中田 - みる会図書館


検索対象: SFマガジン 1972年2月号
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1. SFマガジン 1972年2月号

この男はどういうつもりなのだ ? まるきり戦意というものがな薄汚れた柔道衣をまとって、前方回転を一回、二回、三回 : : : 向き かったみたいではないか。し 、くら疲れているといっても、これは極直ってまた一回、二回、三回と、飽くことなく繰り返しているの 端ではないか。 だ。あまり熱中しているものだから、中田が入って来ているのにも やはりそうなのか : : : 信じたくはなかったが、彼は考えざるを得気づかないらしい なかった。この野間という男は、部員でありながら過当なときにポ 中田は声をかけるのも忘れて、しばらく野間のそんな姿をみつめ イントをかせぎ、必要のないときには力を抜いているのだ。そう思ていた。 ってみると、例によって無表情に席へ戻る野間が、にわかにふてぶ中田の感覚からすれば、こんなことはあり得ないはずであった。 てしく見えて来るのだった。 野間とは所詮はちゃらんぼらんな男であり、レギュラーをめざすど ころか、本気で柔道をやるつもりのない部員のはすであった。 4 それがどうしてまた、ひとりで受身の練習などを : そのとき、野間はやっと中田の存在を認めて、動きをやめた。そ 今にも雪片が舞い落ちそうな空に圧迫されて、周囲の風景は妙にれから、はにかむような笑いを浮かべていった。 黒っぽ、。 「やあ、きみか」 生協で本を買った中田は、帰途につこうとして思い直し、きびす「熱心だな」 中田は皮肉でなく応じた。「いや、・ほくは用のついでに寄っただ を返して裏のほうへと歩きだした。ここ一週間ばかり行っていない 道場にちょっと立ち寄ってみようと考えたのである。もちろん現在けたから、すぐに引きあげる。ーー・気にしないで続けてくれ」 は冬休みにともなって一月の寒稽古まで練習は休みなのだから、行野間は肩をすくめた。 ったところで誰もいるはずがないし、鍵もかかっているだろうが : 「なに。もういいんた」 : ・習慣とはおそろしいもので、学校へ出て来た以上、道場へまわら「何もやめることはないぜ」 ないとどうも落着かないのだった。 「いいんだ。・ほくもそろそろ帰ろうかなと思っていたところだし : 枯れ切った雑草のあいだに伸びる石段を昇り切った中田は、そこ・ : 何だったら一緒に帰らないか ? 」 「いいよ」 で意外な感に打たれて足をとめた。 道場の扉が開いている。 別に否む筋合いもないので、中田はそう答えた。 中で、ひとり受身をしている男がいた。誰だろう。 「じゃ、済まないが、ちょっと待っていてくれないか」 入ってみた中田は、自分の目を疑った。 野間は更衣室へむかいながらいった。「すぐにシャワーを浴びて 4 受身をつづけているのは、野間である。白帯のひらひらするあの着換えてくるから」

