沿った平地は長くつづいているが、南北は山脈をもって限 みなもと 竜を退治た意味があったにちがいない。もし、王子の一行が来あわりとしている。伊予の西へでるには、大河の水源のほうへむかって いのはなとおげ あかがね せなければ、このタバーナ姫は、一万人目の犠牲として、悪屯の魔すすみ、猪鼻峠という難所をこえ、銅の山をとおって海辺にでら あぎと の顎にささげられていたであろう。このうえは、異国の姫をあくまれるという。 で守りとおすしかない。 小碓の王子の一行は、この河岸にある勝間という村で歓待をうけ 王子の心を知ってか知らずか、タ・ハーナ姫は、女の身に無理な山た。五日ぶりに人家に寝とまりすることができた。この村の住民 くまそ ならわし っちぐも やまと 道を、不平ひとっこぼさずについてくる。悪竜の顎から救われてか は、土蜘蛛や熊襲などとちがって、開化された習慣をもち、大和の ら、ただひたすら王子を信じようと、かたく心に決めているようで大王のことなども、すでに伝えきいているようであった。渦の南に あった。その心根が、ひしひしと伝わってくるだけに、いじましく は届いていない大和のも、ここでは、かなり誇大に伝えられてい も哀れに思えてならなかった。 る。おそらく、連山のむこうの浜にある村から、知らされてくるの つくし であろう。瀬戸の海は、大和と筑紫をむすぶ重要な海路になってい 「タバーナ姫 ! 」 るから、そのあいだにある数々の水門では、日代の宮のたよりなど 小碓の王子は、王女の手をにぎりしめて、やさしく呼びかけた。 おおきみ かつま
手の指先を器用にうごかし、竜の形をつくってみせた。 王子は機嫌をなおして、老人に笑いかけた「老人がさしでロをき 「ナーガ・アシュラ」 かなくとも、いずれにせよ、王子のひそやかな楽しみは、尾張の田 小碓の王子は、あっけにとられて、見つめていた。すると、うし子の呼び声によって、中断されることになったのだ。 ろから、しわがれた声が話しかけた。 一行は、五隻の筏にわかれて乗り、湾の入口のほうへむかって漕 あや 「王子、その言葉、判りまするそ。漢の国では、邪悪なるもの、魔ぎすすんだ。入口のあたりから急に浅くなり、岩場がつづいている あしゆら ものの類を、阿修羅と申しまする。したが、この言葉は、かの国のが、海流は速くはない。しかも、筏のことであるから、船底をやぶ みさき しったん るおそれもない。しばらく漕ぎすすみ、湾を形づくっている岬ひと ものでなく、万里をへだてた悉曇とやらいう国の言葉じゃと いしうらよこたち うしろできいていた石占の横立が、きき知った言葉を小耳にはさつまわると、その向こうは、広い砂浜になっていた。ここなら、ど んで、ロをだしたのである。少女は、老人の話にかまわず、身ぶり こからでも上陸できるにちがいない。 なみはやみなと 白い浜に筏をのりつけ、浪速の水門をでて以来、はじめて大地を をつづけた。竜にむかって王子が剣をふるうさまを、両腕をくねら せて、うまく表現してみせてから、つけくわえた。 ふみしめると、ようやく人心地がしてきた。そうしてみると妙なも 「ラータ、オウス」 ので、きゅうに空腹がたえきれないものに思えてくる。船もろとも タ・ハーナ姫が、手を合わせて膝をおとすと、すかさず老人がいっ食糧を失ってしまったので、足にめりこむ砂の重みがひどくこたえ こ 0 「悪竜を退治した小碓の王子は、勇者じゃと、こう申しております「人家が見えまするそ ! 」 浜づたいにしばらく歩くと、先頭をすすんでいた尾張の田子が、 るのじゃ」 ぶね 小碓の王子は、老人のさしでロを、いささか不快におもった。説大声をあげて知らせてきた。浜のあたりには、十数隻の刳り船が、 明されるまでもなく、異国の姫の言おうとするところは、判ってい ならんでおいてあった。ようやく近くの漁村にたどりついたらし 、 0 るつもりであった。また、判らないにしても、この少女の身ぶりを 田子の立っている堤のところまでくると、松林にかこまれた美 見ているだけで、今後のことを忘れるほど楽しくもあり、また、そしい村があった。 