京子 - みる会図書館


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1. SFマガジン 1974年10月臨時増刊号

ひくりとも 発して逃げだしたのだ。 そのまま・ほろ布のように動かなくなった。だが上保は、・ ぼくらは、何なく軍用・ハスのところまで来ると、落ちついて、乗表情を動かさなかった。 りこんだ。運転技術のある分部がハンドルの前に坐ったが、ぼくら ゲートには、もちろん警備兵が待ち構えていたが、何の問題もな は、運転など知らなくても、だれでも・ハスを動かすことができるの カった。・ハスがゲートに近づいて、一度ストップし、・ほくらが窓か を知っていた。テレバシーで、わけなく運転できるからである。 ら警備兵たちを見やると、彼らはたちまち、持っていた銃をほうり ・ハスはゲートにむけて走りだした。 だし、下士官はあわててゲートをあけるように命令したのだ。 そこで、ちょっとしたハプニングが起きた。 ・ほくたちの・ハスは兵器廠を出ると、広い専用路をまっしぐらに国 将校クラ・フから、あの宇野京子が走りだしてきて、・ハスを追いか連に向けて走りだした。行く手には、いま、ぼくたち、新らしく誕 けはじめたのである。 生した超能力者の一団の参加を待っている仲間たちと、そして当然、 国連軍の桎桔からの解放を、いまや遅しと待ち望んでいる同邦との 「待って : : : わたしも連れていって ! 」 いる大東京が横たわっていた。その上に無限に広がる漆黒の夜空に 宇野京子は、金切り声でさけんだ。 分部が、車のスビードを落した。京子が、走り寄ってきて、上保は、・ほくらの誕生を祝う星々の絢爛豪華なパレードが展開されてい て、その星々のかなでる、妙なる光の音楽が聞こえていた。 のあけてやったドアから乗りこんできた。 ぼくらは酔った。その美しさに、その荘厳さにただ酔った : 「ありがとう : : : 」 京子はいって、微笑しようとしたが、車内を見まわしたとたん、 7 その笑みが、頬の上で凍りつき、みるみる、むざんな泣き面になっ ていった。彼女は、手に持っていた・ハッグをひしと胸に抱きかかえ その若者は、健康保険証によると十七歳だったが、とてもそうは るようにしたが、それがまるで、素裸かなのを忘れて大衆の面前に 飛びだして来たのに気づき、われとわが身をかばおうとしているよ見えないほど老けていた。ひどく疲れていて、おまけに腹をすかし うに見えた。だが、むきだしになっているのは肉体ではなく心だっていて、見ただけで栄養失調ぎみであることがわかった。瞳孔が開 た。その計算高い心は、ぼくらのテレバシーの前では、その醜さを、きパルスが低く貧血症で、どうやら、幻覚剤の常習者でもあるらし っこ 0 カー どう隠しようもなかった。彼女は蒼白め、後しざりし、いきなり、 「それから、どうしたね ? 」と私は、若者の横たわった診察用ソフ 狂ったように恐怖の叫びをあげると、そのときはもうス。ヒードをだ アのまわりを、ゆっくり歩きつづけながらいった。 しはじめていた車からーー・ドアは、上保があけたままにしてあった 「それからが : : : よく思いだせないのです」若者は、天上を、おち のだー・ー飛びだした。 くぼんだ眼窩の底の目で、じっと見つめながら、答えた。「何か、 振り返ってみると、宇野京子はアスファルトの地面に転倒して、

