1 「 7 き第す 第第に第 1 第い 」をを朝リ ともあれ、べアトリスの釵は彼女の手に戻った。孤独な任務 に生きるだけの人生が、お時の肩にのしかかったのである。 「務めを果します。月影どの : ・・ : 」 お時はうなだれて、ロの中でそっといった。銀の金は、清澄 な月光を浴びて、白い炎のように輝きべアトリスの白光を放 っ眼ざしと、意志にみちた美しい面影を、お時の脳裡に甦らせた。 寛永十七年九月。お時は、お蝶の生家となるべき、平右衛 門町ニ丁目の頭領、杉田屋猪之吉の家に入りこんでいた。 かねてから計画していた通り、お時は杉田屋の女房おまきの 従姉妹という触れこみで、杉田屋を訪れ、逗留することに 成功したのである。 事実、上方にはおなみという名の、おまきとさして年の違わ ぬ従姉妹が実在していたし、十数年も会っていない問なので、 だれも疑う者はなかった。なによりも、おまきとお時は顔立ち といい身体つきといい酷似していた。姉妹といっても通用する ほどであった。 ( お時の半身であるお蝶は、おまきの実の娘 なのだから、当然といえるのだが ) おまきはなんの疑念もなく、お時を従姉妹として受け容れ、 ひさかたぶりの再会を喜んだ。といっても幼時 にニ、三度会って遊んだ遠い記憶しかなかったのだが。 同年齢娘はすぐに親密な感情を交流させるようになった。 ややおくてのおまきは、感情的にはお時を姉のように頼る気味 があり、お時もまた年下の姉妹に対するような庇護者として の愛情をおばえる成行であった。 おまきに愡れぬいている亭主の猪之吉も、女房にそっくりの お時に悪い感じを持つはずはなかった。病気がちで流産つづき きのおまきがめだって元気づいたというので、いつまでも滞在 してほしいとお時に頼みこむほどであった。 ー 02
魔的な力の襲来 : : : と、お時は辛うじて気づいた。これは ある種の念力なのだ。網と感じたのは、何者かが発した念波 なのだ。 そう気づいたのは、お時が超能力者だったからであろう。彼女 は精神力をあげて、寄怪な念力の千渉に抵抗した。 ペアトリスの釵 : お時は叫ぼうとした。が、声が出ない。 釵は、おまきの枕の 中だ・ : : ・取りにいかなければ・ お時は唇が破れるほど歯で咬みしめた。どろりと血があふ 呼ぶのであゑ凶盗の一味のあまりの横行に町奉行所で対処 しきれなくなり、後に火付盗賊改メという武官の出役が 出現することになる。 主月十五日の夜のことであった。 徹夜する気で寝床にも入らずに、絵草紙を読んでいたお時は、 突如異様な睡魔に襲われた。 臉が鉛のよ、つに重くなり、奇怪な脱力感が全身を占めたも 手にした絵草紙がバサッと落ちる。 異常であった 0 疲れた脳裡のかたすみで、警報が鳴りだし た。全身に無数の目をもった網がからみついたような感覚 だった 6 身の自由がきかないのだ。 れたが、鋭い痛みは遠かった 6 感覚が麻痺している。が、多少 の効き目はあった 6 泳ぐように部屋を出、廊下をよろめき進む。危機感だけが 彼女にわずかな力を与えていた。 夫婦の寝所にたどりつく。彼らは死んだように眠りこけ ていた。お時がゆすってもなんの反応もない。お時はあや うく、おまきのふくらんだ腹部に手を突きかけるところ であった。手足を踏みつけられても、ニ人とも正体がないのだ。 お時は必死で枕をさぐった。ひんやり冷たい銀ざしの感触が 吉′をあげたいほどの嬉しさだった。 べアトリスの釵の白い輝きが手中にあった。その光が、・お時の 焦点を失った眼にたちまち生気を甦らせた。 日 0
そうであった。おまきに耳 打ちされて、彼はりちぎ に膝を折って坐り、礼を のべはじめた。お時は真赤に なり、顔もあげられなかった。 その晩、お時は眠れな かった。へんに頭が冴えてし まっていた。感覚が夫婦の ねまに鋭く集中しているのに 気づくと、布団の中でひとり で赤くなった。夫婦の寝所は はなれている。だが、お時は 常人にはない超感覚の持主 なのである。身体が 変調を起七たように、異様に ほてり、寝苦しい お時は耐えきれずに 布団を脱けだし、畳にじかに 正座した。畳のひやりと した冷たさが快かった。 ぶじに赤ちゃんが生ま れますように、と彼女は 祈った。ああ、ペアトリス、 あなたの思いの強さが、 いま、お蝶を母の胎内にや どらせようとしています。 四世紀の時の隔りを超えて、 あなたはすべての超能力者 たちの母になろうとして をに :
