自分 - みる会図書館


検索対象: SFマガジン 1972年3月号
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1. SFマガジン 1972年3月号

ていたにしろ、今日はもうこれ以上何も要らない。きっとこの外国想像していた。想像は裏切られるためにあるものだということを両 人は異国にいる寂しさから独りぼっちらしい空腹の男の子に親切に親以上に彼によく教えた人はないことにこれでなるだろう。 したくなっ、たのだろう。ドルはとても相場がいいという話だから、 彼が逃け出したので、両視は自分たちの息子のことを、自分たち きっと金は余っているのだろう。 の家をうかがっていた小泥棒だと思った。 親切にしたがっている者には、親切をさせてやるのが、何よりの彼は、自分の両親は、自分が訪ねて行ったら、多分迷惑するだろ 親切だ。・ほくはいつもの考えに戻ろうと努力した。こういう裏返しうと思った。もうすっかり他人になってしまっている少年を今更ど で観念的な親切や恩恵を考えっかなかったら、・ほくのようなものはうするか。それでなくても、北地区へ長男を捜索するための手をの 優越感を持っ場がなくて口惜しさに気が狂ってしまうだろう。ありばすだけの才覚もない人たち。だが、彼が逃げ出したのはそんな思 いやりからではなかった。思いやりなどというものはもともと自己 がたいことにこの皮肉なとても大人っ。ほい気持を・ほくは知ってい る。いいとも、きみ、どこへでも連れてっておくれ。きみはとても満足のためにあるものだという事を彼は知っていた。彼が逃げ出し たのは両親を軽蔑するためだった。これもちょっとした事件だ、と 大きい、立派な大人だよ、ぼくのことをかわいそうな子供だと思っ 彼は思った。クラスのやつらなんかには絶対わからない複雑な心理 て面倒みると、とくするよ。 状態だ。いくら説明してやっても : : : そう考えることによって彼 兵隊の腕につかまって歩きながら、ばくは半分眠りかけていた。 「眠いのかね ? 」 顔が急にかっかっとほてり、反対に足先は冷たかった。同じ東京の と米兵は言った。とても情愛のこもった声だった。きっとアラ・ハ 街の中だのにと・ほくは無理に自分に納得させようとした。気候まで マか、テキサスかそんな所の田舎にこの男はぼくぐらいの弟を残し ちがうみたいに感ずるな。雰囲気に酔うんじゃない。 混乱してしまった自分をたて直して、正しく情況を理解するためて来たのかもしれぬ。ぼくはちょっと目を覚ましかけた。さっき・ほ くの両親と共にいたあの子たち、あのいがぐり頭の男の子は、事情 には、自分に対して第三者になることだ、という言葉を・ほくは思い が判ればばくを兄さんと呼ぶだろうか。あの女の子。あいつはきっ 出そうとして懸命になった。誰の言葉だったかしら ? スビノザ ? とこまちゃくれて憎らしい口をきくんだ。でも、あの声、フュコ : それともルカーチ ? : 芙由子。いやだ ? あいつらが・ほくを呼びもしないのに、ぼくの ( 彼はアメリカ地区へ行って、父母の家を探しあてたのだった ) と・ほくは三人称で自分のことを考え始めた、眠か 0 た。 ( 彼の父方でどうしてあそこへ行く必要があるんだ。あんなところにあいっ は五十歳ぐらいで、髪はかなりうすくなりかか 0 ていた。ひどい家らは住んでいた。それだけ判ればもう用はない。何の用もないん に住んでいた。妻と、少なくとも二人以上の子供があ 0 た。彼は少だ。 年らしく自分の両親を何となく力強いどこか魅力的な人間だろうと「おれの・〈ッドで寝よう」 0 8

