年 - みる会図書館


検索対象: SFマガジン 1973年2月号
331件見つかりました。

1. SFマガジン 1973年2月号

この頃よ。生物進化史上、注目すべき時代なの。地球的規模の激し「 : ・ : 」ナギは黙っている。だんだん、皇女のいおうとしている重 い造山運動がおこり、陸地が高くなった。海もあちこちで浅くなっ要なことが、わかりかけているような気がしていた。皇女はつづけ 5 た。最古の節足動物が現われたのもこの頃ですし、擬軟体動物や甲た。 殻類などの泥生の動物の他、最古の刑瑚類、大きなさそり、また海「さらに七五〇年先には、よりヒトにちかい猿人が出現するでしょ 綿や棘皮動物などが全盛していたらしいの : ・ 。さらにまた二倍、う。さらに約三二五万年、さらに次々と、約一六〇万年、八〇万 一八億年さかの・ほりましよう」 年、四〇万年、二〇万年、一〇万年と、段階をふみながら終点へち 「始生代といわれる時代にあたりますね」 かづいていく : : : 」 「そう。この頃、地球にはじめて光合成にする下等な単細胞生物や「そして・ : ・ : 」ナギは、イザミナス皇女の真剣な表情をみつめなが 藻類が現われているの : : : 。現に、王立研究所の資料庫には、約三らつぶやいた。 三億年前のものと推定される藍藻、緑藻の化石が記録されている」 「進化は、究極の一点で極限へ到達することになるわ」 「次で、グラフはおわっていますね」とナギはいった。「七二億年「それは、、 しつのことですか」 も昔だ : : : 」 「計算は簡単よ。等比級数だから・ : : こ 「地球のはじまりよ。推積起原とみられる最古の岩石の年齢は五〇「六〇〇〇万年後ですね、この白亜期末の時代から」 億年。その他の資料から推定して地球の年齢は、七〇億年をくだる「ええ、アトランチス減亡の時代から三〇〇〇万年後の未来」 まいといわれております」 といって、皇女は声をひそめた。 「なるほど、よくあいますね」とナギは感心しつついった。 「ナギ、この地球に発生した生物の進化は、そこで停ってしまうの 「むろん、推定の部分もあるから、正確とはいえないけど、でもよ」 ね、ナギ。もし、もしよ、この進化の法則が正しいとすると、進化 「ええ : : : 」ナギは、それ以上何もいえなかった。 はある究極の一点へむかって収斂していくことを暗示するの」 「そのとき、数十億年にわたった生物進化のひとつのサイクルが完 「どういうことでしようか」とナギは妙な不安を抱きつつ尋ねた。 了し、終結する : ・ 。わたしの予感では、そのとき何かが、おこる 「この二分の一の法則を未来へあてはめてみたのよ。わたしたちのとおもうの」 減亡したアトランチス時代のさらに未来の世界に : : : 」 「何かが ? それは」 「つまり、二分一の一五〇〇万年未来に、また進化史上重要な何か「また、わたしにもわからないわ。でも、必ず起こるでしよう。想 がおきるということでしようか」 像もっかないような何かが、きっと」 「そうよ。わたしの推定では、その頃、高等猿類はさらに進化し て、より人にちかい動物 ) 類人猿になるとおもうの」

