のに相を変えてサイクルを再開する。このサイクルの連環が、諸段次元円環構造を形成しているのである。したがって、この円環のす 階の相関性によって機械の基礎的な結晶能力を供結するのである。 べての横断面がそれそれの『時間』点における宇宙をつくりだすは この装置にはまた粗雑な機構が備わっているが、これらの歯車やモすである。この『時間』とは単に自己の周囲の形状を観察している 1 ターやチェーンなどは変形の全段階における媒体のスムースな移生物の知覚でしかなく、それは形状の極めて小さな一部分しか意識 行に欠くべからざるものである。この機械は相関性とパターン、類しえない彼の存在にとっては当然である。彼の知覚は円環の別の部 似性を解決する。時間機械の幾つかの連環は形而上学的に存在して分にも絶えす無意識的に働きかけており、実際は静止している物体 いるといえるほどである。 に運動と活気の印象を与えると同時に時間的延長に関して誤った印 この機械が今日までに建造されたいかなる機械的構築物にも似て象を自己に与える。たとえば波型の線を引いて眼で辿ればそれは上 いないことは一目瞭然であろう。作動方式の詳細な分析は可能であ下に動いているように見えるが、一方知覚を拡張すれば直ちに完全 な不動物体として認識されうる。我々の経験する時間とは各自にと るが、そのような説明をしても読者は各サイクルの機能を完全には 理解できないはすである。また機械通の読者ならば直ちに、不必要ってのみ通用するものでしかなく、計測しうる物理的事実というよ りはむしろ内的心理的活動なのである。 かっ不経済的な構成要素があることに気づいてこう指摘することは 疑う余地のないところである、この機械を動かそうとするならばさ たとえば我々が部屋の一端に立って反対側まで歩いていく際の限 らに多くの要素が不可欠であり、現在の状態では全く何もする能力定された知覚は確かに運動の印象をもたらす。実際には運動も時間 力事 / し 、と。この時間機械は実際には無数の異った方法で作動させの一相であり、この運動が意識する人間の精神的印象でしかなく部 ることができる。また一方である者に対して、あるいは無数の観測屋を横切る肉体も静止した固体物質にすぎないことは知覚限定の欠 者の個人個人に対してより一般的な意味で作動することもありう如した人間にとっては明白なはすである。 る。しかもこの機械は観察されることなくそれ自身を完全に操作すここで、時間とはかって考えられていたような障碍ではないこ ることが可能であり、実行する。そして異なったあらゆる時間の点と、精神機構としての時間は根本的な変革も完全な破壊も可能であ ることが理解される。これが以前に認識されていなかったのは驚異 に存在する構築物の個別部分に対して一様に作用するのである。 時間が移行する流れでないことはやがて理解されるであろう。時であるが、『精神拡張』幻覚剤などの服用者によって観察された時 間とは連続体の副次的な一属性で、活動している生物にのみ通用す間拡大や時間破壊は、様々な通常の精神状態における、より一般的 る知覚の無意識的変化によって成立している。生物の意識は極めてな時間歪曲と同様に度々注目されていた。 この時間機械はパターンの相関性に置換された作用によって、観 限られた一連の感覚印象であり、三次元においてのみ作用する。宇 デジャ・ピュ 宙は横断面に事物の物理的全事実を包含している四次元幾何形態で察者の知覚を結品化し、実体ある既視感を生み出すことができる。 構成されており、歪曲しているために結局それ自身に再結合してそしてその歯車とピストンの固体性に我々は宇宙のあらゆる存在状 5
