自殺 - みる会図書館


検索対象: SFマガジン 1971年11月号
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1. SFマガジン 1971年11月号

「同情はするさ。でも責任はとりようがない。見舞いに行けば : 高木はため息をついた これがお久の何かの思い違いだとしたら、その間違いがいっそうで「村中が自殺 : : : 」 かくなりかねないだろう」 「何かって言うと、実にかんたんに自分から死んじまうんだ。陰気 なはなしだ」 「気の毒だな」 高木はそう言ってしばらく啓一をみつめてから、「お久はお前と 啓一はそう言って、ごくりと唾をのみこんだ。 「お久がか。やめてくれよ、お前まで。それじゃなくても今日美津ならうまく行くのかも知れねえな」 子から電話で、自殺するかも知れないなんて、散々おどかされたり とつぶやいた。 嫌味を言われたりしてるんだから」 話が話だけになんとなく気づまりになり、ビールを三本あけたと ころで高木は帰ってしまった。 「自殺 : : : 」 啓一は瞳に鋭い光を宿らせて訊ねた。とうに日は暮れて、皇居の啓一は高木を送ってから部屋へ戻ると、四本目のビールを抜いて 南側の空が赤く光っている。銀座のネオンだ。 ひとりで呑みはじめた。しらじらとした螢光灯の光の中で、白いゅ 「お前は知らないだろうが、お久ってのは少し変ってる女らしいん かたを着た啓一は、時折りビールを注いだりする以外、身じろぎも だ。特殊なんだな」 せずに坐りつづけていた。その表情は、かって高木が言ったとお 「どう変っているんだ」 り、とてつもなくまがまがしいものであった。 高木は言いにくそうに唇をなめ、左手を意味もなく何回か動かし 2 たのち、 「自殺部落の出身者なんたってよ」 室谷啓一の父親は、昭和二十一年の早春、この麹町の家で自殺し と言った。 て果てた。 「自殺部落・ : ・ : 」 自殺の理由がなんであったか、啓一は今もって知らされていな 「そういう部落がどこかにあるんだそうだ。その村の奴ってのは、 い。啓一自身、知る必要がないと、今ではそう思っている。どうせ 何かちょっとしたことでも悲観して自殺しちゃうんだそうだ。深刻 癖っていうのか、気力号し ; 弓、っていうのか、とにかくいつでも死ぬこ知って気分のいいことである筈はないし、むしろそういうことは一 ・ : そりや、俺だって多少覚えがある生触れずにいたほうがいいと、一種の人生の知恵でそう結論してい とばかり考えているんだ。 よ。はたちちょっと前に、やたら死ぬことを考えた時期がある。人る。 だが、自分の性格が暗く陰気なのは、その父の死に原因があると 生、なんてことをえらく考えこんでしまってな。でも、村中がそん 疑い続けているのた。 なだなんて、ちょっと信じられないけどなあ」 ひさ ひさ ひさ ひさ 6 7

