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検索対象: SFマガジン 1972年4月号
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1. SFマガジン 1972年4月号

いくさ : ・方をたれながら里の女房子を思い出した大将のものかも知れん。みな いことを覚っているようだ。太平の為の戦なら仕訪がない。 自分でも気づかぬ内に、明日のわが命を願うのじゃ。人とはそうい 針はそう決しているらしい。 う生き物よ。おかしいとは思わぬか。明日の命をそれほど願うな 永禄十二年四月。信長軍三万は京を出て山中越えで坂本へ出た。 しくさ 明白に天下平定の出兵であり、御所はその二十三日、元亀と改元しら、な・せ戦などはじめるのじゃ」 むすびのやま 「願いは白銀の矢となって産霊山へ入るのじゃな」 て門出を祝った。信長軍は越前に侵攻し、随風は気比神宮を謀略の 「そうじゃよ。したがそのことはヒのほかは誰も知らぬ。知らずに 拠点に活躍した。 あめのした 果然乱戦にな 0 大・信長の妹、お市の方を室として姻戚にあ 0 た祈 0 て明日を作るのじゃ。この世の人がすべて気をそろえ、天下の いくさ たいらぎ 浅井が信長の背後を衝き、家康、秀吉が活躍する転進作戦が生じ、太平を祈れば戦などすぐ終ろうものを・ : : ・雲伝ふ、白銀の矢奉れ、 むすび それはそのまま師川の合戦につなが 0 て行った。浅井、朝倉連合軍産霊の山の上に奉れ、というのはここのことじやわい」 は敗退し、小谷城にのがれて一段落とな 0 た。とにかくヒ一族のも権爺はしんそこじれ 0 たそうに言 0 た。彼はそのあと、ヒの伝統 くろみは、着々と成功してい 0 た。織田は正確な情報を得て不敗で的な使命感について、彼なりの言葉で綿々と飛稚に説いた。それは この時代ではすでに実用的でなくなった、古めかしい理窟かも知れ あった。 : ・ : ・随風、飛稚、百済寺の鹿父子などが神籬から神籬へと ない。しかしその分純粋であった。平和の為に戦うという新しい理 とび交い、彼らは毎日のように神秘な白光となっていた。 窟を、権爺はくそみそにこきおろしたのだった。 ひもろぎ 「神のいる神籬の場所を知っておればのう」 十四 飛稚は家を焼かれて泣き叫ぶ母親たちの姿を思い浮べながら言っ た。母のない飛稚には、平和に暮す母親たちを、この上もなく貴重 「合戦になると急に白銀の矢が多くとぶ。な・せだろうか」 なものに思っているらしい。それは盗みで命をつないでいる、京の 信長が姉川から戻り、京に人った寸暇を見て日ノ岡から飛地蔵へ 浮浪児たちの姿にもつながっていたようだ。 わたった飛稚は、ひどく深刻な顔で権爺にたずねた。 「神のいます神籬こそ、すべての神籬の芯じゃ。じゃが芯の神籬が 「ワタリの時に見える白銀の矢よりは細かろう」 くさめ どこか、昔のヒですら知らなんだ。ヒは神代からずっとそれを探し 「そうじゃ。嚏のあとで目の中にとぶ玉つぶに似ている」 飛稚が言うと、そのたとえがおかしいとひとしきり大笑いしたあ求めておるのよ」 権爺は言った。「それを探し当て、そこで願えば戦などすぐにや とで、権爺は諭すように説明した。 「それは人の祈りが凝ったものじゃ。明日の命が知れぬ時、人は明むはずじゃ」 日の命もあれよと思わず心から祈るものじゃ。それは陣中でばくち「俺はそれを探しあてたい。そして今すぐにでも戦を無うしてくれ に打ち興する雑兵が、賽を手にしてふと祈ったものかも知れん。糞と願いたい」 しくさ 1

