日本 - みる会図書館


検索対象: SFマガジン 1973年2月号
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1. SFマガジン 1973年2月号

ていった。 らをひとまとめにして、東アジア世界の文明を想定することは、「ご 「あたし、まちがっていたわ。日本にもこんないいところがあるな く自然な分析にちがいないのだが、近代の日本人の採用するところ とならなかった。コーカソイド化に奉仕する裏切者となるか、ある んて、知らなかったわ」 いは、日本人だけを一段たかくみて他の東アジア人を蔑視するか、 さっきのジー。ハン姿の女の子が、くず籠のところに立ちどまっ て、誰にいうともなく呟きながら、リュックからなにやらひつばり二つのうちのどちらかのタイプに属する日本人しか存在しなかっ だして捨てていた。通りすがりにのぞいてみると、安手のポップアた。 ・、ツクな 1 トの表紙のついたスケッチ・フックや、横文字の。ヘー 戦前の理論右翼と呼ばれる人たちのうちには、東アジア世界の一 どだった。 国として日本を位置づけようとする、広い視野をもつ人も少くなか おれは、くず籠のそばをとおりすぎるとき、ポケットからダンヒ った。しかし、そうした人たちですら、日本を兄とし、中国を弟と ルのライターをだして捨てた。おれの心のなかでなにかがおこり、 するといった発想から抜けだすことができず、結局は東アジアの そうしないではいられなくなったからだ。おれのそばで、美雪もハ人々を、かれらにとって縁もゆかりもない天皇なる人物のまえに、 ンド・ハッグの中味を、くず籠にいれていた。 カづくでひざまずかせようとするばかりだった。天皇制の存在は、 たしかに、さきほどみた幻は、なにかの意味を持っていたにちが東アジア世界の連帯をうながすうえで、大きな壁として作用した。 いない。あのとき、宿儺という名が、みんなの心にひらめいた。そ まもなく、大鼓と囃子の音がきこえ、行列にひかれながら、屋台 して、みなの心にある変化が起こりはじめた。 が練りだしてきた。それは、たいへん緩慢な動きで、「動く陽明 」と呼ばれる華麗な姿をすすめた。 おれと美雪は、宮川のほとりの桜の木の下にとまり、屋台が通る はすの橋のほうを見つめた。川の流れは美しく、薄いオレンジ色の ふたたび異変がおこったのは、そのときだった。さきほどと同じ 魚群がみえた。それは、ニジマスの脱色種だった。川上のほうを見ように、あたりの景色がゆらゆらと揺れはじめ、焦点の定まらない やると、遠くの寺院がおちついたたたずまいを見せ、すぐ近くにあ映像のように溶けくずれた。そのくせ、橋の輪郭や川の流れは、元 る造り酒屋の白壁の土蔵と遠近一体になり、古い錦絵のような構図のままはっきり見えていた。 を形づくっていた。 焦点が定まりはじめると、そこに極彩色のものが写しだされ、は ここには、確かに日本がある。日本といっても、アーリア純血主るか遠くからしだいに楽の音がきこえてきた。 義の亜流のような天孫思想の日本ではなく、東アジアのモンスーン橋のうえを渡りかけていたのは、巨大なミッ - キーマウスの人形を 米作地帯に共通する日本というものが、コーカソイド化の風潮に浸のせたフロートだった。その姿が、しだいに明瞭になってくるのと 蝕されずに残されている。今日、われわれが日本的と感じているこあわせて、遠くからきこえてくるディクシーランド・ジャズの音 5 との多くは、本来は中国大陸や朝鮮半島に起源を発している。それが、すこしづつ大きくな ? た。 はやし