2. SFマガジン 1972年2月号

走るようにして、野間がやって来た。なぜかその顔は紅潮してい いっか 0 何人かが練習をやめて、かれらのほうを唖然とみつめて 「やろう」 「代われ ! 」 「よし」 副主将が号令した。 ふたりは組んだ。 今度は中田は休んだ。疲れたのではなく、野間を見ていたかった 実力では何といっても中田が上である。彼は組むが早いか、相手のである。 を出足払いで宙に浮かせた。野間は何もいわずに起きあがり、猛然例の豪農の息子である新三年生が、野間の前に立ちふさがった。 と突っかけて来た。 野間はその三年生から、またたくうちに数本を奪った。 釣込腰をかけようとした中田は、だが、あっといいうまに相手の 三年生は顔をゆがめていた。平素は問題にならない野間にごんな 移り腰に自分の身体が乗ったのを感じた。 目に会っているというくやしさが、ありありと浮かんでいる。 例の決め技だ ! 「くそオ」 背中の痛みに構わず中田は立ち、相手が脱カ状態にあるのを百も 声とともに、三年生はダダダと野間を押した。 承知で、内股にはいっこ。 「こら ! 無茶をするな ! 」 だがーーーそのとたん、またもや野間は風に似た動きで彼の足をは 主将の前藤がその三年生に叫んだとき、野間はすでにコマ落とし ずしたのである。中田はわれとわがカで虚空にあがり、したた、 の速さで背負い投げに入っていた。 畳に叩きつけられた。 が、その背負投げは、三年生の強引さに腹を立てたのか、あまり 半身を起こしながら、中田はささやくようにいった。 にも不完全な無理なものであった。 ポン、という音がしたと思うと、野間は右腕をかかえてころがっ 「できた」 野間は小刻みにうなずいてみせた。「やっとできたそ」 「やめろ ! やめんか ! 」 そう。 また野間の上から寝業に入ろうとする三年生を、駈けつけた前藤 まぐれではなかったのだ。野間は加速時に無理に力を入れず自然が押しのけた。「骨を折っているじゃないか。やめろ ! 」 にまかせるすべを会得したのだ。 そのときには、副主将も中田も、他の部員たちも走り寄ってい それから数分間、中田は足腰が立たなくなるまで野間に投げられた。 つづけた。とにかくこちらから仕掛けようとすれば必ずかつがれる野間は蒼ざめて汗を出している。前藤が腕に触れると悲鳴をあげ のである。 る。 ー 48

3. SFマガジン 1972年2月号

「やつばり折れているな。よし、隣りの附属病院へかつぎ込もうー て診療を依頼する書類をもらってくるようにと指示してから、つけ くわえた。 「いいですー は細いがはっきりした声でいった。「大丈夫です。家の近所「ほんの手続きのための書類ですからね。学部と姓名をいえば教務 課と照合して、すぐに発行してくれますわ」 の病院に行きますから」 「馬鹿。それで電車に乗って帰れるか ! そばに附属病院があるん 副主将はわかりましたと答え、廊下に出るとすぐにいった。 だし、あそこならクラ・フ活動で怪我した学生を、最優先で見てくれ「じゃ、俺はその書類とやらをもって来よう。おまえは野間をつれ るんだ。手当ては早いほう力いしー て、待合室へ行っていてくれ」 前藤がいった。 いわれるとおり、中田が野間とともに待合室に入ったときには、 それでも野間は首を横に振った。 野間は寒気のせいでがたがたと震えていた。 「ためです。困るんです。自分で行きますから : : : 」 「痛むか ? 」 「文句をいうな。金がないんだったら治療代ぐらい部で何とかす中田がたすねると、野間は何とか徴笑を浮かべ、それからいっ る」 副主将がきめつけた。「よし、病院へは俺がつれて行こう。前 「ちょっと便所へ行ってくるが、いしか ? 」 藤、おまえは練習をつづけていてくれ」 それから中田を見て、 野間は腰をあげ、ちょっとのあいだ中田を奇妙な目でみつめてい 「おまえも一緒に来い」 た。それから、 いわれなくても中田はついて行くつもりだった。 「本当に世話になったな」 副主将と中田は柔道衣のままで、野間をかかえるようにして石段というと、待合室を出て行った。 をの・ほった。 おかしなことをいう奴だと思いながら中田は待っていたが、野間 「大丈夫です。ーー自分で、よく知ったところへ行きますから」 はなかなか帰って来なかった。不安にかられた彼は自分も外へ出て まだ野間はいっていたが、もちろん副主将と中田は耳をかさなか便所を覗いてみたが、野間はいな、。 「野間 ! どこへ行ったんだ ? 」 構内を抜けて隣接した附属病院の外科へ来ると、副主将は受付に >- 2 0 0 < ・・ヴァン・ヴォクト わけを話した。受付はこうしたことに馴れているらしく、てきばき 地球最後の砦 と連絡をとってからこちらに向き直り、じきにレントゲンを撮るか あらゆる時代の男達が未来世界へ徴兵されて行った ! ら待合室にいるように、それと、待っているあいだに学生部へ行っ ハヤカワ S 、文庫 発売中 9