2. SFマガジン 1974年10月臨時増刊号

廠の人事課のタイビストをつとめている娘だった。 間の、業とでもいうしかない強い衝動の翳りが、色濃くしみついて 「彼女は巻きこむな」 いきなり、上保が、ぼくの上膊を痛いほど損んで鋭くい 0 た。ぼ「何だ、石堂、何がいいたいんだ ? 」 くは驚いて上保を見返した。近々と見た上保の、やや血走った目が 上保がにじり寄ってきた。 ギラついていた。ぼくはそのとき、彼にとっても、宇野京子が、ビ ぼくはあわててかぶりを振った。 アトリーチェであったことを知った。 そのとき、副牧師が戻ってきた。 「彼女はほんもののクリスチャンだ。心の優しい娘だ。話しても、 「しかたない。これ以上待てないから、これだけで練習はじめまし 彼女を苦しめるだけだからよせ」 よう。人数足りないから、それそれがもっとガンばる。リクエスト 嗄れた早口には懇願さえこもっていた。・ほくはふと、心の奥底に応じてできるだけたくさん歌えるように、覚えるのやりましよう。 で、彼こそイエスを求めているのではないかと思った。そして宇野京子さん、一〇九番からはじめて」 京子は、そうした彼の魂の希求を象徴する神聖な処女なのだ。彼女練習がはじまった。 に手を触れることは、彼の心の秘処の神聖を犯すのと同じことなの練習はすでにこの一カ月以上っづいていたから、聖歌隊が最低限 だ。万が一そんなことになったら、闘士上保の姿は、一介のクリス これだけは覚えておかなければならないという十二、三の讃美歌 チャンに変形してしまうのだ : ・ は、みな、だ、たいそらで覚えていた。将校クラブには、英語圏以 「よせったら、よせ。わからないのか」 外からも人が集まってくるが、共通語として英語が使われるので、 上保の焦燥を露わにした声にぼくはわれに返った。そしてもう一歌詞はすべて英語で歌われることにな 0 ていた。 度、どす黒く充血したその顔を見返したとたん、今の考えの逆だっ "Silent night, holy night, たことを知った。要するに彼は、宇野京子に惚れているのだ。しか All is calm. all is bright 」 も、それは、たんなる片想いでしかない ぼくは上保が、彼女と歌いながら、ぼくは急に腹のすいていたのを思いだした。もちろ はまだ、ありきたりな挨拶以外には、二、三回口をきいたことがあん、昼飯を抜かなければならなか 0 たからだ。そう思 0 て、近くの るだけで、もちろん手ひとっ握「たことがないのを知 0 ていた。た連中を見やると、やはり、腹をすかして焦立たしげな顔つきをして からこそ、彼女を神聖視しているのだ・ : : ・彼の中で、宇野京子は、 いる男たちがいた。中年の連中に多かった。恐らく、彼らは、今晩 彼のキリスト教〈の憎しみと、にもかかわらずう 0 かりすると足をのパーティに出るケーキやビールを当てにして、昼飯の分を、家族 滑らしただけでもその信仰に転がりこんでしまいかねないセンチメに回したにちがいないのだ ぼくはふと、彼らの痩せこけた顔に ンタリズムとの、奇妙なバランスのシンポルだ 0 たのだ。もちろ浮かぶ腹の〈 0 た犬さながらのいやしげな表情を見ながら、なぜそ ん、それに、あのどうしようもない肉の欲望のーー・動物としての人んな美しい犠牲的行為をした男たちの顔が、美しく見えないのだろ 8 2