2. SFマガジン 1971年11月号

「お前のお父さんという人は、いつも何かから逃げているような所なかろうと、万一平坂久子が自殺でもしたら、彼は迷惑などとは言 があってね。 ・ : 追われて隠れ歩いてるっていうのか、そんな感じっていられない立場に追いやられるのだ。 それを救う道がひとつだけある。それは性格が似ていて、それだ のする人たったよ」 そんなことは減多にないが、たまさか母親のまっ江が父のことをけに深く理解し合えるかも知れない啓一と久子が、この際二人だけ 話すときは、いつもきまってそういうのであった。歴史に興味を持で会う機会を持ち、一挙に恋愛関係にまで発展すればよいのだ。・ ったり、古代の葬制に関心があったりするのは、多分そうした過去・ : 啓一は腹の底をみすかされたような気分になった。 の死と、自分という人間の形成との間の因果関係を、無意識のうち啓一は最初から平坂久子に関心があった。ひと目惚れというのか に考えている証拠たなどと思うことも多い。仏壇の遺牌に刻まれたも知れない。出来れば大胆に踏みこんで、デートをしたり手紙をや 亡父の命日が、自分の生年月日と一年違いで合致している事実も、 りとりしたり、そういう間柄になりたいと思っていたのだ。だが、 そこに恐ろしげな何かの因果が働いているのではないかと思えるの所詮彼には無理なことであった。 である。 それに、啓一の心の片隅には、銀座の《やす田》の店のことが根 一度その疑問をまっ江にただしてみたが、それは偶然の一致にす強くわだかまっていた。母親のまっ江や叔父の健吉、老女中のばあ ぎないと笑いとばされ、そう言えばそうねえ、と逆に不思議そうにちゃんたちは《やす田》の店をもりたててくれる女を啓一の妻にし 顔をのそきこまれるばかりであった。 たいと願っていて、その願いを破るような行動に踏み切ることが、 だが今、高木から平坂久子の郷里が、多くの自殺者を輩出する特どうにもうしろめたく思われてならないのである。 いや、ひょっとすると啓一はそれを自分自身のための逃げ道に使 異な村であると聞かされて、自殺という行為を思いたっ体質が、血 っているのかもしれない。周囲のそんな願いがなくても、彼はやは のつながりの中に伝えられる、一種の遺伝なのではあるまいかとい う疑問にとらわれはじめたのであった。この持て余すほど陰気な性り平坂久子と夢を語らう機会は作れなかっただろう。《やす田》の 格は、自殺した父から抜きさしならぬ遣伝としてうけついだもの店が心の底にひとつの責任として感じられるのをさいわいに、恋愛 に踏み切れないおのれの不甲斐なさから目をそむけてしまっている で、変えようもなければ逃げ出す術もない檻の中に自分は生きてい のかも知れない。 るのではあるまいかと思うのだ。 家業を継ぐ能力もなく、女を口説くパイタリティーもない : : : 啓 ・こ、ぶたってから、啓一はふと或ることに気づいた。 : お前と一はビールのかすかな酔いの中で、そういう自分を責めはじめてい 高木は今夜何を言いに自分をたすねて来たのだろう。 ならうまく行くかも知れない。そのひとことが言いたくて来たのでた。 いつも傍観者か、せいぜい諦め切った被害者程度の役まわりしか 7 はあるまいか。陰気同志、死神同志 : ・ : それでもいいと思っている内に、結局は誰かに対 たしかに高木は困った立場に置かれている。身に覚えがあろうと果せない男。

3. SFマガジン 1971年11月号

ようなタ涼みの人々の間を、 いつもの陰気臭い表情でゆっくりと歩久子はイザナミのようにそう思うかもしれない。 彼は半蔵門を曲り、四谷へ向って歩きはじめた。いっか一度、仲 間とその前まで送ったことのある平坂久子のアパートまで、歩いて 自殺。自殺部落 : ・ をいったいどこなのだろう。久子は本行く気だった。な・せかタクシーや・ ( スを利用することを思いっかな 平坂久子の故郷というのま、 かった。彼の考える死は、そのような文明の利器を認めない位置に 当に自殺を考えているのだろうか。 しろぎぬ そう考えていたとき、啓一は不意に自分が、今、久子の何に魅かあるのた。いっしか啓一は、自分が清浄な白衣をまとった神官のよ うな気持で歩いていた。 れているかに気づいた。 死に介入したいのだ。自殺を考えている人間が抱えている問題を彼は平坂久子のすまいの近くへ来ても、いちどもたじろがなかっ 、どのた。最後の角を曲っても歩度はゆるまなかった。約東の時間きっち 知り、その人間がそれをどう処理し、或いは処理しそこない りに約束の場所へ現われようとしているビジネスマンのように確信 ような姿勢でたたかいに敗れ減んで行くか、それを見たがっていた にあふれた歩ぎかたをしていた。両側に家の密集した幅のせまい下 へ入った。 り坂を中程で右に曲り、その横丁の粗末な木造アパート 彼が古代の葬制に関心を持ったのは、その死者の姿勢と、どのよ うな手続きで減びて行くかを知りたかったからだ。歴史に興味を持やけに足音のひびく木の階段を登り、廊下の両脇にドアが並んだ二 つのも、英雄の業績よりは敗者の滅びの姿に魅かれたからである。階へ出た。左から三番目 : : : 。彼はス・ヒードをゆるめずに進んだ。 まがまがしいほど陰気な顔でそ 恐竜やマンモスに魅力を感じるのは、彼らがかって地上の支配者で何かに憑かれていたといっていし ドアは開かれてい の三番目のドアの中へ一歩足を踏みいれた : あったからではなく、彼らの一族があえなく絶減したからである。 たのだった。螢光灯がしらじらと室内を照し出していた。啓一はそ いま啓一はたしかに平坂久子に男性として魅かれている。しか し、そのような相手が死を考えているからこそ、いっそうその減びのせまい入口で、うっそりと立ち止った。顔の色は蒼白で、思いっ めたように唇を噛み、両手をきつくにぎりしめていた。 の姿を見たいのだ。 ひきとめて、自分のほうへ顔をむけさせるためではない。愛情を部屋のまん中に女がひとり、入口に背をむけて坐っていた。四帖 もって彼女の死を容認し、減びるさまを見守ってやりたいのだ。女半ひと間きりの、そのまん中あたりに正座していた。啓一は沈黙し 性としての美しさをたたえるのと同じように、炎をあげて燃え崩たまま、その背中をみつめて突っ立っていた。うしろむきになった : ・自分なら、彼女の死女のかげから、うすい煙が右へ流れ出していた。女は身じろぎもせ れ、美しく減びるさまをたたえたいのだ。・ ず、啓一も動かなかった。 を理解してやれるのではないだろうか。 どれくらいそうしていたたろうか。背後の気配に気づいたのか、 「悔しきかも、速くは来で : 啓一はそうつぶやくと足を早めた。自分のような存在を知れば、女が急にふりむいた。青黒く痩せた皺だらけの顔であった。老婆は くや 9 7

