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検索対象: SFマガジン 1972年3月号
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1. SFマガジン 1972年3月号

え思った。 : : : 下士官たちにあんな奪われ方さえしなかったら、ぼ貧しい作品、全力を出して一昼夜かかって作ったもの。それを持 くはもっと時間と平静を持っていたろうか。そうしたら何かもっとち帰ってぼくは何と言ってみんなに見せるのだろう。後めたい思い ほかのものを見たり聞いたり、できたろうか。 をしながら、脚色して、添削して、大人ぶって。こんなに早くあら っぽいデッサンだけを持って引返して来るなんて、たった二十四時 東京タワー、東京駅、宮城、霞ヶ関ビル。写真で見るとあんなに 、。まくは南地区へ越境してそちら 美しいのに、実物はどうしてこんなに冷たくて埃つ。ほいのか。人間間前にぼくは思っていただろう力を へ埋もれてしまうつもりだったのではないか。少なくともいっかは の目がカメラの目より悪いからなのか、あるいはその反対なのか、 帰って来るつもりだったにしろ、それは境界線が取り払われて人々 それとも・ほくが丸きり見当違いのものを求めているのか。 ・ほくはこのとき、自分のこの言いようのない不満を、・ほくだけのが自由に南へも北へも往来出来るようになってからだと、理由もな く堅く思っていたのではなかったろうか。 ものだとは思いたくなかった。これらの厖大な建物や町なみを作っ た人たちは、きっと一様に自分の作品に対する待遇に失望したにち こんなに早く帰って来るなんてー 。どんな建物でも、作る人は心をこめて作るのだから、で ぼくはゆうべ自分が這い上って来た足がかりを暗がりに呑み込ん き上ったときそれが冷たく扱われるのを嘆くのは当り前だ。その不 でいる場所へ来た時、がっかりして思った。くずれたプリッジの向 満とそのむなしさが溜息となって立ちの・ほり、見て通るだけのぼく う側にはソ連軍のライトに照らし出されたお茶の水の谷の斜面。明 の心をまでかげらせる。 やっと、ぼくは本当に気づいた。東京駅と上野駅との間に違るい狭い光の縞と凹凸に比べて、暗い部分は深く見える。こちら側 いなど有る筈はない。規模はどうであれ、新しさはどうであれ、そから向うを見るなんて実に変な感じだと思った。ぼくはしばらくそ タバリーシチ こで使われる言葉がきみであれ同志であれ、この乾いた目まぐるの感じに馴れるために暗がりにじっと身をちちめていた。 しさと混雑した息苦しさを作る素材に、どんなちがいがあるというすると次第に自分の中で何かがもと通りにふくれ上って来た。呼 のだ。どこもかしこも同じだ、ソ連地区もアメリカ地区も同じ湿度吸が楽になり始め、来たときと同じように水の中をすばやく潜れそ うな気がして来たのだ。ぼくは何度も息をふかく吸い込んでは止め と温度の下にある。これはいまのぼくには解けない問題なのだ。誰 てみた。 にも満点を取らせたいために先生がテストの中へ一題まぜておく、 こん とにかく当分の間皆に話してやる事件については事欠かないとぼ 根のない連立方程式。外見だけで根の無いことを見破るのは不可能 ~ 、は君っこ。 な数式。あれだ ( ちゃんと越境ということをやってのけて、一晩でも南地区で過し 神田駅で降りて、お茶の水駅の方へ向って歩き出した時、・ほくはて来たんだからな。クラスは勿論、学校中探したって、こんな事を やった者は・ほく以外にだれもいないのたからな : : し 結局南地区は・ほくの見た限りに於てぼくの作品なのたと悟った。

