、彼 、主 。さ ソ連で人気を ら腹 、重り 五経 呼ぶシェクリイ に立 め引 、き 最近ソ連からとどいた「日中」の 9 号 ( 197 の がす を見ると , J ・ G ・一くラードの初期の代表作の 被徐 ひとつである『時間都市ぐ℃ hr 。 n 叩。 lis " ) 』が 術々 載っている。かってはハインラインの作品を載 待、 せたりして ( 今は全く翻訳されていない ) , 海 を接機を し閉 選触 外 S F の紹介にかけては他の追従を許さない , つが 極めてユニークな年鑑アンソロジイであった だ大 「 H 中」 1967 年に第 7 号を出したきり , 2 年間 も休刊していた。昨年再刊されて第 8 号が出た みそ 主判 時には , 様相が一変して外国作家は全く姿を消 していた。推測でいろいろ取り沙汰されていた 苦苦 が , 今回の第 9 号では再び外国の作家も顔をみ 痛痛 せるようになった。これが NW のバラードであ 除除 めあ る ( 他の外国作家として眉村卓が選ばれ , 『万 去去 たち 国博がやってくる』が載っている ) 。 しかし , これをもってソ連でも「 NW 」の紹 介が始まったと考えていいものか。一部西欧で はそういう見方がされているようだが・・ NW といえばロバート・シェクリイが 1964 年 頃から , F 派の作家としてソ連でも紹介されて 功ナ おり , 翻訳も少くない。雑誌などに短編が載る という程度ではなく , 過去に 2 冊の作品集 , 1966 年に『地球巡礼』が , 19 年に世界 S F 文 庫第 16 巻『シェクリイ集』が出ている他にも海 、だ があ 外 S F シリーズなど , 外国作家のアンソロジイ が編集されると , 必ずといっていい程かれの作 ュす 品が収録されている。 今のところシェクリイに極端に偏っているこ と , 紹介される作品の量のアンパランスなどか らみてもシェクリイやバラードが , 西欧 ( 日本 なた も含めて ) のいう NW としてとらえられていな いことはたしかである。これらの作家が , 今後 ン連で ! のように扱われていくかは , 大いに興 味がある問題である。だから , 今のところシェ ーす イスカー クリイを除いては , ぶラードが以前にも「探求 チェリ 者」 ( 1970 年・ 2 号 ) に短編が載った程度でオ ールディス , ムアコックなど NW 作家はほとん かか どソ連では知られていないのが現状である。 つわ 19 年に発表された S F 作家の人気投票の結 んそ 果では , プラッドベリイ , レムに次いで 3 番目 に人気のある外国作家がシェクリイである。ェ フレーモフより得票数が多い。ソ連には NW を 受け入れる可能性が充分にある。露語に訳され た彼の作品は多数あるが , 日本でも翻訳された ものに次のような作品がある。『最終兵器』 , 『トラナイへの切符』 , 『監視鳥』 , 『原住民の問 題』 , 『グレイのフラノを身につけて』 , 『思考の 香』 , 『救命艇の叛乱』 , 『風起る』 , 『地球巡礼』 (F) など。 29 あ と 分 は 者 の 色 ク ン ピ だ は を 月リ の へ り と を 布 毛 は ァ ワ チ ス 数 分 過 彼彼そ は に んをた 。に し て い た っ に と ど の ま ま 彼 は さ り 心、 し 触 接 の 徴 極 と 月包 細 髄 合 の 宿 行な をだ 指 令 る と は 無 理 だ が ス フ - ワ チ ス と んわ で ん た つ せか が か な お と つ き と に 乱 混 の 。ど ほ れ が き時二 い 0 よ ろ う し刻 力、 し 主 . の 、は十彼 あ る 。後 チ ン ス は あ の 心 は触 の よ う に ヤ冷わだ ん たな 今 な も に度わ は と / し . で ま ま し く ら お 、だ ス ン チ の も好懸師 絶 が が 才妾 の痛 焦 点 がす 失ん れ ~ い よ う に技 命 に ヤ努を を 保 っ ら宿た の 苦 に か を し の 心 ら ち ら 探 り な ス チ フ - ス が ・つ た は た し さ を え な ら の を し う と に試 と す を の て よ に と る す 激 刺 成み 7 世 界 S ー 1 かそ う 力、 も し ま せ ん わ と ス チ ワ ス が っ た も あ た ら か で と 断 ' し た り たた く さ ん 着 ぎ て い る じ や な い か し ら ス 夫 る 、か し れ オょ し、 カ ; 状今一 態ほ ど あ絶そ る好 の が ら に 主 張 し た ほ ん と う い よ な っ よ う で た で す冫 と フ 涙 う し、