2. SFマガジン 1972年3月号

があった。なぜそんなことになっているのか理解して、ぼくは恥かれこそ、ぼくの求めたものだったのに、実際に手にふれたのは、ま るで目も鼻もない軟体動物みたいなものだ。いつだってこうだ、き しさにとび上った。緑色の・ハスタオルで一生懸命に体中をこすり、 っとこれからもずっとそうだ。・ほくはこのとき、人生を怨んでい その辺をかき廻して服を着た。 こ。まくにこんな感覚を与えた生の摂理を、みじめさと陶酔とこね ばらばらになった手や足をかき集め何とか組立ててもとの自分にナを 0 0- 」 0 、 ュ / 、刀 合せるなどということを平気でやった残酷な自然の力を するまでには、そう長くかからなかった。・ほくは充分に眠ったのだ った。柱の上の時計は三時半たった。天使と猫が・ほくを解放したのもっといやなことがまたそのとき、・ほくには残されていたのだっ は明方たったとして、十時間以上は寝た勘定になる。 部屋の中には誰もいなかった。窓もドアも開け放しで、階下で何急いで部屋から出ようとして、何気なくズボンのポケットを探る かモーターの唸る音がした。洗濯機か掃除機かそんな種類の音だっと、堅い小さい角ばったものが手に触れ、引出してみると、それが 札だったのた。 ひろげて、五ドルの軍票二枚だと知ったとき、・ほくの顔が火のよ やっと組立てた自分の体の中から、その振動音にあわせて空気が うになったのは、それを床に叩きつけようとしたくせに直ぐにそう 抜けているのに・ほくは気付いた。これが南地区なのか、これがぼく できなかったからだった。 の求めていた一夜だったのか。 ・ほくはこの瞬間完全に一個の品物だった。十ドルと書いた札を首 少なくとも・ほく自身からは、誰ももはやこれ以上には奪えないだ ろうと思っていたのに、端っこどころか真中をあいつらは堂々と盗につけられ、泥棒市に立たされているように感じた。本郷の赤軍の ・フローシチャチ 広場では時々泥棒市が立ったが、それは警官の来ない間たけ短い み取って行ったのだった。 ひそかに根づよく憧憬の対象としていたもの。いくたびか夢想し時間立つので、いつでも解散できるように箱車の上に品物がならペ ていたもの、それをあんなふうにむしり取って行ってしまったのだられ、上へかけるシートも畳まないであ「た。そこに先週売りに出 った。チャールス ! 天使 ! 猫 ! あいつらは満足したのだろうていたダックスフンドの仔を・ほくはこのとき思い出していた。あの 、。・ほくの恥辱と苦痛を充分に食べたのだろうか、そしていまはど妙な恰好の兎狩りの犬の首についていた十ループルと記した札。あ の恰好がそのままの・ほくだ。そんなものを思い出している・ほくを、 こかの射撃場か練兵場で男らしく勤務しているのだろうか ? ・ほくは更に恥じた。 まくはコノく 、ノーティ・フルなのだ、杉子とも寝たし、天使と猫の間 恥すべきは札をつけた方であって、札をつけられた方ではない。 でも陶酔を味わえた、そう思って自らを何とか慰めようとしたがだ めだった。体によみがえって来た明方の感覚が、自分の嘆声が、そそれが判っているのに、何故あの犬のことなど思い出すのだ。 ぼくは軍票を握りしめ、地だんだ踏んだ。涙を流した。それでも っとするような悪寒に似たものに変形されていたのだった。 初めての経験というのは、そのまま一つの新しい世界であり、そどうにも気分がおさまらなかったので、軍票を丸めて何度も床へ叩

