コミックス - みる会図書館


検索対象: SFマガジン 1973年4月号
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1. SFマガジン 1973年4月号

「スピリット」の女 4 タイトルの工夫にも見られるように、アイスナーは、映 る。アイスナーの世界では、現実の人工化はここまで進め られ、すべてを、タイトル文字という、非現実の〈虚無〉画から多くのことを学んでいる。 へとささげてしまう。 「私は、映画と共に育ち、生きてきた。映画は、い タイトル用空間を残し、いわば、〈本文〉のなかにタイ私に影響を与えてくれた。ひところは、舞台劇に、とても トルを組み込む、いや、〈本文〉を、タイトルに奉仕させ関心があったから、ステージ・デザイナーになろうと思っ るーーアイスナ 1 は、この独自のスタイルのなかに、世界たこともある」 このことばは、彼が、コミックスを、自分の思いのまま を閉じこめてしまった。彼ほど、タイトルに凝ったコミッ コミックス界のスタイリストであつの舞台装置によって描きだすことのできる世界としてとら クスの作者はいない。 ( たとえば、郵便切手の図柄に、ス。ヒリットの姿がうえていて、「ス。ヒリット」のために、とくに、凝りに凝っ たステ 1 ジ・デザインを考えだしたのだということを説明 かび、それが、タイトルになる、という場合もあった ) している。それにしても、ずいぶんしゃれた都会のセッ 2 フリツツ・ラング を、マンガの世界に築きあげたものではないか。さらに、 映画について、彼は、語り続ける 「初期のマン・レイの映画には、とても興味があった。彼 の実験映画は、もう、何度見たかしれない。そのうち、映 画というものは、 . 要するに、一片のセルロイドの上のフレ イムにすぎないと思うようになった。。つまり、紙の上のフ レイムと、なんら異ることはないのだから、すぐに、コミ フィルム ックスは、紙による映画ということになる。ス。ヒリットを 描くのは、映画を創っているようなものだった。そのとき 私は、【役者であり、プ戸デュ 1 サーであり、脚本家、カメ ラマンなど、すべてを同時に行う機会を与えられたことに なる」 映画とアイスナーは、切っても切れない関係にあるが、 とりわけ映画におけるドイツ表現主義 ( 一九二〇年代 ) の 方法を、コミックスに応用した男として認められている。 いわば、彼は、コミックスにおける、フリツツ・ラング派 なのだ。暗い影と、不吉なアングル・ショッ下、暴力と恐 怖を示すグラフィックなクロ 1 ズ・アップ ( 「スビリット」 こ 0

2. SFマガジン 1973年4月号

タイトル・べージ をには、恐怖にお ミックスに、真実味を与える不可欠の要素であることを 、ののく血走 0 た ( 表現主義の映画監督たちのように ) 心得ているのだっ 目のアップだけた。濡れた舗道に足音がひびく。枯葉が舞う墓地に立っ ~ 第のコマが、しば男。歩く彼を、ななめ上から見下ろしたショットに、スポ そう しば插入されットライトが当る。そんな照明は、現実には存在しない る ) これらが、それが、この舞台には必要な効果となれば、 ( それこ なが、「スビリッそマンガの自由なところで ) いくらでも描き加えた。 ト」の世界を、 こうした舞台装置のなかでは、人間の傷つきかたも、そ 、をッ他のコミックスして、死にかたも、効果が計算され、リアルになる。ダイ ちから、、、、 に比べて、ずつナミックな力のまっ正直なぶつかり合いを描くジャック・ とリアルにしてカービイの、熱気を帯び、火花がとび、画面が破裂するよ かな しる。ス。ヒリッ うな、・嬉しい単純さ ( それゆえに、大破壊のあとの哀しさ トが浮遊する舞を無意識に漂わせる ) を示すアクション画面と比べ、アイ 〕。台として、彼がスナーの暴力は、冷たく突 0 放して、ロング・シ = ットのな 作りあげた街と かで行われることが多い。それは、抒情的な、しかし、シ スカイライン、 ニカルな、暴力シーンである。甘美ですらあって、死に行 都会のセットは、彼独自の照明や擬音の使用によって、ネく者たちは、しばしば、自分の胸からしたたる赤い血を、 オ・リアリズムの効果をあげていく。 じっと見つめながら、息をひきとる。血が流れて、血だま アイスナーが、霧を描くと、そのページは、どんよりと りを作る。赤い血だまり。まあ、それは、ちょっと強引に にじんでくる。そして、雨。アイスナーは、雨が好きだ。結びつければ、鈴木清順の映画における血に似かよってい いつも、雨。〈スピリット〉というタイトル文字からも、 るといえようか。血ですら、なにか、スタイルを持ってい 水滴が、したたり落ちる・スビリットの青い帽子も、ぐっ ないといけないのだ。 ( 忘れないうちに言っておくと、 しよりと濡れている。コートのえりを立て、うそ寒い外灯「スビリット」はコミックス・コード制定以前の作品であ の、にぶい光のなかを、スビリットは、雨に打たれてひとって、現在のコミックスには考えられないほど、血が流さ り行く。 れる場面がある ) すえた匂いがしてきそうな安ホテルの部屋、雨に濡れた スビリットは、主人公ではあるけれども、案外、あっさ 舗道の冷たい感触ーーアイスナーは、そうした何気ない背りと、のされてしまう。ナイフで、ぐさりとやられる。ト 景、小道具を、さりげなく、実は、力をこめて描写する。 ラックにひかれる。レンガで頭を割られる。射たれる。も それらが、このとてつもなく荒唐無稽なミステリー活劇コちろん、しばらく後には、包帯姿で、また、登場するけれ 72 ~

