作家 - みる会図書館


検索対象: SFマガジン 1972年7月号
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1. SFマガジン 1972年7月号

『サタイハク』『潜航大作戦』『宇宙からの脱出』 ルド・ダール、詩・曲は「 Stop the 舅、 0 ュ d I wont to Get で現代の最先端の恐怖をあっかってファン 4 にもなじみの深いジョン・スタージ = ス監督が、 Off 」・というオフ・・フロード ウ = ーミ = ージカルで成功を再び、現代のもっとも恐れられているものを映 画化しようとしている。題名もずばり『 Earth おさめて映画界入りし「ドリ Queck 』 ( 地震 ) だ。内容は、アメリカの大都 トル先生不思議な旅」を書い ・プリッカス、ア市に大地震が発生、その後の二十四時間に起こ たレスリー ーの若手る混乱をあっかうものだが。ここ数年いつも話 題になりながら興業的には今一つパッとしない コンビが当っている。 スタージェス監督、昨年のロスアンジェルスの これで期せずして四本のフ 、、 = ージカルが大地震以来、日本はもとより世界的に今もっと 一一一・本、 ( 0 《」員そろう = と」な 0 たが、それも恐れられて」る地震をあ 0 かえば話題になる それが、ポ , プス系 ( 失われのは決 0 ているから、今度こそ大ヒ ' トになる ことを期待している。制作はシドニー・・ : ) 、ロック系 ( ビーター ーマン、脚本はペッカーマンの原案をマフィア パン ) 、プロードウェー系 ( 星 を描いた大作「ゴッド・ファーザー」で大評判 の : : : ) 、オフプロードウェ ー系 ( ウィリー ・ : ) と音楽の作家、マリオ・プーヅオが書くことになって すでに音楽が完成していて、脚本・作詩にアラ的にばらばらなのも面白い現象た。 ン・・ラーナー、作曲にフレデリック・ロ の「マイ・フェア・レディ」のコンビが担当し 四月上旬のアカデミー賞の発表は意外にも 『時計じかけのオレンジ』が全減 ( 作品、監 ている。また主人公の飛行士役に先日引退を宣 言したフランク・シナトラをかつぎだす計画と督、脚色、編集の四部門で候補に上っていた ) という結果たったが、この他のファンの興 いたってオ 1 ソドックスなミュージ 味をひきそうな所では、特殊撮影効果賞を授賞 カルになりそうだ。 したのが『 Bedknob and Boomstick 』 ( ペッ また、これはすでにアメリカ公開が始まって ノート ド飾りとほうきの柄 ) というメアリー いる映画で『「一三 e Wonka and Chocolate ン原作の童話のミュージカル映画化、同じく対 FactoryÅl という作品がある。これは「オズの 魔法使い」から「メリー・ポビンズ」にいたる立候補になっていたのは『恐竜時代』であっ ー・ミュージカルの系列に属た。また、いずれも授賞をのがしたが『アンド 子供向ファンタジ する作品で、チョコレートの滝やソーダ水の噴ロメダ : : : 』が編集、美術の二部門で候補に上 水池のあるお菓子工場が舞台になっている。脚っていた。 ・・ハン』を書いたロア 本は『チキ・チキ・・ハン