2. SFマガジン 1972年4月号

らである。 定であり、するべきことが山積していたからである。京には佐久 ヒ : : : 或いは神と言ってもよいその隠れたカは、本質的に一部の 、村井、丹羽、明印、木下の諸将が残った。 利害にかかわることを嫌う性質を持っていた。しかし現実にそのカ光秀はその残留部隊の中で慎重に諸国の動きを監視していた。明 を行使するものは、ヒ一族という人間たちであった。彼らが自らのけて永禄十二年正月の五日。三好三人衆が急に起って義昭の宿所で ある本圀寺を襲った時も、飛稚をはじめ忍者群の素早い連携で各地 本質をよく理解しなかったからと言って、責めることはできまい。 このうちつづく戦国駁乱に、つい絶えて久しい太平の世を夢みたのに急を報らせ、あぶなげなく撃退している。信長が急遽再上洛し、 である。皇室の復権が太平を意味する : ・ : ・長い伝統を持っヒ一族新将軍の為に二条第の建設をはじめた。光秀は本圀寺防衛で見せた は、すでに皇室そのものの存在意義が変化しているにもかかわら能力を高く買われ、信長の部将として重用されはじめ、苦笑しなが ず、一筋にそう思い込んでいた。そして皇室の復権を果す手段としらその役柄をつとめていた。 て、とりあえす勤皇の武家を京に迎え、天下の乱を治めさせようと伊勢や但馬が平定され、信長は次第に強大になって行く。随風は している。「嫌なことになりましよう」随風が光秀にそう言ったのいずれ北近江、越中方面で信長が大きな試練に直面せざるを得ない は、そうした目的の為には、一時的に織田信長個人の利益を守るはと見て、この間対浅井、朝倉工作に没頭していたようである。光秀 たらきをしなくてはならない、ということをさしていたのだ。 は京仕置の地位を望み、信長の実力を背景に義昭将軍を操縦し、御 この世の全体を考えるとき、皇室ではなく群雄の中の一人のあと所の経済的希望を次々に叶えてやっていた。 押しせざるを得ない時代に変っている。もしかすると随風も光秀飛稚は京周辺の地理を覚え、この辺りにかなりの密度で分布して ひもろぎ も、そうした自分たちの決断が、ヒ一族の存在理由や性格までも変いる神籬の場所を記億し、光秀の使いとしてとび廻るようになった えることになりかねないのを覚るべきであったかも知れない。だが が、それは同時に戦乱の世の悲惨を見聞きすることでもあった。 人間の知恵が現実にまきこまれた中でどこまで神を見抜けよう。御孤児が大勢いた。犬走りの六のような身の上の子供が、京の内外 所では織田軍の上洛を見て事なれりと単純に手を打っている。それに溢れているのだ。飛稚はいっしか大走りの六の物資調達力を利用 にくらべれば、織田の天下招来は、まだ緒についたばかりだと自覚して、浮浪の子らに食を恵むようになっていた。しかし浮浪の子ら している者のほうが、どれ程賢明であった事か。 は決しておとなしくない。犬走りの六を指揮者とする少年少女の集 随風たちは御所側でいう勅忍の使命が信長、義昭の上洛で終った団ができ上り、その不良集団の頭目のようなかたちに、飛稚はまっ あとも、引続き活動を続けている。たしかにその点、御所は全くありあげられている。そうした京での自由な生活は、飛稚に人生を教 え、生きる命の尊さを味わせたようであった。 てにならなかった。信長がそのまま京に居すわるものと思っていた だが時は刻一刻と大きな戦いに傾斜して行く。光秀も随風も、信 3 のだ。しかし信長は京周辺の掃討を終え、十月十八日義昭の将軍宣 下を見るとすぐ美濃へ帰国した。留守にした自領が、まだまだ不安長上洛の時のような無血方針が、所詮一時しのぎの小細工にすぎな

