はだ困惑すべき立場に陥れられていた。つまり、大砲は道路から滑敬する。あっちでスチーム・ロッジをつくって、身体と服を消毒し り落ち、路肩に深いわたちの痕を残したあげく、制止されるか、あなきや」 ナカナス」もうひとりのエルヴァーがっ るいは自らの意志で静止するいとまもないうちに、完全にその家を「ああ、そうするがいい ・押しつぶしてしまったのだった いまその家の破片は、無器用にぶやいた。「そうして、あの騒々しい怪物をわが州国から除くため 煮炊きの燃料に転用されていた。機械を牽引する革紐はだらんとぶに、おまえはいったいどんな処置をとったかと説ねられたら、こう らさがり、誘導綱は地上にほうりだされたまま無視されていた。そ答えるんだな、『わたしは入浴しておりました』と。さぞやたつぶ りお褒めにあずかれるだろうよ」 れを握るべき大砲組の面々は、休息中、かっ食事中だった。また、 その他の業務に従事中であることもただちに明らかになった。 ナカナスと呼ばれた警備官は、ぶつぶつ言いながらも、身体を掻 「けしからん ! 」マリアンは叫んだ。「言語道断だ ! 」 きかきその場に立ち止まった。 エルヴァー警備官のひとりが肩をすくめた。「大猫に向かって、 マリアンは、突然のこのいらだたしい沈黙にたいして口をひらい けしからん、言語道断だというのも同然たよ」 た。「しかし、こうして《がにまた》どもの恐怖をのがれて、二度 マルは抗弁した。「しかし大や猫は人間じゃな、 つづけて自由の空気を吸ったからには、そしてまた、おれ自身の安 エルヴァー警備官の上唇がめくれあがった。「じゃあこの連中は全と保護のみならず、その寛容で明らかにおれの命を救ってくれた 人びとの知恵を認識させられたからにはーーー」 人間だというのかね ? 」 丘の下の大砲組一味のあいだで、取っ組みあいの喧嘩が始まった この反間にはさしたる注意をはらわず、マルは、以前にも心にの ・ほったことのある考えの萌芽に、いま一度思いを馳せることをおのが、じきに鎮圧された。 エルヴァーのひとりが、し れに許した。用心ぶかく、ためすように、かれはその考えを口に出 、くらか不満そうな語調で言った。「や した。「おれは、ロでは言えないぐらいに諸君に感謝している。あれやれ : : : やっこさん、相手の野郎をぶんなぐっただけだったぜ。 の《矮人》の絞首人どもの手から、おれを救ってくれた諸君に恩義あいつを食っちまいでもするかと思ってたのに。食っちまっても、 おれはちっとも驚かなかったろうぜ」 を感じているんだ。しかしーーー」 「いや、礼には及ばん、礼には及ばんよ」エルヴァーのひとりが腋これを聞くと、もうひとりが、いまや下から立ちの・ほってきつつ の下を掻きながら言ったーーそれから、やっと自分のしていることある強烈な汚濁の匂いを消すために、鼻の下に一輪の花を押しつけ ながら、いらだたしげな声音で言った。「どうしてやつらがおたが に気づいたらしく、苦々しげに罵りながら路肩から一歩後退した。 いに食いあわなきゃならん ? 世界中が争ってやつらに、もっとう あいっ 「あの豚どもめ、強直性痙攣症にでもやられるがいいー ら、はつかねずみほどもあるのみを飼ってやがるにちがいないそー まい食いものを山ほど差しだしているってのに ? じっさい」 いや、それよりももっとでかいかもしれん。おれ、ちょっと失かれの顔がわずかに明るくなった・ーー「こいつはひょっとするとひ テタニ 幻 0
