たす しかし、その右乳下に黒子を持っ随風の末子は、織田の兵に焼かが織田を扶けるなら、この猪右衛門も木下を扶けて織田の天下招来 れ、養育役の権爺と共にふもとの地蔵堂で焼かれてしまったらしに力を貸すまででござる」 随風は二人の若者に顔を向けた。 「光秀どのはこのさきどう遊ばすおつもりでござろうか . 「藤右衛門は : : : 」 ロの重い猪右衛門が、山を下りはじめたとき随風にポツリと言っ 「手前は宮大工でござれば」 中井藤右衛門はそう言って一番年下の与右衛門を見た。 「十兵衛どのも辛かろうな」 「俺も織田につきたい。しかし俺の親はまるであほうじゃ。はじめ 随風は苦い微笑を浮べて答える。「ヒがこのような一人の武家のは武田信虎についた。そして今は浅井方 : : : 世の中のことがまるで 見えておらぬ。このいくさ、きっと織田が勝つ。あのむごいやりよ あと押しをせねばならぬのじゃ」 うを見てもわかろう」 彼は首をめぐらせて山をふり仰ぎながら言った。 与右衛門はののしるように言った。 「手を引くわけにはまいらぬのじやろうか」 「ほう。与右衛門もやはり勝つほうが好きか」 「信長にここまでさせて引きさがってはヒがすたれよう。このむご いくさをなくすためのいくさにせねばの随風に言われ、与右衛門は強くかぶりを振った。 たらしさも天下のため : 「織田はひえを焼いたかたき : : : だが強うござる。いくさをなくす う」 には強い者をより強うさせるのが早道と考えます。織田に天下をと 「いまヒが手をひけば織田は減びましようかー 「なんとも言えぬ。諸国の忍びどもも、はじめは忍びの宗家としてらせ、そのあとでも 0 とよい者にゆずらせるのが一番 : : : 」 ヒを盛りたててくれた。しかしあの者どもも生きねばならぬ。織田与右衛門はそう言って少し得意そうな表情になった。 「器用なことを言う」 の敵方にまわる者も出はじめたが、考えてみれば詮ないことじゃ。 ・ : が、だからこそ今われらが織田を見限れば、織田が苦しむのは藤右衛門がわらった。 「毒を使うのじゃ」 知れ切っておる。それはたしかじゃ。勝てるいくさに敗け、勝つい 与右衛門はむきになった。「いくさをせず、大将を一人だけ殺す」 くさも長びこう。十兵衛どのはそうさせまいとお考えなのだ」 「あとつぎでいくさが起ろう」 「おのれの立身、栄達のみを考えればそれでよい里者は気が楽でご 猪右衛門が言い与右衛門が抛り出すように答える。 ざるな」 「うまい始末は随風さまたちがしてくれよう」 猪右衛門の言い方は光秀に同情するようであった。 湖から吹いてくる風に秋の気配がしていた。 「猪右衛門はどうする」 「判りませぬ。ただ今までどおりやるのみでござろうな。光秀どの 8
。早すぎるそ随風」 光秀が案し顔で言うと随風はニャリと凄味のある笑い方をして両 「織田は今川上洛軍以来の賭けに追込まれましよう。信長は天下布掌を組み、八指を内に一一指を外に立てて指頭を合せた。 みかがみよりたま 武の旗しるしのために叡山を火にしたのでござろうが、武田が来る「御鏡と依玉で祈り伏せましよう」 となればむしろ上策でござったのう。ここに患いを持っておれば、 随風は遠隔精神感応を用いる気であった。 賭けも意の儘にはならなんだであろうしー 随風は無惨な山容に変った叡山を仰いで嘆息した。 四 「四面楚歌とはこのことか」 光秀は湖の向うを眺めやってつぶやいた。その東から、精強をも信玄は当代無双の戦略家であった。元亀一一年の早春から梅雨の頃 きつつぎ って鳴る武田軍団の馬蹄の音が近づいているのだ。「摂津、熊野、にかけ、徳川に対して得意の啄木鳥戦術をしかけていた。啄木鳥は 伊勢、近江、越前 : : : 織田は武田を東に迎え敵にかこまれよう」 樹幹の虫を穴の裏からつつき、虫を驚かせて這い出させるという。 「恐らく」 ・ : まず遠江東部の高天神を擬攻し、横に長い徳川領の弱点を衝い 随風は冷淡に言った。