0 0 0 0 0 トである女流作曲家アンナとめぐりあう。彼女が作る」ことを示しる みが走ることがある。指を切断した人間には、その 曲した・ ( レー曲「学徒とナイチンゲール」が公開さ . こう書いていくと、妙にドラマチックな効果ばか後も指を動かす感覚が残るという。だがミ、ータン れる舞踏会の席で、はじめての顔あわせ。物語は、 りを追いもとめたケ・ ( ケ・ ( しいのように聞こえトの瘤に走る痛みは、そこにあったものの残存感覚 この二人が真の超人類に生長していく過程と、科学るかもしれないが、そうではない。 ( ーネスは、科学によるのではなく、やがてそこに生じようとする新 対芸術の対立模様を中心に進展していく。しばらくの進歩と人間の内部的な進歩とを平行的に語「ていらしい器官の感覚を予感することによ 0 て生じると は、その典型的な対立場面に目をむけていただこうく。そして作者の抱いている最大の関心事は、むしろ考えられる ミ、ータントの形態自体に限定されている。要するその瘤が、はたしてどんな新器官に生長したか 「しかしね、マーサ」と、夫のジャックが反論しに科学の進歩とミータント発生は無関係なのだ。・は、物語の最後の一節がうつくしく謳いあげている た。「きみがどこでそんな奇怪な考えを拾ってきた 、、こータント・ルイのひたいに生えた一対のけれど、ここには書くまい 、ユータントたちは、 かしらないが、人間の最高目的は分析することじゃ角は、頭蓋の内部から延長したもので、あきらかに「白い・ ( ラが紅色に変化する」瞬間を見て、ただ驚 なくて、合成することーー・つまり創造することなん視覚の一種である。生物はそもそも、水中生活にあきにうちひしがれ、その美しさに圧倒されるばかり だ。きみが最終兵器を開発するために十九の擬似方 0 ては松果腺の延長に生じた視覚を「眼」としてきなのだ。その意味でこの作品は、建設的なには 程式を解いたとしたって、とどのつまりは壁にぶった。仏陀のひたいに描かれる第一二の眼は、松果腺の含まれず、予言としての印象を具体化した、きわめ かるばかりさ。どこまでも科学的に分析を押しすす延長上にあるテ て心理的な物語とな めていけば、残るものはなにもない。あの剣歯虎がレバシックな特・を・ノーラン、・・ジョンソン共作「ローガンの逃亡」る。ここでとくに感 そうだったように、精神的にしろ肉体的にしろ、極殊感覚器官とし 心したのは、超人類 端にすぎることは破減への第一歩だ。だが逆に、創ての眼を意味し に進化していくミュ 造の態度をとりつづけていけば人間は、結果としてているのであ ータントたちの置か 齧越の方法を発見することになるーーこ り、同様に第三 科学と芸術の覇権あらそいは、なにも目新らしいの眼を有したル 紀の現実環境そのも テーマではないが、すくなくともこの作品はそれをイは、そのため のに移し変えたハー きわめて視覚的にシンポル化することに成功していに読み書きの能 ネスの勇気だ。最終 る。科学が生むおそるべき最終兵器と、超人類の完力を必要としな 兵器の創造は、あく 璧な美しさとを「紅い・ハラ」のイメージにダブらせくなった。次に まて、もミュータント る一方、まだ超人類になりきらない畸形人を「白い背中の瘤はどう の発生と対比した上 ( ラ」として描きだし、作品のあちこちに「いっかだろうか ? こ での設定であって、 白・ハラが紅く色づき、そこに新らしい美が生まれの瘤に強烈な痛 ミュータント発生の / キャ
つの事件の真相であ ニューヨーク市の社会階層のある部分にたい 4 7 る。 する、その痩せた、マホガニー色の皮膚をし で , は、まず最初は た、ナイフのような顔の黒ター・ハンの紳士の与 と。ミリーカらだ、 える衝撃は、ちょっとのあいだ恐るべき破壊力 ・ヨウ むろん を持ちそうだったーーーアイダホはアパー アンノウン誌の名物イラストレーター 0 エド・カ 1 ティアのカット キイ・フォールズから出てきた三流の挑戦者 は、小柄なみそさざ ・ルイスのジャ・フの の、あごに命中したジョ 1 この作家も、ミステリ好きの人ならよくご存じのはず。やヒチコ 衝撃のように、でなければ、安普請の即成別荘ック・マガジンの日本語的に、たくさん短篇が紹介されてます。いつも変っい然とした赤毛の娘の た思いっきの作品を書く、根 0 からの短篇作家で、長篇は一冊もなく、十数で、微量の分子よりか 地に吹き荒れるフロリダ名物のハリケーンの愛 冊の著書はノンフィクション一冊をのそき、・せんぶジュヴナイルとのこと。 撫のように。 日本でもいくつか彼の作品を下敷きにしたものが生まれたほど、親しまれても身体の大きさで三、な きましたが、惜しいことに一昨年四月、アメリカのフィラデルフィアで物故まわりほど、エネル ミリー・デュアンに出く もしもかの紳士が、 しました。 