たんだ。もうじき下火になるだろう。へたに逃げるとどこへ行って飛稚が尋ねた。一度では判ってもらえず、二度、三度と同じこと を言った。 も燃えてる最中のところへとびこむことになる。だから : : : 」 男はそう言い、途中でやめて家族の衣服についた火の粉を払うの「深川の高橋だ。すぐそこが菊川町、向うが森下だ」 に忙殺されていた。飛稚は手つだってやりたいと思った。しかし裸そう説明されても飛稚に呑み込めるはずもない。 ではどうしようもない。水の中にひそんでいるしかないのだ。飛稚「ここは何という国だ」 はひとかたまりに死体が浮んでいる所へ行くと、その中の一人の着「えっ : 家族五人が一斉に言って飛稚をみつめた。 物を水の中ではぎとりにかかった 「おい、何をするんだ」 ・ : そりやそ 「かわいそうに、あんたおかしくなっちゃったのね。 男の怒声がとんだ。 うよねえ。私だって気が狂っちゃいそうだもの。火だるまになって 死んで行く人をこう沢山見せられちゃ」 「裸では火の粉に焼かれて上へあがれない」 「服をやる。死人のものをはぐのはよせ」 気丈そうな母親が言った。 「なぜだ」 「何という国なのか」 飛稚は不満げに言った。 「につ。ほん : : : 」 「火が納まればその人たちの家族が探しに来るだろう。着ているも下の娘が区切りをつけて言った。 「につ。ほん」 のが目じるしになる」 「そうよ。大日本帝国よ」 男は腹立たしげに怒鳴るとあたりをみまわし、「水の中で着ろ」 「京は : : : 京はあるのか」 と自分の荷物を解いて服を投げてよこした。飛稚は散々手こずつ た挙句、やっと工員風の作業ズボンをはき、シャツの袖に手を通し「京 : : : 京都のことかい」 「そうだ。京はあるのか。比叡、琵琶湖は」 再び這い上って見まわすと、たしかに火勢はおとろえていた。燃「あるよ。安心しろ」 男は苦笑を見せて言った。「妙な子だな母さん。気がふれている えるものは燃えつくし、家々はみんな倒れてしまっていた。 「ほんと、お兄ちゃんの言ったとおりだわ。この辺には人も余り死んでもなさそうだぜ」 「俺は狂ってなどいない」 んでないし」 「東京の子じゃないわね。田舎の子よ」 「あっちは凄かった」 下の娘が言った。 男は東の方をふり返って言った。「死骸がごろごろしてる」 「どうでもいいわよ、そんなこと。それより私たちどうなるの。な 「ここはなんという場所か教えてくれ」 に 8
が、やるんだったら俺も行くよ」 たづく問題じゃない。権田組は権田が死んだってもうちゃんとやっ 1 の下からするりと何か てけるんだ。それに、銀座にも新宿にも、関西にも、ちゃんと盃を武郎はそういうと、古ぼけた革ジャンパ 交したポスがいて、権田をやればこっちは寄ってたかって袋叩きとりたして見た。ルガーのようだった。 さ。俺たちはたしかに暴力団とは違う。子供たちを養うための組織「ちょっと待ってくれ。何も武郎さんにまでやってくれって言って だ。そいつを誇りにしてもいるけれど、やってることは連中と、まやしねえよ」 あ似たり寄ったりだ。連中が俺たちをうるさく思うのも当り前だ飛稚は慌てて言った。 の相談役だ。ごらんのとおりの病人で、今まで し、子供たちを養ってるんたと言ったって、おいそれとそんな美談「いや、俺はトミー めいたことが信じられる世の中でもない。現にチン。ヒラを組織化し何の役にも立たなかったが、こういう時もあろうかと、この ( ジキ だっていつも持ち歩いてたんだ。何と言おうと俺も行く」 たと思って、本庁が俺たちをマ 1 クしてるじゃないか」 「引っこむのか。そりや、池袋はなくなってもいい。だがそうなれ「強情張るなよ」 ば新宿も新橋も、錦糸町も小岩も、どこもかしこも同じ目にあうぜ」「強情じゃない。みんなに言っちゃ悪いかもしれないが、いくら戦 飛稚は立ちあがり、事務所の隅に置いてある電蓄の蓋をあけ、タ災孤児の為とはいえ、泥棒をするのはいやだった。だが、たしかに トミーのやり方にも一理あった。物資はみんな不正な横流し品ばか ーンテー・フルの部分を両手で引き抜くようにかかえあげた。トミー りた。それで儲ける奴を許せない気持だった。子供たちは餓えてい ガンとアンドが半ダース、ぞろりと一緒に姿をあらわした。 「敗けちゃいらんねえよ。日本が敗けてどうなったか、ようく知りた。死にそうだった。国にはそれを救う力はなかった。この四年 間、たしかに俺たちは正義の味方だったような気がする。だが、泥 抜いてるはずじゃねえか」 棒は泥棒だ。世の中が落ちつけば、追われなければならない。いず 「俺はやる」 うしろの方で一人が大声をだした。