「そうなればあの痴れ者の三好、松永とてひそかに領外に兵を西走させ、四月には急に三河へ侵入して足 て、どう動くやら」 助、浅賀井、大沼、田代などの諸城を陥し、徳川勢を東奔西走させ 「将軍はしきりに毛利へも使者を送っているそうな」 ていた。 「信長の賭けはヒの賭けとひとつでござる。万一武田を追い戻せ信長が叡山を焼いてからほ・ほ一年後、信玄はすべての準備が整っ ば、織田の天下はかたまりましよう」 たと見て、その先勢を西へ発進させた。 おさ 「そうありたいものじゃ。 : ヒの長はどういたすつもりじゃ その頃、ヒの長随風はどこからともなく、武蔵の府中 : : : 六所ロ 光秀は随風に訊ねた。里人の婦と任意に情を交し児を産ますヒのヘわたって来ていた。 俗にあって、第一子を得るのはきわめて若年のうちである。したが このあたり、八王寺から府中にかけて、西から東へ細長い帯状の おさ って一族の長のような地位は、赤子相続という古風を守っている。聖域の存在していることが、芯の山を求めて東へ移動するヒによっ おさ もし長子が継げば、長は先任者とほぼ似たような年まわりとなり、 て、早くから知られていた。 長としての経験を長く積まぬ内に次々と交代せねばならない。随風 だが山はない。関東平野の西端に当るその地域は、だからヒにと むすび は光秀より八歳下であった。 っては異例の産霊の場所であった。 さきみたまくしみたま 幸魂奇魂 「織田を守るにはまず三河を助けねばなりますまい」 雲ふ鑑の知鶚れ 「武田勢が三河、遠江へ攻め入れば、徳川などひとたまりもあるま ひむかしむすびのやま 東の産霊山の上へ奉れ おさ おさ まっ 5 8
じゃ。帝を殺し公家を殺し、新しい世をひらくつもりじゃ」 光秀は逆に随風に訊ねた。・ 随風は身じろぎもしなかった。 「知らぬ」 随風は光秀の驚きように異変を察知して緊張していた。 十五 「済まぬ。ワタって見て来れ」 「安土の近くに御鏡はない。安土へはワタれぬが : : : 」 随風はしばらく思案し、やがて黙って出て行った。その背中へ光敵は本能寺にあり。 秀が大声で言った。 光秀はごく自然にそう決断した。ヒとしてそれ以外の解答はあり 「儂は城へ戻っておる」 得なかった。随風も全く同じだった。 愛宕山では手も足も出ない。光秀は大急ぎで山を下り、亀山城へ光秀は男泣きに泣いた。 とには美しい理想があった。万人みな泰平に安んじられる世界の 戻った。 そして信長の野心の全貌が判ったときは、すでに六月の一日にな建設という理想であった。光秀も随風も、多くの犠牲を払い、とと してはあるまじき修羅となって、そのために戦国の世を今日まで押 っていた。 京には兵約一一千を従えて、十日も前から信長の長男織田信忠が入し渡 0 て来たのだ。その理想に今一歩というとき、彼らが基礎を作 り、押しあげて来た肝心の織田信長という新しい平和の中心が、ネ っており、室町薬師寺町の妙覚寺に籠っていたのである。そして信 長は蒲生賢秀らに留守を預け、わずか数十名を従えて安土を出るとなってすべてを否定し去ったのである。 と、電光石火の素早さで四条西洞院の本能寺に入ったというではな信長をこの手で倒すことは今の情勢ではそうむずかしいことでは ない。一万三千の光秀軍対一一千余の織田勢なのである。しかし、そ をいったいれはみずからの苦渋に満ちた歳月を葬ることであった。乱世がふた 「光秀どのの一万三千が中国路への援車でないとすれま、 たび舞い戻るであろう。 その兵はどこに用いるつもりなのでござろう」 状況を調べて戻 0 た随風が言った。しかし光秀はしばらく答える光秀は信長の言うより一日早く、一万三千の兵を京に向けた。老 坂より沓掛に出て、桂川を渡って六月一一日の払暁本能寺へ殺到し こともできなかった。 西洋諸国の王の絵姿が光秀の目前に去来していた。倒し、倒さた。 れ、血よりはカで王がきまる世界がその背後にあるのだ。信長はそ の世界を知ってしまった : ・ 「ネじゃツ」 光秀は叫んだ。「とうとうネが動いたのじゃ。信長は京を焼く気 、、 0 さか 東京大学資料編纂所に保存されている山科言継卿の日記中天正十 年六月二日の項には、次のような記載がある。 一一日、戊子、晴陰 日 0