2. SFマガジン 1972年3月号

くの中に湧いた。・ほくがしたいろいろなことを誰 . もまだ知らない。 ( 秀才なのにね ) ・ほくの心は次第に強く向う 実にいろいろなことをだ ! 誰もだー : だからたよ ) 側のあれこれを思い出し始めていた。この時間だとみんなはまだ学 ( どこへ行っちゃったんでしようね ) 校にいる。・ほくのことで寮母が学校へ来ているかもしれない。学級 ( 修学旅行のとき、新潟でな ! ) 担任はもしかしたら警察へ行ったかもしれない。 ( ン ! あいつ一カペイカもないのに佐渡行きの船へひとりで乗っ どんなに無茶をしたつもりになっていても、せいぜい釈迦の掌をちゃって ! ) 飛んでその端までしか行きつくことのできなかった猿のように、・ほ ( あたし、あんなこと、とても出来ないわ ) ( そうさ、お前みたいな臆病者にはね ) くの冒険も長つづきがしない事をぼくはもう悟らずにはいられなか った。・ほくの冒険は、冒険のための冒険ではなかった。一定の見物杉子のことは、おそらくまだ噂になってはいないだろう。杉子も かくす、両親もかくすという具合で。昨日杉子が欠席したこと、彼 人、批判者を意識し、それらを驚倒させ、・ほく自身を目立たせるた めの冒険にすぎなかった。ぼくの環境が・ほくにゆるしたのは、せい女の父が学校へ来たこと、あれは何かほかの用事だと思われている ぜいその範囲だった。うんと高くつく、純粋の冒険のぜいたくがでにちがいない。少なくとも外面はそう装われた : ・ きる身分ではなかったからだ。・ほくの年齢にしては多分ぼくは節度明日の朝、教室でみんながぼくを見る目を想像すると、それだけ がありすぎたのだ。求心力は強く堅くて就道の外へ出ることができでもぼくはどうしても帰らねばならぬのだった。それから杉子の 目、ああ、どんな目をしていることか。減食、説論。それはとうに なかったのだ。 ・ほくの名誉の一つの型になっている。恐くなどあるものか。 だからこのとき、もう・ほくの取る道は自然に決っていた。単純で ・ほくの無断外泊がただのそれではないと、銃弾の外への、運わる あっけないと自分でも思ったがほかに何も考えられなかったのだか く行けば死の外への、体制の外への脱出と帰還だと知ったら、先生 ら仕方がない。 や施設長、寮の先輩たちはどんな顔をするだろう。越境の事実はむ ( もう一度おやじの家を見て来よう。それから向うへ帰ろう ) 一日半の怠学とそれに附随した諸々の罪、無断外出と外泊、それろん寮の外や学校の外へは秘巒にされる。だから寮でも学校でも公 然と・ほくを罰することはできない。彼らの権限の外でぼくがやった らは級友たちの間に嘆声と讃美の表情を呼び起しているに決ってい ことを、彼らは憎らしく思うたろう。 る。越境したと判らなくても、自分で行方をくらましたらしいこと ・ほくの思考はあちこちにとびはね、ジグザグコースを取った。さ は級の最も鈍い連中の頭をまで刺戟して、ぼくは口から耳へささや し当っては先ず東大崎のあの家へ行かねばならない : き交される英雄になっている筈だ。 ・ほくはきちんと軍票を畳んでポケットに入れると、店を出てロー ( 今井君って、前にも迷子になったことがあるんですって : : : ) タリーの方角へ向って歩き出した。 ( 馬鹿、放浪癖があるって言えよ、あいつ、変ってるンだなあ ) 0 9

3. SFマガジン 1972年3月号

そのころぼくの興をひく男だった。髭の農い熊のような顔。それがしてそこら中にさわろうとした。 ・ほくは声を張りあげた。 に対して思い切って線の細いエレーナ・ゴリウスはソ連の女とは思 「いやだ : : いやだ : : : 」 えない小柄な黒い目の女で、真砂坂上の医療機械店の娘によく似て いた。この二人の髪を切り離した顔だけを組合すと何となく・ほくのそれが宿舎の中にいた連中を、チャールスたちの部屋へ残らず呼 び寄せる結果になってしまった。 両性併合のイメ 1 ジにびったりするものがあったのた : そんなわけで・ほくの感覚が実際には女の子の方にばかり動き、男テー・フルで眠っていた一人が最初に起き上って来て、あばれてい る・ほくをにやにやしながら見おろした。それから、パンツだけのや に対しては具体的に興味がないのを、ぼくは非常に残念に思ってい パジャマのや、外出姿のや色々な下士官たちが二階になっているこ 寮で、街で、校庭で、ぼくはよく年長の少年をじっと眺めて自分の部屋へや 0 て来た。 の中に何か情欲が湧いて来るのを待っていたことがあった。むろん とてもほっそりした天使みたいな青い目と金髪の下士官が来て、 あらゆるいかがわしい想像をしながら。それからがっかりして、も っと大人にな 0 たら、あるいは実際に女を知 0 たら自分にももっと女のような甲高い声で、手伝 0 てやろうとチャールスに言 0 た。 ・ほくはその時、チャールスの体の下敷きになってぐびぐびと押し 可能性が出て来るのではないかと夢想した。その時、言葉でだけ承 つぶされていた。首と片腕だけが出ていたのだが、その天使のよう 知している稚児さんというものは・ほくの中では一つの偶像に近かっ なやさ男は、・ほくの唇にその赤い唇を押しつけた。そして、チャー ルスの熊手のような手がその男の頭をびしゃんとぶった。 : そのくせ、今という時これこそが、それなのだと気づくまで にずい分・ほくは長くかか 0 てしま「た。チャールスのやり方が乱暴すると囲りの者がい 0 せいに笑 0 た。・ほくは下腹部に押しつけら で自己本位た 0 たのが原因か、あるいは・ほくがそれに対して持 0 てれたチャールスの大きなものを感じながら、ようやくこれがあのそ れなのだと理解した。 いたイメージが例によって観念的で感傷的たったせいか、とにかく いじめられるのではなくて、可愛がられているのだ。とても乱暴 ・ほくはその時反射的にチャールスの腕から逃れようとして、彼の向 うずねをひどく蹴とばしてしま 0 たのた。チャールスはわめいて脚なやり方だが・ほくをいためつけるつもりではないのだという事がや っと納得出来てぼくは不意に気が楽になった。 をかかえたが、入口へ逃れようとした・ほくを追いかけて来て、軽々 併し、気が楽になったからと言って、・ほくの肉体的な苦痛はすぐ と抱き上げた。 鬼ご 0 こというのはとても面日い遊戯たが、それに性がからんだに柔らいだわけではなかった。 ら実にこたえられない。チャールスは・ほくを目の高さに差し上げ減混乱した頭の中でぼくはやっと英語の語句を組立てた。 茶減茶にキッスし、自分のべッドへ連れて行った。それから服を脱「重すぎるよ、チャールス」 こ 0 4