2. SFマガジン 1972年7月号

マクドナルド、 ル、ディック、ヘンダースン、マシスン、ミラー 年代中期のアメリカ文化の、認識され受容された一部分となった。 、。、ノグボーン、テン、ヴァンス、ヴォネガット、 だが、それは格式高い一部分ではなかった。シリアスなアメリカ作ムーア、ナース ( 家が手を染めるものではなかった。 その他二十人ほどの作家の書きはじめたような種類の小説の、発表 戦争の終結、そして著名な主流作家や科学者がきそって核戦争にの場がなかったのだ。また、アシモフ、ベスター よる破減の物語を書きはじめたことから、綱はない合わされ、そしンダムなどの旧人も、彼らに必要な新雜誌が現われるまで、事実上 て単行本での突破口がアメリカでも開かれた。二つの大冊アンソロ筆を絶っていたようなものだった。 ジイ、『ミスター・アダム』『巨眼』『 >< で幸福を』そしてウォ アメリカのみずから創り出したゲットーからの脱出におい 1 ド・ムーアの『考える以上に緑』〈注 2 〉が出版された。アメリカ パウチャーの果たした役割は、当時彼の雑誌に執 はカフカとグレアム・グリーンを発見した。チャーム誌とマドモアて、アンソニー ゼル誌は、カットナーと・フラッドベリを発見した。コリアーズ誌は筆していた作家以外には、十分に評価されたといえない。 一九四六年にワイリーの『偶発』を、そして一九四七年にウイル・ ハウチャ 1 は、科学者でも救世主でも予言者でもなかった。厖大 ジェンキンスの『共生』〈注 3 〉を掲載したーーーおなじ年、ポスト誌な学識と、あらゆるものへの興味と、鋭い眼識と、旺盛な好奇心 はハインラインの作品を採りあげ、ジェラルド・カーシュをアメリ と、ゆたかなユーモアの持ちぬしーー最良の、そしてもっとも広い 力の読者に紹介した。 ーマニストであり、わたしの知ったもっとも教養ある 意味でのヒュ そして、オーウエルの出現。 人物のひとりだった。彼はの分野に、文学的基準と文学的地位 の両方をもたらした。それまでに・ハウチャーは、よりはるかに 『一九八四年』は冗長な作品である。また、きわめて独創的ともい えない。しかし、それはいくつかの魅力ある造語を持っていたし、上品とみなされた隣接分野のミステリ界で、作家兼批評家として重 文学的にも政治的にもきわめて安心できるものだった。そして、なきをなしていたので、好奇心にかられた作家や、出版業者や、有力 批評家や、啓蒙家を含む、新しい読者の大集団をひきつけることが によりもそれはベストセラーだった。 彼よ自己の編集に革命的な観念を持ちこんだ。サイエンス ニューヨーカー誌が一九四九年にロアルド・ダールの〈注 4 〉できた。 , ー ・ファンタジイ ( 彼は知的空想的思弁的小説の全分野をそう呼ぶこ をのせ、翌年、・・ホワイト〈注 5 〉自身もを書いたとき、 とにした ) が、上質の文学になりうるという考えである。 ここに突破は完成した。 ハウチャーはその考えを未曾有の極限にまで押しすすめた。アイ 新しいアメリカ作家の一群は、もはや自分らのことを文学の デアだけでは決して小説を買わなかった。文章が気にいらなければ 不可触賤民と卑下しなくてもすんだし、を書くために貧困やパ だめなのだ。そして、初期のおおかたの編集者とちがって、彼は文 1 トタイムの労働に甘んじる必要もなくなった。 そして、ふたたび、適当な時期に適当な人物が現われた。一九四章音痴ではなかった。 サイ マスが『ファンタジイ・アンド・ 一九五〇年に発足したギャラクシイ誌の最初の編集長、ホレース 九年にウチャーとマ ・ゴールドも、やはり文章音痴ではなかったが、の伝統により 3 ニンス・フィクション』誌を創刊するまで、キャジベルの支配する 界には、ポーモント、 ハドリス、クリンガーマン、コグスウ = 深く根をおろしていた。ゴールドもアイデアだけでは小説を買わな

3. SFマガジン 1972年7月号

一つだ 0 た。一九五七年に、わたしの編集する『年刊傑作選』はしめている。 それ以来、何人かの作家が現われた。しかし、いままでに起こっ ・べラドンナ』である。 に再録した、処女作の『プリマ 一九五七年は、また、デヴ→ ' ド・・・ ( ンチの奇妙で不気味なたことの大部分は、アメリカの誌の外で起こ「たのである。 、ロウズの影響がいつアメリカの後期ビートニクの ウィリアム・ / 短篇〈注Ⅱ〉が発表されはじめた年でもあった。彼はわたしの知るか ハロウズに先立つほか ぎりで、両方の陣営にまたが「て成長した最初の作家である。彼の作家のあいだに感じられたかー、ーそれとも、 作品は最初から " リトル・ガジ〉。とアメージング誌やフ , ンタの影響力がこのグループの中にあ「たかどうかーーそれをわたしは 正確には知らない。しかし、一九六一一年までには、サンフランシス スティック誌に、同時に発表された。象徴派というよりは後期ビー 一般の″サイエ ト = クである・ ( ンチは、 " スミス。のような華やかな童話的魅力を = のリトル・ガジンは、彼ら自身の " 統合。 ンス・フィクション″よりもはるかに意識的で熱心なそれをーー実 まったく持ち合わせていない。・ ( ンチはアメリカ界でもいまだ に異端者的存在であり、そしてイギリスではおそらくほとんど知ら験し 00 あ「た。そのグルー。フおよび / あるいはその広い影響力を 受けたグルー。フから、一つのとぎれ目のない細い流れとして、作品 れていないだろう。 ・ ' ケナの『ケーシー・アゴが生まれはじめた。それがも「とも多く掲載されたのは、『キ〉ヴ 一九五八年には、リチャード・ ード』『。フレイ求ーイ』『ナゲット』などの男 アリア』『ニスカペ ニステス』〈注燔〉が発表された。ふたたび、その衝撃はすさまじか 性雑誌であり、『マドモアゼル』であり、『 = ーヨーカー』であ った。しかし、こんどはわれわれもいくらか準備ができており、い くらか利口になっていたーーーそれにマッケナからは注釈も手には、 そして、もちろん、そのほかにも = スタブリッシ、メントの側か った。彼は自分がなにをしているかを的確にわきまえており、多く のものをほかの作家に伝えることができたのである。 一九五八年から五九年には、キャロル・エムシ = ウイラーの『狩 人』デーモン・ナイトの『からくり』ライーの『マリアナ』スタ 1 ジョンの『海を失った男』のような、新しい方向への接近の試み によって、拡散された蓄積的影響が目につきはじめた。翌年、ヴァ ンス・アーンダールが、突然どこからともなく出現した。おなじ 年、プライアン・オールディスの『死の讃歌』がアメリカに紹介さ れた。六一年には・・ラフアティーが登場し、その明るいユー モラスな持ち味で、雑誌読者にも彼のアプローチをたやすく受けい れさせた。 こうして、われわれはふたたび一九六一一年に帰ってくる。この ・セラズニイが、アメージング ・イッシュとロジャ 年、トマス・テ 誌とファンタスティック誌に、奇妙な、刺激にみちた短篇を発表し S F マガジン用の美麗・壅牢な特製フ ァイルです . 簡単な操作で 6 冊ずつの スマートな合本にすることができます 価 190 円送料 85 円 6

