老人 - みる会図書館


検索対象: SFマガジン 1971年7月号
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1. SFマガジン 1971年7月号

からあや とばかりでなく、韓や漢の国の事情にもくわしく、物事の吉凶を占ぬ」 う術さえも心得ている。この老人なら、相談をもちこむ相手とし「わしから話すとしよう。そなたは、案ずるでない」 て、うってつけであった。 老人は、たのもしげに答えた。若者が思いなやんでいることを、 宮戸彦は、きゅうに行先をかえ、右手の谷へむかって降りはじめすっかり見通し、なにやら対策を考えているらしい しんしゃ あかがね た。穴師の里にはいると、掘りだした辰砂の山が目につき、銅を死んだ大王の三男にあたる大足彦に、御子が生まれるというの 焼く煙りが目にしみた。宮戸彦は、薬草を煮ている老婆のわきをかで、その場に立会い、魔除けの祈りをしたり、名をつけたりする役 けぬけ、ちょっと立ちどまった。めざす相手の老人が、こちらへやを命じられている。老人は、その折に、次期の大王について意見を のべ、悶着をふせぐっもりなのであろう。 ってくるのを認めたからである。 若者と老人は、谷ぎわの登り道をたどり、連れだって歩きはじめ 「おう、宮戸彦、なにしに参ったのじゃな ? わしは、これより、 た。大和の山地をつつんでいた朝霧は、いっしか消えはじめ、草木 日代の宮に行くところじゃ。大足彦の王子に、御子が生まれそうだ という知らせをうけたでな」 の緑が、の・ほりはじめた朝の日に、はっきりと浮きたっていた。 かむさり なむつわけみこ たまきおおきみ 「誉津別の王子さまは、どのようになりまするか ? 」 「横立さま、珠城の大王には、今朝、崩御ましてございます」 老人から声をかけられ、宮戸彦は、肩で息をしながら、それだけ若者は、歩きながら訊いた。大王なき今、つかえるべき主人は、 同じ珠城の宮にいる白痴の王子しかいない。これまで大王につかえ 言うのが、やっとの有様であった。 「知っておる。珠城の宮に遣わしておいた下人が、知らせにもどってきた関係から、この王子に大王の位をついでもらいたいと、若者 は考えていた。だが、いろいろな事情を考えあわせてみると、それ てきた」 穴師の長は、おちついていた。若者がくるまえに、この重大事をは不可能なことでしかない。日代の宮の王子たちの一人が位にの・ほ 知っていたのである。この里の住人は、土器を焼くためのや、墳ったとき、まず気がかりなのは、その新しい大王が、白痴の異母兄 墓をかざるための辰砂や碧玉などを求め、遠くまで旅することが多をどう扱うかということであった。 。その者たちのもたらす諸国の噂は、すべて里にいる石占の横立「そなたの新しい主が、位につくことはあるまい」 のもとに届けられる。この老人は、穴師の里にいながらにして、目 石占の横立は、残酷な現実を見つめ、宮戸彦に言いわたした。白 となり耳となって働く下人たちの知らせをうけ、諸国の事情を手に痴の王子を大王にしようなどという過大な期待をいだかぬよう、ま とるように知っている。まして、ほんの一里ばかりのところにあるずはじめにいましめたのであろう。 にむつわけ 珠城の宮のできごとを知るくらい、なんでもないことにちがいな「だが、誉津別の王子が殺されることはあるまい。たとえ誰が大王 の位を継ごうと、白痴の兄を殺したとあっては、王家の人々や諸国 「しかし、日代の宮の王子たちに、大王の訃を知らせねばなりませの豪族に対して、道理がたつまい。しかも、王子を守ってお鳥取 8 つみ

