うじむし 馬台の騎馬と初めて遭遇したとき、戦死したところの男であった。 けよってくると、白い骨の露出した胸もとから蛆虫をこ・ほしなが 「残りの兵士にも、一人のこらず鏡の光を当てるように」 ら、兵士は、なおも逃けのびようとする。弟彦は、山鳥の尾羽の矢 王子は、弟彦に言いおいて、その場をはなれ、タ・ハーナ姫の手を、を射かけた。矢は、兵士の胸を射ぬいたが、すでに死んでいる人間 とった。異国の王女は、あまりのすさまじさに、血の気の失せた顔を、ふたたび射殺することはできない・兵士は、心の臓に矢をつき つきになり、いまにも倒れそうな有様であった。かって邪馬台の隊たてたまま、王子のほうに走りよってきた。 長の女にされていた風媛は、身の毛のよだつような光景にもよく耐「助けてくれ、王子さま ! 」 え、おなじ女同士として異国の姫の慰め役をかってでた。そこで、 兵士は、腐りかけた喉をならし、死んだ魚のような眼で、王子を 王子は、かなりはなれた松のところに、女二人をのこして、兵士た見つめながら、手をさしのべてきた。 ちのところに立ちもどった。 「許してくれ ! 」 むらくもつるぎ そのとき、石占の横立のささげもっ神鏡は、第二の犠牲者を探し王子は、叢雲の剣を抜き、死体の兵士の胴を薙ぎはらった。兵士の あてていた。だが、陽光を照射された兵士は、そのままじっとして体は、上下に分断されたまま、それそれ別々に芋虫のように這いま はいなかった。さきほどの兵士の最期が、そのまま我が身に起こりわり、なおも逃れようとする。そこへ、ようやく鏡をもった石占の かけていると知ると、兵士は、腐爛しかけた体のまま、鏡の照射か横立がかけつけ、よたよたと走りより、陽光を照射しつづけ、生命 ら逃げまわりはじめた。 の気配を断ちきった。 「助けてくれ、止めてくれ。神鏡の光をあてないでくれ。おれは、 三人目の儀牲者は、発見されると同時に、叫びはじめた。 「しまった、おれが死体だったのか。知らなかった。そういえば、 此の世から消えたくない。いったん死んだ身を、ヒミコ様の鬼道の 術によって、甦らせてもらったのだ。・ おれよ、、 とうか、助けてくれ」 。ったん死んで、女王ヒミコの力によって、わあーっ ! 」 兵士は、投光からはずれ、あたりを狂いまわった。そのため、進死体の兵士は、絶叫しながら、腐爛していった。どうやら、女王 行しかけた腐敗が、そこまでの状態で停止し、いっそう凄惨な姿にヒミコによって蘇生された兵士たちは、かれら自身いったい死んだ なっていた。 事実を、忘れているらしい。つまり、かれらは、周囲の人々の記憶 逃げまわる兵士の髪は半分ほど抜けおちて、顔の筋肉はなかば溶を欺くと同時に、みずからも本当に生前のままの姿でいると、信じ けおち、一方の眼球は突きだして一筋だけでつながっている。もはて疑わないのであろう。女王ヒミコの息がかかっていることは、ま や、それは、生ある者の姿ではなかったが、兵士は、薄れていく生ちがいないところだが、呪縛がとけるまでは、本人もそのことを知 命のきざしに、夢中でとりすがろうとしているようであった。 らずに動いてしまうにちがいない。 石占の横立が陽光の狙いを定めかねているうちに、死体の兵士 こうして、王子ヤマトタケルの一行は、三人の死体の兵士を探し は、ひとつの岩影に逃げこんだ。やむなく弓矢をとった弟彦が、駈だし、ようやく人数を合わせることができた。だが、一行すべての