ギ ] の点で二倍ほど わさなかったならば 経歴を見ると、国籍はアメリカ人ですが、生まれはフィリビンのコレヒド 1 ル島、な・せか生年がはっきりせず、享年は五、六十歳前後と漠然としかいまさっていた。ここ そしてもしもミリーか , ジミー・ドネガンと えません。たいへんな美人といわれる夫人は純文学、彼は娯楽文学と、やは 結婚してテキサスへ行き、純血種の家畜と子供 りおしどり作家でした。いかにもアーサーらしい味をも 0 た本篇は、同時にでいう分子とは、極 たちの一部隊を育てられるよう、本来ジミーのもっとも典型的なアンノウン・タイプの作品です。 - 一九四一年八月号に発表徴量で一隻の戦艦を されました。 ニュ、・ー一一ヨークから・ロ ものである五万ドルをロスコー・ウエントワー スから取りあげようとしていなかったならば ンドンまで走らせるに足るーーーむろん、途中で機雷に触れなかった そして ら、の話だが , ーーと科学者の言う物質のことである。 ミリーは、遊園地のおとぎ電車の線路ほどの多くの魅力的なカー しかしそんなことはどうでもいい、話はそういうふうには運ばな ヴと、ロスコ ・ウエントワースをうわまわる、限定殺人という男 かったのだから。ましてこの物語には、白昼、八番街に陣どって、 ロスコー らしい技術にたいする知識を持っていた。ロスコー自身は、自分で ・ウエントワースに鉛弾をぶちこむ機会を狽っているさい ちゅうに、忽然として消え失せた黒い目の殺し屋、リトル・。ヒッテはなにひとっ発明したわけではなく、ただ、それに関する山ほどの ィーに関する真相が含まれているのだ。そればかりではない、いか改良点について特許を持っていただけだが、彼女の父親はミルティ にしてマクシー ー・デュアンといって、拳闘のヤネイジャ、 1 、それも正直なマネー ・マリオンが、三十」階の屋上ペントハウスの鍵を ミリーはあらゆる種類 かけた浴室のなかの水を出しつばなしの浴槽から、痕跡ひとっ残さジャーとして生前よく知られていたからだ。 ず姿を消してしまったのかも。以下は「はじめて明かされるこの二の不正を憎み、とりわけ拳闘におけるそれを嫌っていたが、それで
も、これは一般読者にはとして読まれなかった。ヴォネガット エンサイクロペディア・ファンタスティカ 、よっていたし、題材であるド 自身、自分は作家ではないとしし。 レスデン爆撃が、当時ドイツ軍の捕虜になっていた作者の体験とい ている。「 : : : 実現可能である、と読者が認めることにより : : : 」うのでは、として宣伝する必要はまったくなかったからだ。 なんてひねってあるところがおもしろい。つまり彼にいわせれば、 一方、ナポコフの『アーダ』は、北アメリカにロシア人の国があ 。塒間旅行でも多元宇宙でも、「これは科学的に可能だと思うよ」とる架空の世界を舞台にしている。そこでは原爆は存在せず、電話は 読者がいえば、もうそれは。ヒュア・ファンタジイではなくだと禁止され、プルーストは十九世紀の作家であり、人びとはぜんまい いうわけだ。四半世紀前の。ハル。フ時代には、これはたしかにみ仕掛けの乗物で旅行する。用語を使えば、明らかにパラレル・ ごとな定義づけであったろう。だが、作家たちの多くが、 ()0 の生ワ 1 ルドものだが、ナポコフなど『ロリータ』以来まったく関係な みだした途方もないアイデアを、その科学的可能性などには頓着せかオ っこし、雑誌にもまったく取りあげられなかったので、昨年 ず、純粋な思考実験あるいはエンターティンメントの手段として使来日したプライアン・オールディスから傑作だと聞くまで、ぼくは いだしている現在では、もはや通用しない。それに固執しようとしこの小説の存在を知らなかった。これをとして紹介している文 、リスンとオールディス共編の『年刊傑作集』 た結果、この評論は最初の十ペ 1 ジ目で致命的な馬脚をあらわしは章は、、 じめる。 第三巻 The Year's Best Science Fiction 3 以外には、ウォル、 昨年アメリカでベストセラーになった三つの長篇小説をとりあイムのこの評論しかない。いずれにせよ、一般読者がと見なか ったことは確かだ。 げ、それらがな・せサイエンス・フィクションであって。ヒュア・ファ この二冊がなぜなのか、ウォルハイムの説明を読んでみよう。 ンタジイではないか、というナンセンスな証明をえんえんとくりひ 「人間をあやつる異星人のアイデアは、 v-æの ろげるのだ。マイクル・クライトンの『アンドロメダ病原体』、カ『屠殺場五号』 ート・ヴォネガット・ジュニアの『屠殺場五号』 Slaughterhouse ものである。大衆はすでに太陽系外の知的生命存在の可能性を信じ Five 、そしてウラディ 、、ル・ナポコフの『アーダ』 Ada である。 