3. SFマガジン 1973年4月号

「スピリット」とびらべージ 「スピリット」の画面 ( 下 ) コミック・・フックに載った作品の場合 には、とびら。ヘージ ( これを、フラッシ ・ページというが ) の上部に、細く、 横長の空間が、とってある。これは、マ ンガ作法上の常識からいえば、明らか に、タイトル文字がおさまるべき空間で ある。ところが、そこは、故意に空白と なっている。ただ、時に応じて、赤とか 青とか黄色にぬられた、細長いフレーム があるたけで、実際のタイトルは、その 下の、広い空間のなかのデザインの一部 として、入れこまれているのだ。これは、相当のダンディれほど珍しいことではないが、故意に、タイトル用の空間 ズムではないか。タイトル文字を、いろいろ工夫をこらしを創っておきながら、そこを、あけつばなしにしておくと いうのは、そこで、〈都会化〉が、一次元進んだことにな てデザインするのは、 ( 特に、日本のコミックスでは ) そ 5 円に了 / ミしも 0 9 0 70 ー

4. SFマガジン 1973年4月号

by KOSEI 72 カ《ト☆水野良太郎 やつは、泥絵具の紙芝居よりも、もっとあかぬけていて、 すべてはタイトルからはじまる 敢えていえば、もっと軽くて、スマートなのだが、それ は、それだけ、オモチャ性が強いということかもしれな 映画というのは、結局は、タイトルが、すべてなのでは なし力と思うことがある。 紙芝居のほうは、近頃、はやらなくなっているけれど 映画館の客席が暗くなって、スクリーンに、その映画会も、私も、小学生の頃「黄金・ハット」なんか、夢中で見て 社のマークが映し出されると、もう、期待感でいつばいに いた覚えがある。あれも、もちろん、なんとも安つ。ほいも なって、わくわくする。この気持は、映画が好きな人たちので、それはいいのだけれど、映画と比べると、オモチャ なら、だれでも知っているはずだ。そのあとに、すぐタイの感じが少ない。・ とうしてなのかと考えてみたのだが、つ トル文字が出る場合もあるし、それまでに、しばらく時間まり、それは、映画は、ただ、パーフォレイションのある 一種の がかかる作品もあって、そのどちらでも、かまわないけれフィルムが、機械じかけでカタカタと動いていく、 ど、タイトル文字が、画面を走り出すと、さあ、紙芝居が高級 ( ? ) カラクリなのに、紙芝居のほうは、大のおとな はじまるぞ、という気分が盛りあがる。まあ、映画という : 、ほんとに、肉声をはりあげて説明しなくてはならない 連載コミックスの世界 続・スビリット き、 68 ー