3. SFマガジン 1972年4月号

「ユズたちはどうしていようか」 ん」 ュズとは京の浮浪児の中にいる少女の名である。六もまた仲間を 六は真面目に言った。飛稚の内部で、何か古い殻が欠け落ちたよ 想い出しているらしい。夏の日の、ふと人を思いうかべるようなタうな具合であった。 方であった。 ・ : もう俺にも子が作れるか。飛稚は自分自身を眺めまわすよう にそう思った。権爺に自分の子を預けたら喜ぶだろうか。彼は何か 「また誰かに泣かされておらねばよいが」 とびはねたいような気分であった。そういうことを考える自分が大 飛稚は気分を変えて答えた。 人びて嬉しかった。 「あれはみめよい女じゃ」 おなご 「六はどうじゃ。女子は」 六は大人びた言い方をした。「飛稚を好いておるそ」 すると六はみるみる赫くなり、ごくりと何度もつばをのみこん 「やくたいもない」 飛稚は照れて強く言った。 「ユズほどの女子はおらん。ュズは飛稚を好いておる」 「いや、好いておる。 : : ・女の仕方を知っているか」 一気に言い、言ったことを忘れたいかのように崖からとび降り 六はニャニヤしながら言った。 た。「飛稚、勝負じゃ」 「女の仕方 : : : 」 六はそう叫んで相撲を挑んだ。二人の少年はとっくみ合い、汀を 「睦み合うことじゃ」 六にズケリと言われ、飛稚は赫くなった。いい 具合にタ焼けがそあばれまわった。飛稚が勝ち、六はころがった。 れをかくしている。 「よいか、京に戻ったらユズをやるのじゃ」 「六は知っているのか」 六はあおむけにころがったまま、飛稚の瞳を深くとらえて言っ 「何度も見たそ。い つも戦のさい中に雑兵どもが家を蹴ゃぶって女た。 その夜二人は小犬のようにじゃれ合いながら湖岸の草むらで睡っ を手ごめにする」 むすびのやま 実は飛稚も再三目撃はしていた。しかしなんとなく意識の外に置た。寝入りばな、飛稚はヒの掟を少し破って、産霊山について六に いて駆けぬけてしまうのだ。だが六はそうでないらしい。「何度も語って聞かせた。 よう見たから、しようと思えばもうでぎる。 : 少しくさいがの」 「もし本当なら、ユズと三人でその山を探そう。神に会ったら俺は かあ 六はそう言ってケタケタと笑った。くさいというのが飛稚の驚きお母を戻してもらう。お母が戻ればみめよい女子など要らぬわ」 をさそった。六はそんな近くで見物していたのか、と思った。 六は飛稚の話をお伽ばなしのように気楽に聞き、ねむそうにそう 「京へ戻ったらユズを女房にせい。早うせんと人にとられるそ。ュ 言った。大きな秋の月が湖の上にの・ほり、比叡山から時どき白銀の 7 ズはみめよいから、行きずりの雑兵の手ごめにでもされたらつまら矢がとぶのが、飛稚には見えていた。 かあ