はじめているーーまた、時間の流れを行ったり来たりする能力の可 『アンドロメダ病原体』は、どなたもご存じだろう。これは、一般能性も。ヴォネガットは、それらの仮説を的に証明することも の新聞雑誌の書評欄でもとして扱われたから問題はない。 忘れていない。ゆえに、 この作品はである」 『屠殺場五号』は、第二次大戦中、十三万五千の死者を出した連合 『アーダ』 「そのなかに一個所、登場人物の一人が、アメリカ つまり、われわれ 軍のドレスデン爆撃を、時間の流れからはみだした一人の中年男をにイギリス人が植民したパラレル・ワールド 主人公にして描いた作品である。作者の分身ともいえる主人公は、 の世界、ーーの可能性について長いあいだ擬似科学的な思索にふける 中年男の記憶と意識を持ったまま、過去と現在と未来に存在する自部分がある。この作品が、ビュア・ファンタジイではなく、の 分の肉体のあいだをめまぐるしく往復する。やがて彼は、空飛ぶ円領域にはまりこむのは、そのためである。なぜなら、ナポコフはこ 盤で地球にやってきたトラルフアマドール星人に誘拐され、彼らのこで、これまで数多くの作家が論じてきた仮説ー・ーこの宇宙に 動物園に入れられてしまう。外見は明らかに仕立てだけれどは、無数の地球を含む無限の。 ( ラレル・ワールドが存在するという ( 一 0 ページよりつづく ) 嶬Ⅲハ“Ⅲ円Ⅲ・Ⅲ以いⅢ川ⅢⅢ当Ⅲ当Ⅲ告
くだりの大冒険も 1 ちょうどキャプテン・フューチ 要因ではなかったことに注意したい。事実かれらのかたりはじめられる。 発生原因は、現実のこの世界状況以外になにもない ハーネスの「・ハラ」が、紅を出発への色としているヤーに出てくるような合成人間や獣人が登場するの のだ。そこに、としてのリアリティが生じる。のに対して、この作品は黒を死減の色に設定していで、けっこう面白く読めた。 そこへいくと、今月紹介するもうひとつの作品る。主人公ローガンは、かれ同様に二十一歳をむか人口の激増とともに、きみたちはやがて、二十一 「ローガンの逃亡」は、自分の置かれた環境に対すえたジェスカという女性とともに逃亡を開始する。歳を境としていやおうなく生涯を閉じねばならぬ時 る嫌悪感を最初からあからさまにしている点で、 い刻一刻水圧に侵されていく水中都市、ヒッ。ヒーまが代を経験するだろう。そしてそのとき、きみたちは かにも作りものという感じがぬぐえない。 「ローガいのロウティーンが巣食う「寺院」、北極の牢獄、 良い問いかけだが、悲しいかな若者の心を ンの逃亡」を読んでどうしても喰いたりなかった点密林と化したワシントンなどを転々としながら、サ捉えるだけの力量に欠ける。問題提起の大きさと、 は、作者自身が創りだした環境設定を、あまりに安ンクチュアリを求める二人に、四十二歳になってな読んで損をさせない物語の面白さを売りものにする 易に否定しさってしまう態度なのだ。つまりこうだお手に植わった水品が黒化しない奇跡の男バラードゴランツ社得意の商品とだけいっておこう。 1 ネスと、 しし / ーランと 、どちらも地味な ーー年々大増化する人口を維持しきれなくなった地 - と、叛逆者を追いつめるマン機関の代表者フラ 球は、ついに二十一歳以上の男女を虐殺する制度のンシスとが絡んでくる。苦労の結果、いまは放棄さマイナー作家だが、な・せか・ほくはどちらも好きだ。 発足に踏みきる。全市民の生活暦をすべてコンビ、れた宇宙船に乗りこんで地球を脱出できることにな ( ーネスの場合は、作家には数すくない美学を ーターに記憶させ、誕生の際各人の手に植えこんだ . ったとき、二人は宿敵フランシスの罠に落ちる。愛語れる作家であるし、ノーランはなによりもプラッ ドベリ的な童心がなっかしいのだ。 水品片が黒に変わったときその人間を殺すのだ。抵するジェスカをロケットに乗せたローガンは、ひと 最後にひとことつけ加えておこう。「・ハラ」の主 抗する人間のために、マン (Deep Sleep Man) りフランシスの構える銃の標的となるーーーのだが、 と呼ばれる殺人機関が組織される。そのマンのこのフランシスという男が実はスラードその人だつ人公のひとりアンナ・ヴァン・トウイルにあらわれ た一対の角は「ある果てのない視覚次元を獲得する」 ひとりが、たまたま二十一歳となって死ぬことに疑たことが、最後の最後で暴露される。 問を感じたところから″ローガンの逃亡“がはじま家庭生活も美徳もない若者の世界に、やがて大きにいたった。松果腺上の視覚を第一二の眼として使用 る。さすが世界一のプラッドベリ・ファンを自称すな変革がおとずれることを予知した唯一の老本 ( ラすることによって、人間は時間という次元を眺甲す るノーランの作品だけに、その出だしはプラッドベ 1 ドは、来たるべき世界のための新人類を選びだすることが可能になる。