はるか東の海上に朝日が昇りはじめる。さしそめた黎光を鏡にう 八咫の鏡によって陽光を投射された兵士は、みるみるうちに変貌 け、老人は、兵士の一人ひとりに当てた。まず異国の王女タ・ ( ーナしていった。それは、死後数十日かけて朽ちていく死者の肉体の変 姫、美濃の弟彦、それに王子自身ーーこの三人は、神鏡の照りかえ化を、ほんの一瞬のあいだに圧縮して再現したのであった。人々 らせる曙光を浴びても、すこしも変化しなかった。弟彦が代わっての見つめるまえで、その兵士の肉体は、にわかに腐敗して土に帰し 鏡を受けとり、珍彦、大彦、それに石占の老人を、あらためて照らていくのであった。 しだす。はたして、この三人にも異常はなかった。 空ろな眼窩からただれおちた眼球は、大地のうえで膨張したの さきま一り ひから 残るは、諸国から徴用され防人として王子の一行に加わった兵士たち、腐った液を吐きだしてびしげ、千乾びた形になった。皮膚や肉 はらわた ちばかりになった。一列にならんだ兵士たちをまえにして、石占ののそげおちた胴体には、異常に膨満した臓腑が残され、まもなく悪 老人は、ゆっくりと陽光を反射させていった。はじめの三人は、な臭をはなっ液体を放出し、からからに乾きはて洞穴のような骨のあ にごともなく過ぎた。そして、四人めの兵士にむけて、陽光をあて いだから地面におちた。 たとたんに、その男の口から、すさまじいうめき声が漏れた。陽光腐敗の進行は、兵士の体の各部で並行して起こっていた。首から のうしよう をさけようとしなかったのは、その男みずからも、この神鏡の威力上は、腐れはてた脳漿が流れおちると同時に、頂天にこびりつく一 によって害をうけるとは、いささかも思っていなかったからであろ東の髪のほかには、なにも残らなくなり、落ちく・ほんだ眼窩と鼻腔 とが、ぼっかりと口をあけているばかりになった。四肢の筋肉は、 男は、直立したまま、両手で喉をかきむしった。すると、喉・ほとどす黒く変色し、だらりと弛緩してから、地面におちた。 けのあたりの皮膚が、そろりと剥げおちた。男の両手指は、それに 王子たちの目前で、鬼気せまる光景は、いまや終りをつげようと もかかわらず、皮膚がむけおちて赤い肉筋をあらわにした喉首にさしていた。土中に埋葬された際には数十日かかるであろう腐敗の過 しこまれた。 程を、一瞬のあいだに済ませてしまい、兵士の体は白骨と化し、乾 同時に、男の容貌も一変した。額や頬の肉が土気色にかわり、腐 いた音をたてて横倒しに砕けちった。 った体液をじくじくと滲出させながら、俄かに溶けくずれた。あた 王子は、そのとき、心のどこかに抑制されていた記憶が戻るのを りに立ちこめる死臭のなかで、男の眉毛が溶けおち、額の髪がひと感じた。白骨の兵士の正体にまつわるような記ー ( 意よ、周囲の人すべ つかみほども脱けおちた。眼窩の覆いの肉がはぎとられ、丸い眠球ての心のなかに封じこめられ、想いだせぬように仕組まれていたら だけが突出し、一本の筋だけで顔面に垂れさがり、やがて脱落ししい。その記憶が、白骨の正体があらわれると同時に、何者かの呪 縛からときはなされ、人々の心に甦ったのであろう。 さきもり 王子は、恐怖のあまり、動くこともできぬまま、その場に立ちっ 見覚えがあるのも道理、白骨の兵士は、王子の配下の防人の一人 くした。 であった。だが、その男は、すでに此の世の者ではない。さきに邪
推 ・シリーズ る 0 新しい文学的視野をひらく異色アンソロジー 3 1 成、 4 1 一 譜開 4- 1 異色の鬼才が選び上げた戦慄の恐イ 、一三ロ展 怖小説。星新一・遠藤周作・宇能系 異形の白昼 鴻一郎・曽野綾子・都筑道夫・戸体、のの ー現代恐怖小説集ー筒井康隆編川昌子・笹沢佐保他 \ 680 男 ー」派派 替話 派′格会 特異なユーモア感覚で選んだ現代の ューモア小説の饗宴。遠藤周作・説 ②④ 田辺聖子・五木寛之・北杜夫・吉 房貶のアップルバイ ロ 8 0 理 筒井康隆編行淳之介・野坂昭女 ューモア小説フェスティバル・ー 推 読後「奇妙な味」の残る、しかも 後 「底味」のある作品を選んだ注目戦 のアンソロジー。安岡章太郎・柴 風奇妙な味の小説 の派 作 ー現代異色小説集ー吉行淳之介編田錬三郎・河野多恵子他 \ 680 派ン 秀 立 格マ 文学の美食家が選ぶ暗黒の超現実の 作品群。泉鏡花・大坪砂男・埴谷望 本ロ 暗黒のメルヘン ー日本幻想小説集ー澁澤龍査編由紀夫・倉橋由美子他 \ 760 00 ・ 0 」 00 ・《・ = 一 0 渇弋①③ 透徹した批評眼で選び上げた兵士 の文学集。村山知義・黒島傅治・の 兵士の物語 北川晃二・梅崎春生・大岡昇平・コ ノを 一兵卒の文学集ー大西巨人編中野重治・島尾敏雄他 \ 750 東京都品川区 東五反田 3 ー 6 ー ^ 以下続刊〉