た。その頃には煽動や反抗もおさまり、そのシステムは円滑に動い がら余分の金を持ったことはなかった。 ーディが父親を訪問した時にきまって思いだしたのはマック氏ているようだった。人口総計は二〇一四年以降安定していた。 対照してみれば、最初の遺伝子検査法 ( 一九九八年 ) は全体的に である。マック氏は第一二五公立高校の最高学年における・ハーディ の指導力ウンセラーであり、その資格で・ ( ーディの生活において父見て期待した効果をあげえなかった。この法令が明記したのは、糖 彼よ頭の禿げかけた中年の男尿病者や犯罪的狂人や魯鈍者のような明らかに遺伝子的に好ましく 親以上に中心的役割を演じていた。 / 。 ない者の子孫を残す基本的人権を承認しないことだけであった。彼 で、ラッド氏と同じくらい大きな腹とユダヤ人型の鼻を持っている。 ・ ( ーディが常に抱いてきた感情は、カウンセラーが彼をもてあそんらは参政権をも否認された。一九九八年の法令は実際上はいかなる でいるのではないか、その職業的な温和さは際限のない侮辱のため反対にも会わず、その頃までには市の避妊技術が最も未開の村落以 の偽装ではないのか、その善き助言はすべて罠なのではないかとい外の全域で実施されていたので、施行も容易であった。一九九八年 リージェンツ・システ うものだった。哀れにも・ ( ーディは彼本来の性質によってその罠に法の主要な目的は、表明されてはいないが、 ムに道を開くことにあったのである。 捕えざるを得なかったのである。それはマック氏のゲームであり、 そのルールに従って演じなければならなかった。 リージェンツは三部から成っている。よく知られたスタンフォー 実際にはマック氏はかなり冷静な同情心を・ハーディ・ラッドに感 ド日ビネー知能テスト ( 簡略型 ) 、スキナー日ワックスマンの創造 じていた。リージェンツに落ちた様々な学生の中では、確かに・ハー 的潜在力のためのテスト ( 大部分が冗談の落ちを選ぶことによりな の肉体的動作と新 ディが最も魅力的であった。彼は面談においても暴力的になったりる複数選択テスト ) 、そしてオリャンアーミー 粗暴になったりすることはなく、試みるにはあまりに困難なことを陳代謝のテストである。受験者は三つのテストの二つにおいて一定 ー一アイ・ラッドはリ 常に求めているようだった。「実はね」マック氏はあるタベ妻に打の偏差値を下回る点をとると不合格になる。 ちあけた。 ( 彼女も自身も教育カウンセラーだった ) 「・ほくはこれ ージェンツの当日、神経質になっており ( 十三日の金曜日だった。 がシステムの根本的な不平等の見事な一例であると思うんだ。とい 何たることだ ! ) 、しかもスキナーⅡワックスマンの真最中に燕が うのもあの男は根本的にはかなりのものだからね」 講堂の中に飛びこんできて大騒ぎをおこしたので、集中できなか 「だめな人ね」彼女が答える。「根本的には、あなたはただの年喰った。彼は—O テストとスキナーワックスマンに落ちたことを った腰抜けですよ」 知っても全く驚かなかった。肉体的な面では、・ハーディは百点 ( 正 そして事実、・ ( ーディの事例は例外的なものではなかったのであ常曲線の理論上の点、つまり最高点 ) をとってかなり誇りを感じ リヴァイズド・ジ = ネティック・デスティング・アクト る。議会は改訂遺伝子検査法 ( すなわちリージェントと ・ハーディは実際には不合格を永久の状態とは信じていなかった。 して一般には知られている ) を二〇一一年に通過させたが、・ハーデ イが十八歳に達する七年前のことであり、受け入れざるをえなかっ彼は第三学年で落第したが、それが高校を卒業することを妨げただ こ 0 6 2
