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検索対象: SFマガジン 1971年11月号
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1. SFマガジン 1971年11月号

叔父はそう言って盃をほす仕草をしてみせた。 「マイナスとマイナスならくつつかねえ筈なんだけどなあ」 まっ江の兄で不動産業者である叔父の健吉は、よくそう言って不「駄目よ。この子は相かわらずなんだから」 思議がったという。 まっ江は何の感情も見せずに言った。 「それにしても、外は暑うございますわねえ」 ばあちゃんがとりなすように口をはさむ。 と答えて啓一は本を閉じた。そこはやはり呉服屋のせがれで、立 ちあがると手早く浴衣に着がえ、うす青色の夏帯をきゅっとしめる「まったくだ。どういうわけか夏の暑すぎる日ってえと、戦争が終 った年を思い出しちまうんだなあ。このところ何年か、まい年それ と居間へむかう。 ばかりだ。としなのかな」 「よう陰気坊主。景気はどうだ」 叔父の健吉は威勢よくそう言って啓一をむかえた。啓一は黙って「暑かったわねえ」 まっ江は仏壇が置いてある隣りの部屋のほうを眺めながら言っ 坐り、黒い漆塗りの座卓の上の煙草人れから一本抜きとると火をつ こ 0 けた。 「今は気違いじみてる・せ。なんでもかんでもあり余ってやがって。 「とうとうまた夏だな」 こないだなんざ、テレビを見てたら、なんとか言う喜劇役者たちが 叔父は啓一を探るように見ながら言う。 メシを投げつこしてふざけてやがるじゃねえか。テレビだから怒鳴 「うん」 ったって仕様がねえけど、やつばり怒鳴りつけてやったね。なんて 「海水浴へでも行って来いよ。陽にやければちっとは威勢よく見え え世の中になっちまったんだろうかねえ」 る・せ」 「そうよ」 啓一はうふふ、と笑った。 まっ江は勢いこんで相槌をうった。「貨車にぶらさがって買い出 「ほんとにねえ、もうお盆だもの」 しに行ったの、ついこの間のことじゃないの」 まっ江は麦茶のコツ。フがつけた座卓の丸いしみを左手で拭きとり 叔父とまっ江とばあちゃんは、感慨をこめてひどかった昔の想い ながら、ちょっとしんみりした言い方をした。 そうか、それで叔父が来たのか。啓一はそう思った。七月十一一一出ばなしに入って行った。戦災のこと、焼死体のこと、飢えたこ 日。きようはお盆の入りであった。それで気がつくと、隣りの部屋と、たたかったこと : : : それはもう何百遍も聞いた昔がたりであっ た。だが啓一には、かすかに空腹の記憶があるだけで、それも果し からかすかに線香の匂いが漂って来ている。 て自分の経験したことなのか、何度も何度も聞かされる内に経験し 「地獄の釜の蓋もあこうって時た。年に一度くらいお前もこう、 アッと派手にやらかしたらどんなもんだ。何ならつれてってやるたように思いこんでしまったことなのか、夢の記憶を追うように奥 3 のほうはさたかでなかった。