船中の混乱は、ますますひどくなっていた。尾張の田子は、ようあるだけで、ほかは船底の板子がむきだしになっている。したがっ やく手綱にとりついたが、汗血の力には及ばず、左右によろけながて、棹立ちになった馬どもをとりおさえることもできず、さらに悪 いことに直接に船底を蹴ゃぶられるおそれもある。 ら引きまわされている。そこへ、李二が助けに行った。韓半島にい た漢人の子孫で、海をこえて邪馬台にわたってきた兵士は、王子ャ だが、狂ったように暴れまわる汗血にも、どこかしら理性をとど マトタケルと行動を共にすることになった今、一行のうちただひとめているようなところがあった。前脚を打ちつけて、櫂の一本をへ り馬の扱いを心得ている人間であった。 し折ったのは、示威のためであったらしい。前脚を振りあげ李二め 二人がかりで手綱を押えつけた瞬間、汗血は、やおら向きをかえがけて襲いかかったときも、手綱をはなしてしまったあとは、ゆっ すき ふなべり た。その勢いに押されて、田子は振りはなされ、船縁をこえて海中くり前脚をおろし、この兵士に逃ける隙をあたえた。必要以上に人 や船体を痛めつけようとはしないようであった。 に転落した。 とも 兵士たちがすべて舳のほうへ逃げのびると馬たちは騒ぎたてるの 「どう、どう ! 」 一人になった李二は、しつかりと手綱をつかんだまま、汗血をとをやめ、じっと様子をうかがっている。だが、李二がこころみに近 づこうとすると、ふたたび棹立ちになり、暴れはじめるので、いっ りしずめようとした。しかし、汗血は、並の馬ではなかった。馬術 ぎよ の巧者である李二の腕をもってしても、たやすく御せるような相手こうに始末におえない。 舳のあたりには、兵士たちが鈴なりになっていた。もともと、そ ではなかった。 くみぶね だしぬけに棹立ちになった名馬に引きずられ、もと邪馬台の兵士れほど大きい船ではなく、耐波性の弱い組船であるが、一行の兵士 であった漢人は、おもわず手綱をはなして跳びのいた。もしそうしたちも三十数人に減ったことでもあり、しかも、指呼の間にある穴 門の国へ渡るだけのことでもあるから、筑紫の府よりこの二隻を借 なければ前脚で、脳天を割られるかもしれないと思ったからであ る。 りうけたのであった。だが、馬たちの勢いは、この船の安定をみだ そのとき、汗血の脇につながれていた、もう一頭の馬が、棹立ちすには充分であった。後部の板子のうえで棹立ちをくりかえすたび こた になった。まるで、汗血の命令に応えたかのようである。もう一隻に、船体が前後に大きく揺れうごいた。そこへもってきて、舳のほ うには鈴なりの兵士がひしめいている。なかには、揺れたはずみで の船のうえでも、そちらに積みこまれた三頭の馬が、俄かに駁ぎは じめた。こうなってはもはや船出どころではない。兵士たちは、先海中へ落とされる者もでてくる。 を争って、舳のほうへ逃げこみはじめた。櫂を放りすてて逃げまど「王子よ、このままでは、いつまでも涯しがない。いつまでたって ほげた う者もいる。帆桁からとびおり、逃げ場につまって、海へとびこむも船出はできぬそ」 者もいる。このままでは、船の安全すら危くなった。この頃の船に 王子ヤマトタケルのかたわらで、美濃の弟彦がつぶやいた。 と、も は、甲板というものがなく、舳のほうに横板を張りわたした足場が「うむ、それは、よく判っておる。だが、これまでの汗血の働きを とも 9