4. SFマガジン 1972年3月号

へ合わせみた。半円は彼の耳のまわりにかかり、丸は彼の目をとり散らばっている。点というものは縁以上に信じにくいが、ちゃんと 見えるからには信じるよりしようがない。 まいたがむずむずするほどくつついてはこない。 へり はっきりと見える ! あらゆるものに縁が備わった。指をひろげだが、その中央には、暗闇をぜんぶ合わせたよりも大きな、死人 た彼の両手も、指の上についた血の : : : 塊も。小さい驚嘆の叫びをのように青白い丸があった。そこには、かすかな丸いぶつぶっと、 もらして、彼は部屋の中を見まわした。何十何百という品物ーーーそ明るいまっすぐな刻み目と、すこし濃いめのまだらがついていた。 その明りには電気の線もつながっておらず、燃えているのでもな れがどれ一つをとっても、あのヴァーゴとキャプリコーンの絵のよ うに、はっきりした縁を持っている。刺激が強すぎて、思わず目をさそうたった。しばらくするうち、スパーはふと不気味な考えにお そわれた。あの光は、〈ウインドラッシュ〉のうしろにあるもっと つむってしまった。 せわしない息と身ぶるいがいくらかおさまるのを待って、彼はそ明るいなにかの反射ではなかろうか ? 〈ウインドラッシュ〉のまわりに、こんなに広い場所があるという ろそろと目をあけ、支え綱に留められた品物の見学にとりかかっ た。なにもかもが驚異だった。そのうち半分ぐらいは、なにに使うのは、ものすごく奇妙に思われた。まるで、現実の中にまた現実が ものかもわからない。い つも使いなれているもの、ぼやけた形を見あるみたいだ。 それに、もし〈ウインドラッシュ〉が、想像上の明るい光と、ぶ なれていたものも、新しい外見で彼をびつくりさせた。櫛、。フラ シ、本のページ ( 黒いしるしの無限の行列 ) 、腕時計 ( まるい板のつぶつのある白い丸のあいだに挾まれているとしたら、白い丸の上 に影がうつりそうなものだ。でなければ、〈ウインドラッシュ〉が まわりに書かれた、小さなキャ。フリコーンやヴァーゴや牡牛や魚の 絵。そして、真中から出たいくつかの細い棒ーー速く動くのや、のものすごく小さいかだ。そんな考えは、突拍子もなくて、まともに とりあえない。 ろのろ動くのや、ちっとも動かないのが、十二宮のしるしのどれか いや、突拍子もないといえば、なにもかもがそうじゃないか。狼 を指している ) 。 知らず知らず、彼は死人色に光る壁の前まできていた。新しい勇男、魔女、点、縁、それに気ちがいでなければとても信じないよう 気でそれに向きなおったとき、またもや驚嘆の叫びが唇からもれな、あの遠くの大きな広がり。 さっき、彼がはじめて死人色の青白いものを見たとき、それはま 死人色をした光は、彼の視野の中心を占めてはいるが、ただいちんまるだった。そして、無意識のうちに、休曜日の正午を告げる例 の軋みを聴いたお・ほえがするだが、い まや白い丸は船首側の縁を めんに光っているのではなかった。ビンと張った透明なプライオフ どうやらおそろしく遠いと平らに切りとられて、いびつになっていた。〈ウインドラッシュ〉 イルムに指が触れた。そのむこうに ころらしいと、いまになって気づいたのだがー、・ー見えるのはまったのうしろにある想像上の白熱光が動いているのだろうか、それとも くの暗闇で、そこに数えきれないほどの小さな眩しい光の : : : 点が白い丸が回転しているのだろうか、それとも〈ウインドラッシ = 〉 へり へり