2. SFマガジン 1973年2月号

去る十月、東アフリカのケニアで、二五〇万年前の猿人の頭骨が発見さの大きい、直立歩行のヒト科猿人から進化したものと考えられる。アウスト ラロ。ヒテクスは人類進化の系譜から取除かれるべきである」とのべたのだ。 れ、人類の起源を書きかえる大発見として、大きな話題となっている。 ーキー博士の息子で、現 従来から、人類の祖先をめぐる論争は、長い、錯綜した歴史を持ってい 発見者はやはり著名な人類学者であるルイス・リ 。いまからほ・ほ一一〇年前、ドイツのネアンデルタール た。論争の起りま、 在ケニア国立博物館の館長をしている二十八才の青年人類学者リチャ】ド・ で、のちにホモ・ネアンデルターレンシスと名づけられる化石人類が発見さ リーキー博士。 館長の発表によると、この頭骨は、ケニアのルドルフ湖の東の斜面で、同れた頃からで、その年代も二、三〇万年くらいと考えられていたが、その後 年代のものとお・ほしき足の骨とともに地表に露出していた。頭骨は、約百個の研究によって、その年代はしだいに古く、はるかな過去にさかの・ほるよう の破片になっていたが、苦心の末ほぼ完全に復元された。そして、周辺の火になった。人類進化学の発達と、他の高等類人猿の研究の成果があがるにつ 山灰質の士壌や堆積物から、その年代は、約二五〇万年前と測定された。これて、最古のヒト科ーーっまり、頭脳が大きく直立歩行ができ、雑食性で、 れは、それまで、最古のヒト科と認められていたアウストラロビテクス・ア道具や火の使用を知り、ある程度の狩猟を行なうという特性をそなえた生物 フリカーヌスよりも、七五万年ないし一五〇万年も古い人類だということに は、第三紀中新世から鮮新世にかけて生きていたラマ。ヒテクス ( 一四〇〇万 なる。 年前 ) ケニヤ。ヒテクス ( 一五〇〇万年前 ) にまでさかの・ほりうることも明ら かになった。 「これは、これまで発見された原人の頭骨でもっとも古く、しかも完全なも のである」と、リーキー館長も発表している。 しかし、これらの第三紀ピテクスは、化石テータが非常にすくなく、くわ しかも、同館長によれば、この頭骨は、より新しい だいたい一〇〇万しいことが調べられない上に、その化石には、まだかなりの類人猿的特徴が 認められたので、やはり、類人猿から猿人へと進化する過渡的存在だろうと 年から五〇万年前に生きていたと思われる。ホモ・エレクトウスのそれよ いう意見が圧倒的だった。 りも、眼窩上隆起がはるかに少なく、おど ホモ・エレクトウス その後、一九二四年に南アフリカで ろくほど現在の人類によく似ている。 発見され、のちにアウストラロ。ヒテク さらに、頭骨の大きさから測定された脳 ス・アフリカーヌスと命名された猿人 の容積は、アウストラロ。ヒテクスの五〇〇 の化石が、その後の多数の人類学者の にしらべてはるかに大きく、八〇〇 調査・研究によって、人類の最古の祖 もあり、その当時のどの猿人、類人猿 先であろうと考えられるようになっ のそれよりも大きい。 た。これを、学界の定説にまでしたの こうしたことから、リーキー館長は「こ が、今度の発見者リーキー館長の両親 れによって、現在の人類が、アウストラロ であるルイス、メアリ・リーキー博士 ビテクスから進化したという従来の考え方 夫妻で、両博士は今度の発掘現場から はまちがいであり、それ以前からいた頭脳 連載Ⅱサイエンス・ジャーナル アウストラロピテクス 人類進化論にふたたび論争 ? 1 加藤喬 2

