光秀 - みる会図書館


検索対象: SFマガジン 1972年6月号
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1. SFマガジン 1972年6月号

猿飛は遠い昔の若い随風を見ていたようである。飛地蔵の森を兄にあり、京周辺の遊山に出されて、本国家臣団との連絡も絶たれる の十兵衛と駆けまわった随風。里者の女を愛した随風。その女の産程であった。 んた男児を権爺に託した随風。そして三子の内二子までを平和への光秀がひとりその中で親任され、京市中襲撃の実施部隊に選ばれ 闘いで失った随風。 ていたのは、信長が光秀の理想主義を誤解したためではないかと推 猿飛は父の顔に人生を読んでいるようだった。 察されるが、両者ともあいついで死んだ今となっては、その詳細を 明らかにすることはできない。 しかし、信長の計画が今少し違っていたら、歴史はもっと簡潔な ものになっていたであろう。 遠く神代よりとされるヒの伝承によれば、ヒが不当に俗界に介入 たとえば、徳川家康がその本拠である東海にあったなら、たぶん した時、その穢れが積ってネが生じるとされている。 秀吉の中国大がえし、およびそのあとの山崎合戦という事態は生じ 光秀、随風らがヒ一族として乱世を鎖める為、織田の天下招来になかったに違いない。本能寺の変が起れば、家康がまず第一に京へ 努力した時、そのネは信長の天皇制否定となって動いた。 或いは近畿一帯に入り、光秀に対しもっと穏やかな策を講じたに違 随風の兄に当る光秀は、そのクーデターを身を挺して防ぎ、本能 . し / 、し 寺の変となった。そして光秀はそのまま以後の十二日間を、自己の いやむしろ光秀はそれをこそ望んだであろう。彼はやむを得ず三 政権樹立の方向に走り、遂に山崎の合戦で秀吉に敗れ、小栗栖の小 日天下の道を走ったのであって、家康が後事を受けてくれれば、自 径でその人生を終えた。 軍に恭順を命じ、それこそ本来のヒに戻って、猿飛のように山にか しかし、信長に西欧の思考法を教えた巨大な影の如きネは、なおくれたであろう。或いは喜んで家康に首をさずけ、徳川に天下の機 も動きの尾をひき、歴史を複雑にしている。ひとつには、信長のク会を与えたかもしれない。 , ーデター計画が緻密でありすぎたためでもあった。 だが、いち早く、それも驚異的な速さで駆けつけたのは中国から 信長は麾下の諸将といえど、源平以来の天皇家尊重の精神で動くの秀吉であった。ひょっとすると光秀は家康にこそ来てもらいた 可能性があることを強く警戒していた。そのため、天正十年六月上 、家康の一刻も早い来着を待ち望んでいたのかも知れない。 デ 旬という、 いわば信長にとっての作戦開始日には、諸将が中央から この頃から伊賀、甲賀の忍びが徳川体制に組み込まれたことを見 遠く散っていることを望んだ。 ると、忍びの宗家であるヒが、家康の帰国に何らかの援助を与えて 柴田勝家は北陸。滝川一益は関東。羽柴秀吉は中国。そして身内 いた可能性がある。 の信孝と丹羽長秀までが四国へ渡るところであった。 ともあれ、皮肉なことに、光秀が次の権力者としての素質を最も 最も警戒すべき家康に至っては、単身本国から引き離されて安土低く感じていたであろう秀吉が、この時代の最新の軍事を心得てい 2