5. SFマガジン 1972年3月号

「じたばたするな ! 鼻で息するんじゃ。そんなに熱くはあるまやった。「もうよかろう。口をあけて」スパーは新しい苦痛をこら えて、その言葉にしたがった。 とにかく、やけどするほどじゃない」 ドックはいままでスパーが噛みしめていたものをひつばりだし、 ス / 冫を ーこよとてもそう思えなかった。だがそのうち度胸がすわっ てきた。少なくとも、ロの中に穴があいて脳が焦けるほど熱くはなそれをキラキラ光るもので包んで、もよりの支え綱ヘクリップでと 。それに、ドックに弱虫と思われたくもない。彼は身動きをやめめた。 「やはり、ちょっと熱すぎたかな」ドックは小さな袋をとりだし、 た。何回かのまばたきののち、いちめんの滲みだったものが、ドッ クの顔と、死人色の明りの前で影絵になっているごたごたした斑点その先をスパーの唇にあてがって、袋をしぼった。霧がス。 ( ーのロ とに分離した。笑おうとしたが、考えられないほど唇の筋肉が横に中にひろがり、痛みがすっかり消えた。 ドックはその袋をスパーのポケットに押しこんだ。「もしもまた 伸びきっている。それも痛い。だが、熱さのほうはいくらか和らい 痛くなったら、これをお使い」 ・こようだ 0 ス。ハーが礼を言いかけたとき、ドックは彼の目に一本の筒をあて ドックはそれを見てニャニヤした。「この老い・ほれに、本で読ん 「ごらん。スパー なにが見える ? 」 だことしかない技術を使わせるから、こんなことになる。まあ、そがった。 ス。ハーは思わず叫びをもらし、ばっと目をひきはなした。 の埋め合わせに、支え綱でも噛みきれるぐらい鋭い歯を、あげるこ 「どうしたんだね、ス。ハ とにしよう。キム、すまんがそのカ・ハンからどいてくれんかね」 猫の黒い滲みが、その身の丈の倍はありそうな黒いもやもやから「ドック、いまのは夢だよね ? 」スパーはかすれ声できいた。「こ 押し離れた。ス。 ( ーはキムを叱りつけようと鼻を鳴らし、手をむやのことはだれにもしゃべらないでくれるだろ、ねえドック ? それ に、くすぐったいや」 みに振った。大きいほうのもやもやは、ドックのれいの小さなカ・ハ ドックが勢いこんでたずねた。 ンに似た形だが、それを百個合わせたほどの大きさがある。中味も「その夢はどんなだった ? 」 ずいぶん詰まっているらしい。なぜなら、キムが押したカの反作用「ただの絵だよ、ドック。魚の尻尾を生やした山羊の絵。おまけ で、カ・ ( ンのクリップ止めされた支え綱が大きくたわみ、まっすぐに、その魚には : : : 」彼の心は言葉を手さぐりした。「 : ・ : ・鱗があ に戻るのにかなり暇がかかったからだ。 なにもかも : : : 縁があった ! ドック、あれが、みんなの ー」と言う、はっきり見るってことかい ? 」 「あのカ・ハンには、わしの宝物がはいっとるんじゃよ、スパ ドックは説明した。スパーが質問の代りに眉を二度吊りあげてみせ「もちろんだとも、スパー よかったな。脳にも網膜にも異常はな 。これなら、双眼鏡を作るのも簡単だそーーわしの持っとる骨董 ると、ドックは答えた。「いや、コインや金や宝石とはちがう。第 品にどこも故障がなければな。それだから、きみは夢の中では輪郭 二超限の無限の宝・ーー千の〈ウインドラッシ = 〉の乗りて全部にい なるほど。しかし、なぜ、 きわたるだけの、眠りと夢と悪夢じゃ」ドックは自分の手首に目をのはっきりしたものを見たんじゃな へり 幻 3