3. SFマガジン 1973年2月号

「皇女様。わたくしにはわかりません。いままで疑ってみたことも「わたしはこの三千万年を基準に、その倍の六千万年を過去へのば してみたの。ここがそれ : : : 」 ありませんでした」 「そう : ・ 。お前の方があたり前で、わたしがそういう疑問にとら「グラフでは、中生代の中期、つまりジ = ラ紀にあたりますね」 「そうよ。王立研究所の資料によるとこの時代は、多丘歯類と爬虫 われることの方が、少しおかしいのかもしれませんね」 類の時代なのよ。特に古い爬虫類が全盛をきわめ、巨大な体形のも そういって皇女は、また目を閉じた。 のが出現した。競争相手がいなかったので、多様な種類が現われ、 そのあとしばらくの間、イザミナス皇女は、自分の居室にとじこ中には空を飛ぶものもいました」 もっていた。食事を運ぶためにのそいてみると、いつも、書籍を開「翼竜ですね」 げて何かを調べているのだった。 「ええ、その他にも色々いたわ」 そんな毎日がつづいたが、やがてナギを呼んで、こういった。 「鳥類はどうなのでしよう」 「面白いことがわかりましたよ、ナギ」 「いい質問たわ。鳥類も原始的なものが出てきます。でもその全盛 「なんでしようか、皇女様」 期は、白亜期末。次に、六千万年のまた倍、一億二千万年を過去へ 「実は、進化の法則のことを調べていたのですよ。この図をみてくのばしたのがここ。いまから一億八千万年前にあたります」 ださい」 「古生代に入りますね」 いわれたとおりのそきこんだが、よくわからなかった。 「ええ。ほら、二畳紀の初めにくるでしよう。この時代は、ちょう 「グラフのようですね」 どわたしのお姉様の行かれた時代ですけど、大きな氷河期がおとず 「ええ、そうよ。これは、生物の進化と時間との関係をあらわしたれているの。寒くなった気候条件に適応して、温血動物が現われて ものなの。不思議なことに、生物相のひとつの大進化がおこって終くる。卵を自分の体温で暖めて孵化させる種類の動物が出てきた時 了する時カ ~ を 1 ; 、ままその前の大進化の半分になっているの」と、皇代なのよ。さらに、その倍、二億四十万年の過去へさかの・ほってみ 女は言葉をついで説明してくれた。 ると、古生代のシルリア紀とデポン紀の項目あたりになります。こ しいこと、ナギ。ここがあたしたちの世界が沈没した時、地質学の時代では、陸の支配者は昆虫。想像もっかぬような大型なものが 的に始新世といわれている時代ね。ここが、現在、わたしたちのい現われた。一方、海の支配者は、。フシロフィトンに代表される魚類 る白亜の末期よ。この間の時間は約三千万年です。前にも話した たちです : : : 」 ように、この期間にここの原始的な猿たちは、高等な猿類に進化し「次は、さらに四億八千万年さかのぼるわけですね」 ていますね」 「そう、この白亜紀末から約九億年の過去になるわね。時代は古生 「はい」とナギはいった。「それで : : : 」 代をとおりこして、原生代に入る。脊椎動物の先祖が誕生したのは ー 48

4. SFマガジン 1973年2月号

SF AGA 刀石 5 ( ( E SP 石 ( U A Ⅱ 02 & 日 ( 刊 02 FANTASY VOL. 14 NO. 2 FEBRUARY 19 73 新しい年が来ました。いま、私の胸はひそやかな期待と予感にときめいていま す。古い年が過ぎ去って、 ~ ( 新しい年に変る。いつもと同じことのはずなのに、今年 という今年は、いつもの今年とちがう 闇のいましめを解き放つ日の出のように 地の重みを突きやぶるマグマのように 眠りの深みから目ざめる獅子のように 今年こそ何かが何かすばらしいことが、ーわれわれに、われわれの rnÄに起るよう な、そんな予感がしてならないのです どうか、あなたにとって。私にとって、にとって、今年はいい年であります ように。そんな願いをこめて、新春日本作家総特集号をお贈りします。

5. SFマガジン 1973年2月号

SF 昭和 35 年 4 月 12 日第 3 種郵便物認可昭和 34 年 12 月 1 日国鉄東局特別扱承認雑誌第 682 号昭和 48 年 2 月 1 日印刷・発行 ( 毎月 1 回・ 1 日発行 ) 第 14 巻・第 2 号 マガジン ☆ 3 大 SF コンテスト応募規定発表 アメリカ・ファンタジイ & SF 誌特約 ☆新春日本 SF 作家総特集 を & 月 0 〃