3. SFマガジン 1972年3月号

しまったのだ。その貧しい家、疲れた男主人、何かを疑って、これ ( フュコ : 以上の不幸が来るのではないかといつもおびえている顔を、こちら呼び声がしたと思ったのは、店の主人が・ほくに向って何か言った 7 が息子だとは知らせずに見たのだった。 のだった。 「何だ、あいっ : 「お金は ? 」 と尋いたのだ。初めから・ほくのようすをあやしいと思っていたに ・ほくは自分を追って来た父の声をきいた。 : いまちがいない 「フュコ、フュコ、フラッシュを持って来い。変なやつが : 身をひるがえそうとしたが一足おそかった。しつかりと肘を招ま れた。店の主人は背は・ほくくらいしか無かったが、横幅は倍くらい 女の声と、子供の叫び声がちょっと聞えた。 ぼくはふり返って、子供たちと一緒にいる小柄な女の影を見たあった。 が、ひき返す気持には全くなれなかった。いっさんに坂をかけ降り「困りますよ」 店にいたほかの客に気がねして、小さいおだやかな声で言ってい た。動悸がした。自分が何のために、どこへ向って走っているのか 考えようとしたがそれが判らなかった。通りへ出ると通行人にあやるようだったが、目が怒りに燃えていた。店の奥へえらいカでひっ しまれないために走るのを止めた。しかし頭の中ではまだ・ほくは走ばって行った。 「この間のやつだな」 っていた。 と一一 = ロった。 「小僧、今度こそ逃がさないそ」 自分の手やロやのどが自分のものになり、胃袋のある位置をそこ と感じたのは、どこかの四つ角まで出て冷たい牛乳を飲みかけた時・ほくはやっとのことで手をふり放した。しかしすぐまた同じとこ だった。目の前に牛乳びんがあり、白いミルクが中をみたし、瓶がろを擱まれた。 ・ほくと主人は揉み合った。ぼくは椅子とケースの間に倒れた。主 よく冷えて汗をかいているのを見た途端に・ほくはそれを鷲づかみに 人は他に客がいるのをいっとき忘れたのだった。何セントかのミル していたのだ。 ク一本のために、何ドルもの客を失う、そんなことだってあるかも 店の男が何か言った。誰かの為に紙キャツ。フを取って差出したのしれないのに。 を、ぼくが横合いから取って飲んだのだった。らつば飲みする自分むろんぼくは主人が何を忘れたか、何を覚えていたか考える余裕 の顔の上で瓶の中身がなくなりかけた時に、・ほくは自分がパン屋のはなかった。ただ、何となくその時目の前に差し出された黄金色の 店先にいるのに気づいた。金を全く持っていないのを思い出したの毛の生えたとても太い腕にすがりついていた。 「ヘイ ! ポイ」 は、空になった瓶を冷蔵ケースの上に置いてからだった。

4. SFマガジン 1972年3月号

「あっちでな、山手線の向うがわの半分へ乗ったンさ」 何しろ、そこではお茶の水川にかかった路線ーー・秋葉原駅から二 ぼくは級友に吹聴している自分を心に思いえがいた 本に分れ出て、神田駅へ向う線とお茶の水駅へ向う線、それと地下 9 「五反田から東京駅を通ってな、神田の終点まで六十セントだった鉄丸の内線、都合三本の高架線が爆破されており、米地区側の切断 面はコンクリートできちんと補修されているのに、こちら側は、 「米車の行った残虐性を市民の目にいつまでも記憶させるため」と 山手線のことを還状線と呼ぶ人は今でも北地区にいたが、しかし称して、アメのように曲ったレールを砕けた鉄橋の部分がそのまま ひじりばし 実際はそれは新宿駅を起点とし秋葉原駅を終点とする線路にすぎな残されていた。聖橋の坂の上に立ってその辺を見まわすと、東京と いう街が、そしてまた日本と呼ばれている国が、どんなふうに引き ぼくは新宿駅へは一度しか行ったことがない。中学一年生の裂かれたか、幼稚園の子供にもわかるという仕組みなのだ。それも 初め、社会科の先生に引率されて、米ソの共同管理になっているそすべて米帝資本主義のーーという形容詞つきで。 五反田駅で東京方面行きの電車へ乗ったとき、ぼくは、自由 の大きな駅を見学に行ったのだ。駅近くの高層建築は屋上に上るの プローシチャチ を禁止されているので、ぼくらは東ロの広場へ並んで、群衆が出になる金を自由に使い、何の目的もなくただ電車へ乗るというその 入りする駅の建物を前に説明を受けたが、・ ほくは先生の言葉など耳ことに有頂天になりそうな自分を押えつけて、南と北との間に何か に入れず、駅の向う側ーーー米車占領地区に上ったたくさんのアドバ ちがいがあるのを探さねばならぬと懸命になった。 ルーンの広告文字を読んでいた。 電車や駅そのものが北地区と少しも変っていず、プラットホーム 「お買物はたのしいパートで ! 」 の駅名の下にロシア文字の代りにアメリカ式のローマ字が並んでい るくらいの相違なのにまず失望したが、すぐにまた・ほくは、「大体、 「春のヤングセールで、あなたの夢を ! 」 それらは向う側の民衆のための宣伝であるよりは、北地区に対すアメリカだってソ連だって、よその国を占領して通貨まで勝手に変 デモンストレーション る資本主義の示威なのだと先生は言ったが、しかし本郷辺の えちゃうんだもの、違ったところなんか、あるわけないよ」と考え 小さいショオウインドの中にもそんな文句は書いてあったし、先生直した。車内は空いていたが、・ ほくは座にかけないでドアの前に のいうことは結局北地区文部省の指示通りで、本当のことは半分も立ち、ガラスに顔を押しつけて外を見た。 言葉になっていないことを、ぼくも級友の大多数もよく知ってい 傾きかけた夏の日の下に、建物と道と広告と車と人波が作り出 とにかく、ぼくらが見たかぎりでは、それは非常に大きなす、熱い広大な風景があった。・ほくはそれでもなお、目をこらして 駅たという以外に興味をひく点はなかった。少なくとも、そこには北地区とは違う何かを探した。それを探し出さなくては、何として ほくがよく仲間と遊びに行く秋葉原駅附近にみるような南と北のはも面目がたたぬ気がした。そのうちだんだんいらいらして来て、ど げしい断絶の現象は表面立っていなかった。 の駅でか降りて、雑踏の中へ入りこみ、そこで何かを探そうかとさ