6. SFマガジン 1972年3月号

法でかなえることは、できるにはできるが : : : 」 ドックは、人生のて、みんないい 目をしてるけど、ちっとも不幸そうじゃない」 惨めさと、あらゆる努力のむなしさを感しさせるような調子で、言「秘密を教えようかね、ス。 ( ー。キー パーもクラウンも、あの女ど 葉をとぎらせた。 もも、みんなゾンビーなんじゃ。そう、あの狡猾で力強いクラウン 「大昔ときた・せ」泡ん・ほのひとりが、隣の仲間にむかって、ロのすにしてもおなじこと。連中にとっては、〈ウインドラッシュ〉が宇 宙なんじゃ」 みから囁いた。「魔法の話だ」 「魔法、どあほう ! 」第二の泡ん・ほが、おなじく口のすみから答え「すると、ほんとはそうじゃないのかい ? 」 ドックは彼の質問を無視してつづけた。「だが、きみはああはな た。「あの肉の修繕屋は、齢でおッムが・ほけてるのさ。睡曜日たけ らんよ、スパ 。きみはもっと多くのことを知ろうとするにちがい じゃなく、ほかの三日も夢を見てやがる」 ない。それが、きみをいまよりももっと不幸にする」 第三の泡んぼは、凶眼にむかって風に似たロ笛を吹いた。 「かまうもんか」とスパーはいった。なじるようにくりかえした。 「ドック、 スパーはドックの黒ジャンパ ーの長い袖をつかんだ。 「ドック、約東したじゃないか」 約東したじゃよ、 オしか。おれははっきり見たいんだ ! 強く噛みたい ドックが眉を寄せて考えこむのといっしょに、灰色の目の滲みが んだ ! 」 消えた。ややあって、ドックはいっこ。 「こうしてはどうかね、ス ドックは皺だらけの手を気のどくそうにスパー の腕に置いた。 「スパ ー」とやさしくいった。「物をはっきり見ることは、きみをパー。月の露が、うさばらしと楽しさだけでなく、痛みや苦しみを ひどく不幸にするだけじゃよ。わしを信じたまえ。わしは知っておもたらすことは、知っとるだろう ? だが、かりにだよ、勤曜日の る。ちょうど、泡や露で心を・ほやけさせるのがいちばん楽しいよう朝と休曜日の昼ごとに、わしがきみのところへ、月の露のいい効き に、物事がばやけておったほうが人生は耐えやすい。それに、もつめを・せんぶ備え、わるい効きめのまったくないような、小さい錠剤 と強く噛みたいと願う連中は、この〈ウインドラッシュ〉におるにを届けてあげるとしたら ? そのクスリは、このカ・ハンの中にあ はおるが、きみはああいうたぐいじゃない。すまんが、スリー・スるいますぐ試してみないかね ? それから睡曜日の夜には、また ターをもう一杯」 別の錠剤を持ってきてあげる。これは、悪い夢など見ずにぐっすり 「ドック、おれはけさから月の露をやめたんだよ」スパーは新しい眠れるクスリじゃ。目や歯よりはずっといいよ。まあ、よく考えて 袋をドックに手渡しながら、いくらか誇らしげにいった。 ごらん」 ドックは侘しい微笑で応じた。「勤曜日の朝ごとに禁酒する人間 スパーがよく考えているあいだに、キムがふわふわ近づいた。猫 は、珍しくないよ。遊曜日がくると、気が変わる」 は間隔のせまった二つの緑の滲みて : ドックをじっと見つめた。 「おれはちがう ! それにね、ドック」とスパ 1 は反論した。「キ「ハジメマシテセンセ。ボクキム。ョロシク」 ドックは答えた。 ーパーも、クラウンもクラウンの女たちも、それにスージーだっ 「いや、こちらこそよろしく。ネズミがいつも 205