2. SFマガジン 1971年11月号

新聞の見出しはこういっていた。「科学者兵器の秘密政府に明か りあげた。 すのを拒否」 翌日、彼が昼食をとりに建物を出たとき、数個の、愛国者の小集 団が、愛国心は重要なものであるということを彼に納得させようと 数人の官吏が五、六人の報道員を連れてやってき、あの見出しは待ち受けていた。小集団はたがいに先を争って彼のそばに近づこう 正しいのかどうかきいた。彼がそうだと確認すると、彼らは、彼にとした。 は国に対して借りがあるのだということを指摘した。つまり、彼が彼は、前歯を何本か折り、みじめにも片目をえぐり出されて、や 研究にたずさわっている研究所は政府からの助成金によって運営さ っと警察に救出された。それから、保護拘置され、拘置所づきの医 れているというわけた。彼は、若い頃研究作業に従事していた何年師の手当にゆだねられたのだった。二日後、彼の研究の重要な結果 間か、軍務に服することを延期してもらっていた。おかげで、戦場をあくまでも秘密のままにしておくのが最善だと考えているのかど で戦ったり、あるしを一 、よ不幸にして戦死したりしなければならなかっ うかについて数回、丁重に尋問されてから、彼は、軍刑務所とお・ほ た代わり、有益な科学者となることができた。 彼の生命を脅かすもの しき場所に移され、ほったらかしにされた。 / 「それはそうかもしれません」と、彼はいっていた。「だからわた から彼を保護してやるのだと告げられていた。 しは、できうる限り多くの利益をもたらし、損害を少なくすること彼の心構えについてさらに尋問するためにだれかがやってきたと によって人類に寄与しようと努力しているのです。もしおかまいなき、 パーセルは、彼の投獄が非合法のものであるということを確信 ければ、寄与するということの本質がどこにあるかは、わたしなりした。彼は、面会人および弁護士に会うことを許されるまで、ハン の判断におまかせいただきたいものですな」 ガーストライキをやるつもりだといった。 このことばは、あまりにも不用意なもののように思われた。そし 次にタ食の時間がやってきたとき、彼は食べるものをなにもあて がわれなかった。それ以来、その独房に食物の運ばれることがまっ て、彼の判断は政府のそれよりもましなのだという意図を含んでい たくなくなっていた。おそらく、二週間ほどになるだろうか。どれ ることを、彼は認めた。おそらく、彼がこれまでにロの端にの・ほら ほどの期間なのか、彼には正確にはわからなかった。というのも、 せることができた最も反感をかうものだったろうが、しかし彼には 二週間めに入ってから彼の記憶があやしくなっていたからだ。彼 他になんといってよいか、これに代わることばが思いつけなかっ た。というのも、それが、彼の考えていることをすばりといいあては、なん度か悪夢を見たのをぼんやりお・ほえていた。そのたびに、 ていたからだ。 精神が錯乱していたのかもしれない。一日以上、身体のエ合がわる カったようにも彼には思えるのだった。 この会見に関してさらに大きな見出しがつけられた。 科学者秘密の提供を拒否。愛国心は重要ではないと。ハーセル語 たぶん、細菌戦に対する抗毒素をほしがっている軍部は、彼がロ る。その晩と翌朝、市のテレビでニュースの解説者はこの問題をとを割るか、それとも死ぬかのいずれかをおとなしく待っているのだ ロ 8

3. SFマガジン 1971年11月号

言った も持ち出したらしい小さな線香立てがひとっと赤い硝子の細い花瓶 「おあがりください」 に、開き切って毒々しい花芯を突き出した山百合が差してあった。 老婆の前には小さな机が置いてあり、その中央に線香が煙を流し「やあ、どうもどうも」 て立っていた。老婆は畳に両手を突いて、机の正面の座を滑りあけ入口で錆びた声がした。「とにかくもうびつくりしてしまいまし た。啓一は下も見ずに靴を脱ぎ、机の上の線香をみつめたまま、あてねえ。ええ、そりやもう家内とはよく気が合う娘さんで、このア けられた場所に正座した。 ートの中じゃいちばん親しくしてたんですよ。それにしても無茶 くや : 悔しきかも、速くは来で。 をしたもんですなあ。何しろあなた、身寄りたよりが全然ないって いう人ですからねえ。私どももそう聞いてるんで親切にしてあげて 「お友だちですか」 たんですが、こうなると困りまさあね。会社のお友たち、と思った って、日曜日のこってすしねえ。電話したって誰もいやしませんよ 「静かな行儀のいい娘さんでしたのに」 。まあ助かったですわい。これでほっとしましたよ」 「よくよくのことなんでしようが、早まったことを : : : 」 管理人は入口から膝ですり寄って来ると、老婆と並んで啓一にし 「どこにいます」 ん底ほっとした様子で言った。 「はあ : 、ああ、久子さんですか。気がついて私が救急車を呼ん「間に合わなかったんですよ」 だときはもう手遅れたったようでした。警察病院ではないでしよう「あ、そうですか。ご存知だったんで : : : 」 か。さっき主人が電話を受けていたようで、下におりますからすぐ 管理人は不審そうな顔をしていた。「じゃあ、ナニをする前にあ 判ると思います」 なたに報らせたんですね」 啓一は返事につまった。どうして自分は久子が自殺をすると思い 管理人らしかった。 込んでしまったのだろう。なぜああも夢中で歩いて来たのだろう。 「遺書は」 それが不思議たった。 、え。なかったんではないでしようか」 「余り平坂君についてはくわしく知らないんです。故郷はどこだっ 「なん時ごろ」 たのでしよう」 「救急車を呼んだのは二時間も前だったしようか」 くや 「ええと、木曾だったな」 ・ : 悔しきかも、速くは来で。 とりあえず持ち出したらしい小机の上には、それらしい白布もか管理人は老婆を見てそう答えた。 「木曾 : : : 」 けられてはおらず、写真も見当らなかったらしく、かわりに使いこ 「入居する時、娘さんおひとりの場合は一応本籍ゃなんかをうかが んで艶の出た木櫛が置いてあった。どうやら管理人室の仏壇からで こ 0 8