2. SFマガジン 1973年2月号

の政治色を加味されているものの、本来の伝承の原型をとどめてい だ。この異常ともいえる急速なコーカソイド化のなかで、日本的な る部分も少くないこの国の神話は、それがかって侵略戦争の思想的ものが、この国の土着のものが、崩れさっていく。それは、宿儺に 8 背景に利用されたという汚名をきせられ、二度とかえりみられなくとっては黙視することのできない情勢だったにちがいない。 なった。すべての日本的なものが、大東亜共栄圏という侵略戦争の おれたちは、出羽平の麓にたどりついた。そこには、観光コース 元兇として、前科の烙印を押され追放された。しかし、それら日本に入っている飛騨鐘乳洞がある。それは、最近になって発見され、 的なものというのは、大部分は東アジア世界に起源をもつものであ一躍有名になり、発見者が巨万の富を得たことでも知られている り、つきつめていくと、偏狭なナショナリストが主張するような日 が、かっては閉ざされたまま、誰にも知られずに存在していた。 本精神は、皆目なくなってしまう。例えば、ファナティックな皇道もしかすると、宿儺の千載の眠りをさましたのは、この鐘乳洞の 論者が、大和民族の優秀性を立証する根拠としている天孫降臨の伝開発のためかもしれない。 説などは、朝鮮半島にいくらでも見うけられる。 おれと美雪は、鐘乳洞からはるか上方へと登っていった。しばら こうして、戦後、教育、文化一般に、尨大なプランクができた。 く遅れたところから、山城氏やマスコミ関係者がついてくる。おれ すべての日本的なもの つまり、東アジア世界から日本が借用しは、行手の・ ( リケードをとりのけ、ここ数年封鎖されていたとい スケー・フゴート てきたものを、体のいい贖罪羊に仕立てあげ、敗戦のすべての責任う、両面窟への通路へ入りこんだ。 をかぶせ追放してしまったため、途方もない空白ができてしまっ 両面窟の入口は、苔むした岩屋になっていて、かなりじめじめし た。時の為政者は、この空白を埋めた。日本神話のかわりにギリシて、たえす水滴がしたたっている。しかし、案内書にあったよう ヤ・ローマ神話を供給し、崩壊した神道のかわりにアメリカ本国か に、もはや石灰岩の溶蝕はつづいていないらしく、なかへ入ると乾 いた感じにかわった。 らの伝導団を呼びこみ、日本文化の根底からくつがえす改革をやっ てのけた。 岩窟のなかに一歩ふみこんだとたんに、おれも美雪も立ちどまっ それが、戦後四半世紀にわたるコーカソイド化教育だった。日本た。 人は、コーカソイドの一亜種であるかのように定義づけられる。日 そこに、それは立っていた。千数百年の呪縛から解きはなたれ、 プイデンティ子イ 本人のうちには、東アジア世界の国々に帰属感をもつ人間は、ほ一丈八尺 ( 五・五メートル ) の巨体を直立させ、宿儺の姿が立ちは とんどいない。すぐ隣りにあたる国々の言葉ーー朝鮮語、北 京官だかっていた。それは、あの忿怒の形相もすさまじく、二つの顔の 話、福建語、ベトナム語などを習おうとする日本人は、すこしも見ついた首をふりたて、四本の腕に剣と弓矢をにぎり、いまにも動き 当らない。それでいて、日本人の大半は、この異常きわまりない状だしそうだった。 この列島のうちを席捲したコーカソイド化の風潮と対決すべく、 態を、すこしも異常と感じていないらしいのだ。 外来のものに痛めつけられた宿儺の魂は、ついに立上がったの両面宿儺は、ゆっくりとこちらへむかって歩を踏みだした。