2. SFマガジン 1971年7月号

「さて、大王がおかくれになったとなる ほむつ と、誰方さまが継ぎなさるかのう ? 誉津 0 わけみこ 、や、や、あの御方さ 別の王子さまか ? し までは、大和の大王はっとまるまい」 しばらく若者とならんで走った老人は、 この場で返答をもらえそうもないとわか り、ひとりごとのように呟きながら、肩で 息をしながら立ちどまってしまった。 若者は、それにはかまわず、同じことを 触れあるきながら、東のほうへ向かってい った。道は、やや登りになっているので、 ようやく若者の頬に汗がうかんだ。 若者の名は、宮戸彦という。この朝、崩 さり たまきおおきみ 御ました珠城の大王の下人である。よく気 のつく、気だてのいい青年なので、死んだ 大王から、ことのほか可愛がられていた。 いま、宮戸彦は、主人の死の知らせをもって、王子たちのところへ 急いでいるのであった。 りよう 珠城の宮は、大和盆地を見おろす山の稜線にある。北には、石の 大王の死 上の武器庫があり、南は吉野や宇陀の山地へつながる。東には伊勢 なみはやみな おおきみかむさり にぬける街道がつづき、西は盆地をこえたむこうにある、浪速の水 かなめ 「大王が崩御ましたそ 1 ・」 へつながる。いわば、大和の要にあたる地方に、この大王の都が 朝霧の立ちこめる野道を駈けぬけながら、一人の若者が触れある卩 いていた。道沿いの人家の住人が、あわただしく首を 0 きだしておかれていた。弓月から鵈谷〈かけて、なだらかな斜面が 0 づ は、いそいで身をかくしていく。家内の者たちに、大王の計報を伝ミいくつかの集落がある。穴師の里、笠縫の邑など、それぞれ、 えているのであろう。なかには、若者のそばに駈けより、肩をなら生業ごとに集ま 0 ている部落もある。穴師は、文字どおり山掘り人 の部落である。先代の水垣の大王が死んだとき、墳墓つくりをおこ べて走りながら、今後のことなど問いかけてくる者もいる。 王 dD 大 水 大和盆地 ( 湿原 ) 、、、、、、 , △穴師山 珠城の宮、 日代の宮「 穴師車谷 ( △ : 巻向山 笠縫 山 こ、耳 ・し△ = 輪山・ -- 真神の原 飛 : : 畝傍山 巐昊各具山 おおき かむ

3. SFマガジン 1971年7月号

いか。おもてむきにはできぬが、倭姫さまよりも、できるかぎりの 「やはり承諾していただけぬか。命を救ってもらったうえ、無理な ことはしていただく。もちろん、王子成人のあかっきには、相応の願いをきいてもらおうとは、こちらの申すことが、虫がよすぎるの 礼をさせていただく」 であろう」 石占の横立は、くりかえし頭をさげて頼みこんだ。この勇士とめ 石占の横立は、カなく呟いてから、いさぎよく引きさがった。や ぐりあったのが幸せであった。この王子を託すべき相手は、この勇むなく、宮戸彦にむきなおり、これからのことなど話しあおうとし 士をおいて他にない。老人は、王子の不運をもたらした責任を感たとき、美濃の稲置が呼びとめた。 じ、その罪をつぐなうため、生涯を賭けて王子の味方になるつもり「ご老人。大和の王子を預るわけにはいかぬが、幼な子ひとりく でいる。穴師の里に蓄えてある金銀を全てさしだすとまで申しでらいなら、世話をしてさしあげよう。無論のこと、礼などしてもら えひこおとひこ こ 0 おうとは思うまい。わたしにも、兄彦、弟彦という二人の息子があ 「お願いでございます。どうか、王子さまをお連れくださいまし」る。その下に、もう一人、子どもがあっても、育てあげる手間はお かたわらから、宮戸彦も口添えする。この若者は、さきほどの死なじことだ」 闘を目撃してから、人柄はともかく、この勇士の戦いぶりに憧れて「なんと ? それでは、この王子を預ってくださるか ? 」 いるのであろう。 穴師の長は、はずんだ声で問いかけた。 「お断わりいたす。わたしは、大和王家の内輪のことに、かかわり「いや、ただいま申しあげたとおり、大和の王子として預るわけに あおうとは思わぬ。いたいけな幼児が、兇悪な獣の毒矛にかかるのはまいらぬ。そのかわり、わたしの息子として、お育てしよう」 美濃の勇士の言葉をよろこび、石占の横立は、小碓の王子を下人 を、見すごせなかっただけである」 乳近の稲置は、鄭重にことわった。この豪族が、そう思うのも無の宮戸彦とともに、美濃の国へ落ちのびさせることに決めた。 理からぬことであった。かって、大和の征服をうけた美濃の住人が この王家に好意を抱いているはずがない。しかも、美濃に進駐した 3 美濃の稲置 八坂入彦は、この国の土着の豪族の勢力をなしくずしに削ぐっもり でいる。征服者の目からみれば、いちおう大和に臣属し貢物を献上 おうすみこ しているといっても、広大な領地をもち独立を保っている土着の豪 小碓の王子が、乳近の稲置にともなわれ、美濃の国へおもむいて 族階級は、ひどく目ざわりなものに写る。そのため、さまざまな口 から、はやくも五年の月日が過ぎさっていった。 実をもうけて、領地をけずったり、人民をとりあげたりしている。 美濃の豪族は、飛鳥の原において、石占の老人に約東したよう ちちか やまとおぐな こうした大和の動きに対して、豪族の一人である乳近の稲置が、反に、この幼児を大和の王子としては扱わなかった。大和の童男とい 感をいだいているのも当然といえよう。 う愛称でよび、おのれの二人の息子とともに、わけへだてなく育て ちぢか ちぢか いなき 225