2. SFマガジン 1972年6月号

産霊山秘録を語り進めるに当っれは筆者に絶望しかもたらさぬ。ある。徳川家康に東照大権現の称歳を超える人物なのである。この て、毎回誌面に余白を与えられ、産霊山秘録は殆んどノンフィクを与え、仏教と神道を融和させた事実自体、作家として語れば 補遺とさせてもらっている。然しションである。よきフィクショ山王一実神道の祖である。信長にすでにフィクションとされてしま き今回は筆者自身について少し語りンたらんと、筆者は懸命にあがいよって天燼と帰した比叡を再建うのだ。依玉、伊吹、御鏡の三種 ているが、原典が余りにも的し、大僧正や慈眼大師の号を贈らの神器は、今も至る所の神社にそ カたい。 まこの秘録に手を染めて、筆者少で、笨者としては資料にふりまわれている。随風はその若年の称での痕跡が認められる。いったいど ある。 こをどう虚構化したらよいのだ。 者しく悔いている。なぜなら、人々されるばかりである。 がわが虚構世界の構築力につい高御産霊神の末裔、ヒ一族の長いったいどう虚構化すればよしかも日本神道大学の神餘教授ら て、恐らくは外交辞令ながら多少である随風に至っては、たとえばい。筆者は夜ごとそのことに苦し著名なヒの研究家が、続々と手に の讃辞を口にするからである。他平凡社世界大百科事典にも明確にんでいる。たとえば随風すなわち負えぬ資料を送って下さる。どれ の作品ならば素直に喜びもしょ記載されている。南光坊天海。そ天海僧正の生存期間は、 1536 もこれも余りにも的な事実ば ~ 1643 となっている。実に百かりである。全く困ってしまう。 う。しかし産霊山秘録に限ってそれが随風の正史にあらわれた名で 入った。秀満は自軍の諸将を論して城から出し、死を決して動かな い譜代の将士らと共に城門をとざした。 名刀、墨蹟、茶器の逸品など、光秀が生前蒐集した文化財を厳重 天正十年 ( 一五八一一 l) 六月の十五日。 に荷造りし、これをやがて包囲した堀秀政の陣へ送り届けた。 琵琶湖を一艘の小舟が北へ向っていた。漕ぎ来った方角には、今やがて戦端が開かれ、包囲軍と籠城側に多少の死傷者が出た。し にも降りだしそうな雨雲の下に、比叡の山塊が濃紺の影となってう かしそれは立場を異にしてしまった男と男の儀礼でしかなかった。 ずくまっている。たれこめた雨雲のせいか、湖面の気配もしらじら勝敗は既に決していた。包囲軍は優れた武人の死に、烈しく勇敢 しく、生気がない。 に攻め寄せることではなむけとし、籠る側はその挨拶に深い共感と 濃紺の山塊の麓から、煙がたちの・ほっている。煙は白い幕とな感謝をもってこたえた。 湖水の上をゆっくりと這うように南へ流れ去って行く。 やがて儀礼の一戦が終ると、秀満は天守へ登った。光秀の女婿と 煙のもとは陥ちた坂本城である。 して終生を義父の事業に捧けた明智弥平次秀満は、その奉仕の最後 艪の音がきしむ。ふなべりに波が当り、しっとりとした音をたての仕上として、光秀の妻子を刺殺したのである。更に別室へさがっ てみずからの妻を殺し、煙硝に火を放って燃え拡がるのを確かめて る。いま、小舟の上にそれ以外の物音はない。 静かな落城であった。守将明智秀満は、義父光秀が山崎においてから切腹した。 小舟はその少し前に岸を離れていた。 敗れ去ったことを知ると、極力戦闘を避けて安土から近江坂本城へ おさ かな・ - り 6

3. SFマガジン 1972年6月号

小四郎は闇の中を長浜方面へ探りに出たのである。だがたちまち 若。若はまだ十三じゃ。小四郎のように重い想いを背負って歩むに は、道が長すぎよう。忘れてしまえ。あの坂本の煙も、十三までの女兵の一団に捕えられてしまった。それは空城同然の長浜城から一 2 身分も、母上の顔も、そしてこの小四郎が若の家来であったことも旦退いてこの辺りに野営していた、秀吉麾下の将士の留守家族たち 忘れてしまえ。もう若を若とは呼ばぬそ。小四郎はわれを太郎五郎であった。阿閉一族は信長死すの変報にいち早く長浜城を奪ったも これとう と呼びすてにしよう。惟任日向守光秀などという人は忘れてしまのの、以後の風向きに備え、女子供に手出しすることをさし控えて え。太郎五郎はこれから一人しやそ」 捕えられた小四郎は、妹の名を言った。妹の千代は、この時代の 小四郎は言うだけ言うと艪を押す腕に力をこめ、いよいよ遠ざか る岸に顔を向けた。小舟の揺れが急になり、遂に太郎五郎は小四郎世間に聞えた存在になっていた。 「山内一豊どののお身寄りなそうな」 の泪を見ることがなかった。 それだけで警戒が一度に解けた。千代はすぐ闇の中から走り出て 来た。 「坂本は陥ちましたか」 暗い夜。小舟は琵琶湖の東北岸、姉川の川口に近い辺りへたどり千代は囁くように訊ねた。 「秀満どのが見事に跡をされた : : : 」 着いた。 したおび 小四郎はそこまで言い、一度に涙をふきださせた。両掌を顔に当 太郎五郎は湖岸の漁師の伜たちのように、髪をわらで東ね、褌 ひとつで舟の胴に寝そべっていた。秀満が太郎五郎ひとりを小四郎て、きつく結んた唇から、時折りこらえ切れぬ声が洩れた。千代は ごうのよしひろ あかし に託して小舟にのせた時、後日の証しに持たせた光秀秘蔵の郷義弘兄の肩をかかえるようにして道ばたの木立の中へいざなった。 の脇差も、若殿らしい衣類ともども湖底に沈めてしまったのであ「千代。虚しいそ」 る。 小四郎は呻くように言った。「殿はただのさむらいではなかっ 湖に突き出た坂本城で育った太郎五郎は、裸になれば見事に陽焼た。一度もお語り下されたことはなかったが、ただのお人でないこ けして、漁師の子と見境いがっかぬ程であった。 とは知っていた。神が人の世につかわしたみ使であられたのだ」 「よいか。舟にじっとしておれ : : : 」 千代は眉をひそめてそう言う兄の肩をだいていた。六月の闇がそ 小四郎は厳しくそう言って陸の闇にしのび入った。 の不審げな表情をおしつつんでいる。「俺は知っていた。殿が信長 秀吉の居城である長浜城は、本能寺の変の直後、光秀に呼応して公の天下を招来したのじゃ。いくさをなくし、この世に泰平をもた あつじ ・ : それがなぜ。それがな・せおんみず 立った阿閉貞征父子によって占拠されていた。しかし山崎の敗戦でらそうと遊ばされたのじゃ。・ それもどうなったか判らない。 からの手で信長公をお倒しあったのか。もうさむらいはいやじゃ。