7 にできないほど重大なことなの。むろんあなたは、あたしがこの実 験を細胞の代謝作用についてあたしが理論的に了解しているところ 9 をチェックするためにはじめたのにすぎないということを御存知だ わね。もっとも有効と思える理論ですら不完全なものなのだから、 あたしのあて推量なんて疑わしいかぎりだし、ほんの仮説にすぎな いのよ。あたしが治療してあげたからといって、そのおかげで患者 が回復するものかどうかーーーあるいは、あたしの診察料の高いのに 気分的に病気がなおったつもりになるたけのものなのか、あたしに はまったく確信がもてないの。 「まちがった理論を訂正するいちばんよい方法は、その論理的な不 合理をつきつめ、そして、最初のあやまりに対する手がかりとして その不合理をあてはめてみることだわ。 「秘けっ【ある処置についての説をテストするために、ひとりの 中立的な被実験者ーーそれはあたしだけどーーーをとりあげ、その説 がさしずしている人為的な手段によってその処置のある特殊な段階 を帰納的に引き出してみることね。うまくいかねば、その要点がそ の説を修正するひとつの手がかりとなるでしよう。 「あたしは、休暇の後半を病院ですごし、この実験の記録を点検し て、愉快にこの実験の失敗の意義について一文でもものすことにな ると思っていたの。 「この非常事態にそなえるべくあたしは、ロ述蓄音器と電話に電気 タイマー ・クロックをつないでおいたわ。もしあたしが五時間ごと に回路を切らなかったら、警報装置が電話の受話器をはずし、ロ述 蓄音器が救急車を呼ぶことになるでしよう。 「ドアのすぐ内側には、説明と非常事態の場合のしかるべき処置に 対する指示をちくいち述べたものを大きな目印をつけて。ヒンでとめ
る。この時間を停止させることは自己の解放と共に死を ・ハリスンなど ) によるジェリー・コーネリアスを主人 も意味している。 公とした作品のアンソロジーも出版されている。 だがジェリー・ 彼はセックスにおいて解放を実現させようとするが、 0 ーネリアスはヒー 0 ーと呼ばれる存一 そこでも時間の介入を拒否することはできない。彼女と在とは遙かに遠く、この作品も彼自身の問題よりも状況 - の完全な合一が一瞬の幻覚にすぎないことを知り、宇宙の方に重点がおかれている。彼は万人に理解されたいと に対する自己の存在の狭小さを知覚しながらも彼は志向思いつつ、状況の中での意志は曖昧で結局は願望を果た しつづけなければならない。 この絶望的な闘争は独房とすことができない。状況の中でコミュニケイションを断 いう現実の状況によってさらに複合していく。独房から絶された人間というのは極めて現代的な実感を伴ってお の釈放は解放ではなく、都市の崩壊は死による解放であり、 - ここではさらに西欧と中国の断絶という今日的な問 り、解放を希求する現状は閉ざされている。解放と拘束題も関わって多重のディスコミュニケイションが表わさ とが対置物としてではなく表裏一体としてある人間存在れている。ただジェリーの曖昧さには全てを見通した諦 の状態を見事に描いた作品だといえるだろう。 感にも似たものが感じられ、いわゆる状況内人間という それにしてもラングドン・ジョーンズは極めて・観点のみで捕えるのはいささか安易な気がしないわけで ハラードに近いと思える。「音楽創造者」はむしろヴもない。事実この作品においても全てを包合する宇宙的 - アーミリオンサンズを想起させるが、「大時計」やこの意志の存在が示され、現代の終末が暗示されている。訳一 作品での時間の観念、・ハラードの車への関心と同様の機者がジェリーはキリストの・ハロデイだと思えると言って 械類に対するフェティシズム的な執念、セックスなど多 いたが、確かにジ = リーには宇宙的意志の決定のもとで一 くのイメージが・ハラードの作品にも見出される。