3. SFマガジン 1973年2月号

ためでしよう」と叔父さんはいった。「どんな危険団体かーー - ・ある 月十日、ポッダム宣言受諾、八月十五日、終戦の詔勅ラジオ放送、 日本、連合軍に無条件降伏 : : : 」 いは外国の手先が、銃後の社会を混乱させようとして、攪乱工作を やろうとしているのだと思われます。あいつを思いきりしめ上げて 「わかりましたか ? 」 「八月十七日、在郷軍人会解散 : : : 九月 : : : 大本営廃止 : : : 十月特やれば、きっと背後の組織がわかるでしよう。」 別高等警察廃止 : ・ : ・治安持法廃止、政治犯釈放、徳田球一、志賀「しかし : : : そんな危い事をやる使命をおびた男が、なぜふらふら 義雄ら釈放 : : : 日本国軍の解体完了 : : : 十一月、日本社会党結成、と、あんなおかしな事をいいながら、この家にはいりこんできたん 三井、三菱、住友、・安田など財閥解体令、日本自由党、日本進歩党結たろう ? 」とお祖父さんは首をかしげながらいった。 成、日本共産党再建 : : : 昭和一一十一年一月天皇神格否定の詔書 : : : 」「あいつは、まだほかに、あやしげなものをいつばい持っていま 「もうたくさんです ! 」叔父さんはテープルをドン ! と音高くたす。これをごらんなさい ! 」 お札 たした。「この年表が、いかに危険千万な、けしからんものである叔父さんは、お札入れを、パン、と机にたたきつけた。 日本がアメリカ、イギリスと闘っ入れの中から、きれいで、大きなお札らしいものが一一、三枚と、銀 かよくわかったでしよう ? ー て負け、そのあと、日本の軍や警察が解体されて、社会主義者や共貨らしいものがころがり出した。 「これは : : : 」お父さんは一枚とり上げて、息をのんだ。「これは 産主義者のアカどもが、大手をふって政党を結成するなど、実にな どういうわけだ ? 」 んともけしからん事を書いてある。まして、畏多くも術。一人が、 聖徳太子さまの顔が のそきこんだ・ほくも、眼をうたぐった。 おん自ら、皇祚皇祖より連綿一統の神位を御否定あそばすなど : ・ 実に、こんな不敬、不忠な、危険思想がありますか ! これを持っ印刷された、その美しい、大きなお札には、「壱万円」と書いてあ ているだけで、奴は、治安維持法、不敬罪、場合によったら大逆罪る。裏の数字を見ても、やはり 10000 とゼロが四つついてい る。 もう一つ別の、もう少し小さなお札には、ひげのはえたお で処刑されるに値する : : : 」 「年表はまだまだつづいているそ : : : 」お父さんは、青ざめた顔でじいさんの顔が印刷されていて、「千円」と書かれていた。 ページをくりながらつぶやいた。「それにしても、くわしく書いた一万円のお札なんて ! こんなすごいもの見た事がない。 ふだ ものだな : : : 昭和四十七年まで書いてある。発行日は・ー昭和四十子供のぼくは、百円札だって、まだ見た事がないんだ。 八年一一月だ : : : 」 んもらうお小づかいは、お年玉や、お祭りの時にもらうので、せい 「しかし , ・トー」お祖父さんは腕を組んで眼をつぶった。「いったい ぜい「ギザ」ってよんでいる五十銭玉一つ、一円札も持たせてもら あの老人は・ーー何のためにこんなものを持っていたのかな ? 」 った事がない。 5 「むろん , ーーこういうけしからん書物を、民間にばらまいて、聖戦「印刷もよくできている。・・・・ーーすかしもちゃんとはいっている : ・ : こ 3 一 完遂のためにふるいたたねばならん国民を動揺させ、戦意をくじくお父さんは、その一万円札を明りにすかしながらつぶやいた。「日