4. SFマガジン 1972年7月号

らおなじ領域に近づいてきた少数の作家や、明らかにわれわれの時でもっとも重要な人物が、その作品からいっても、その影響力から 代にふさわしい方向へと独自の発展をとげた作家もいたーーージョ】 いっても、・・・ハラードであることは疑いがない。 ジ・ P.-4 ・エリオット、・ンヨン・アンソニ ・ウエスト、ドナルド・ & 誌の六六年八月号に寄せた書評で、わたしは彼の最近作 ジョン・ア。フダイク、そしてとりわけカート・ヴォ ( 『結晶世界』と『溺れた巨人』 ) をかなりの長さにわたって論じ ネガット。しかし、新しい統合の主流は、まったくアメリカにはな た。わたしがそこでいう必要にかられたことの一部は、おもに・ハラ っこ 0 1 ドにあてはまるものだが、また、わたしの前に出現しつつある ″新しい文学″の性格の説明にも普遍化できるだろう。 黄金の門をくぐる最短ルートは、結局イギリス経由ということに おちついた。それがおもに・・カーネルの編集する雑誌で発展 ハラードがシュルレアリストたちから多くのものを借用してい したことは、現代文学にふさわしく不条理に思える。 ること、そして、はっきり言葉に表わした思考よりも、むしろイ カーネルは第二のガーンズバッグだった , ーーしかし、登場した時メージや、感覚的な暗示や、象徴や、連想言語あるいは構成によ 期も国もちがい、それにテクノクラシ・ーはすでに死んでいた。ガ って、 ( どれほど難解にしろ ) 観念の直接伝達を試みていること ンズ・ハックがそうであったように、カーネルもサイエンス・フィク から、彼はややもすれば強力なファンタジイの魔術の無意識的な ションに対するおなじ精力的な楽天主義、おなじ不屈の福音主義、 供給者と見られやすい。ある小さな限度において、それは正しい そして彼とどこか似た種類の、ふしぎなまでに無邪気な、世界の驚 かもしれない。しかし、それ以上に、彼は強烈な目的意識を持っ 異に感嘆する能力を合わせもっていた さらに、商売上手なこ 思弁的作家であり、彼のえらぶ手法は、科学思想と芸術表現の両 と、文学技法に対するおどろくべき無関心さ、あるいは無知、とい 方における現代革命の芸術的基盤に向けられた、彼の活発な関心 う点でも共通していた。一九四九年から五五年のあいだに、すくな にもっとも適したものといえる。彼が関心を持っているのは個々 くとも六種類の TJ 雑誌が、イングランドとスコットランドで発足 の定義よりもむしろそれらの関連であり、部分の解剖や分析より した。そのうち最後まで生き残ったのが『ニュー ワールズ』と もむしろさまざまな既得の知識の統合であり、一見同一のものの 『サイエンス・ファンタジイ』で、どちらもカーネルによって創刊中に見出される対極であり、また対照物の中から引き出される同 され、編集 ( 六四年まで ) されたものだった。 一性である。いちばん最近の作品は、以前のそれよりもすこし違 さて、ここでわたしは、未発達ながらも一つの意識的な″運動 う領域の探測と実験を目ざしているようだが、とにかく約十年間 と ~ 、に にまで発展したものについて、不十分な歴史や評価を記すことを、 にわたる・ハラードの第一創作期の主焦点は〈時間〉 ふたたびさし控えねばならない。マイクル・ムアコックの編集のも 〈時間〉のなか、宇宙的事象の流れのなかでの人間のオリエンテ レッ とにその運動の中心となったニュー ・ワールズ誌。ビーター 】ション、そして、宇宙、地球、種族、文化などの生から死への ・トーマスビレ・・、ト ドグローヴ、ジョージ・マクベス、・ 動きの中での、一時刻、一輪の花、一つの人間意識の位置にあっ ラーなどの相対位置によってイギリス詩壇の中に確立されたある一 たといえよう : 点。アンビットき 誌そのほかの無数の因子。しかし、この運動の中 ・ハラードは、作家としての最初の十年ーーー彼の経歴の第一段階 っ 4 6