4. SFマガジン 1971年11月号

ってのは、・ とういうことなんだ ? たりながめてから、″ェッグ・・ヘネディクト″というのはおいしい ニレベーターが十階にとまり、彼は降りた。 ですよと勧めたり、お天気のことや、交通混雑のひどさなどについ キュリネッツ社のアレックス・ネイラーという男がはったり屋でて意見を述べたりした。 あることはすぐ分った。もじゃもしゃの白髪をした、赤ら顔の中年時折、マーチンは、その・ほんやりした極度の放心状態から脱する ために、努めて元気を出そうとしてみた。しかし、そのつど、落ち 男で、無遠慮な笑い方をした。彼の手のひらはざらざらに乾いてい たし、また、一生けんめいに親しみの感じを表わそうと、マーチン着かない気分にまいもどるのだった。何かが狂っていた。いけない の肩に左手をかけもした。 のはあの名前だった。それは彼がケリをつけなければならないこと 彼は言った、「二分したら戻ります。ここのビルの中で食事するだった のはいかがです ? 優秀なレストランがありましてね、うまいマテ彼は、全力を尽くして、その狂気じみた考えを突き破ろうと試み た。不意に口をついて出た言葉だったが、彼は話題を架線工事のこ ーニをつくるポーイがいるんですよ。それでよろしいですかな とにもっていった。そんな問題は彼にはどうでもよかった。これと いった根拠もなかった。 「結構です。結構ですとも」マーチンは熱意をこめて言ったが、そ れは、なんとなく詰まりぎみのタンクから汲み上げるポン。フのようその話題の転換はあまりに唐突なものだった。 な感じだった。 しかしながら、食事のほうはうまくいっていて、デザートが出さ その時間は二分というより十分に近かったが、マーチンははじめれてきたし、ネイラ 1 もあいそよく受け答えしていた。 彼は現状の取り決めには不満であると白状した。そうなのだ、彼 て訪れるオフィスではいつも感じる、あの窮屈な気持で待ってい た。彼は椅子の上のクッションとか、若い電話交換手が退屈そうに はマ 1 チンの会社に探りを入れているのだ。そして、事実、彼に 坐っている、小さな囲い部屋を見つめたりした。また、壁にかか つは確かに、チャンスがあるように思われた。彼は、十分に見込みが ている絵をながめたり、気乗りがしなかったにもかかわらず、かたある , ーーと考えた。 わらのテープルにあった業界誌に、ひととおり眼を通しさえした。 一人の男が、ネイラーの椅子のうしろを通り過ぎながら、彼の肩 彼がしなかったのはレフなにがしについて考えることだった。 に片手をおろした。「よう、アレックス、元気か ? 」 彼はそのことを考えなかった。 ネイラーはその男を見上げると、間に合せのにやにやした笑いを 。、ツとその顔に浮べた。「やあ、レフじゃないか、どうだい、仕事 レストランの方は申しぶんなかった。あるいは、マーチンが全く 気楽にふるまっていたら、ステキなレストランだったろう。幸いの方は ? 」 に、重荷である会話を彼が進行させる必要は少しもなかった。ネイ「愚痴も言えんさ。じゃあ、 ・ : で会おう」彼は遠くの方へ消えて ラーは大きな声で早口にしゃべり、なれた眼付でメニューをひとわ しー