4. SFマガジン 1972年4月号

おれば戦もたたの見ものじゃ。それもとびきり面白い見ものしゃ。 か、その時々に必要なものを持って現われるのだ。おかげで飛稚は もし味方が敗けたら勝「た方へ行「て働く。飯さえ食えればどうで面白おかしく日を過している。 もいい」 この時光秀は願い出て先駆したようである。その理由は勿論飛稚 犬走りの六は妙に悟った笑い方をした。 に判ろう筈もないが、・ とうやら目的は山科七郷の保全であったらし 。光秀はここに陣をしき、三井寺に在る本隊を待った。 さきぜい 十ニ 実質的に信長は箕作城の戦闘一度きりで、楽々とその先勢を京に 入れてしまったことになる。飛稚はその辺りのことも別段不思議と 箕作城は犬走りの六の予言どおり、夜に入って落城した。織田軍思っていなかったが、山科へ着いて見ると、織田軍最先鋒であった はその城に少数を置き留め、すぐに発進した。次に大休止をとった筈の明智隊の前に、千に近い軍勢が先着し、整然と陣を張っている のは、翌日観音寺山城へ入ってからである。観音寺山にいた六角承のに驚かされた。 禎と義治の親子は、城を棄てて伊賀へ逃げ込んだということであっ光秀は自陣の手配りを終えると騎乗のまま、先着の部隊へ挨拶に 出向いた。従ったのはいつものように石川小四郎と飛稚であった。 義昭直衛隊は脚が遅い。義昭という荷物があるからだ。信長が観そこで彼は随風を見た。 音寺山城に人ったとき、まだ箕作の辺をうろうろしていた。 随風は例によって雲水姿であったが、光秀に向って深く一礼し 犬走りの六はいつの間にか明智隊へまぎれ込んでいる。石川小四た。 郎が一度こわい顔で彼の事を訊ねたので、飛稚は自分の知り人であ「随風、大儀であったな」 ると答えて置いた。小四郎は飛稚が特殊な任務の為に従軍している 瓜ふたつ。光秀と随風が向きあっていた。「おかげで何の戦もな ことを薄々知っているらしく、犬走りの六をそのまま黙認してくれく済んだそ」 「箕作では縮尻りました」 信長本隊から使いが来て、脚の遅い直衛部隊もようやく速度をあ随風が詫びている。「手がまわりかね、戦にさせてしまいまし げ、二十二日には湖岸へ着いた。義昭は疲れた顔で桑実寺へ仮泊にた」 入った。するとここで光秀隊は急に先駟に立ち、半ば駆けるように 「それにしても豪気なものじゃ。これほどの忍びを一度に見るとは して京へ向った。 「京ははじめてじゃ」 光秀はそう言って先着の部隊を眺めまわした。飛稚は驚いて光秀 大走りの六はそう言ってはしゃいだ。彼は盗みの達人であった。 のするように眺めまわした。 物資調達の名手と言っても、 しし。とにかくあっという間にどこから これがすべて忍びの者たちか。 ・ : 飛稚は呆れた。あからさまに 4

5. SFマガジン 1972年4月号

う物さびしい場所がある。一名妖ヶ原と呼ばれ、洛中洛外では古くある。とすれば浅井、朝倉、織田、六角 : から妖怪の出没する所として知られていた。その日ノ岡から唐草が織田。織田 : : : 穏やかな朝。そうか、言継卿はあの時自分に秘密 内裏へ向う時、ヒは帝を救うために起っとされている。しかしそれの一部を洩らしてくれていたのだ。東から京へ向って来る穏やかな はロ碑 : : : 僧正は今少し詳しく知っていた。 朝は、尾張の織田信長のことなのだ。 それは勅忍宣下の儀式なのである。ヒが皇室の上に位する頃が仮僧正はそう思いつくと一層読経の声を高くした。織田家は当主信 りにあったとしても、それは遠い遠い神代のことである。現実に長の父信秀の頃から勤皇の行いがあり、窮乏のどん底にあった御所 は、ヒは御所の忍びであった。御所が栄え、帝たちが今よりはるかをたびたび救ったではないか。 に攻撃的であった頃、ヒは勅命を受けて東奔西走していたという。 ヒを用いて織田をたてる。これほど適切な処置はあるまいと思え 彼らはその出動に際し、勅忍の宣下を受けたのであった。 た。だが織田のまわりには浅井がいる、朝倉がいる、六角がいる。 帝がみずから世に太平をもたらそうと遊ばしている。そう思うとそして京周辺には三好、松永が蟠居している。果して織田に天下の 僧正は言い知れぬ感激を覚えるのだ。ここまで追い込まれた以上、権をとらせることが可能だろうか。足利将軍の存在はどう処分した それは当然のことのようにも思えるが、それにしても何かしら平和らよいのか。 への曙光がさしはじめた気持になる。 自他共に許す消息通も、所詮信であった。実際の政治となると見 武家の乱妨はその極に達し、去年は遂に三好、松永の闘争で東大当もっかぬ思いで、ただひたすら仏に念じた。働けば餓えることの 寺大仏殿が焼失していた。いっ御所の塀があの輩の砦がわりにされない、理由なく奪われることのない平和な世を願って : : : 義演僧正 るか、それは時間の問題でしかなかった。妖力を持っといわれるヒ はその日まる一日、本堂に坐って合掌をつづけていた。 への勅忍宣下こそ、御所に残された最後の手段である。 永禄十一年の初夏である。 しかしどうやってこの乱世に平和をもたらしたらよいか。 正は諸国大名の強大な武力を考えた。勅忍といえども忍びは忍び。 五 陽動する軍勢があるわけもない。とすれば、大名同志をぶつけ合 、勤皇の志厚い特定の大名を京に迎え入れて天下を平定させるし 梅雨の気配を残す、雲脚の早い夜である。 かない。ヒはどの武将を操る気だろうか。 時折り雲間を洩れる朧な月あかりのほかは灯火ひとつない日ノ岡 「穏やかな朝は、すぐ近くまでまいっているかも知れません」 いま一人の僧が立っている。彼は小さな祠の前にたたずみ、し ヒの司である言継卿がそう言っていた。今の帝の即位礼の費用をばしもどとまることなく流れ去る夜空の雲をみあげていた。地祗の 献じた西の毛利か。御所修理料を差し出した越後の長尾か。いや、呻きにも似た深い杜のざわめきを背景に立つうしろ姿は、まるで時、 二人とも遠すぎる。近い三好、松永は御所に乱妨をはたらく元凶での流れに置き忘れられた者のようだ。 あやし に、 ほこら