4. SFマガジン 1972年2月号

中田が道場の窓を閉め終って五分とたたないうちに、野間は服を しかしねえ、そんなことをやるぐらいなら、どうしてみんなと 着、柔道衣の包みをぶらさげて現れた。 練習するときに、本気にならないんだ。ばくはそのほうがず 0 と効 「帰ろうか」 果的たと思うよ」 ふたりは道場の扉の鍵を学生部へ返しに行ってから、私鉄の駅へ いってしまってから、中田はやはり後悔した。野間がだしぬけに の長いだらたら坂をくたりはじめた。 立ちどまって、こちらを見たからである。 「このぶんでは、雪になりそうだな」 中田がいった。 一呼吸か二呼吸のあいだ、野間は中田をにらむような目をしてい たが、やがて視線をそらして、ゆっくりといった。 「そうだね」 野間がみじかく答える。 「ーーそうか。きみもやはりそういうふうに解釈していたのか」 「野間、なにも・ほくはーーー」 ふたりは、しばらくのあいだ無言で歩きつづけた。 中田は、自分の気持を話したものかどうか迷っていた。彼は自分「いいんた。・ほくは知っている」 の独断で野間という人間をいい加減な男と決めていたのを、すこし野間は視線を宙に向けた。「部員の大部分は、・ほくが練習のとき 恥じていたが、さりとて、野間がいまやっているようなやりかたをに力を抜いていると田 5 っている。誰も何にもいわないが、みんなの 全面的に肯定する気にもなれなかったのである。それをいっていし その気持を肌が感しるんた。に ・ - まくは決め技を連続して使わないし、 ものかどうか : : しかし、こうして一緒に帰るのは、野間のほうか一度使うとあとはまるきりカを出さない。たから 、、い加減に練習 らしいだしたせいなのだ。と、すれば野間は、中田のことを僚友としていると思われるのも当然さ。けれどもそれは違う。全然違うん 考えているのに違いない。それならば、はっきりいうべきではない だ。・ほくは一生懸命にやっているんた ! 」 だろうか。そう考えた彼は、何気ない調子でロ火を切った。 「休みになってから、しじゅう道場へ来ているのか ? 」 中田は黙っていたが、野間は彼の顔にある不信を見て取ったので 「いや、ときたまた」 あろう。もう一度いった。 野間はうなすいた。「もっと来たいんだが、何しろ・ハイトで追い 「嘘じゃない」 まくられていてね。・ハイトをほうり出すわけにも行かないし : : : 」 が、中田が沈黙を守っているので、野間は何かいいかけてやめ、 「なるほど。そうたろうね。 3 / 、カ ・ほくにいわせれば、あまりそれから、とうとう決心したように口をひらいた。 効率のいいやりかたとは思えないな」 「話を聞いてくれるか ? 」 「とは ? 」 「ひとりで受身をするのは結構さ。・ほくも見習うべきかも知れな 「うん。ま、歩きながら話そう」 一 1 ロ