6. SFマガジン 1973年2月号

に着くことだ」 しかし、シオダは、ゆっくりと、かぶりをふった。 「いや、いまのデータからでも、多少のことは推理できるよ」 ヒノはロをとがらせた。 「ほんとうか ? あたりまえの数値が並んでいただけだぜ」 「その数値の中に、あたりまえでないものがあった」 シオダはメモをかざしてみせた。 「なんだね ? 」 ヒノはメモをのそきこんだ。 「厖軅さ」 シオダは答えた。 アルベト 「反射能 ? 」 「そう、アルペドの値だ・ー」シオダは一呼吸いれて、「ーー〇・ 九六というこの数値は、通常われわれが着地可能な惑星としては、 異常に大きい。大気の成分を考えると、ちょっと説明がっきにく い 9 むろん、太陽系のどの惑星よりも上だ」 「ふうん、なるほど、おまえ、よく気がつくなあ : : : 」 ヒノはひとしきり唸り、それから言った。 ・ : たしかに異常な数値だが、正確な測定値かどうかもわからん し、それに、もし、正しかったとしても、その理由は、やはり行っ てみなければわかるまい」 「もうひとつ、疑問に思うことがあるんだ」シオダは、マイベース と で話した。「データの中に、ニックネームは″レイリー星 いう項があった。なぜだろう ? 」 ヒ / は鼻をならした。 「課長がつけたんだ。前からあった名まえではない。ということ は、べつにイワクがあるわけではないということだろう」 シオダは静かな口調で、 「課長が名づけたからこそ、イワクありーー・と考えるべきではない だろうか ? 」 「ふうん、そういわれると : : : 」ヒノは眼をパチクリさせたが、す ぐに、太い腕を・ハネルに伸ばした。「 : : : じゃ、とにかく、調べてみ よう。レイリーという名についてな。この艇の情報サービスは宇宙 国民百科事典の範囲内だが、それでもかなりのことはわかるはずだ」 瞬時をおいて、ディスプレイに写真と文字が現われた。 : John WiIIiam Strutt, Lord Rayleigh 一八四一一ー一九一九 英国の物理学者。 工セックスの貴族の家に生まれた。 一八六五年ケンプリッジ大学を卒業。 自宅内で実験、研究を行なう。 一八七九年ケンプリッジ大学教授。 一八八七年王立研究所教授。 一九〇五年ロイヤル・ソサイエティ会長。 一九〇八年ケン・フリッジ大学総長。 一九〇四年ノーベル物理学賞受賞。 その業績 アルゴンの発見 レイリー散乱の発見 レイリー波動の発見 光学機械分解能の研究 音響学の研究 3 は

