うめ デイウス」。ヒラトはそう命令した。副がもどってくると、かれは = その神聖な日を死刑囚たちの聞きぐるしい苦悶の呻きで汚すのは、 なら すぎこし 銀製の手鉢を前に置さ、水のなかで手をすすいだ。それから亜麻の過去の習いに反する。過越の祝をダビデ通りに並んで過ごすため 3 手巾で手をぬぐった。 「この捕囚の血から、いまわしは潔癖となっ に、群衆はこの街に集まってきた。死刑囚が引きまわされる姿を た。おまえたち、それを忘れるではないそ ! 」水差しと手巾をクラ見、その日を大いなる祝宴とするために、かれらは小路のロに寄り ひさ ウデイウスに戻しながら、総督はさけんだ。 あつまった。香ばしい肉を売ぐ者や水を売る商人は、野次馬たちを しら 「あやつの血は、われらの頭と、われらの子孫の頭に残りまする相手にここそとかせぎまくっていた。なかには目先が利いて、すっ ! 」カイアファスがいい返した。判決の間をとりまく群衆は、血の かり痛みのきた野菜や果実を荷かごにいれて持ちこみ、あっという けが 汚れに対する野蛮な賛歌を一斉にうたいあげた。 カそれも無理はなかった。 間に売りさばいてしまう商人もいた。・ : かしら 「われらの頭と、われらの子孫の頭に ! やつを十字架にかけろ民衆はみな、十字架を負って苦しみの行進をつづける囚人たちが通 りかかるとき、かれらに向けて汚物を投げつけるのを無上の歓びと ルシウス・ポンテイウス・。ヒラトは肩をすくめた。「やれるだけしているのだ。 のことはやった、そうであろう、クラウデイウス」と、かれはいっ クラウデイウスは群衆のあとにはつかなかった。その朝総督は遅 た。「説教師を牢獄へもどせ。明朝ほかの死刑囚たちとともに刑場 くまで寝壇をはなれなかった。朝の沐浴を終えたとき、総督にはい へ連れていき、十字架にかけろ。ただしわしの警備兵は一兵たりとつもの職務が待っていた。総督自身がロ述したとおりの文面を硬い も動かさんそ。ただしクラウデイウス、おまえだけは死刑囚と刑吏羊皮紙に太字で書きつけた巻き物を持って、式部の書記官が政務室 たちに同行し、すべてが慣行通りおこなわれるかどうか、とくと見へやってきたとき、太陽はすでに高く昇ったあとだった。その羊皮 かれの薄いく 分してもらいたいのだ。それにもうひとっ 紙をクラウデイウスに手わたしながら、ビラトは無表情に笑みをう ちびるが、冷笑をふくんだ無表情な笑みを浮かべた。「あの若者がかべた。 かけられる十字架に、わしの標文を掲けてはくれぬか。おのれの同「これを刑場へ持ってゆけ。そしておまえの手で若い予言者の頭上 族に打ちこむ釘が、そのままカイアファスの虚栄心を打ち貫くように掲げてやれ」と、かれは命じた。「カイアファスとその一党に、 にな」まるでなにか辛辣な冗談を味わうようにひとり笑いしなが なにか目新しい愚痴の材料を提供してやれるだろうからな」 ら、かれはそうつけ加えた。 百人隊長は羊皮紙を見おろした。道行く者たちにその歩みを停め させ、そばに近寄って文面を読ませるのに充分なだけの大きさを持 死刑台の丘、あるいは俗に〈頭蓋骨の丘〉とよばれる高台に向かっ文字で書きつけたその巻き物は、次のように読めた。 う人の列が、その日、夜明けとともに行進を開始した。十字架刑と IESVS NAZARENVS いうものは囚人を即座に殺す刑ではない。それに明日は安息日だ。 リンネル
アファがわめいた。 REX IVDAEORVM 「これはなんとしたこと、百人隊長ー・この 冒者に対し、こやつが申した通りの標文をお与えになるとは ! しかもこやつが刑を受けるのは、まさにこやつの申した偽りのため その要旨は、ざっとこんな意味だった 「こはイエス」 ( あの予言者はそういう名前を持っていたのだ ) 「ユなのですそ。掲文をお外しなさい。そして、こやつなどわれらの王 ではないと、お書き改めください。ロ 1 マ皇帝がおられるにもかか ダヤ人の王なり , それを、ラテン語ばかりでなくへプライ語とギリ シャ語で書いてあるから、十字架刑の丘を通る人間がどんな国語のわらず、こやつはみずからに王の称号を冠した輩ですぞ ! 」歯のあ いだから、怒りをこめてことばをほとばしらせる高信の敵意には、 持ち主だとしても、ます例外なく内容を読みこなせるはずだった。 