その眼は、すくなくとも米来 リその人を思いたさせる。「われわれが一緒にそだために、手のこんだ追跡劇を展開してきたというののお・ほろげな情景をとらえることができるにちがい った、すべての友に捧ぐーーーフランケンシュタインだ。こうなると、環境設定もへったくれもない。要ない。それでは、白い・ハラと名づけられた背中の瘤 いったいどんな紅い・ハラになったろうか ? とミッキーマウスに、 ( 中略 ) アスタウンディングするにこのサタン的な人物ハラードを際立たせるたは、 とアメージングと、ファンタスティックと : : : & めの小道具として〈二十一歳までの世界〉が持ちだ シンポリズムの考察を愛し、思索することをもの に、そして愛をこめて『地球の緑の丘』に」そされたにすぎないのだ。ただし物語自体は息もっか一ともせぬ、勇敢で壮烈な〈新読書人〉にすすめたい んな巻頭言のあと、物語は第十章から ( 第〇章まで ) せぬほどス。ヒーデイだし、北極の牢獄から脱出する一作品である。 0 0 0 0 0 U) 「スキャ 5
☆なっかしの ・アンノウン特集☆ カットナー ウェノレマン あまたの SF 雑誌 , ファンタジー雑誌が消長をく り返してきた中で , 幻の名雑誌として , 今なおアメ リカの中年以上の作家やファンの心に , ノスタルジ ックな哀惜の情とともに強く焼きつけられているも のの筆頭はくアンノウン > UNKNOWN ( のちに UNKNOWNWORLDS) です。特集タイトル 。ゞ総ゞ豆ら を、なっかしの 洋というのは , べつに日本の我 へ T 我もそうだということではないので , 念のため。 くアン / ウン〉誌は 1939 年 , 当時作家として , また H ン くアスタウンディング〉誌を三代目編集長として名 E 実ともに SF 界のリーダー的存在にまで押しあげた イ . M ジョン・ W ・キャンベルが , 従来のファンタジイ文 、 I 学とまったくタイプの異なるファンタジイの創造を S 目指して創刊したちまちその質の高さと内容のユ ークさで , 多くの作家とファンから熱狂的な歎迎 U をうけました。 ツ トら 創刊数カ月後 , 新進作家プラッドベリは感激のあ まり , キャンベルにこう書き送っています。「我々 ナれ E D の多くが待ち望んでいたタイプのファンタジイが , ついに現われた。キャンベル , あなたがそれをやっ た H てくれたのだ。もう血のしたたる家も・・・・・・タルキか A ら吊り下る死体も必要ないのだ・・ 後 L くアンノウン〉誌のユニークさは , 一見矛盾して聞 O えるかもしれませんが , 幻想物語に・論理 ' のセン スをとりいれたものを掲載した点にあります。どの 作品も , 自然で論理的な設定・人物・モチーフに , 一点だけ飛躍した超自然的要素を投げこんだ形で展 開します。こうすれば読者への説得性が , それまで のありそうもないケ / くケパしくおどろおどろしいフ ァンタジイよりはるかに増すことは , 容易にわかり 訳 ます。 ードでリアルで面白い SF を標榜したキャ ンベルらしい編集方針といえるでしよう。 しかし , 同時にそれがアンノウン・タイプのファ ンタジイの限界でもあったか , 同誌は 3 年半 , 39 巻目 尸 でストップ , 1943 年に廃刊されました。もちろん , 尚 第二次大戦下の用紙事情の悪化が明らかに第一の原 子 因だったのですが・・ なお , 当時のオリジナル版はまったく入手不可能 画 なので , この特集の三作品は , D ・ R ・ペンセンの 編んだ傑作集 THE UNKN()TVVN ( ビラミッド 西 版 ) から選んだことをお断りしておきます。機会が あれば , これからもこのような今はなき有名誌の特 浦 由 集をいろいろやってみたいと考えています。 (M ・ M) 冫彡 . こ、枦ト・ー・ 4 を聖人とまちがえられて ~ 天使からあたえられた後光 だが、それは凡人の彼にしてみれば ( 0 尸」 . ~ 一とんだままし贈り物だ 0 た ! の を 4