そう言って照れたような笑い方になった。 光秀はっと立ちあがり、窓をひらいて外を眺めた。降りしきる五 月雨の中に、落し積みに積んだ石垣が見えている。湖畔の湿地に朱「・ : 鷺が数羽、雨にうたれながら時折り泥を突いていた。その淡紅色の光秀は黙って信長をみつめた。 : と田 5 っ 羽色を見ながら、光秀はふと、俺もときになり切るか : 「そのロぐせの天下統一の仕あげじゃ。よう働いてくれたのう。じ が、こたびはただくつろいで兵を歩ますだけでよかろう。このあ た。地位が昇るにつれ、出自が重要になって来る。ヒだとは言いよや うもなく、彼はいっしか自分を清和源氏土岐下野守頼兼の後裔であとはもう、そちのいやがるいくさも、そう残ってはおるまい」 ると名乗るようになっていた。ヒを捨てて里者の幸福に浸るのも悪 「お言葉ながら、それがしがいくさをいとうたと仰せられますか」 くない。そう思った。 信長は寛大に左手を振った。 「判っておる、判っておる」 「時は今、あめが下しる、五月哉」 彼はのんびりと声に出して詠んだ。 「兵をどのように整えましよう。兵糧のことは : : : 」 天正十年五月十五日であった。 すると信長はかっての悪童時代をしのばせる表情になって、 「そうさの。猿のあと押しに行くふりでもしたらよかろう」 と答えた。 十四 。それが光秀の直感であった。 家康を : ・ 安土に招いた東海の雄を屠ってしまう。それはいかにも信長らし そのすぐあと、光秀は信長に呼ばれた。 いやり方に思えた。血で血を洗い勝ち抜いて来たこの人物の最後の 光秀を呼び寄せた信長は妙なところにいた。人質曲輪であった。 入口に屈強な兵を一一人置き、陰気でひとけのないその曲輪の一番奥仕あげが家康なのであろう。伯父に当る織田信光と謀って、尾張上 半国の守護代織田彦五郎を殺した。そのあと協力した伯父をも殺 に、ポツンと一人で坐っていた。 し、禍根を未然に断っている。弟の織田信行も殺し尾張の下四郡を 「光秀参上っかまつりました」 手に入れた。妹のお市が嫁いだ浅井長政も信長に殺されている。 すると信長はついそ見せたことのない温顔をほころばせ、 叡山も百済寺も本願寺も、禍根を断っためには敢て悪鬼になれる これへ寄るがよい」 男であった。 と手まねきをした。 : またむずかしい立 随風には報らせてやらねばならぬだろう。 「そちはすぐ亀山へ戻って兵を整えよ」 場に追いこまれる光秀はそう思ってうんざりとした。 「敵はいずれでござりましよう」 「やがて血を見るいくさはなくなろう。さて、そうなればあの猿め すると信長はつるりと顎を撫でた。 もとんと能なし猿じゃ。あれには天下をぞべる才覚はないでのう。 「これ、余計なことを言わすでない」 、 0 くるわ ー 08
光秀は年長者の表情になって言った。 随風は慎重に亀甲をとりあげ・筐底をあらためた。何もなかった。 「これと芯の山に、本当にかかわりがあろうか」 随風はおもてうら、ためっすがめっしながらそう言った。光に向随風は強くかぶりを振った。「芯の山へ急ぐのはそのためでござ るよ。われらはいま危い瀬戸に立っておるのかも知れ申さぬ」 けてすかして見ようとさえした。 「まさか」 「まあそうせくまい。千年の余もたずねていまだに損めぬ芯の山の 光秀は失笑した。万事快調である。ゆとりもできた。だが光秀の 所在じゃ。このような箱から芯の山のありかを記した紙きれでも、 楽観ぶりは、窓の外にひろがる琵琶湖の春がすみとも関係がありそ かんたんにころがり出てみい。ヒの神が泣こうそ」 光秀は上機嫌である。