イギリス - みる会図書館


検索対象: SFマガジン 1973年4月号
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1. SFマガジン 1973年4月号

( イ・ハース・ヘース 〈超空間〉とか〈物質転位機〉とかいうものを使 0 て得られた自互作用を表現するには、あまりにも明々白々なものでありすぎる。 由はほとんど幻想にすぎない、といって反対する作家たちもある。 読者も、より間接的な叙述スタイルや、開発されていないテーマ、 こうした観点を、最も仮借なく推進しようというのが、四十二歳の個人的なシンポルやポキャプラリ 1 に馴れ、受け入らなければなら ZO イギリスの作家・・・ ( ラードである。彼は探険すべきところは アウタ 1 スペース 外宇宙ではなく〈内宇宙〉だと説く。以外の文学ジ ~ で〈濃縮小説〉と自ら名づけた大胆な実験小説の中 ( ラードは古い 0 ⅵ ならば、これほど反対意見のない議論もないだろう。しかし・ハラー サイエンス・フィクションの常識を棄て去ったのみならず、しだい ドは仲間の作家たちにむか「て伝統の主題ーー宇宙船や宇にあらゆる説明。ーー科学的なものにしろそれ以外のものにしろ 0 宙人その他もろもろ , ーーと、伝統的なストーリー・テリングのテクを、その見せかけすら放棄し、叙述そのものを、短い、小綺麗に分 = ' クとを捨てるようにと主張するのだ。一九六五年イギリスの類したパラフレーズに分解してしま 0 た。直線的な物語の進行とい 雑誌ニュー ・ワ 1 ルズに発表した記事のなかで、彼はこうい 0 てう概念そのものを嘲笑するかのようにである。彼の濃縮小説の一つ である『お前と私と連続体』 ( 一九六六年 = = ーワールズの姉妹誌 「サイ = ンス・フィクシ ' ンは現在の叙述形式とプロットとを放棄イン。フルスに発表 ) の冒頭には、つぎのようなシーク = ンスがあ しなければならない。それらの大半は、人物とテーマとの徴妙な相る。 特別掲載 <€ntL 論ニ三ーヨーカー誌より版権取得 インナースペース トラ / スマット ジュラルド・ジョナス 訳☆福島正実 ◆◆ーー 7 2 ー

2. SFマガジン 1973年4月号

アゲアンギャルド イクションがついに前衛的文学の一種として受け入れられたとい プンビ・ ( レノッ うことなのか、それとも、バラードの作品が、すでに真のサイエン 1 の上でた 二律背反【彼女は静かに横向きに寝て彼の手がジッパ めらう、スケルツオの最後の一小節に耳をすます。この見知らぬス・フィクションと無関係なものになってしまったことの証拠なの 男。その・フルックナーへのーー核酸、ミンコフスキーの時空、そか、オーソドックスなファンダムの中ではまだ議論されている。論 / ラードがーー・そして彼 の他神のみそ知るあれやこれやヘの無限の抑圧。宇宙医学のある点をいっそうまぎらわしくしているのは、く と傾向を同じくする他の作家たちが、六十年代後半にレギュラー・ 会議で拾ってきてから、二人は一語も言葉を交していなかった。 ・ワールズは第 メイハーとして登場した雑誌の運命である。ニュー 正気なのだろうか ? 時たま彼は、何か途方もないジクソウ・ 二次世界大戦の直後にイギリスのファンのグルー。フの手で創刊 ズルの中から、彼自身を拾い集めようとしているかのようだっ た。彼女は寝返りをうって、六インチと離れないところから自分された。・ 0 ・クラークもその一員だった。一九六四年編集者陣 アヴァンギャルド の顔を見つめている黒眼鏡と、それを通して星さながらに燃えるの交替があってから、この雑誌はしだいに前衛的〈スベキ、レー ティヴ・フィクション〉のきわめて直截な専門誌となっていった。 一一つの目とを見ーー・愕然とした。 一九六七年には、イギリス文化芸術会議から経済的援助を受けてい オプシー / 短頭】彼らは半ば塗った電波望遠鏡のパラボラ型アンテナる。一九七〇年二月、出版部数の激減と、〈猥褻〉とこきおろされ の下で立ち止った。鈍い金属の耳が軌道を回転しながら空をまさた内容についての、政府出先機関や広告スポンサーとの猛烈な論争 ・ワールズはそれ以来何回もの再生 ぐると、彼は両手をあげて頭蓋にあて、まだ開いている縫合線をののち、一時休刊した。ニ = ー が・・・・ー小綺麗にボマ 1 ドをつけた = を経たが、しかし六十年代後半の当時の活力は , ーーそれは美学的 探った。彼の傍でクレイトン プレイクスルー ダ・・ーー三台のリムジンの待っている遠い垣の方にむけて手を振っ技術突破のためには危険を冒すことを辞さないという意欲だったー た。「もしよければ、百台だって使える。完璧な自動車隊ができー雲散霧消してしまった。 もしイギリス界のこの騒動に似た動きが過去十年間のアメリ る」クレイトンを無視して、彼は飛行服のポケットから石英の一 片をとりだし芝生の上に置いた。たちまち、準星の記号音楽がそ力にもあったとすれば、それはいわゆる〈新しい波〉の是非をめぐ っての激しい議論であろう。〈新しい波〉は若い作家たちのや れから奔りでた。 や漠然とした集団をさすが、このグループに属する作家たちは、しば しま、事実上しば、従来ではタ・フーとされていた主題、たとえば麻薬とかセック の伝統のあらゆる痕跡を脱皮したバラードは、、 スを扱い、未来について一般に非常に悲観的な見方をして、古い作 実験小説一般と見分けのつかない叙述スタイルに向かって移行しつ つあるように思われる。彼の作品は大西洋の南岸のさまざまの〈リ家たちゃ編集者、ファンたちにショックを与えたのだ。〈新しい トル・マガジン〉に掲載されている。このことが、サイエンス・フ波〉の作家たちのうち最も大きな影響力を持っているのはサミエル クエーナー ニュー・ウェーヴ