5. SFマガジン 1972年3月号

、 3 なを彡 / ・ : すをンい、 : ) 3. 二の 拿 : 覊、イツツ終 「こわい ! 」 由紀はぶるっと寝巻の肩を慄わせた。顔がそそけだち、蒼白にな っていた。 「ほんとに、あいつのせいなのかしら ? でも、どうしてそんなこ とが、あいつにできるの ? 」 「そんなことわかるもんか。だけど、もう三輪の悪口はやめといた : 三輪には、だれが自分の悪口をいってるか、ちゃん あだ とわかるのかもしれない。あいつ、どこかで聴いていて、仇をする のかも : : : 」 「いや、やめて ! そんなこわいこといわないで ! 」 由紀の悲鳴混りの声音には、しんそこからの恐怖がこもってい - おれは自分の言葉に愕然としていた。自分のロが勝手に言葉をつ 、むいで吐きだしていたのだ。 おれと由紀は、血の色を失ってザラザラ鳥膚だった顔を見合わせ ていた。 グ : それにしても、事故の多発ぶりはあまりにも異常だった。 不祥事頻発にたまりかねた校長が、土曜日の朝礼で、校紀引締め の訓辞を述べたほどだ。 「本校では最近、不幸な出来事が相次いで起きております」 壇上に立った校長は述べた。 「優勝候補の筆頭に挙けられていた本校女子・ハレー部も、ついに不 参加のやむなきにいたりました。これまた、主力選手の大半に負傷 こ 0