4. SFマガジン 1971年11月号

し加害者の立場になるのではなかろうか。加害者にはなりたくな もう一度つぶやいた。なぜか神話の神と久子のイメージが重な 。自分の家を守るために他人を傷つけねばならないのたったら、 り、それがモ / トーンのクロ 1 ズアップとなって語りかけて来た。 引っ越してしまえばいい。 まして商戦に勝ち抜かねばならぬ店を切久子を見舞う : : : 。啓一は珍しくそう決心した。死にとり憑かれ りまわすなど、どうころんでも自分には出来っこないのだ。・ ながら生きている久子が、自分にとってかけがえのない宝物である が、それでは生きて行けるのか。 ような気がしたからである。 啓一は堂々めぐりの自問自答をくりかえし、やがてその堂々めぐ 久子を見舞う。 りは、ひとつのことばに行きついてとまる。 一度はそう決心した啓一だが、翌朝になってみると、やはり腰が 自殺。死んでしまうこと。死を望むこと。平坂久子はひょっとす るとそれをやってのけるかも知れないという。代々自殺者を輩出す重かった。 るという村を故郷に生まれ出た久子という女性が、啓一にはたとえ見舞う : : : と簡単に言葉できめて、その言葉をみずから信じてし まえば、行きにくいことは何もない。しかし啓一は朝になるとすぐ ようもなく神秘的でロマンチックな存在に思えた。 啓一はふとひとつのありえないロマンスを考えた。久子は高木にその見舞うという言葉の裏にある本音に気づいてしまった。 恋して自殺してしまう。 ・ : 高木は冷酷で、久子の死の床へも訪ね結局、口説きに行くのではないか。そう思った。見舞いにかこっ てやろうとはしない。そしてその臨終の枕辺にただひとりみとるのけて久子の状況を打診し、その結果によっては新しい局面に入って いこうという下心があるのだ。最初に見舞うという考え方をしただ が啓一であった。久子に次の瞬間がない、その最後のとき、啓一は けに、ひどくうす汚い自分を感じてしまう。 久子への愛を呼びかける。そういう時なら言えるかもしれない。 落ちつかぬ思いで時間を浪費し、そのくせ次第に久子に対する感 覚めることがない相手になら、どんな烈しい愛の言葉も囁けるだろ う。久子は逝きかけている。半ば死者となり、半ばうつつに残った情が強く湧いて来て、挙句のはては行動に踏み切れない自分がしん 魂で、啓一の愛をうけてくれる。去りかけた意識が手をさしのべて底嫌になる。 そして夜になった。皇居の南の空は今夜も赤く、幾分風が涼しく 啓一の魂をつかみ、啓一は肉体からぬけだして久子の魂とひとつに 感じられる頃になると、ポロシャッとスラックスに着換え、散歩し なる。そしてふたりは、あの遠い遠い黄泉の国へむかう : て来ると言い残して、決心のつかぬまま家を出た。足は千鳥ガ淵の 「悔しきかも、速くは来で : : : 」 啓一は低い声でつぶやいた。それは古事記上巻に記されたイザナ方向へむかう。 ミの言葉であった。死せる妻を追って黄泉国に至ったイザナギに対都心でも夏の夜はやはりそれらしく、お濠ばたには白っ。ほい人影 し、彼女はそう言って怨んだのである。 がそこここにうごいていた。若いアベックや浴衣がけの中年夫婦、 「悔しきかも、速くは来で : : : 」 乳母車を押した外人家族。啓一はなんとなく家へ入りそびれている くや こ よも・つ 8 7