「その機関銃を貸してくれ。れ正義の味方が犯罪人に変らねばならない時が来るんだ。いまこん なことになって、もしこっちがやられれば、時代が変ったんだと思 軍隊時代はこう見えても機銃の腕で有名だったもんだ」 って喜んで死ぬよ。生きのびれば、まだ俺たちが正義の時代だと思 「どうせ拾った命だ。四百人の子供のためなら、天皇陛下の為とい って続けていく。俺は時代が動いたのか、そのままなのか、自分の うより余っぽど割り切って死ねるぜ」 体でたしかめたいんだ。ただそれだけのことさ」 「俺もやる」 「俺も : : : 」 武郎はそう言い、左手にルガーをぶらさげたまま、ウイスキーを 田ーっこ 0 ⅱノ 大勢は強硬論に傾いてしまった。 「どうだ、武郎さん」 「みんなで行こう・せ。今までもそうやって来たんだ。よしんばくた 5 「どうしてもトミーがやるっていうんなら仕方ない。 ばったって、こんな時代に未練なんそあるものか」 とめはした
を意味する。そしていったんてこの支点が確立されれば、てこはどた。だからこそ、その眺めにつられ、足や脛の上ではやくも乾きは のように働くたろう ? じめている泥に例証される困難も敢えて無視して、そこを踏破して しかし、急いては事をしそんじるのたとえもある。そこで、ゼンきたのだがーーその泥が示すもの、それはそこに水流があるという ・ハック・ビックスに大砲と砲員一同の監督をゆだねて、マルは周辺歴然たる事実であった。問題の丘のふもとに、それに近づく唯一の の土地の偵察に出かけた。丘陵地帯にはとくに重点をそそいだ。最道をさえぎるかたちで、沼沢地が横たわっているとは必すしも言え 初に出くわした丘は、見るからに肥沃そうな田野と、すくなくともなかったかもしれない。 : 、、 力しくら注意して見ても、底が砂利にな った浅瀬の箇所はなく、あるのは泥、それもねばねばした、足掻き 四つの殷賑をきわめる町を見おろしていたが、あいにく、その頂に いたる道が、《どんがらがん》の巨大な砲車をひつばりあげるにはのわるい泥ばかりだー・ーそして、ぬかるみにはまった《どんがらが あまりにも狭すぎた。道幅をひろげるには、数カ月もの工事を必要ん》ほどたちの悪いものはない。それならば《どんがらがん》など いっそないほうがましなくらいだ。というわけで、マリアンは溜息 とするだろう。とすれば、これは問題外だ。二番目に見つけた丘 は、らくに近づくことができたが、そこから見おろせるのはたったをつき、そこから引き返した。 ふたたび河べりに出たとき、水のなかに男がひとりいるのが見え ひとつのちっぽけな町だけであり、そのひとつも、どう見てもあま りばっとした町ではなかった。かれは嘆息して、さらに先へ進んた。短ズボンを肩にひっかけ、シャツを恥ずかしげもなく肋骨のあ だ。三番目の丘は、位置・見晴らしともに申し分なかったが、登りたりまでたくしあげて、三又の魚杦で小魚を突いている。 つめて最後は巍餓たる岩山となるといった有様で、鳥ででもなけれ「幸連があなたに恵まれますように」マルは声をかけた。 「ふむ」男は言った。 ば住めそうになかった。四番目 : : : そして五番目 多少むっとして、マルはやや声を高めてくりかえした。「幸運が たったひとつの点を除いて、ほかの点ではまず理想的という丘に 出くわしたのは、たぶん七番目ぐらいだったろうか。登攀可能な勾あなたに恵まれますように」 「このへんでは、『幸運に恵まれますように』とは言わんのさ」 配を持った斜面、頂上はひろく、かっ平坦で、望むならば緑蔭とな 「ほう ? じゃあなんて言うのかね ? 」 りうる程度の、だが大砲の操作に妨げになるほどではない木立ちが 「『ふむ』と言うのさ」 茂っている。頂上からは、ひろびろとした豊かな田野と、いくつか 「なるほど。じゃあーーーふむ」 の町のいらかが見わたせる。マルはそのうちの二つを通ってみた が、どこも整然としていて、しかも活発な雰囲気を保っているのを「ふむ」 見ておおいに満足した。三番目の町も、おなじ想定を可能とする程男は魚杦でつぎつぎに小魚を突くと、その場ではらわたを出し 度の規模の大きさを持っていたし、全体として、上から見おろしたて、紐につないだ。岸に男の手製の小さな即席燻製所があって、し盟 ときと同様、下から見てもそれは心をそそる、魅力的な眺めであつばらくすると、男は獲物をそのなかに入れ、さらに魚を突きにもど