5. SFマガジン 1972年7月号

かったが、そのアイデアが十分な魅力を持っているときには、まあ異な資質が、彼の制限因子となりはじめたのである。彼は界で まあの文章でも満足した。ゴールドにアツ。ヒールしたものは重要だ いや、おそらくアメリカでーー・という専門分野を文学史の 5 った。なぜなら、それはキャンベルの拘束へのよい・ハランスになつ一現象として理解した最初の編集者だった。 & 誌の最初の数 たからた。ギャラクシイ誌は精神医学的ストーリ ーや、社会諷刺を年間、雑誌・フームの頂点 ( 一九五二年には三十種を越える雜誌 好んだ。もしこれがアスタウンディング誌なら、だれもたとえば が刊行された ) で、彼の編集する雑誌の指導的地位が万人の認める Ba 等一 sThre ( 『人間以上』の原型 ) や、『破壊された男』や『宇ところであったときでさえ、。 ( ウチャーは界、あるいは彼の雑 宙商人』を書く気はおこさなかったろう。 誌の生命力を決して買いかぶってはいなかった。〃 出版に関 ギャラクシイ誌は、たちまちにして rsn ファンの寵児となった。する彼の見解は、ジョン・キャンベルほか数人の有名人とのシンポ ・フレットナー編の『現代の 数年間、この雑誌はスタージョン、ライ・ハー ベスター、そして新ジウムという形式で、レジナルド・ 人ではテン、パング・ホーン、コーン・フルースとポールを、ほとんど』〈注 7 〉におさめられている。 ハウチャーはこのときすでに、雑誌から単行本に人気が移り、こ 独占的に書かせていた。しかし、最初のうちすばらしい自由に思え たものは、キャン・ヘルの雑誌に書くのとおなじほど拘束の多いことの主流がしだいに文学の主流に再合流するだろうことを、予測して いた。彼は、小説という大きな本体に対するの関係を、もう一 がわかってきた。新しいアイデアとシリアスな意図を持っ作家は、 つのカテゴリーであるミステリのそれとまったく相似状態にあると しだいに & 誌へと移動しはじめた。 おそらく、 ( ウチャーの最大の特徴は、″文学″の多様な意味ー考えていた。ミステリの発展と特殊読者層は、多くの点でのそ ーその歴史と伝統、技術の練磨、作家の活動母体ーーの尊重だろれとよく似ている。ただ、彼の盲点は、この二つの分野が持つ、本 。作家にとって、・ ( ウチャーの文学的要求は、彼の感受性にとん質的に対立する要素を見逃したことにあった。 ーマニスト、そして文学の真の愛好者である・ハウチャーは、 だ批評とおなじほど強い力だった。そして、作家たちは、旧人も 同時にかなりの古典主義者たった。彼は小説の形態と形式そのもの 新人も、畑のものも部外者も、こそってそれに応じた。 書評家としての・ハウチャーの役割も、編集者としての重要性に劣を愛した。キャン・ヘルの強調したのがサイエンス ( テクノロジー ) ・フィクションだとすれば、・ハウチャーの強調したのはサイエンス らなかった。多くのファンにとってはデーモン・ナイトが、またウ ィリアム・アセリング〈注 6 〉が、最高の批評家だったかもしれな ・フィクションだった。 & 誌はその最初から、活力のみなぎ しかし、乍家にとってよ、く / ウチャーの賞讃がなによりもものった作品よりも、優雅で端正な作品をえらぶ傾向があった。 をいった。また、何万人もの ()o の新しい読者にとっても、いちば この方向は、一九五〇年にはなによりも必要なものだった。それ ん信頼がおけるのは・ハウチャーの道しるべだった。 が・ハウチャーを、適当な時期の適当な人物にしたものである。そし さきにわたしは、今日のが科学に追いっきつつあるといって、十五年後に、彼をキャンベルとおなじく、彼なりの意味で拘東 ハウチャーは、が文学に追いっきはしめた五的にしたものでもある。・ハウチャー、あるいは当時の・ハウチャーの 〇年代の支配カたった。 姿は、いまでもアメリカの支配的影響力であるかもしれない。 ハウチャーのこの特もし、・ハウチャーがあのまま & 誌にとどまっていたらどうな そして、キャン・ヘルの場合とおなじように、