むろん何もなしえずに終末世界を彷徨する神といった感があ 表現方法は異なっており、ジョーンズには・ハラードほどる。 まもなくジェリー・ の論理性はないがその情念的な文体は彼独自の世界をつ コーネリアス・シリーズの長篇 くりあげている。 "Final Programme" が翻訳されるはずで、それによっ てこの短篇の性格も少しは明瞭になるかもしれない。 「北京交点」マイクル・ムアコック ムアコックは既訳のある火星シリーズをはじめ多くの なお各作品の初掲誌は次の通り。 シリーズを書いているが、この作品もジェリー・ コーネ「創造性の問題」・・ディッシュ リアスを主人公としたシリーズの一作である。ジェリー Fantasy 陸 Science Fiction ( 1967. 4 ) ・コーネリアス・シリーズでは他のヒロイック・ファン 「時間機械」ラングドン・ジョーンズ Orbit 5 ( 1969 ) タジーと異なって現実的な社会問題や文明論と関わって おり、そうした結びつきのおもしろさからか他の作家た「北京交点」マイクル・ムアコック ち ( オールディス、ジョーンズ、スビンラッド、・ The New SF ( 1 ま 9 ) 解説・山田和子 9-
にも実在していないのだ ! 幽霊はおまえたちの心が生んだ幻想に 過ぎない。分るか ? , 幽霊なんていやしないんだ ! 先住種族はも ペリコフスキーは正しかったか ? う減んだ。減んだものに、何の力もない ! 」 トマスは身をかがめて何かを拾いあげ、それをふりまわした。 本号のもう一つのこの欄で、天文あったが、結論はこういった当時の 神経破壊銃だった。 学上の比較的新らしい二つの説に対 ( いや、現在でも ) 天文学の常識を する学界の風当りの強さをご紹介し無視したものであった。しかも、そ 「ここを出ろ ! 」 た、ところで、今から二十年ばかり ういう議論からひき出した、太陽系 ~ 「ここを出て、家に帰り、考え直すんだ , トマスはわめいた。 前、世界の科学界の激しい批判と攻の各天体の物理的状況などに対する さあ出ハ撃の的となったべリコフスキーの異理論がまた常軌を逸したものだっ ! ここへ来ても何にもならない ! 幽霊などは存在しない た。たとえば、金星は、ほんの何千 ) 端の著「衝突する字宙」 ( 鈴木敬信 るんだ ! 出ない者は殺してしまうそ ! 」 ~ 訳。恒星社刊 ) に対する科学界の現年か前に木星から割れてとび出して 来たばかりの天体で、それ以後地球 カゼタは了解した。 在の立場はどうであろうか ? この著は、世界の古い記録やら文や他の天体と接触したりしているの トマスは、演説と銃のカで、タュネインの人々を動かそうとして 献にくわしいべリコフスキーが、世で、いまだに白熱状態にある : : : で いるのだ。自説にこだわるあまり、それを実行し実証しようとして 界各地の神話や伝説、地質学的や考あるとか、その上の大気は主に炭酸 古学的なデータなどを集めさらに古ガスから出来ている。また太陽系の いるのだ。 各天体の間には電気的な力が大きな 代文明に関する記録を克明に検討、 そんなことで、恐怖におびえ亡霊にすがろうとしている人々の心 役割を果している : : : など、当時の それらを綜合して解釈した結論とい うことである。それは、火星や金星天文学的な考え方とは真向から矛盾 が変わるはずがない。 のような大きな天体が地球に衝突せするものであった。その本は、一九 それどころか、へたをするとトマスは殺人をやるだろう。そうな んばかりに近づき、それほど遠くな五 0 年の発行前から、早くも科学界 ) の非難攻撃が開始され、発行後ほん い過去の地球に大激突が起ったとい ったら、人々の憎しみはトマスに集中する。 うのである。 