半とおっしゃいましたか ? ま、よ、、 ーしをし、ただいまーーしかし、当節観察した。年のころはいくっとも断定しがたいが、小柄な、骨ばっ 硫黄は薫蒸用としてはあまりはやらない、と申しあげてもよろしゅ たひたいをした男である。かれは、マリアンのいまだかってしたこ うございますかな ? 悪や瘴気を退散させるのに使う薬品としてとのない二、三の仕事をしなれており、そのうえ先刻、もう一度、 は、阿魏のほうが近ごろではよほど好まれておりますですーーーえつもっとくわしく聞きたいとマリアンの願うあることを口にした。考 へん ! おわかりいただけますでしようか、わたしがこのようなこ えれば考えるほど、この思いっきはすばらしく思えてくる。とうと とを申しあけますのは、さいぜんの失礼を悔いていることをご理解う最後に意を決して、マリアンは咳払いして言った。 いただきたいためでして ! さてと、硫黄でしたな : : : 」 「なあ薬屋さん、あんたの商売は儲かるかね ? 」 三番目に注文された物質は、すこしばかりかれをとまどわせたよ薬種商は、怯えた目つきですばやくひらいた扉の外を見やった・ うたった。かれはくちびるを噛み、眉間に皺を寄せ、鼻を鳴らしそれから、かさかさのくちびるをマリアンの褐色に日焼けした耳も こ 0 とに近づけた。「《エルヴァー州国》には、儲かる商売なんてあり やしませんですよ。徴税吏が獲物を狙う猛獣そこのけの貪欲さでう 「はて、白色ニトラムですと、旦那さま ? お許しくださいまし、 わたしの知識も店の在庫品も、 いたって貧弱なものでして。さてー ろうろしていますからな : : : ですが、なぜお訓きになるんです ? ーあ、待った ! いえなに、自分に言ったんでございますよ、殿だいたい、利潤を得る目的で維持されている商売すら、ここにはあ 様 ! その″白色ニトラム″とやらは、別名含塩石とか硝石とは申りやしないんですから。いったいなぜそんなことをお訊きになるん しませんでしたかな ? ちょっとお待ちくださいまし、ただいま調で ? わたしどもの商売が、あなたさまになんのかかわりがあると べてみますから。ああ、そう、そうです、やつばりわたしの思ったとおっしやるんで ? あなたはただの通りがかりのおひと、あのかみ おりだった ! 硝石、もしくはより正確には、″白色ニトラム″でなり製造機を引っぱって、行く先々で補給を受けながら諸国をめぐ すな、これを大枡に六十九杯と : : : これでは在庫がなくなってしまりあるく。儲けも税金も在庫も売行きも、あなたがたには無関係な うそ。いえなに、そんなことはどうでもよいことで。乾物商には仕ことだ : ・ : なぜお訊きになるんです ? 」 入れを待たせておけばいいんですから。 いかにもあるじの言うとおり、店の粗末さにも、貧弱な棚にも、 それにしても、この木炭と硫黄と硝石という三位一体の取合せ、 たっぷりと重税に苦しめられているさまがありありとうかがわれ わたしにはどうしても使い途、もしくは調製法がわかりませんな。 た。ここで望むものを手に入れられたのは、マルにとって幸運だっ なんなら乳鉢と乳棒ですりつぶしてさしあげましようか ? 」 たと言わねばなるまい。「《自由砲手団》はーーー」言いさして、か 「いやけっこう」マリアンはあわてぎみに言った。「それは : : : えれは薬種商のあんぐりあけたロ、。ほかんとした表情を見てとった。 「つまり《どんがらがん》のことだ・ーー」 へん。ここはひとつよくよく思案することが必要らしいそ」かれは あごひげを軽くしごきながら、まっげの下からしげしげと薬種商を「はい、はい、旦那さま、《どんがらがん》でございますね」 幻 9