4. SFマガジン 1971年7月号

老人は、その場で命名をおこなった。王子の誕生を知った大王 大和王家の代々のしきたりであった。 は、碓にとびのって臣下にむかって発表した。それにちなんだ命名 0 「兄上さま、たった今、二人の王子が、生れましたぞ」 うす やまと 高床の下から兄の大足彦を見あげ、倭姫は王子誕生のことを伝えであり、穀霊のやどる碓には、魔除けの力もある。 「しかしながら、大王よ。往にし方より、双児の生まれるのは、不 かもい 吉なものとされておりまする。双児に生まれた者は、鴨居に手のと 「なんと、双児が生まれたというのか ? 」 新しい大王に決ま 0 た王子は、こおどりしてよろこんだ。疎遠でどくほどに成人いたしますると、肉親に仇なすといわれ、忌むべき あった父の死のことなど、この王子の心から消しとんでしまった。生まれとされまする」 老人は、大王の喜びに水をさすように、不吉なことを話しはじめ 大和の支配者として承認されたうえ、今ここに二人の男子にめぐ まれたのである。大足彦は、そこにあ「た碓のうえにとびのり、大た。それをきいて、新大王の顔色が、さ 0 と蒼ざめた。喜びの絶頂 から俄かに奈落へ引きおとされたようであった。 声でわめきはじめた。 「皆の者、よく聴くがよい。わが后に二人の男子が生まれたのじ「どうすればよいのじゃ ? せ 0 かく二人の王子に恵まれたという ゃ。のすべてに酒をふるまおう、肉をあたえよう。今宵は宴をのに : : : 」 大王は、ロごもりながら尋ねた。 もよおそう」 新しい大王は、喜びのあまり、父の喪のことすら忘れはて、不謹「どちらか一方を殺すほかに、道はありませぬ」 慎な言葉を吐きちらした。御殿のまえに集ま「た人々は、大王の言老人は、冷たく言いわたした。 葉をうけて、いっせいに歓呼の声をあげた。 いやさか 、もカ 「弥栄 ! 」 ひしろおおきみ 2 殯りの宮 「日代の大王の世に栄えあれ ! 」 口々にさけぶ人々の声をききながら、大足彦の大王は、得意の絶 頂にあった。 大足彦の王子が、日代の宮において王位にの・ほるという知らせ まえつぎみ ようやく、人々の興奮がおさまったところで、新大王は、石占のは、大和にいる豪族のもとに伝えられた。珠城の宮の群臣たちも、 横立を見おろし、誕生した王子の命名をたのんだ。かれらのあいだ新しい大王に仕えるため、日代の宮に移ってきた。こうして、日代 では、名は大きな意味をも 0 ている。もし、命名を誤まれば、一生の大王の治世がはじめられたわけだが、まず第一に手をつけねばな らないのは、死んだ珠城の大王の殯りのこと、および生まれたばか の不幸を招くと考えられている。 おうす おおうす りの双児の処置のことであった。 「大王よ。二人の王子を、大碓の王子、小碓の王子と、名のらされ これまで、王子、王女の住む仮宮にすぎなかった日代の宮を、正 るがよろしゅうございまする」 ささ みあらか