5. SFマガジン 1972年2月号

野間はかろうじてこの矢つぎ早の攻撃を防いだが、つづいての送中田の胸を嫉妬がよぎった。認めたくはないことだが、それは事 実であった。 足払いにかかって尻餅をついた。 が : : : 今はそんな場合ではない。次は彼の番なのである。彼はお だが審判は、一本はおろか、技ありも認めない。 のれのそんな気持を何とか闘志に転化させようと努めながら、試合 「ない、ない ! 」 場に入った。 「もう一丁」 この野間から一本を奪わなければならないのだ。どうしても取っ 両軍からの声が交錯した。それは声援というよりも、叱りつける てみせるのだ , ーーそのときの彼は気がついていなかったが、実はそ 調子だった。 うした意識が、あがるのを防ぐ作用をしていたのである。 白軍の次鋒は勢いづいて、次から次へと仕掛けたが、中田の目か 中田は左手で野間の右袖をとらえた。野間はかなり疲れているら ら見ても技の種類が多すぎたし、いずれも中途半端だった。 しく、それを振り払うことができない。中田は小当りに足払いに出 「ちゃんと取らんか ! 」 てみた。それだけで相手はぐらっくのだ。けれども油断をしてはい 白軍側から声が、飛び、その選手は必死になったものの、さらに 、つ、あの一発が出るか判らないのである。 けない。し 一「三度、野間に尻餅をつかせただけで、仕止めるには至らない。 「掛けんか ! 中田 ! 」 相手が醜態といっていいほどの劣勢なので、取ろう取ろうの意識が 上級生がどなったが、彼はまだ勝負に出すチャンスをうかがって さきに立ち、技が強引になっているのである。 いた。へたに動きまわっては乗ぜられる。 しかしながら、どういうわけか、野間のほうも技を掛けて来よう そのふところへ、野間の身体がすべり込んだ。腰をめぐらせなが ら引き手を引き、吊り手の肱を相手のわきの下に当てて、実に正確とはしないのだ。中田はしだいに相手を疑いはじめた。 この男、疲れたふりをして、休んでいるのか ? 今ひとり投げた に、しかしコマ落としの映画のような迅速さでかつぎあげたのだ。 白軍の次鋒はかるがると舞いあがり、その足が大きな円弧を描き終からもういいという気になっているのか ? るのと同時に、ダン、と、畳が鳴った。 彼は相手とぶち当たるようにして、イチか・ ( チかの大外刈に出 「一本 ! 」 審判が叫ぶ。 それが、嘘のように決まったのである。野間はまるで無抵抗だっ 「ーーふむ」 どっとあがる拍手と歓声の中で、だが中田は、それまで黙って観たのだ。 戦していた師範が腕組みを解いてそういったのを、聞き洩らさなか「一本。それまで ! 」 審判の声を聞きながら、中田はあっけにとられていた。 ー 42

6. SFマガジン 1972年2月号

は、その野間という男を大外刈で、足払いで、数本たてつづけに投 白帯たちが、先を争うようにして、彼の前にむらがった。 げ飛ばした。 「野間、おまえだ。おまえかかれ」 相手の呼吸が乱れて来た。さっきから練習をつづけているのだか 主将がいった。 ら、そろそろへたばるじぶんである。それにひきかえ、こちらはま 「はあ」 応じて中田の正面に立 0 たのは、白帯の、痩せた男である。柔道だひとりめなのだ。中田は、かさにかかって攻め立てた。 衣は練習のせいで古びているが、どう見てもそんなに強いとは思え だしぬけに相手の姿が見えなくなったのである。 いや、見えなくなったのではない。人間わざとは思えぬスビード 中田は屈辱をお・ほえた。いやしくも茶帯をしているのだから、せ めて有段者が相手にな 0 てくれるのではないかと、ひそかに期待しで腰をおとし、足を突き出したのだ。体落しーーと感じたときには 背中をまともに打っていた。受身をする余裕もなかった。 ていたのだ。 一、二秒のあいだ、彼は起きあがることができなかった。叩きっ 構うことはない。こいつをとことんまで痛めつけてやろう。 けられたショックで息がつまったのも事実だが、驚きのほうがはる 「お願いします」 声を出し、礼をかわした彼は、無造作に手を伸ばして、相手の襟かに強かった。 この技は、どういうことだ ? この速さと、速さによってもたら をつかんだ。つづいて袖を取ろうとしたが、むこうは右手を引いて される強烈さは : : : 四、五段の連中と互角に渡り合えるのではある そうさせないのである。 いや、かれらを仕止めるのではあるまいか ? まし、刀 ? ・ ( きたない奴だ ) 信じられなかった。 それまでの、きれいに組み合う柔道に馴れていた彼は、腹の中で ? これほどの技があっても、 これが : : : 白帯の技だというのか 舌打ちしながら、左手をさらに出した。 ここでは段持ちではないというのか ? 相手の身体が沈んだ。次の瞬間、中田はかつがれ、横ざまに畳に 自信は完全に吹っ飛んでいた。 叩きつけられていた。 「代ろう。今度は俺だ」 ( くそ ) いつのまにか主将がそばへ来て、歯切れのいい声でいった。 彼は、思わぬ不覚に顔をゆがめ、今度は慎重に袖を持ち合うと、 野間は一礼して、他の部員のほうへ去る。 わきをしめたまま、相手を引いた。反射的に後退しようとするのヘ 主将はさすがに強かった。中田は玩具同様にあしらわれて、投げ 右足を飛ばして小内刈。 られ、抑え込まれ、首を締められた。 あざやかに決まった。 それでも彼は、しやにむに技を仕掛けるのをやめなかった。今し いったん調子を取り戻すと、もうこちらのべースである。中田 に 8