5. SFマガジン 1971年11月号

その・ハーには名がなかった。どういう種類の名も。かって名があふるためには、、 力なり飲っておく必要があったのだろうと思う。 たち ったという形跡さえない。外に出してある表示は、ただこれだけだ おれはもともとあまり飲まない性質だが、いまでは、自分でもわ カらなしか、一杯傾けると、サムにウォーリイ、のろま、ジルヴェ イ、それに船長のことを思い出す。飲らなくても、やつらのことを 喫茶 考えるので、一杯傾けてしまう。そうなると、一杯が重なって、つ 食事 まりはいつも同じはめになる。ところで、いまも喋ったようだが、 カクテル類 を / ーだった。大きなテおれはかなりな量を飲る。だからといって、おれに文句はつけられ これにも、ことさら意味はない。だがそこよ・、 レビが派手な天然色で、ヤータータ、ヤータータと演っており、一ないのだ。 方では、ジ = ーク・ポックスが下卑た音楽で、テレビの音をかき消そこには女がいた。 おれはかならずどこかで女を拾う。だいたい大した女ではない そうときおっていた。とにかくそこは、子供の巣ではなかった。お れはこういう場所が好きた。だがおれは、こんなところにいるはずし、この女も例にもれなかった。たぶん母親だったのだろう。三十 ではなかった。契約がそうなっているのだ。おれはニ = ーヨーク五歳ぐらいで、耳許から喉頭の丸い部分にかけて、長い傷跡があっ たけれども、そうわるい女でもなかった。傷も見にくくなかった。 か、ニューイングランド諸州にいるはずたった。 〈喫茶Ⅱ食事Ⅱカクテル類〉は ( ドソン川をへだてた真向いにあっ彼女にはいい匂いが漂っていたーーおれがまだ、においのわかる時 た。地名はホ・ホーケンだったと思うが、自信はない。そこら一帯に分にはーーそれにロ数も少なかった。おれはそこが気に入ってい こ 0 こミ」 は、一種のもうろうとした感じが漂っていたのた。おれは お ところで、しつこい咳をする人間に会ったことがあるかい ? ところでおれは、そこに出かけていった記憶がない。おれはひと ころ、ニューヨークの下町にいて、川向うをながめていたのを覚えかしな話をしてもーーーささいな冗談で、どえらくおもしろい話じゃ ないカーーー笑わず、かといって徴笑も消さすに、咳をする人間に ? ている。おれはさかんにそれをくり返した。するとおれは、そこに 彼女がそういう女だった。おれはむずむすしだした。こいつはどう いたのだ。おれには川を渡った記憶などぜん・せんない。 にも抑えがきかなかった。おれは彼女に、やめてくれと言った。 おれは酔っていたんだ。 プルポンをダブルで頼ん彼女は酒をこ・ほし、おびえたようにおれを見つめたーーそこでお どんなふうに酔うのかわかるかい ? ーテンはジンジャー れは、つとめておだやかに言いなおした。 で、運ばせつづけるんだ。しばらくすると、 「ごめんなさい」彼女はなかば怒り、なかばおびえて言った。 エールを持ってこなくなる。おれがこいつで・フルポンを割るのを、 めんなさい。でも、そんなにおっしやるーーー」 だんだん忘れるからさ。おれはニューヨークをあとにするずっと前 「忘れてくれ」 に、かなり飲っていた。それはわかっている。年金など一切を棒に や や 5 3