4. SFマガジン 1972年6月号

艪を押しているのは石川小四郎であった。小さな舟の舳先に近いう。人は人 : : : みな同じじゃ。ただ運と不運があるのみよ。人は一 あたりにうしろむきに坐り、かすかに上りさがりする舟の揺れに呼度生れた家を離れ、やがてまたみずからの家を持つ。なぜに : 吸を合わせるかのように、ゆっくりと息をしているのは、光秀の長おのれの運をためさんがためじゃ。生家を離れておのれの天運に明 日を賭け、その運次第の家を持つのじゃ。なぜに : : : 。子を産み育 男、太郎五郎であった。 てる為にじゃ。子が産れ子が育つ。その家は子の故里じゃ。したが 明智太郎五郎。十三歳である。光秀は彼を十五郎と呼んでいた。 その子はまた家を離れる。そのくり返しじゃ。若は今家を離れた。 他家への文書にもそう記したが、城内では太郎五郎と呼ばれてい た。その呼名のほうが古く、十五郎は十二歳の正月に与えられた名離れようはいろいろあろう。敵に焼かれ親兄弟を殺されて逃げのび るのもさだめのひとつじゃ。あと追う親の手を振り切り、あらぬ夢 であった。 わかわか に身の程を忘れて走り出すのもそのひとつじゃ。一人になった他国 「若。若 : : : 」 艪を押しながら小四郎はふた声ほど呼んだ。太郎五郎は放心したの道で、どちらがどうとも言えなかろう」 太郎五郎は唇を噛んでいたが、急に息をつめ、次に一気に喋っ ように坂本の煙を眺めている。「皆死んだ」 小四郎はひどく突き放した声音で言った。 「仇を討てとはなぜ言わぬ。小四郎は殿の家来であろうが。それも 「人は死ぬ。死ぬ迄生きねばならぬのじゃ」 いちばんに古い家来ではないのか。落ちのびて家を興し、亡き殿の 太郎五郎は眉を寄せ、いぶかるように小四郎の顔を見あげた。 名を継けとはなぜ言わぬ」 「弥平次どのも十兵衛どのも、よう生きたほうじゃ」 それは生れてこの方、光秀の長男が一度も見たことのない小四郎「無理なことを : : : 」 の表情であったに違いない。それは一人の子供に対する大人の顔で 小四郎は嘲るように言った。 あった。縁やゆかりを超えた。一人の男の顔だったのである。 「信長公は十兵衛どのの主君じゃ。主を倒した者が、すぐまた倒さ 「よいか若。若の生涯は今はじまったと思うがよい。この湖の小舟れれば天下に正義の樹てようもない。十兵衛どのは未来永劫逆賊の ・ : 故里もない。こ名をかぶせられよう」 の上からじゃ。母もない父もない兄弟もない。 れからは、行く先ざきの土が故里じゃ。戻る土地があると思うな。 「黙れ小四郎。十兵衛どのとはついそ聞かぬ言いようじゃ。な・せ との みなそうして生きておる。そうして生きて、やがてなんとか家を持殿と言わぬー つ。運さえめぐれば、家にはやがて蔵がっこう。城にもなろう。安「すでに亡き人じゃ。俺は懐しんで十兵衛どのと呼んでおる。昔は 土や坂本のような、天守のついた見事な城にもなろう。時には百姓そう呼んでおったものじゃ」 になるもよかろう。武士と言い百姓と言い、みな人は人じゃ。で太郎五郎は威圧されたように沈黙した。「主でもなければ家来で もうこの小四郎には終生忘れ得ぬあの世の人じゃ。よいか のうて、なぜ百姓が武士になれよう。武士がどうして百姓になれよもない。

