作家 - みる会図書館


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1. SFマガジン 1971年3月号

れば、と考えたからである。 ・フルグについていえば、日本ではかれの作品『トは文学である」という動きは、当然その反映であ 現在、特に六〇年代に、ソ連で。フロー ラスト』は少なくとも的作品として理解るし、またそれを支えている流れ ( たとえ、それ の中堅作家といえば、エフレーモフをトツ。フに次され「世界全集」にも収録されているが、本がソ連では極めて細々とした流れであったに のような作家がいる。参考のために、なんらかの家のソ連では、エレン・フルグを作家もしくはしても ) は、十九世紀にまで溯って、追うことが 機会に作品 ( 同人誌に発表されたものは除いたそれに近い作家であるともみなされていないことできる。それは、ロシア・ソビエトの両時代を通 が、児童向きに改訳されたものも含む ) が紹介さは当然としても、この作品すら公式には的でじて、その歴史の流れの中で、必ずしも一本の糸 れたことのある作家には※印をつけておいた。スあると解釈されたこともない。例えば、リヤ。フー で貫かれていたとはいい難いが、認めることはで トルガッキー兄弟※、ドニエプロフ※、ワルシャノフが編集したソ連図書目録には、この作品きる。 フスキー※、グローモワ※、アリトフ※、ジラは載っていないし、少し意味が違うが、ザミャー 今後も、さらに作家達は「は文学である」 ヴリヨーワ※、ヴォイス - クンスキーとルコジャ 1 チンの『われら』も見当らない。つまり、ソ連でと執拗にいい続けていくであろうが、そのに ノフの組※、エムツェフとパルノフの組※、サフは、は科学技術の啓蒙を目的にした「亜」文提起されている課題を、マルクス主義的観点か チェンコ※、マルトウイノフ※、グレ】ヴィチ※学であり、「純」文学の観点からすれば、取るにら、かれらはどのように理解しているのか、できれ などであるが、こうしてみると、作品が紹介され足らないもので、いわんやその文学性についてはば聞かせてほしい」といっていることは、とりも たことのある中堅どころの作家は、全部というこそれほど重要視されていなかったといえないことなおさず、「が文学である」ことを認めてい とになるが、残念ながら、翻訳されている作品のもない。それは革命後の厳しい建設期 ( なにぶんるのであって、ストルガッキーの目的はなかば達 絶体量が不足していることと、圧倒的に短編が多にも、科学技術の面では偉大なる後進国であっせられてたわけである。だが、問題はいうまでも いということである。 た ) にあっては、それはそれで大きな意味を持つなくマルクス主義的芸術観にあるのであろうが、 この他に、に強い関心を持ち、また実際にていたし、また重要な役割もはたしてきた。こうこれについては、これらのソ連が答えていく 作品も書いている文学者たちがいる。ゴ 1 ル※、 いう中で、過去のソ連の作家たちが、科学性はずである。 こうした中で、ソ連にテーマ、スタイ オプホーワ、ガンソフスキー※、スニエーゴフ、を重んじ、時には科学解説書まがいのがあっ テンドリャーコフ、また、ジャーナリストのミ、 たとしても、必ずしも批難するには当らない。日ル、方法論などで多様化現象が起っており、様々 イロフ※、ロソホワッキー、詩人のシェフネルな本でも、数少ない戦前の作家の中にも似たよな傾向を生みだしつつあるともいえる。いわゆる どである。 うな役割を演じ、しかも、それはそれで史上宇宙もの、時間もの、変異もの、超能力ものなど こうしてみても分るように、六〇年代のソ連大きな足跡を残した作家もいるはずである。ツイという分類はできないが、・フリチコフが行なって の特徴のひとつに、「純」文学畑の作家たちがオルコフスキーから始まり、べリャーエフを生みいる傾向のつかみかたで、紹介すると、次のよう に進出してきていることが挙げられる。 出して今日にいたったソ連にも、世界で一二な見方が出来る。 しかし、これはことさら新しい現象でも、傾向を競う科学技術の水準に達した今日、しかも、政二部作、三部作などという一連の作品で構成さ これにはストルガ でもなく、もともと、ソ連では戦前にもザミャ 1 治的に、経済的に思想的に、あらゆる社会生活のれる大ヒロイック・ロマン ッキー、グレーヴィチなどの作品が入る。パロデ チン、アレクセイ・トルストイ、エレンプルグな面で複雑な問題をかかえている現代にあっては、 ワルシャフスキー どの文学者がもしくは的作品を書いていそれだけではすまされなくなって来ているのは当イ風のショート・ショート たという事情がある。もっとも、それがソ連然過ぎるほどである。 をハフノフなど。生真面目な哲学的ーーーエフ円 8 の主流であったことは一度もないし、特に = レン ストルガッキー兄弟などから起っている「レーモフやゴールなど。ダイナミックな冒険 TJ