その夜、お時は奇妙な呼び声に夜半の眠りを醒まされた。 だれかが戸外から彼女を呼んでいるのである。呻くような 異様な声であった。人問の喉から出る声とは思えなかった 9 お時は床から脱けだし、寝所の雨戸を繰った。外は鮮やか な月夜であった。みがきあげた黄金の円盤が中天に輝や いていた。庭園は真昼のように明るく、しんとした静寂 に閉ざされていた。 清水のような月光に濡れた築山の上に、そ分動物は坐り、 お時を凝視した。爛々と光る目だ。電光を放つような 夜行獣の目である。 巨大な狼であった。 大きな口に、銀の金をくわえていた。 お時はなんの恐怖も感じなかった。眼前の野獣の正体をすで に見破っていたからだ。 と、お時はいった。庭に降り立ち狼に向って歩み寄る。 狼は徼〔動もしない。 「月影どのですね ? 」
「伊賀組は、敵にまわすには悪い相手じゃ・月影さまは、おまえさま まの身を案ずるあまり、変形の術を使いなすった : ・ : ・この老いばれの 生きているうちに、また月影さまのお顔を拝めるかどうか」 白狐の参次は深甚な悲哀のこもった声音でいった。この老いた大盗賊は、 月影を敬愛しきっていたようであった。 「わたしのために、こんなことになって、本当にすまないと思い ます。わたしを恨んでいるでしようね」 お時は悲しげにいった。彼女もまたとない味方を失ってしまった のだ。あの陽気な、愛嬌のある月影の顔をニ度と見ることはないか もしれぬ : : : その思念は心に痛かった。 「恨みはしませぬよ : ・それほどまでに月影さまが想うていた 女子と思えば 参次は沈んだ声でいった。 「月影どのがわたしを : : : ? 「惚れていなすった。そぶりにもあらわさなかったにしても、この 参次の目に狂いはありませぬよ。おまえさまは若の心を汲みとるこ ともなさらなかったが : 知らなかったのだ、といおうとしてお時は思いとどまった・ むろん、それは真実ではなかった、たがいに超能力者同志、心を隠しおおせるも のではない。月影の愛情を、だれよりもよく知っていたのは、お時 自身ではなかったか。だがお時の心を占めているのは、ただ一人の 男だ。町方与力の山本千之助。それを知りつくしている月影は、 みずからの心を封じたのだった。お時をわがものにする機会はいく らもあったのに : : : 矜持の高さが、月影を妨げたのだ。 それを承知で、自分は月影の愛情に甘えた、とお時は思い、むを 絞めつけられた。悔いだろうか・自資だろうか。力、いまとなっては 詮ないことであった。お時にとって、またとない頼りになる庇護者が 失なわれたという事実だけが冷やかな現実として残ったのだ。
杉田屋はニ 0 人近い職人を抱えてい、大きな武家屋敷にも出入 りして、羽振りはたいしたものであった。もとより客のニ、三人が 長逗留しようが苦にもならない : : : お時にとって居心地はすこぶる よかった。客というより、実感としては身内そのものだった。 従姉妹のおみ本人が姿を現わさぬかぎり、正体が露見する懸念は なかったのである。 幾日もたたぬうちにすっかり慣れ親しんだおまきは、なんでも お時に打ちあけて話すようになった。女同士の気やすさからか、 肉親にも話せぬような夫婦の秘めごとまでロにして、お時を赤面 させるほどだった。もっともお時は、亭主に死にわかれた若後家 という触れこみだったから、既婚者同士という気持がおまきに あったのであろう。だが、それにしても実母という気があるお時 にとっ ' ては、 . 身のおきどころのない問の悪さ、恥しさを感じて しまうのだった。 おまきの悩みは、子宝に恵まれぬという一事につきた。亭主 の猪之吉に顔向けができぬと感じているのだった。