5. SFマガジン 1971年7月号

にかわっていた。 によくなついており、土産にもらう大和の品などを、よろこんでい いっしか、乳近の一族も、この老将軍の訪問を歓迎するようにな た。老人の訪問を心待ちにしている少年は、大叔父にあたる人との っていた。訪問を知らせる使いがやってくると、館の人々をあげて血のつながりを、どこかで意識していたのかも知れない。 やまいも 宴の準備がととのえられる。老人の好物の山芋を掘りにいく者もあ「そうさのう、ちょうど、そなたくらいの年頃じゃ。なんでも、生 るし、鹿の丸焼きをつくる者もある。こうした準備がおわったこまれおちたとき殺すはずであったが、手ちがいがおこり、大和を逃 ろ、大和の将軍は、二人ばかりの供をつれ、ふらりとあらわれるのげのびたということじゃ」 おぐな 老いた大叔父は、可愛がっている童男が当の王子とも知らず、残 が常であった。 ある日のこと、この老人は、 . いつになく兵士をともなって、乳近酷な運命について物語った。 うたげ の館を訪れた。すでに征服者として駐留していることすら、なかば その日は、それだけで終った。あとは、も 、つものように宴にな 忘れかけているような日常であった。 この老人が、兵士をひきつれり、もはや不吉な話題がもちだされることはなかった。 てくるとは、これまで絶えてなかったことである。 不吉な宿命を負う王子を、領地のなかで養育していたことが、日 「乳近の稲置よ。わしは、この国を去らねばならないかも知れぬ。代の大王に伝えられれば、乳近の一族は亡・ほされるにちがいない。 今朝ほど、大和の甥ー・ーいや、日代の大王より急使がとどいた。こまた、将軍の八坂入彦も、領地の監督不行届をもって罷免されるに の国のなかに、大王の双子の王子の片割れが、潜伏していると伝えちがいない。老人が、この国を去るかも知れぬといったのは、その てきた。なんでも、この王子は、生まれおちたときから、王家に仇ことのためであった。 この なす不吉な宿命をもっているという。そなたの領地のなかに、 乳近の稲置は、悩みぬいた。大和の王家には、なんの恩もない。 王子が紛れこんでいることが、田島の守という術者によって明らかまして、大王の王子を養育しなければならない義理もないだが、 にされたということじゃ」 五年のあいだ実子として育てた王子に、愛情すら感じるようになっ 八坂入彦の言葉をきいて、乳近の稲置をはじめとして、妻の白刀た自分の気持だけは、どうすることもできない。これまで育ててき 自や三人の息子も、顔色をかえていた。なかでも、長男の兄彦は、 た童男を、殺されると知りながら、おめおめと引渡すわけにはいか くちびる ロ唇をふるわせていた。大和の小碓の王子のことを知るのは、乳近なかった。 の稲置夫婦のほか、この長男だけであった。ものの理非をわきまえ 日代の大王のそばにつかえる田島の守という男は、さきの珠城の かのち る年頃になったとき、父の稲置が、この長男にだけは真相を話した大王によって漢の国へつかわされたという術者で、易という彼地の のである。 術を学んで帰国したという。この男については、石占の横立から王 7 、くつくらいなの ? 」 「大和の爺さま、その王子は、し 子を預ったとき、詳しくきかされている。この館に王子がかくまわ おぐな 大和の童男が、無邪気にたずねた。六歳の少年は、大和の老将軍れていることを言いあてたところをみると、その恐るべき易の秘術 おぐな あや