6. SFマガジン 1972年3月号

隙間を埋めていた。夜になれば沢山の人間がそこへ向って越境してしばらく周囲をうかがってから袋をほどいて服をひつばり出した。 行くと言うのに、五月の夕暮の光の中では忘れられた場所のように 崖に沿って瓦礫の中を聖橋の方角へ・ほくは進んだ。崩れた駅の・フ 7 見えた。崖の上から下水の水が白く細く光っていく筋が落ちているリッジの陰へ早くかくれたかったのだが、行ってみると思いがけな 、だけだ。 くそこには上に登る殆ど垂直な深い足がかりができていた。鎖すら タ闇が完全に水面に落ちた時、ぼくは服をすっかり脱いでビニー脇に垂れていた。これが自由圏の自信だろうか。引換え無しの自由 ル袋に詰め込み、ロをゴム輪できつくしばった。その袋が・ほくのあというものを・ほくは信じなかったが、それでもこれは有難かった。 よじのぼった目の前で不意に自分の顔に直角に露地があり、そこを てのない越境のためのたった一つの準備として幾日か前からポケッ トの中に忘れられてあったのだ。橋の上から水面に投げられるライ抜けた向うに明るい通りがあるのを知ったとき、・ほくは拍手抜けし たような気がした。徹夜で暗記したむずかしい箇所が一つも出ない トの光と光の間が、かえって深い闇になるのを狙って、・ほくは黒い 水の中に足から入った。ビニール袋を腋の下に入れ、息を詰めて一で、思いがけなく易しい問題ばかり出たテストのようだった。 気に深く潜った。死と隣り合せになったせいだろうか、その瞬間・ほ そこでは明るい灯の下へ出るのがとても恐かった。向う側にいた くの頭の中をいろいろのことがごった返しに通りすぎた。。フールで 潜水する時のように上から透けて見えはせぬかという恐れ。自分の時はそんな事を決して思わなかったのに、目的地に来て見ると街の 潜水の力量に対する自信。 ( ぼくは昨年の夏以来、学校のプールで灯が・ほくに激しい敵意を持っているような気がした。向う側からち は潜る練習ばかりしていて先生によく叱られた ) ふいに祖父の死らと見てさえ巨大に見える黒人兵が、街の中にいつばいいて銃口を 顔。ふしぎにはっきりと杉子の幼な顔の涙 ( 見た筈はないのに ) そこちらへ向けるような気さえした。ぼくはこちら側へ着くや否や失 うものをたくさを持った人間になっていたのだ。 れから、会ったことのないぼくの父母の顔。 多分会えるだろう父母、見られるだろう皇居や東京タワーや横浜 銃声は水の中では激しく重く体にこたえて聞えるものであった。 誰が撃たれたのか ? 数発が聞えて止んでから、・ほくは水面を走るの港。クラスの者が誰も実際には知らないふしぎの国。それを奪わ 白い光のすぐ後に浮び上った。それから一分後に、・ほくは三時間も睨れてはならないと無意識に身講えていた。 めつこしていた対岸の崖くずれの割目に這い込んだのだ。水垢でぬ ・ほくは用心深く露地の口からのそいた。施設の脇の通りそっくり める足許をぼくは踏みしめた。下水の水の音が聞えるところまで来の道がそこにあった。小さい車と車がすれ違い、ガードレールの中 て詰めていた息を吐いた。どんな水でもいま潜って来た水よりは汚を人々が行く。黒人兵など影も見えなかった。違う区域へやって来 れていないだろうと思って、上から流れ落ちる下水に頭から打たれた感じはなかった。ただ、自分の髪がぬれているのが気になった、 た。川の水に比べると気味悪いほど温かかった。何か料理の匂いが出会い頭の老人がぼくの頭を見上げたからだ。ぼくは先刻水に潜っ たときと同じようにいきなり雑踏の中に入った。そして一刻も早く した。草むらの中へ這い込んで、鼠のようにぼくは体をふるった。