5. SFマガジン 1972年6月号

「それで : : : 」 た。俗世に介入せぬことを掟の一部とし、それに何の疑念もさしは さまずに来たヒが、随風の代になってのめりこむように俗世の動き 「私めは宮大工として、宮や寺を建てることにヒとしての生れをい かすつもりでござる。人の祈りをよく集め、よい明日が作れましょに没入して行くのだ。随風自身、勅忍の宣下以来、御所の与えた使 命が終ってもその動きをとめることができなかったではないか。ヒ うなら、ヒとしての役目は十分に果せたことになると存じます」 に新しい命がはじまっている。 随風は刺すような視線を藤右衛門に送った。 「芯の山はどうする」 随風は眉をあげて暗い空を見あげた。 「果して芯の山なるものがございましようか」 四 藤右衛門は悪びれる様子もなく、ズケリと言った。「すべての むすび 産霊の山の上に位する芯の山があり、この世の祈りはすべてそこに 集って明日を定める。 ・ : まことならば是非ともたずね当てねばな数年後、随風は信濃の僻地で猿飛を見た。 りますまい。だがヒはそれを求めて千年の余もさすらっておるでは猿飛は武田信玄を兄飛鹿毛の犠牲において呪殺してからというも ござりませぬか。ヒが昔ながらにあてどなく諸国をたずね歩 く間の、ふつつりとヒ一族の前から姿を消していた。彼がヒの者として に、人々は非業の死をとげ、いわれのない罪に苦しんでおりましょ 芯の山探索の為に預った産霊山は諏訪大社であったから、いずれ信 うが。けものは矢で射られ、山の草木は畑とする為に焼き払われて濃あたりにかくれ住んでいるものとは思われたが、随風が折りを見 おり申す。ヒは芯の山を求めるがそもそものありよう : : : そのことては何度も探索の手を伸したにもかかわらず、一向に消息が擂めな は充分承知の上でござる。その上でなお、この藤右衛門は、いま、 いでいた。 今日の役に立ちたいと考えるのでござる。芯の山をたずねるヒ、宮随風は正倉院御物中の古代の亀甲を手がかりに、そこに描き出さ や寺をたてて今日の祈りを集めるヒ : : : 所詮同じ役目ではござりまれた線に見合う地形を求めて関東、東北の各地をたずね歩いていた こうづけ すまいか」 が、猿飛の手がかりを発見したのは、上野から鳥居峠を越え、信濃 に入って神川の谷を下ったあたりであった。 「なるほどのう : : : 」 随風は太い吐息と共に言った。「里者となってもヒの役は果せる随風はその神川を更に下って真田を経、西北へ道を取って地蔵峠 と申すのじゃな。いや、叱ってはおらぬ。藤右衛門の考えようは、 から松代へ出るつもりでいたらしい どこやら光秀どのと似通っておるようじゃ。光秀どのは織田の一部神川を右に、山腹の小径の登り下りをくりかえしている時、行手 将となることで、この世に太平をもたらそうとなされた。・ よいの道をさっと横切る影があった。随風は足をとめ、谷側の茂みへ去 わ。藤右衛門、思うようにせい」 って行くその影を見送った。陽焼けした頬の辺りに、浸み出るよう 時代が動いている。 随風はそれを痛いほど感じたらしかつな微笑があった。