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叙事詩の中のあるものは同時に小説であり、偉大な小説のいくつか物語ではない。おなじように、善と悪ーーーあるいは生と死、男と女 は、大部分において詩である。すぐれた作家の手にかかれば、舞台 の葛藤は、その概念が蔦藤を演ずる主役となったときのみ、論 劇としては徴妙すぎるか複雜すぎるドラマも、偉大な物語になりう文ではなくドラマとなりうる。 る。とくにユーモア ( スラツ。フスティックは別にして ) は、舞台よ シリアスな非作家の主題の範囲は、偏執的な内省と苦悩にみ りも平らな紙の上の手法に適している。舞台には、 / 説での。 ( ースちた倫理性の再評価に限られているように思える。そして、彼らは べクティヴの歪みに相当する手法がないからた。しかし、舞台の上この題材をいかに物語にするかを知らないように思える。 もちろん、ビートニクたちは小説を書こうと試みたわけではなか であろうとページの上であろうと、コミックスであろうとギリシア 劇のコーラスであろうと、ストーリイテリングにおいてただ一つ欠った。ただ、いま思い出してみて、彼らが小説を書くまいと試みて くことのできないものは、客観化されたドラマティックな行動であ いるのではなかろうかなどという疑いを、一九五一一年のわたしは一 る。それは写実的にも、象徴的にも、夢幻的にも、予測的にも、回度も持たなかったようだ。 想的にもなりうる。証言でも、体験でも、聞き書でも、空想でもあり 一方の″文学的″タイ。フ、″文芸誌″の常連作家たちは、たしか うる。どんなテーマを説明することも、どんな洞察を脚色すること に小説を書こうと試みてはいたが、ほとんどがそれに成功してはい も、どんな観念を行動に表わすことも自由である。それは二人、三 なかった。彼らの語法は優雅で、その洞察はしばしば深遠だった 人、四人、そして稀にはそれ以上の人物を持っことができる。 ( た が、それでいて上も下も知らないように見えたーーっまり、彼らは いていの場合、三人を越えると、それらはいくつかのグループにまこの地球でもなければ、現実の宇宙、あるいは鮮明な空想の宇宙の リンまー とまり、そして、物語の目的のためには、二つないし三つの混成人中のどこでもない、辺土の中で書いているらしかった。この点で、 物となってしまう。 ) しかし、たた一つの人物を持っことはできな彼らは女性向けのスリック雑誌の作家や、劇画のコンテの作家と変 わるところがないように、わたしには思えた。 もちろん、たた一人の人物しか登場しない物語、ただ一人の人物そして、ビートニクは、エスタブリッシュメントの文学者の中で しか明らかでない物語もある。しかし、その場合には、環境のどのも、粗野で、時にはグロテスクな、一つの奇形種に思えた。これは 部分かが一種のアニミズム的性格を帯びる。 同時に、まさしくノース・ビーチ側から見たサイエンス・フィクシ ョンの姿でもあったにちがいない。正反対に指向したこの二つの反 敵対者なくして主人公はない。物語の中では、この二者の対決が 演じられる。この二つの基本的要素が欠けた場合、それは詩、評乱軍は、おたがいに対する関心の不足から、中道に対する双方の見 論、あるいはモノローグであるかもしれない。しかし、それはドラ解が実はどれほど似かよっているかを知らずにいた。文学・芸術派 のアヴァンギャルドの目には、サイエンス・フィクションの文学的 マではなく、また小説でもない。 地位向上への努力、つまり、彼らが軽蔑をもって捨てさったその既 精神病学的な内省は、それが回想されたドラマ、象徴化されたド ラマ、あるいは妄想のドラマと関わりあうときにのみ、小説を作り成権威に受け入れられようと腐心しているさまが、道化に映った。 上ける。症状の記述は、トラヴ = ローグとおなじように、不気味に近代テクノロジー社会を全面的に拒否しようという彼らの試みから グイナミックス も、魅惑的にも、またときには美しくもなりうるだろうが、それはすれば、そのテクノロジー社会の動力学に夢中なわれわれは、十九

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んたいが恐慌にまきこまれるだけの下地ができあがっていたのであ作段階へ移行したときも、彼の雑誌そのものは被害を受けなかっ 42 。ヒーリー AJ マッコ ーマス、コンクリンの編集したアンソロジイ る。一九五〇年には、コリアーズ誌の読者の一小部分が、信者の列 に加わった。圧倒的大多数は、依然としてこれら総体を″マンガな は、これらの読者の興味を再燃させるとともに、その数をふやして みの気ちがいざた″あるいは″ニュ ロティックな逃避″さらには ィードック回路は、もう一つのも ″男根崇拝″呼ばわりしていた。しかし、すでに土壌は耕され、種この時期、キャンベルのフ 子はふくらんでいたのだ。スプートニクが、デマでもなければ明らの、単行本出版と結びついた。ア・メリカに関するかぎり、本の かな不可能事でもないことを世界に納得させるには、一一年たらすの出版は、三〇年代には消失同様だといってよい。例外は、ルイスの 公式情報キャンペーンで十分だった。 『ここには起こりえない』や、スティーヴン・ヴィンセント・ベネ ウィリアム・ス 、そして若干のきわめてすぐれた周辺的作品 ここには、未来の文学 / 社会学者をタマゴとメンドリ式の議論に まきこむ豊富な材料が潜んでいる。しかし、が原子力や宇宙飛ローンのいくつかの忘れがたい思弁的ファンタジイの長篇、ソーン ィップ・ワイリーの ・スミス、 ドン・マーキスの一部の作品、フリ 行やサーボ機構に与えた事前のは、四〇年代末から五〇年代に かけて、これらの現実の発展がに与えたで、全面的に報い諸作に散りばめられた断片、ジョージ・ステ = アートの『火』や られることになった。あるいは、タマゴとメンドリ式に言えば、こ『嵐』〈注 1 〉など。 れらの発達が五〇年代のプームに与えた推力は、それに先立っ二十しかし、イギリスでは状況がちがっていた。 ( ックスリの『すば コリアの 年間の″サイエンティフィクション″とその後継者からのフィ・ ートらしい新世界』ウエルズの『来たるべき世界』ジョン ックであった。 『みどりの想い』ステープルドンの『最初にして最後の人間』『ロ これらが一九三一年から三四年に発表さ ンドン最後の人びと』 これだけのことは、当時のわたしたちもおぼろげに理解してい ィードバック回路れた。翌年には、ステー。フルドンの『オッド・ジョン』と『スター た。しかし、出版界の中で作用したもう一つのフ は、それよりも明瞭でないものだった。 メイカー』が出た。四〇年代には・・プリーストリー、 O ・ まず第一にあげられるのは、アスタウンディング誌 ( およびアン・リイス、ジ = ラルド・カーシ、が現われた。それだけでな く、の境界の内外に奇妙な接触を持った小説が、ネヴィル・シ ノウン誌 ) の前述の偉大な五年間が、新しい作家のみならす新しい ード、ナイジェル・・ホールチン、デニス・ホイ 読者をも惹きつけたことー、ーそして、キャンベルの興味の焦点がほ デヴィッド・ガーネット、アルフレッド・ノイス、・ かに移ったのちも、ひきつづいて彼らを惹きつけたことである。そ して、ほかならぬこれらの作品が、最初の二つの大冊アンソロジイ O ・シェリフ、レックス・ウォーナー、グレアム・グリーンなどの 作家たち、さらにふつう探偵小説の分野に属しているグループによ 『時間と空間の冒険』と『ザ・ベスト・オプ・サイエンス・フィク って書かれた。そして、オーウエルの出現。 ション』を埋め、がトム・スウイフトやエドガー・ライス・ ロウズの後継者ではないなにものかであることを、新しい購買層に もちろん、当時のアメリカにもイギリスの作品は輸入されていた そして後にはコリア。これらの 認識させたのだった。 、ツクスリ、。フリーストリ キャンベルの個人的興味と編集の影響力が、探測からアナログ製本や、コミックス、ラジオ、そして専門分野によって、は四 0