4. SFマガジン 1973年2月号

を大人とも思わない、傲岸な不遜な態度がでてしまう。およそ可愛なかの傷跡として残っていたが、十年ばかりの歳月には勝てなかっ たらしい。もはや、夢にも現われなくなった。 気のない大人子供に見えたにちがいない。 しかし、エスカレーター式に、小学校、中学、高校とつながる地それは、同時に、おれのなかにあった日本的なもの、東アジアの 方大学の附属校では、成績がよいということは、なんにもまさる免モンスーン米作地帯に共通する価値観との訣別でもあった。はるか 罪符だった。おれと弘子は、級友たちから遊離した存在でありながな古代、飛騨の山奥で謀叛をおこした畸型児、ーーそんなものにかか わりあっていることが、そもそも奇矯なことだった。そんな古めか ら、教師からは一目おかれていた。 急速なアメリカナイゼーションが進み、日本的なものが次々に崩しいものは捨ててしまい、近代的な合理精神を身につけていかない 壊していく変革のなかで、おれたちは、脱日本人をめざして勉強しと、時代から置きさられてしまう。そうした恐怖のほうが先だっ こ 0 た。戦争にまけたのは、デモクラシーにほど遠い日本の封建制のた 高校時代には、日本史の授業には、すこしも興味を持たなかっ めだった、といった類の単細胞的な反省がおこなわれ、日本人とし ての旧時代の穀から抜けだすことによって、アメリカ人とも対等にた。日本の歴史というのは、天皇を中心とした皇国史観でつらぬか さっそう 交際してもらえるという、人種偏見などひとかけらも考慮していなれ、ひいては狂気じみた侵略戦争に帰結してしまう。いかにも颯爽 おめでたい展望がひろく行なわれていた。つまり、デモクラシとしない、魅力のないものに思えたからだ。 それにひきかえ、世界史や、人文地理ーーそのうちでも世界地理 ーというパスポートさえ手にいれれば、アメリカ人なみになるとい の授業は、無限の可能性を秘めているように思えた。フランス革命 、奇妙な未来を考える人が多かったわけだ。 ロ・コス そのころのおれには、そうした風潮に対する反省など、すこしものときの理性の信仰には、憧れに似た感情をいだいた。抹香くさい なかった。せっせと英語の勉強に精をたす、模範的な中学生だった日本の神道などとくらべると、神そのものの存在すら否定し、かわ りに理性を信仰するという新しい宗教には、限りない発展性がある にちがいない。 意よ、しだいにおれの心かのようにすら思えた。そのころのおれは、理性の信仰が、キリス そして、幼いころ恐怖した両面宿儺の記 1 を しきいきか から遠のいていった。しかし、識閾下のどこかに生残っていたのだト教へのアンチテーゼとして生まれたものであることすら判らず、 ろう。その無残な畸型の姿は、ときおり夢に現われることがあっただ単純にあこがれていた。 おれは、ヨーロッパの歴史や地理に、たいへん興味を持った。十 た。そんなときの宿儺は、ホルマリン標本の胎児のイメージを付加 されているため、腐った魚のような眼をしているくせに、四本の手字軍の遠征記や、。フルタークの英雄伝や、・・ウエルズの「世 に武器を持っているという、奇怪な形になってしまっていた。 界史」などを読みまくり、いつばしの西洋史マニアのような顔をし 高校に入ったとき、奇怪な宿儺の姿は、おれの夢のなかからも消てみせ、そのポーズが級友に受けいれられると知ると、さらにいっ 7 えた。幼ないころ、あれほど恐ろしかったイメージは、おれの心のそう西洋史の本をあさりまわった。 トラウマ

5. SFマガジン 1973年2月号

ロバート・クラム ( 右 ) と共に クスの特集をしている。今度は、本格的にやりたいらしい し、あしたの昼めしを、いっしょにくおう。ジャン・クロ 1 ・ハレラ」の作者 ) と、ローベル・ジジ 1 ド・フォレ ( 「・ハ ( 「スカ 1 レット・ドリーム」の作者 ) それに、だれとだれ 5 ビジネス・マン化するマンガ家たち と、だれを呼んどいてやるよ ! 」 そして彼は、パリのマンガ家たちが集る古い洞窟を利用 ルッカでは、パスカル氏 したレストランに私を と共に、アメリカから、 招いて楽しい時間をす Z O のメン・ハーが、何人 ごさせてくれたのだっ も来ていた。本年度 た。 ( マンガ家が集っ 会長のジャック・テイピッ て会食をする独得の雰 ト氏、それに、私にとってう 囲気というのはどこで れしかったのは、「フラッ も変りはない。われわ シュ・ゴードン」のアル・ れがあんまりはしゃぐ ウィリアムスン、「ビート ので、普通のお客たち ル・ペイリイ」のモート・ は目を丸くして、こっ ウォーカー、そして、私が ちを見ていたものだ ) 第訳した「イド王国の魔法 ルッカでも、・モリテ つかい」シリーズの画家、 ルニ氏は、私がっかれ プラント・・ ハ 1 カーが、・参 た顔をしていると、「お 加していたことだった。 つ、大丈夫か ? 」と気 アメリカのシンジケート をつかい、 系のマンガ家たちは、マン ハッ ! 」と空手のかっ ガ家というよりも・ヒジネス・マンという印象をうける。ア こうをしてみて、私を抱きあげるのだった。 メリカ漫画家協会会長のテイピット氏もそうで、アーティ セイの協力で、日本マンガ特集をやるーーと、予告を出しストというかんじが、あまりしない。もちろん、みんな、 ちまったんだよ。だから、早く資料と解説を送ってくれな愛想がよく、それそれ私に、絵を描いてくれたし、テイピ ット氏は、私が特に頼んだら、日本漫画家協会のためにも いか」と彼はいう。 では私がパスカル氏に送った「グラフィス」一枚描いてくれた。 そうしたなかでも、「イド王国」のプラント・ 用の日本側資料を手にいれて、すでに簡単な、日本コミッ