6. SFマガジン 1971年7月号

とちね したこの若者は、第三子の大足彦の王子である。いかにも神経質その十千根と大伴の武日を呼んでまいれ」 うにみえるが、病弱ではない。なにごとにつけ、用心ぶかい性質大足彦の王子は、老人にむかって話しかけ、臣下の一人に声をか で、むしろ小心といっていいくらいだが、それだけに陰険なところけた。この王子の言葉のなかに、気がかりなことが、ひとつだけあ がある。 った。王子は、妻の稲日姫のことを、后とよんだ。老人は、この一 ざま 「大足彦。なんという様だ ? 産屋をのぞこうなどと、とんでもな言のうちから、すべての事情を読みとっていた。老人がくるまえ いことをいう奴じゃ。男らしく落着いておればよいのだ」 に、二人の王子のあいだで、とりきめがなされ、その結果、弟の大 もう一人の髭面の若者が、大声をあけて叱りとばした。第二王子足彦が大王をつぐことになったにちがいない。本来なら王位につく べき次男の印色入彦は、よくいえば豪放磊楽、わるくいえば単純な の印色入彦の王子という。あらゆることにわたって、殺伐な粗暴な 男であり、斬りおとした敵の首の数を、いちばんの自慢としてい性格であるから、弟の大足彦とわたりあえるほど、政略の才には恵 る。 まれていない。大王になったら最後、好きな戦さにも出征できなく 母を同じくする二人の王子は、すこしも似たところはないが、みなると告げられ、たやすく丸めこまれてしまったのであろう。 「大和の国を治める大王さま」 ように気のあうところがある。それぞれの足りない点を、おたがい 石占の横立あらためて、大足彦の王子のまえに、平身低頭し に羨望の眼で眺めあっているからであろう。 「王子さまがた、穴師の長、石占の横立、参りましてございますた。ひと騒動おこるかと思っていた後継者の決定は、思ったより簡 単に運んでしまった。後日に問題はのこるが、ひとまず戦乱の危機 る」 はふせがれた。老人は、ことの成行を意外に思いながらも、安堵の 老人は、高床のまえにすすみ、平身して挨拶をのべた。それか ら、横にならんだ宮戸彦をこづいて、口上をのべよという身振りを胸をなでおろすのであった。 示した。 高床のまえに、一人の少女が走りよってきた。大足彦と母をおな やまと いつぎ むら やつがれ 「奴輩は、珠城の宮の下人、宮戸彦と申しまする。今朝、大王にじくする倭姫である。神につかえる斎の姫として、笠縫の邑にある やしろ かむさり は、崩御ましてあらせられまする」 天照大神の社につかえている。この姫は、いまだ十五歳の若さで、 平伏した宮戸彦は、二人の王子を見あげて、おそるおそる大王ののちの人生を定められてしまったのである。珠城の大王の妹にあた とよあきいりひめ る豊鍬入姫が神につかえる地位をしりそいたので、叔母がはたして 訃を告げた。だが、二人の王子は、いっこうに驚かなかった。 いた役割が、この幼ない姫に振りあてられた。その結果、この姫 大王の健康は、ここしばらくすぐれなかった。したがって、大王 まぐあ の死は、いわば来るべきものが来たという感じでしかなかった。 は、一生のあいだ男と交合うことなく、独身を通して神に仕えると きさき いまし さだめ いう運命を与えられた。無論、それは、この姫の意志からでたこと 0 「石占の横立、汝は、后の出産のことのみを考えればよい。大王の 訃を群臣に知らせるのは、われらの努めじゃ。これ、ここに、物部ではない。王族の姫のひとりが、誓いをまもって神に仕えるのは、 もののべ たけひ