6. SFマガジン 1971年11月号

ようなタ涼みの人々の間を、 いつもの陰気臭い表情でゆっくりと歩久子はイザナミのようにそう思うかもしれない。 彼は半蔵門を曲り、四谷へ向って歩きはじめた。いっか一度、仲 間とその前まで送ったことのある平坂久子のアパートまで、歩いて 自殺。自殺部落 : ・ をいったいどこなのだろう。久子は本行く気だった。な・せかタクシーや・ ( スを利用することを思いっかな 平坂久子の故郷というのま、 かった。彼の考える死は、そのような文明の利器を認めない位置に 当に自殺を考えているのだろうか。 しろぎぬ そう考えていたとき、啓一は不意に自分が、今、久子の何に魅かあるのた。いっしか啓一は、自分が清浄な白衣をまとった神官のよ うな気持で歩いていた。 れているかに気づいた。 死に介入したいのだ。自殺を考えている人間が抱えている問題を彼は平坂久子のすまいの近くへ来ても、いちどもたじろがなかっ 、どのた。最後の角を曲っても歩度はゆるまなかった。約東の時間きっち 知り、その人間がそれをどう処理し、或いは処理しそこない りに約束の場所へ現われようとしているビジネスマンのように確信 ような姿勢でたたかいに敗れ減んで行くか、それを見たがっていた にあふれた歩ぎかたをしていた。両側に家の密集した幅のせまい下 へ入った。 り坂を中程で右に曲り、その横丁の粗末な木造アパート 彼が古代の葬制に関心を持ったのは、その死者の姿勢と、どのよ うな手続きで減びて行くかを知りたかったからだ。歴史に興味を持やけに足音のひびく木の階段を登り、廊下の両脇にドアが並んだ二 つのも、英雄の業績よりは敗者の滅びの姿に魅かれたからである。階へ出た。左から三番目 : : : 。彼はス・ヒードをゆるめずに進んだ。 まがまがしいほど陰気な顔でそ 恐竜やマンモスに魅力を感じるのは、彼らがかって地上の支配者で何かに憑かれていたといっていし ドアは開かれてい の三番目のドアの中へ一歩足を踏みいれた : あったからではなく、彼らの一族があえなく絶減したからである。 たのだった。螢光灯がしらじらと室内を照し出していた。啓一はそ いま啓一はたしかに平坂久子に男性として魅かれている。しか し、そのような相手が死を考えているからこそ、いっそうその減びのせまい入口で、うっそりと立ち止った。顔の色は蒼白で、思いっ めたように唇を噛み、両手をきつくにぎりしめていた。 の姿を見たいのだ。 ひきとめて、自分のほうへ顔をむけさせるためではない。愛情を部屋のまん中に女がひとり、入口に背をむけて坐っていた。四帖 もって彼女の死を容認し、減びるさまを見守ってやりたいのだ。女半ひと間きりの、そのまん中あたりに正座していた。啓一は沈黙し 性としての美しさをたたえるのと同じように、炎をあげて燃え崩たまま、その背中をみつめて突っ立っていた。うしろむきになった : ・自分なら、彼女の死女のかげから、うすい煙が右へ流れ出していた。女は身じろぎもせ れ、美しく減びるさまをたたえたいのだ。・ ず、啓一も動かなかった。 を理解してやれるのではないだろうか。 どれくらいそうしていたたろうか。背後の気配に気づいたのか、 「悔しきかも、速くは来で : 啓一はそうつぶやくと足を早めた。自分のような存在を知れば、女が急にふりむいた。青黒く痩せた皺だらけの顔であった。老婆は くや 9 7