2. SFマガジン 1971年3月号

深見弾 ソ連の作品が、この雑誌に載るのは一九六の点数は八〇点を下らない。しかも、その数「短編が、アメリカや日本のように支配的な役割 九年の三号に、袋一平氏の訳でビレンキンのシ字の中には、いわゆる翻訳ものが含まれていないを演じていない」ン連であっては、過去に翻 が特集で三編紹介されて以米、実といえば、点数についてだけいっても、その激増訳された短編や、ここで紹介する作品からだけで にまる一一年振りである。その間にもソ連では、多振りも分っていただけることと思う。因に、翻訳は、まさに眠を覆いで象を語れというに等しいこ くの作品が発表され、新人が登場し、本になってをそれに加えると、その数字は軽く一一店にはとになってしまう。しかし、幸にも昨年の暮れ、 出版された。パーの雑誌こそ、相変らずなる。一九七〇年度の数字はまだ不明だが、例え早川書房から出た「世界全集」第二四巻で、 テープュカ・マラジ第ーをイスカーチ等リ 創刊されなかったが、「技術青年」、「探求者」、ば、一九六五年にン連のファンが手にしたストルガッキー兄弟、ゴ】ル、グロモワの三人の ズまー・ 4 ・ンー 「知識はカ」などの各誌を始めとして、一般文芸は実に三一五点にの・ほる ( 一九七〇年に日本で中堅作家の長編 ( ソ連では中編だが ) が紹介され 社讐総合雑誌、科学技術普及誌などに、は年出版された海外ものは、プロ 1 パ 1 作品、フたことは、読者がその質を判断する上で役に立っ 年着実にその地歩を築き上げている。恐らく、こアンタジイを含むポ 1 ダライン作品あわせて、約はずである。また、これらの作品は、「ソ連」 の二年の間に、ソ連で出版されたは一一 8 点七〇冊を数えた〈でてくたあ・一四三ということにこだわらず、読んでみられること 号〉 ) 。一九五九年から、六五年の七年間にロシアをお臨めする。恐らく欧米や日本のには無い 近いものと思われる。 年間にしてみても、せいぜい一〇点どまり、し語で出版されただけで一、二六六点、総印刷ものを発見されるはずであるが、それを、よい意 かも、その中でこれはといえるめ・ほしい作品は、部数にして、一億四千万冊になる。これ以外に、味でも悪い意味でも、いきなりソ連の特徴で さらに数点しか出版されていなかったのが、まだたとえばウクライナの作家べレジ / イなどのあると考えられず、の持つひとつの可能性と ごく最近のことであることを考えてみても、現在ような民族共和国の作家たちが、それぞれの国の考えられ、そこからまたソ淬に立ち戻ってい ただきたい。 のソ連の盛況は、まさに驚くべきものであ言語で書いた作品が、相当の数にのぼる。 る。 しかし、問題は量でなく質だといわれそうであでは、どんな作家がどんな傾向の作品を書いて いるのか。今まで、あまり纒めて書かれたことが この全盛の第一歩を築いたのは、ほかならぬる。欧米ののように、読者が容易にソ連の フレーモフが「技術青年」に、『アンドロメダ星にも接することが出来るような条件がないかぎないので、読まれる方には煩わしいかもしれない 雲」を連載した一九五七年からであるといわれてり、よし悪しを論じても始まらないが、優れた作が、この機会に、敢えてそれを顧みず、列挙して 品が生れてきていることは確かである。なにぶんみたい。少なくとも、現在ソ連ではどんな作家が その後、年を追うごとに、情況は文字通り激変にも、日本語に翻訳されている作品が、全出版点活躍しており、またその傾向がどうなのかを知っ ーセントにも満たない状態では、読者にていただく手懸りになり、今後紹介された作家や し、量、質共に大きな変貌をとげた。統計によれ数の一バ 作品についてもある程度の見当をつけていただけ ば、一九六三年からだけでも、年間に出版される判断していただく手だてがない。 特集解説