っこ 0 た。その趣旨はこうである。周囲の諸国家とその統治者たちーーた 「生魚より燻製のほうが好きなのかね ? 」 とえば《矮人王たち》とか、《エルヴァー州国》の権力者など 「いや、そういうわけじゃない」男はきつばり言った。「しかし、 が、統治を受けない《北の国》の自由な状態を羨望して、ここに軍 こうしておけば保存がきくが、生魚はそうはいかんからな。おまえ隊やスパイを派遣したり、その他の攻撃をしかけることに決めた。 さん、あきめくらかね ? あっち側の泥が乾あがってるのが見えなそれによって一個の支配体制を確立し、《北の国》ならびにその住 いか ? そこからこっち側も。おれはな、ここに水があるうちに、民たちに君臨するのが目的である。この極悪非道な企みを耳にした とれるだけ魚をとっておこうとしてるのさ。もすこし経っと水が完《自由砲手団》は、しかし、自発的に、一千本の剣にまさる武器、 全に乾あがって、つぎに雨が降るまで一匹もとれなくなるからな」すなわち、大砲《どんがらがん》をもって立ちあがり、《北の国》 マリアンは、なぜいままでこれに気づかなかったのだろうといぶの防衛にあたることを決意した。以上の趣旨を、ゼン・ハック・。ヒッ かった。「ありがとうよ、おっさん」かれは心から礼を述べた。 クスはいたるところをめぐりあるいて触れまわり、徐々にマルやモ 「そこで親切っいでにもうひとっ教えてくれないか、このあたりでグ一行に追いついて、最後に、とある脱穀場にキャンプを張った一 は、『あばよ』のかわりになんと言うのか」 行に合流した。 男は水のなかをのそきこんだ。「『ふむ』と言うのさ」 「触れまわったか ? 」 マルは嘆息した。「ふむ」 「はい、たしかに、殿様」 「ふむ」漁師は言った。そしてへそを掻き、また小魚を突くことに 「で、どんな反応があった ? 」 もどった。 薬種商は躊躇するそぶりを見せた。「大部分は、顔色ひとっ変え つぎの町を通りかかったとき、マルは荷馬車を曳いてきた男にたず、『ふむ』と言ったきり、なにも言わない連中ばかりでございま ずねた。 したな」 「このあたりは、だれが治めているのかね ? 」 マルは考えこんだ。それから顔をあげた。「大部分は、と言った 「だれも治めていないし、だれにも治めてもらいたくないな。《北 の国》には統治者なるものはいないのさ、まったくね」 「はい、さようで、殿様。ひとりだけ例外がございました。麦芽酒 「なるほど。ありがとう。ふむ」マルは言った。 を商っている酒場の主人でしてなーーー」ここでゼン・ハック・ビック 「ふむ」荷馬車の男は言った。 スはそっとくちびるをなめ、かすかな思い出し笑いを浮か・ヘた 「こざかしい、訳知りぶったやつでして、こんなことを申すのでご 自分は最後まで大砲に付き添うことにして、かわりにマルはゼンざいますよ。《北の国》はだれにも支配されていない、したがっ ・ハック・ピックスをひとり先にやり、周辺の土地に触れまわらせて、かくかくしかじかでなくないものは、かくかくしかじかである 228
「でもこの字を消さなき「掻つばらいみたいなこと、いつまでやってたってきりがないわ 令子は倒れた自転車を起しながら言い よ。お金をもうけなきゃね。闇をやって」 ゃ。持主の住所と名前が書いてあるわ」 と後輪の泥よけに記した白ペンキの文字を指さした。 「うん」 「そう。ある所には何でもあるそうよ。薬でも煙草でもお酒でもお 「それに空気いれが要るわ」 砂糖でも : : : それで闇をやって、もっとちゃんとした子供部落にす 「空気いれ : : : タイヤに空気を入れてふくらます道具よ。できればるのよ。お金さえあればお医者さんだって、幼稚園や小学校みたい な先生だって来てもらえるわ」 。ハンク直しの道具も欲しいしね。タイヤが破れた時の用意よ」 「医者まで : : : 」 「パンク修理なら俺うまいぜ」 清田登が言った。「ゴムのりと、軽石と、 ( サミと、それに空気飛稚は目を丸くした。医者や学問の教師まで揃えた子供部落 まるで夢のようだった。