7. SFマガジン 1973年2月号

のようにやせた肩を張り、この一番の試合の結果が招くものをその伐採の権利は八か村を上組四か村、下組四か村に分けて各一年ず 一身に引き受けようとしていた。どちらが勝とうと、大庄屋の弥吉つ。しかし年ごとによる交代ではなく、奉納試合の勝者に引手物と 8 2 の肩の重荷が消えるはずはないのだった。 して贈られるという形になっていた。それは遠く江戸開府にさかの 「うわあ・ーー」 ぼるしきたりといわれ、豊島氏が長くとりしきり、配下の旗本に与 「うおうーー」 えられたものと伝えられていた。当時から一種の救荒政策としてお 「がんばれよう ! 」 こなわれたものであろう。それは伐採権を八か村に分与せずに、四 「柴そだ、わたすでねえそう ! 」 か村にのみ集中し、細分化を恐れた点にもうかがうことができる。 「うわうーーー」 誰かが生き残ることをねらった荒削りな乱世の風である。 年寄株筆頭の正窪の仁太郎は思わず胸もとに合掌した手に眉間を「おう ! 出てきたそ、出てきたそ ! 」 おしつけた。 「いようー これは強そうだそい ! 」 「南無、三宝荒神勝軍明王さま。なにとぞ正窪郷へ御柴刈のことお「がんばれよおう ! 」 たのみもうす」 蓮華野をとり囲んだ広大な円陣の壁がわらわらと二か所で切れる 仁太郎だけでなく、この時、八か村の村長たる庄屋の誰もが、今と、二人の武士があらわれ出た。 いりあいけん 松造が全身の力をのど笛にこめてさけんだ。 年こそは浅間社神域の柴そだ抜栽の入会権を手に入れることを願っ おおむろ ていた。 「上組、大室浜之進どん ! 下組、田原彦四郎どん ! 」 しやくじい おおむろ このあたりは、石神井三宝寺池を源流とする石神井川が大きく蛇大室浜之進は年齢四十歳前後、胸は厚く、もり上った肩につづく 行しつつ西から東へ向う肥沃、湿じゅんな土地だった。元来、大消首は異様なまでに太い。乱髪を後頭部で束ねて背に垂らし、刺子の 費地である江戸を間近にひかえて、陸稲、麦、野菜の生産で至ってけい古着の上に撃剣胴をつけ、手に四尺に余る黒がしの木刀をさげ 内福といわれた村々だったが、ここ四、五年の間、例年の事となっていた。 てしまった寒冷と虫害のために大きな打撃を受け、とくにこの二、 「たのんた・せ ! 大室さまあ ! 柴そだ、下組にわたしちゃなんね 三年は八か村の総社たる浅間神社の神域の雑木の下枝をおろし、そえだ。一発ぶちこんでくれい ! 」 れをそだとして落合、池袋、目白方面の武家下屋敷、町家などへ売「おおむろさまあ。おおむろさまあ ! 」 り出す収入にたよりきっているありさまだった。広大な浅間社御領うわう、うわうう、とわきかえる。 のうち、小竹山、滝山と呼ばれる尾根につづく谷あいのゆるやかな 田原彦四郎。一「三年前に流れてきて羽沢に棲みついた浪人者 南面は樹木の密度も濃く、枝もよくしげり、そだにしても火もちも だ。年は三十なかばか。かなりくたびれた黒の紋服に折目のすりき よく火力も強いので武家屋敷などでは上そだとしてかん迎された。れたはかまをすそ短く着け、白の鉢巻に総髪。武具らしいものは何 おさ おおむろ

8. SFマガジン 1973年2月号

のんか、お前知らんけ。そや かて、徴兵やっとるんやで。 秘密に。そやかて、つれて行 かれたやっ、実際におるんや もん。行くのんいやや言うた ら、死刑やて。そやけどな、 ええこと教えたろか。あのな、 精神安定剤のんでたら助かる らしいで。え。なんでやて、 そんなん知らんがな。 精神安定剤ください。え。 売り切れ。困ったなあ 9 なに かありませんか。ふうん。そ んなに売れてるんですか。そ うだろうなあ。兵隊に行かな くてすむんだものね。え。あ れ、おじさん知らなかったの。 精神安定剤のんでれば、兵役 免除になるんだよ。そうだよ。 それ知ってるから、みんな買 いにくるんだよ。徴兵かい。 もうやってるよ。・ほくの友だ ちで、つれて行かれたやつが いるんだもん。そりやそうさ。 情報消減 附記・〔情報・ 5 〕消減の理由 は、ランチー氏が数年前より 老齢のため耳が遠くなっていた のと、何十年も前から夫人のお 喋りを聞き流す癖がついていた からである。 〔事実・ 2 〕 一一〇四六年七月、地球上各 地のメトロポリス、メガロポ リスにおいて精神安定剤が爆 発的に売れた。このため薬剤 が品不足となり、 . 常用者から 234