5. SFマガジン 1971年11月号

じゃよ。ちょっとあしざまに言われただけで、くびれ死んでしまうを整備しようとした。ところが、そこで人々は意表をつく反対運動 のが湯津石もんの恐ろしい所しや」 に直面してしまったのた。 「くびれ死ぬ : : : 」 渓谷にある湯津石村村民がそれに反対の意思表示をし、何回かの 話合いで道路建設計画を成立させられてしまうと、一人また一人と 「こうじゃ」 老人は両手を輪にして首にあてがい、首つりの真似をした。「湯自殺をはじめたのである。 津石もんは先祖代々何かというと自分から死に急ぐのじゃ。崖から道路建設によって彼らの生活が極端におびやかされた事実は何も とび降りるわ、川へ身を投げるわ、木の枝で首を吊るわ、のどを突ない。また、彼らの死が道路建設に抗議した結果であるという証拠 くわ : : : そりやもう話にもなにもならん連中じゃ。いまもそれで困も全くない。ただ、今日一人、明日二人と、思い思いの方法で自殺 り果てとりますよ」 して行くのだ。 県こそ違っても同じ木曾の中で、すぐ近くの坂下、田立、妻籠、 しかし湯津石村周辺の人々は、それが彼らの抗議であることを知 南木曾といった所が観光プームの恩恵を受けているのに、このあた り抜いていた。昔から、湯津石村の人々は、心の平静を乱され、そ りは昔ながらの山間僻地として孤立していた。しかし、土地の人々の情緒が好ましくない方向へ傾けさせられると、実に呆気なく自殺 には奥三界岳と月読山にはさまれた倉戸渓谷が、木曾のどの名勝にし続けて来たのであった。人々は道路建設に形を借りて、湯津石村 も劣らぬものを持っているのをよく知っていた。奇岩、怪石が到る虐殺を押し進めているような、理屈に合わない加害者意識に悩みは 所にひしめいていて、奥深い洞穴や死んだような瀞、断崖、そしてじめ、遂にはそのように生命をたやすく放棄する相手を、まるで別 数え切れぬ程の滝を有する秘境なのである。入口はせまく奥深く 世界から来た化物のように恐れ、忌み嫌うようになってしまったの 人を総毛だたせるような、それでいて思わずひきこまれてしまう不だということであった。 思議な雰囲気を持っているのである。 ・ハスで会った親切な老人の家へ泊めてもらった啓一は、その夜老 「やまいで一度死にはぐった者がいうには、あの世とは倉戸の谷の ような所じゃったそうな。いや、それが嘘かまことかは別にして、人から倉戸谷の様子をいろいろ教えてもらった。 行けばおわかりになるが、まさしくあそこは死神のすまいですわ老人は七十を越えた高齢であったが、この土地に住んでもうそん なにたつのに、実際に谷へ足を踏みいれた経験は何度もないらしか 老人は肩をすくめて言った。 湯津石周辺の人々は、その天下の奇観を放置しておくテはないと倉戸川が作る倉戸渓谷は、奥三界岳と月読山のあいだを、ほ・ほ真 つけち 考えた。新しい観光ルートを作るべく、ず手 . はじめに付知町から東から真西にむかってひらけている。麓の倉戸部落から倉戸川をさ 倉戸へ至る自動車道路の建設に着手し、同時に倉戸渓谷の周遊歩道かの・ほって行くと、次第に両側へ山が迫って来て、複雑に谷間を蛇 8 8