7. SFマガジン 1972年3月号

というとそれでおどかしたのだ。 と米兵は言った。 / ンコミッションド 「下士官宿舎だがね、わりといいとこだぜ」 初めのことばがよく判らなかった。連想力が・ほくの語彙をふやし灰色の目のチャールスがぼくを下士官宿舎に連れ込んだ時、おろ ている最中だったので二、三回頭を振って・ほくは理解した。この顔、かにもぼくはまだ彼が・ほくをアドニスと呼んだ理由に気づかなかっ この恰好、そうだと思った。下士官だ。そういうタイプだ。 アドニス 「きみはとても可愛いい。美少年 : : : 」 古ぼけた児童文庫でぼくが読んだおとぎ話がひどくギリシャ神話 と米兵は言った。 を日本風に修正していたことで、・ほくはその美神の名をすっかり忘 ( きっと弟の名なんだな ) れていた。フロイドは、忘れることは欲しないことだと言ったが、 と・ほくは思って、名のった。 ほくがアドニスを忘れていたのはフロイドを満足させるような理由 「・ほくはジョージと言うんだ、きみの名は ? 」 だったかどうだったか : : 。ばくは自分がやさ男で美少年の部類に 属することがとても不服だっこ。・ほくが自分自身に望んだイメージ 冫いかつい骨つ。ほいどちらかと言えば、醜男のそれであって、可 兵隊はうれしがった。 愛らしくてアフロディテに愛され、後に野豚に踏み殺されるアドニ 「おれはチャ 1 ルス・ムリー 。仲よしになろうぜ」 スのような少年のそれではなかった。そんなのと比較されてはたま 北地区でこんな事が起ったら、・ほくは決して油断しなかったろらぬといつも思っていた。 チャールスの部屋、正確に言えばチャールスたちの部屋には四方 いいことがあるわけがなかったのだ。労力や努力に う。ただでそう 対する正当な報酬はめったにないが、何か小さい恩恵の一つも受けに四つの作りつけのべッドがあった。・ほくをシャワーで洗ったあと で、彼がぼくにキスした時、アメリカ人というのはこういうふうに ようものならたっぷり支払いをさせられる、そんな目には今までい 子供つ。ほいのだと・ほくは思ったたけだった。・ほくは早く寝たかった やというほど会って来た。 ので、どれがチャ 1 ルスのべッドかと尋ねた。部屋の中央の汚ない 朝食のみそ汁の椀に豆腐の一きれを余分に入れて貰っただけで、 学校に遅刻するまで調理台の掃除をさせられるなど、まだいい方だテープルにつっぷして兵隊が一人寝ていた。べッドには少女趣味の った。一歳年長の少年がたしかにどこかから盗んで来たらしい赤飯けばけばしいカーテンがどれも半びらきになってかかっていた。 の折詰めのお相伴をしたばかりに、その少年の罰則を代りに受け「おお ! 」 とチャールスは感激した声を出していきなり上着を脱いだ。・ほく て、昼食とタ食をぬきにさせられたことすらあった。・ほくらにとっ ぞ空腹がどれくらいつらいことか、施設の管理者はよく知ってい らは互いに都合よく感ちがいをし合っていたのだった。チャールス た。それに、食べさせないという罰は当然経済的だったから、何かの袖なしのアンダーシャツの胸からは戻のように金色の毛が垂れさ 6

8. SFマガジン 1972年3月号

シルバー・サーファーのポスター ( ジャック・カービイ画 ) に、十分なだけの広さがあるってことを、みんな気づいてたらコミック・一フックの部門は閉鎖しなければならない、 くれさえしたらなあ。髪の毛を伸ばしたやつにも、坊主頭そうなったら、結局読者がいちばん損をするんだ、という のやつにも、十分の場所があるし、どっちも別に悪くはな ことを教えてあげようとしたが、手紙には差出人の住所が わる いんだ。だから私が創りだした悪漢も、単純な悪には描い書いてなかった。 ) てないんだ。 このあいだ、ラジオ局の局長、そいつは、二十代のはじ ( スタンは、その半生を、コミック・・フックの分野を馬鹿めの長髪の若者だったが、彼が私にこう言った「ねえ、こ にしてはいけないよと、人びとに訴えつづけることに、捧れは、おかしな話と思うかもしれないけど、スタン、・ほく らの世代の連中は、タイムと げてきたような男だ。 か、ニューズウィークとか 彼は、コミック・プ そういったガラクタ雑誌で読 ックのなかでうんと んだことなんて、信じてなん すてきなことが出る かいないのさ。でも、マーベ と思っている。彼は、 ル・コミックスで読んだこと 発行元の、マガジン だけは信じてるんだぜ ! 」 ・マネジメント会社 コミック ( なんてこったー と契約していて、彼 ・・フックではなくて、タイム の仕事は会社に金が やニューズウィークを、ガラ はいるようなコミ クタだと考える世代が出てき ク・ブックを作るこ たとは ! スタンは、自分の とた。読者は、スタ ことを、世界で最も無名の名 ンのことをたいへん 士だと思っている。彼の作る な理想主義者たと思 コミック・。フックが、年間六 っているので、金が 問題になると知ってショックを受ける者もいる。こんな投千万部も売れているにもかかわらすである。コミックスの 書があった。「スタン、・・ほくたちはいままで、あなたにとファンや、彼の講演をきいたりした者は、もちろん彼の名 を知っているが、たいていの者は、スタン・リーなんてき っては、金なんか問題じゃないと思ってました。だから、 売れ行きが悪いという理由で『シル・ハ ・サーファー』を休いたこともない。ただラジオのディスク・ジョッキーな 刊にするって知ったときはすっかり裏切られたような気持ど、彼にインタビ = ーしようとする者は、きまってスタン になりました。スタンだけは、違うと思ってたのに ! 」スのファンなので、彼はいつもびつくりする。 タンはその読者に返事を書いて、もし、お金にならなかっ彼のファンのひとりは、イタリアの映画監督、フェデリ ささ