3. SFマガジン 1973年4月号

ック・ロマンスはついに、現代の散文形式として、具象的小説の後像もできないほど熱心な読者層を獲得した。それらの読者は、科学 継者に対して深刻な打撃を加える挑戦者の役を果すことはなかっと技術を娯楽として、啓蒙的な読物としてーーときには救いとさえ た。ウエルズ流の科学は、所詮、機械を相手にするにとどまり、文みる人々から構成されていた。これらの新しい読者のために書く作 学にとって機械は文化の敵だったからである。一方の伝統的なファ家は、例外なく、英文法の知識よりも科学的知識の心得がなければ ンタジーは、子供か詩人のものにすぎなかった。そして一九〇〇年ならず、登場人物の個性の面白さよりも、面白い小道具ーーガーン 以後は、ウ = ルズ自身がサイ = ンティフィック・ロマンスを放擲しズックが『ラルフ一二四 o 四一十』の中で描写してみせたテレビ て、当時のイギリスの社会生活を描くより常識的な小説に鞍替えし電話のようなものーーを書きこむことが、より重要であることを知 てしまった。『キップス』 ( 一九〇五 ) 『トーノ ( ・くノゲイ』 ( 一らされた。。フロットなどは問題ではなかった。そんなものは、ほか 九〇九 ) 『ポリー氏の履歴』 ( 一九一〇 ) などがそれである。そしの大衆小説のどこからでも、いくらでも借りてきてかまわなかっ て、予想されたように、これらの作品は批評家たちから彼の最高傑た。ストーリーは たとえば、身持ちのよい型通りの美女が怪物 作として大いに賞讃を受けたのである。 に襲われ、頭からあんぐり呑みこまれると、勇敢な男が現われて、 伝統的なものにしろ新しいものにしろ、ファンタジーに対する批怪物を二つに引き裂いて女を救い、男と女が結ばれる : : : といった 評家の態度は、二十世紀初頭のアメリカでも、ほぼ似たような雰囲調子だった。 気を持っていた。そして、一九二〇年代に専門のパルプ雑誌が もちろん、ガーンズ・ハックはウエルズの作品はすべて知っていた 創刊されても、まったく事情は改善されなかった。世界最初のし、アメージングの初期の号には、彼の短編を幾つか再録もした。 専門誌アメージング・ストーリーズは、一九二六年四月に、店頭にしかし、一九三〇年代のはじめ頃までに、アメリカのサイ = ンス・ 出た。アメージングを主宰していたのは、電気技師のヒューゴー フィクションは、一般の人々の目にーー - ーそして、よりいっそう重要 ガーンズ。 ( ックだった。彼は、それより以前に出版していた一群のなことには、シリアスなものを書く作家たちの目に、三流の大衆小 ポ。ヒュラー・サイエンスの雑誌のページを賑やかにするため掲載し説とうつるようになってしまったのである。 た、新発明や未来の技術を扱ったお粗末な小説冫 こ〈サイエンティフ 「おそらく、これが、アメリカに、・・ウエルズの後継者が生 イクション〉という新語を冠していた。 ( ガーンズ・ハック自身も、 まれなかった最大の理由であろう」とクレアソンは書いている。 こうした小説の一つを書いている。最も初期の、幼稚な、しかしあ「イギリスでは、パルプ雑誌のマーケットは、ついにさほど大きく まりにも有名な『ラルフ一二四 O 四一十・一一六六〇年のロマンス』ならなかった、だからこそ ( ックスリーやオーウエル、 o ・・リ がそれで一九一一年のモダン・エレクトリックス誌に掲載された ) ュイスやオラフ・ステープルドンのような、ウエルズやフォースタ こうした小説を毎号多数掲載したため、アメージングと、その後ーと全く同じ系譜に属する作家たちに、主流文学の東縛の中では、 これを模倣して出版された多くのイミテーションは、たちまち、想決して正しく表現できないようなさまざまなことを語らせることが ◆◆ー 79