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のクライマックスで、ジャンル批評の基準が彼の作品の判定 にまったく通用しなくなる点まで到達した。そして、ここ一一年間 の彼の業績の大部分は、″シリアス″な文学批評の既存の基準に 照らしても満足できるもの ( そして時には優秀なもの ) であった が、これらの基準そのものは、彼の大部分の作品を検討するには 不十分なものになってしまった。彼がいまはいりつつあるらしい 段階 ( その前触れが『終着の浜辺』だといえるーーちょうど、五 年前のはるかに未完成な『時の声』がこの作品の前触れであった ように ) においては、どちらの基準も、ロケットのコースを描く 線形グラフ用紙の一座標軸ぐらいにしか役立たない。両方の座標 軸を使うことによって、弾道の二つの次元を判断することはでき る。しかし、かなりの高等数学 ( 現在まだ体系化されていない批 ー ) によらなくては、第三の次元を示す方法 評のヴォキャ・フラリ そして、ここで明らかにわたしは筆をおかねばならないようだ。 わたしは、包括的な総まとめや大上段からの結論をなにも提供でき ない。なぜなら、新しく生まれたばかりのこの文学について、賢明 な発言をするだけの適切な批評語彙が、まだ存在しないからである。 たぶん、また十五年ほどのちに、だれかがわたしの誤りや見落し を指摘することになるだろう。 訳注 原題は "Fire" (1941) およびゾ ( 日 m ・ ) C948 ) 自然の暴威と闘 う人間を描いたノンフィクションで、気象学、森林学のテキストと して大学で使われているという。ステアート ( 】 895 ー ) はまた も書き、四九年の『大地は永遠に』で第一回国際幻想文学大賞を 受けている。 2 "Greener Than you Think" ( 一 947 ) 芝生用の新しい肥料が雑 草を猛烈に繁埴させ、世界は緑の中に埋もれる。ューモラス・タッ チの破減もの。 3 "Symbiosis" 一国の全住民がある疫病の免疫保 ~ 困者となり、他 国民を殺すというアイデアの短篇。ウイル・ジェンキンスはマレー ・ラインスターの本名。 4 ロアルド・ダールのーー・『音響製造機』 ( 『あなたに似た人』 収録 ) 5 ・・ホワイトのーーー『お遊びの時間です』 ( 『ニューヨー カー短篇集 3 』 ) を指すと思われる。しかし、ホワイトはそれ以前 にもいくつかの的な短篇を書いている。 6 ウィリアム・アセリング , ・ーージェイムズ・プリッシュの評論家と しての筆名。 7 "Modern Science Fiction" ( 1953 ) 8 メリルのこの評論が発表されたのが一九六六年十一一月。それから / ウチャーは五十七歳で惜しくもこ 一年あまり後の六八年四月に、・、 の世を去った。 9 ジョン・ハーシーの "The Child Buyer" ( 】 960 ) 川ウィリアム・・ハロウズの "Nova Exp ・・ ( 1964 ) ダニエル・キイスの "Flowers for Algernon" ( こま ) 同題名 の中篇をひきのばしたもの。 ゴードン・ディクスンの尖 Dor 二ご ( 1959 ) 昭フリツツ・ライ・ハーの "The Wanderer" ( 一 964 ) 1 いずれもロポットの世界″モダーニア″ ( のちに″モデランしを 舞台にしたもので、それを年代記風にまとめた短篇集 "M0deran" が最近出版された。 "Casey Agonistes" マッケナは長い海軍生活のあと四十代なか ばから小説を書き出した作家で、これが雑誌にのった最初の短篇。 のち、 "The Sand Pebbles" ( 映画『砲艦サンパプロ』の原作 ) で・ヘストセラー作家となったが、六四年に他界した。ほかにもいく つかの短篇を書いている。 なお前回、抄訳も浅倉久志氏の名前が抜けていました。お詫びして訂正いたします。 6 ーー編集部