3. SFマガジン 1974年10月臨時増刊号

、現金な話だが、その芳わしい食物のにおいが、たちまち、嘔吐男の手は、膝の上までたくしあげられた彼女のスカートの中に隠れ 感を催おすほど、厭わしいものになってきたのだ。 ていた。そして、京子の自由な方の右手は、「プレゼント」された 3 そのまま立っていると、本当に吐きそうだった。もちろん、吐く にちがいない化粧箱入りのチョコレートの包みをしつかり掴んでい ものは、何も胃の腑の中に入ってはいない。しかし、もし吐きはじ めたら、黄色い胃液どころか、赤い血まで、そしてもっとどろどろ ばくは、思わず背後を振りかえった。殺気に似たものを、突然感 した、濁った異物まで出て来そうな気がした。 じたからだった。しかし、それはもちろん勘ちがいで、後ろには誰 ぼくはとうとうがまんできなくなり、人々のあいだを縫って外へもいなかった。それでも・ほくは、踵を返して玄関の方へ戻りはじめ 出た。 た。もしあの光景を、上保が見たら、何もかも忘れて怒り狂いだす 将校クラ・フの外の駐車場には、車が数十台ならんでいた。動くガにきまっていたからだ。 ソリン車が、こんなにたくさんならんでいるのを見るのは、久しぶ玄関までが、ひどく長い距離に感じられた。ドアのガラス戸から りだった。・ほくは、つめたい夜気の中にこもる、かすかなガソリン洩れる光の中で、ぼくはもう一度うしろを振り返ってみた。車内の の芳香属化合物特有のにおいをかいだ。おかしなことに、それは食男女はまだ抱きあったままだった。ぼくはロがからからに乾いて、 物のにおいとちがって、すこしも嘔吐感を誘わないのだった。 舌が風邪引きのときのように荒れているのを覚えた。さっきまで執 ぼくはたちまち首筋から背筋から押し入ってくる寒気に耐え、冷拗に襲ってきていた飢餓感は、嘘のように消えていた。そのときに カらんどうだ たい空気をあまり呼吸しないようにしながら、ならんだ車のわきをなって、・ほくははじめて、上保が可哀そうになった。・、 通って行った。 ったはずの胸の中に、熱いものがいつばいに詰まっていた。寒さの 数台めの車の前を通り過ぎたとき、車内に誰かの姿が蠢めいてい せいではなく、目蓋にうっすら涙が滲んできた。ぼくは歯を喰いし るのが見えた。軍服姿の白人と、日本人らしい小柄な女とが、運転ばって、いきなり寄せてきた嗚咽を耐えた。上保が、その心根がい 席で重なりあうようにして抱きあっていたのだ。 とおしかった。宇野京子への憎しみや怒りはなぜか全く感じなかっ もちろん、・ヘつに珍らしい光景ではない。そんな情景を気にしてた。それは、京子が・ほくにとって大切な女でなかったからでもな 、上保の愛が結局はたんなる淡い片想いで、彼女の行為が裏切り いたら、国連軍勤めなんかはできはしない。 だが、通り過ぎようとしておやと思った。男の頭は、衿を押し開でも何でもなく、従って上保のために彼女を憎む必要はない、など ・こだ、・ほくの感じていたのが げられた女の・フラウスのあいだに埋没して見えなかったが、白い胸という理由づけのためでもない : 乳の一部をのぞかせ、両眼を閉じて、天井をふりあおぐようにあお上保や、ぼく自身や、そうだ、宇野京子をも含めたぼくら日本人全 むけになっている女の顔に見覚えがあった。とぼしい光の中ではあ体への、果しない、やる瀬ない悲しみだったからであった : ・ ったが、それがあの宇野京子であることはばくにもすぐわかった。

4. SFマガジン 1974年10月臨時増刊号

影はなかった。 牧師のス。ヒーチが終り副牧師が、列の端から歩いてきて、・ほくら 5 の前に立った。ォルガンが、プログラム通りの讃美歌の前奏を弾き ぼくがもう一度将校クラ・フの建物を逆方向から一巡して中へ入っはじめた。 ・ほくらは歌いだした。 てみると、 ーティはもう始まるばかりになっていて、宇野京子も ホール中の顔が、一様に、柔和な笑みを浮かべていた。だがそれ ォルガンの前のスツールに位置を占めていた。・ほくは、反射的に、 ホールの中の国連軍将校たちを見わたして、さっきの京子の相手をは同時に、何か珍妙な未開人のショーを娯んでいるような、寛大 で、慈悲ぶかい征服者の笑顔でもあった。彼らは、意識してにし 探している自分に気がついたーーしかし顔は見ていないのだから、 わかるわけはなかった。軍服からしてアメリカ軍の将校であり、赤ろ、無意識にしろ、この荒廃した国土に、生きのびたわれわれが、 毛の大男であることは覚えていたが、それに該当する男はいくらで何の希望も喜びも持たないまま、外国の神の生誕を祝う歌を合唱し ている光景の持つおかしさを、珍妙さを、感じとり憐れんでいたの 聖歌隊はもうステージの上に五列になって並んでいた。急いでそだ。 ーモニーは乱れ、ひどくお粗末な出来だっ っちへ歩いていくと、指揮者の位置について、白豚そっくりの肥大歌はちぐはぐで、ハ 漢の牧師と何か喋っていた副牧師が、ばくを見つけてかすかに眉をた。・ほくらには、副牧師の癇癪がいまにも破裂しそうになっている ひそめた。ぼくが、前もって定められていた位置につくと、うしろのがよくわかった。歌が下手なのはいい、練習不足で声が合わない から、分部が焦れた荒々しい声で「どこへ行っていたんだ」と詰るのも仕方ない、ただ、この聖なる夜をともに言祝ごうという気持 ようにいったが、それは答えを求めての詰問ではなく、ぼくまで彼の、声に表われていないのが我慢ならないとそのひくつく眉間あた らを裏切って消えたのではないかという疑惑に苦しめられていた腹りの表情が言っていた。二曲めの讃美歌はもっとひどかった。二十 癒せなのだった。それには答えず上保を見ると、彼は・ほくに気づき数人の日本人の声よりも、かなりご自慢らしい牧師と副牧師とのよ もせず、オルガンの前に坐って楽譜を見つめている宇野京子のプロ く通るバリトンばかりが朗々と響きわたり、それがいっそうコーラ フィルに見とれていた。彼がそんなに稚なく優しげな美少年の貌をスの貧弱さを目立たせていた。 持っていたことに、・ほくははじめて気がついた。 ホールの人々が顔を見合わせ、私語が囁かれた。プログラムで 牧師が、脂ぎった顔に特別誂えの笑みを浮かべてマイクの前に立は、三曲歌って、あと観客からリクエストを受けることになってい ち、英語で挨拶の言葉を述べはじめた。しばらくすると、ぼくは上た。そして、三曲めが、われわれの準備した「神の御子は」だっ 保がぼくを背後から見つめる視線を感じてそっちを向いた。緊張にた。 こわばったその表情には、もうさっきまでの恋いに溺れた少年の面ぼくらは、ちらと視線を交しあった。 7 3