6. SFマガジン 1971年11月号

って置くようにしてるんです。あの人はお願いしたら、ちゃんと履「 : 歴書を書いてくれましてね。そりやきちょうめんな娘さんでしたか啓一は答えない。だが彼は確信していた。代々自殺者が輩出する 8 ら : : : 下にありますからお見せしましようか。いや、そうだ探してというその村のことは、彼にとって疑いようもない事実になってい 出しとかなきゃな。いずれ警察から言って来るでしようからな」 た。啓一はどうしてもその村へ行かねばならぬ宿命のようなものを 管理人はそう言うと腰を浮かせた。 感じていた。 「とにかく弱ったよ」 「俺のせいじゃない」 高木はカなくつぶやく。 啓一に呼び出された高木は、平坂久子の部屋に坐って蒼い顔でそ「お前のせいなんかじゃない」 う言った。 「そうか、信じてくれるか」 「もういい」 「ああ」 啓一はそれだけ言うと下唇を噛んで考えこんでいる。 「みんなに証言してくれよ」 「まさか本当に自殺するなんて : : : 」 「なんでもしてやる」 「助かった : : : 」 「お久君のほうの友達に知らせたか」 高木は現金に笑顔で言った。「それにしても、なんで自殺するほ 「うん。できるだけはな。でも、ほとんど山や海へ出かけちまって ど思いつめちまったんだろう」 るんだ」 くに ひさ 「出が出だからな」 「お久君の故郷が判ったよ」 「自殺部落の出身だからさ」 高木は薄気味悪そうに遺品の櫛を見た。 「その櫛は多分藪原のお六櫛というんだろう」 高木は本気か、というように啓一を見た。 「おいおい 「お六櫛 : : : 」 の管理人に彼女の出身地を書いた書類 「木曾の民芸品だ。手ごろな木曾みやげだから、行ったことがあれ「ほんとさ。さっきアパート を見せてもらった。木曾と言えば長野県だが、彼女は岐阜県だ。岐 ば誰でも知ってる」 阜と長野の県境で、地形的には木曾といったほうがいいらし地 「じゃあ、あの : : : 例の村は、木曾にあったのか」 「例の村」 図を見ないとくわしいことは判らないが、中津川の北に当ることは 啓一は意地悪く問い返した。 間違いない。多分北恵那鉄道の終点のほうじゃないかな」 「なんという名前の村だ」 「自殺部落という話さ。本当だったのかな」 びさ