さんざ神信心に り、ロ持、祈疇に頼ったたが、すでてが甲斐なかった、とおまきは ついこのまえ身ごもった 切実な嘆きをこめて語った。 ときも、今度こそと思ったのに、雷神党という恐ろしいさむらい たちの乱暴沙汰にまきこまれて、流してしまって : 語るおまきの表情は、怨念をみなぎらせてい、お時は肌寒さを おばえるほどだった。今度失敗すれば、おまきは発狂するのでは ない力とい、つ気さえした。 ひょっとして、あたし、呪われているんじゃないかしら、 と、彼女はいった。 うのひと 亭主に愡れている女でもいて、意地でも子どもは産ませないと 丑の刻参りでもして、呪っているんじゃないかしら : : : おまきは そんなことまでロ走る始末であった。気が減入るとそんな妄想に 襲われて居ても立ってもいられなくなるというのである。 " 物き一 = 第睥 ー 03
実際、お時が杉田屋を訪れ たときは、精神失調から一 歩踏みはずすと物狂いとい う状態だったようである。 猪之吉も彼女の嫉妾想に ぶ手を焼いていたらしい。 でも、っちのひとは 堅いので評判だから、万が一 にもよそに女がいるなんて はずないんだけど : 猪之吉が恋女房のおまき 以外の女に目もくれないと いうのは、だれの目にも歴然 レ J ー ) ているこ AJ だっト」。 ま 6 ぐにレ J い、つ・形六合が ふさわしかった。 ↓ 0 ーレかす・るレ」、 あたしたち、あれが : 度がすぎるんじゃ ないかと思うの。 さすがに頬を染め ながら、彼女はお時に 上ロ白した。 ほとんど毎晩 でしよ。それにいっぺんに ニ度も三度も : : : おなみ さん、どう思う ? 多すぎる と思わない ? そうかもしれ ないわねえ。 ソ、 ・一れ谷い お時は顔から火が出そ うな思いで答えた。 「仲がよすぎる夫婦は、 とかく子宝に恵まれぬとは い、つけれ↓つ」 「ほん . こ、つかしら ? ・ それなら、今晩からいっぺん に一度だけにしてと うちのひとに頼もうかしら」 おまきは真剣な顔で いい、お時をさらに閉ロ させた。 「あたしね、おまき さん・子授けのいいお呪い を知っているのよ」 と、お時は意を決して ていった。 0 やく 「とてもご利益のある 神さまに願かけしていただ いたものがあるん だけど : : : 」 たちまちおまきの目の色が 変わり、膝をのりだした。 「教えて ! お願い ! それはなんなの卩」 切迫した声であった。 「この釵だけども : お時は髪から銀ざしを 抜きとり、おまきに しめした・ 8
「↓のり・カレ J - 、つ : : : ペアトリスの名をとりもどしてくださっ たのですね。」 お時は手をさしのべて、狼の口から金をとった。 「ありがと、つ、月影どの。ありがと、つ : 彼女は声をつまらせた。歓喜が身裡に湧きあがった ~ つい にペアトリスの釵は手許に戻ってきた。超能力者の皿を守 すべく : : : 「約束ハ果シタ・ : : こ と、狼が聞きとりにくい人語でいった。おそらく発声 器官の相違のためであろう。 「たしかに月影どの」 お時は銀ざしを胸に抱きしめた。どうやって感謝をあわ わしていいのかわからなかった・ 「務メヲ果スガイイ : ・ : こ とス・一民はいっ←。 ・ : 当分ハ逢エヌ」 「参次ガカラ貸スダロウ。俺ハ : 「それは、どうしてですか ? ・」 へんぎよう ・・イツマタ、人ノ姿ニ戻レルカワカ 「ヤムナク変形シタ : ラヌ : : 俺ノ意志ダケデハ戻レヌ / ダ : : : 」 お時は愕然とした。 「いったい、いつまでその姿のままでいるのですか ? コノ姿デ人問界ニハトド 「数年 : : : 数十年カモシレメ マレヌ。俺ハ山ニ帰ル」 ししよ、つのない驚きと悲し と狼は呟ゃいた。お時は、、 みに心を絞めつけられた 9 「イッカマタ違エルダロウ・サラバダ、オ時 : ・ : 4 「行かないでください 月影どの、あなたがいなけれ ば、あたしは : 「ソノまがオマエヲ護ル。恐ロシイカヲモッティルゾ 不死身 / 俺テサ工生命ヲ落シカケタ。ソレガアルカギリ、 恐レルモ / ハナニモナイ」 「月影どの ! 」 「アバョ。