芯の山探求の責務はヒの長にあ 0 て、自分うであ 0 た。それほどうららかな、気のゆるむような日であ「た。 は傍観者だからというのではない。長い苦労のすえ、ひとつひと「これはひとっ光秀どのに苦言を致さねばなるまい」 随風は光秀の気分を損ねぬように気をつかい、冗談めかして言っ つ、すべてが解決に近づいているという充実感のせいであった。 た。「六所ロで信玄の命を狙い、逆にこの身が細って倒れたとき、 だが随風は渋い顔を続けている。 「皆目判らん。光秀どのはそのようにうれし気でござるが、芯の山枕辺で亡き飛鹿毛が猿飛にこう申しておりました。これはネが出た のではあるまいかと : : : 」 の所在が判らずば、天下はたいらがぬ」 とたんに光秀の顔色が変った。 「なんの。みな少しずつではあっても、まさしく泰平の世に向って いるではないか」 「いかにも。われらは少々里者と交わりすぎたのではござるまい 「この世に油断は禁物でござるそ」 か。いや、それが悪いとは申しませぬ。こうならねばわれらのっと 「ヒの長よ。な・せそのように急ぐのじゃ。千年の余も : ・ : ・」 めが果せなんだのでござる。したが、ヒの言いったえには、このよ 「それはまことにそのとおり」 随風は皆まで言わせず、亀甲を筐に戻しながら言った。「じゃがわうなときネが生じるとしてあるではござらぬか」 れら天正のヒには、千年の余もためさなんだことをしてのけており俗界に介入しすぎている。それはたしかであった。何よりもま 申す。飛稚は言い伝えのみで、まことはいつあったことかも知れぬず、信玄を呪殺したことが今日の織田の天下を約東したのである。 空ワタリをしてのけましたそ。六所ロでは十の神籬に四百人ものヒ放っておけば七分三分で織田の減亡の確率が高かったのだ。 「ネか : : : すっかり忘れておったのう」 の祈念を凝らさせ申した。飛鹿毛はおのれの体を産霊山として、言 「ヒはこの世に在ってこの世にあらざる者でのうてはならぬのかも い伝えにもない死に方をしたではござらぬか。それに : : : 光秀どの あるじ とて、ほれこのような城の主となられ、まれな立身をとげられた」知れませぬ。それが織田をかつぎ徳川を救い、天下の為とばかりは 8 申せぬ役を果してしもうたのですぞ」 「皮肉じゃのう、随風」 おさ
信玄も駒場で息たえていた。 折しも改元があって元亀四年七月一一八日、年号は天正元年となっ 春もさかりの四月十二日であった。 とき 光秀はその夏、久しぶりに京で山科言継卿に面会した。一時宮を 十 辞して気儘な暮しをしていた言継卿は、その実ヒに勅忍の宣下を受 けさせた朝廷内の実力者で、この前年の元亀三年、権大納言となっ てかえり咲いていた。 猿飛が信玄を追っている間にも、信長を中心に歴史が動いてい 「織田の天下になるのう」 六十四歳になった言継卿は、権大納言らしい威厳をそなえてい 将軍足利義昭は信長が自分を・天下統一への道具にしたことを覚 り、武田が三方ヶ原に大勝すると、それみたことかとば・かり西近江た。 いまがただ に出陣して、今堅田と石山の砦によった。 「まず八分どおり : : : 」 信長は柴田勝家に命じて石山砦を強襲、更に義昭を追ってみずか光秀は慇懃に頭をさげた。随風はヒの長として、たとえ言継卿で ら上洛し、二条第を囲んだ。義昭は進退に窮して御所に信長との間あってもそれなりの立場を保っているが、光秀は早くから言継卿の のとりなしを依頼し、御所は事態の見通しもないまま、義昭の持っ薫陶を受け、手足のように動いて来た人物である。 将軍職の権威のみを考えて綸旨を発した。やむなく信長は和解して「無事改元も成って、御所のにぎわいも・ほっ・ほっ見られそうじゃ 岐阜に戻った。 ・の」 「早うそうなりたいものでございます」 しかし義昭はあくまで信長を除こうと、再び反織田勢力に呼びか 光秀は御所の人間としての言い方をした。 