こはかとなく胸さわぐ思いがするのであった。 小碓の王子は、ともすれば急ぎ足になるのをこらえ、タ・ハーナ姫 「王子さま、筏ができましたそ ! 」 をいたわりながら、一行のあとから村へむかった。 海面におりていた尾張の田子が、元気のいい声で呼びかけた。本数十戸ばかりの村のなかへ入ると、美濃の弟彦は、村長らしい男 来なら殺されるべき運命であったのに、この陽気な若者は、いつのと、談合をはじめていた。話のロぶりでは、水や食糧や衣類を手に いれるため、かけあっているらしい まにか兵士たちとうちとけてしまい、まるで王子の手足のようにな って、かれらに下知を伝えているのであった。 さしあたって王子のすべきことはないので、村の様子をひとわた すぐり
どは弟彦のほうへ向きをかえようとした。そのはずみに、太い尾がも、警戒をゆるめることはできなかった。 うねり、王子の立っている板子めがけて振りおろされた。王子はか 小碓の王子は、異国の少女とともに、壊れかけた船上から、作業を らくも海中へおどりこみ難をさけた。いったん水中に沈んだ王子を見つめていた。その背後では、弓矢をもった弟彦が、油断なく見 は、剣を手に浮きあがり、海竜の背後から抜手をきって近づいた。張りをつづけている。 肩のあたりにとりつくと、あつい鱗が恰好の足場になった。そこか「わしは、大和の小碓という。そなたの名は ? 」 ら這いあがり、首のうえにまたがり、大蛇の剣を逆手にかまえ、 王子は、少女が言葉を解さないことを知りながら、ゆっくり尋ね 鱗のあいだめがけて、柄も通れとっきたてると、すさまじい叫び声てみた。昨夜は、疲れきって寝こんでしまったので、名を尋ねる がわきおこり、山のような背が弓なりにそりかえる。弟彦の矢が、 もなかった。この美しい異国の少女の、せめて名前なりと知りたか のけそったはずみに目前に近づいた大目玉めがけて、鋭くいはなさったからである。おのれの顔を指さして名のったのが通したのであ れた。矢は酒樽のような瞳につきたち、尾羽のあたりまでめりこんろうか。少女は、黒い頬をさしてから、一言たけ答えた。 さしもの悪竜も、二カ所に痛手をうけ、耳を聾するような叫びを とこか遠い異国の この少女の名前が、そうであるにちがいない。・ あげ、ここかしこと狂いまわった。船の残骸をたたきつぶし、さんものらしい、ききなれない名であった。少女は、それから、一枚の ざんに暴れまわったのち、やがて巨体が水中に没したとき、小碓の布きれを取りだした。水にぬれているところをみると、この廃船の 王子は、血刀を手にして水面をただよっていた。 どこからか取りだしたものであろう。その布には、、一人の異国の貴 人の絵が縫いとりしてあった。白衣をまとい宝冠をいただき、白髪 をたらしている人物は、この国の王かと見えた。 2 異国の姫 「デーヴァ・。フトラ。ヴァースデーヴァ」 タバーナは、絵の人物と自分を、かわるがわる指さしてから、な にごとか一一 = ロった。 その夜、海竜は水中に没したまま、ふたたび姿をあらわすこ、とは おうすみこ よ、つこ 0 、 「これは、そなたの父か。そなたは、王の娘だというのだな ? 」 学 / 、刀ュ / る碓の王子は、難をまぬかれた異国船に救いあげられ、 王子が間いかけると、タバーナは、浅黒いつやのある頬に笑みを 見張りをたてて警戒にあたったが、なにごともなく一夜があけた。 このまま竜の淵にとどまるわけこよ、 冫しかないので、一行は、手頃うかべ、両手をあわせて膝をかがめてみせた。ロばしった言葉は、 いかだ な材木をあつめ、くくりあわせて筏をつくり、近くの浜へむかうこ父にあたる王の名らしい。 ふら とにきめた。淵の主である銀竜は、それきり姿を現わさない。よこ 。子 , 「タ、、ハーナ姫」 して死んだものかどうか定かでないので、筏をあむ作業のあいだ 王子は、その少女の名を口にしてみた。すると、異国の姫は、左 うろこ らう ほは 9