7. SFマガジン 1972年2月号

みんなの仲間にくわわりながら、中田は、そんな話さえもお互いけず家庭教師をしていたので、アル・ ( イトもせずふんだんに小遣い を持っている連中に敵意を抱いていたほうだが : : : まさか合宿のさ の連帯感を作りあげるということに、不思議なものをお・ほえた。 いちゅうにアル・ハイトとは : もっとも、例外がなかったわけではない。 「そうらしい」 あの野間である。 二年生はうなずいた。「上級生は野間の個人的事情を聞いている 法学部に籍を置く、中田と同じ一年生である野間平造は、どんな に練習で痛めつけられても、朝食が済むや否や嬉々として ( 実際中のか知らないが、いろんなことを考えると、やはり練習で力を抜い ているとしか思えん」 田にはそう思えたのだ ) 講義を受けに出て行くのだった。 「まったく野間の奴、あの細いのにどういう仕掛けになっているん「けしからん奴だ。あいつ、柔道よりアル・ ( イトのほうが大切なの 別の、豪農の息子だという二年生がうなった。中田はその二年生 ある日、ひとりがいった。「そのくせ、練習であんなにムラがあ に対して瞬間はげしい憎悪を感じたが、何もいわなかった。そうい るのは、なぜだろう ? 」 うふうにおのれを抑制したことに対して、自分もここまで柔道部員 になりかかっているのかという奇妙な感慨が、不意に彼の脳裏をか みんなは黙った。 中田も、そのことには気づいていた。野間はあのおそるべき技をすめた。 けれども、野間に関する話題は、それで沙汰やみになった。部の 減多に使おうとはしなかったのだ。一発出れば必ず相手を投げ飛ば しいほうなのだ。そして、そ幹部が何もいわない以上、かれらが特定の部員のことを云々するわ すくせに、一回の練習で二度も使えば、 けには行かない。みんなは重い溜息をついて受講にでかけるために の技を除いては、ふつうの白帯クラスの力しか示さないのである。 立ちあがった。 「出し惜しみしているのかな」 中田もカ・ハンを持って食堂を出た。出たものの、きようの第一限 別の部員が呟き、はじめの男が応じた。 の英語は予習をしていなかったせいもあって、サポろうと決めてい 「いや、そんなことはないだろう。それじや主将や副主将が何もい わないはずがないからな」 今のちょっとしたやりとりで、彼の胸にはあたらしい感情が芽ば 「しかし、野間は夜はアル・ ( イトをしているというじゃないか」 えようとしていた。それは、部員たちに蔭口を叩かれるのも承知の いいだしたのは、工学部の二年生だった。 上でアル・ハイトをしなければならぬ野間平造への、一種共感に似た 「アル・ハイト : ・ : ですか ? 」 中田は思わす反問した。初耳だった。彼は野間が夜の練習後に外ものである。その気持はいつのまにか一歩進んで、野間の行動を善 出するのを知っていたし、彼自身が家からの学資だけではや 0 て行意で解釈したいという感情になっていた。 9