9. SFマガジン 1972年3月号

くの中に湧いた。・ほくがしたいろいろなことを誰 . もまだ知らない。 ( 秀才なのにね ) ・ほくの心は次第に強く向う 実にいろいろなことをだ ! 誰もだー : だからたよ ) 側のあれこれを思い出し始めていた。この時間だとみんなはまだ学 ( どこへ行っちゃったんでしようね ) 校にいる。・ほくのことで寮母が学校へ来ているかもしれない。学級 ( 修学旅行のとき、新潟でな ! ) 担任はもしかしたら警察へ行ったかもしれない。 ( ン ! あいつ一カペイカもないのに佐渡行きの船へひとりで乗っ どんなに無茶をしたつもりになっていても、せいぜい釈迦の掌をちゃって ! ) 飛んでその端までしか行きつくことのできなかった猿のように、・ほ ( あたし、あんなこと、とても出来ないわ ) ( そうさ、お前みたいな臆病者にはね ) くの冒険も長つづきがしない事をぼくはもう悟らずにはいられなか った。・ほくの冒険は、冒険のための冒険ではなかった。一定の見物杉子のことは、おそらくまだ噂になってはいないだろう。杉子も かくす、両親もかくすという具合で。昨日杉子が欠席したこと、彼 人、批判者を意識し、それらを驚倒させ、・ほく自身を目立たせるた めの冒険にすぎなかった。ぼくの環境が・ほくにゆるしたのは、せい女の父が学校へ来たこと、あれは何かほかの用事だと思われている ぜいその範囲だった。うんと高くつく、純粋の冒険のぜいたくがでにちがいない。少なくとも外面はそう装われた : ・ きる身分ではなかったからだ。・ほくの年齢にしては多分ぼくは節度明日の朝、教室でみんながぼくを見る目を想像すると、それだけ がありすぎたのだ。求心力は強く堅くて就道の外へ出ることができでもぼくはどうしても帰らねばならぬのだった。それから杉子の 目、ああ、どんな目をしていることか。減食、説論。それはとうに なかったのだ。 ・ほくの名誉の一つの型になっている。恐くなどあるものか。 だからこのとき、もう・ほくの取る道は自然に決っていた。単純で ・ほくの無断外泊がただのそれではないと、銃弾の外への、運わる あっけないと自分でも思ったがほかに何も考えられなかったのだか く行けば死の外への、体制の外への脱出と帰還だと知ったら、先生 ら仕方がない。 や施設長、寮の先輩たちはどんな顔をするだろう。越境の事実はむ ( もう一度おやじの家を見て来よう。それから向うへ帰ろう ) 一日半の怠学とそれに附随した諸々の罪、無断外出と外泊、それろん寮の外や学校の外へは秘巒にされる。だから寮でも学校でも公 然と・ほくを罰することはできない。彼らの権限の外でぼくがやった らは級友たちの間に嘆声と讃美の表情を呼び起しているに決ってい ことを、彼らは憎らしく思うたろう。 る。越境したと判らなくても、自分で行方をくらましたらしいこと ・ほくの思考はあちこちにとびはね、ジグザグコースを取った。さ は級の最も鈍い連中の頭をまで刺戟して、ぼくは口から耳へささや し当っては先ず東大崎のあの家へ行かねばならない : き交される英雄になっている筈だ。 ・ほくはきちんと軍票を畳んでポケットに入れると、店を出てロー ( 今井君って、前にも迷子になったことがあるんですって : : : ) タリーの方角へ向って歩き出した。 ( 馬鹿、放浪癖があるって言えよ、あいつ、変ってるンだなあ ) 0 9