「かれらはローマの権力を一掃してくれる王の出現を待ちこがれてなにか幼な子じみたおかしさがあった。クラウデイウスは、政治家 いる、総督はそういって笑った。「そのかれらに今こそ見せてやろという者を本能的に侮蔑する戦士らしく、こたえを返すとき誰かま う。あわれ十字架にかかった王のすがたをな。あの・フク坊主め、わうことのない冷笑を浮かべた。「大司教、こんどのことばは、ビラ トさまに吐きかけた不満のうちでいちばん出来がよかった。だが。ヒ しの文面を読んだときどんな顔をするか、・せひ見てみたいものだ ラトさまが書いたものは、あくまでも。ヒラトさまの書いたものだ。 クラウデイウスが刑場に着いたとき、三本の十字架が地肌もあら僧がいくら不平を鳴らそうとも、かれはまず標文を変えまい」 わな丘頂をかざっていた。二つの柱には、手足に釘を打ちつけられ「今回の事態は、いずれローマ皇帝のお耳にはいる」怒りにふるえ 「。ヒラトがわれら民族を愚弄し、罪人に王の称号 たいかにも屈強そうな盗賊がかけられ、体が極端に反らないよう頭て高僧は叫んだ。 の大きな木釘をちょうど立て木に組みあわせた支え棒のように脚のを与えてわれらに騒動をひきおこさせたことを、お聞きになろう あいだへ打ちこまれていた。中央のひときわ高い十字架に、あの若 クラウデイウスは、死刑吏たちに命令を下す百人隊長に突如もど い予言者が磔けられていた。かれの華奢な体は、これまでに加えら っこ 0 「この騒動を鎮圧せよ」と、かれは命じたてた。「やつらの れた恐ろしい拷問のために疲労の極限に達し、すでに衰えを見せは 口を糊づけせねばならんか ? 」 じめていた。十人隊の兵士が十字架のそばに階梯をかけると、クラ 中央の十字架にかけられた人物から、ひくい呻き声がひびき出 ウデイウスは釘と槌をたずさえてすばやく十字架にの・ほり、瀕死の 若者の力なくうなだれた頭ちかくに、その標文を立て木ふかく打ちた。「水を : : : 」 クラウデイウスは海綿を取って、すぐそばに置かれてある苦酒と つけた。 ミルラ液をいれた瓶にそれを浸すと、槍の先に突きさし、渇きに苦 羊皮紙のうえの標文が掲げられたとたん、驚きと怒りのいり混じ 「これはなんとしたこしむ囚人のロもとへそっと押しつけた。しかし疲労しきった無残な 3 った、かん高く細い叫び声が湧きあがった。 と ! 」咽喉に手をあて、その豪華な僧衣をひきちぎりながら、カイ体は、衰えのあまり酒液を吸うこともできなかった。いちどだけそ やから
せることは不可能だった。 というだけでわたくしは幸福でございます。アフロディテのうるわ 「十字架にかけられた主でございますーーーあの方を死刑にした者のしい眉に誓って、あなたがお選びくださったその名前で、あなたが 母たちが眠る墓は、きっと野大にあばかれますわ ! 砂塵のなかでお呼びになるときはいつでも、忠実な飼い大のように飛んでまいり 頭を垂れ、主にご慈悲を願いでましたとき、主はわたくしをご覧にますーーー」 なり、そっとほほえまれました。拷問と死への長い道をおすすみ「飼い犬だとか奴隷だとかいう話はやめろ , かれはするどく声をか しし、刀 になり、十字架の重きに耐えかねられたときにさえ、ほほえまれたけた。「おまえは妻だ、対等の立場に立っ女なのだ ールの鉄籠手にかけて、おまえに礼を尽くさなかった者は誰かれ問 のでございます。主はこういわれましたーー『女よ、おまえの希い は叶うだろう』と。わたくしはそのとき思いました。主がいわれたわず首を刎ねとばしてやるのだからな ! 」 。ヒラトの軍団は、ゲルマン系の民族がかなりの規模を占めてい のはあの病気が治癒するということなのだろう、と。けれどーー」 彼女は、いま自分を抱きかかえている男の首に両手を這わせ、恍惚た。だからクラウスに北方式の婚儀を行なわせるたけの同国人が頭 のため息をそっと洩らしながらかれの顔を力いつばい胸もとに押しをそろえていた。エリナという名はウナに変えられ、二人が愛の誓 いを交しあうその日ウナはつつましやかな白衣をまとい、つややか つけた。 な黒い捲き髪に贅をつくした被りものをかざし、腰には金の帯を、 「けれど どうした ? 