叡山の宿坊のように、みんなで順番に飯を もれをしらべる・ハケツがあればいいんだ」 : 。すばらしいと 「じゃ清田君にまかせるわ」 たき、時間どおりに学問をしたり体練をしたり : 「うん、まかしといて」 思った。子供同士でそれをやるのだ。 清田登は嬉しそうに言った。少しでも働きたいのだ。孤児たちと「ねえ、素敵でしよ」 の生活に張りを感じはじめているらしい。虚脱したような大人たち「うん。そうだ、ここをヒ工にする」 や、おろおろと怯えている家のある子らにくらべると、この子供部飛稚は胸を張って言った。ヒ工とは、ヒの養育地の意味だった。 落の住人たちははるかに活気があった。自分たちの世界を所有しはそのヒ工が里人に知られて比叡の字をあてられ、仏教をはじめ日本 じめているのだ。混乱よりはむしろ自由が、貧窮よりは助け合いの文化の中心地になった。 ほうを強く感じている。 その時一郎とヒロユキの二人が息せき切って駆け寄って来た。 令子が子供部落にひかれているらしいのも、結局はそれだ。菊川 「おにいちやアん : : : 」 町の家族といるより、こっちにいるほうが余程張り合いがある。継「どうした。何かあったのか」 持し、再建するよりも、すべてがゼロで、ただ新しく築いて行くだ「あのね、あのね : : : 日本がね、アメリカにね、まけちゃったんた けのほうが、すべてがみなすっきりと割り切れる。 ってさ」 「トミちゃん。みんなで力を合せて、この子供部落をうんと大きく「敗けた」 しましようよ」 飛稚が眉をひそめ、令子は「あ」と言った。 令子は眸を輝かせて言った。 「お昼に重大発表があるってラジオで言ってたけど : : : 」 「そうしたいな」 それは八月十五日の昼だった。 に 2
ドの身振りの催促に従らて、〈現金通り〉をさらに東へと進んだ。 やにわに返し突きを入れた。相手は必死に跳びしざって、おなじく どじよう カルトで躱そうとした。マウザ 1 の細身の長剣は、ほとんどその速「おれの女が〈金の泥鰌〉で待っているのだ」フアファードは説明 度を鈍らすことなく、王女の会釈を思わせる優雅な動きで躱しの下した。 をかいくぐり、つぎに上向きに跳ねあがった。切先は、刺客の皮の 「では、その女を連れておれのうちへこぬか。おれの女にも会って さねいた 胴衣を装甲した札板のあいだを抜け、肋骨から心臓、さらに背中まくれ」マウザ 1 が提案した。 「うち ? 」フアファードはいんぎんにたずねた。 でを、カステラのように楽々と刺し貫いた。 一方、西からおそった二人をむこうに回したフアファ 1 ドは、彼「〈おぼろ小路〉のな」マウザーが補足した。 らの低い突きを、第二姿勢と低い第一姿勢からの、大きく掃きおろ「〈銀鰻亭〉か ? 」 すような躱しで薙ぎはらい、それからマウザーの剣とおなじほど長「その裏だ。ひとつ大いに飲もう」 「おれにも一本おごらせろ。酒は多いに越したことはない」 く、もう一段重い刀身をすばやく反ね上げて、右側の敵の首をなか ば断ちおとした。フアファードはそこで素早く一歩さがり、もうひ「それもそうだ。よかろう」 とりの突きに備えて身構えた。 フアファードは立ちどまり、ふたたび右手の掌をロー・フでこすっ だが、そうするまでもなかった。血ぬられた鋼鉄の細いリ・ホンてからさしだした。「フアファードというものだ」 ふたたび、マウザーはそれを握りしめた。「おれはグレイ・マウ と、そのうしろにある灰色の手袋と腕が、彼の背後から矢のように 飛び出し、マウザ 1 が第一の敵に対して用いたとおなじ突きで、第ザー」もしそのあだ名を笑えばただではおかぬと言いたげに、挑む ような口調だった。 三の敵をも串刺しにしたのである。 グレイ・マウー ・。「なるほど、そういえ ふたりの若者は剣をぬぐった。フアファードは掌をロー・フにこす「灰色の猫か、ええ ? 」とフアファート ば、今夜のおぬしは二ひきの鼠を仕止めたな」 りつけてから、右手をさしだした。マウザーは灰色の手袋をぬい で、その手を握りしめた。