3. SFマガジン 1971年3月号

いである。数字で表わせないものがあれば、懐疑的態度や警戒心を条件にあっていると発表した。 クワント・リテラチャー かくして、シグマⅢに量子文学が出現し、文学者は竸って下手 呼びおこし、うさんくさい目で見られた。 に、しかしマスプロに精を出すようになった。 多分、だからこそシグマではあれほどまでにオー・メータに熱 を上げられたのだろう。オー・メータでの測定の可能性は批評家勃強い作品を書くことは、とりもなおさず創造性の欠如であり、 や、評論家にこまかい評価規準をあたえることになった。あまりに読者の健康を考慮していないといって非難されるにいたった。また もそれが正確であったため、その種の専門家が必要なくなったほど下手くそに書くことを頑に拒んでいた作家は、あっさりと人が読ん でくれなくなってしまった。 である。なにしろ、誰でも自分で作品の《オー》値が個人用オー・ クワント・ミュージッククワント・アート メータで測ることが出来れば当然の話である。 量子文学とほとんど時を同じくして、量子音楽と量子絵画が すべてが順調にいっていたが、数年たっと新しい傾向が生れた。現われた。 それでも、シグマ虹の文明の行く末を憂う者がいなかった。科学 それはまず小説家の間で始まり、たちまちあらゆる種類の文学者や と技術が、この惑星がかってない成果をあげているのに、どうして 芸術家もまきこんだ。 マス。フロ作家で名前を売っていたイオガン・ダムの小説は《オ不安がったりする必要があるのか ? 科学と技術をもって不可能な ー》値がせいぜい八から一〇までであった。かれは、わたしは意識ことがあるとは思えない。 して低《オー》値の作品を書いているのだと広言していた。そのわ リドルに、魅力的ではあるが、いささか実 田舎薬剤師ビドル・く けは、読者にとっては一〇〇《オー》の作品一編より、一〇《オ現困難なアイデアが浮んだ。全能の科学がかれのこのアイデアを実 ー》の作品十編の方が楽にこなせるからだという理屈からであっ現してくれることになる。 た。かれにいわせれば、低《オー》値の小説のほうが有益であるか 、リドルはこう判断した。つまり、文学とか芸術とかい ら、真の作家たるもの、心して己の作品が役立つよう努力すべきでうものはたしかに人間を高尚にする作用がある。だが、本を読むに あるというのだった。 は、けっこう時間がかかる。映画にしても、フィルム一本見るのに 議論で沸き返った。だが、しだいに《オー》数値の低い作品の方三時間は要る。どんなシンホニーを聴くにしても、これまた丸一時 間はつぶれる。 が読みやすいし、事実、早く売り切れるということを認める作家や しかし、人間はそんなに時間を無駄にしてまでも、《オ 1 》がど 芸術家がふえてきた。その頃、シグマⅢで評論家の役割を果してい たのは精神病医たちであったが、かれらは多くの臨床例から判断うしても欠かせないものらしい であれば、消費者が本やフィルムや音楽という形でなく、なにか し、医学的立場からいえば、読者あるいは観賞者が作品の感動エネ ルギーをもろにうけるよりは、ごく少量の、つまり数量子だけの時別の方法で必要な《オー》を摂ることが出来ないものだろうか ? の方がはるかに有効である。したがって、低《オー》値の方がその例えば、オー・它リン錠とでもいうような錠剤の形で。三〇《オ 5

4. SFマガジン 1971年3月号

界」を創刊、主宰した人である。明治時代になって、日本に欧米文 明が急激に流れこんできたことに憤り、武侠精神の鼓吹につとめ、 それを主題においた数多くの小説、冒険譚、体験記などを執筆して いる。在学中二十四歳で処女作『海底軍艦』を発表し、大正八年に 三十八歳の若さで他界するまでに、長篇小説だけでも五十篇近く書 団 いているのたから、 かなりの多作家だったといえる。 作品の殆どが武侠精神鼓吹、反欧米化連動、武士道復活といった 独自の新攘夷主義と称するナショナリズムに基いた、海外雄飛を理 想とした内容で占められているが、さらに当時作家としては、 浪逸早くわが国に紹介されていたジュール・ヴェルヌ作品の影響が強 く、 Tu そのものではないとしても、非常に的色彩の濃い作品 押群となっている。 あるいは押川春浪の描きたかったものは、ではなかったのか も知れないが、少くとも現代から日本の歴史を系統づける場 合、押川春浪を日本の祖と呼んで差支えないと思う。 まず日本英雄の第一番手として登録される人物は、時代は古 く遡って明治時代の後期に登場する。 押川春浪という作家を御存知たろうか ? 先年、東宝で映画化した『海底軍艦』の原作者である、といえば あるいは思いあたられる方もあるかも知れない。もっとも映画は原 作と似ても似つかない駄作になってしまったようだが : とにかく、あまり馴染みのある作家ではないが、日本史上特 筆すべき重要な人なので、本筋を少しそれるが簡単に解説してお 押川春浪は明治九年、四国の松山に生まれた。東京専門学校 ( 現、早稲田大学 ) 卒業後、博文館に入社し、青少年を対象とした 武侠冒険雑誌「冒険世界」の主筆を務め、後には独立して「武侠世 イ 賀川豊彦作『空中征服』 8 川川ⅲ 川、Ⅲ円ⅲⅢⅢⅢⅢ川Ⅲ嶬ⅢⅢ世ⅲⅢしⅢい li Ⅲ当 d ⅢⅢⅢⅢ川Ⅲ li ⅢⅢ川Ⅲ川扉Ⅲ嶬Ⅲ卩記ⅢⅢⅢⅢⅲⅢ