4. SFマガジン 1973年4月号

は全く無関係。西洋人名辞典には、こ一さて、混乱からさめた人びとは、しだいにいくっ かのグループを形づくっていく。大部分は十九世紀 んなふうに記載されています ー・リチャード・フランシス のトリエステ地方の人びとだが、バ ートンのまわり サ にはもっと毛色の変わった顔ぶれが揃う。おもなと ー一八九〇 ) 1 トン ( 一八二一 「イギリスの探険家、東洋学者。インころでは、ネアンデルタール人のカッズ。十九世紀 ーグリーヴ ドで軍籍にはいり、シンド地方の調査イギリス淑女の典型のようなアリス・ に従い、一旦帰国、のちメディナ、メズ夫人 ( 『不思議の国のアリス』のモデル ) 。どうや ッカに潜入して、三巻の見聞記を書いら作者の分身らしい二十世紀アメリカ人の。ヒーター ・フリゲ 1 ト。そして、どういうわけか、奇怪な姿 た。ついでアフリカに入り、ソマリラ ンドのハルラルを調査し、さらに中部をした異星人も一枚加わっている。その異星人モナ アフリカに赴き、タンガニカ湖を発見ットが話すところによると、タウ・ケチからの使節 し、リヴィングストン、スタンリ等のだった彼らとのあいだの誤解による争いがもとで、 先駆となった。領事として、フェルナ地球人類は西暦二〇〇八年に絶滅した。そしてい をリバーワールドシリーズ第一部 ンド・ポー、サントス、ダマスクス、ま、原人からその最後の年までに生きたすべての人 トリエステ等にも赴任し、またカメロ間が、なにものかの手でこの別世界へ移し変えられ びつけられている金属製の円筒。蓋を開けると、中ン大尉とともに黄金海岸を調査し、彼との共著を出たのではないか、という。確かにそこは地球ではな にいくつかの容器がはいっているが、用途はわからした。なおポルトガルの詩人力モンイシの翻訳のほさそうだ。鳥や獣はおろか、一びきの昆虫も見あた ない。もう一つは、川の両岸にそって、約二キロおか、詳細な総論および補注とともに東洋の香気を移らないし、太陽のそばになにか別の天体があるのが きに立っている、天色の岩でできたキノコ型の建造して有名な千夜一夜物語の翻訳がある。夫人イザ・ヘ見える。やがて弱肉強食の闘争が起こるのを見こし バ 1 トンたちは豊富にある竹と硅石で武器の製 物。その表面には直径五十センチほどの円い窪みがルも結婚後彼の探険に協力し、旅行記を書いた」て、 たくさんあいており、どうやら彼らの持っている円さらにこれ以外にも、王立人類学協会の創立者の作にかかる。 一人、という用語の発明者、東洋の性慣習の研最大の問題は食糧だが、それはまもなく解決がっ 筒がすっ・ほり入りそうな大きさに見える 究家でもあったといいますから、日本流にいえば文く。めいめいに与えられている円筒形の容器を、例 このへんで、われわれの主人公についてすこし触武両道の達人、おまけに合理主義者で、しかも数カのキノコ形の岩の表面の窪みへ入れておけば、ある れておいたほうがよさそうです。おなじリチャード 国語 = 通じ」 0 と = など、 = 0 小説 0 , 0 , 一一定 0 時間」岩ら閃光が立ち 0 ぼり、そし容器 の中味がみたされることがわかったのだ。しかも、 バ 1 トンでも、エリザベス・テイラーのダンナと一にはうってつけな人物であるわけです。 0 0 0 0 0 0 ャ 3