の数週間でその本の発行権はダブル 危険だ。 ディ社に譲渡された。その本を出版 その最近の例は、紀元前八世紀の 終りから七世紀の初めにかけて火星したマグミラン社に二十五年間も勤 すでにカゼタたちの車は、ト = の立「台石の下、たち一 めていた担当者は、このことで即座 門が地球に衝突しかけて起ったもの の車のそばに着陸していた。 に首になってしまった。 で、その前は紀元前十五世紀ごろに 「やめろ ! 」 その後も、この本と学説に対する ~ ~ 起り、これは当時まだ彗星だった ( ! ) 金星が地球に衝突しかけたも圧迫はつづき、べリコフスキーの学 どなりながら、カゼタは車を飛び出した。 のだ、という。それ以前にも、そう説になかば好意的であった、当時へ イデン・プラネタリウムの所長で、 「あっちへ行け ! 」 ⅲした出来事は何度も起っており、そ の中には木星が地球に衝突しかけた米国自然科学博物館の天文部の部長 ~ トマスは銃をこちらに向けた。「堕落司政官は引っ込んでろ ! 」 ードン・アトウオターなど当 だったゴ こともある、というのだ ! 「やめろ、トマス ! 」 その立論の方法は、ちみつを極めは、好意的な書評を書こうとし、ま た彼のプラネタリウムでその説に基 たもので、非常に興味深いものでは 「うるさいそ ! 」
「アメリカ人には、物事の良し そして第二には″戦争″体験 , ーーヘッセは第一次ル″を指摘する。あるいは物質主義によって、精神文句を見つけた 大戦、他の三人は第一一次大戦、ことにヴォネガット支配によって、機械によって、また根拠地のないド悪しはわかるかもしれないが、その理由については の場合、その体験は極めて主要である。「第一一次世ロツ。フ・アウト 彼等は、こうした非人間化されわからない。芸術の知的理解と感情的理解が混同さ これは否定でもなんでもなくて、と 界大戦はヴォネガットに最も直接的な影響を与える社会によって困難を増す自己実現の可能性を模索れている」 。彼は、当時、戦争捕虜であり、あのいまわしいする。そしてもう一点、「 ( 彼等は ) その作品に於もかく、そうだ、というだけの話。 ドレスデン無差別爆撃の奇跡的な生還者なのであいて、人はまだなにか可能なものを持っており、自 この錯綜した物語は、い る」。『屠殺場 5 号』 小説は、本質的に世界を視る方式をその構造 己の回りを見渡し、あるいは ( より重要なのだが ) スト つもこのドレスデンへと回帰し、回帰する。戯文め内なる自己を見つめることで、まだなお発見し得るとしている。故にわたしは、今、現代の脱リアリ ズム小説とでも呼ばれ得るかもしれないもののな かした扉にさえ、それは苦く苦く貼りついている。諸価値が存在することを我々に教えている」とマレ 「我々は、我々が装っている、そのものである。だイは結ぶ。なーんて書いてると、なんだか背中のあかでうかがわれる、その世界についての考察を始 : とりわ から我々は、我々がどう装うかに注意深くなくてはたりがむずがゆくなってくるけど、まあアメリカのめようと思う。リアリズム小説は、 いけない」ーーヴォネガットの "Mother Night„ようにある部分、本当に状況が閉塞すれは、やはけ、究極的な、描写の対象と原理のように堅固な スト から引いて、マレイは、この四人に共通する″モラり、これはありかもしれない、と思うのだ。だがし物の実在性を前提としていた。脱リアリズムの世 かし、十年遅いよ、と思う一方、こうい界においては、しかしながら、これら絶対性は全 小説の革新ーー七 0 年代の小説 う明けっぴろげの健康が実は正解だったて、絶対の懐疑へと変質した。 りするかもしれない、とも考えるけど、 ここにもう一冊の本がある。