5. SFマガジン 1974年10月臨時増刊号

上保が・ほくを見返した。恨めしげな : : : 悲しげな・ : : ・何ともい みじめに泣きだした ようのないみじめな顔だった。 そのときになって、周囲がざわっきだした。 「くそ : : : たかが、食物のことで : : : 」 外人たちが、口々に、何かいっていた。日本人がパーティをぶち ひきゅがんだロの端から、呻くような言葉が洩れた。切羽つまっ こわした、とか、だから招ぶべきではなかったのだ、とか、何とか た感情を、もう抑制しきれなくなっているのが、じかに伝わってきしなければしかたがない、とかいっていた。女たちの、甲高い声も まじりだした。その中で、ぼくたちは、文字通り身も痩せる思い ( やるな、何かを ) で、ただ突っ立っていた。どうしていいかわからなかった。幼ない ぼくは咄嗟に思った。上保がとっぜん躍り上って、将校たちに子供のとき、大衆の面前で粗相をしでかし、濡れた、悪臭をはなっ みかかっていく情景が目の前に浮かんだ。だが、そのとたん、上保下着のままただおろおろと立っていた記憶を、・ほくは呼び起した。 の全身から、闘志がいっぺんに消えた。その視線が、一カ所に釘づ上保と同じように、手放しで泣くしか、もうなさそうだった。 けになっていた。 「いったい、何ということをしてくれたの、あなたがたは ! 」 ぼくはその神線の先を追ってみた。そこには宇野京子がいた。彼するどい、歯切れのいい言葉が、ばくらの頭上に降ってきたのは 女は、オルガンによりかかり、虚脱したようにただ突っ立っているそのときだった。さきの黒人女が、どろどろに汚れくさったテープ ・、、、まくらを睥睨していた。 日本人たちを、一人はなれて見渡していた。その顔は完全に無表情ルの前で、両手を太い腰にあて力しを で、目は魚の目そっくりだった。だが、けだるそうにオルガンにし「あなたがた、つらい毎日送っているの、わたし知っています。お なだれかかったその全身の、妙にエロチックな、頽廃的な仕種は、腹すかし、いつも不満足にしか食べていないの、わたし知っていま あまりにも雄弁に、日本人への、同邦への蔑みを露わにしていた。す。でも、だからといって、この有様はなにごとです。わたし許せ 彼女は犬を見るようにぼくらを見ていた。それはやつらの情婦になない。わたし、あなたがたを許すこと、できません ! 」 り下がった女に特有の下卑た目だった。ぼくは、とっぜん下半身に ・ほくらは、頬にびんたを食ったように顔をそむけた。・ほくはそっ 欲情の異常な昻りを覚えた。ファロスが怒張しかたくなって、射出と、まだ掴んでいたキャンディと煙草の残骸を下へ落した。汚れた をもとめていた。そのまま駈け寄って、引きずり倒し、みんなの見手を、仕様事なく服で拭きはじめる者もいた。 ている前で、強姦してやりたいと思った。 「わたし、せつかくのパ 1 ティ、だいなしにされた、だから怒って だが、上保はちがった。何も知らなかったはずの彼が、宇野京子いるのちがいます。せつかくのごちそう、めちやめちゃになった、 そうでない ! あなたがたに失望 のその姿から、一度にすべてを覚りーーそしてそれが、彼の内部にだから腹立てているのでないー あったあらゆる情動を、一度に粉砕してしまったのだった。上保はした、それがくやしい ! 」 両腕をだらりと垂らすと、うえ、うええ、えええと、だらしなく、 黒人女の声音が変ったーー見ると彼女の目から、大粒の涙が湧き 2 4