6. SFマガジン 1973年2月号

彼は腹をたてていた。喉の渇き、空腹、暑さ、疲労。それらに耐てみると、僅かな水とビスケットがあるだけで、人っ子一人といな えながら、黙々と砂漠を歩いている自分に腹を立てていた。な・せ、 い砂漠のド真中だ。あーもすーもない。生命を危険にさらし、灼熱 2 3 自分がこんな目にあっているのか、その理由がわからずに、腹を立の砂漠を、一枚の地図を頼りにほっつき歩かなければならないの てていた。 だ。もし、目的地にたどり着けないなら、死あるのみだ。そして、 オート・ハイあがりの自動車レースのドライ・ハー、それが吉沢だっ このゲーム・ーーゲームというにはあまりにも苛酷だ、ーーをおりるこ た。オート・ハイ・レースは、トライアルからはじめ、日本チャンピとはできない。自分の自由意志によらず、自分の生命を危険にさら オンになってから、ロード・レ 1 スに転向し、そこで華々しい活躍していることに、吉沢は腹をたてていた。 をみせ、三五〇 3 、五〇〇 3 、七五〇 3 と、三クラスを制覇し、四彼は歩いていた。怒りと気力だけが、彼を支えていると言っても 輪のレースに移った。 よかった。一歩一歩、ひきずるように足を前にだし、ふらっき、よ 初陣の日本アルペン・ラリーに優勝し、日本グランプリでも、クろめいて進んでいた。 ラス優勝と総合三位の成績を残し、一年後にはヨーロッパに渡って こんな理不尽なことがあるものか。おれは今まで、生命をおとし いた。そして世界の強豪に伍して戦い、今では自動車レースの最高かけたことは何度もあった。このレースでモトクロスの日本チャン 峰といわれるフォーミュラ・ワンで、世界チャンビオンシッ。フを狙。ヒオンになれるかどうかが決まるという、シーズン最終戦で、おれ 世界屈指のレーシング・ドライ・ハーであった。 は二位につけていた。トップを走る川口は、チャン。ヒオンシップの その吉沢が、どうして砂漠をさ迷うことになったのか、彼にはと得点で、おれと並んでいた。そして、そのレースで優勝したほう んと合点がいかなかった。記憶をたどってみても、目が覚める以前が、日本チャンピオンになるのだった。おれはどうしても優勝した 日ロも同じだったろう。 のことは、まったく憶えていなかった。さらにさかのぼってみるかった。丿 川口とおれは、激しいレースを展 と、記憶がよみがえってくるあたりは、ぼうっとして、どこからが開していた。一周ごとに、ト ップはいれかわっていた。三位以下は 本当なのか、少しもわからなかった。 ずっと遅れていた。 しかし、こんなべらぼうな話があるものか ! 本能的に彼は生命 最終ラツ。フ。彼がトツ。フだった。この周のうちに、彼を抜かなく 一センチでも先にゴールインしたほうが勝ちなの の危険を感じていた。この危険は、レースにおける生命の危険とはてはならない。 異質のものであった。レースにおける危険は、レーシング・ドライだ。おれは彼のうしろにびったりとついて、抜くチャンスをうかが ・ハーとして、これを甘受し、充分な準備と、細心の注意によって挑っていた。二メートルと離れていない。彼のマシーンの太いリヤ・ 戦するものだ。もし、危険があまりにも大きいと感じるならば、レタイヤが、砂を石をおれの顔にはねあげた。 ーシング・ドライ・ハーには、挑戦をやめ、自分の生命を守る自由が 川口がジャンプした。間髪をいれず、おれもアクセルを大きく開 ある。ところが、今はどうだ。自由もへったくれもない。 目が覚めき、ぐいとハンドルを引いて、宙に飛んだ。