判らないのだという。どの顔も見知った顔ばかりで、いっこうに疑るべき説明を与えてくれる人物は見当たらなかった。さっそく、老 わしいところはないが、全員の人数を合わせてみると、出発時より人をわきへよんで、あらましを話してみると、横立の顔色が変っ 確かに三人ふえているという。 「王子よ、これは、なにかの妖術のせいでござりましよう。大和よ 「まったく奇妙なことがあるものだ。ともかく、ここまで来れば急 えみし ここに兵士をとどめて、夜明けまでに怪事の原因をり遙かな北方にある蝦夷の土地では、一座のうちに知らぬまに入り ぐ必要もない。 こむ童子のことが、伝えられておりまする。しかも、この童子が入 つきとめるとしよう」 王子は、伊都国に近い海岸の岬に、一行三十余人をとどめ、そりこんだことは、そこにいる人々には判りませぬ。しかし、この童 の夜の休息を命じた。これまでは、邪馬台にけどられぬよう、でき子は、たった一人。いま、われらの一行には、余分な者が三人いり るかぎり昼の行軍をさけるようにしてきた。いま、目的地のちかくまじっておりまする。おそらく、何者かが変身して、われらをたぶ に迫り、夜昼いれかえた日課をただすべきであろう。王子と弟彦らかしておる : : : 」 は、切りたった岩場のうえで、すわりこんでいる兵士たちを数えあ老人がそこまで言いかけたとき、王子は、おもわず大声をたて げた。その結果、たしかに三人だけ増えていることがわかった。 やた 今そのことを知る者は、二人のほかには、そこにいあわせた大彦「八咫の鏡をつかえば、その者の正体をつきとめることができる」 だけであった。石占の横立ですら、まだ知らされていない。兵士が 王子の問に、老人は、黙ってうなずいた。この奇怪な事件が、ど このことが不吉なことにつながるかどうか、まだ判んな意味をもつのか判らないが、第三者が一行のなかに入りこんだ 三人ふえた ! ことだけは、ほ・ほ動かせない事実であろう。 っていない。 うずひこ 「皆の者、武器をおいて立ちならぶがよい。今、われらの一行のう 「王子さま、珍彦に告げても、よろしゅうございまするか ? 」 ちに、何者ともしれぬ相手が、変身して忍びこんだ。その正体を見 犬彦が訊いた。 「よかろう、弟彦の言によれば、あの者は智恵者だという。兵士た定めるまで、動いてはならぬ」 ちに聞こえぬよう、そっと伝えるがよい。わしは、石占の横立に尋王子は、兵士たちを見やって、きびしく言いわたした。どの顔に も見覚えがあり、大和をでてより、想い出の糸でつながっている。 ねるとしよう」 かれらを疑うのは、もとより王子の本意ではないが、そのうちの三 王子は、大彦の申し出をゆるした。 休息する兵士たちを見まわったかぎりでは、見なれぬ顔は一人も人は、この一行のうちにいるべきでない相手なのだ。 まじっていなかった。それでいて、数だけは三人ふえている。王子弟彦、珍彦、犬彦の三人は、それそれの武器を手にして、王子の やた 側に立ちならんだ。さらに、石占の横立が、八咫の鏡を手にして、 には、この奇怪なできごとの吉凶を予測することができなかった。 = イ冫カ一歩すすみでた。 この事牛こし、 一行のうちに従う法術師の石占の横立のほかに、 か・かみ 4-
国だけが平和を保つことは難しくなっている。さきに王子に討たれここは、先手をうって伊都国を叩くべきにちがいない。この重要な うがん た烏桓人の残党は、この国をうかがう連中のうちの、ほんの一部に拠点をとりあげてしまえば、邪馬台の勢力が回復するまで、かなり しゆくしん ゅうろう せんび すぎない。粛慎人、邑擱人、句麗人、浅人、鮮卑人など、数多くのの時を稼ぐことができよう。 民族が、この半島へ流入し、先住の漢人、韓人などに寄生し、さら 王子ヤマトタケルの一行は、冬の旅路をかけて伊都国めざして出 に海をこえて筑紫にくる機会をうかがっている。 発していった。このたびは、最愛のタバーナ姫も同行した。女王ヒ 女王ヒミコの招きに応じて、海をこえてくる荒くれどもは、増加 いっそ ミコの魔力をおもえば、どこにいても危険は同じであろう。 する一方であった。かれらが上陸するのは、筑紫の北にあたる大和のこと、王子の手もとに置くほうが、安心していられる。筑紫の兵 みなと まつろ の領土に近い、伊都国の水門であった。これより西にある末盧国士は、数少なく、訓練も充分でない。