女」 「クラウデイウスさま、わたくしは遠くからあなたさまのお姿を見腕と指には金の環を着けて花嫁の座にすわった。北方の仲間たちは たのでございます。いつまでもいつまでも見とれてしまい、その雄角杯を高だかと掲げ、花嫁と花婿のために「スコール ! 」を「ご機 雄しいお姿にただうっとりといたしました。夜な夜な夢のなかであ嫌よう ! 」を叫んだ。そして祝宴が終わり、花嫁の盃が飲みほされ たとき、また足が治りきらない新妻のためにとクラウスは、両腕で なたさまがわたくしをお目に止められ、運よく奴隷として買ってく ださることを勝手に願ってまいりました。けれどまさか、このわたウナを抱きかかえ、花嫁の寝室に運んでいった。こうして、もと北 くしがあなたさまの妻と呼ばれる身になろうとは」ーー彼女の声が方人クラウスと呼ばれた百人隊長クラウデイウスは、北方の風習に もう一度ため息のために中断された。しかしそれは、真の至福をこしたがってタイアの女を妻になかえたのだった。 「このわたくしが、卑しい囲われ女たったエ その頃、僧侶たちの奸計にあって生命を落としたあの予言者が墓 めたため息だった からよみがえったという噂が、イエルサレムの街にひろまってい リナがーーー」 「待て、おまえのギリシア名はどうもわしにふさわしくない」かれた。重武装をほどこした衛兵たちが予言者の墓石を警備していたと が口をはさんた。 き、天使があらわれ、墓石のくつがえったあとから燦然と光りかが こ主人さま ? あなたさまのやく予言者がすがたを現わしたと、人々は口々に語りあった。そし 9 「それでは、なんと名のりましよう、・ て多くの者たちがかれを生前と寸分違わない姿で目撃したと主張し 下さる名前なら、なんでも名のります。あなたさまの下さった名前 ねが
「ほお、なるほどそうか。わしはまた別のことを考えていたそ。大足を停め、敬礼をおこなった。それからクラウデイウスに一巻の羊 司教カイアファスめはこのわしに、かれが謀反をくわだてておると皮紙を手わたした。百人隊長は軍隊調の敬礼を返し、かわって巻き 告げロしおった。はやいところ投獄して、帝国への反逆を説いた男込んだ書状を総督に手わたした。 「なんと驚いたことよ」封印を破り、胸壁にかざしてあった小さな として十字架にかけてしまえと急きたておった」 「カイアファス ! 、大男の百人隊長は唾を吐き出すように口をす・ほ角灯をたよりに内容を読みすすんだピラトが声をあけた。「クラウ カイアファ めた。「あの肥えた豚坊主め ! なるほどやつの宗教が豚肉を喰うデイウス、悶着の到来は思ったよりも早かったわい ! スめ、ユダヤ王を僭称したというあの男をはやばやと裁判にかけお なと命令するわけです。もしやつがそれを喰えば、まさに共喰いに った。サンへドリンで審議を行ない、十字架刑に処すことを決めた なってしまいます ! ー。ヒラトは不機嫌そうにうなずいた。大司教と の口論は、なにも今に始まったものではない。しかも過去の優劣はそうだ。その決定を認めてほしいと、わしに手紙をよこしたわけだ ほとんど比較の対象にならないほど接近したものだった。カイアフが、さてどうしたものか ? 」 アスは折りにふれて、もしも総督がその主張を譲らないならば反逆「閣下、あの肥えた豚に小屋へもどれと命じてやりなさい。こうし の危険が現実のものになるだろうと、ことばたくみにローマへ訴えた場合、裁判権を有するのはローマ以外にありません。やつが帝国 を行なった。すると本国からは、 = ダヤにおける今日の混乱はひとの権威を示す紫衣をまとえないのと同様、やつに人を殺す権利はあ りません えに。ヒラトに責任がある旨のローマ皇帝の意志が、かれの許にもた 「うむ、しかし危険がそこに潜んでおる。たしかに総督としてわし らされたのだ。もし反乱が発生した場合は、かれの失政とみなすこ だけが死刑を宣言できる立場にある。しかし、やつら司教たちとそ とを、はっきり明言されたのだ。こうしてこの勝負にはカイアファ スが勝ちをにぎ 0 た。しかし他方、総督は裁判権において優越の立の下に囲われておる手勢は、わしたちにそれを鎮圧するだけの軍カ : ないことを利用して、小癪な反乱を引き起こす肚でいる。おまけ 場を占め、また徴税に関してもかれの自由意志が認められている。 