け、愚かにも信玄の死を虚報と解し、二条第に兵を集めた。 光秀にとっても、義昭はすでに平和を攪乱する患部であった。信「十兵衛尉も大名になる」 言継卿はからかうように笑い、光秀は困ったように庭を見た。ヒ 長の野望と光秀の理想は全く一致していた。光秀は義昭の挙を知る が里者として成功する。光秀にはそのことが恥かしくさえあった。 と瞬間にみずから湖をワタリ、軍船を整えて信長に坂本直航をうな がした。信長はよろこんで琵琶湖を渡り、ただちに京へ入って二条「ところで、東大寺の勅封倉に何やらヒにまつわる品があるとか : 第を攻めた。義昭は再び窮状を朝廷に訴えたが今度は見棄てられ、 : まことでござろうか」 まぎのしま 宇治の槇島へ脱出はしたものの、とらわれて河内の普賢院に送ら光秀は話題を変えた。 れ、剃髪して再び僧に戻った。 「あるらしい。西洞院時慶が見たと申しておる」 室町幕府は消減し、織田の天下が実現したのである。信長は勅命「どのようなもので : : : 」 を奉じ、諸国平定の政令をくだすことになった。 光秀がせきこんで訊ねるのにおしかぶせるように、言継卿は太い る。 こまんば こ 0 おさ 8
「あおのけには死ぬまいぞ : : : 」 焦げた柱が立っている。屋根は焼け落ち、焦げた柱だけが死者をと それは自分に言い聞かせているようなつぶやきであった。 むらう卒塔婆のように天をさしていた。「武力で叡山を焼いた。信 長のこの行いは天下を震えあがらせるであろう。あの者の天下統一 「よう見よ。これがいくさじゃ」 への意志がどういうものか、これで人々は思い知ったのじゃ。あの 先頭の僧も足をとめ、腹の底からしぼり出すような声で言った。 従える者は、な 僧の歳ごろは三十五ほどであろうか。秀でた額、整った眉目。幾分者に従わぬ人間は死を賭した勝負を挑むよりない。 / 面長で耳朶がひどく豊かであった。肌はしつかりと陽に焼けてたくまじな策略を棄て、ひと思いにつき従うよりなくなったのじゃ。織 ましい 田信長はいま、天下にそれを示したわけよ。たしかにすさまじい心 「随風さま。このような山中の堂塔伽藍が、どれほどいくさの役に意気ではある。千年の権威も血のつながりも断ち切って、いまあの 男は天下に味方か、しからずんば敵かと問いかけたのじゃ」 立っておりましたのか、お教えくだされ」 子鹿と同じ年恰好の若者が言った。色白で薄い唇をした、見るか随風は再び歩きだしながらそう言った。 さと 「や、随風さま。瑠璃堂が焼け残っておりますそ」 らに敏そうな若者であった。 「比叡は無論地の利を得ておる。ここに浅井・朝倉の手勢がこもれ 小具足姿の若い武士が大声で叫んだ。声と同時に二人の少年が列 ば織田は京と南近江に釘づけになる。だが堂塔伽藍に多くの意味はを離れ、小道へそれて走りだした。 なかった」 「ようも火をのがれたものじゃ」 「幼い頃より寺や宮を建てるすべを学んでまいりましたが、あの弾随風もそうつぶやきながら小さな瑠璃堂〈近づいて行く。 じようちゅう 正忠のさきざきのおそれとなるような力が、この叡山の堂塔伽藍元亀一一年九月十二日。信長によって突如侵され、根本中堂をはじ にあったのでございましようか」 め山王二十一社、東塔の坊舎などすべてを焼き払われたこの比叡山 重ねてそう言われた随風は、かすかに眉を寄せて相手を眺めた。 にあって、西塔の近くに道から外れてひっそりと建つ小さな瑠璃堂 だけは、全くの無瑕で難をまぬがれていた。 「そうか。藤右衛門は宮大工であったな」 「はい」 「なぜこれは火をまぬがれたのじゃ」 「寺の建物にもいくらかは城や砦のような力はある。しかし所詮寺藤右衛門はあたりの地形を眺めながら小首をひねっている。 われ 「あほう。藤右衛門のあほうめ。汝は信長めとひとつじゃ」 は寺じゃ」 だんじようちゅう 「何を言う、小鹿」 「では弾正忠はなぜ叡山に火をかけました」 「織田信長にとっては、叡山に火を放っこと自体に意味があった : 「もう俺は小鹿ではない。与右衛門という名がある」 「おうそうか。それならば藤堂の与右衛門に訊ねようではないか。 この俺がなんで信長とひとつじゃ。言うてみい一 随風はあたりを見まわしながら言った。すぐ近くにも、黒こげに だん 0 8