6. SFマガジン 1972年4月号

「おだやかな朝は、すでにすぐ近くまでまいっておるかもしれませなど、わずかな乗用の例しか残されていない最高位の車であった。 ん」 「たしかに従者は一人もおらなんだろうな」 別れぎわ、そう言い残した言継卿の言葉が耳に残っている。 訊ねられた者は、僧正の余りに鋭い語気に気おされ、堅くなって そうか、ヒが動くのか。 : 僧正は、いにパッと灯がともった思い 「ハイ」と答えるのみであった。 になった。一瞬の内に千里を駆け抜くと言われ、神々の力をそのま「その車、南からまいったと申すか」 まうけついでいるとも言われるヒを、いま言継卿が動かそうとして「そのようでございます。いっとはなし都大路を進んでおりました いるのであれま、 ーいかにもその言葉のとおり、戦乱の世は終り、太とか。たしかなことは判りませぬが、三条あたりで見た者のことば 平の朝が近いに違いない。 では粟田口から入りましたようでございます」 平和が来る。僧正はそう思うといつの間にか合掌していた。 「ではまさしく : : : それで御所へはどう乗り入れた。乗り入れたの であろうな」 なかへ 四 「ハイ。中の重の門まで入ったそうにございますが、そのあとはど うなりましたやら、誰も見た者がない由にございます」 六月の末、北野天満宮の御誕辰祭が終り、京の町の神社はそれそ「入ったか。そうか、入ったのか」 みなづきはらい れ六月祓の準備に入っていた。 僧正は躍りあがらんばかりであった。 すでに蚊柱が立っ宵、都大路にひとつの妖異が起った。近頃では 「承明門があかあかと火に照らされ、中にはどうやら大篝火が焚か ぎっしゃ こしぶさ 絶えて見ることのない華麗な牛車が通ったのである。廂、腰総にはれていたと申します」 檳榔を葺き、上葺も同じ檳榔で唐様の揶風にしてあった。簾は錦べ 「そうじやろう。そうでなくてはかなわぬ」 ふせんりよう りで紫色の綾がその裏にのそいていた。下簾は蘇芳の浮線綾に唐草この頃京で最大の消息通と言えば、十人が十人この義演僧正を指 を金糸で縫いとり、ところどころに黄金色の金具が光っていた。 さした。この初夏の宵、京の町に起った異変の真相をうかがい知る ことの出来る者は、恐らく三人とはいなかったであろう。僧正は直 車は巨大な黒牛にひかれ、しずしすと南から御所へ向って行った が、奇怪なことに牛を引く従者一人見えない。人々はほのぐらい宵ちに本堂に灯明をあげさせ、本尊弥勒菩薩の坐像に向って念じはじ めた。 の道で、唖然としてその遅い歩みに見とれるだけであった。 醍醐三宝院の義演僧正は、翌朝その墫を聞いて顔色を変えた。実ヒは実在したのである。昨夜の怪事は何よりも雄弁にそのことを 証明していた。 際にそれを目撃した者を呼び寄せ、詳しく牛車の形態を詛ねた。 からぐるま 「唐車じゃ : 山科郷へは三条から粟田口へ出る。道はそこで東山の山あいへ入 僧正は驚いて叫んだ。平安の盛時以来、天皇、東宮、摂関、勅使 り、急に南へ下る。その道が山科のあたりへ出る直前に日ノ岡とい かがり 4 2