8. SFマガジン 1972年2月号

とこにもいないのである。彼はヤ分あまりもそのへん 呼んだが、・ を探したが、野間をみつけることはできなかった。 副主将が戻って来た。 青ざめている。 の裾をパタ。ハタと鳴らし、中田隆一はわれに返 秋の夜風がコート 「野間がいなくなりました」 中田がいうと、副主将は目をみはった。が、ゆっくり息を吐きだ もう、あたりはまっくらで、遠い建物の灯が枯れた木立ごしにい して呟いたのである。 くつかともっているのが見える。 「ーーかも知れんな」 ・ : と、彼は顔をあげて蒼茫とした夜空を見あげなが あいつは : 「とは ? 」 ら、あのころ何度も考えた疑念を、また胸によみがえらせた。あい 「学生部は書類を発行してくれなかった。教務課に問し 、合わせたつは何のためにニセ学生になったのだろう。ニセ学生のくせに、な ら、そんな学生は在籍していないというんだ」 ぜあんなに勉強をし、柔道に励んだのだろう。 副主将は宙を凝視した。「野間はニセ学生だったんだ。それを知わからない。 られるのがいやで逃けたんだろう。しかし : : : あいつ、な・せニセ学 わからないが : : : ひとつだけはっきりしているのは、本物の学生 生などになったんだろうな」 よりも野間のほうがはるかに学生らしく柔道部員らしかったという 中田にははじめ何のことやら判らなかった。ようやく副主将のい ことである。あれから何年か野間の置いていったままの服は道場に っていることを呑み込んでもまだ信じられなかった。 保管されていたが、それはみんながそのことを感じていたからに違 あの野間が ? いない。柔道部員にとって野間は本物でニセものではなかったの ニセ学生だったと ? : ニセ学生 ? あれほど学生らしかった野間が : ただ単に世 しかし : : : 本物とニセ物とどこが違うというのだ ? 「違う」 の中へのパスポートを手に入れるかどうかというだけの差に過ぎな いのではあるまいか ? 本質などはどうでもいいのではないか ? 彼はロ走った。「違う。そんなはずはないんだ ! 」 冫冫しオカそして、そんなパスポートにどれほどの意味があるのかは、この十 だがそれは真実だった。野間平造という学生は CR 大学こま、よ、 ったのだ。中田は柔道部の名簿にしるされた住所をたよりに、野間数年間の彼自身を見ればあきらかなことなのだ。 あいつは今ごろどうしているだろう。中田は考え、それから重い の家をたずねて行ったが、そこには野間は住んでいなかった。 足取りで石段をくだりはじめた。 それきり、野間の姿を見た者はいない。 」 0 6 に 0

9. SFマガジン 1972年2月号

中田は野間たち四名の一年生とともに、何とか逃けだすことな野間の悪口をいわなくなったばかりか、野間が精勤に講義に出てい く、みんなについて行った。ついて行きながら、どうしてこんな猛るのを利用して、気軽にノートを借りたりする。いってみれば野間 烈な練習をするのだろうと不審に思ったのも事実である。 は、選手要員ではないが、何となく部には欠かせない存在になろう あとになって判ったが、実はこれは O 大柔道部の方針なのであっとしていたのだ。とはいえ、当人にはやはりそれでは面日くないら た。最初大量にかかえ込んだ新部員を、徐々に練習をきつくして行しく、ときどき中田と雜談の折などに、 くことでふるい落とし、最後にぎゅっと絞ってかれらが二年生にな「何とかならないかな。加速時に無理をしないで自然にやりさえす ったときには練習に耐えぬいた連中だけが残るようにするのだ。そりや、いくらでも連続して掛けてやるんだが : : : 」 うして筋金入りの部員が誕生したころ、次の新入生がどっと入部し と、首を振るのたった。いくら中田が、 てくるという仕組みである。高校で柔道をやっていた者がまだ多く「焦ることないよ。地カもついて来たんだし : : : そのうち、決め技 なく、たまにいてもそういうのは減多に入学してこない。たから虹 一本だけをあてにしなくても勝てるようになるさ」 経験で入部して来た人間をもレギュラーに育てなければならない当 そういっても、野間にはなぐさめにならないようだった。当然の 時の大学の、苦肉の策であった。 ことながら彼もまた選手になりたいのであり、そのためにいろいろ 見方をかえればこれは、今まで踏みとどまった新二年生も、それな工夫を試みていたようである。 それ柔道部員としての格好がついて来たということになる。 野間はたしかに焦っていた。 なかでも中田は順調だった。運動部はこれがはじめてという気もそして、その焦りが破局を呼ぶことになったのである。 あって、先輩たちの注意や助言に従い努力したせいか、しだいに注 目されだしている。一年生ながらすでに幾度か対外試合に出しても「かかれェ」 らい、ますまずの戦績をおさめていたし、寒稽古の直後には黒帯に 副主将がどなると、部員たちは互いに相手をみつけあい、乱取り もなった。もっとも、そのじぶんには彼は以前ほど段位に執着しなを開始した。二十名以上も新部員が入って来たので、道場はいつば くなっていたが : いたが、誰も休んでいなかった。それもそのはずで、四月の末から ーにくわえてもら 選抜強化合宿がはじまる。そのときの参加メイハ それと、野間のことがある。 えるかどうかで、以後の部内の地位はまるで変わってくるのだ。 あのとき以来、中田は野間と個人的にいろんな話をするようにな たちまち一区切りの六分が経過し、副主将が叫んだ。 ったが、その野間もどうやら柔道部にとけ込んでいた。一発が出た あとふらふらになる例の癖は、本人が懸命になっているにもかかわ「相手を代えて ! 」 かなり強い一年生を、それでもだいぶ痛めつけた中田は、すばや らず、また直らなかったが、別にその技たけをあてにしなくてもい い程度の地カを備えはじめていた。従って他の部員たちも以前ほどく目をめぐらせて、次の相手を物色した。