9. SFマガジン 1973年2月号

約八〇〇キロ南にあるタンザニアのオ かも頭骸骨の容積がアウストラロビテクスよりかなり大き ルドヴァイ谿谷で南アフリカのそれと 長いということがわかった点だ。アウストラロピテクスが傍 館 同じ特性を持っ化石を発見し、けつき 系で、人類の直系の祖先は別にいるという一一種類併存説 よく、このアウストラロ。ヒテクスが、 は、彼が以前から主張していたことで、こんどの発表によ キ その後ホモ・エレクトウスに、そして って、彼の説が有利になることはありうるだろうが、個体 ホモ・サビエンスにと進化して、現在 と差ということもありうる。とにかく、もう少しくわしいデ の人類につながる直系の人類の祖先だ ータがほしい」 ( 朝日新聞・談 ) といっている。 頭 しかし、当のリーキー館長は自信たつぶりで、同時に発 と主張したのである。この化石は、第 た れ見された二本の大腿骨についても、頭骨とおなじ生物種の 四紀洪積世ーー一〇〇万年から一七五 ものとし、それが現代人のそれとほとんど見わけがっかな 万年前のものと推定されたが、その 見 ~ いほどよく似ていることから、この新発見の化石人が、二 後、エチオビアから三 ~ 四〇〇万年前 発 五〇万年前から完全に一一本の脚で立って歩いていたにちが のものと思われる頭骨の破片も現わ いない、と主張し、「いままでの調査の結果から、この脚のおどろくべき発 れ、年代はかならずしも一致していなかった。 丿ーキー館長の今度の発見と主張とは、したがって、こうした従来の考え達ぶりは、きわめて急速に行なわれたものらしいことがわかっている。この 事実は、ごく初期の猿人の下肢の発達と適応とについての従来の解釈が、完 方に、正面きって異論をとなえたことになるが、これに対して、当然、多く 全に再評価されなければならないということを物語っている」といって、ヒ の人類学者が反対意見を述べている。 ート・エックハルト教授は、 ト科が、いつ、どんなふうにして直立し、歩行をはじめたかという、人類進 たとえば、ペンシルヴァニア州立大学のロく 化のもっとも重要な、そして議論の多い分野にも、新しい論争の種を播い 丿ーキー館長の主張が性急にすぎること、新発見の化石がアウストラロビテ クスの一変種である可能性を見落していることを指摘し、 この、まだ命名もされていない新発見の猿人が、アウストラロ。ヒテクスを 「眼窩上隆起の少ないアウストラロ。ヒテクスが発見されても、何の不思議も 。わずか一〇〇万年のあいだに、ホモ・エレクトウスからネアンデルタ押しのけて、人類の直系の先祖という栄誉を獲得するか、それとも、アウス トラロ。ヒテクスの一亜種として、ヒトへの進化の途上にあった多くの種の一 ール原人、現代人のあいだにこれだけの変化が生じたことを考えるならば、 二五〇万年以上前のアウストラロ。ヒテクスのあいだに、顔面特性の変化があつにとどまるかは、もちろんこれから、なおくわしい調査・研究とーーそし て、かしましい論争の時期を必要とするだろうが、いずれにしてもこの発見 キー博士は、自分を純粋のアウストラロ。ヒテクス るのはむしろ当然だ。リー が、霧につつまれたはるかな過去の人類進化のなそを明らかにする大きなポ と考えているのではないのか」と皮肉っている。 イントになること、また、人類が、従来考えられていたよりも、さらに長い 日本の学者の中にも、批判的な人は多く人類学の渡辺直経東大教授は、「リ ーキー氏の報告で興味のあるのは、これだけ古い頭骨が完全に復元され、し過去を持っていたということになるのも、またたしかなようだ。 SCIENCE ÜOURNAL こ 0 3

10. SFマガジン 1973年2月号

REDIT CARD 2 X X X 年のある日、すべての人が 」 C B カードを持つようになった。 誰も現金を持ち歩かなくなった・ なにしろ、買物、食事、レジャ—etc と、日常生活に必要な消費行動が、 サインひとつですむからである。 円 72 年にさかのばっても、加盟店 8 万 5 千、会員 95 万と、やはり JCB は カードの中のナン / ヾー・ワンであった。 ー CREDIT CARD 地上か、り 現金が消えた ? い三和ま戸 1 ~ 1-3 Sb -18R0 サタ助 有県 1 ・ 12 ま迄 みなさまのお役に立つ 三和行