7. SFマガジン 1972年4月号

権爺は目を細めた。その表情は、さすが次代のヒの長となるべきたてたばかりに、ヒの神性が俗にまみれたのである。信長を中心 に、利害の範囲が日ましに拡大し、要因がふえて人智の制禦限界を 者 : : : そうほめているようであった。 だが一旦天下の権〈転がりはじめた信長の周辺には、次々に戦火超えてしま「ている。光秀はいっしか神の末商ではなく、信長の一 があが 0 た。飛稚はその日の内に光秀に従 0 て摂津へ向い、石山本部将として全体のごく一部を見ているにすぎなくな 0 ている。 願寺の囲みに加わった。本願寺からはいまだかってない程の白銀の信長はその夏近江へ出張り、小名木城を攻め、木之本、余吾を焼 いた。そして九月には新村城、小川城をくだし、金ケ森城を陥すと 矢が発っていた。 本願寺の顕如は浅井、朝倉と連携していた。摂津へ信長が入る瀬田へ戻って三井寺に陣した。 と、その虚に浅井、朝倉がつけこみ、兵を南近江へ出して九月二十「坂本を封ぜよ」 日、宇佐山城の織田信治らをたおし、浅井長政らは急に比叡山に拠信長は光秀にそう命令した。光秀はヒ一族の故郷ともいうべき坂 さきぜい 本の南に布陣し、京へ突出を封じた。信長は三井寺から帰洛の動き った。先勢は京へ迫り、山科、醍醐に火が放たれた。 を見せていた。九月十一日であった。 「勅忍のことが洩れている」 随風は蒼い顔で光秀にそう告げた。一時掌握した各地の忍びが、 十五 それそれの利害に戻って活動をはじめているらしい。浅井勢の叡山 占拠、山科放火など一連の動きは、ヒ一族に重大な衝撃を与えてい 「飛稚はこの辺りで育ったのじゃな」 た。随風はあわただしく諸国の忍びの長のもとへワタリ、それにつ れて飛稚も多忙になった。浅井に占拠された坂本にいる権爺の身を大走りの六は、湖岸の低い崖の上に腹ばいになって、タ陽に映え る対岸の景色を眺めている飛稚に言った。崖の上は一尺ほど黒い土 案じながら、飛稚も西へ東へとぶ。 光秀はいの一番に摂津から京〈駆け戻「た。信長も野田、福島のが平らにな 0 ていて、大走りの六はそういう危 0 かしい場所を今夜 いくさ しくさ のねぐらに選んだらしい。城の石垣の上に築かれた塀は切り立った 囲みをといて帰洛する。その年も戦につぐ戦であった。 石垣との間に少し間隔があり、そこを犬走りと称する。大走りの六 元亀二年の正月。随風はたまりかねて弱者を吐いた。 つもそんな場所で寝ていたこと の名は、従う軍が城に入った時、い 「所詮ヒも公家になりさがった」 い。だから慣れているのだ。 そう言った。官位のみ高く実力をともなわぬ公家は、すでに武家からついた呼名らし から無視されて久しい。随風は在野の忍者集団と宗家のヒの関係が「この辺りは知り抜いている」 飛稚は短く答えた。権爺がすぐそこにいるのに、会いに行けない それと同じになってしまっていると嘆いたのだ。 もどかしさがある。いちばん近い神籬でも日ノ岡まで行かねばなら 「手に余る : : : 」 ないのだ。 光秀も時々そうつぶやいている。信長という一個人を世の中心と おさ