5. SFマガジン 1973年4月号

ばくは悲鳴をあげ、地獄がみるみる近づいてきた。 はわからないが、われわれよりも遙かに高いーー想像を絶する進化 ・ほ ~ 、はユなかにい 4 」 つぎの瞬間 をとげた宇宙人の代表が、はるばる地球を訪れる日を。「わたしは 通過した。 いま天の川を眺めるたびに、その積層する星の雲のどの方角から、 なにもかもがーー世界も、ぼく自身も、ばくの魂も、精神も記使者がやってくるのだろうかと、思い惑わずにはいられない。きわ 憶もすべてが、その一瞬に消え去った。 めて陳腐なたとえをお許しいただくなら、火災警報を鳴らしてしま ・ほくは虚無と出会い、たちまちその一部になった。 ったからには、もはや、じっと待っているほかしかたがないのだ : ・ほくは死んだ。 : ・そう長く待たなくて済むのではないかと、わたしは思っている」 それは永遠であった。 ( 小隅黎訳 ) おそらく、『真夜中のダンサ 1 』のような小説の魅力を説明す るには、この小説に詰めこまれた迫真感を、無数の星をちりばめた サイエンス・フィクションは、こうした〈驚異の感覚〉を呼びお 雲びとつない夜中の空を見あげたとき、ある種の人々の心を衝つあ こす能力において、かならずしも最もユニークな芸術ではない。し の異常な感動に比較してみるのがいちばんよいだろう。フロイドは かし、他のファンタジーや空想文学においては、驚くべきものと合 かって、宗教的憧憬を抱く人間の心の奥には、コントコールしよう ーリング オセアニック・フィ もない「大海原のような感情」が横たわっていると書いた。一方サ理的なものとの間には、はっきりとした境界線が引かれる。ただサ センス・オプ・ワンダー イエンス・フィクションのファンは、〈驚きの感覚〉ーーわれわれイエンス・フィクションだけが、この二つを融合することができる のこの無限の宇宙における、無限の創造と破壊の可能性を考えるとのだ。サミュエル・ディレーニイによれば、現代の基本的な態 き受けるはげしい、無意識的な興奮の戦慄のことを口にする。ごく度というものは、神秘的な現象を、きわめて明解に、合理的に解釈 短い短編でも、こうした反応を呼び起こすことができる、例をあげしても、その結果としてそうした神秘をなくす方向には行かず、む れば、映画『二〇〇一年宇宙のオデッセイ』のヒントとなった e< ・ しろ、それをより高い次元に高めるものでなければならない。それ O ・クラークの短篇『前哨』などがあげられるだろう。クラーク はちょうど、元素の周期率表の微妙きわまりない秩序について知り、 は、穏やかな語り口で、月探険隊が、全く無意識のうちに、月面上また遺伝子の暗号のみごとな組合せについて知れば知るほど、自然 に何十万年も前に残されたにちがいない異星人の、一種の警報装置界の複雑さ、その無限のヴァラエティに賛嘆する気持を抱かせられ のスイッチを入れてしまう経緯を語る。今やわれわれの為すべきこるのと同じことである。この基本的態度を、純粋に小説形式で表現し とはーーー・とクラ 1 クはいう ただ待つだけだ。われわれの幼稚なたのは、一八八六年に生まれ一九五〇年に死んだイギリスの哲学者 文明に対して、果して友好的であるか、それともその反対であるかオラフ・ステープルドンの作品群であるといっていいかもしれない、