7. SFマガジン 1971年7月号

つわけみこ ない、吉野の山奥から辰砂 ( 朱Ⅱ硫化水銀 ) を掘ってきて、遺体を津別の王子は、どうなるのであろうか ? 順当なら次の大王になる かざったりした。笠縫は、笠をつくったりするエ人の部落で、宮に べき身であるが、それがかなわない事情があった。この王子は、三 うえかた たっき いる上っ方のもとめに応じて、村じゅうの生計をたてている。 十歳をすぎた今になっても、幼児のような片言しか話すことのでき やますそ ない、まったくの白痴であった。 山裾の盆地の一帯は、無人のまま、かえりみられない。山側の一 部が湿田としてつかわれているほか、のこりの広大な地域が、葦の ほかの王子たちは、日代の仮宮に住んでいる。ここは、いわゆる あかし 生いしげるままに放置され、鳥獣や妖怪の棲家になっている。古老若者小屋のようなもので、成人に達した徴をたてるまで、王子たち の話によると、はるかな昔には、このあたりまで紀の海がいりこんが住むためにつくられた別の宮で、多くの下人たちが仕えている。 でいて、いまの珠城の宮の高さくらいまで、水に漬かっていたとい だが、王子たちが成人しても、珠城の宮に呼びよせられることはな う。その後、海がしりぞいて湖になり、年ごとに水位がさがってい かった。死んだ大王は、溺愛する白痴の長男をまもるため、他の王 くが、いまだに盆地の大部分が、湿田になっている。それ以前に子たちを迎えようとしなかったのである。 ほむつわけ は、ここに住む人の生活は、もっと高い山地でおこなわれていたら 日代の仮宮にいる王子たちは、白痴の誉津別とは、母を異にして おおあし いにしきみこ いた。そのなかでも有力なのは、次男の印色の王子と、三男の大足 やまと ひこみこ 現在でも、この国の人々は、山の稜線に沿ったところで、くらし彦の王子の二人であった。その下には、大中姫と倭姫の姉妹がつづ わかき ている。山と湿田は、いわば大和の国の守りにひとしいものであっき、その末に稚城入彦という王子がいるが、これはまだ幼ない。こ きさき の五人の王子と王女は、いまの后の日蓮姫の生んだ子であり、もっ とも高い席次にあり、ほかの妃の生んだ王子たちより、一段たかく 下人の宮戸彦は、この尾根の山道をいそいでいた。一里ばかりう えにある日代の宮へかけつけ、王子たちにむか 0 て、父なる大王の扱われている。 崩御を知らせなければならない。だが、その折おこるであろう悶着ともかく、こうした複雑な事情は、若い宮戸彦の考えおよぶとこ ろではなかった。ただ、この若者にも予測できることがひとつあっ 、っそう重くなった。 をおもうと、疲れた足は、 どなた た。まかりまちがうと、珠城の宮にいる誉津別を擁する人々と、日 いったい、誰方が、大王のあとを継ぐのであろうか ? 通りすが りの里の者から浴びせられた質問が、この若者の心にもこびりつい代の宮の王子たちのあいだに、戦さがおこりかねない。若者は、そ ていた。それこそ、まさに、大和の国の運命を左右する重大事であのことを心配するうちに、大王の崩御をそのまま日代の宮へ伝えて よいものかどうか、思いなやみはじめた。 むつわけみこ 死んだ大王は、長男の誉津別の王子といっしょに、珠城の宮に住日代の宮の手前まできて、宮戸彦は、ひとつの解決をおもいつい あなし んでいた。おそらく、この宮は、大王の死と同時に、その遺骸をおた。右手の車谷のほうに、数十戸の人家がならんでいる。穴師の里 R にむ さめる殯りの宮となるであろう。そのとき、大王が心から愛した誉である。この里の長は、石占の横立という老人で、鉱物と植物のこ いとなみ しんしゃ みめ

8. SFマガジン 1971年7月号

「姫さま、王子の行方のこと、この老耄にはわかっておりまする」日になれば殺されるのでございまするそ」 老人は、おちく・ほんだ眼で、姫を見つめた。穴師の里の長、石占「なんと。兵士たちとともに、宇陀へ行くというのか ? 」 の横立。一年まえ、王子の一方を殺すよう、大王に進言した男であ「いかにも、祭器をおさめる道中に、王子をかくまえば、物部の十 千根にも怪しまれずにすみまする」 老人は、熱心に倭姫を説いた。そのそばから、宮戸彦が老人の人 「たわけたことを申すな。この里に、王子など、いるはずがない」 倭姫は、声を荒らげて一喝した。王子の件について、この老人に柄を保証してみせたので、ようやく姫の心も動きはじめた。 好意を持「ていなかった。どうせ、恩賞めあてに、王子の逮捕に協「よかろう。ただし、ひとつだけ妾のいうことをきいてもらおう。 道中には、この宮戸彦をつけてやる。また、もし、汝が王子を殺す 力しているにちがいない。 「姫さま、この老耄の申すことを、おききなされ。なるほど、わしようなことがあれば、大神の神託によせて、穴師の里人を皆殺しに は、王子の一人を殺すよう、大王に申しあげた。だが、小碓の王子するであろう」 まえはない。あの折、ふかく考えるこ やがて、倭姫は、老人の意見をいれた。ほかに策がない以上、こ のほうを殺せと申しあげたおに おいばれ いいったえ ともなく、伝承のことをはなしたのは、この老耄の不覚でした。あの提案をうけいれるしかなかった。 のあとになって、いささか心得のある石占の掛をたて、波迦の木宮戸彦と老人は、さっそく小碓の王子のいる小屋にはいりこみ、 で鹿骨をやいて太占の卦をたて、とんでもないことをしでかしたこ脱出の準備にとりかかった。石占の横立は、王子を起こし、用意し とに気づきもうした。もし殺すなら、大碓の王子のほうでございまた薬をのませた。この薬は、薬草から採ったもので、人間を眠らせ した。それがかなわぬなら、なんとしても小碓の王子の命を、助ける力をもつ。すっかり寝こんだ幼児の体を、ワラ東でつつんでか どうたく ら、車にのせた銅鐸のところに運び、そのなかに押しこんだ。銅鐸 ねばなりませぬ」 、くつかの穴があいているので、息がつまる恐れはな 石占の横立は、心から前非を悔いているようであった。だが、倭の表面こよ、 。さいわい、物部の兵士は、邑のまわりに、寝ずの見張りをたて 姫は、にわかに信じる気になれなかった。 むら 「汝のいうことを、信じろというのか。もし、かりにここに王子がているだけで、邑のなかまでは警戒していなかった。 つわもの もののべとちね 翌朝、物部の十千根の兵士は、はやく起きて行動をおこした。邑 隠まわれていたとしても、その王子を殺すよう大王をときつけた のうちにある小屋という小屋をことごとく捜策し、一歳くらいの幼 汝の言葉を、信じるはずがないではないか ? 」 うだ おいぼれ 「証拠をお目にかけましよう。この老耄は、宇陀の山地にある王家児をひきだして、十数人まとめてつぎつぎに首を刎ねた。 どうたく いたいけな幼児の虐殺の場に居あわせた里人たちは、哀泣の声を 発生の地へ、銅鐸の祭器をおさめに参る途中でございます。そのた えんさ おうすみこ め、日代の兵士にまもられ、明朝はやく発ちます。小碓の王子を、あげ、大王の横暴を呪い、怨嗟の瞳をむけて、倭姫を見つめてい この邑の外につれだすには、このわしがお預りするほかはない。明た。 いまし ふとまに おいばれ 幻 7