7. SFマガジン 1973年2月号

いなおされる。 きは、根太のゆるんだド・フ板や、コールタールを塗った電信柱や、 新聞配違の自転車など、日本にしかない情景をもっ世界にかえる。 金属活字は、グーテンベルクによって、発明されたと説かれる。 それは、おれみたいに、日本的なもの、アジア的なものを排除すグーテンベルクより、はるかにはやく、朝鮮において実用化されて るよう、意識的に教育された世代にとっては、なんとなく異様な、 いた史実は、意識的に無視される。 だが逞しい風景だった。 マルコボーロやヴァスコ・ダ・ガマには、多くのページをさいて ちょうけん おれは、いつのまにか、仕事で行くさきざきの土地で、神社仏閣も、漢の張驀や明の鄭和については、ほとんど何も触れない。 こうした偏向教育は、小学校からはじまり、自然科学、社会科学 などを訪れるようになった。べつだん、抹香くさい動機からでたこ とでもないし、いわんや、天皇を頂天とする国家神道に奉仕する気など、ありとあらゆる分野にわたる。右も左もなく、イデオロギー などさらさらない。しかし、由緒ある神社の境内に立ち、自然と調とは無関係に、日本の社会の上層部にいる人々は、日本人の全てを 和してたっ白木の社殿などを眺めていると、古代人の素朴な感情が徹底的に洗脳するため、一致協力してことにあたっている。 かん 生んだ神ながらの道といった発想も、なんとなく理解できるような長髪、ジーパン、ロックといったような外面的なことではない。 気になった。 そうした表面的なものはどうでもいい。というよりむしろ、長髪や おれは、アメリカナイゼーション世代のいわば順当な出世コース ジーパンに対して、新しく入ってきたという理由だけで、ジェネレ からはずれたとき、はじめて日本的なものの存在に気づいた。それ ーション的な拒否反応を示す人ほど、心の奥深く根ざす対コーカソ ドロツ・フ・アウト をいわば落伍者としての心情的な共感であったかもしれない。 イド劣等感をいだいている。そして、内面から日本人を改造しよう ロツ・フ・アウト 戦後の四半世紀、日本人の手から落ちこ・ほれていたものを、ふたたとする動きに、すすんで奉仕するようになる。 び拾いあげる喜びであった。 おれは、体制の枠組から放りだされ、一匹狽としてしか生きられ かって、征服者日本人は、東アジア世界の人々にむかって、神社なくなってはじめて、数々の矛盾に気づきはじめた。 ラスティック の礼拝を強要し、日本の文物を強制する、悪名たかい皇民化教育を今この国では、たいへん急激に、日本人のコーカソイド化教育 ほどこそうとした。その日本人が、今度は同じ同胞にむかって、左 が、押しすすめられている。全ての日本人が、コーカソイドの立場 右のイデオロギーを問わず、一致協力して一つの価値体系を強制からものを、 しい、コーカソイドの行動様式でうごくごとを、すこし し、四半世紀にわたる偏向教育を遂行してきた。 も疑問に思っていない。かって、この国の人の行動を律していた フォーク市ェイズモーレス そこでは、日本人は、朝鮮人や中国人の仲間ではなく、コーカソ習俗や掟は、今では影をひそめてしまっている。 イド ( 白色人種 ) の一員であるかのように教えられる。コロン・フス それほどまでにコーカソイドに奉仕した結果、日本人はかれらの のアメリカ到着は、アメリカ発見と言いかえられ、ゲルマン民族のあいだで市民権を獲得できるのだろうか ? かって、明治の日本人 大退却は、コーカソイドの立場から、大移動というきれいごとに言は、欧米諸国とおなじような文明開化がなったあかっきに、日本人 0 9