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うかと思った。もちろん、あまりにも切ない話だからだ。いじまし子、酒、日用品にいたるまで、ありとあらゆる品物が何処からとな く集まる。場所や時間は、警察や国連軍憲兵隊の目が光っているか い話だからなのである。 らその直前にならないときまらないが、その情報は、ある種のシス 練習は、二時間あまり、休みなしにつづいた。みな、だらけて、 ( モらなくなってきた。疲れた上に腹がますますすいてきて、ばかテムを通じて、ロからロへと数時間のうちに伝わる。上桓内の仲間 らしくなってきた。¯ 一。田牧師は出来が不満で、まだつづけたそうな顔の一人が、そうした末端 = ージ = ントを知っていたのた。ヤミ物資 だ 0 たが、宇野京子がとりなして、休憩にしてくれた。牧師の夫人は、もちろん金でも買えるが交換もできる。上桓内たちは、厳重な が出て来て、女子に手伝わせ、大きなやかんでわかしたコーヒーを見張りの目をかすめて、兵器廠内のさまざまな物品ーー市内では殆 サービスしてくれた。うすくて砂糖ぬきだったが、空きっ腹にしみんど見つからないかきびしい統制下に置かれていて手に入らないも 入るようにうまかった。上保は、ひしやげたアルミコップに、宇野の、たとえば乾電池とか、電線、ラジオ部品、自動車部品、オイル 京子からコーヒーを入れてもらうと、かちかちにしゃちこばり、ひなど・・ーーを盗みだして隠してあった。それらは、上手に交換する どく不機嫌そうな表情になった。そこへ、一度外へ出て行った分部と、なかなかいい取引の対象になった。 そして、取引きは、じっさい、成功した。上桓内たちは、それそ が、緊張した面持で戻ってきた。外の寒さのせいだけではなかった。 れポケットの中に、チョコレートとか、キャンデー、小麦粉、・ハタ ハプニングだそ」 「上桓内だけ来たーー チーズなどをしのばせて、その日ヤミ市に当てられた銀座の焼 「何がハ。フニングだ ? 上桓内はどこにいるんだ ? なぜここへ来 けビルの地下を出た。 ないんだ ? 」 そこまではよかった。 上保が、我慢しきれないという顔で言った。 五人が、新橋まで来て、モノレールの駅に近づいたとき、むこう 「来れないんだ。やっ、さっきから、教会のそばでうろついていた らしい。いま、帰って行った。今日はどこかに野宿すると言って行から、三人づれのインドネシア兵がやってきた。一行は高架のすぐ 下ですれちがった。飯岡はとくにインドネシア人がきらいだった。、 った」 理由はべつにない。強いて言えば、ついこの間までは未開発国だっ 分部は、辻褄のあわないことを早ロで言った。ひどく興奮してい こ。 たのに、今あまりでかい面をしているのが気に喰わない、という程 度の単純な理由からだった。だが、小氷期に入ってから、大旱ばっ 「いったい、何のことだ ? わかるように話せよ」 ぼくが言って、飲みのこしのコーヒーを渡すと、彼はそれを奪うに曝されて塗炭の苦しみにあえぐほとんどの東南アジア諸国の中 ようにして飲んで、喋りはじめた。事情はこうだった。飯岡や上桓で、赤道直下にその国土の大半を持つインドネシアだけが、かえっ 内たちが今朝、兵器廠を休んだのは、銀座でヤミ市が立っという情て潤沢な水に恵まれ、食料危機をまぬかれている唯一の国であった 9 報が入 0 たからだった。ヤミ市には、食料はもちろん、衣類から菓ことも、たしかに彼らの優越感を強めていた・・ー・・そして、他の諸国