9. SFマガジン 1972年7月号

にれ て太と〇 庭げ 色沃 アシモフの最新作『神々自身』 し変 にが 。刈 で叢 と枝 の莫 で銀 ん大 最近のアメリカ S F 界でめだつのは , ペテラ ン作家たちの若い作家に劣らぬ活躍ぶりであ で房 収者 る。年 2 冊のペースで猛然と書き出したクリフ 立穫 ォード・シマックを筆頭に , ジャック・ウィリ アムスン , レスター・デル・レイ , ウイルスン・ 働追 いと れそ いわ タッカーなどしばらく S F からごぶさたしてい たビッグ・ネームがつぎつぎと意欲的な作品を おあ 発表し , ファンを喜ばせている。そして今年も にれ また懐しい名前が SF 界にカムパックした。ア し太 真土 イザック・アシモフで , 新作の題名は『神々自身』 The Gods ThemseIves. 少し前に『ミクロ濳 、き 。遠 たな にれ 航作戦』が出ているけれど , ( アシモフの言葉 いく り見 によれば ) 「これは映画脚本をノベライズした かろ だけだから勘定にはいらない」一一したがって 、も の野 オリジナル長篇としては , 『裸の太陽』以来じ 位な つに 16 年ぶりということになる。 で置 つ高 この作品は , ードカ / く一出版に先がけて , この春ギャラクシイ誌とイフ誌 ( ? ) に三回に わたって連載された。姉妹誌の関係にある両誌 あは っ樹 が隔月刊で , 単行本出版の期日が迫っていると しあ ころから , 雜誌社がとった苦肉の策。しかし異 の盛 例の連載方式が読者に与える異和感は , この作 品の奇妙な構成によっていくぶん救われてい る。イフにのった第 2 部が , 小説の本筋とはあ 根て かそ る意味で関係のない独立した物語として読める いと の原 仕組みになっているのだ。なぜそうなるのか ? にれ で保住か比ら アシモフがこれを書きだしたきっかけから説 こ、屋 . の色 芙員の 明していくと ことのおこりは昨年の 1 月。 の建 ニューヨークで開かれた S F 大会の席上 , ゲス トのひとり , ロバート・シルヴァー / く一グカ プルトニウム 1 跖という , この世に存在しえな 人た いアイソトープのことを話題にのせた。たまた のめた、々 ま客席でそれを聞いていたのがアシモフであ 建こ がだ る。彼はそのアイデアにひどく興味をそそら の泳 いた入ま れ , フ。ルトニウム 186 が安定した物質として存 物カ 在しうる世界を小説のなかで構築してみようと れで でぐ つは 思いたった。最初は短篇にするつもりだった たは が , その架空世界の科学的環境を考えてゆくう いだ ちに , 計画していた長さでは内容がおさまりき ン材 らなくなり , 小説の舞台をふたっーーー百年後の えを に村 れす . 見、 地球と , para-Universe と呼ばれる別の宇宙 はそ にしなければならなくなった。つまり第 1 子れ 部と第 3 部が地球を舞台にした現実感のあるハ ンた しき ード S F であるのに対し , 第 2 部は幻想的な だ大 para-Universe の物語だというわけだ。 てさ ル軒 第 1 部はジェイムズ・ワトスンの『二重らせ 光カ ん』を思わせる , 科学者のエゴのぶつかりあい テ改 建は る景 が主軸となっている。第 2 部の途中まで読んだ あ理 造物 ところなので , 全体のできばえについてはなん 、に各カ は欠地で ともいえないが , アメリカでの評判はすこぶる のお よい。 ( I ) な麗あれなよ 9 0 世 界 S F 情 裏 で り ち い る 主 婦 ち ぶ 虫 の よ う に の ろ さ の 点 村 の 他 の 物 と ま た く と 見 な さ し か え の 、種 びな植あ河株た る しれな が 、夏地 に ば 田 畑 の 勢 い は 最 し は し、 た と オよ 入 に よ っ て ホ テ に さ あ る てれナ る よ う に 、だ う る じ も証民 、に よ る と の 建 基 同本村 的 大 の 点 て、 も 華 し期特 達 入 ら にはだ ま て も る代な か れ 。ら を 百 万 長 者 に た の : 教、 会 で 、あ る の の 、長 で も る ホ ノレ の る に有き金肥 り だ 糸 の 他 ク ) い か る も の の の 星 に他そ し、 も っ ス ト グ ま の の り に ま じ っ て 近 播 か た でれ並小ま地外 苗 が な芽退 、出 て い の た に 投 。さ 木 、し て 工 仕 事 で さ れ 野 が ひ ろ 、が外 て い る ぶ麦田平縁 は 衰 いを期化た に る も く は つな造な、ら、職そ 力、 る と き 田そな ク ) さ ら に っ側け は 線 ま 白勺 手 一段見 る の しだ直 、れ、 つ、家 い ード は 葉 が て る ど 、も 最 に 学家も 々 は を 。すも 根 、の、人れ の 姿 、はだ家 、 0 ナ だ っ したを か に ア をよ り でなあ 由 が け 、つ て た む と が な の る つ き 、重お上暖 り も に 。村 ' が 瞥 見 で る よ う に と よ り る は 々 壁 。塗 り へ キ し よ り の っ足得器近 る と は い う ま で も オょ した度安れ カ ; に の 、で る 、造ま 湖 て、 い い る の おも見 え っ屋そた見 、の あ屋け区き ン ト 、い毛〇 布、 らを辺 に ろ く く 、つ いけけ 。が眠は るね上 冫こ ま 特た通 あ見走 お じ や く し ら い に る 。供は ち 七 イ ト で と る 枝 を 。か フ - の 。ろ と り を り ま わ る ヤ イ カ か る