5. SFマガジン 1971年3月号

ハヤカワ・ノヴェルズ / 海外文学 ツオグ アメリカの幺 1 想 キャッチ - 22 ジョーゼフ・ヘラー / 飛田茂雄訳 Y990 狂気を装い、連隊長を殺してまで生き延びようとす るヨッサリアン大原寸ーーー - ー戦争の狂気と悪を痛烈に諷 刺する最大の反戦文学、最高のプラック・ユーモア 修理屋〔フィクサー〕 バーナード・マラムード / 橋本福夫訳 Y850 故なくして孑甫えられ、ありとある迫害を受けなカゞら 必死に自らの運命を凝視するユダヤ人ャーコフ マラムードの名声を決定した、全米図書賞受賞作品 死の装具 サミュエル・べケット / 一輪秀彦訳 580 ノト説として、プラック・ユーモアとして、皀踴リと して、形而上学的 / ト説としての面白さに横溢し、 ケット文学の原質を示すノーベル賞作家の処女長編 ソール・べロウ / 宇野利泰訳 960 ミングウェイ、フォークナー - 亡きあとのアメリカ 文学を担うべロウの言己念碑作品。巨大な分裂と矛盾 を持っ主人公の壮大な超克を描いて深い感動を呼ー 工リア・カサン / 村上博基訳 960 アメリカと ( よイ可力、 ? この途方もない国に生きるこ との意未とは ? - ーーー -- 牛勿語りの ; 妻ましさ、・告・白の・切実 さ、強烈な・生描 : 写で全米を沸き立たをた大口マン ! スーザン・ソンタク / 斎藤数衛訳 Y750 死の感覚にとりつかれ、空っ 0 工の自分を死のオオ料で を埋めてゆこうとする男ーーー 60 年代に急速に脚光を浴 び、米文壇の新しい潮流と目される作家の問題作。

6. SFマガジン 1971年3月号

今から、かれこれ七年前、われらがスペース・オペラの怪人、野の、日本作家による作品にはほとんど漏れなく目を通していたのだ 田昌宏大元帥が、そのおもしろさを紹介するや否や、たちまちにしけれども、残念ながらほんの一部を除いて、そこにスペース・オペ て日本界にスペース・オペラ・プームが渦巻いたのは、また記ラ級の英雄を発見することはできなかった。海外でという分野 憶に新しい が確立するまでに辿った、長い道のりを経ることなく、始めから現 ジョン・カーター、キムボール・キニスンあるいはキャプテン 代本格と接触した日本には、光線銃片手に宇宙せましと翔けま スペース・ヒーロー スペース・ヒーロー フューチャ 1 ー達、宇宙英雄の大活躍は、それまでに紹介された、い わる正義の味方、宇宙英雄は生まれでるチネンスはなかったのであ わゆる本格ものと称するこよよ、つこ、 冫。オカナエンタティンメントにる。 徹しきったの楽しさを味わわせてくれたものだが、それらスペ そこでマガジン創刊以前、さらに戦前のクラシックと呼ばれ ース・オペラを読みながら残念に思ったのは「これが、日本作家にる作品に、英雄を探すことにした。 よる日本人のヒーローであれば、より楽しいだろう」という羨望に ところが、そうなると資料があまりにも不足していて、どこから も近い感覚であった。 手をつけていいか皆目、見当のつかない有様。ますはクラシック そんなわけで、彼等スペース・オペラのヒーローに比肩すべき、 を集めようと、古書店巡りを開始した。スペース・オペラ旋風が 日本英雄はいないものかと、英雄探しを始めたのである。 渦巻いていた頃、火星シリーズ片手に神保町あたりを、ウロウロし 下マガジン創刊以後、という分野が日本に確立してからていたのを憶えている。 界世險日 産 0 : い・・物 像 大掲 月リ レイガン その上 ⅢⅢⅲらⅢⅢ当Ⅲ円“Ⅲ ill Ⅲり引ド 記世帰ⅢⅢ l' ⅢⅢ当Ⅲ円Ⅲ当Ⅲ当Ⅲ嶬Ⅲ円川Ⅲ lll 当ⅢいⅢⅢⅢドⅢⅢⅢⅢⅢⅢら