5. SFマガジン 1973年4月号

「 P ・ S 」のマンガ ( 上・下 ) マしかし、私がいちばん気にいっている、なんとも奇妙なチョコレートをひとかけらくれ」「なんたと、おまえのゴ キ・フリ ? ふざけるんじゃねえよ、チョコレートがほし、 物語は、次のようなものだ。ます、これが、書きだし だと ? 」そのどき、テ 1 プルの上のゴキ・フリから声あり。 「別に、 この物語を信じてもらえるなどと、思ってはいな 「シニョール、そのとおりさ。チョコレートだよ、たた いくらコミックスだといったっ おそらくあなたは、 て、これじゃあ、あんまり行きすぎたと、怒るかもしれなし、アーモンドは、、れないでくれ。あれは、噛みにくく い。だが、われわれは、これは、読むだけの価値はあるスてね ! 」 おやじは、・ コキ・フリの話すメキシコなまりの英語にびつ トーリーだと感じているし、それよりもなによりも、これ くり。「ものいうゴキ・フリだと。ほんとかね。すごい。い が、まちがいなく、われわれがきいたとおりの話なのだ : くらで売る ? え ? 」 「五万ドルだね」「虫 西部のある田舎のレストランに、メ 一匹に五万ドル ? 馬 キシコ人がはいってくる。「ご注文は なんで」おやじがきく。「おれにはコ ( ~ 第物鹿いえ」「まあ、きき ーヒー、それから、このゴキプリには、 。物薹・要なさいこれには、わ をけがある」 メキシコ人は、 / ミ のサーカスを見せもの にして、街から街へ歩 くのが、商売だった。 ところが、ある日、ノ ミをいれた箱を開けて みると、大事なノミ は、一匹もいなくて、 代りに、ゴキ・フリが、 一匹はいっていたの 「このゴキ・フリめ、お れが苦心して仕込んだ ノミを食っちまった 9 な ! 」「あんまりどな

6. SFマガジン 1973年4月号

1 % 6 年復刊版 ( 2 号 ) の表紙 ( 上 ) スビリット ( 下 ) ワ日、 ONY こ 0 工いつ / にペ′Ⅵ ( ミ 2 ミ ま •HO' 第、冖 ~ 00 どという文字が、白抜きのゆらゆらと、ゆらめく字体で現 からではないかしら、という気がしてきた。 ほんとに声をはりあげる、というところが、なんともなわれたとしたら、これは、もう、まちがいなく、オモチャ 冫冫し力なくなる。 まなましいんだな。どうしても、紙芝居のおじさんの生活だと考えないわけこよ、 というものが、見物している者に迫ってくる。その、ま稲垣足穂は、どこかで、「これからの映画は、タイトル だけになってしまうだろう」と書いていたような気がする あ、いじましさみたいなものが、紙芝居のよさだけれど、 けれど、そもそも、タルホは、活動写真のオモチャ性を、 それだけ、哀れでもあり、野暮になる。 ( 考えてみると、 した いつまでも、いわば、慕いつづけていることで、その青春 生きている人間がやっていることは、なんだって、哀しい があるのではないか。 のだが ) 映画は、そんな生活の匂いをとった、動くセルロイドの オモチャで、それだけに、生活を離れ、いわば、無責任に ウイル・アイスナーのコミックス「スビリット」に於て 見ることができる。その、映画のオモチャ性を、最も端的は、風景全体が、タイトル文字のために奉仕している。た に示しているのが、タイトルの部分だろう。たとえば、大とえば、うずまく水流が、うそ寒い夜の街灯が、ダマスカ まじめな表情の主人公の胸のあたりに、「世界の終り」なスの市場の建物全体が、新聞の見出しが、電報文字が、タ イトル・文 字を構成 する。「ス ッ ト」を読 む楽しみ のひとっ は、こん ど んな形 で、タイ 登場する のか、と いう占に 9 、をある。 を気