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こ。ぼくらは、もちろんみな顔見知りだったから、いつものようちの仲間になりそうなやつがいるか ? 」 ばくは、改めてみなを見渡した。 に、陰気で曖昧な薄笑いを浮かづて会釈しあった。 薄暗い礼拝堂の中で、手持ちぶさたそうにペンチに腰をおろした 上保が、分部の肩をつかまえて、囁いた。 : なるほど、もう一人とし り、祭壇を見上げたりしている連中は : 「おかしいそ。連中が、五人ともまだ来ていない」 ぼくも、聖歌隊の連中の顔をあたってみた。さっき上保があげたて頼りになりそうな者はいなかった。生活に・ーーというよりは、人 飯岡とか前田などの顔が、たしかに見当らなかった。分部が、一人生にくたびれきってしまったような中年男たち。彼らはそれそれ、 のところに寄って行って、何か耳うちしていたと思うと、すぐ帰っあの〈狂気の七週間〉を、何らかのかたちで生き抜いてきたのだ が、ただひたすらに逃げて逃けて生命を全うしたにしろ、警察や自 てきていった。 衛隊や国連軍とやりあって、二人や三人は殺した経験を持っている 「飯岡たち、今日は欠勤したらしいそ」 にしろ、あるいは人家を襲って、食物を奪うために女子供を踏みに 「欠勤だって ? そんな : : : ちゃんと、あれほどかたい約束してい じったことがあるにしろ , ーーいまは、そんなエネルギーの、微塵も たのに」 残っていないただの抜け殻に過ぎなかった。いやむしろ、そうした 上保が、憤懣に耐えない、という身振りでいった。 「それなら、勤めは休んでも、合唱にだけは来るつもりなんじゃな過去が、目に見えない重荷となって背にのしかかっているために、 しゃんと身体を起し姿勢正しく歩くことすらできない病者になりう いか ? 」 「来るつもりなら、もう来ていいはずだ。それに、なんで五人そろせていた。彼らにこんな話を持ちかけたら、カなげに首を振って拒 って欠勤したんだ ? ちきしよう : : : もし裏切りやがったんなら : ・絶の薄ら笑いを浮かべるか、それとも恐怖に目を見張って、身動き もならず震えだすか・ーーいずれにしろ、何の役にもたたないばかり か、ことによったら、要領よく立ちまわりたいばかりに、牧師や国 上保の顔が青ざめた。 連軍側のだれかに密告しないともかぎらなかった。そして何人かい 「いまからでも、もうすこし、志願者を募ってみたらどうだ ? 」 「今からで、間にあうもんか ! もう練習がはじま 0 ちゃうじゃなる若い連中はーー・現実生活の窮迫や荒廃を、この教会の中の雰囲気 に浸ることで誤魔化すことのできる、幸運なあきめくらでしかなか いか」 っこ 0 「だって、・ほくだって、さっき仲間になったばかりだ」 っこ 0 ぼくは、オルガンの前に坐って、曲の練習をしている若い女を見 上保はじろりと・ほくを見ると、 た。長い黒髪のよく似合う整った顔立ちにも、ほっそり均斉のとれ 「お前には、前から目をつけていたんだ。ただ、チャンスがなかっ たから、今日までのばしていただけた。お前が、承諾するだろうこた身体つきにも、いかにも清潔そうな雰囲気と , ーーな・せか澄んだ淋 とはわかっていた。見てみろ。いまここにいる連中で、すぐおれたしさのただよう十七、八の少女で、名前は確か宇野京子、この兵器