7. SFマガジン 1971年3月号

ンが増えることを信じたいと思います。をとともに、地球規模の問題や文明に最も近い小説イ、恐怖小説がまざっているという。、一度まとめ いまお読みになっている女性の方、年後は件良でもある。そういった意味から、かっての「宇宙て紹介してくれ。それから無理たとは思うが、石 く・ハアサンになろうではありませんか の戦士」の問題のようにをおもしろい、おも森章太郎氏にイラストかかしてもらえないかな ( 都内足立区千住 5 の高橋君恵 ) しろくないというだけでなく、この小説中の思想人試まであと 2 カ月。今だにと縁の切れな や文明に賛成、反対などをテレポートに発表しょ 、哀れな一受験生です。 近頃のを読むたびに感しるのだが、石川氏う。べつに社会問題や米来学関係だけではない。 ( 匿名希甲 ) いうところの″日常性への衝撃″なるものがどう作品論・作家論・文学論もよいだろう。哲学も、 もみつからない。現在クローズアップされているテクノロジイも、また小説の主人公の生き方など 僕は今、高校受験を間近に控えて、不治の病に の 公害間題などは実に的な状況ではないか。そについても意見があるだろう。もちろん息抜き的苦しむ中学生です。不治の病ーーーそれは昨今、急 れを本気で取り -= げたを ( 少なくとも・ほく なものもあるべきだ。小説ではっきりわからない 速に広がりつつある『病』という非常に悪性 は ) 見たことがない。古本屋をあさって手に入れところをテレポートという場で作者に答えてもら の病気なのです。これは一度かかったらどんな名 た号最終戦争特集などはそのところどころに当うのも、 しいだろう ( 小松氏の小説などずいぶん難医でも手のほどこしようのない病気です。この病 時の米ソの緊迫感が感じられる。で公害特しいからねえ ) 。 気の症状はーー①常に眼の届く所にを置かな 集などやってはどうか。実際の話、 2 月号の恒例そうした意見の交換がファンの、作家 いと、てんかんを起こす。②二日に一度は本屋に 0 の日本作家特集には期待していた。なにしろ世界の質を向上させるのではないだろうか。それに 行ってをなで回さないと湿疹が出る。③ に冠たる公害ロ本として何かはあるだろうと思っ、テレポート、 でてくたあの頁数を増やしたの文学性について話し合ってくれないと誰かれと ていたのだが : : : 。失望するよりあきれてしまつのよ、 ーしいが、あれだけ活字を大きくしては実質的なく危害を加える等々です。この文章を読んでい た。作家だけではない 、ファンも同様でに違いはないのではないか。それから、近頃の早る人の中にもこんな症状の人がいるはずです。僕 ある。ヒロイック・ファンタジイもよかろう。ス Ⅱの値上げはどうにかならないか。もう少し抑制は今、小説さえもろくに読んだ事のない奴に ペース・オペラもよかろう ( ・ほくも好きですかしろ。ところで僕は派。好きな作家はシマッ を一生懸命勧めています。そして、できるだけ多 マッキン よク、ヤング、クラーク、・フラッドベリ ら ) 、しかしそれだけがのすべてではないー くの奴にこの苦しみを味わわせてやろうと、ひと 0 ずだ。少し前には新しい波論争が誌上をにぎわしトッシ : うわさによるとマークのついてい り目論んでいる次第です。 こ。しかしは現実から最も離れた月言であるない早月ミステリのなかにいくつかのファンタジ ところで話は変わりますが、病の皆さんは を読むとき、何を手掛かりとして読むのでし ようか。海外では『ヒューゴー賞』『ネ・ヒュラ賞』 力だ退。定容 6 を。主にれか連一会 格衰る不内の号だを曜かお。 9 は等々色々参考になるものはありますが、なかには ン表」あ 。典号もう 日開をる一費 どうも肌が合わないと思う人もいるはずです。そ 。ハ代プで刷る古近れよの 4 で表れ 1 会 O 会のラカ印いや最その 7 第」代さ通 こで提案ーーーマガジンで優秀作品を選出する 究ムク勢写てス : ん ような企画を立てたらどうでしようか。 ( ファン , 、第 . , れぬ、 ) 、研ダ・の謄出クどで傾〈第山運共叩。 “さ ンル鋭ねでツな冊くイ月アので約円 ( 投票でも、作家評論家諸氏の推臨でも ) 病の っ 方フ。進 , 一。研のてス , 茶盛会野会一患者が増えること間違いなし ! そうすれば 、 ( 上西ト新刊ペ・頁し、り喫かの倍。代 の売り上げも倍増 ! 誰かさんの何とかビジョン Ⅷる 関バる創の介幻増フあのな人阿雄誌 よりも、よっぽどいいアイディアだと思うんです 名前ムめ月刊か紹 1 をも道か 6 市注に プ以イ埋 4 季ほた判み r-0 績新なフ阪東と 。 rn-æ病の同士諸君応援を頼む ! タを年がのけ 5 厚「実田はツ大田ごⅧカ : ル ( 小田原市城山 2 のの 6 佐藤富朗 ) 5 と 9 だ作だて年た梅合タ・辻行皿 8 ゅ グ団たあ 1 刊創くはっし阪会ス人・発 集っの期はの号お催大るず絡誌Ⅲ フ名ン ) インバトロール、