8. SFマガジン 1973年2月号

ジャン・クロード・フォレ ( 「バーバレラ」の作者 ) バリで ( 上 ) 日本のマンガを読むアラン・レネ ( 下 ) のおとなたちが、「。ヒーナツツ」でおなじみのルーシイを、 なっている。日本にもいずれ入荷するし、スイスからは、 私あて本が送られてくるだろうが、さまざまな不満がある解剖台に載せて分析しているという皮肉なもので、俗物た にしても、これは画期的な出版であろう。とにかく「グラちの目つきと、あおむけにされておびえているルーシイの フィス」が、コミックス特集を組んだのだから。パスカル表情がい 氏の家で、そのハ 1 ドカバー版のページをめくりながら、 だが、彼の絵にはどうしても孤独のさびしさ、暗さがぬ けきらない。 これはなにかのはじまりだと私は感じていた。 ディビッド・パスカルは、ルッカ大会ではじめて、アメ仕事場のスタジオで、次の日パスカル氏にあうと、ま リカのアンダ 1 グラウンド・コミックスを、数年前に紹介た、彼は文明とコミックスについて、語りはじめた。 したことを、誇りにしている。保守的なマンガ家が多いア「ずいぶん、おしゃべりな男だと思うかもしれないが、わ メリカ漫画家協会 (ZOT) のなかにあって、彼が、孤立 かるだろうが、ここでは、私は孤独なんだ。ずっと、仕事 していくかんじはよくわかる。 場にとじこもっている。こんなコミック論を親しく話し合 そして、ニューヨークでは、だれでもが孤独なのだ。パ える者は、ここにはいないんだよ。ぎみと私が、同じよう スカル氏の家にも、ドアにはがんじような鍵が四つもつけな方向をめざしているのがわかってうれしい。久しぶり られ、万一のための、しんばり棒が、そばに置いてある。 に、話しあいてに会ったという気持ちなんだ。コミックス 彼の描いた「ルッカ 8 」のポスターは、いじわるな目つきについて、進歩的な考えをもっている者は、ここではほん とに少いんた」 彼は、「グラフィ ス」のコミックス 特集を編集してい たが、私は日本で、 「イラストレーシ ョン」 ( 講談社刊 ) という困難の末に 日の目をみたアー ト誌のコミックス 特集をうけもって いた。それは、期 せずして、「グラ フィス」の特集と ~ 日 5

9. SFマガジン 1973年2月号

れた不幸な畸型児であり、不吉な存在として大和朝廷から抹殺されあり、王権神授説のような御都合主義から、ホッ・フス、ロックなど の社会契約説が現われ、デモクラシーの下地ができあがったのであ 8 るはずの被害者にすぎなかった。 おれは、新しく見つけた解釈を、弘子には話さないまま、中学生る。それを、占領軍のの命じるままに、デモクラシーを金科 になった。なぜなら、おれの育った世代においては、伝説に現われ玉条として、いわゆる平和憲法なるものを作りあげ、日本人の根底 ジャ・ハニーズ・ウェイ・十プ・リピング る顔などにしがみついていては、その人間の品性までも疑われかねにある日本的なやりかたみたいなものを、大量破壊しようとしたの ・こ 0 そんな風潮すらあったからだ。 世はまさに、アメリカ時代だった。アメションーーアメリカでシ早い話が、デモクラシーというのは、ひとつの手段にすぎない。 ョン・ヘンをしてきただけー・・ー A 」いう悪口には、たとえションべンをその根底には、カトリシズムと。ヒ 1 リタニズムの相克を経験しな するだけでもいいから、一度アメリカへ行ってみたいという、羨望がら、しかも本源においては変っていないクリスチャニティという がこめられていた。日本的なもの、アジア的なものが、大量に抹殺ものがある。つまり、日本人にデモクラシーを強制するつもりな コン・ハート されている時代だ 0 た。戦前の皇国史観への反省が、やや過熱しすら、日本人すべてをクリスチャンに改宗しなければならなかったわ ぎたきらいがあ 0 た。戦前に右の端までい 0 た振子が、戻りはじめけだ。ところが、そこのところをはきちがえて、根底になる日本的 たは良いが、中庸のところでは止まらず、今度は左の端まで行ってな生き方を否定し、そのプランクに、単なる手段にすぎないデモク ラシーを、モザイクしようとした。そこに大変な無理があった。 しまった。その結果、こと歴史に関しても、マス・ヒステリアみた おれたちが育ったのは、そんな時代だった。昔の本にあった両面 いな文献批判プームがおこり、古事記・日本書紀に史実が含まれて いると言っただけで、永久に学者的生命を断たれた人もあったとい宿儺なる存在にしがみつくより、すこしでも良い成績を英語におい てあげなければならない。幸い、おれは、英語の成績がよかった。 おれは、そうした時代に、両面宿儺という妙なものに、興味を持小学校の頃から、自分からすすんで塾にかよ「ていたのがよかった ってしまった。それは、時代からみれば、きわめてアプノーマルなのだろう。中学一年のときには、高一の英語力があった。そして、 おれは、そのとき、自分の能力に溺れた。教生としてやってくる英 ことであり、仕方なくおれは、この性癖を隠さねばならなかった。 世はあげてデモクラシー万能の時代だった。しかし、デモクラシ語専攻の学生と、英会話をかわしていても、すこしもひけをとらな おとなあなど ーといったような社会思想は、こと科学技術などと異なり、これまかった。そして、おれは、すこしづつ、大人を侮るような傾向を示 での数々の試行錯誤を抜きにして、結果だけを取りいれるというこしはじめた。戦後の混乱期のなかで、長幼の序という日本的な価値 とはいかに器用な日本人の手をもってしても、所詮不可能でしか基準が、おれ自身の内部でも崩壊しはじめていたのかもしれない。 なかった。デモクラシ 1 が定着するまでには、古代ギリシアの民衆おれとか弘子のような存在は、そのときの大人からみれば、きわ クラティア 支配の時代はおくとしても、キリスト教世界の伝統的な契約観念がめて腹立たしいものだったろう。子供らしい無邪気さがなく、大人 デモス・