6. SFマガジン 1972年6月号

球という星であったことに、彼は気づく間もなかった。 猿飛はほんの数瞬で月にいた。月にいた猿飛は、すでに息たえて 同じように、一豊も掛川三万石から、戦後一躍土佐二十四万石の 大守となり、幕末に至るまでその地位がゆるがなかった。 ところで、坂本落城の折り、石川小四郎の操る小舟で琵琶湖にの がれ、小四郎の妹千代を頼って近江長浜に辿りついた明智光秀の長 十五 男十五郎こと太郎五郎の行方である。 太郎五郎については、もったいぶってこの物語の後段までその人 関ヶ原合戦の詳細をここで述べることは、正史と全く重複する。 物の説明を持ちこすこともあるまい。 従って正史に欠けた部分のあらましを補足するにとどめる。 現代 : : : 南国市後免の北約十キロばかりの国道三十二号そいに領 西軍には幾つかの奇妙な行動があった。 そのひとつ、小早川秀秋の裏切り・ : : ・果してそれは裏切りであっ石という地名がある。そこで国道をそれ、川にそってのぼると、や たのだろうか。松尾山に陣をしいて動かず、突如目覚めたように大がて太郎五郎の墓が実在している。 谷吉継の兵にうってかかったのが、ヒの秘術によるものであったと墓石には明和四丁亥十一月吉日という日付のあとに、それを建て た一族の名が三つつらなっているのを読みとることができる。 いう証拠は何もない。 しかし関白秀次の件を知る者にとって、更に進んだ呪法が、その太郎五郎が山内家の移封にともなって、遂にこの地で生涯をとじ ような大勢の人々を動かし得たであろうことは、容易に想像ができたことは容易に想像がつく。 そのあたりの地名は才谷。太郎五郎の土佐における姓は坂本であ る。 る。坂本太郎五郎は、今日坂本竜馬の祖として知られている。 また、島津義弘の一隊が、全くたたかわず、西軍の惨敗が決して 〔第三話・完〕 から、至難の中央突破による撤退を行ったことも、ヒの働きを介在 させれば簡単にうなずけるはずである。 2 0 0 < ・・ヴァン・ヴォクト そのほか、長宗我部盛親、吉川広家、福原広俊らの行動も、予定 宇宙製造者 された裏切りと見ても、ヒによる呪法の成功とみても、どちらもう 字宙の運命を背負い未来世界を逃げまわる男 ! なずける行動ではある。 ともあれ関ヶ原の合戦はこのようにして東軍の圧勝におわり、徳 ー 7 0 エドガー・ライス・ハロウズ 川政権の実質的な開幕となったのである。 時に忘れられた人々 高虎はこの間の功労により、のちに伊勢・伊賀一一十二万国を領 大原始境に親友を求め飛びこんだ彼の運命は ? し、外様でありながら譜代以上の処遇を受けて変ることがなかっ こ 0 , ツ、ヤ : カグ , S F 文庫 力、文 9 4