前に少々触れた『ヴ アメリカ人ほど ( 逆説的に聞こえるかもオネガット白書』の編者、クリンコウィッツとソー 知れないが ) 神経症と無縁な国民はありマーが、再び共同で編んだアンソロジー『小説の革 得ないのではないだろうか。この国で真新ーー・七〇年代の小説』 ("lnnovative Fiction Stories For The Seventies") がそれであ の″幻想小説″が書かれることは、凡そ ありそうもない。強靱な精神、正義へのる。ここにあげたのはその緒言「短篇小説の革新 希求ーーー別に否定的に言っているのでは″愚劣な、そしてイマジネイティヴなものたちを なしが、ともかくもアメリカは根底的にと題する小論の冒頭である。 先に紹介した、「七〇年代の作家叢書」にあらわ 生活の国である。 以前、スチープン・べイカーという人れた・フローティガンなる作家は一体どんなものを書 の『意識下への挑戦』という本にこんないてるんだろう、と思っていた所、この本を教えら DELL 95C A し A リ日 E しこ ORIGINAI. STORIES FOR THE SEVENTIES Edited and With an introduction by Jerome KlinkOWitZ & JohnSomer 0 0 0 0 0 0 Amonq the contributors: Ku 0 れ " ・ 0 , Jr., Richard 8 ′ aut 物 Bernard Malamud, RObe 員 CO ・ら【・日 0 ー Jon ・ 5. 000 0 8 物れ h m ・ , Ronald Sukenick, JOhn Barth 4
ゲリラ小説特集 S F の新しい波 昨年の九月号に続く再度のニューウェーヴ特集であり ! 」と答える彼は、だがやはり断絶に出会う。絶望的田 なディスコミュニケイションを認識しつつコミュニケイ 今回紹介する三作は前回の作品に比べてストーリイ性トしようとするところに存在の闘争があると思うのだ が豊かで現実的な状況がより明瞭に現われているが、そが、・ハーディは依然として社会に受け入れてもらう一手 れは内面に対応する他者を通してコミュニケイションの段として論文を書いたにすぎないのだ。彼はゲリラにな 問題が扱われているからであろう。 ることで本質的な問題に到達するだろうか。ゲリラとは 翻訳にあたって三人の訳者の間で議論を交した結果様システムに対立する存在なのか。あるいはシステムのつ 様な問題が出てきたが、そうした疑問点をも含めて多少くり出したものでしかなく・ハーディはその体制内で相変 の解説を試たいと思う。 わらず疎外されつづけていくのか。このゲリラ問題につ一 いては訳者の間でも様々な意見が出たのだが、いずれに 「創造性の問題」・・ディッシュ せよこれは・ハーディの空虚感と世界の対決、つまり真の ディッシュはすでに長篇が三本訳されているが、この自己と他者の闘争を暗示しているといえるだろう。 ( 品はこれまでのものと少し作風が異っている。彼が一 貫して描いてきたのは人間的な条理を超えた世界とその「時間機械」ラングドン・ジョーンズ 中に投げ込まれて疎外されつづける人間たちであった。 読んですぐにわかることだがこれは作風・テーマとも だがこの作品ではそうした非日常性がさほど顕著ではなに既訳の「大時計」にかなり近い作品である。ただ「大 ーディ・ラッドが生活している大管理機構の不条時計」はシチュエイションに拡がりがなく、物体として 理性も曖昧で、彼の闘争と失敗の過程の方により重点がの時計破壊時間停止というアイデア小説と読まれかね一 おかれている。・ハ ーディは社会に順応する方法のみを追ない面があって全体にスベキュレーションに欠くムード い求めてシステムそのものについて考えることはない。 