7. SFマガジン 1972年3月号

たんじゃないのよ、誓うわ。あなたの失くしたあの小さなカ・ハンを 焦茶色の片腕がリクサンドに巻きついた。あとの片手は彼女のロ こんなつもりしゃなかった 取りにきたのよ。そしたら、つい から袋をとりあけた。栓をカチッと閉じる音がきこえた。 ーにすすめられて。あたし のんびりした、音楽的な声がたずねた。「・ヘイビー、きみがひとわ。抵抗しようとしたんだけど、斗 りで酒をのむと、なにが起こるんだったかな ? 」 。、ーは片手をう「だまれ」クラウンは静かにいった。「おまえにどうやって代金が 〈こうもりの巣〉はシーンと静まりかえった。キーノ しろに回したまま、穴の反対側へ後退していった。スパーは、月の払えたか、ふしぎに思ったんだ。これでわかったそ。三杯目のダブ ルはどうやって払うつもりだった ? 手か足を一本切るつもりか ? 露と月の泡のかごの後ろにある拾得物入れの中をごそごそ探してい : おまえのそっちの手を見せてみろ。見せろというん るところだった。彼は恐怖の汗が。フップッ噴き出るのを感じた。スキーパー だ。よし。さあ、手をひらけ」 ージーも、黒の袋を顔のそばへ寄せたままだった。 クラウンは、キー ーの開いた手のもやもやの中から、ペンダン 泡ん・ほのひとりが激しく咳きこみ、のどをぜい・せい鳴らしたあげ ーに向け トをつまみとった。黄褐色の目の滲みをまだじっとキー く、卑屈にいっこ。 たまま、彼はその貴重なテンプラを前後に揺すり、ひょいと上のほ 「どうも失礼しました、検死官。ようこそお越しで」 うへ投げた。 クラウ ーも・元気なく声を合わせた。 金色の暈が開いた青のハッチへむかって一定のス。ヒードで動いて 。、ーはロをばくばくさせ、堰を切ったようにし いくのを見て、キー′ クラウンはリクサンドの遠いほうの肩からクラッチコートを脱が ゃべりだした。 せ、素肌をさすりはじめた。「どうした、ハ それに死体みたいにコチコチだ。なにがこわいんだね ? おい、皮「あたしやすすめたりしませんよ、クラウン。ほんとでさ。耳を怪 膚よ、すべすべしろ。筋肉よ、ほぐれろ。リラックスしろ、リック我してまではずすとは思ってなかったんで。とめようとしたんだけ ス。そしたら一杯くれてやるぜ」 クラウンの手はスポンジを見つけ、止まり、さぐり、濡れた部分「聞きたくない。さっきのダブルはわれわれのツケにしろ」クラウ を探しあて、顔の真中へと動いた。彼はくんくんとスポンジを嗅いンはキーパーの顔から目を離さずに、手を上にのばし、まさに到達 範囲外へ出る寸前のペンダントをつまみとった。 「ほほう、諸君。すくなくともきみらの中には吸血鬼はおらんよう「陽気な酒場が、どうしてこう湿っぽいんだ ? 」長い片脚を腕とお なじほど巧みにカウンターからのばすと、クラウンは足の親指とほ だな」と彼はにこやかにいった。「でなければ、いまごろはだれか が彼女の耳に吸いついているはずだ」 かの指とのあいだでスパーの耳をはさみ、彼をひきよせて、向きな引 リクサン・ドが、おそろしく早ロの単調な声でいった。。「飲みにきおらせた。「坊や、塩の効きめはどうだ ? ちったあ歯ぐきが締ま 「いらっしゃい ニー。鳥肌だらけだそ。