そうした兵士を危険な賭けに みなと も、半島への門戸として開かれているが、水門としての条件がわる徴用するのは、王子の希望ではなかった。そこで、同行するのは、 く、そこから邪馬台への陸路が遠いため、いったん末盧国についた二十人ばかりになった大和以来の兵士だけに限った。弟彦は、これ 船も伊都国へ回航してから人と荷をおろすのだという。 だけの兵力に加えて、練兵の折に知りあった二人の剣士を、主の王 王子ヤマトタケルが考えた作戦は、この伊都国を奪還し、邪馬台子に引きあわせた。 いぬひこうずひこ への人と物資の補給を断っことであった。もし、この作戦が成功す犬彦、珍彦という。尋常でない使い手だというから、兵力の乏し れば、風媛は晴れて故郷へ戻れるわけであるが、王子が作戦の断行い折から、大いに力になってくれるであろう。王子は、弟彦の紹介 いさりおさ を決意したのは、かならずしも漁師の長の娘に同情したためばかりになる剣士たちを、ためらわず配下に加えた。 ではなく、さきにあげた諸般の事情を考えあわせたうえでのことで伊都国を奇襲する部隊は、ト・ ′しんまりとまとまったものになっ かんけっ まなくろ あった。 た。汗血をはしめ三頭の馬と、愛大の真黒をくわえても、それほど だが、美濃の弟彦は、この作戦について、戦略的な見地から、つ目だたない一隊であった。 よく難色を示した。もし作戦が成功すればよいが、失敗した場合に 王子ヤマトタケルの一行は、夜陰にまぎれて、隠密裡に筑紫の領 は、邪馬台を挑発する結果になり、逆に筑紫の領土へ攻めこまれ、 土をはなれて、西へ向かった。さきに邪馬台と遭遇したときの経験 最悪の場合には、筑紫の島の西北に残る大和領土生ことごとく失から、騎馬の通れるような平坦な土地を進むことをさけ、できるか うことになるであろう。弟彦の危惧するところについて、王子も考ぎり困難な森林や沼沢を進んでいくため、道ははかどらなかった。 つるくさ 慮しなかったわけではない。その可能性も充分ありうるが、ここ湿原にはまりこんだ馬を押しあけたり、下生えの蔓草に脚をからま は、先手をとって敵を制するという心理的な効果を狙って、この作れた真黒を助けだしたり、予測していなかった困難が、つぎつぎに 戦に賭けてみるべきであろう。 ふりかかってきた。道中にたえきれない老人の横立とタ・ハーナ姫 9 王子ヤマトタケルの説得にはって、ついに弟彦も意見をかえた。 は、強力な汗血の背に運ばれることになった。もとより急ぎの旅で
ての決断であった。陸路をたどって穴門から大和へ向かうのは、遠り詳しい情報を集めねばならぬと感じていた。この目的には、心な かぜひめ く遙けき道のりである。もし、対岸の穴門へ渡れたとしても、そこらずとも邪馬台の隊長の女にされていた風媛という女と、邪馬台の 3 かわわた から先の冬の山越えや河渡りには、はかり知れない困難がともなう兵士として働いていた漢人の李二の協力が必要であった。 であろう。 筑紫の島の西北の三十余国を支配するようになった邪馬台につい ここで越冬するものと腹を決め、筑紫の府に腰をおちつけてみるて、当の大和の人々は、まったく何も知らされていない。その全貌 と、退屈に悩まされるどころか、しなければならないことが山積しを明らかにし、とりいそぎ大和へ通報することが急務であるが、こ いくさのきみ ていた。 の府に駐屯する軍君は、報告を怠っていた。な・せなら、七年ま 「王子よ、筑紫の兵士の弱体ぶりは、目にあまるものがある。弓矢え、日代の大王の軍勢が遠征してきたときは、この新しい征服者の ひとつろくろく扱えぬ手合すらおる。この有様では、邪馬台の騎馬群は、影も形もなかったからである。魔性の女王ヒミコに率いられ に攻められれば、ひとたまりもあるまい」 た騎馬の一団が姿をあらわしたのは、大王の軍勢が引きあげた直後 美濃の弟彦は、さっそく目についた不満を訴えた。幼時より美濃のことであった。邪馬台の国は、女王ヒミコと命令を伝える弟のも ぎた きまみますみまかきぬかで の山河を駈けめぐり、鍛えに鍛えぬいた武人の目からみると、こことに伊支馬、弥馬升、弥馬獲支、奴佳という四つの官位がある。 