10. SFマガジン 1972年2月号

ふたりは、また坂をくだりだした。 かに気づいた。 野間は自分のことをいっているのだ。 「きみは、主観的な時間ということを考えたことがあるか ? 」 野間はしゃべりはじめた。「絶対的な時間のことしゃなく、当事そう。 者が感じる時間の長さのことだ。たとえば人間が感じる一秒間と、 野間の、あの決め技を出すときのスビードは : : : あのコマ落とし 馬やツ・ハメが感じるそれとは、どっちが長いと思う ? 」 の映画のような動きは : : : 野間にとってのそのときの一秒間は五秒 間ぐらいに感じられるということではあるまいか ? ・こが、まさか・ 中田は話題が急にとんでもないところへ飛んたのであっけにとら 「信じられないだろうが、そういうことなんだ」 れたが、相手の真意がまだ判らないので、何もいわなかった。 野間は遠くへ目をやった。「ぼくは子供のころから、不意に時間 「何なら、もっと別の例をとろう」 がゆっくり過ぎるような体験を何度もした」 野間はつづける。「・ほくらがのろまだと考えているカタッムリな ど、あれで結構ス。ヒーディに動いているつもりなんだ。つまり、同「 : じ一秒なら一秒が、生物の種類によってずいぶん感じかたが違うん「それは、追いつめられ痛めつけられて、もうだめだという瞬間に 限ってそうなるのだった。子供のころぼくを診察した医者は、護身 だな」 「たしかにそういわれてみればそうだが、でも野間、きみはいっこ本能による反応だろうといったが、そのためかこのいわば加速状態 は、絶対時間にして一秒ぐらいしか保たないんだ。それともうひと つ、力もなくなってしまう」 「種類が違うものどうしたけじゃない」 野間は中田の言葉にお構いなくいう。「同一の生物どうしでもそ「カ ? 」 うだ。青年の感じる一秒間は、老人の感じるそれよりもずっと長「そうなんだ。その状態のときには感覚も筋肉の動きも加速される 。それは神経と筋肉が敏速に反応するかどうかによるわけで、特かわり、カのほうが加速された割合だけダウンする。運動量が増す 定の人間だけをとりあげても、時と場合によって時間が速く過ぎたぶんだけ質量が減るということかも知れないが : : : 」 り遅かったりするたろう」 「カが出ないんだな ? 」 「本当は必ずしもそうじゃない。人間の身体というのは機械じゃな 「それが、特異な体質の人間の場合、ときには一秒間が五秒間ぐらく余力を持っているから、そのぶんを使うことになるが : : : その結 いに感じられるということがあり得ると思わないか ? 」 果、加速したあとは必ずオー ーワークになって、立っているのが 「それがきみとーーこ やっとという状態になるんだ。だから・ほくはスポーツをやろうとし 4 しいかけた中田は、ようやく相手が何をしゃべろうとしているのていろいろ考えたものの、柔道を選ぶしかなかった」