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かれの腹であった穴を肉汁のしたたるアツアツのやわらかい肉が埋 ー四十二番通り西二一八、マローリィーそしてまた歩きだした、 寒さにこごえながら。 めてくれる。かれは注意深く足を運び、ようやく最上階にたどりつ 両眼は細くふさがったようになり、睫毛も頭髪も白く凍りついてく。 階段の一番上で一瞬フラリとしてうしろにひっくりかえりそう しまった。喉の奥がビリ。ヒリうごき、唇はビッタリとあわさっていになったが、間一髪手すりをつかんで踏みとどまった。 た。七十番、六十五番。ジグザグに歩きながらしばらくコロン・フス ドアがあった。ドアの向うから騒々しい物音が聞こえる。宴会 通り、アムステルダム通りをたどった。コロン・フス、アムステルダ が、パーティがひらかれているんだ、おれも早く加わりたいとかれ ムーーそれらの名前は存在したこともない過去からきこえるこだまは思った。廊下を左へ折れ、ドアをたたく。 ・こっこ 0 騒音が近づく。 一時間が過ぎたろうか、そしてまた一時間が。帰りには人っ子ひ「マローリイ ! マローリイ ! おれだ、カッターソンだ、大男の とりいない。家の中に隠れて飢えている人々は、奇妙な大男が雪のカッターソン ! 来たんだよウ ! 開けてくれ、マローリイ ! 」 ドアの把手がまわった。 中を蹌踉と歩いていくのを窓ごしに眺めていた。五十番通りにたど 「マローリイ ! マローリイ ! 」 りついたときはあたりはとつぶりと暮れていた。ひもじさは和らい でいた。なにも感じなかった。ただゴールが行手にあるということ カッターソンは廊下にガクリと膝をつき、ドアが開くと前のめり に倒れた。 だけがわかっていた。かれはただ前へ前へと進んだ。 ようやく四十二番通りにたどりつき、マローリイの家のあるほう へ曲った。目ざす家が見つかった。夜の闇がひたひたと這いよって いた。階段を一段、また一段とのぼった。一歩一歩が岩のように重 かったが、必死に上へ上へとのぼった。 五階までくるとカッターソンは階段のヘりにしやがみこんで荒い 息を吐いた。お仕着せを着た給仕が目の前を通りすぎる、鼻をつき だし、緑色の上着が薄明りにチラチラ光る。口にリンゴをくわえた 蒸し焼の豚を銀色の盆にのせて運んでいく。カッターソンはフラッ と前にのりだして豚をつかむ。手はむなしく空をかき、豚も給仕も 泡のように。ハチンとはじけてしんとした廊下の向うに消えてしまっ あともう一階。フライバンのなかでじゅうじゅういっている肉、 こ 0

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かけるだろう。でもできるかぎりがんばってみる」 かれはべッドに寝ころんでダンテの黄ばんだ頁をゆっくりとめく「童話の中の話たよ」と / ースはいった。「つまりね、もう食べ物 っこ 0 がないということさ」 「ひとつも ? 」とカッターソンはだるそうに訊いた。 〈ンリックスは翌日やってきた、やつれ果て、目をギラギラさせ「ひとつもたよ」ノースは弱々しい微笑をうかべた。カッターソン は腹がからつ。ほなのを感じ、椅子によりかかって目をとじた。 て「ギリシア悲劇を返しにきた、まだアイスキュロスははやらない あくる日は二人ともなにも食べなかった。雪はサラサラと降りつ という。工ズラ・。ハウンドの小詩集を貸してくれといった。ノース はかれに食い物を押しつけた。かれはありがたそうに、遠慮するふづけた。カッターソンはひねもす小さな窓の外を眺め、雪の清らか うもなく受けとった。それからカッターソンのほうを奇妙な目つきな軽い毛布が見えるものすべてをおおいつくすのを見た。雪はたえ まなく降った。 で眺めて帰っていった。 翌朝カッターソンが起きてみるとノースはギリシア悲劇の表紙を ゴール その日のうちにいろいろな連中がやってきた ドマン、デメッツーーーみんな〈ンリックスやノ 1 スのように、戦争せっせとはがしていた。はがした赤い汚ない表紙を湯の煮たった鍋 にほうりこむのをカッターソンはある種の驚きをもって見守った。 前の古きよき時代を知っている連中である。哀れほど痩せおとろえ 「ああ、起きたの ? ・ほく、朝食の用意をしているんだよ」 ていても、知性の炎は体内にあかあかと燃えていた。ノースはカッ ターソンを紹介した。かれらは、。 カッガッと本にとびつく前にカッ表紙は、うまいとはお世辞にもいえなかったけれども、柔らかな パル。フになるまでしゃぶって、それから呑みこむことだ、苦悶して ターソンのまだ頑丈な体を不思議そうに見つめた。 いる腹に慰めをあたえるために。最後の一口を呑みこんだときカッ しかしほどなくかれらも来なくなった。カッターソンは窓際に立 ち、何時間も窓の下を眺めた、ひと気のない通りはひと気のないまターソンは吐き気をもよおした。 まだった。トレントン・オアシスからの最後の食糧がとどいてから表紙を食べて一日しのいだ。 四日たった。時間は尽きようとしている。 「街は死んでしまったー窓ぎわのカッターソンは振りむきもせずに 翌日は雪が降りだし、午後いつばい降りつづいた。夕食どきにな いった。「人っ子ひとり見あたらない。雪がすべてをおおいつくし るとノースは椅子を戸棚の前にひつばっていき、腕木に危なっかし た」 くのぼって、戸棚の奥をのそきこんだ。それからカッターソンのほ ノースは無言であった。 うを振りかえた。 「こんなことしているのはばかげているな、ハル」とカッターソン ハード母さんよりひどいことになった」とかれはいった。「彼は不意にいった。「おれ、食い物を探しにいってくる」 女には少なくとも大がいた」 「どこへ」 8