の兵士たちの不甲斐なさは、どうにも我慢ならないものに写るらしそのもとに、数千の騎馬の戦士があり、土着の住民を支配してい る。かれらが急速に支配をかためたのは、かって韓半島において、 なるほど、兵数だけは数千をかそえ、武器も充分そろっている農耕民に寄生していた経験があるからであろう。 さきもり が、兵士の大半は、諸国より徴用された防人で、訓練も不足がちで魏志東夷伝の倭人条には、邪馬台国について、二千字たらずの説 足並もそろわない。しかも、さらに悪いことには、このあたりに駐明が載せられている。邪馬台を騎馬民族とするのは、暴論というむ 屯しているというだけで、一度も実戦を経験していないから、軍規きもあろうが、かならずしも有りえないことではない。国名をはじ しかん は弛緩しきっている。弟彦は、越冬の日々を有効に使うため、朝はめ、四官のうち三つまでに馬の字を用い、また名国名にも馬の字を 使っている場合が多い。その地に牛馬 : : : なしという文も、その地 やくから起きだして、兵士の再訓練にはけみはじめた。 ・ : なしとあるから、原産しないという意味に解釈できる。 石占の横立は、この不本意な逗留のあいだ、別な目的に興味をい だきはしめた。この島のあたりでは、海亀の甲羅が手に入りやす〈馬〉という単語は、もともと中国でも北方騎馬民族のあいだで きっこう ふとまに い。亀甲をつかって卦をたてると、鹿の肩甲骨をつかう太占の卦よも、共通して〈マア〉というふうに発音されていた。したがって、 りも、はるかに精度の高い予言が可能になるという。老人は、このその単音節の語だけを独立して発音することは、大和の人間には難 きぼく しい。言いやすいように、まえに母音を補って発音する。 亀トの習得に夢中になっていた。 王子ヤマトタケルは、この機会に、強大な邪馬台国について、よ 王子ヤマトタケルも例外ではなく、この〈マア〉のことを、馬と
姫自身が神剣紛失の責めをおうことになる。この姫は、王子の勇気で、ほんの数日もかからなかった。王子の腹心の武人は、この刺客 と宝剣の神威を信じ、その帰還にすべてを賭けたのであろう。だの片割のもっ剣の技倆を評価するあまり、この男の素姓を見抜くこ 3 が、誰も知らぬはすの神剣もちだしの件は、刺客の仲間により大和とができなかったのである。 へ伝えられることになった。その意味では、大分の津において王子 の手にかかった五人の刺客の死も、むだではなかったことになる。 3 ふたたび伊都国へ 主の大碓のもとに、弟の王子ヤマトタケルを陥れる材料を送りとど けることになったからである。 「なるほど、われらは、なにくわぬ顔で、王子の帰還の旅に同行を尾張の田子が大和へむかってから一月ばかり、筑紫の冬は、なに 申しでるだけでよ い。なにも暗殺を行なうまでもない。すきをみごともなく過ぎていった。邪馬台の騎馬も、冬のあいだ英気を養っ あめむらくもつるぎ て、天の叢雲の剣をすりかえるだけで充分ではないか。そうすれているのであろうか、不気味に鳴りをひそめていたが、それがかえ ば、神剣紛失の罪をえて、この王子の生命は失われたも同じことって不吉の前兆のように見えた。邪馬台の領土で経験したことを思 えば、王子としては、かりに渡海の手段が見つかったにしても、こ うずひこ 冫。しかなかった。これまでのところでも、女 珍彦は、相棒の大彦の意見に、さらに卑劣な計略をつけくわえのまま帰還するわけこよ、 た。この二人の剣士の素姓は、王子の一行はおろか、筑紫の兵士た王ヒミコの率いる騎馬の兵士は、筑紫の島の東北の一劃だけを支配 ちにも知られていない。剣技の指導のため、大和からっかわされたするにすぎない大和の勢力を、じゅうぶん駆逐するに足るだけの数 武人ということになっている。事実、人づきあいのいい珍彦のほうを誇っている。敢えて大和の領土を併呑しようとしないのは、大和 は、弟彦のもとでおこなわれる再訓練に協力し、弟彦の弓に対しからの援軍が到来することを恐れているからにちがいない。 