8. SFマガジン 1972年3月号

を、二度もよけねばならなかった。ひどく小さな唸りしか立てないキムの大けさな物言いに慣れてきていたし、どのみち警告はほとん ので、通りすぎる前の微風の強まりと、通りすぎたあとのかすかなど不必要だ 0 た。たったいま、半ダースほどの裸体がふわふわ浮か 0 2 引きで、見当をつけるよりしかたがない。 んでいるのを目にとめて、当惑からも前進を止めたところなのだ。 この距離たと、ス パーの目では、耳はおろか性器も見分けられな まもなく、土と青物の匂いが漂ってきた。そっと身ぶるいしなが 。しかし、頭髪を別にすると、どの体もおなじような肌目だっ ら、彼は黒く丸いもののわきを通った。第三船倉の大消化管に通じ る、伸縮性のカーテン・ドアだ。だれにも行きあわない いくらた。一人は焦茶色、そして残りの五人ーーそれとも四人かな、い や、五人だーーは白。肌の色のいちばん白い、プラチナ色と金色の 休曜日にしても、淋しすぎる。ようやく、アポロの園の緑が見え、 そのむこうに大きな黒いスクリーンが見えた。スクリーンの中に髪の毛をした二人は、見お・ほえがなかった。どっちがクラウンの新 しい愛人のアルモディーなのだろう ? とにかく、どの体も触れあ は、船尾寄りに、小さな煙ったようなオレンジ色の丸がうかんでい る。それを見ると、スパーはいつも名状しがたい悲しみと恐れを感っていないことに、彼はほっとした。 じるのだった。彼はその陰気な丸が、とくに〈ウインドラッシ = 〉 金髪の娘のそばには、金属の輝きが見える。そこからあとの五人 の右舷の端で、どれだけたくさんの黒いスクリーンの中にうかんでの顔へと伸びた、細長い五叉のチ = ー・フの赤いもやもやが、やっと いるのだろうか、と考えた。これまでも、いくつかのスクリーンののことで見わけられた。いくら・ハーテンに女の子を使うにしろ、ク 中で、おなじものを見たことがある。 ラウンが自分の豪華な穴の中で、あんな下品なやりかたで月の泡を アポロの園に近づくにつれて、揺れている緑の若芽や、うかんでみんなに振舞うのは、どう考えてもふしぎだ。もっとも、あのチュ ー・フにはいっているのは月の露かもしれない。 いる農夫のシルエットが見えてきた。通路は直角に下へ折れまがっ た。両手を交互に二十回ほどセンターラインをたぐると、開いたハ それとも、クラウンは〈こうもりの巣〉の向こうを張って、酒場 ッチが前に迫ってきた。距離の心おぼえと、麝香のような強い香水を開くつもりだろうか ? それには時期もわるいし、場所も最低だ なーースパーはオレンジ色の・ハッグをどうしたものかと、迷いはし の匂いとが、クラウンの〈穴〉への入口であることを彼に教えた。 中をのそく。大きな球形の部屋。黒と銀の溶けあったらせん。ハッめた。 チの反対側には、そこにもまた大きな黒いスクリーンがあり、焦茶「カエロウ ! 」キムがさっきよりもいっそう低い声でうながした。 色に赤いまだらのある丸いものが、やはり中心からはずれて浮かん スパーの指は、ハッチのそばにあるクリップを見つけた。カチッ でいる。 という音をできるたけ殺して、彼は・ハッグの引き紐をクリップに挾 み、いまきた方角へひきかえした。 スハーのあごの下で、キムが低い、だが切迫した声でいった。 「トマレー シ、シジ = カニ ! キケン ! 」猫はだぶだぶ服の衿か クラウンの だが、いくら小さな音でも、その反応はあった ら首を出していた。猫の耳がスパーののどをくすぐった。スパーは〈穴〉から、おそろしく陰にこもった、長い唸り声が聞こえてきた

9. SFマガジン 1972年3月号

は、健康な輝きから死人のような青白さに変わってきた。遠いかすれがしまっといたよ」 かな轟音。それから数秒おいて始まる短い漸強音の軋み。新しい明「いやはや、なんてこ 0 た。この調子だと、ジャンパーでも一度脱 8 いだら忘れそうだな」ドックは、スパーが唇に指をあてるのを見て りの色がス。ハーを不安にした。彼はそれから二度ハカリ売りの客に 給仕し、月の露の一袋をパーサー値段の倍で売った。おつまみを食声をひそめた。「じゃ、わしはまた月の泡と月の露をチャンポンに べようとしかけたとき、キムが泳ぎながらはいってきて、誇らしげやったのかい ? 」 に捕ったネズミを見せた。彼は吐き気をようやくこらえたが、同時「そう。だけど、あんたが忘れたわけじゃないよ、ドック。クラウ に禁断症状の襲来が気になりはじめていた。 ンか、クラウンとこの女のだれかが、あんたのそばに置いてあった 陰気な黒服をまとった太鼓腹の人影が、緑の ( ッチから段索を使これを盗んだらしい。それをまたおれが : : : おれがね、ドック、ク ってはいってきた。カウンターの上の側に、ひょいと顔が現われラウンの尻ポケットからそーっと抜いてやった。ほんと。で、け る。なめし革色をした皮膚がすっかり隠れそうな白い髪の毛とひげさ、クラウンとリクサンドがこれをとりにきたときにも、シラを切 っといたんだ」 のもやもや。だが、その白さで灰色の目の滲みが際立って見える。 、きみはわしに多大の恩をほどこしてくれたよ。きみが考 「ドック ! 」スパーはそれまでの惨めさと不安をどこかへ忘れたよ「スパー 丿ー・スターをもらえん うに、さっそくスリー・ スターの月の泡のよく冷えた袋をさしだしえておる以上にだ。すまんが、もう一杯スー このお礼にな た。だが、そんな興奮の中でも、ごく平凡なあいさっしか思いつけかね。ああ、げにこれこそはネクターじゃ。スパー 、ドック。吸血鬼やらーー」んなりと欲しいものをねだっておくれ。もしそれが、第一超限の無 ない。「ひどい睡曜日の晩だったねえ 「ーー・その他もろもろの愚かしい迷信かね。サンスごとに力を増し限領域の中にあるものなら、よろこんでさしあげよう」 自分でも驚いたことに、スパーはぶるぶる震えはじめたーー興奮 て、衰えを知らぬあれか」温和で皮肉な老人の声が、あとをひきと の身ぶるいである。カウンターのほうへなかば体をひきよせると、 った。「とはいうものの、きみからせつかくの幻を奪っては・わるい 、目をおくれよ、ドック ! 」衝動的 な、スパ ー。たとえそれが恐ろしい幻であったとしてもな。いまのかすれ声で囁いた。「おれにいし につけたした。「それと歯も ! 」 きみには、人生の楽しみがあまりにも乏しいのじやから。それに、 〈ウインドラ , シこの中に邪悪がうごめいておることも、これま彼には長い長い時間ののち、ドックが夢見るような、悲しげな声 でいった。「大昔なら、それもわけないことだったろうに。連中は た確かじゃ。ああ、こいつは扁桃腺にズンとこたえよるわい」 スパーはやっとだいじなことを思い出した。だぶだぶ服の中へ手目の移植法を完成しておった。脳神経の再生はおろか、損われた脳 を入れると、彼は下にいる泡んぼたちには見えないように、平たくに視力を回復することにすら成功してお 0 た。死産児からとった歯 芽を移植することなど、インターンの仕事じゃった。しかし、いま 細長い小さな黒カ・ハンをとりだした。 いや、きみの希望したことを、不快な、古臭い、無機的な方 「この前の遊曜日のなくし物。おは : 「ほら、ドック」と彼は囁いた。