7. SFマガジン 1973年4月号

「スピリット」予告篇 ( 上 ) 「スビリット」の女 ( 下 ) PREViEW 0 おドすお 5 い ー S 当 R いぎを = ミ , クスが、載 0 て一 いるけれども、それ 7 冫いかにも単純なス , ト・ 1 ーリ . 1 ー で、しかも、 どれも変りばえばしな 。それと比べると、 「スビリット」の七ペ ージ読切りは、なんと 内容があることか。 ( 正直のところ、私の 記憶の底では、「スピ リット」は、もっと長 い作品たとばかり意識 していたので、今回、 調べるに当って、すべ て七ページと知り、改めて感嘆したものである ) さん目を通した。そこから、私は、多くのことを学んだ。 アイスナーは、この七ページを、いかにも内容豊かに仕 毎年毎年、とっかえひっかえ、そんなにも多くの人たち が、コミック・ストリップを読んでいるのなら、そこに上げるために、骨身をけずっていたようにみえる。映画的 は、なにかとても面白い点があるにちがいないと思った。手法も、単に、画面の構図という、小さい次元のなかで応 用したのではなく、物語進行上の、時間のテンボのとりか で、私は、それが、とても面白いってことがわかったよ。 私は、コミックスを通じて、アメリカ人のキャラクター たにその手法を生かし、つまり、七ページのなかで、時間 アメリカ人のユ 1 モアに、理解をもったし、いまももっての進行速度を、自由自在に変えて、単調さを避けると同時 に、七ページを、七ページ以上に用いたのであった。 いる。特に、スラングを学んだものだよ」 たとえば、ストーリー を、ずっとひとつのテンボで運ん 3 ヒットラー、 できて、最後の大詰めの結果を、新聞記事や警察のファイ ニューヨークを行く ルなどのドキュメントを並べてみせることで、あっさり 「スビリット」について、いちばん驚くのは、エビソ 1 ドと、しかし、意味ありげにしめくくってみせる手ぎわの良 が、すべて、たった七ペ 1 ジで完結しているという点だろさをみせる。そして、自分の思いのままに、物語のなかの う。現在のコミック・ブックにも、七ページほどの〈短篇〉時間を伸ばしたり縮めたりするその時間感覚を、画面のサ

8. SFマガジン 1973年4月号

「スピリット」の女 イズによって、変えている。ロング・ショットは、ゆった短篇小説のシリーズなのさ。視覚的な、パルプ小説なんだ よ」と、作者はいう。 りとした時間の流れ、アップの積み重ねで、急テンポを。 「自分を作家だと思っていた。視覚的なライターだとね。 緩急自在であり、だから、このマンガには、たった七ペー しわば、ア 1 テ もっとも、普通の意味での作家じゃない。、 ジにもかかわらず、じゅうぶんの〈遊び〉がある イストとライターを合わせたやった」 しかし、そのためには、物語自体が、練りに練ったもの 。、ツサンや、オー・ヘンリーなどの、いまから見れ わま、短篇小説の名手である必要モ 1 / でなくてはならない。い ~ ば古いタイプの短篇小説の、 がある。そして、こ あの、どんでんがえしの結末 の点に関しては、作 し力にも乍・り というやつは、、、 者は、映画の場合と ごとめいていて、しらじらし 同様、徹底してもと く感じられてしまうのだが、 でをかけていた。ウ その技巧走ったス イル・アイスナ が、アイスナーの人工セット は、たいへんな読者 で展開されると、その古めか 家で、とくに、モ 1 しさが消えてしまう、という ・ハッサン、モーム、 より、も、 い力にもコミックス ポ 1 、ペン・ヘクト らしい安つぼい、真剣な馬鹿 ( 作家、シナリオ・ 「ガン ライタ 馬鹿しさとして、輝いてくる のである。 ガ・ディン」の脚本 それにしても、まあ、なん を書いた。私は、先 0 当 と、摩訶不思議なストーリー 日、古書店で、昭和 のはじめに出版され が、抜け抜けと展開されてい たとえば : た「シカゴ千夜一夜物語」を手にいれた。イラスト入りのくことかー 都会小説集で、なんと「ジャズ小説全集」の一冊として翻 訳刊行されたもの ) などの短篇小説に熱中した。 ▽アドルフ・ヒトラーが、ニューヨークを歩いている。地 「オー・ヘンリー、アン・フローズ・ビアースなど、夢中で下鉄が、ごう音をひびかせ、プロンクスの女の子が、おし 読み、とても役にたった。あれには、ひねった終り、どんやべりをしている。人混みのなかを、ヒトラーは、けとば されながら、進む。なぜ、ヒトラ 1 が、アメリカにいるの 5 でんがえしがあるからね。だから、〈ス。ヒリット〉は、 / し↓ / . し コミック・・フックとは、そうなんたけれども ) か ? その理由、みんなに憎まれ者の自分の立場を説明す