のための勅忍宣下を、言継卿から最も早く知られていた関係もあ 「ネか : : : 」 光秀はまたそう言「て唸 0 た。ネに形はないとされている。つまり、また堺の豪商らとの交際も深か 0 たため、さかんに織田家と文 8 りヒが介入しすぎた世の中で、それがどう連鎖反応し、次の歴史を化人たちの間をとりもっていた。 どう歪めて行くかである。その動きを予測することは不可能であろ信長はいち早く鉄砲の重要性を認め、堺を通じて武器弾薬の調達 をはかっていたので、堺の貿易商たちから海外知識の吸収につと う。ヒが踏んだ草の命、蹴った石の行方まで、あらゆるファクター が調べ尽されねば、それらが集積した結果は予測することができなめ、いっそうその鋭敏な時代感覚にみがきをかけて行った。その結 いのだ。 果、天正四年五月からはじまった石山攻囲戦が、本願寺門徒衆の頑 強な抵抗にあって長びいた時、九鬼嘉隆、滝川一益らに命じて驚く 十ニ べき巨艦を建造させ、石山本願寺の海上封鎖に用いたりした。 光秀はその巨艦の余りの評判に、微行して木津川川口へ見物に行 っこ 0 だがネのあらゆる気配は、一向にない。 天正三年三月、信長は御所の栄えをとり戻すため門跡、廷臣らの鉄艦であった。信長は大艦巨砲の戦艦艦隊を持ったのであった。 借銭、借物をすべて破棄させる徳政令を出している。借財に首のまその発想はこの時すでに光秀らの及ぶべくもない近代性を獲得して わらなかった御所の人々は肩の荷をおろしてほっとすると同時に、 いたのだ。鉄板装甲を持ち、大鉄砲を無数にのそかせたその大坂湾 織田信長が結局は救国の忠臣であったと感じた。 上の巨艦を、光秀はただただ呆れかえって眺めた。 右大将は狷介だがよい男である。 : : : 信長は上流の信望を集めて天正六年十一月、石山本願寺救援のため、毛利の水軍六百余隻が 行く。それはさらに五月、信玄の遣志を継いだ武田勝頼の来攻を、木津浦で信長の戦艦に海戦を挑んだが、信長は堺衆の手で、海外よ 家康と協力して三河長篠にうち破ったことで、いっそう高まって行り新兵器である大砲三門をひそかに輸入して、これに搭載させてい これとう 御所の親任は信長の部下にまで及び、光秀も惟任姓を与えられた。毛利六百の水軍はこの不沈戦艦に散々に撃ち散らされ、二度と て日向守となった。この補任はすでに栄誉のみで実質の伴わぬもの挑戦することはなかった。 まにわ それはポルトガルの知識であった。どうやら信長には発想を制約 ではあったが、それだけに秀吉の筑前守、直政の備中守と並んだ とき、惟任光秀の日向守は、いささか言継卿のいたずらであったよする枠というものがないらしい。彼はしきりに金銀銅の産出を欲 うである。 し、諸国の鉱山の領有を狙ったが、それは富に対する欲求というよ りは、信長の統一国家構想のひとつであったらしい 信長は俄然文化人としての側面を示しはじめていた。茶を愛し、 千宗易らを京都妙覚寺に招いて茶会を催し、天下の珍器に惜しげも信長はかって足利義昭を奉じて入洛を果した時、いち早く銭 なく金銀を費した。醍醐三宝院の門跡、義演僧正などは、信長擁立を発していた。新将軍をさしおいて選銭令を発したことが、義昭の