だけの小説という感があった。だがこの作品や・・ テストに合格して結婚したいという彼の願望は日常的な パラードの評論・対談などと関連づけてみると「大時 表面だけのものでしかなく、彼がその段階で抗争してい計」もまた時間そのものを追求した作品であり、ジョー る限り世界はその不条理性を表出することはないのであンズが・ハラードの言う「非直線的な層としての時間」を る。 小説化していることが理解されるだろう。 だが彼は失敗しつづけることで自分の内面に気づき、 時間の変異を取り扱ったはこれまでにも多くあっ 自分だけがのけものにされているという単純なあせりが たが、その大半はアイデアとしてあるいはストーリイ展 空虚な「痛み」の意味の追求に変わっていく。創造性と開のために使ったもので、内面との関わりを描いたもの - は関係の存在しないところに関係を見出す能力であるとではなかったように思う。ジョーンズの書く時間とは個 書き、ファウストがコミュニケイションを達成しようと人の内意識によってのみ変化する一方で個人の意志のま - する純粋な要求を示すものではないかという設問に「然まにはなりえない二重性を持った生ける時間なのであ る。
・動物 墨 - ・ 1 イ 「大丈夫だ。恐れることはなにもない : : : お れがついてい . る 千之介も自分がなにを喋っているのか、わ けがわからなくなった。それは雄の本能であ ったろう。彼女を保護し、恐怖をとりのぞい てやらねばならない 千之介はお時を力いつはい抱きしめた。骨 のないような軟い可憐な肉体が、とどめよう もなく慄えわなないているのを感じると、、 , た とえようもなく官能的な歓びが爆発的に千之 介を襲った。理性がどこかに消しとんだ。 千之介は、男が女の恐怖をやわらげ、慰籍 をあたえる原始的な方法を無意識のうちにと っていた。お時が身をもがき、裾が乱れてほ っそりした足が白い透き徹るような内腿まで あらわになるのを見ると、千之介はすべてを 忘れた。 単に肉の快楽と呼ぶには、あまりにも大き な歓びであった。魂と肉体が、お時のそれと 溶けあい一致する至高の歓喜だった。全世界 が形状を喪った。千之介は強力な麻薬に酩酊 したように、幻覚世界に漂った。それは肉の 感覚を超えたものであった・ 千之介は、幻覚の中で、白光を発するべア トリス王女の美しい瞳を見た。彼が交合して いるのは、お時であると同時に ' 」・その美しい 異国の王女でもあった。かぎりない愛と優し さを持って、女は彼を受容し、包みこんだ。
への第一歩 ′、ヤカワ・ノンフィクション 日下実男訳 / 予イ面円 OO 円 《近刊》・アポロ 1 1 号全記録 J ・ファーマー & D ・」・ / 、ムー 写真 : NAS へイヂ・ - 絶賛発売中 ! これは、月へ行くト、う人類の夢を 実現したアポロ号の公式的カ ) ? ら 占的な飛行記録であるよ同時に・、 3 人の宇宙飛行士自身が語るスル ( みちた宇宙旅行記であり、世界中の 々の反を記録レ全人類の記情 もある & アーサ宀 C ・クラ r-- ク なる ' 「エビロナラコと、巻末に付 ー者解説が第 ;Z p 計画の全貌と ー・その人類史的意味をさでる ! 独占 く巨大企業の正体〉 ジョゼフ・ C ・ゴールデン / 上田敏品訳 / Y1600 訂版〉 戦後の日本企業の模範とな ったといわれるアメリカ電 信電話会社の経営政策を克 明に分析し、巨大企業のェ ゴイズムを真向から批判 ! 珍女生奇名 お名前博士で親しまれる著者 の 30 余年にわたる研究から、 六月一日、八月一日、百万、 佐久間英著ロ予価 650 円 千万など珍姓 3000 種の由来を 豊富なエピソードで描く !