7. SFマガジン 1971年11月号

ルート 1 、最低速度一〇〇キロとかかれた道路標識の傍に、手を あげて立っている女の子をみつけた。ヒッチハイカーの娘だ 0 ・ほく アルジ = へあと二〇〇キロ。標識がまたすぎる。ぼくにとって は、ブレーキペダルをダ・フルに踏んで、車をとめた。ジャガーは、 へベルモコの ・ほくは、映画博物館でみた、。 は、はじめての街。が、 標識から優に五〇メートルも行きすぎて止った。 「忘郷、を思いうかべていた。・ほくは、きっと、期待した通りのも ー・ハッグをかついだその娘が、手を振りなが 振りむくと、ヒッビ のをそこに見出すのだ。 ら駆けてきた。 あれからあと、・ほくは女を無視することにしていた。視線を前方 「のつけてくれる。あっ、日本の人ね。ああよかった。アルジェま に固定したまま、 ( ンドルをにぎったきりだった。そんな・ほくに、 でお願いするわ」 濃いオーシャンプルーのシャツに、白い麻のスカート、・フーツ姿気づまりでもしたのか、、女が口を開いた。 の女は、まだ若々しかった。熱風と共に、娘は助手席に乗りこんで「終点はどこ。アルジ = 、カイロ、もっと先」 、ってやった。「終点は多分、墓場だろうな」 「さあね」・ほくは、し くる。 「まあ , 女は軽くおこった。「あたしが、気にいっていないみたい 「涼しい。クーラー付の車で助かったわ。もう一時間も道端に立っ ていたのよ。暑さで死ぬんじゃないかと思ったくらいー娘は、ひとねー りで喋りはじめた。「放りだされちゃったのよ、あそこで。ェッチな返事のかわりにシガレットホルダーから煙草を一本ひきだした。 イギリス人、あん畜生。へんなことするから蹴とばしてやったわ」気に入るも気にいらないもない、無関心なんだ。 といいながら、シャツのボタンを外して風を入れた。襟首に汗でま「あたし、カメラマンなの。フリー といついた襟をおし広げる。ちらっと堅そうな胸のふくらみがのそ「そうかい」・ほくは、ぶつきら・ほうにいった。 女は、身にあまる荷物を背負わされた道端のロ・ハにむかってカメ ラをむけた。そして、悪態をついた。「ちえツ。車のスビードが速 「だめ、よそみしちゃ」女は、眼で笑ったが、胸丘はそのままたっ すぎるわ , 「そうかいー ・ほくは苦笑した。個室の中に不意にちん入してきた他人みたいな 「もっと、ゆっくり走れないの」 カ全体的にク 気がした。妙に慣れ慣しい態度が、気にさわった。・、、 ールな感じがある。美人でなかったら、前のイギリス人みたいに放「急ぐんでね」 「いいわよ」女は、すねてみせた。 りだしてやっただろう。こういう世慣れたふりをする女はきらい ・ほくは、女の横顔を盗みみた。横顔がちょっといい だ。たとえ、異境で知りあった同国人であったとしてもだ。 4 こういうタ 208