8. SFマガジン 1972年4月号

しかしその払暁、二人は織田勢独特の急調子な軍兵の足音に起さ光秀は膝がふるえているようであった。 「さ、山門を : : : 」 れた。 「さようじゃ」 「ご本陣じゃ」 信長は言い、ひきつった顔を居並んだ部将たちに向けた。「堂塔 六はすばやく崖の上へとびのって言った。 伽藍ひとっとして残すでない。残せば明日のさわりになろう」 「京へ戻られたのではなかったのか」 「しかし : : : 」 飛稚は意外そうに言った。 意外は光秀も同じことであった。なぜ信長の本隊が朝靄をついて光秀が叫んだ。 「一一一口わせぬぞ。比叡の山ひとつ、まるごとならして湖へ埋めてやる 現われたのか理解に苦しんた。比叡山の封鎖は光秀一手で完全なの である。 気じゃ。光秀、望みの攻め口をとらそう。駆けに駆けて名を挙け 信長は光秀に何の連絡もせず、先勢を通過させた。 議論の余地はなかった。信長が妹の生命はじめ、山門を焼く社会 「どのようなご下知か」 たまりかねて光秀は通りすぎる一隊の長に声をかけた。男は光秀的な得失を考え抜いたすえ決断していることは疑いもない。信長は 信長なりに天下平定の近道を考えたのだ。山門を焼いても京に近い の顔をしばらくみつめ、結局何も言わず礼をして去った。 敵を屠ってしまわねば、この先何年泥沼の戦がつづくか見当もっか 「なんとする気じゃ」 ないのである。 光秀は石川小四郎に向ってつぶやいた。無言で通りすぎた男の蒼 光秀は何か巨大なものに裏切られた気がして、立っているのがや 白にひきつった顔が不安をかきたてている。 っとであった。 : ヒのふるさとを失っても、太平の世が来るのな 「叡山を攻めるのでは : : : 」 : そういう諦観が生じたのは、ずっとあとにな ら仕方あるまい。 石川小四郎がひょいと言った。実際にはそれ以外考えようのない 状況であ 0 た。しかし叡山に籠る浅井長政にはお市の方という信長 0 てからであ 0 た。 の実の妹が嫁いでいる。叡山の法燈は千年近く俗界の争いの枠外に 奉られて来た。叡山は仏法の源であり、あらゆる学芸の中心であ 0 : ・それらの常識が光秀を迂滑にさせていたらしい。 飛稚と六は汀を走っている。 「まさか」 光秀はそう叫んで信長のもと〈走 0 た。信長は走 0 て来る光秀を「手伝うてくれ。俺の権爺を救わねばならぬ」 大軍の動きを見て飛稚は咄嗟にそう言ったのだ。二人の少年が石 見るなり、機先を制するように言った。 ころだらけの汀を走り、道を兵が走って行く。松明をなびかせた騎 「わかったか光秀」 うみ 8 4