0 0 0 0 0 現代文学を専攻するジェス ・リッターの所へ二人ットの存在をはじめて知ったのは今から十数年も前ネガット・ ジュニア』 ("Kurt Vonnegut. Jr") が、 の学生がやってくる。 のことだが : : : ( 彼は ) 界の一角に名をとどめペー ック・ライプラリイから出版された。 「ビクターも人形を作ってるんだ、そして友達のスる異色の作家にすぎなかった。 : ところがそれか この叢書は、他に、リチャード・ プローティガ = ディは 8 ミリを撮っている。今おれ達ら十年あまりたった今、ヴォネガットの作品はそれン、〈ル「ン・〈ッセ、・・・トールキンを がやりたいのは、トラルフアマドール星のビリー・ ら初期のも含めてすべてハ ードカ、、 ( ーで再刊さとり上げているが、これらはいずれも、今、アメリ ビルグリムやモンタナ・ワイルド ( ックが出てくるれ、そのいくつかは映画化が進められ、研究書が現力で最も学生を中心に読まれている、言えば、アメ 『屠殺場 5 号』の。 ( ペット・ムービーを作ることなわれ、今年出版される最新長編『チャンビオンたちリカの模索の尖端部をなす作家達だと言っていい。 んだ、ヴォネガットに関するこの学期レポートを書の朝食』にいたってはブック・オプ・ザ・マンス・・・ ・トールキンについては、幾度か報ぜら くかわりにね」 クラ・フの選定図書になるという勢いなのである」れている通り、あの爆発的なベストセラー『指輪物 ジェローム・クリンコウィッツとジョン・ソーマ この『屠殺場 5 号』も = ヴァーサルによって映語』 ( 最近、評論社から全六巻の大部な刊行が始っ ーが編集した『ヴォネガット白書』 Q"The Von ・画化され、上映が近い。試写の印象でよ、 。いかにもヴている ) に対する熱狂的評価があったし、リチャー デラコート・ negut Statement' プレス刊 ) のオネガットらしいやさしさをそのままに、ある意味 ド・プローティガンの方はまだよく日本では知られ 諸論文、 = ッセイのなかでも、リ , ターの文章はとで彼の偶話的文体を模したような画面作り、テンポていないが、「若い知識層の、文学的先見者とし りわけ秀れている、と″タイム″の書評子・ N ・のあるカメラワークで、充分魅力的な、本当に″、 て、ヘッセやゴールディング、サリンジャーやヴォ ンエ。、 だが、と彼は続けて、 い。映画に仕上っていた。「明日に向って撃て ! 」ネガット等に後から加った」作家として、極めてそ 「ヴォネガットに関する学期レポート ? カート・ のジョージ・ロイ・ヒルとポール・モナシのコンの評価の高い一人である。そして何と、〈ルマン・ ヴォネガット : シュニア、あの″自動ビアノ″やビが、丁度、「明日に : : 」のような、なんともおヘッセ。アメリカというのはおかしな国で、ヘッ ″タイタンの妖女″、 " 猫のゆりかご″や″屠殺かしなそしてかなしい主人公を実にたくみに捕えてセ、ゴールディング、サリンジャー、そしてヴォネ 場 5 号″の作者の ? : : : 彼の初期長篇のいくつかがいる。ビリー ・。ヒルグリムを演じる無名のマイケルガットが一列にならんでしまう。もっとも、それ等 再刊されだした六十年代後期から、学生たちは、実・サークスが、またいいんだなあ、という訳で、かには、アメリカの状況的欲求がシイホライズされて に、ヴォネガットを論文のテーマに指定するようになり気に入った映画だったのである。 いる訳だから、同列に論じられる意味が理解されな なったのだ」 それはともかく、最近のヴォネガット評価の急上いことはない。だがしかし、 = ッポンの常識で言う 昇は、異常といっても、 しいくらい、目覚しいものと、やつばりおかしいんで、でもどっちが正解かと 「それにしても、隔世の感とはこういうことをいうだ。先にあげた『ヴォネガット白書』以外にもう一言うと、わからないのである。 のだろうか」と、『屠殺場 5 号』 ( 早川書房新刊 ) 冊、「七〇年代の作家」叢書 (Writers For 70's) 昔、ハインラインの『異星の客』がヒッビー達の の訳者伊藤典夫氏も書いている。「・ほくがヴォネガの一冊として、。ヒータ 著『カート・ ヴォ一聖典のように言われ、今、ヘルマン・ヘッセの」 デレイヤー / ウス・ 千 2