8. SFマガジン 1971年11月号

苗字を定めた、あのロシア皇帝の勅令により、レフコヴィッチとい見つけ出す楽しみの内にもそれがあるんじゃ。わしには、捜すこと う名を与えられているんじゃよ。そして、わしらがここにこうしてができる二時間、見つけ出すための二時間というものが与えられた 5 いるのは」と老人は静かな口調で言った、 : そして、どうじゃ、おまえはこうしてここにおるではないか 「このわしが神にお祈り したからじゃ。わしがすでに年老いてしまってから、レアという、生きて会えるとは思いもせなんだものを、このわしは見つけ出した んじゃ」彼の声は落ち着きがあり、愛撫しているようだった。 わしのたった一人の娘はーー・ーわしの年とってからの子供でな 、ことだったかな、どうじゃ、息子よ ? 」 あの娘の夫といっしょに、アメリカへ行ってしまったんしゃよ、自「おまえにもいし 分たち若いものの希望のために、ムチで打たれるような苦しみをこ「私があなたを見つけ出した今、よかったと思っています」マーチ の年寄りに残してな。息子たちは死んでしまったし、サラという愛ンはそう言ってひざまずいた。「父よ、私の日々が幸せであります する妻もとうに亡くなった。そして、このわしにも、死なねばならように、そして、私の妻となる乙女が、また、私とあなたの子孫で ん時がきたのじゃ。だが、わしは、レアが遠い国へ行ってしまってある、今だ生れぬ小さき者たちが、幸せになりますように、祝福を から、あの娘に一度も会っていなかったし、便りも殆どまれにしかお与え下さい」 受けとらなかった。わしの魂は、あの娘の生んた息子たちへ会わせ彼は老人の手が軽く自分の頭の上におかれているのを感じた。そ てくれるようにと、こい願ったんじゃよ。わしの子孫である息子たして、そこには、音のないささやくような小声だけが聞えた。 ち、わしの魂がその中でまだ生きていて消えることのない息子たち マーチンは起き上った。 に会わせて下さいとな」 いとおしむように、マーチンの眼を見つめた。その 老人の眼は、 彼の声はしつかりしていて、言葉の底の測り知れぬ影のような響眼はぼんやりしていて見えなかったのだろうか ? きには、古代の言葉のもつ、威厳のある朗々とした調子があった。 「息子よ、わしは、もう、心おきなく、父たちのところに帰るそ」 「そして、わしの願いはかなえられ、このわしが、新しい大陸の新老人がそう言うと、マーチンは空つぼの公園に一人。ほっちでいた。 しい時代に生れた、わしの血を引く最初の息子に会うために、二時 一瞬にして運動は回復し、太陽は中断された仕事を取り戻し風は 間という時間が与えられたんじゃ。すると、このわしは、わしの娘息を吹き返した。そして、そのことを最初に感じた瞬間には、すべ の娘、そのまた娘の息子であるおまえを、この輝くばかりの都市のてが、いつの間にか、元通りになった。午前十時、マーチンは急い 真中で、見つけ出したんじゃな ? 」 でタクシーから降りようとしていたが、紙入れをいくら探しても見 「しかし、なぜ捜し出す必要があったのですか ? なぜ私たちをすっからなかった。その間、往来する車は少しずつ動いていた。 一台の赤いトラックが徐行し、それから、走り去っていった。そ ぐに引き合せなかったのでしよう ? 」 の横ばらには、白い字で″服地卸業、・ルーコイツツ・アンド・ 「それはじゃな、息子よ、望みを抱いて求めるという行為の内に、 サンズ社″と書かれていた。マーチンはそれを見なかった。 喜びがあるからじゃよ」老人は顔を輝かせて言った。「それから、

9. SFマガジン 1971年11月号

「同情はするさ。でも責任はとりようがない。見舞いに行けば : 高木はため息をついた これがお久の何かの思い違いだとしたら、その間違いがいっそうで「村中が自殺 : : : 」 かくなりかねないだろう」 「何かって言うと、実にかんたんに自分から死んじまうんだ。陰気 なはなしだ」 「気の毒だな」 高木はそう言ってしばらく啓一をみつめてから、「お久はお前と 啓一はそう言って、ごくりと唾をのみこんだ。 「お久がか。やめてくれよ、お前まで。それじゃなくても今日美津ならうまく行くのかも知れねえな」 子から電話で、自殺するかも知れないなんて、散々おどかされたり とつぶやいた。 嫌味を言われたりしてるんだから」 話が話だけになんとなく気づまりになり、ビールを三本あけたと ころで高木は帰ってしまった。 「自殺 : : : 」 啓一は瞳に鋭い光を宿らせて訊ねた。とうに日は暮れて、皇居の啓一は高木を送ってから部屋へ戻ると、四本目のビールを抜いて 南側の空が赤く光っている。銀座のネオンだ。 ひとりで呑みはじめた。しらじらとした螢光灯の光の中で、白いゅ 「お前は知らないだろうが、お久ってのは少し変ってる女らしいん かたを着た啓一は、時折りビールを注いだりする以外、身じろぎも だ。特殊なんだな」 せずに坐りつづけていた。その表情は、かって高木が言ったとお 「どう変っているんだ」 り、とてつもなくまがまがしいものであった。 高木は言いにくそうに唇をなめ、左手を意味もなく何回か動かし 2 たのち、 「自殺部落の出身者なんたってよ」 室谷啓一の父親は、昭和二十一年の早春、この麹町の家で自殺し と言った。 て果てた。 「自殺部落・ : ・ : 」 自殺の理由がなんであったか、啓一は今もって知らされていな 「そういう部落がどこかにあるんだそうだ。その村の奴ってのは、 い。啓一自身、知る必要がないと、今ではそう思っている。どうせ 何かちょっとしたことでも悲観して自殺しちゃうんだそうだ。深刻 癖っていうのか、気力号し ; 弓、っていうのか、とにかくいつでも死ぬこ知って気分のいいことである筈はないし、むしろそういうことは一 ・ : そりや、俺だって多少覚えがある生触れずにいたほうがいいと、一種の人生の知恵でそう結論してい とばかり考えているんだ。 よ。はたちちょっと前に、やたら死ぬことを考えた時期がある。人る。 だが、自分の性格が暗く陰気なのは、その父の死に原因があると 生、なんてことをえらく考えこんでしまってな。でも、村中がそん 疑い続けているのた。 なだなんて、ちょっと信じられないけどなあ」 ひさ ひさ ひさ ひさ 6 7