無言のうちに、ふたたび両者はひざまず「そのとおり」マウザーは胸をふくらまし、あごをもたげた。それ ひょうきん から小鼻を剽軽にうごめかし、唇のすみでにやりと笑って、こう告 いて、気絶した二人の盗賊から宝石袋を奪いとった。マウザーは、 顔に塗った灰と煤の油っぽい混・せものを、油の浸みたぼろと乾いた白した。「おぬしが、造作もなくあの二人目を片づけるだろうこと は知っていた。・ただ、おれの素早さを見せるため、おぬしから獲物 布とで拭きとった。 やがて、マウザーの問いかけるような流し目、フアファードのうを盗んだだけのことさ。それに、おれは気が立ってもいた」 フアファ 1 ドはくつくっと笑った。「言われずともわかってい なずきを合図に、ふたりは、さっきまでスレヴィアスとフィシッフ る。おれの身にもなってみろよ」 が、そしてその護衛たちがむかっていた方角へと、歩き出した。 ふたたびマウザーは、われ知らずロもとが綻ぶのを感じた。いっ 〈黄金通り〉を偵察したのち、ふたりはそこを横切り、フアファー リポスト 5 4
て、正しく発火しないなどといったことのないよう、注意してそれ ・ : 《どんがらがん》、食・ヘる」と、かれは言ったのだ。 を搗きかためた。満足のゆくようにそれを詰めてしまうと、つぎに燃え木を受け取ったゼン・ ( ック・ビックスは、それをマルに渡す 2 かれは弾丸を運んでくるように命じた。モグとその手下たちが、大前に注意をうながした。「この操典に書いてあるとおり、じゅうぶ きな丸石をかかえてあらわれ、持ちあげて : : : そして落とした。そんな距離をとることをお忘れなく。さもないと、反動でー」だが の当事者である男のひとりは、石に爪先をつぶされたといって喚性急なマリアンは、かれの手から燃えさしをひったくるなり、火薬 き、つぎに、モグに殴られたといって肋骨をおさえて喫いた。それに近づけた。しゆっと音がして、粉末は消減した。と、そのとた でも、大騒ぎのすえに、ようやく作業は完了した。 ん、雷鳴と雷鳴が相撃つがごときとどろきがあたりをゆるがし、巨 つづいて、細かい粉末が点火孔までのみぞにそって線状に置かれ大な鼻面から煙と焔が噴きだした・大砲は傷ついたけもののように た。「つぎはどうするんだっけな ? 」マリアンはたずねた。 とびはね、あとずさり、それからやっと静まった。闇、厚い暗黒、 ビックスは本をのそきこんだ。「つぎはいよいよ点火です。キャおそろしい悪臭がかれらをつつんだ。それからそれは徐々に薄れて プテン・モグ ! 燃え木だ ! 」 「 : : : 反動でつぶされてしまいま いった。一同は顔を見あわせた。 大砲組一同は、これについてどのような態度をとったらよいのかすよ」と、ゼン・ハック・ビックスが言葉を結んだ。 迷っているふうだった。大砲の実射についてかれらが保持している大砲組一同はのろのろと身を起こすと、白痴的な面に、畏怖と恐 かもしれない記億は、かなり漠然とした、お・ほろげなものになって怖と歓喜の表情を浮かべてきよろきよろ周囲を見まわした。ぜひと しまっているはずたった。それは時のヴェイルをかぶせられているもなにか言うべき時だった。かれらはそれを見いだしたーーーでなけ のみならず、かれらの鈍い知能の厚い膜にもおおわれていた。かれればすくなくとも、ひとつの単語を。「どんがらがん ! どんがら らはこの大砲によって育てられ、これによって生き、これのために がん ! どんがらがーん ! 」かれらは跳ね、よろめき、絶叫し、怒 生きてきた。この巨大な大砲以外に、かれらはなにひとっ持っては号した。 いないのだ。それでいて、まだ一度もこれを発射したことはない。 「どんがらがーん ! 」 その燃料をどのようにしてつくるかも忘れてしまっているだろう「どんがらがーん ! 」 し、おそらくは歴史としてかれらに伝授されてきた古めかしい呪文「どんがらがーん ! 」 や、断片的なつぶやき以外、なにひとっ記憶してはいないだろう。 ゼン・ハック・。ヒックスが、はるか前方の《亀裂》を指した。 いまかれらは興奮していた。そわそわしていた。ある新しいなにからんなさい、弾丸はあの山腹そいにみそをえぐったようですよー は ! あは、は、はん ! 」 が、かれらのけだものじみた生活のなかにはいりこんできたのだ。 弾丸が装填されるのを見ていたひとりの男のつぶやきが、あるいは 「なるほど : : : うん。かりにあれが家並みだったとしたらどうだろ 一同の気持ちを代表していたかもしれない。「《どんがらがん》・