9. SFマガジン 1971年7月号

せつかん た。悪戯をすれば厳しく折檻し、すこしも手加減をくわえようとしもなわれ、大人たちのすることを、見よう見まねで覚え、弓や剣の しろとじ なかった。この豪族の妻は、白刀自という名で、優しく気だてのい扱いをまなんだ。領主の一族であっても、下人たちにまじって働い 2 おぐな たりするのが、この国の習慣であった。三人の兄弟は、それそれの い女であった。彼女は、大和の童男に実の母として接し、降るよう なじなうさぎ な愛情をそそいでくれた。一度も母に抱かれたことのなかった幼児年齢に応じて、貉や兎などの獲物を運んでかえらねばならなかっ の心は、新しい父母のもとで大きくふくらみ、さまざまなことを吸た。乳近の稲置は、三人の兄弟を、厳しくあっかい、下人のするよ うなことでも、嫌がらずにするように命じた。かって、美濃の豪族 収するようになった。 六歳になった大和の童男の姿には、五年まえ笠縫の叔母のもとでたちが、独立した領土をたもっていたころより、はるかに厳しい仕 育てられたころの、ひょわな依頼心のつよい幼児の面影は、すこしつけをほどこした裡には、この豪族の将来への計算がはたらいてい も残っていなかった。 兄として育てられる弟彦が、むこう見すなくらい元気のいい子ど現在のところ、美濃に駐屯している八坂入彦は、それそれの豪族 おぐな の支配をみとめ、その領土でおこなわれることに介入しようとしな もであったから、その性格にひきずられて、大和の童男のほうも、 。豪族たちの勢力を減殺することは、大和の至上命令であり、そ いつまでも泣き虫でばかりもいられなくなった。三つ年上の兄にむ かって、ときには喧嘩をいどむこともあり、打たれても転がされてのため数々のこころみがなされていた。だが、八坂入彦は、ー死んだ も、しようこりなく向かっていくようにさえなった。同年輩の子ど珠城の大王の弟にあたる老人で、かって美濃に兵をすすめたころの もとくらべて、決して体格のいいほうではなかったが、敏捷さでは気迫を失い、土着の領主たちと平和を保とうと考えるようになり、 あえて無理おしをしなくなっていた。実際、この老将軍は乳近の稲 誰にもひけをとらなかった。 長男の兄彦は、この弟彦よりさらに三つ年上で、生まれつきもの置の領地へも、しばしばやってきて、諸国の噂話などをしてかえる しずかな性質で、争いごとを好まなかった。そうしたところが、人までになっていた。そのたびに、大和へさしたす貢物のことなど、 民や下人たちから愛されることになり、おのずから父の地位をつぐ相談にの・ほるわけであるが、かならずしも過酷な条件をつきつける わけではなかった。日代の宮のほうは、貢物が多ければ多いほどい べき資質がそなわっているようにみえた。 いわけで、年ごとに増額の要求をつきつけてくる。しかし、この老 美濃の国は、大和のような湿原をとりまく山地だけの国ではな 、広大な山野にめぐまれた美しい土地であった。ここには、おび将軍は、むしろ住民のほうの立場にたち、不作や疫病などの口実を ただしい数の鳥獣が住みつき、採ってもとっても採りつくせないほもうけて、貢物を減らすようにつとめていた。かならずしも住民に 同情する気持からでたことではなく、晩年をすごす土地で面倒をお どで、狩の獲物にことかくことはなかった。 ちちか こしたくないという気持も働いていたのであろう。かっての征服者 乳近の稲置は、すぐれた武人であるから、領地のなかで狩をもよ こうこうや おすことが多かった。こうした機会に、三人の兄弟は、しばしばとは、長くこの土地にとどまるうちに、いかにも好々爺然とした風貌 こ 0 うち