10. SFマガジン 1972年7月号

ただ、それが新しい、形成途上のものだけに、まだきわめて量の限 ス派的な文学の関係づけの枠 ( これ自身はルネッサンスのアリス られた作品群についてでも、いちおうまとまった検討をするとなる トテレス派的平衡からの後退なのだが ) の声高な強調、といっ と、一九六〇年以降のそれらを除いた界全般を論じるのと、お た一見ばらばらな現象が含まれていた。もっとも″シリアス″な なじほどのスペースが必要になる。したがって、いまあげた作品の 小説においては、すべての強調の焦点を″思考″よりも″情緒″ どれについても、解説、解明、ないしは弁明といったことをしない ″感情″に置く傾向がますます強まってきたーー、まるでこの両者 が相反するもの、相容れぬものであるかのように。 でおく。″サイエンス・フィクションの先駆者をあげた第一のリ ストとおなじように、わたしはただ一つの位置を指さしているだけ そしてさらに である。さきの場合は、過去の数多い討論と定義さがしによってす でに測量のすんでいる地域だった。こんどのそれは、おそらくほか のどこよりも、わたし自身の直感の中に存在しているだろう地域な サイエンス・フィクションにとって、作家の真の研究対象は人 のである。 間である。人間、そして人間がなし、考え、夢見るすべてのこ ブレットナーは、彼の予言したその役割の中で、サイエンス・フ と、そして人間が知るであろうすべてのことーー理論と事実、宇 イクションの三つの″姿勢を特に重要なものとして挙げている。 宙の探求、自己探求、音楽と数学と機械。これらのすべては人間 ①それは自己拘東的でなく、またその読者を拘束するものでもな的価値と有効性をもっている。なぜなら、それは人間に関するも ティコトミー それは統のだからである。 。②それは類型化した虚偽の一一分法の文学ではない。 ) 合的である。 ( これらの姿勢の意味は、つぎに引用する一節に明ら かである。 ) このパラグラフの最初を、わたしはすこし言いかえてみたい 「あらゆる芸術家の真の研究対象は人間である。人間、そして : : 」というように。これをプレットナーメリルの不確定性理論と 文学においても他の芸術と同様に、知識の新しい複雑性や、旧 来の総合体の崩壊によって提起される疑問に対して、これまでにでも呼んでほしい。人間の認識する宇宙との関連なしに、人間を説 いくつかの反応が見られた。とくに今世紀のこれらの反応の大半明し描写することはできない。人間の宇宙へのオリエンテーション に共通する性質は、まさしく″知性の知的な放棄とも呼べる特との関連なしに、宇宙を説明し描写することはできない。 異な過程である。実際には、この″理性朝への反逆は、科学的方この評論の最初で、「どの時代の芸術も、その属する時代に蓄積 法ーー旧体系における″理性の非情な道具ーーーへの反抗であされた人間経験に根ざすことによって、はじめて存在価値を持ち、 る。理解が失敗に帰したことによって、また、理解しえぬものへまたそれが発生した文化の神経中枢のどこかに触れることができ る」と述べたのはこの意味である。今日でも、ギリシア演劇やエリ の長れによって、促進された反抗である。その反抗の程度にはい ろいろの差があった。その反抗は、多かれ少なかれ、意識的なもザベス朝の詩を読んで楽しむことはできる。しかし、現代作家がギ の、故意のものであった。それにはダダ的な完全否定、実存主義リシア演劇やエリザベス朝の詩を創造することはできないーー・模倣 的な当世風の絶望の劇化、さらには限定的、ネオ・アリストテレはできても。わたしのいう意味は、言語や形式の変りやすさだけで 5