6. SFマガジン 1973年4月号

アウト 上げつつある。題名は『丘の彼方の世界』で、夫妻はこの中であらと〈外〉とを除いて、行くべき場所がなくなるに至ったのだ。 ミメティク ゆる文学を大きく二つのカテゴリーにわけている。模倣文学と非模 パンシン夫妻にとって、サイエンス・フィクションにおける科学 倣文学の二つである。模倣文学における原発的衝動は、人生の真実は、実際の科学ではない。そこに登場する「宇宙船も、はるかなか を、「本質的にあるがまま」に描くことによって表現しようという なたの惑星も、奇妙な発明の数々も」すべて技術の謳歌でもなけれ ことである。このカテゴリーには、現代の散文のほとんどが含まれば、また未来予測でもなく、「無限の隠喩の時空」をーー・「われ る。それ以外のあらゆる文学が非模倣文学で、この中には、たとえわれの知っている日常経験の現実世界」から切り離された、神話造 りのための舞台を、つくりだすためのものなのだ。何の用に立つの ば『オデッセイ』『ペーウォルフ』から『パルジファル』 ( の歌劇。 一八八二 ) 『神曲』『妖精の女王』『テンベスト』『失楽園』を経てか、その根拠は何かなどということは全く問題ではない。アメリカ 現代のサイエンス・フィクションまでーーー / 、 。、ノシン夫妻の好む言葉の作家たちは、過去四十年間に、こうした新しいシンポルの欠 点を除去するためによい仕事をしてきた。いまや準備は完了し、 でいえば、スベキュレーティヴ・ファンタジー までが入る。 旨「はついに、われわれの生活を変えるため必要な材料を与えら 模倣文学は大きな社会的騒乱の時代にしばしば花開く。その機育 パンシンはさらにこうつづける。「あらゆる が、個人を、社会のなかに統合することだからである。またこれれる位置についた」 が、な・せ過去二百年間、模倣文学がかくも栄えてきたかという理由芸術活動は、モデルづくりの作業である。それは、複雑な宇宙を、 特別なアイデアや感情の中にはめこむという知覚運動をたすけてく になるだろうとパンシン夫妻はいう。 一方、非模倣文学は、もっと複雑な役割りを持つ。それは「精神れる。人間が、従来どおりの生きかた、耐えかたで、今後も生きな 的に統合性を持つ」文学で、つまりパンシンに従えば、一方で「個がらえていくことのできないのはあまりにも明らかだ。人間はい 人個人に自らを納得させるのを助ける」作用をする反面で「個人個ま、新しい統合を、新しい合成をーー新しい宗教をさえ求めている のだ。 人を全宇宙の中に適合させる」のを助ける作用をする。 非模倣文学の武器は神話・伝説とシンポルである。 もちろん、 g-v 作家たちは、いまでもなおふるいパル。フ雑誌時代 過去一世紀前後のあいだに、「非模倣文学は、その伝統的な領域の習慣を捨てきれずにいる。作家たちは、自分たち自身の重要 ー・ハレ・ビレジ から、世界のシステマティックな探検と、〈地球村〉の建設の結性を認識していない。だが、私は、これから十年のあいだに が、ちょうどマーロウとシェークスビアの時代にエリザベス王朝演 果として、完全に追放されてしまった」その間に、古いシンポル は、あらゆる意味を絞りとられ、神話が活動するに相応しい舞台は劇が百花繚乱の開花期を迎えたように、大きく花咲くであろうこと を信じて疑わない」 全く存在しなくなってしまった。地球そのものが「人に理まり」 8 たとえば・ハ ーミュダは、かってのお伽話の島ではなく、人の混みあ パンシン夫妻は、こうした見解を詳しく説明した一文を、最近ト アツ・フ うイギリス植民地にな 0 てしま 0 たーーっいに非模倣文学は、〈上〉。ントで行なわれたサイ = ンス・フ→クシ ' ン研究協会の大会で発・一 ティク ノ / ミメ