10. SFマガジン 1971年7月号

そーっと近づいて、みごとにヤスで突き剌したというわけさ。運が「しかしーーーしかしーーしかしだ。むろん、それはまちがった処置 よかったよ。こいつを殺したことで、ジャコの節約にもなるし、船で、いまでは全員がそのために苦しんでいる。その上、クジをひい 4 長たちにふさわしい祝賀会ができる。思うそんぶんつめこみたまて、損害を少なくするだけの度胸もない」老人は声をひそめた。 え。これだけの大物には、二度とお目にかかれんかもしれんそ」 「連中は、あの西方の大陸、アメリカというところへ、略奪にいこ デジャランドが無躾に、先任士官に異議を唱えた。 うと考えている。鋼鉄、青銅、とにかくデッキに溶接されてないも 「司令、それはちがいます。彼がすっかり絶滅することはありえまのならなんでもいただこう、というわけさ。むろん、それは利巳ハ せんよ。海は深い。その遺伝的ポテンシャルを破壊できるものじやカの幕僚どもが考えたナンセンスだ。第一、乗組員たちが承知すま ありません。摂食・ハランスに一時的な変化を起こすのが、せきのや い。それで、デジャランドはなんのためにここへきたと思う ? わ まです」 れわれもそれに加わらないかというのだ ! 」 「きみは最近、マッコウ鯨を見たことがあるか ? 」船団司令は白い ソールターはしばらく無言でいたあと、こう答えた。 眉を上げてききかえした。「船長、さあお代りをしてきたまえ。な「もちろん、お断わりになるのでしようね」 くならんうちに」 「夜が明けたら、丁重な謝絶の返事を持たせて送り返すつもりだ。 ′ウス・フリット この計画が乗組員たちに洩れて、船団司令が斜檣吊しにされるよう それは一種の退去命令だった。外来者は一礼して、テープルのほ うにむかった。 な目にあわぬうちに、断念したほうがいいという忠告も添えてな」 船団司令はソールターにたずねた。 老人はさむざむとした微笑をうかべた。「もっとも、ちょうどすば 「彼をどう思う ? 」 らしい収穫のあった直後だからこそ、あっさりそんな返事ができる というものだ。かりに、 「かなり風変わりな意見の持ちぬしのようです」 こっちも何隻かが網を失い、頭数の六割ぶ んしか塩漬け食糧がないという状態だと、申入れを断わるのがため 「ホワイト船団は、どうやら堕落してしまったらしい」と老人はい った。「あの男は、先週、収穫の真最中にカッターで乗りつけてきらわれるだろう。きみはどうだ。そういう状況でも、相手に断わり て、わたしに面会を求めた。ホワイト船団司令の幕僚と名乗っての返事ができるか ? 」 な。おそらく、連中はみんなあれに似た人間だろう。とにかく、連「できると思います」 中はひどく困っているらしい。錆が手のつけようもなく広がったの 船団司令は謎めいた表情で歩み去った。ソールターは、相手の意 か、それとも子供を生みすぎたのか。しかも、一隻の船が網をなく図がのみこめたように思った。最高指揮権の小さな毒見、というと したのに、連中はそれを除名しなかった。船団・せんたいから索具をころだろう。おそらく、彼の名は船団司令の候補にのぼっているの 持ちょって、その一隻のために新しい網を作ってやったのだ」 だーー・もちろん、いまのおやじの後任ではなく、その後任者のあと 「しかし・ー・・ー」 をつぐものとして。