た。「それからおまえら、ほかの《でくの・ほう》めらもだ。おまえ る気配を聞くか、感じるかしたのだろう、ちらりとふりかえって、 マルの姿を認めた。とっさにかれは同僚の腕をつかみ、うしろをふらは、悪党であり、敵であり、ならずものであり、お尋ね者であ り、服従拒否者であり、略奪者であり、われわれの王と、王冠と、 りむかせた。「待て、ラフリン。あの通報を覚えてるか ? 」 ラフリンは毛虫眉を寄せて、うなずいた。「覚えていなくてさ。官杖を誹謗する悪質な犯罪者たる男をかくま 0 ているんだそ。われ われはそれにたいし抗議するとともに、そやつの身柄引渡しを要求 どうやらこの男こそ、われわれの話すべき相手らしいぜ、ゴーリ する。覚えておれよ、きっと取りもどしてみせるからな」 ン。おい待て、そこの男、王たちの名にかけて止まるんだ ! 」 マリアンは舌を突きだし、また両膝を曲げてみせた。 だがマルは身軽にスキップしながら言いかえした。「そもそもそ んな通報は誤報に決まってるさ。第二にこれは身許誤認のいい例警備官のひとりが言った。「なら要求するがよかろう。たぶん引 だ。第三に、おまえたちの王の名は、おれにはこれっぽっちも意味き渡してもらえるだろうぜーーおまけをつけてな、《どんがらが はない、連中の家来になったことはないんだからな。そして最後にん》やその一味というおまけを」 《矮人》たちはそれには答えず、背を向けてポニーのほうへもどり かけた。だがその途中でひとりがくるっとふりむくと、マルに向か 「おい待て ! 待てというのに ! 」 って人差し指を突きつけた。「きさまに言っとくがな、若いのー 「ー・・ー最後に」と、マルは、《矮人たち》よりさらに異様な風体の 男たちのそばに寄りながら、「おれは現在おまえたちの《地区》だもしきさまに多少でも歴史の呪法というものの知識があ「たら、わ いや、知 6 てたはずだ・ーーわれわれ《矮人》 が国だか知らんが、そこにはもういない。だから、さあ、おれを止かっていたはすだ められるものなら止めてみろ、《がにまた》のごろっきめらとはおの体型こそ、全人類の原体型そのものなんだってことをな ! おれ まえたちのことだ ! 」そしてかれは、かれらをからかって、両膝をたちに言わせりや、きさまらのほうこそ気の毒みたいなもんさ、あ の《大遺伝子転移》の後遺症に苦しんだ連中の子孫なんだから」そ 外にひろげて見せた。 《矮人》たちは憤怒の唸りを発して、同時に背中の剣に手をやりなしてかれはいま一度こちらに背を向け、それきり二人とも二度とロ がら、曲がった脚で進みでようとしたが、境界をはさんで対峙したをきかず、ずんぐりしたポ = ーにまたがって、速歩で道路を遠ざか 警備官たちが、数歩かれらに詰めよって、いとも不興げに睨めつけっていった。明かるい陽光のなかに、塵の微粒子が舞った。 マリアンは向きなおって、自分のほうを無表情に観察している異 たので、かれらもそれ以上進むことを断念した。 「まあいい 、それならここはひとまず引きさがるとしよう」一呼吸様な風体の男たちを一贅した。それから、胸もとに手をつつこみ、 いわば宙に向 して、ラフリンが言った。「そうまでして追いかけることに固執す紙入れから一通の書状をとりだして、さしだした : 7 るつもりはないからな。しかし忘れるなよ、そこの《でくの・ほう》」かってだ。というのも、相手はだれもそれを受け取ろうと手を出す 0 かれは眉ひとっ動かさぬマリアンに向かって、その蔑称を投げつけそぶりを見せなかったから。一瞬とまどったすえに、かれは言っ