10. SFマガジン 1973年2月号

いな嗅覚の持主になってい そして四番目は高斎正氏。 る。 何しろ私はアルファベット 二番目は幽古堂のご主人の も満足に知らない横文盲だか 原さん。 ら、弟があら読みして、「こ 古美術商で東京の六本木と れ面白いよ」と呉れた本を、 奈良にお店を持っている。私 誰かに読んでもらわばなけれ 。はユは。ら一よい。 が巣みたいにしている渋谷の 串六という店の女将の節ちゃ その点高斎正氏は、独文を んの知り合いで、酔うと、 出てイタリーに遊んで英語の 「なになにじゃ」と、時代劇 本を翻訳して、おまけに日本 語がべラ。ヘラで安全運転と来 みたいな喋り方をする六十幾 てるから、こんなに有難い味 つのおじいさんだ。寄人のほ 方は又とない。 まれ高く、時価六十万円とい 考えてみればみんなにお世 う〈神統拾遺〉山科家本を、 黙って半年の間も貸してくれた。連作〈産霊山秘録〉でヒ一族とい話になりつばなしで、早くネタ相応の面白い小説が書けるようにな うキャラクタ 1 を得たのは、ひとえに原さんの貸してくれた〈神統らなければ申しわけがないと思っている。 拾遺〉のおかげである。また、原さんは私の〈石の血脈〉の中で、 老医師原杖人として、さかんにじやを連発している。原杖人はパラ Execution ケルススのつもりであった。 ピーター・エヴァンス 三番目はもと新宿のキャ・ハレーの支配人で日本名を中江学とい い、だいぶ以前に台湾へ帰って今は貿易商をしている注学文さん「総毛だっぜ、こいつは」 弟の奴が南まわりの乗務をおえて帰ってくるなり、そう言って抛 酒場時代の先輩で、久しぶりに日本へ戻ってみたら私が小説を書り出したのがこの本だ。 刊行は一七三〇年で、法律書なのだろうが、死刑の方法につい いているので、呆れ半分に喜んでくれ、以来何かと応援してくれ る。注さんは台湾の上のほうとつながりが深く、おかげでペンタゴて、古今東西の実例を詳細に書いている。しかもその書きつぶりた るや、いかにも法律書らしい冷たさで、淡々としているから気味が ンやナサの資料が手に入るわけだ。 7