8. SFマガジン 1971年3月号

ヴォイスクンスキーとルコジャー / フの組なの中で具体的な作品名を挙げて、批判の対象にな象にして入門書『空想の世界・ーー概論』 ど。哲学的な悲劇ーーーレワダなど。童話ったストルガッキーの作品四点のうち、「人の住を出版したことである。この種の本が出版される 0 ジェマイチスやパウロフスキーなど。シめる島』が、一九六九年に三月から五月にかけということは、ひとつには図書館を利用する ナリオーーサフチェンコなど。詩・ーーチュフて、レニングラードのソ連作家同盟支部が責任編ファン ( ソ連の図書館網の広いことと、利用率が ロフなど。心理ーーガンソフスキー、ソコロ集して、出している総合文芸誌「ネワ」に連載さ高いことは有名である ) や書店でを買う読者 ワ、アモーソフなど。風もしくは空想的な科れた。こちらの方の単行本の出版は、広告がカタの層が広く深くなっており、それに対処する関係 ~ 学解説ーーザハルチェンコ、リヤ。フ】ノフなど。 者にもこの種のものが必要になって来ていること ログに載っただけで、まだ出ていない。 ビブリオチェーカッ スト 文学としてをとらえようとした作品 これの他に、ストルガッキー兄弟は、雜誌「青を物語っているのだろう。最近も、「図書館員」 ・フリ スチ ルガッキー、エムツェフと。 ( ルーフの組、グロー春」に昨年の九月号から新しい連載を始めた。推という司書や図書館関係者の機関誌に、相当詳し一 タリュチェーノチェスカヤ・暴ー・ヘスチ モワなどである。 い読書指導案内の記事が載っているくらいで 説と銘うった『〈遭難したアル 理 ・ヒニストのもとで〉という名のホテルという奇妙ある。 今ひとつは、がアカデミズムの研究対象と 一九六九年から七〇年にかけて、ソ連界がな題のこの作品は、「ミ : ール市近郊のヴィンガ 得た最大の収穫のひとつは、ニフレーモフの長編区へ、飛行物体が着陸し、中から、それそれの足なり得ることの証左ともいうべき、研究書が 『丑の刻』であるといってさしつかえないであろに八つの眼がある三本足の黄みどり色の人間もど出版されたということである。それは、ソ連科学 アカデミイ・ロシア文学研究所というソ連最高 う。この作品は一九六八年十月から翌六九年七月きが降りてきた、という話が伝わるや、センセー までのほ・ほ一年間にわたって雑誌に連載されたもショナルな事件を血眼で追っている赤新聞が、い の権威を持っ文学研究機関の中で、ソ連史の一 ので、その後、作家が作品に大幅な手を入れて、ち早くかれらは宇宙からの来訪者であるという記研究家ア・エフ・・フリチコフが十九世紀中葉か 「若き親衛隊」社から出版した。連載中から非常事にして流した : : : 〈新聞記事より〉」という書きら、一九六〇年代までのロシア・ソ・ヒエトの 出しで姙まる。推量小説というからには、この思を、文学史の観点から、『ロシア・ソビエト空想 に評判になり、単行本は二〇万部印刷された。 惑星トルマンスに移植した地球人が、アメリカわせ振りな書き出しを、はたして結末でどう処理科学小説』として纒めあげたものである。四五〇 ページ近いかれのこの労作は、一九六五年に出版 の西部劇もどきの植民を、高度な技術を使って押するのだろうか ? 気のない純粋なミステリ し進め、結局は限度まで発展した資本主義が、寡イなのか ? それとも、書き出し通りのなのされた『ロシア・ソビエト小説史』の中で、かれ ずれ作品が紹介される時にしが分担したの部分を土台にして、書き改めた 頭政治に支配され最後には、惑星そのものを疲弊か ? その答は、い させてしまう。一方、地球に残って、高度な共産て、ストルガッキー兄弟は、新しい試みをこの作ものであろう。ごの著作は当面のソ連研究の 決定版であり、貴重な資料になることは間違いな 主義社会を築き上げた未来の地球人をそれに対峙品で行なったともいえるだろう。 さて、最後にの作品ではないが、ソ連 させるとい・つた話で、『アンドロメダ星雲』の続 を知る上で欠くことの出来ない重要な出版物を一一また、その巻末にあるリヤ。フーノフのソ連 編ともいわれる一種の未来小説である。 総目録は、前記のかれの著作『空想の世界で』に エフレーモフにこの作品を書かせる原因となっ点紹介しておきたい。 クニーガ たといわれるソ連の好ましからざる傾向、即ひとつは、「書籍」出版社から、非常に有名な載ったものよりさらに詳しく、作品ごとに、その ちアンチュ ート。ヒアの出現に、ストルガッキ研究家であり、評論家であり、コレクター 作品に対する批評が載「た新聞雑誌などの出典ま一 1 兄弟も係わりがあると見られている。昨年本誌 ( ? ) である、ポリス・リヤ。フーノフが、主としで懇切丁寧に添えているのは、うれしいかぎりで で「詳報・ストルガッキー事件」を書いたが、そて書籍関係者、例えば図書館員や書店の店員を対ある。