7. SFマガジン 1971年11月号

T 0 0 わかふるさとは黄泉の国 半村良画畑農照雄 木曽の山中の隠れ里、自殺部落ー そこは死神とあだ名される彼すら 恐怖に色を失う黄泉の国だった ! 70

8. SFマガジン 1971年11月号

高木はおそましげに訊ねた。 っているとされている。平坂久子の出身地を知ってから思い当った よもつひらさか ゆっいわ ゆっいわ んだが、その死者の国との境は、黄泉比良坂というんだ。湯津石村 「湯津石村」 には古代人が関係しているのはたしかなようだ。きっと何かがある 「ふうん : : : 」 ひさ んだよ。俺は行ってみる。お久君の骨を彼女の故郷に埋めてやるに 「知らないらしいな」 「何を」 も、そうしたほうがいいんだ。なぜそんな地名があるのか、なぜ自 ゆっいわ 殺部落といわれるのか。俺は絶対に調・ヘあげてやるつもりだ。だっ 「湯津石という名の意味をだ」 て、そこは俺自身の故郷でもあるんだからな」 「どういう意味だい」 「古事記にある。イザナミはイザナギの妻として天地創造を行な高木はそう言う啓一を、まるで幽鬼を見るように、こわごわと身 う。そしてさまざまな神を生み、火の神であるヒノカグッチを生みをひきながらみつめていた。その眼を見かえして、啓一はうっすら よみ 落したところで、その火のために女陰を焼かれて死んでしまうのと冷たい笑いをうかべながら言った。「そうさ。死神が黄泉の国を だ。イザナギは妻の葬式を済ませたあと、死を招いた子であるヒノ探しに行くんだ」 とっかのつるぎ しばらく身をすくませていた高木は、やがてケタケタと笑い出し カグッチを十拳剣で斬ってしまった。するとその刃についた血が湯 津石村にしたたって、そのたびごとにまた神々を生じさせたのだ。 いわさくかみ 「行ってみるがいし 血から生じた最初の神は石析神という」 それでお前の陰気な性格がどうにかなるな 高木は要領を得ぬ顔でうなずいている。 ら、こんなめでたいことはない。そうさ、お前はたしかに死神みた いな奴だ。そうじゃよ、 オしか、ちゃんとお久の自殺を嗅ぎつけてとん 「それで : : : 」 「そういういわれがあるのさ。そのあとイザナギはイザナミを追っで来るんだからな」 ・ : ところで俺の死んだおやじは、 冗談のつもりで言っているに違いはないが、笑顔もこわばり、声 て黄泉の国へ行くことになる。 いわさく 室谷の家へ養子婿に入った男で、もとの姓を石析といった。姓としもふるえ、だいいち笑い声がいかにもとってつけたようにうつろに ては難読の部類なんでずっと記憶にあるんだ。しかも故郷はお久君ひびいていた。「断わっとくが、俺はついて行かないよ」 ゆっいわ 最後にひどく真剣な表情でそうつけくわえた。 と同じ湯津石村 : : : 」 「判ってる。さそいもしないさ。こいつは室谷啓一個人の問題だ」 「おやじさんは自殺たろ」 いつのまにか車の音も間遠になり、夏の夜風が強まっていた。 高木はほとんど悲鳴に近い声で言った。 すぐ窓の外にそびえる高いビルのくろぐろとした影が、その時の 「間違いなく自殺部落だ。そんな気がする」 ふたりには遠く離れた木曾の山かげに思えた。 「冗談じゃない・せ」 「古事記では、この世と死者の国である黄泉の国が地形的につなが「太平洋をョットで横断する野郎だっているしゃねえか。俺たちゃ よみ よみ ひさ ひさ 3 8

9. SFマガジン 1971年11月号

言った も持ち出したらしい小さな線香立てがひとっと赤い硝子の細い花瓶 「おあがりください」 に、開き切って毒々しい花芯を突き出した山百合が差してあった。 老婆の前には小さな机が置いてあり、その中央に線香が煙を流し「やあ、どうもどうも」 て立っていた。老婆は畳に両手を突いて、机の正面の座を滑りあけ入口で錆びた声がした。「とにかくもうびつくりしてしまいまし た。啓一は下も見ずに靴を脱ぎ、机の上の線香をみつめたまま、あてねえ。ええ、そりやもう家内とはよく気が合う娘さんで、このア けられた場所に正座した。 ートの中じゃいちばん親しくしてたんですよ。それにしても無茶 くや : 悔しきかも、速くは来で。 をしたもんですなあ。何しろあなた、身寄りたよりが全然ないって いう人ですからねえ。私どももそう聞いてるんで親切にしてあげて 「お友だちですか」 たんですが、こうなると困りまさあね。会社のお友たち、と思った って、日曜日のこってすしねえ。電話したって誰もいやしませんよ 「静かな行儀のいい娘さんでしたのに」 。まあ助かったですわい。これでほっとしましたよ」 「よくよくのことなんでしようが、早まったことを : : : 」 管理人は入口から膝ですり寄って来ると、老婆と並んで啓一にし 「どこにいます」 ん底ほっとした様子で言った。 「はあ : 、ああ、久子さんですか。気がついて私が救急車を呼ん「間に合わなかったんですよ」 だときはもう手遅れたったようでした。警察病院ではないでしよう「あ、そうですか。ご存知だったんで : : : 」 か。さっき主人が電話を受けていたようで、下におりますからすぐ 管理人は不審そうな顔をしていた。「じゃあ、ナニをする前にあ 判ると思います」 なたに報らせたんですね」 啓一は返事につまった。どうして自分は久子が自殺をすると思い 管理人らしかった。 込んでしまったのだろう。なぜああも夢中で歩いて来たのだろう。 「遺書は」 それが不思議たった。 、え。なかったんではないでしようか」 「余り平坂君についてはくわしく知らないんです。故郷はどこだっ 「なん時ごろ」 たのでしよう」 「救急車を呼んだのは二時間も前だったしようか」 くや 「ええと、木曾だったな」 ・ : 悔しきかも、速くは来で。 とりあえず持ち出したらしい小机の上には、それらしい白布もか管理人は老婆を見てそう答えた。 「木曾 : : : 」 けられてはおらず、写真も見当らなかったらしく、かわりに使いこ 「入居する時、娘さんおひとりの場合は一応本籍ゃなんかをうかが んで艶の出た木櫛が置いてあった。どうやら管理人室の仏壇からで こ 0 8