10. SFマガジン 1972年3月号

ことのできるような、便利で新しい鉛筆削りや光ったナイフや、制服勝手に・ほくを大人だと思わせておくことにした。誤解によって高く 2 6 の下にひそかに着込んだ赤い模様編みのセーターがなかったので、評価されるという仕掛けは実際悪くなかった。自分を尊敬している 代りに危険思想をポケットにしのばせたのだった。ぼくがみなし児少年たちを内心馬鹿にすることで・ほくは二重に満足したのだ。飲酒 の境遇にいて、児童収容施設から通学していることや、いつも汚れや喫煙や思想が模倣から始まって次第に本物になって行くように自 た古い服ーかり着ていることが ~ ・まくの危険思想に箔をつけてくれ分もやがて何かの本物になるのだという予感にふるえながら : たことは間違いな、。・ほくは自分が望んだ以上に級の中ではいつば しの人物だった。 ・ほくのこんな偏向が何から来ているかについては、そのころ・ほく はまだはっきりした自覚を持っていなかった。みなし児特有の愛情 思いがけなく先生がぼくの性格を「複雑だ」と批評してくれたこ とで、ばくの「人物」は更に妙な具合に大きくなる機会さえ持つに飢えた心理だなどと思うのは死んでもいやだった。むしろみなし 児であることはその時の・ほくに取って大きな特権だった。 「親なしっ子だってことが、 ~ ・まくのせいか」 ぼくは体は小さかったが喧嘩は上手で、上級生をすら殴ることが と・ほくは同級生によく喰ってかかった。その後ですぐ あった。仕返しを恐れながら額に出来た瘤を仲間に冷して貰ったり ・ : まくのせいか」 することの何という誇らしさ。その上そこにはあとで先生に叱られ「優等生だってことカ ~ と尊大な調子で言いたいがために。 るという楽しみさえあるのだった。先生が心配そうな調子で叱りつ けたり、仲裁を買って出たりするのはまったく、・ほくにとって嬉し実際その年ごろのぼくに何の責任があったろう。・ほくは悪い生徒 いことだった。・ほくは涙ぐんで先生に許しを乞うたが、すぐまたあだった。偽悪家で、似非優等生だった。後ではもっともっと非難に とで同じような事件を臆面もなく起した。先生がぼくを手に負えな価することもやってのけた。だがぼくを非難する前に大人たちは自 い少年で、到底理解し難いほど複雑な性格だと評したのは中学二年分のやった事を考えてみるがいいのだ。まるで数が足らないから二 生の秋だった。ぼくは大人だと言われたのだと思って感謝し、仲間つに切ったのだとでもいうように、東京の街を北と南に分けて東西 もそう受取った。もっとも・ほくは間もなく複雑さこそ若者の特徴で、両陣営に委せたのは一体誰だ。・ほくらは地図で見る以外は決してぼ 大人はかえって単純なのだと悟ったが : : これは判ってしまうとあくらの国の首都の南半分を見た事はなかった。お茶の水をへだてて まりにはっきりした事柄で、つまらないほどだった。だって、それですぐそこなのに。そしてそちら側には又・ほくの両親がいる筈だっ なくてどうして一人前の男や女が毎日毎月毎年、同じ仕事を繰り返た。 し、一生さえそれを続けていくつもりになっていられるものか。あ ・ほくはこの言葉を大人たちに投げつけてやりたい。・ほくが満四歳 てどのない少年のジャングルを刈りこんで、人間はあきらめた大人でその時両親の足手まといになっていた事が・ほくのせいだろうか。 になるのだ。しかし仲間にはそれは当然判らなかった。ぼくは彼らに両親は七十歳になった祖父に・ほくをあずけて南側へ働きに行ってい こ 0