に、反乱が起これば、ローマはわしを生かしてはおかないだろう。 この権限を利用して、かれはこれまで何度も高僧たちを自分の意志 わしは統治と支配のためにここへ遣わされたが、その任務は主とし にしたがわせて来た。 「これでわしたちにもう一人大司教がいたら大助かりなのだが」て税の取りたてなのだ。反乱民が帝国に税を納めるはずはない。来 クラウデイウス。わしの紫衣をたのむ。この無冠の王が国内に と、かれは低くつぶやいた。「僧職階級を一手に掌握するあの愚か な司教のほかにもうひとり、こちらの唆しに乗ってくる司教が欲しどんな害悪を流したものか、ひとっとくと説いてみようではない か」 いものだ」 鉄の剣鞘を軍用のキルトにぶつけながらこちらへ近づいてくる兵 士の物音が聞こえた。兵士がひとり、急ぎ足で屋上へあがってきて梢をゆする嵐のようなどよめきが、聴衆の間に満ちあふれてい 9 っム
く融通の利かん心根のせまい民衆どもよー ようにイエルサレムの胸壁にたたずんでおります。ヘロデ王の後継 「その通りです、閣下。頭がかたいうえに、反抗的な連中です」さ者たちが伸ばした復讐の手にとらえられもせずに」 「だからこそ、おまえがこうしてここにいてくれることをわしは喜 つきことばを発した百人隊長がうなずいた。 とうしてどうし んでおるのだ」総督が明言した。「わしの役職は、・ 総督は笑った。 て閑職などではない、 クラウデイウス。この騒然たる街を取り締ま 「なあクラウデイウス。そのことをわし以上にはっきり承知してい るものがおらんのだ。ただしおまえは、その昔大へロデ王の代にやるのは、わずか一個の軍団だ。しかも反逆謀叛のたぐいは右に左に つらと生活をともにしたことがあったそうではないか。それがま頭をもたげている。たとえばわしが何かをする。するとユダヤ人は た、どんな風のふきまわしでここへ戻ってきた ? このヘ・フライ人権利や習慣を冒されたと言ってわしに噛みつく。また、ほかのこと の聖都にただよう香が忘れられないのか ? をやったとする。こんどはやつらめ、ローマの鉄の踵がやつらを圧 あごひげをたくわえた兵士は皮肉つ。ほく笑った。 迫すると、天に向って吼えたてる。これでもしも、あと十二も軍団 しいや、おまえのような兵士ばかりで固めた 「この国が分裂するまえ、わたしは闘剣士としてヘロデ王に仕えまが手もとにあれば した」と、かれはこたえた。「わたしに負わせられていた奉仕の期軍団をたった一個持っていれば、クラウデイウスーーーわしはやつら 限が切れましたとき、さいわいかすり傷ひとっ受けることなく親かが負け犬のように命乞いをはじめるまで、槍の先でこの騷動を衝い らもらった体を守り通せましたし、財布にも金がたつぶりとたまってやるんだが ! 」かれはふいに陰鬱な沈黙に閉ざされると、街に眼 ていました。そこで私は執政官に、もう傭われ闘剣士はごめんだとをおとした。それから 公言して、北方の故郷へ帰る旅に出たのです。ところがその途中「今聞えたのだが、ガリレアからやって来た男がユダヤ王の名のり をあげているという話よ、 一口。いったい何のことだ ? やれやれ、また 」かれは声を停め、総督には聞きとれない小さな声でなにごと かつぶやいた。 ひと騒動か ? もしもやつらに有能な指導者があらわれれば、わし たちは間違いなく命がけでやつらユダヤ人と一戦をまじえなけれ・は 「ふむ、その途中で ? 」と、ローマ人は話の先をせかせた。 ならぬ破目におちいるだろう」 「その途中でわたしは、ある小家族に狼藉をはたらこうとしていた 「閣下、その点ならご心配ご無用です」兵士はこたえた。「四日前 王直属の兵士と悶着をおこしました。ヘロデ王は復讐に狂い、森か けだもの ら砂漠、砂漠から山中へと、まるで獣でも追いつめるようにあと街にやって来たその説教師を、わたくしはこの眼で見てまいりまし を追ってきました。追われた男たちの運命などというのは、いずれた。穏やかで、おごりのない人物でした。つつましく、芝居気もな い男でした。ロ・ハの背にゆられ、寺院ではこう説教しました。われ 違いないと見えまして、わたしもとうとう避難所へ逃げ込みまし た。軍団に身を投じたというわけです。それ以来、わたしは星のみわれはみな兄弟である、神を畏れ、王をうやまい、ローマ皇帝のも ちびきと、軍団の命令に随ってきました。そして今、こうして昔ののはローマ皇帝に返すのだと」 8 2