王子ヤマトタケルは、ここに滞在する機会を利用し、ひとつの計 て、みずから剣技を担当し、それなりの成果をあげていた。ヤマト タケルと共に育てられた弟彦は、この王子を害そうという人間を、 画を実行に移すことにした。邪馬台の事情に詳しい李二や風媛の話 決して許そうとはしない。だが、この武人は、戦術家ではあってによれば、韓半島からの兵力の増強は、今も続いているということ あや も、策略家ではない。美濃の豪族の次男として生まれただけあつである。現在、韓半島から漢の国までが、すさまじい動乱の最中に て、気の長いほうではないが、疑りぶかいという性質は、まったあり、戦火に国を追われた流民たちが、韓の半島へと流れこみ、一 ちちか しようぶ く持ちあわせていない。美濃の乳近の一族は、代々つづいた尚武の旗あげる機会をうかがっている。そうした連中のなかでも、腕に自 家柄であった。弟彦も、剣士としても一流であった父の血をうけ、信のある男どもは、その腕を生かしてくれる主を求めている。半島 勇武な人を貴ぶ性格であった。そこに現われた一流の剣士である珍の諸国は、そうしたあぶれ者やくいつめ者の巣になっているとい 彦をみるなり、たちまち意気投合し、酒をくみかわす間柄になるまう。漢の国の動乱の余波は、この半島の突端までも押しよせ、この
はない。たとえ十日かかろうと、敵に発見されぬことが肝要であ束とはいえ、蛮族の王が呉れた名を、そのまま名のっているとなれ る。 ば、日代の宮における立場が不利になるにちがいない。そうしたこ 弟彦と珍彦が先頭にたち、抜剣して枝葉を切りはらいながら進んともわきまえずに、蛮族の名を使おうという王子の心底がわからな 。あるいは、愚鈍なのかも知れぬ。だが、もしかすると、この王 でいく。中ほどのところに、タ・ハーナ姫と横立がつづき、王子と犬 しんがり 彦が殿軍をつとめる。こうした隊列が定めてあるが、行軍のあいだ子には、そうした些事に拘泥しない大きな器量が、そなわっている のかも知れぬ。犬彦は、この王子の印象を、いずれとも決めかねて は、ほとんど守られない。な・せなら、夜すすむことが多く、困難に であうたびに、それそれの持場をはなれ、手助けしなければならな かったからだ。 副将格の弟彦が、隊列の末尾に駈けよってきたのは、そのときで 王子ヤマトタケルは、多ぐの場合、あらかじめ定めたごとく、大あった。大彦は、ふたたび眼を光らせた。この弟彦という男、美濃 いなぎ ちぢか 和の大彦とならんで、行軍をつづけた。王子は、この剣士とは、まの乳近の稲置という豪族の次男だというが、それにしては、大和の ったく面識がなかった。もともと、王子のほうが日代の宮にいるこ王子にむか「て、いかにもなれなれしい口調で話しかける。弟彦が とが多くなか 0 たので、顔を知らない臣下はかなり沢山いる。犬彦兵士のてまえを考えて、この王子とのあいだに隔りを設けているつ も、その一人であり、特に兄の大碓の王子のもとに身をよせているもりになっていても、大彦の眼には、やはり親しみすぎているよう で奇異に写るらしい 者であるから、この弟王子が知らないのも当然であろう。 あわうみ 「王子よ、明朝には、伊都国に近い漁師の村落に着くであろう。こ 犬彦のほうも、北方の淡海 ( 琵琵湖 ) の産であり、不吉な宿命に かぜひめ 呪われた弟王子のことを、単なる導としてしか知らなかった。正統こは、風媛の生まれた土地じゃ、伊都国を奇襲する手助けをしてく れるにちがいない。だが、王子よ、わしは、ひとっ奇妙なことに気 な王位継承者である大碓の王子を脅かす弟ということから、なにか 怪物めいた雰囲気をもっ若者を想像していたのだが、この先入観にづいた。実は、われらの一行の兵士の数が、三人ばかり増えてお は少しも正しいところがなかった。犬彦は、この王子についての印る」 美濃の弟彦は、王子と犬彦にしか伝わらぬよう、きゅうに声をひ 象を、みずからの観察を通してまとめていかねばならなかった。 