7. SFマガジン 1972年6月号

せられ、聚楽第に接した内野に京の別邸を贈ろうと約東された。秀 長はその工事の監督を高虎に命じた。 秀吉が暗殺計画にどのような手段を用意していたか、今日ではっ まびらかではない。しかし、与右衛門、藤右衛門のヒの兄弟がそこ にいた限り、成功のしようがない。家康は正三位を贈られて無事岡 崎へ戻っている。 藤右衛門に大きな功績があったことは確実である。なぜならその 翌年、中井藤右衛門は在京のまま徳川家の大工頭として二百石を給 せられ、異例の直参家臣となって、名も正清とあらためたのであ る。 が、それは傍話。 その後高虎の暗殺が急に数をます。 高虎がこの時期からしきりに豊臣一族の暗殺に力をそそいだの は、彼のお市の方に対する憧憬が動機となっていた。 秀吉がこの時期、お市の方の長女茶々に手をつけたからである。 それは嫉妬をまじえていたに違いない。極端に憎む男と極端に憧 れる女がひとつに体を交えたのを知った時、高虎は雄の鬼になった のかも知れない。 表面は秀長麾下の有能な部将として、実直な風貌にかくれなが ら、変質者的性格を育てあげて行ったのであろう。 それを煽りたてるのが、秀吉の傍若無人な色狂いである。茶々を 側室とするだけでも発狂せんばかりの想いに駆られるのに、その側 室が茶々ひとりではないのだ。 たかよし まつのまる その中には京極高吉の娘竜子もいる。松丸殿と呼ばれる竜子は、 光秀に加担して近江海津城で秀吉に殺された武田元明の妻であっ た。殺した男の妻を側室にしたのである。しかも屯子の母は浅井久 の誘拐や殺害が行われ、共産主義者 の影響が高まるだろう。 ( ジョセ ④年内には、ベトナムでもラオス フ・ドネリイ ) でもガンポジャでも、停戦は宣言さ これは、すでに当っていると言え れないだろう。したがって、米国は るだろう。ところで、同じ特定の人 それらの地区に兵隊をとどめておく に関するものと言っても、もっとく が、やがてはぎごちない停戦状態で だけたものもある。 戦は終了するだろう。 ( マルバ・デ 6 ・アリストートル・オナシスは 五月ごろ健康を害するだろう。 ( コ 一方、米国の次期大統領は、いっ たい誰になるのか。 7 ・ムハメッド・アリ ( クレイ ) は 0 次の大統領に選はれる人は、こ 挑戦試合で、選手権者ジョー れまで余り知られていなかった人で イザーを破るだろう。九回までにケ あるが、結局その地位にふさわしい リがつく。 ( 同前 ) 人でなかったことがわかる。 ( マリ さらに予言は、今年の十一月に予 オン・オウエンス師 ) 〇次の大統領として私の霊眼にう 定されている米大統領選挙およびべ かぶのは、濃いプロンズの髪を一方 トナム停戦が果していつ行われるか の側でわけた、四十代の人で、非常 などについても触れている。 にハンサムで、体格のよい人であ 米国は一九七二年十一月までに る。 ( カウンテス・アマヤ ) ベトナムから撤退するだろう。 ( バ さて、最後に、これが当れば本当 ーティ・キャッチング夫人 ) に大したものだがい日時から場所ま ②九月から十月にかけて、ベトナ ではっきりと示した予告がある。 ムから大幅な撤退が行われるだろ 8 ・一九七一一年の十月一一六日に、五 う。しかし、全面的な撤兵には、も 百名にのばるロシア系のユダヤ人が っと時間がいるだろう。それと共 反ソ・ヒエト活動の罪で告発され、各 に、一九七二年の終りまでに、米国 六十年の刑に処せられる。 ( ドクタ は東南アジアからはずっと遠い地域 ・エルネスト・モンゴメリイ ) で、別の戦争にまきこまれるだろ この予告者は、一九六九年八月八 う。 ( コマー ) 日のある有名なハリウッドの女優シ ③ベトナムでの戦は、一九七二年 ャロン・テート他五名の大虐殺事件 の七月中ごろまでに次第に終りに近をも一一月ばかり前に当てた人だとい づくだろう。しかし、やがてその後うが、果して、これらの予告が適中 米国は中近東での戦にまきこまれるするか否か、楽しみに待っていよ だろう。 ( イングリッド・シャーマ う・ ( 近代宇宙旅行協会提供 ) 世界みすてり・とびつく 5 っ )