7. SFマガジン 1973年4月号

文学」の概念へとつながっていったのである。 ョンと呼んでいる現代的ファンタジーは、〈リアリズムの彼岸〉と ナチュラリズム リアリズム文学と、その最も近い血縁にあたる自然主義文学の主して、また十九世紀の作家たちの、新しい科学の時代への〈同伴者 8 唱者たちは、純粋に具象的な小説だけを擁護し、その他のすべての的反応〉として、最もよく理解されるのた、とクレアソンはいって 小説形式を否定した。彼らは、その文学理論の根拠を、十九世紀中 葉の科学の方法とオ的との中に求めた。純粋な観念論への信仰はも この時代の急務は、芸術と科学とのあいだの共通な基盤を発見す はや不可能だったが、その代りに科学者が純粋な唯物論を称えた。 ることであった。リアリズム文学が、具象的小説と科学的方法との 彼らの説く機械論的宇宙は、発見し、記述することのーー従って、 あいだに並行線を見出したのに対して、新しいファンタジーは、空 それに従うかあるいは冒濱することの可能な冷徹な法則に従って運想文学と、その当時の科学の驚嘆すべき新発見とのあいだの偶然の 行していた。アメリカではウィリアム・ディーン・ハウエルズ、イ一致に着目し、これを開発した。これと同じ時期ーー・大まかにいっ ギリスではチャ 1 ルズ・リード、フランスではエ ル・ゾラなどて一八七〇年から一九一〇年にかけて、二つの文学的実験が、明確 の作家たちが、熱狂的に基本的ルールを敷衍しようとしていた。寓なかたちをとった。クレアソンは、この時期のイギリスの主要な作 話や空想物語の類は排除され、経験にもとづく観察と、客観的な考家たちが、ほとんど例外なく、いまいうところのサイエンス・フィク 証とがよしとされた。一八九九年ハウエルズはこう書いている。 ションに手を染めている点を指摘する。つまり、マーク・トウェ 「人生の真実は小説の第一の基準」であり、それは〈いま〉と〈こ ンの『アーサー王宮廷のコネチカット・ヤンキー』 ( 一八八九 ) か こ〉に徹底集中することによってーーきらには「特定の事物への完ら、・・フォースターの『機械がとまるとき』 ( 一九〇九 ) に 全無欠な忠実さ」によってはじめて到達できるものである。 いたる数多くの作品が、作風あるいは扱い方などさまざまな意味か ゾラはこれよりさらに正確に科学者の衣をつけることを主張しら、その中に数えられる。それらのなかで最も顕著な業績をあげた 。彼は、小説の登場人物を、顕徴鏡下の標本として扱い、人々が巨匠は、いうまでもなく・・ウエルズである。ウエルズはその 任意の状況下で言い、 行ない、考えることを記録することによっあまりにも有名な〈サイエンティフィッ ク・ロマンス〉の数々 て、遺伝学と社会学の基本的法則を発見し、その上に、唯一の正し『タイムマシン』 ( 一八九五 ) 『透明人間』 ( 一八九七 ) 『宇宙戦 い倫理概念を築きうる、と考えたのである。 争』 ( 一八九八 ) 『月世界最初の人間』 ( 一九〇一 ) の中で、科学 クレアソン教授のいいかたに従えば「こうしたリアリズム自然主を、イマジネーションそのもののように見せ、数多くの人々 義文学こそ、何にもまして〈科学小説〉と呼ぶに相応しかったかもンリー・ジェームズ、ジョゼフ・コンラッド、ジョ 1 ジ・ ド・ショウ、イノック・アーノルド・ベネット、ジョン . ゴールズ しれない」なぜなら、それは明らかに「その時代の科学主義の考え 方と理論づけの所産」にほかならなかったからである。こうしたアワージーらの賞讃をかち得たのである。 イロニ 1 を償うかのように、いまわれわれがサイエンス・フィクシ しかし、ウエルズの才能をもってしても、そのサイエンティフィ ◆◆◆・◆◆・◆◆◆◆◆・◆・