10. SFマガジン 1971年11月号

「湯津村の人たちはどうしたのです。みんな死んでしまったのでないし、何もできないんですもの」 すか」 5 「そうよ。この間まで、ここも大変だったの。でももうおしまい くや ・ : 悔しきかも、速くは来で。 暮れかけて、いったん暗くなった倉戸谷は、夜が更けるに従って 「おしまいというと、どういうことなんですか」 、月を、こ白い微光が満ちて来て、昼とは違った明るさをとり戻していた。 「この黄泉の国にも終りがあったということね。随分長ししオ 明子は啓一から妹の遺骨を渡されて、少し当惑気味であった。 らしいけれども、もうすぐ何もかも終るらしいのよ」 「本当のことを言えば、わざわざ持って来てくれる必要はなかった 「どうしてです」 「麓で聞かなか 0 たの。そのうち人間が大勢や 0 て来るのよ。そしのよ。だ 0 てここは黄泉の国でしよ。久子はもうと 0 くにここ〈戻 けが って来ている筈なんですものね」 あら、おかしいわね。あなたはこ て穢れれば何もかも終りよ : けが そう言われてみればもっともであった。黄泉の国とは死者の国。 こを穢していないようだわ。どうしてなの。穢せばシコメたちは、 すべての人間が死んで辿りつく場所である。死者の遺骨に意味があ あなたに見られただけでただの土くれになってしまうのに」 「何だか知りませんが、僕の父もこの湯津石村の出身だったのでるのは、魂を呼び戻せない残された生者の側だけのことであった。 啓一がそう言うと、明子は成熟した女の笑顔でうなすき、 「だったらもういいわね」 「まあ、それでなのね」 いわさく と言ってから 、かたわらのシメコに向って、「お掃除をなさい」 「石析五郎というのが父の名前です」 と命じた。 「石析ならもう一人も残っていないわ」 シコメは滑るように動いて遺骨の包みをみつめ、あっという間に 「そうでしたか。でも、もういいんです。ここがひょっとして黄泉 それを消し去った。 の国ではないかと、それを知るためにやって来たのです。判ったか 「ね、か矛いいでしよ」 ら、もういいのです」 明子は啓一に弟を見るような瞳で言い 「あなたははじめてだ 「湯津石村の者は、みんなかわいそうな人間だったのよ。ここでシ そと コメたちと暮しているだけならいいのだけれど、どうしたって外のし、それにこの黄泉の国ももう終りなんだから、少し案内してあげ 世界に触れなければならないでしよう。でも、外の世界の人にここましよう」 と、先に立って片須原の奥、奥三界岳の根もとのほうへ歩きはじ のことは何ひとっ喋れないように生まれついてるの。半分はシコメ と同じなのよ。だから外の人と争いそうになると、自分から死なねめた。滝の音が近くなり、巨大な岩塊が迫って来た。 ばならなくなるわけね。シコメは生きている人には指一本触れられ「ここが根の国の入口になっているの」 けが よみ よみ 7 9