9. SFマガジン 1973年4月号

ファンタジイ & サイエンス・フィクション誌特約 表紙絵角田純男 目次・扉中島靖侃 イラスト 金森達中島靖侃 斎物れ明い喜八 岩淵造第農男 宮崎茂月象当 9 F マガジン 4 月号第 ( 第 14 巻 4 号 ) 300 昭和 48 年 4 月 1 日印刷発行発行所東京都 千代田区神田多田 T2 の 2 郵 1 0 1 早川書房 TEL 東京 ( 254 ) 1551 ~ 8 発行人早川清 編集人森優印引所東洋印刷式会社 新連載 3 みもの ( , 特別企画日長期連載 。大河漫画「 - 鳥入大系第 + 二章ミタて 大伴日日司氏の死を悼む t-n でてくたあ サイエンス・ジャーナル . 大陽系に生命を探る 世界みすてり・とびつ 世界 LL 情報 一 1- つみ 人気力ウンター 早川書房刊行満十五年記念企画ーーー ^ 小説〉 ^ 漫画・劇画》 ^ アート〉各部門 三大コンテスト応募規定発表 / 第三回おとぎ歌舞伎と詩 ch コミックスの世界ー第回続・スピリット 統・絵筆の幻視者フィンレイ 現代宇宙詩シリーズ⑧不知 0 岸辺に / 使命 / 膨張する宇宙トーマス・ / ノリス / / ニコルソン ワーレド ファーマーの " ー 浅倉久志 特別掲載、論壇こ一、ユーヨーカーより版権取得 前進と上昇た ' ( 後篇 ) 日本こてん古典 cn LL スキャナー ^ 日本〉石川夭同司《海外〉福島正実 加藤喬 4 てれぼーと すへいす・たいむ・あんてなま : ・ : ・ : : : ・ : 2 ジェラルド・ジョナス 手塚治、虫 横田順弥 0 W ー 122 1 12 1 1 3

10. SFマガジン 1973年4月号

「スピリット」の女 了朝 4 しはを応 : 、、管みま。 、ツヤ 0 洋ぎ第協は黛 0 : ' ら 00 立ゞ石 ど、いつも、痛い思いをしている。楽な稼業ではない。だ犠牲者なんだ。スピリットは、ただひとり、本当のミドル が、こうしたスビリットのあっけない弱さが、逆に、この ・クラスのクライム・ファイタ 1 なのさ。だから、その動 キャラクターの強さになっている。チャールトン・ヘスト機もミドル・クラスのものだ。おれは、これをしなくちゃ ならん、とにかく。で、彼は、結果として、それをやる。 ン型の肉体で、空をとぶスー ーヒーローたちの、単純な どうして、クライム・ファイターが、マスクをつけて、犯 空虚さのかわりに、都会のゴミといっしょに浮遊しなが ら、傷ついた肩を、手で押えて、また静かに立ちあがる。罪と戦うのか、私にも、さつばりわからんよ。だが、人間 てやつよ、、 冫しつだって、やらなきゃならんことは、やるん これは、真実味のある男の物語だ。 だろう。直面してしまったことは、とにかく、やってい しかし、 いったい、彼は、なんのために戦っているのだ く。壁をつくり、その前に男を立たせると、男は壁をよじ ろうか ・スビリットよ、ハンフ 登ろうとする。アリと同じさ。 「スビリット スチュアー リー・ポカートと、ちょっと少年ぽいジミ 1 ・ は、もし、実 トとを合わせたようなキャラクターさ」 存主義という 私の目からみると、スピリットは、 いつも自然にみえ ことばにつ ての私の理解る。ノンシャランとしている。肩ひじ怒らしていない。そ が正しいとすういえば、彼は、犯罪と戦いはするけれども、肉体的なカ るならば、純で、状況は変えられないことを、知っているようだ。彼 は、ほうりこまれた状況のなかで、不平をいわず、あたり 粋の実存主義 者だ」と、作まえに、やらなければならない ( といつのまにかなってい る ) ことを、やっているだけのことである。だから、彼 者自身は、、 は、物語のなかで、きいたふうなタンカをきったりしな う。「彼は、 ごらんのとおい。まあ、考えてみると、コミックスの主人公としては、 りの世の中にずいぶんひかえ目なキャラクターだと気づくのだが、それ にもかかわらず、ス。ヒリットの存在は、私のなかに、ずつ 1 生きていて、 何の理由もなと大きかった。私は、彼を、実在のキャラクターとして、 、犯罪解決確実に、感じることができる。 に、つくして ところで、アイスナーに大きな影響を及・ほした、ドイツ いる。彼は、表現派のフリツツ・ラング監督も、実は、アメリカのコミ 他のみんなとックスが好きなのである。彼は、こう語っている。 同様、状況の「私は、多くの新聞を読み、コミック・ストリップも、たく ~ 73