8. SFマガジン 1973年4月号

や山野浩一などもイメージとまったく違う顔してそれによって、私が思うに、完全に論争の場を失の人々 ( 実際に直面した当事者 ) と、その行為を 行っている当事国の、片田舎の農夫 ( 現実的な関 、単なる商業誌と化す直前のマガジンと、 た。編集部の人達も見たいもんだ。女性だけでい っム いから写真のせろ。ファン・クラブができるかも読者のナマケグセを、呼びさます位の効果は連の全くない当事者 ) とでは、どちらが、リアリ 充分に期待してよいはずだ。本来、が誕生しティ、私の内的クライマックスをもちうるかとい しれないよ。 ( 草津市矢橋町岩田ヨシ池住宅刪の 7 てきた時点から、が他の、文学ジャンルの徹うことですが、これは、私が述べたのは、全体的 な意味で、つまり、もちろん、実際に爆弾をうけ 北沢宏 ) 底的十渉をうけてきたと、私は解している。だか ら、ベルスや、ドイルらが、を社会に定着さている人々に、リアリティがない訳がないが、け 新しい波に関する私的論理構成 せ始めた時点から、のー概念ー形式がうまれども、同時に、彼等には、その弾を投げ返すだ 新しい波に関する私の軽卒な判断を、まず最初れ、そして、他のジャンルの集中的な評価をあびけの、充分な力をもちえないという事で、現実的 に関連する、しないの問題でなく、その爆弾を落 に謝罪してから、また山野浩一氏の私見に、私のながら、その内存的可能性を秘めたまま、存在し 意見をじっくりと述べたいと思います。 9 月号をてきたのだ。それは、まるで、全くの無防備状態とさないようにする、当事国の思考弾の導火線に 読んだ時点で私はまだ、自身の偏向に気がついてで、文学世界に放り出された異端児だった。そし火をつける様な力を内的クライマックスとし、そ いなかった事は、明確な事実です。実際、あの反て、又、この異端児は、資本主義社会の定着発展 論も、やたら感情に走った点があり、そのために に伴なって同様に進歩、拡大し、大衆性、エンタ フェスティ・ハし」 ーテイメントとしての一面をのみ、強化・増大さ 全体的なに対する評論だと読みちがえ せながら、分極化していったのだ。その分極化が たことは、反省すべき点です。しかし私は、又、 主催関西ファン有志連合 私の反論には、少し唯物更観的要素傾向があると極論すると、ファンタジーであり、エンターティ 会場滋賀県大津市三井寺内法泉院 メントであり、 Z なのた。 指摘されそうだと、感じていましたが、山野氏は その点については明確に指摘はなさらなかった。 外部の批判、干渉を、や「と回避することがで期日 5 月 5 日 ( 土 ) 午後 2 時 ~ 6 時 ( 日 ) 午後 2 時まで そして、その事は、先に述べた、私の偏向と結合きるようになってきた時点から現在は排せき、回 しているのでしよう。けれども、ちょっと話させ避することなしに、その批判をはねかえすだけの実行委員長桐山芳男 てもらうと、 Z3 を一つの総合的体系としてみず反発力が、内部にうつ積したのだ。そして、 参加費一一五〇〇円 ( 含、合宿費、食事代、 に、というより、現時点では避けて、ある傾向とそれが表出した。分極化したのジャンルは、 プログラム・ブック代など ) してとらえるという事は、相対的なの見地かそれそれ密接な関係をもちながら相互の激烈な論 申し込み締切り 4 月川日 ( 消印有効 ) 争をひきおこしてきたし、そして、いよいよ、独 らは、のエンターテイメントとしてのイメー 定員一五〇名 ジを打破するには、多少なりとも障害となるので立した分野の独自の開拓まで、こぎつけたのだ。 参加希望者は、前もって百円 ( 切手代用可 ) はないか ? 伊藤典夫氏が言っている様に、そして、それがの革命、疑似革命として、 ( な を、左記の所まで送って下さい。折り返し、 ぜなら、これは真の革命とよ、 の新しい波に関する、スベキ「一レイテイプ・フィ ーししカたい、その フェスティ・ハル・ニュースと申し込み用紙を クションの可能性は無限であるといえますが、し後に起こった体系的な問題が余りにも多く、また お送りします。 かも、現時点で、一応、新しい波として、つまり未解決だからである ) イギリスの、・・・ハラ なお、今回は会場が非常に狭いので、でき ド等を旗手とする新しい波の運動として表われ 「新しい」としての革新的運動の必要性は、 たのだろう。それは、現在、実質的な定着期に入るだけ早く申し込んで下さい。締切り日前で つまり、言語的意味での必要性は、なくなったと り、また、カント的潜伏期に入った。そして、こ いえないことはない。だから、この時点で、 も、定員になりしだい締切ります。 を総括した場合は、やはり、体系的にとらえた方れは、の全体的体系として根本的に存する概連絡先京都市右京区樫原角用町 1 の四 がよいのではないか。もちろん、それは可能な事念であろう。 佐藤奈保子 ではないと、私も思う。が、不可能ではないし、 こういった所で、山野氏の、爆音の聞える他国