9. SFマガジン 1971年3月号

をたずねインタビューを試みた。オールデても、楽しんでいるようなフリをしている話がある。 イスはジョニ黒を出してきて、ぼくらにすだけで、じっさいは軽蔑してる。もし日本ほっそりした女性がお好きな ()I like すめ、自分もグラスになみなみと注いでちでまた国際シンポジウムがひらかれ skinny girls. ") オ 1 ルディスが、東京滞在 て、もしプラナーを招待するようなことに中、ほっそりしたかわいい女性ファン びりちびりやりながら話しはじめた。 ・ワールズのこと、ヒッピーのこなったら、ぼくは絶対によばないでくれ。 を見染め、日曜日、わざわざ彼女の自宅へ と、映画のこと、友人の作家たちあいつの顔なんか見たくもない。 押しかけたというハ。フニングだ。顯末をざ ウロおぼえなので、あまり責任は持てな っと紹介するだけで十枚ぐらい書けそうだ のこと : : : 話題はあちこちにとび、・ほくら の知らなかった情報がつぎつぎととびだし いが、内容はだいたいそんなふうだ。スタが、興がのるとわれを忘れて当事者の本名 ・クプリックの映画「博士の異常なを明してしまいそうなので、この程度でや てきた。オーディスという奴、いったん国ンリー へ帰ったら、おれたちの悪口をどれくらい愛情」の原作者であり、『破減の二時間』めておく。 ( よかったね、 ><X さん ) いうかわからないそ、と疑いだしたのはそ『コマンダー 1 』の著者であるビーター のころからだ。証拠がある。インタビュ ジョージが、アル中の果てに悲惨なビスト ジュディス・メリル ( ぼくらにとっては はやがて本誌に、適当に省略されたかたちル自殺をとげたことも、このときはじめて ″メリルおばちゃん″、ロのわるい某氏は で掲載されるはずだが、肝心なところをい知った。 ″怪物婆さん″と呼んでいる ) のことは、 くつか抜きだしてみよう。 「素晴らしい作家というものは作品を通じぜひとも書いておかねばならない。 —・・。ハラードのことをきくとーー・彼て知り合うに限ることを思い知らされた」 日本におりたった彼女を羽田で出迎えた はもうダメだな。 ( そしていきなりジョニオールディスについて、そう書いているの のは、豊田氏、森氏とぼくの三人だった。 黒のビンを指さして ) "His life is this!" は山野浩一氏だが、・ ほくは必ずしもこの意 都心へとむかうタクシーのなかで、知りた フィリップ・ホセ・ファーマ 細君見には賛成しない。 かったことをいろいろたずねた。 と母親が病弱なんだ。その治療代をかせぐ 白状すると、シンポジウムにやってきた あなたの年刊傑作集が、六七年版を ために、せっせとポルノグラフィを書いて作家のなかで、・ほくがいちばんうちとけて 最後に出なくなってしまったのは、どうい る。 気楽に話すことができたのが、オールディ うわけか ? ハート・シェクリィーー長篇を書いてスなのである。・ここまでえんえんと彼の悪 「その話は長くなるからあとにしましょ るなんてのは口実さ。金がないので、日本ロめいたものを書いてきたところを見る う。これからは、自分のやりたい仕事だけ へ来れなかったんだ。 と、どうやらぼくの内部にも彼と共通するをすることにしたのよ . それから、すこし ジョン・・フラナー いやらしさがあるようで、それがこんなお ーーーあいつは大嫌い 間をおいて、彼女はポツンといった。 だ。リオの映画祭に招待されたときだ かしな共感を生む原因になっているのかものシンポジウムには、わたしは邪魔つけな って、どれほど豪華なディナーが出ても、 しれない。 お客さまかもしれないわねー どれほどグラマーなダンサーが踊ってみせ オールディスには、もう一つケッサクなその言葉の意味は、そのときにはわから