10. SFマガジン 1972年3月号

「どうしたらいいの。あいつのことが一日中頭にこびりついてはな れないのよう : : : 恐ろしくて気が狂いそう。あたしをどこかにつれ 6 て逃げて、犬養君、おねがい」 由紀への強い憐愍がわき、それを圧倒する強烈な衝動がっきあげ た。腕の中に慄える少女の熱い体温と感触とむれるような体臭が、 学校は、その後どうなの、大養君 ? 」 目のくらむ感覚を呼びさましたのだ。 と、牧村由紀がいった。 「あいかわらずさ」 欲望は、槍の穂先のように、鋭く硬く凝集した。おれは歯をくい しばり、身をこわばらせて、襲いかかる巨波のような衝動に耐えよ おれには、ほかに答えようがなかった。 うとした。 「もうじき、学校へ出られるんだろう ? 」 由紀はその後、経過もよく、松葉杖を突いて病室内を歩きまわれ私立採偵を襲った災厄が頭の片隅に閃かなければ、おれは理性の すべてを押し流されてしまっていただろう、おれは由紀の柔軟な身 るほどに回復していた。 体を貪りたい欲望に猛り狂っていた。 「あたし、もう学校へ行かない : 赤原は、このどうにもならない衝動にやられたのだ。 暗く思いつめた表情だった。 「転校するつもり。考えれば考えるほど恐ろしくなって、もう二度おれは呼吸を荒ませて、由紀の身体をベッドにおろした。身をか がめて、床の松葉杖を拾いあげた。 と行きたくないわ。あいつがいるかぎり」 ゆかた 由紀は茫然としていた。瞳の焦点が合っていない浴衣の裾前が割 「校長先生まで殺されて : : : ねえ、大養君。この先、学校はどうなれて、太腿が剥きだしになっているのにも気づかないようだった。 るのあたしこわいのよ。いても立ってもいられないわ ! きっ鑞色した腿の膚の白さが、ふたたびおれにめまいの感覚をもたらし こ 0 とみんな、あいつに殺されるわ ! 」 由紀はがらりと松葉杖を落として、やにわにおれにしがみついて 「心配するなよ。そのうちに、なにもかもうまく行くようになる きた。 おれはひどいしやがれ声でいった。なんの確信もなかったのだが 「大養君、あなたも学校やめて ! きっとあいつに殺されてしま う。あいつの目のとどかないところへ逃けましよう、ねえ犬養君っ てば ! 」 歯がガチガチ触れあって音をたてた。怯えきった少女の身体の慄 えがじかに伝わってきた。 た。 さ」 7 7 3