彼は組みうちで鍛えた、白くて大きくガッシリした腕をひろげつた。日の出と同時に一日が始まり、一時間以内に取り引きが始ま こ。 るのであった。ありとあらゆる品物をひさぐ行商人が、牛馬をだま 辷邏中の十人 蛮人が彼らをネズ公と呼んだのはまったく当をえていた。 ' 一・三人のしだまし、せわしなくはづなを引き道を急いでいた。巛 仲間は折れた右手首を左手でかばうョアヒムをなかにして、北方人隊々長が手を上げて、彼にあいさっした。 の慈悲心が変らぬうちにと、中庭からコソコソ逃げ去って行った。 「幸あれ、クラウデイウスー・やはり寒い国に帰ってしまうのか。 のやっから、おぬしの腕力と剣術の腕前に 彼らが出てしまうのを見とどけると、金髪の蛮人は外套を肩から背こりゃうまい。プルート にたくしあげた。 ついて賭けておいた銀貨をしこたませしめられるそ ! 」 彼よローマ人のなかにあっ 北方人は、おもしろがって笑った。 , ー その外套の下からあらわれたのは、首から膝まで良質のあざやか て、髭も生えぬうちから、名前をノルウェー名の単純なクラウスか な赤い毛皮で編まれ、金しゅうのふちかざりがついた胴着だった。 鉄の飾り鋲のついた雄牛皮の胸当てが、彼の身体をつつみこみ、しらクラウデイウスに呼びかえられていたことを思いだすとき必ず笑 いださずにはおれなかった。 つかりとボタンで止められていた。足には、生皮のひもで結ばれた 柔らかい皮の半長靴をはいている。鎧の片腰に両刃の手斧がつるさ「そうだ、マルカス、わしは帰る。五年以上もあの気紛れなヘロデ 手斧、槌矛、こて れているから、歩くたびに金属的な音を立てていた。肩には、鍛えに仕え、戦闘の秘術をへドがでるほど学んだ。リ、 闘剣士の用いた ぬかれた幅広い両刃の長剣がゆれていた。 ) あるいは素手を使「て、とことんまで戦う技術を グロープの一種 な。今度は、先祖代々の眠る地へもどる番だが、もし気が変わった 肩幅は広く、筋肉はたくましい。彼の髪の毛は編みあげてあり、 ら、ヴァイキングに仲間入りするかもしれん。とにかく、これから 鉄の胄からはみだして、顔の両側に垂れていた。髪の毛と同じく、 彼のロも金色に輝き、腕当てにまでとどかんばかりだ 0 た。それはご機嫌取りのためなどではなく、自分自身の利益と喜びのために 戦闘の術を使うさ」 ほど年とってもいない。 「おぬしに神のご加護のあらんことを。さらばじゃ、野蛮人」ロー 彼の小麦色に日焼けした皮膚は、なめらかで清潔であり、海の青 、 - 彼ま点々と星のマ人は別れをつげた。「もう闘技場の砂の上でおんみら好敵手とあ を写したような眼は、健康と若さを証明してした。 , 。 いまみえることもあるまい」 またたく夜空を見上げて、 曲りくねった一本道を進んでゆくと公道の両側に村のたたずまい 「火竜、中空を昇るに、その姿悠然たり」と古詞をつぶやいた。 「旅をつづけるときがきたか、冬の嵐が吹き荒れぬうちに故郷へ再がみえた。太陽はすでに高く昇っていた。とうとうと流れでる泉 で、旅人たちは水を手にすくい疲れを休める。 び帰還するための旅を : : : 」 いつもなら泉のまわりは、それぞれの水瓶に水を一杯にくんだ女 たちが、水くみもそっちのけでおしゃべりにうち興じ、子供らが騒 道は旅人たちで混雑していた。百姓の多くは、市へなかう途中だ っちほこ バリアノ 2
た。二列の帝国衛兵がつくりだす光りさんざめくような明かりのな「わしをユダヤ人と思われてはこまる」総督は説ねた。「おまえの かで、人々の注目は紫色をした高雅な象牙製の椅子に腰をおろした国と、おまえの司祭たちが判決を下せといって、わしをここへ呼び 3 、っせいに集中した。広間の最前列に近いあたり、右と左つけたのだそ。いったい何をしたというのだ ? 総督に、し にシメオンとアヌスをしたがえたカイアファスが王座の正面に陣取囚人から返答はなかった。しかし門外の騒音が気味わるいほど鎮 っていた。ローマ軍を下手に真似た僧兵の一団が、捕囚の周囲を取まっていた。群衆が入口に押しかけ、それを抑えるのに衛兵は四苦 . りかこんでいる。