淕霊山祕録第ニ話 真説・本自寺 半木寸良画 = 武部本一郎 泰平を願う一心から固い掟を破って 信長の背後で暗躍するヒー族 ! 俗界に介入する決死の秘術を用いた彼らの前に 不気味な歴史の反作用が頭をもたげた ! この物語の主人公は『ヒ一族』女を持たぬ女人禁制の一族で、完光となって映ずる。ヒは伝承によ親町天皇から勅忍の宣下を受け、 全な妻問いの形を保ち、生れた男りそれを白の矢と呼び、その矢織田信長に天下を統一させて朝廷 である。 むすびのやま ヒは『神統拾遺』によれば天地児のみをひえと称する養育地に集の到る土地が産霊山である。そしの復権をはかるが、時代は果然動 創造以来の最高神である部御産霊めて成人を待っ掟を持 0 ていた。て問題の産霊山は各地域ごとにこきだして、兄である明智十兵衛光 秀と共に俗界の争いにまきこまれ 神の直系の末裔で、往古は天皇家彼らが人々の先駆となって探究まかく存在している。 むすびのやま の更に上位にあったとさえ言われしたのは、産霊山という聖地であヒは攻撃的な武器を持たない。てしまう。 った。産霊山は生きとし生けるも彼らに与えられたのは各地の産霊我々は彼らヒをまき込んだ歴史 ている。 いぶき その理由はヒが人々の先駆としのの明日〈の願いをイン。フ , ト山を結ぶテレポート用具の、伊吹を知 0 ている。しかし歴史の裏で て、常に新しい土地を究め、後続し、明日をさだめる玄妙な機構で依、鍬という三種の神器だけヒがいかなる働きをしていたか は、この産霊山秘録のみの語ると する天皇家にその経営をゆたねたあるらしい。明日への願いは特異である。 ことによるらしい。ヒは一族中に体質を持っヒにとって、一条の白天台の僧随風はヒの長として正ころである。 す気、い鶩 - を髫わメ おさ
声で詠じはじめた。 に追いやってまで、今日の織田政権を招来させた随風にとって、芯 「ひむがしの、むすびの山へ雲ったふ、しろがねの矢を、いわへかの山の探究は殆んど悲願にさえな 0 ているのだ。その品を随風にや 8 むぬし」 ・光秀はそう思った。 薤の「一へふ しろがね いはかむぬし 白銀の矢を祭へ主 光秀は眼を半ばとじ、虚空にその歌を文字にして浮べていた。ま さしくそれはヒにまつわるものらしい。ヒに伝わる古謡と一致して信長はいまや破竹の勢いであった。 朝倉義景を自刃させ、次いで浅井長政とその父久政を共に自刃さ こばこ せると、その翌年には従三位に叙せられ参議となった。 「この歌を箱書きにした筐があったそうな」 「中は : : : 」 伊勢の長島一揆を壊減し、ついに言継卿と同じ権大納言にのばっ て右近衛大将の栄位についた。そして天正一一年の三月、言継卿の言 「知らぬ」 言継卿は素気なく言った。「案ずるな、十兵衛尉。実はそのうったとおり、名香闌奢待を下賜された。勿論光秀も例のを賜わ ち、御所は信長にいささか功を酬いてやることになっておる。信長り、すぐに随風を招いてその蓋をひらいた。 ~ 茶が好きなそうじゃが、まことか」 湖から春の香が湧きたつような坂本城の一室である。光秀の好み 「ま、 P 茶もでござるが、むしろ茶の用にする珍奇な道具類には殊は渋く落着いていて、このごろはやりの派手好みはどこにも見当ら の外の執心にて」 「なるほどのう、あの男らしい好みじゃ。それではなおさらのこ 「箱書きはそう古いものではないらしい」 と、正倉院のあれがよかろうな」 随風は歌の文字づかいからそう判断して、幾分不満そうに言っ 「何を信長に賜りますのでござる」 が、蓋をとり除けたとたん息をのんだ。中にはいつの時代のもの 「香木よ。閾奢待じゃ」 闌奢待。それは希代の名香とされ、三字の内に東大寺の文字が隠とも知れぬひどく古びた亀甲が一枚入っていたのである。 されている神秘的な香木であった。「あの香を信長が下賜される亀トに用いられたものであることは一目瞭然であった。火の跡が 時、そのほうにヒの歌の箱書きをした筐が渡るようはからって置こありありと残っている。 う」 「はて、難問じゃのう」 光秀は心から礼を言った。万一それが芯の山の手がかりであった光秀はたのしそうであった。謎のかたまりのような亀甲一枚とい なら : : : そう思うと心がふるえた。飛稚、飛鹿毛の一一人を悲惨な死うのが、いかにも産霊山の芯の山にふさわしく思えたのだ。 こばこ