8. SFマガジン 1972年6月号

と一 = ロ、んよう。 そのしあわせを、信長は鬼のように引き裂いたのである。信長の 命に応して秀吉が浅井夫妻の楽園を踏みにじり、天にした。あまっ さえ、信長は夫妻の愛の結晶、万福丸を串刺の刑に処し、浅井久 政、長政父子のされこうべを岐阜城に飾って翌る新年を祝った。 高虎の心に、底知れぬ黒い淵が裂けたのはこの時であった。 だが時は流れて行く。高虎も生きねばならない。かって浅井の所 領であった近江長浜に秀吉が本拠を置くと、その麾下にある山内一 豊のってで、彼は秀吉の異母弟、秀長の部下となった。 そして十年。ネが動いて本能寺の変を生じた。秀吉が意外な天下 を拾い、高虎の美の理想であるお市の方は北の庄で命を断った。古 い傷がうずき、憎悪が復活した。 天正十三年の或る寒い日。高虎はひそかに三種の神器をたずさえ て、丹波亀山城へ向った。それはかっての光秀の居城であったが、 あるじ いまは信長の第四子於次丸 : : : 秀勝が主になっていた。秀勝は秀吉 カ高虎が暗い貌に何 夫妻ときわめて親密に暮し、愛されていた。 : 、 やら謎めいた微笑を泛べてその城を脱出したとき、秀勝はすでに居 室で悶死していた。 だが、それは秀吉にとって一時の悲嘆でしかなかった。秀吉にと って有益であった織田信長の実子との親交も、この頃にはすでに無 用のものとなり始めていたからである。 この頃、秀吉は家康暗殺さえたくらんでいた。秀吉は家康を岡崎 から引き出すことに成功し、大坂城に招いて秀長と共に大いに饗応 を尽した。 大和の宮大工中井藤右衛門は、この時京に聚楽第を造営中であっ た。家康は一途に自慢を演ずる秀吉に連れられてこの工事現場を見 認年の予言をテストしよう ドネリイ ) 今や日本のみならず、世界的に占 プームで、各種の雑誌や新聞が機会 これらあたりが、一応当っている のあるごとに、いろんな人たちの未と言えるだろう。だが、このうち後 の二つは、誰でも一応予想出来たこ 来予見を掲載して読者の興味をひい ているが、それらはどの程度当るも とだ、と言えるかもしれない そこで、次にこれから決着のつい のだろうか。 てゆく予言をあげてゆこう。 今年もまた米誌「サガ」が米国の 1 ・毛主席は、自国民の手によって 著名な予言者たちの今年の予告事項 を報道しているので、その中から、 銃で撃たれて死ぬだろう。 ( コマー ) という物騒なのがある。またキュ 当るか、当らぬかがはっきりたしか ーバのフィデル・カストロについて めることの出来る事柄だけをいくっ かひつばり出して、読者と共にお手も、 2 ・カストロは敗北し、キューバの なみ拝見と行こう。 しかも、今年の同誌の記事は、例 支配力を失うのは、もう目前であ 年とちがって特に著名な予言者たち る。 ( マルバ・ディー ) 3 ・カストロは、その地位から追わ の宣言を紹介しただけではなくて、 何と十六人もの、霊感者や星占師や れ、今年の中ばまでに自国民の手に よって殺されるだろう。 ( イングリ 呪術者の予言を紹介しているのであ ッド・サーマン ) る。その予告事項の総数たるやかな りの分量があるので、その中から特 などという「希望的観測か ? 」と に今年中に結果の現われる予言を取疑ってみたくなるようなものがあ り出してみた。 さらに、悲劇の家系ケネディ家に まず、これらの予告が発表されて ついては、 以来今日までにすでに当ったと言え 4 ・ケネディ家の重要なメンバーの そうなものとしては、 一人が、ほのおに包まれた大災害の 0 二月に ( ニクソン訪中 ) 米国は、 中で命を失う。ケネディ家の悲劇は 他の諸国によってはっきりと認め まだ終ってはいない。 ( クアナ・ポ られる威信の上昇を経験するだろ レン ) これなど、当れば大したもの う。 ( コーラ・シトルモス ) である。 〇アイルランドでは、更にまだまだ 5 ・南米では、引きつづいて外交官 騒動が続くだろう。 ( ジョセフ・ 4 3

9. SFマガジン 1972年6月号

: ワタリは一瞬にして終る。猿飛はそれを息つく間 る。愚かにも西方はその策にのり、毛利輝元らの諸将が続々と大坂テレポート : もなくワタリまわった。神籬の間に猿飛が見えかくれしているよう 4 城につめかけているらしい。 であったのが、やがてどの神籬にも同じ猿飛がいるように見えて来 猿飛は一夜霊感を得てはね起きた。 大神籬の中央には、今ひとつの神籬が要るのではなかろうか・ : それはまさしく分身の術と見えた。 彼は暗い夜の山を走って、再び大神籬を組むために、三つの小神周辺の三つの神籬をせわしくワタリまわっていると、中央の第四 籬を組みはじめた。第一、第二、第一一一と組みおえ、中央の第四の神の神籬の辺りに、霊力が凝って白く光りはじめるのが見えた。猿飛 はそれに力を得ていっそうエネルギーを蓄積させる。 籬を組んだ。 そして遂にその第四の神籬に入って念じはじめたのである。合戦家康は関ヶ原に近づき、明日にも決戦という緊張感が天下に漲っ て来る。 の回避を、天下の泰平を、人々の幸福を しかし第四の神籬は明らかに作動したにもかかわらず、何の変化 幾日も幾日も、猿飛は我を忘れて三つの神籬をへめぐっていた。 も示さなかった。ここはやはり芯の山ではないのか : : : 。猿飛の心それはヒとしてほとんど恍惚の境地に近かった。彼は時を忘れ日を にそんな疑念が拡がって行く。 忘れ、信濃の肉親を忘れた。 いっしか時の満つる気配があっ が、やがて猿飛自身の体内に、 徳川秀忠は家康の命をうけ、下野の宇都宮から中山道を信州へ向 った。そして十日後には、家康自身も遂に江戸を離れた。 猿飛は焦りに焦っている。たった一人で天下のことを相手に何が それは九月の、煌々と月の照る夜であった。猿飛は実験を終える できよう、という疑心にもとらわれる。だがかって信玄を狙って飛時に至ったのを覚った。彼は中央の第四の神籬を、力をこめて念じ 鹿毛のミイラをかつぎまわった時と同じ、引きかえし得ない勢いが 彼にとりついてしまっている。 猿飛は白光の盛りあがった第四の神籬へワタった。さあ、これで 猿飛は実験を中断し、再び考えはじめた。この四つの神籬に何ら何が起るか : : : 。彼は死を決しながらそう思った。 かの意味があるはずであった。 と、猿飛の五体は盛りあがった白光の中にとけはじめ、やがてそ の白光のかたまりの中から、人がたに光り輝くものが、音もなく宙 家康は小田原をすぎ、箱根をこえ、島田を抜けて遠江に入った。 にとんだ。 天海の指示でヒの念カ部隊が関ヶ原周辺にひそみはじめた。 家康は更に三州岡崎へ入る。 人がたは速度を増し、一条の白銀の矢となって夜空を突き進ん 猿飛はアイデアを得て実験を再開した。四つの神籬から神籬へだ。風が失せ、空気が失せ、温度が失せた 0 猿飛は一瞬青く光る地球を見た、しかしそれが彼の住んでいた地 と、至近距離のテレポートを開始したのである。