捕囚というのは、背の高い白衣すがたの若者で、 八苦している。ふたたび総督が問いかけた。「おまえはほんとうに ユダヤ風のあごひげをたくわえているが、かれをとり囲む浅黒い男王なのか ? だとしたら、おまえは何という国の王だ ? 」 どもは人種を異にするようにさえ見える色白の明かるい色の髪をし「その答えは、もうあなたが言われた。その目的のためにわたしは た人物だった。 生まれ、その理由のために、俗界へ降りてまいったのです。だから 「ようこそ総督 ! 」カイアファスが仰々しく右手を挙げて東洋風のわたしは真実を告げねばなりません : : : 」 挨拶をおくり、それからまた頭を下げて空そらしいまでに東洋風な「真実とは何だ ? 」総督がささやいた。「わしも昔、真実について 長々と語った古譚をいくつも聞いたことがある。しかし真実につい 挨拶をくり返した。 クラ 「われらはただいま、ここに捕えておきましたる冒濱のやから、帝て同じことを語っている古譚はひとっとしてなかった。おい、 国の反逆者に対して下しました判決につき、あなたさまよりご認可ウデイウス ! 」かれは椅子のうしろに立っている百人隊長を振りか えった。 を頂戴いたしたくまかりこしました」 「閣下 ! 」 ビラトの挨拶はただ片手を挙げただけで終った。「冒漬がどうの 「わしは今、こやつらを試練に立たせてみようと思い立った。地下 ということは、おまえたちだけの問題だ」かれは手みじかにこたえ 牢へおもむき、そこで見つかる一番の極悪人をここへ連れてくるの た。「で、かれが冒した謀反というのは何だ ? 」 「こやつはみずから王と名乗りました。もしもあなたさまがこの一だ。こやつらの頑迷ぶりがどれほどまで通用するものかどうか検べ 件を謀反とご覧にならなければ、ローマ皇帝のお仲間ではございまてみたい」 せんそ ! クラウデイウスは命令を遂行するために踵をめぐらしたあと、総 「おまえはほんとうにユダヤの王か ? 」総督は好奇の眼を囚人に向督は大司教とかれの取り巻きに顔を向けた。「この男には鞭打ちの けた。 刑を加えるだけで充分だ。そのあとは自由にしてやってよかろう」 「それはあなたご自身のお考えから出たおことばですか、それともかれはキッパ リといった。「もしもかれがおまえたちの掟を踏みに 他人からの伝え聞きを申されておりますのか ? 」若い男がこたえじったというのなら、刑は鞭打ちだけで充分なはずだ。反逆罪につ いては、まったく潔白と認定する」
かえに幼な子の生命を守った。それはなんじの良心の賜物。オーデ インの名が忘れられ、この世に彼を祭る祭壇が無くなるときはやが ほま てこよう。しかし、なんじの名と誉れは、さらに生きながらえるの だ。笑い合う幸福な子供たちが、永久になんじの良心と愛の美しさ 2 キャルく丿 ーへの道 を称えることだろう。そして人々が、余の生誕日を祝う限り、なん じは永遠にすべての幼な子の心に生きるのだ」 ユダヤ総督ルシウス・ポンテイウス・ビラトは胸壁にもたれ、夜 よりも生きのびのとばりにつつまれた街を見おろしていた。平坦な屋根に隠れる家 「私は『神々のたそがれ』翁火の潺とな「て燃えあがる ると言われるのか ? 家のあいだには、あちらこちらに灯が花ひらいている。騎馬の蹄鉄 「なんじの名を子供たちがロにする限り : : : 」 が敷石のうえを踏み鳴らしていく物音がときおり聞こえる。興奮ぎ 「私は万能の英雄になるのだろうか」 みの群衆がたてる騒音は、ほとんど絶える間がない。イエルサレム 「幼い時代のなっかしい思い出を胸にいだく全ての人類によって称は、もう爆発寸前のところまで人間でうずまっている。ここ数日 えられる愛の英雄 : : : 」 人々はヨッ。、 尸の下を流れのようにくぐりぬけていた。ちょう 「何ということばー どうやら、何かひどく勘違いをなされているど大きな宴が催されようとしていたー・ーユダヤ人という人種は、宴 ようだ。私はむしろ剣をもって戦いの歌を口ずさみながら、戦場でか断食のどちらかをいつも祭りにして騒いでいるーーーおかげでかれ の死を望むような男にすぎない。もし、おんみがそう言われるのなの率いる軍団が保持する治安維持能力は、もう限界まで引き出され ら、人はなぜ自分の星にしたがうのだろうか ? それでは、私の星ていた。 