象化され、人類と文明の本質にかかわりあう問題として迫ってくる 仮説の上に立って、小説世界を構築しているからた : : : 」 、とどなりたくなるのは、・ほくだけではあからだ。これを、たんなる寓話ではなくと呼ぶことができるの ハ力いっちゃいけない は、これまでの優れた文明批評と共通する作者の巨視的な世界 るまい この二冊がかどうかを決定するのは、このような寓話的な内観が、その小説世界の背景に感じられるからなのである。 睿を持った作品の場合、異星人や。 ( ラレル・ワールドといった擬似 ウォルハイムの評論では、このあとビュア・ファンクジイの例と ウォルハイムの考えかたに従えば、作者がそ 科学的粉飾ではない。 の短い説明を省いていたら、もうそれはではないということにして、・・・トルキーンの『指輪の王』三部作 The LO 「 d しし、刀 ofthe Rings が論しられ、そしてアンドレ・ノートンの『魔法惑 なる。さわるものすべてを黄金に変えるミダス王の物語も、 星』 Witch ′ vo 工 d シリーズは、か。ヒア・ファンタジイかと げんな擬似科学的粉飾をちょっと加えるだけでになるという、 フレドリック・・フラウンの『天使と宇宙船』の序文にあったあの皮、うロ し門題に発展する。こんなことを気にするのは、を Science 肉な文章は、ご存じだろう。外見を見て、これは、これはノン Fiction として捉えているアメリカ人が圧倒的に多いからだろう。 と区別するだけの作業なら、ウォル ( イムほどの界の長老日本では、さいわい本来の意味が稀薄化し、略称が一般化してしま ったので、このような混乱はおこっていない。 の手をわずらわすことはない。 の定義がひととおり終ると、今度は分類である。これが、ま だがこの評論は、という現代文学のなかにユニークな地位を 占めるジャンルを、すこしまじめに勉強するつもりで買った読者ーたアナクロニズムでおもしろい。彼はをつぎの四つに大別する 『屠殺場五号』や『アーダ』をと気づかすに読んでいた人び とーーを対象にして書かれたものであるはずだ。の知識は大し①空想の旅 てないけれども、こんな評論に興味を示すくらいだから、他の文学②未来の予言 作品はかなり読んでいるであろう人びとが、これは一個所に擬似科③驚くべき発明 学的説明が出てくるからなのだ、と書くたけで納得してくれる④社会諷刺 そして、すべてのはこのどれかに含まれるというのだけれ 、こプつ、つ、カ ? ・ 『アーダ』はまだ読んでいないので何ともいえないけれど、『屠殺ど、ちょっとおかしいと思いませんか ? 最初の三つは、小説の手 場五号』から受けた感動は、やはりのものだった。もうすこし段である場合が多いのに、四番目はどちらかといえば小説の目的 はっきりいえば、のなかで一つの小分野を形成している作品群だ。 だが、これぐらいのことにいちいち文句をつけていたら、・ほくが を読みながら受けた感動と同質のものだった。物語の九十パーセン の基礎を築い ト以上が、主人公の戦時中の体験と本国での小市民的な生活で占め本を一冊書かなければならなくなる。来月は、″ ヴェルヌ、ウエルズ、カミングズ ( ! ) 、 られているこの作品が、なぜ的な感動を呼びおこすのか ? そた六人の巨匠 れは、ドレスデン爆撃という個人的な体験が、異星人やタイム・ストン ( ! ) 、ステー。フルドン、アシモフ ( ! ) ーーーのことから話をすす ( この項続く ) 丿ツ。フのようなファンタスティックな要素を触媒にして普遍化、抽めよう。
作も現実に出版されている。しかし海外の消息はこれくらいにして、スキャナ—本米 残念なのは、当時の大衆小説がそのの話題にもどろう。今月採りあげる作品は、チャー 大多数を俗にいう「貸本」用販売にルズ・ *-ä・ ハーネス "The Ros 纓 ( 196 Panther) 付されたことだ。だから肝腎のテキとウィリアム・・ノーラン、クレイトン・ジョン ストが完全な形で保存されることはスン共著 "Logan's Run" ( 196 GoIIancz) の一一 稀となる。リットンやシェリーなど、つ。どちらも、″来たるべき人類〃のための先鋒と まさに「稀」のきわだった例なのなる二人の男女を主人公に据えたミュータント物だ ど。ところがここにひとり、が、その扱い方はまるつきり違う。 ( 当時はユート。ヒア小説とか幻想航現在パテント代理業と家庭サービスに忙殺され 海譚の名で親しまれた ) をはじめとて、を執筆している瑕がないという ハーネスだ するいわゆるイギリスの古典大衆文が、過去の作品に対する評価は、とりわけムアコッ 学を、奇跡にも大量に発掘した人間クやオ 1 ルディスなど「ニュー ・ワールズ」系に属 がいる。ご本人はまさかに寄与する人のあいだで高く、この「ハラ」もムアコ ハーネス作「バラ」 しようとは思わなかったにちがいなツクの努力で単行本として英国で陽の目を見た。あ いが、その名をエルキン・マシューら筋をかいつまんで述べて見ようーーー地球ばかりか にでも採りあげるつもりではいる。うつかり書きわズと いい、ロンドンの古籍商兼出版業者だった人銀河系全体の制御権を掌握できるおそるべき最終兵 すれたが、前述したオックスフォードの古典復だ。第一次大戦で焼野原になったロンドン近郊か器が完成されようとする激動期。