10. SFマガジン 1971年3月号

さいタッチしていなかった ) 日本語通訳ののぞきこむようにしながら喋るのだ ( つばのシルエットが手をふり、すごい水音をた ィリーナ・コジェ・フニコワ女史は、女性な はとんできたけれど、ロ臭はなかった ) 、 てて深みへもぐっていった。それが、 ( カ のですぐにわかったけれど、あとは誰が誰気づかれてしまって、そばにいた本誌編集ガーリッキーを別にすれば ) ソ連作家たち やらわからない。 日本間二つと洋式の応接長の森氏に早々にバトンタッチした。 に、・ほくがいちばん接近した経験である。 間の続き部屋たが、狭い応接間のほうに、 何を話したかって ? それが、ぜんぜん レム以外には共産圏のにまったく興 日本の関係者たちまでみんな集まっている覚えていないのた。 味がなかった・ほくだが、こんなことがあっ ので、場所をかえるのもおぼっかない。横そのうちに、だんだん一行の名前と顔が たせいかどうか、最近では、ユーゴスラビ っちょで、くたびれはてたようにすわりこ わかってきた。ちょっと軍人を思わせる、 アの大学教授ダーコ・スーヴィンが編集し んでいる星氏と小松氏。ソビエト研究みごとな口ひげをたくわえた、端正な風貌た社会主義国のアンソロジイ "0ther 家の深見弾氏がやってきて、ユ ーリー・カの作家がいてーーーへえ、あれがエレメイ・ WorIds, Other Seas" なんていうのを読 ガーリッキーに引きあわせてくれた。カガ 。 ( ルノフか。ところがパルノフについてみだして、知識の吸収につとめている。そ ーリッキーは英文学者で、世界シリー は、以前本誌の訳された、ミ ハイル・エムの一端を披露しよう。 チェルヌイシェフスキー ドストエフ ズ中の英米作品の編集や、解説、評論をやッ = フと共作の「超新星の落下」を読んだ アレクセイ・トルストイーーーマ っている。ソ連で、このシンポジウムに参覚えがあるといった程度の知識しかないのスキー 加したい旨を最初に通知してきたのよ彼こ エフレ ー , / で、さつばり興味がわかない。団長のワシャコフスキー が、深見氏さえもカガーリッキーなどとい ーモフ ストルガッキー、というソ ・ザハルチェンコ、ウクライナの作家 う名は知らなかった。偶然・ほくだけが、アワシリー ・べレジノイにいたっては、まるの系統があることをご存じですか ? ( く メリカのインターナショナルにのつ つきり無関係た。 わしくは別の機会に ) 冗んでいて、以前イ た彼のソ連紹介を シン。ホジウム五日目の夜、ザハルチェン ギリスを訪れ、オールディスやメリルなど 二十九日に、最後のブライアン・オール コとパルノフが遊泳禁止の琵琶湖にとびこ ディスが到着し、顔ぶれがそろった。シン と親しいことなどを知っていたのだ。身長んで泳ぎたした。それを見ていたら、急に 一七〇センチ足らず、白いさつばりしたワ・ ・ほくも泳ぎたくなって、あわてて服を脱いポジウム自体については、これからレポー イシャツ、農い地味なズボンのカガーリツでとびこんだ。二人はもうすっと沖のほう トが出るはすなので、ここでは触れない。 キーは、ぼくの目の前、わすか五センチぐ プライベートなことだけに話をし・ほろう。 に出て、水音をあけている。対岸の灯がか シンポジウムが二日目、三日目と進んで らいのところに顔を近づけると、アクセンすかにチラチラと水面に照りはえて、物の トのおかしな不明瞭な英語をベラ。ヘラと喋かたちは見分けがつくが、まだ彼らに追い いくにつれ、日本の関係者たちのあいだに りはしめた。最初は一生懸命に耳を傾け、 つかない。、、 心細くなって、 "Zacharchenko- も、関心の程度や印象の良し悪しなどによ インチキな英語でなんとか答えようとっと san, Pa 「 nov-san. where a 「 e き n と呼って、それぞれひいきがしたいに分かれは めていたが、眠前五センチで、・ほくの目をびかけた。すると意外に近くで、パルノフじめた。「クラークってのは、意外に茶目 ・ 0