サヨナラダケガ人生サ : : : 」 狼はくるりと身をひるがえした。月光に溶けるように姿が 消え失せた。あまりにも唐突な別れであった。お時の眼から 涙が流れた。 「待ってー・月影どの ! あたしをひとりにしないでー・」 お時はふりしばるように叫んだ。狼のあとを追おうとし た。ひとりで置き去りにされた迷子の心細さ、悲哀感だった・ と、いつのにか姿を現わした白狐の参次がお時を ひきとめた。 「追うてもむだじゃ。、 まの月影さまは、半ば狼・・・・ : 人界 にはとどまれぬ」 参次の柔和な顔は、、 しつになくきびしかった。 「おまえさまのために、月影さまはあのような姿になら れたのじゃ」 参次は物語った。月影の属する大神一族とは、神の裔で あった。古代より、山民たちに大口真神ーーーオオカミと尊崇 された山神こそ犬神一族であ勺、それゆえに狼は神獣として 崇められることになったのである。大神一族は、その神的 ~ 力によって、狼に変形する ; とができると信じられている。 すべての野生動物は、犬神によフて支配され、自然の精霊た る地紙ーーー国津神らはことごとく犬神一族の直属なのであった。 したがって、山民の出である甲賀伊賀、根来、風魔など すべての忍びの者にとって、大神一族は主筋にも優る 「追いなさるな」 くにつがみ 9 9
. 、、 0 にれこんできた。 ) 覚感カ・ ことけてス くきれぎれ、 。足者を 銀ざ 0 を手」身を起 0 た 全身を紋めつけ ま、緊張した表情で、 お時、 時 0 異様 0 、 00 見 、眤沿ー こはまった
その大いなる姿なき″宇宙時計″の時刻む、無音の音がきこえま 0 せんか。 チクタクチクタク いま、ゴンドワナは海に溺れようとしていた。かって巨大な陸塊チクタクチクタク であったその世界は、その大部分を海にのみこまれていた。 チクタクチクタク その蒼古的な古き古き超古代大陸に、誰かが書きつけたように在 きこえましよう。非情な響きだ。無情の音色ですね。チクタク、 り、あたかも架空の物語のようにあった谷間の街ソルティは、 . はやチクタク : ・ : チクタク、チクタク : あとかたもないのだった。。たたその上を、青い海原がおおっている 同じく、あの街、ソルティの住民たち、仮現の街にすむ仮現の者 のみである。 たちは、その消減の瞬間に、″世界〃の真相を、大宇宙の秘密を悟 あのあと何が起こ 0 たのだろうか。もはや何の痕跡もあらす、物 0 たのだろうか。対岸の " 鏡。が何を意味したのか。そして自分た 語る者もいないのである。″鏡みの崖は、剥落し、同時に、ンルテ ちがいかような存在であったのかを。 イの垂直の街は消失した。あのクリストフアネスもセビアも、そし またおのれの虚像にむかって、剣をつきさしたとき、あの青年 て街の住民たちも。 は、悟っていたのであろうか。鏡の中の自分は、自分の虚像ではな その一切が消減したあとこ、 冫ただ、深い渓谷のみが残されてい く、自分の実像であったかもしれず、自分こそ虚像にすぎなかった た。また太陽が東の地平線より昇り、一日の天空の旅をおうて西の ことをも : 落日となる。風が吹きわたり、台地は沈黙をつづける。 いや、この世にあっては、ありうる虚実のへだても、真理の次元 ああ、大いなる自然よ。 にあっては無意味なのかもしれない。虚は実となり、実は虚となる 時は、悠久の時をきざみつづける。それは、無窮の過去より来たのだろうか。 りて、無窮の未来へと逝きすぎるのた。 そして : この無限の大宇宙にひとつの星が生まれ、そして消失する。あた " 鏡。の檻より脱して、かのゴルド ( はいずこ〈い 0 たのだろう かも不変をほこるかにみえる大地さえ、その有限の運命をさけるこ か。また、天空より飛来し、また去っていた % 蓮華の船″は、なに とはできないのた。 ゆえにこの地へ来たのであろ、つか。問われるのみであり、それに答 ただ時のみが、おのれの時をきざみつづける。なんの意味もなえうる者はいないのである。 く、ただ、きざみつづけるのだ。 チクタクチクタク チクタクチクタク 232