10. SFマガジン 1974年10月臨時増刊号

これが・フラックホールと呼ばれる星の墓のはむしろ当然である。 宙はただそこに在ったといった禅問答じみ だがこの種の終末論はアステカやホルビ た話になって来ているが、では始めがなか場でその側を通り過ぎる天体を吸いこんで しまうともいわれる。 ガー流のそれと異り、あくまで論にとどま ったら終りもないのかというとどうもそう 太陽もいっかはこんな運命をたどるであり実感と緊張感をともなう真の意味での終 でもないらしい 大体空間的にも宇宙は無限か有限なのかろう以上地球の消失はすでに決定ずけられ末論感とはなり得ない。 ているといえる。 我々が実感をもって考え得る時間や距離 もはっきりはしない。無限ではないが端は そしてこれまた理論物理との関連で打ちなどはせいぜい千とか万の単位までであ あるとか、現在の一瞬においては端はある り、天文学独特の億単位が持ち出されては が常に膨張を続けているのだからやはり無 マイトレーヤ致来可能性よりもっと当にな 限であるとか : らず平安末期の貴族ではないが五色の糸な だが終末論が本来人間との関連において らずもいわば手で触れられるようなものが のみ成立するのである以上宇宙そのものが 欲しくなる。 どうのこうのということはそれほど問題に 終末論が終末感をともなう時間の限界は しなくてもよさそうである。 我々の屍が例え骨片という形でも残存して とりあえずこの地球とかその附近にあ いる間ではないだろうか。その骨片さえも る、地球崩壊の際に移住可能な天体につい が元素だか原子だかに分解、還元されたと てみるならば、それらも早晩 ( といっても きには世界そのものが消減しようとしまい マイトレーヤ式の話であるが ) 消失する運 とそれが決定的意味を持ち得るとは私には 命にあることは疑いが無さそうだ。 思えない。 最近の十数年において星雲、特にかに星 存在論的に見たとき終末論ⅱ感は個とし 雲の観察と研究が急速に進歩をとげた結 ての我々の生の絶対的有限性のアリ・ハイで 果、星雲とは核融合反応を続ける天体が段 あり、その必然的結果たる個としての終末 段と鉄のように質量の重い星に変質して行 死の呼ぶいかんともし難い虚無感に対す き、ついには自らの重量に堪えられす爆発出されているのが反物質説で、これはすべ て物質にはそれに対応する一的なものがある救済であると私は信ずる。 した残骸であるという見解が支配的になっ それはただ単に先述のドストウェフスキ ている。この際中世子星なるものが生する りこれが物質日十と合うと十一 " 〇となっ ー流の主体的世界破減への意志のみに拠る ことが多いらしいがそれも短命であるし、 て消減するというわけであり、アインシュ また場合によっては完全に自重に負け崩壊タイン以降の物理、天文学は数式で裏打ちものではない。集団性、そこから出て来る 9 し去り、その後に宇宙に開いた穴の様なも された新らたな神話に他ならず、そこから帰属志向はヒトの生物学的、文化的特色で 8 のが生しる。 出て来る終末論が古代神話に類似して来るあるが、死は否応なしに我々を個、孤立無援