10. SFマガジン 1972年6月号

「どうする。みんなで手伝おうか」 マニヤは、顔をしかめる。仲間の男の子たちは、貝取りに余念が ない。マニヤは、ひたひたと水音をたてて、浅瀬を渡る。獲物はも 「いや。今日は、これでよすわ」 ォルジーは、あのことを黙っていた。そっと、その歓びを胸の中う、彼の手網袋の中に一杯、つまっていた。 にしまっておきたかった。性炎樹の花の咲く季節までそっと。 「おれたちも帰ろうぜ」 少女の一群が、花の中を、昆虫たちのように家路につく。おだや声をかけると、他の子供たちは、鼻をならした。 かな春の一日。 「まだ、半分も捕れちゃいない」 と、ひとりが叫んだ。「男の子たちがいるわ。ほらあそこに」と「マニヤは名人だもんな」 いいながら、白い手を振った。 「わかったよ。手伝ってやるよ」とマニヤ。 「だめよ。合図なんかしちゃ。ほっときなさいよ」 また、黒い大きな一一枚貝が、足先に触れた。 ォルジーは、たしなめた。 「ほーら」と採りあげながら、マニヤは教えた。「水の底をじっと 「なぜ。変よ。ォルジー」 みるんだ。砂がちょっとだけ盛りあがっているところがあるだろ 相手の抗議に、オルジーは横をむく。 う。やつが呼吸しているのさ」 「マニヤだっているのにさ : : : 」 食糧あつめは、子供たちの大切な仕事だった。ォルジーが少女た 相手の少女は、不満そうに、鼻をならした。 ちのそのグルー。フの長なら、マニヤは男の子たちの隊長だった。指 導力もあるし、いろいろなことも知っていた。 「いいのよ。さあ、さっさと帰りましようよ」 一刻後、陽が西に傾き、長くなった少年たちの影が、輝く水面に 「変よ。やつばり。だってさ、あんたたち友達なんでしよう」 ゆれていた。収護は多く、彼らは満足していた。一列になった少年 「ちがうわよ」 たちは、マニヤに率られて、浅瀬をこいでいた。水しぶきが、日輪 「じゃあ、喧嘩でもしたの」 に反射して、宝石のように光る。虹ができた。そのむこうに、海原 「ちがうってば。元々、なんでもないのよ」 が広がっていた。どこまでも : ォルジーの声は、少しとがっていた。少女は黙りこむ。ォルジー にもわからない。なぜなのか。 白亜の海。 足の甲がわずかにぬれるだけの、砂地の浅瀬を横切って、少女た ェロータスは、帰ってくる少年たちを待ちあぐねたように、白い ちは、あるいていく。 「おーい」と叫んでいるのは、マニヤだった。声は十分とどくはず城門を閉じようとしていた。街は、遠くからみると、浅い海に浮か 3 なのに、振りむきもしない。ォルジーが先頭に立って、さっさと遠ぶ、巨大な水蓮のようにみえる。タ陽は、広く見渡すかぎりの水面 0 を、きらめかせていた。ェロータスは、その黄金色に変化した海と ざかっていってしまう。