運はいったい何なのだろうか , 「まったく、騒々しいことが好きな民族よ、このユダヤ人というや クラウスは剣を抜き、それを二度頭上高くふり廻した。そして最つらはな。そうではないか、クラウデイウス」 後に鋒を地に突きさし、北方人の風習にしたがって、聖者に対する総督は、かれの左後方に三歩ほど離れて立っている、金髪のあご ひげをたくわえた長身の男に語りかけた。 尊敬の念をあらわした。 父親は、剣が空を切る音を聞いてビックリ仰天した。しかし母親「いつも口論や小ぜりあいを絶やさない。かならずなんらかの騒動 は、静かに彼を見つめ、北方人が野蛮語でわが子に語りかけてくるを起こしていなければ気のすまんやからだ。昨日などもな、頭に軍 のを黙って聞いていた。 団の鷲章をつけた中隊が砦から帰って来たとき、街の連中は都市の そのあとでクラウスは、彼らにエジ。フトまで早く行くように命じ街路に偶像をつけて入ってくるとは何ごとだと叫びながら、軍団に た。そして、道をいそぐ夫婦を見送りながら、クラウスは夜空の北投石をはじめおった。動いたり飛んだり游いだりするものに似せた 7 極星を見上げた。その星の輝くところに、彼の生れ故郷があった : ・偶像をつくれば、それが罪になると思い込んでおるらしい。まった
間へ急ぐ途中だった。男は立派な体格をもっていたが、長年にわた 囚人は柔順に十人隊兵士のあとを追って粗末な小屋へ向かった。 兵士たちはそこで囚人の服を剥ぐと、革紐で柱にくくりつけ、あらって加えられた暴行のために立っこともできないほど疲労してい やまい こ。服はやぶれて見るかげもなく、かれが〈生ける病の巣〉である わな背中に四十回鞭を打ち込んだ。 「こいつがユダヤの王さまかい ? 」と、十人隊の兵士は笑った。 ことを知るのに二眼とはいらなかった。さすがの衛兵もその姿には 「それならばだ、王と名乗る以上王冠を持っていなければならんの尻込みし、囚人の髪や眼にたかった虱がうつらないよう槍の石突き こいつはそれを持っておらんではないか。ホオ、おいだれか、 でかれを遠ざけた。 ユダヤの王さまにお似合いの王冠をつくって差しあげんかい ! 」 。ヒラトはさっそく、地下牢から連れてこられた囚人を呼んで僧侶 茨の小枝を結んだ環が手ばやく作られ、囚人の頭に被せられた。 たちの正面に立たせると、こんどは手を縛られた茨の冠を被せられ 長く鋭い棘が、かれの柔らかい肌に喰い込み、ルビー色をした粒が た捕囚に注意を向けた。 すぎこし まるで宝石をちりばめた額飾りのように額を濡らした。け 男の兵士が「ユダヤの民よ、過越の祝 ( 出エジプト記十一一章二十七節 ) が終わ どこからか襤褸どう・せんの紫衣を見つけてきて、それを血のにじむったあとおまえたちに捕囚を引きわたすのは、昔からの習いであ 肩にまとわせた。最後に、ヒースのしげみから抜いてきた葦を、しるーと、ビラトはいった。「したがって、おまえたちはどちらの男 つかりと縛った囚人の手に笏子がわりに突きいれた。こうして興にを自由の身にさせたいか聞いておこう。断首台で死ぬ宣下を受けた 浮かれた兵士たちはかれを卓のうえに載せると、ユダヤに新王が誕この盗賊か、それともおまえたちが王と呼んだこの若者か、どちら 生したときはいつもそうする形式で膝を曲げ、嘲笑まじりに敬意をを選ぶ ? 」 「われらはローマ皇帝のほかに王を持ちませぬ」カイアファスが怒 表わした。 りにふるえる声で叫んだ。「この者を死刑にしてくだされ ! 十字 やがて、その残酷な遊戯にもようやく飽きた兵士たちは、気味わ るい笑みをうかべながらかれを広間へ連れもどし、総督と僧侶の前架刑に ! 」 に立たせた。 広間の入口を閉ざす青銅製の大格子のそとで、民衆が一斉に声を 「この男を見よ ! 」屈辱のかぎりを尽くされたうえ広間に連れもどあげた。「やつを殺せ ! 十字架にかけろ ! 十字架にかけろ ! 」 された人物を見て、総督はそう命じた。「おまえたちの王を見よ ! 」 「なんと、おまえたちの王を十字架にかけろというか ? , 総督は にがにが 「ローマ皇帝以外に、王は持ちませぬ ! 」と、カイアファスは独善苦々しい驚きをあらわしながら説ねた。 的な声で応じた。「こやつはみずからを王といつわりました。そし 門前にあつまった寺院の雇われ男たちは、まえもって口うらをあ てみずからを王と名のるものは、誰であれローマ皇帝に反逆する者わせておいたことばをもういちど怒鳴りかえした。「やつを十字架 でございます」 にかけろ ! やつを十字架に ! 」 いつぼうクラウデイウスは、みじめな囚人をひとり連れて判決の 「水差しに水を入れて持ってまいれ。それに手巾もたのむ、クラウ 3