時代の風潮を察し 刻に関連して思いだしたことがあるので、ついでにら、燃えのこりの古典文学を叩き値で買いこみ、ゴてか、やがて人類の内部からも形態的、精神的に新 述べておきたい。イギリスという国は、さすがに大シック文学の研究家が多かったアメリカに売りつけしい段階へと移行する者たちがあらわれはじめてい 衆作家の数とその分野の広汎さにおいて、古くからて大もうけしたはなしは、今もロンドンの古籍商のた。かれらミ、ータンツは、ひたいに二本の触覚状 断然他のヨーロッパ諸国に抜きんでていた。とりわあいだで語り草としていい伝えられている。たしか突起を有し、背には大きな瘤をせおう畸形人間だ け十八世紀後半から十九世紀のヴィクトリア期にかに、このマシ = ーズというご仁、英文学にはきわめが、芸衛のカで未来を拓こうという情熱に燃えてい けては、新らしい型の大衆文学の本場ですらあって造詣がふかかったうえに、本を作らせてもゴランる。ここに一組の夫婦が登場する。一九の方程式を た。そのなかには、もちろん今でいうも含まれツなど遠くおよばない高雅なものを出していたのだ解き、自然の窮極要素を割りだして地上の覇権を科 ていたわけで、たとえば「ポンペイ最後の日」の作から、並の目利きではない。ガーンズバック以前の学の手にもたらそうとする妻マ】サ。絵を描き、詩 者・ハルワー・リットンが創造した "Coming Race" 功労者として、 cng«人なら記憶の片隅にとどめておを書き、音楽をかなでることに執着するミ、ータン トの夫ルイ。このルイが、もうひとりのミュータン ( 来たるべき民族 ) をはじめとして、いくつかの名いていい名前だら汚い ......... - ーーーー - ー . ーー Panther Science Fiction The legendary SF classic by CharIes L. Harness 0 0 0 0 0 586 03 をイ 0 0 3
雲賞をズ・ ( リと予言し、今のうちに腹に十文字の点線でも書いておラーク ( 順不同 ) と典型的なファンの道をたど 0 てきた・ほく ・ウ = ープとの衝突の過程で何回となく困惑した要 け、と某氏にいってやりたいのだけれど、去年あまりを読まな ・ウ = ー・フ否定論者ならどなたもうなずいてくれ かったので見当がっかない。ただ日本の長篇部門で、沼正三の『家素であり、ニュー 畜人ャプー』が受賞したらスパラシイと思う。しかし、だめだろうると思う。 、。ィッシュなど新しし ラード、 オールディス、ディレーニイテ なあ。 作家の新傾向の作品を読みたして、そろそろ四年になるけれど、ニ ・ウェープに最初感したこれらの欠点は、今でも一面では正し 同志社研の某氏にしてみれば、・ほくのような、をすなおー いと思っている ( こんな文章を読んだら、山野浩一が慨嘆するだろ に楽しめない人間はさそかし目ざわりなことと思う。その檄文がの ートビアをまだ見ていないので、某氏が何をもって正統的なうな ) 。 しかし、一面ではとことわったとおり、これはただニ = ー としているのか、そこのところはわからないけれど、これまで ープに対する懐疑的意見を今後封しるために、ぼくが開き直ってみ ・ウェープと見なされる作品群のどんな要素 の経験から彼がニュ 1 ・ウェープが持 に反発しているかは類たまでのことだ。が進化するためには、 = = ー っていた矛盾を止揚する以外に道はないし、 ( インラインの最近の 推することができる ッドの頂点でも、すでに突 ( まちがっていたら、失敗作に見るように、主流の。ヒラミ 然変異は始まっているのだ。 ごめんなさい ) 。 いきなり結論めいたものを書いてしまったが、そうなるべき必然 ①物語性の欠如。 性を端的に示した本が、このあいだアメリカから到着した。ドナル ②科学性の欠如。 ・ <t ・ウォル ( イムの『宇宙製造者たち』 The Universe Make 「 , ③韜晦癖。 0 、 ・アンド・ロウ社 ) 。「今日の」 Science Fiction ④センス・オプ・ワ 1971 ( ( Today と副題のついた現代論である。 ンダーの欠如。 つい最近、早川文庫にはいったヴァン・ヴォクトの『宇宙製 ⑤ニヒリズム。 ム ⑥既成の文学への媚造者』の原題は単数形。もちろん、ウォル ( イムの題名はこれを ィー ヒントにしたもので、彼のいう〈宇宙製造者たち〉とは作家の び。 以上は、五〇年代後ことである。 ウ半にの洗礼を受け ドナルド・・ウォル ( イムは、一九一四年生まれ。・メリッ 、ミルトン、ヴァン トの『ムーン・プール』連載第一回がのっているアメージング誌一 ヴォクト、ブラウン、 ベスタ九二七年五月号を読んたことからにとりつかれ、三三年、ワン 丿フッドベリ ダー・ストーリーズに処女作「アリ h ルから来た男」 The Man ー、ハインライン、ク 7