10. SFマガジン 1971年11月号

ものといえば、僕と、家の近くの一本の枯木と、 る唯一の方法は、ここから内へぬけだす : : : あの たった一軒の白い家たけだった。砂は、夢のよう安全で比較的居心地のいいあの家にもどることだ に広がっていた。 けだった。今にしてわかったのだが、あの枯れた これは明らかに予想されてよいことだった。い 木は、おとりだったのだ。窓から見える世界に、 や、むしろこうであることを予想するのが最も妥何らかの希望を持たせるきっかけにすぎないのだ 当なはずだった。だが、僕には何となく理解しか : ・僕は家の方に向かって歩きながら、そう考え ねた。な・せなら、家の中にいた時、あの窓の外・ : ていた。 : ここから見えない所に何かがある、かくれてい その後何日か、僕は外に出たことを忘れようと ると、理由もなしに信じきっていたからだった。 っとめた。白い土壁の家の中は住みなれた世界だ 僕はそこに立ちつくして、しばらく考えていた : った。しだいに、僕は外に出たことも、出口がす : この砂漠ははてしなく続いているに違いない。 ぐ横にあることさえも忘れて、また窓から見える おそらくはここから外へぬけだす方法はないだろ風景に没頭していった。 う。大体、この砂漠がその″外の世界″なのだか 毎日毎日、僕は窓と反対側の壁にもたれて坐っ ら。それにもし自力で歩いていっても、この家がて、木と砂と、そして朝から夜への変化はある 見えなくなりきらないうちに、渇ききって死んでが、いっこうに変わりばえのしない、い つも晴れ しまうに違いないと思った。僕にはそんな勇気は た青空を眺めては、外の世界を思いながら暮して ない、そしてそんな必要もなかった。僕に残され ひも 朝起きて、初めに目に人ってきたのは、いつも いる。いつもでない角を曲ったのだ。あわててお のようにぶらさがっているひもだ。そのひもをに いつく。ひもを持たない人間は例の光線で消され ぎって家を出る。ひもが自動的に動いて、人間はてしまうのである。ひもは向うから来たひもと絡 それについていけばよいのである。広い道には、 った。相手のひもの主は私と同じぐらいの年齢の それぞれ自分のひもを電車のつり皮のようににぎ女性である。私たちは惰性的なほほえみをうかべ って大勢の人間が歩いている。時々空から細い光て絡ったひもに従って歩いていった。ひもは二人 線がおりてくる。ひもを首にまきつけて自殺する用の部屋に入る。二人は夫婦となった。夢が何よ 人間を消すためだ。会社へ行って仕事をする。帰りも楽しみなのですぐ床に就く。 る時間が来ても以前のような楽しい気分にはなら 広々とした草原を手を広げて走りまわってい る。 ない。ひもが現われたのはいっからのことだろう か。ひもを持って歩いていると、一瞬ひもを見失 いつもこの夢だ。ひももこの夢までは入ってこ ってあたりを見まわした。二メートル横を進んでれまい 0 6 盟ヾ 0 9 6