「将軍さま、そのおことばがもし本当でございましたら、わたしは ふたたびクリスマスの季節がやって来たとき、出来あがった玩具 しもべ たった今からあなたの忠実な下僕でございます。、、 ししえ、わたしば は山のようにたまっていた。クラウスはそれを魔法のそりに積みこ かりではございません。これなる一族こそってあなたのご命にしたみ、ロ笛を吹いて魔法のトナカイを呼び寄せると、その昔神々が アてガル「 がいます」小人の王が誓いをたてた。あざやかな緑の芝に膝をつ神の国〈お渡りになるとき使われたというビフ。ストの虹橋を超え き、かれ自身がクラウスの下僕になることを、またクラウスに対して、遠くそりを飛ばした。八頭の小さなトナカイが出すすばらし、 て心からなる奉仕を終生つづけることを誓約した。かれとかれの小速度と、そりに積まれた玩具の莫大な量をも 0 てすれば、クリスマ さな一族たちは誓いのことばを唱え、芝から膝をあげたあと、いまスを告げる朝の光が射しそめるのを待つまでもなく幼な子の心を歓 かれらの主人となり指揮者ともなったクラウスに喝果を浴びせた。 ばせる贈りものをひとつずつどの家の炉辺にも置いて回ることは易 そのあと小人たちは黄金でできたそりを宝蔵から運びだした。リ のしかった。クラウスは雲のあいだを駆けて北方のわが家へ戻り、そ 攻撃から頭を護るために兵士が被る兜ほどの大きさしかないそりだ こでかれの帰りを待っていた器用な小人たちやすばらしい妻ウナと った。そりには四対の小さなトナカイが結びつけられた。トナカイともに豪華な宴をもよおした。鹿肉や鮭、それにたつぶりと身のつ とそりはすぐに大きくなり、かれらが魔法のそりに乗りこんだといた野鴨の焼き肉が卓をきしませ、全員が乾杯を、「ごきげんよう」 き、小人の王が放った号令に応じて、背後にそりをしたがえながらを口々こ、 、合、、子供たちの幸福を祈りながら何度も何度も杯を かさねるあいだ、はちみつ酒の大杯は泡を吹いた。 山なす・ハルト海の波間たかく天を指して駆けのぼりはじめた。 ふる 「トナカイが停まりたいところに着くまで、思うそんぶん走らせる はるか昔、クラウスは剣を棄てた。かれが揮った戦斧は、城壁の のだ。クラウスがそう命じると、小人の王はそのことばに従った。 うえで銹をあつめている。な・せならば、あの遠いとおい昔、ある夜 べツレヘムへ赴く途中で予言された仕事にしたがうかれには、武器 やがてビフロストの光橋 ( ) が地上のはるか上空に 架る北方の氷原深くすすんだところで、トナカイたちは足を停めなどすでに必要ではなかったからだ。 た。かれらはそここ、 冫いつも火が燃えさかる暖炉と高い煙突を配し オーディンの名は、いまや記憶の片すみに残るばかりとなった。 た、太い丸太と厚い壁の家を一軒建てた。そして大きな広間を囲むかれを祀る祭壇は、いま世界のどこにもない。しかし今日でもクラ いくつかの小部屋に炉が作られ、器用な小人たちが金属で玩具を作ウスは現に生きている。毎年十億人もの幸福な子供たちがかれの訪 りはじめると、鉄を鍛える槌の音が大気を満たした。また、ある小 れを待っている。かれはもう百人隊長クラウデイウスでもなけれ まるのみ 人はのこぎりと小刀と丸鑿を持ち、木を使って玩具を作りはじめ、 ば、北方の戦士クラウスでもない。幼な子を守護する慈愛ぶかい聖 またある小人は、漆喰と陶器で人形をつくり、あらかじめ用意した者、サンタ・クロウスなのた。かれの職務は、二千年前のあの夜、 大きな織機を使ってウナの指導よろしく織りあげた布切れをあれこ主が選びたもうたもの。かれの道は、救世主の生誕日が人々に祝わ 7 れ縫いあわせた服で、人形ひとつひとつを飾りたてた。 れる限り戻ることを知らない、長いながい道