S F でてくたあ シックというだけでも、一読の価値はある。 世界全集第回配本は第幻巻ポール / はいっそう大きいといわなければならない。 コーンプルース、アンダースン、ファーマー ( ャカワ文庫は四冊だがなかではヴォ 0 ・ 「新しい文学の潮流をリードする」というキ 編。収録作品は『宇宙商人』 THE SPACE ャッチフレーズで異色の文学作品を紹介してクトの『宇宙製造者』 THE UNIVERSE 、る〈今日の海外小説〉がまた一冊出色の作 MAKER 0953 ) 矢野徹訳・一一〇〇円 ) が MERCHANT ( 1953 ) ( 加島祥造訳 ) 『タイし ム・。ハトロール』 GURDIANS OFTIME 品を出した。アルフレッド・クビーンの『裏いちばん面白い。一年前に自動車事故で死ん ( 1960 ) ( 稲葉明雄・深町真理子訳 ) 『恋人た面・ーーある幻想的な物語』 DIE ANDERE だはずの女が再び現われて、一一四世紀の未来 ち』 THE LOVERS ( 一 96 こ ( 伊藤典夫訳・ SEITE ( → 909 ) ( 吉村博次・土肥美夫訳・河世界へ主人公を拉致するといういかにもヴォ 出書房新社・八九〇円 ) である。クビ , ーンは 九九〇円 ) の三篇である。 クトらしい冒頭から、自然派、都会派、超人 巨大な広告エージェント・トラストによっオーストリアの幻想画家でポー、ホフマン、類人りみだれて五千年の歴史を賭けての闘争 て支配される未来社会を描いて、もっとも成ワイルドなどの著作にイラストをかいたことに巻きこまれる本筋まで、息もっかせない。 で有名だが、この作品は彼が書いた唯一の長ま : 、 功した社会諷刺小説として絶讃を博し、ハッ ズ第二作 をカ / ロウズの太古世界シリー クスリイの『すばらしい新世界』やオーウェ篇で、のちのカフカに強烈な影響を与えたと 『時に忘れられた人々』 THE PEOPLE いわれている。中央アジア、サマルカンドの ルの『一九八四年』に比肩し得るアンチ・ユ THAT TIME FORGOT ( 1924 ) ( 関口幸 ート。ヒア小説の傑作とまでいわれる『宇宙商奥深く存在する人工的幻想都市ベルレに招待男訳・一七〇円 ) 地底世界シリーズの二作め 人』については、すでに多言を要すまい。こされて入った主人公の画家が、「一切の科学 『危機のベルシダー』 PELLUCIDAR こに描かれる世界的人口過剰、悪化の一途を的な進歩」を否定するこの都市に魅せられな ( 1914 ) ( 佐藤高子訳・二一〇円 ) メリットの たどる環境汚染、枯渇する天然資源、住宅がら、やがてその崩壊を目撃しなければなら 秘境もの中の傑作といわれる『黄金郷の蛇母 やハガードの秘境小 難、エスカレートする一方の格差のひらきな ない : : ・・最初、メリット 神』 SNAKE MOTHER(1937) ( 団精二訳 どを読むと、洞察力あるのありかたにま説に似た雰囲気を感じながら読みすすむうち ・二八〇円 ) など。 にーー、その貍はクレーに影響を与える線描 た改めて強い驚きを感ずるだろう。 またこれは r-O ではないが、サム・グリン 『タイム・。 ( トロール』は、現代のタイ画の確立者だけあって一種不可思議な抽象の リーの『反逆のプル 1 ス』 THE SPOOK ムトラベルものの典型として、何度読みかえ魅力を持っている , ーーヨーロッパ人の「絶望」 、 HO SAT BY しても飽きることがない数少ない作品の一つといったものを強く味わわされてくる。 THE DOOR だ。じっさい、これを乗り越える新しいパター ( ャカワ・・シリ】ズはドイツのっ 969 ) ( 向後英一 ンを創造し得た作品を、筆者はまだ知らない。古典クルト・ラスヴィッツの『両惑星物語』訳・二四〇円・角 『恋人たち』はアメリカで最初に本格的 AUF ZWEI PLANETEN 0897 ) ( 松谷川文庫 ) は、黒人 に性の問題と取り組みかっ成功した作品であ健二訳・四七〇円 ) の白人世界に対す るが、この作品を読み返すことによって 一九世紀の末気球に乗って北極点にむかつるすさまじい叛乱 読者は、的スベキュレーションに何がでた三人の科学者が、極海に浮かぶ巨大な人工を描いた疑似イベ きるかということを、もう一度認識させられ島に墜落する。それは、火星人の基地で、彼ント小説で、その るだろう。特に、最近のが、ようやく古らはすでに地球に定期便のステーションを建強烈さはまさにシ いタブーを打破して、性の問題にア。フローチ設していたのだった : : : ウエルズの『宇宙戦ョッキング。一読 しつつあることを思うとき、この作品の意義争』に先駈けて発表されたドイツクラツをすすめたい。 海外セクション 担当 : 福島正実