おうすみこ 「小碓の王子さまは、何故あってヤマトタケルと改名なされましたそめて言った。 「なんと、兵士の数が増えておると ? 」 か ? 」 「さきに手にかけた熊襲の王より、与えられた名じゃ。臨終の相手王子は、問いかえした。ここに伴ってきたのは、大和以来の生残 りの者どもの他は、新来の二人の剣士のみである。おたがいに顔を に誓った約東を、反古にすることはできぬ」 王子は、新しい名の由来を話した。大彦は、この王子が、智恵に見知っているから、おたがいに見忘れるはずがない。それにもかか 欠けているのではないかと、まず疑ってみた。いかに臨終の際の約わらず、兵士が三人ふえ、しかも、その三人が誰なのか、まったく いまわ こうでい 9
から供出するように強制されたため、やむなく仂製ーーそっくりの首長を討ちとった勇士をまえにして、敢えて近づこうとする者はい 模造品の金印をつくらせ、それを渡してやったという。 半島の人々が邪馬台のもとに参じるため 1 続々と渡海してくるの見覚えのある船着場の近くへやってきたときである。そこで使役 っせいに王子の一行めがけて駈けよってき は、女王ヒミコの身分が、金印によって保証されているためであっされていた男たちが、い た。だが、この女王のもとわたった金印は、島子が造らせた仂製た。そのため、荷揚げの作業は中断され、着いたばかりの船の主だ 品であり、真印は現在ここにある。 けが、あっけにとられて取残された。 も 「大和の王子よ。この金印を持って伊都国へ参られるがよい。 そこで使役されていたのは、かって王子の配下であった大和の兵 し、この真印を持つ者が、半島の楽浪郡治へ訴えでれば、女王ヒミ 士たちばかりであった邪馬台の領土を通過する際に傷ついて捕虜 コのもっ偽印の威力は消えうせ、、募兵も思うままこよ、、 冫。し力なくなるになり : そこのところだけ記憶が曖昧になっている。そうだ。 かなめ であろう。そこを取引の要に使うことでございまする」 数日まえに遭遇した仲間とおなじく、ヒミコの鬼道によって甦らさ 水人の長は、そう答えて、王子に金印を渡した。さきに邪馬台にれた死体の兵士にちがいない。 渡したのが偽印であると知れば、女王ヒミコは激怒するにちがいな弟彦が、王子に目くばせしてきたので、王子は、うなずいてみせ い。まかりまちがえば、水人の一族すべて亡・ほされるかも知れなるほかはなかった。 いだが、かっての強国の王は、今ここで、大和と結んで、昔日の弟彦は、石占の老人から受けとった神鏡で、駈けよってくる人々 栄華をとりもどすほうに、かれら一族すべての命運を賭けたのであを照らしだした。すると、あのときと同じように、かれらの顔が苦 ろう。 痛に歪みながら、溶けくずれはじめた。そのなかには、忠実であっ 王子ヤマトタケルは、水人の島子に厚く礼を言い、兵士の一行をた出雲の石槌の顔もある。王子を取りにがした責めをうけたのであ ひきいて伊都国へむかった。ここまでくれば、伊都国は、すぐ目とろうか、邪馬台の副将格の狭手の顔もあった。そうした人々が、神 鼻の先である。海岸づたいにやってきた一行は、たちまち邪馬台の鏡の照りかえす陽光にあたり、ばたばたと倒れふし、腐りはててい 騎馬に見とがめられた。 正視に耐えない凄惨な光景であるが、ほかに打っぺき手はな い。この人々を、いたすらに、生とも死ともっかぬ状態に置くよ 「大和の王子ヤマトタケルじゃ。女王ヒミコに会うため、ここへや り、ひとおもいに土にかえしてやるべきであろう。 ってきた」 王子は、こちらより機先を制して、かって邪馬台に加わっていた数十人におよぶ死体の兵士たちが、急激な腐敗をおえて、土に帰 していくと同時に、なにかの呪縛によっ、て閉ざされていた、かれら 李二に、かねて命じておいた名のりを触れまわらせた。 っせいに記憶の渦になって、王子たち さすがに、王子ヤマトタケルの名は、邪馬台の兵士たちのあいだのそれそれの死の真相が、い に、すっかり拡まっているとみえる。熊襲の川上タケルや、烏桓のの心に押しよせてきた。 さで 8 4