9. SFマガジン 1972年4月号

せん。我らが役を果しても、手を引けばすぐに織田は危うくなりま 見ることもでぎないとされている忍者が、千人近くもかたまってい しよう。役が終えたあとも、御所を守るために織田を支えてやらね るのだ。 ばなりますまい」 「忍びが無うては戦ができぬ。正倉院はじめ、あちこちの御物をか 「やむを得まい。御所のためばかりではない。百年続いた戦の日々 き集めて銭算段をなされた言継郷もこれでご満足であろう」 も、もうこの辺りで終りにしてやらねば、いずれ人は餓えて死に絶 光秀はそう言って笑った。 「それにしても宗家の威光は地を払い申した。銭でのうては動かぬえねばならぬわ」 「織田を将軍にするまで、このまま支えつづけてくれましようか」 者ばかりでござる」 「言継郷もそうお思いじゃ。御所のことはもう放って置こう。われ 「詮ないことよのう」 二人のヒは、そう言って苦笑した。光秀は馬をおり、道ばたに腰らの考えでせねば、御所はあてにもならぬ」 その間に、飛稚は日ノ岡へ走っていた。もちろん、飛地蔵へワタ をおろした。随風も並んで坐る。 リ、久しぶりに権爺の顔を見るためにであった。 「したが、どうもいけませぬ」 「お、飛稚め、さっそくに : 随風が言った。 しばらくして随風が北を向いて言った。光秀も飛稚がわたったの 「御所のことか」 を感じたのであろう。随風と顔を見合せて笑った。 光秀は眉をひそめる。 「義昭、信長さえ上洛すればそれで終るとしているようです。足利 将軍の威光が旧に復して、室町の秩序が再び整うと信じ込んでいる 十三 ように見えますのじゃ」 ヒは本来俗世の動きに超然としているべきであった。皇室の存続 「愚かなことじゃが、御所ではそれ迄の考えが精々のところであろ だけを問題にする、というヒのありようは、結局この世の全体的な うな」 動向が大きな不幸に向わぬよう、梶をとり直してやるということで 「嫌なことになりましよう」 あった。 : : : 梶のとりようが、それで正しい時代が久しく続いて来 「な・せ」 「我々は御所の存続のみに力をかす一族として生きて来ました。御たのだが、いっしか皇室の幸福が全体の幸福を意味し得なくなって 所は織田を義昭と共に京へ入れることを我らに命じ、我らは今、ほしまった。世が乱れ、多極化しはじめた。応仁、元弘以後、ヒが世 とんど戦をさせずに、その役を果しました。近京の諸大名どもからに隠れ活動をとめ、衰微して行ったのは当然と言えよう。皇室は世 忍びをとりあげ、唖とつん・ほにした上、抗戦を思いとどまらせるあの中心としての価値を失い「それ以外のどの勢力をヒが後援して らゆる策を用いました。だが織田は美濃、尾張二国の大名にすぎまも、結局一部の小さな利害にかかわる結果にしかなり得なかったか

10. SFマガジン 1972年4月号

ファンタジイ & サイエンス・フィクション言志寺糸勺 明侃「造子篤 和睛慶苑 藤島淵井村 斎中岩新杉 紙扉ト達八 次ラ森 表目イ金楢 0 tn LI ー 第十一章ながい年月のなかで 渡辺晋 つくりだされた〈偶然〉 ! どうにでもなる〈宿命〉 ! 特別企画■長期連載 都房清社 2 京書会 第九、・つずらが丘その一曰・ ま河漫画一 ) 、 塚パ治虫 早早株 ・所 追悼アート特集 号デ 1 人日 発 0 ラ羊 1 でてくたあ 《日本〉石川喬司《海外〉福島正実 発 8 所 、トータル・スコープ 井口健ニ / 大伴昌司 0 万〕 - 2 5 一に 月日町巧 サイエンス・ジャーナル炭素の測定価変更の波紋 加藤喬 4 4 1 多の優 世界みすてり・とびつく : てれぽーと : ン月田 ジ 4 神 ( 森 世界 (-DLL 情報・ すべーす・たいむ・あんてな : ガ年区京 マ田東人 人気力ウンター 和代集 昭千 Y- 編 tn を論明日はどっちたー 連載コラム 一ゴ、みグ。スの、世界一第回遊園地として 0 地球 連載科学読物 巻末特選 / ヴェル【期待の新人による時空小説のカ作長篇 ! 空想不死術入門 LL スキャナー 荒巻義雄 石の都にす、られた砂時計に封印された時の謎を知ったときは兵士に拉致されたー 絵筆の幻視者フィンレイ 又千秋 1 9 0