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検索対象: SFマガジン 1974年11月号
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1. SFマガジン 1974年11月号

立ち上がりかけた私に、早野は必死にかぶりを振って見せた。 思わず、私は叫んでいた。 「う、う、う・ : : ・」 口からよだれをたらしていた。なにか私に伝えたいことがあるの「早野 ! 」 ハッとしたように、彼は大きく眼を見開いた。顔をきりきりと歪 だ。その眸に必死の色が浮かんでいた。 ませて、 「なんだ ? なにが言いたいんだ ? 」 「・ハンパイヤ」 私は自分の顔を相手に近づけた。 はっきりした声音で言った。死に瀕した男が、最後の気力をふり 早野は何か言った。 し・ほって吐いた言葉だった。 「救え」 私には、とっさになんのことだか理解できなかった。 と言らたように、私には聞こえた。 「パンパイヤ ? 」 「もちろん助けてやる」 私は聞き返した。 私の言葉に、早野は激しくかぶりを振った。 「違う」 だが、無駄だった。 し一ほりだすようにして、それだけをつぶやいた。 死人は、なに一つ応えようとしない 「違う ? 俺には君の言ってることがよく分らない。とにかく救急私の肩からはずれた早野の腕が、床に落ちて、乾いた音をたて 車を呼ぶから、話はそれからにしろ」 た。早野のすさまじい死に顔を、私は呆然として見つめていた。私 の舌は、干あがって、スポンジのようになっていた。 「待ってくれ」 ・ハン・ハイヤ 思いがけず大きな声で、早野が言った。腕を伸ばして、私の肩を私は、頭のなかで早野の言葉を繰り返した。 ( 吸血鬼を救え : 掴む。瀕死の状態にあるとは信じられないほど、その指には力が込・ : ) められていた。 それは、謎という以上に、あまりにばかげた言葉であった。断末 : パイヤを救え」 魔の苦しみが早野を狂わせたのか ? それにしては、彼の死に物狂 喘ぎながら、彼は言った。 いの形相が、あまりに真剣でありすぎたようにも思えた。 「なに ? なにを救うんだ ? 」 ドアが乱暴にノックされた。 早野は溜息をついた。その眸に、昏い、空ろな色が拡がっていく。「大丈夫ですか ? お客さん ! ここを開けてください ! 」 しつかりしろ ! なにを救けてほしいんだ ? 」 「おいー 愕然として、私は立ち上がった。 苦痛から、絶そして諦念へと、彼の表情はめまぐるしく変わ外に立っている男は、ノ・フを擱んで、しきりにドアをゆさぶって っていった。私の肩をんでいた指から、しだいに力が抜けていっ いる。いつの間にか、ドアが中からロックされているのだ。 こ 0 6

2. SFマガジン 1974年11月号

「あら、私の有能な秘書よ , ーー秘書だったわ。ただあの人の父親私はうなずいた。 ・ : だが君の話が先だ」 : こっこらしいの。それで父親が亡くなって「ないこともない : が、昔、稲垣と知り合しナナ からは、色々生活の面倒をみてもらったのね。学費なんかも援助し弥生は小首をかしげたが、 てもらったみたいよ : ・ : ・早野が殺された時、私がまっ先に稲垣の身「いいわ。鹿島さんの話は後で聞くわ」 辺を調べさせる気になったのも、そんな事情をよく知っていたから話を続けた。 「早野が短期の契約で借りたマンションがあるのをつきとめて、私 「どうして、早野の事件を調査する気になったんだ ? 君は彼に惚はその部屋に行ってみたわ : : : でも誰もいなかった。私が鹿島さん のことを思いだしたのは、その時だったの。確か、行方不明の娘が れていたのか ? 」 ・ヘラドンナ 『美しい女』を使っていたとか言ってたけどーー・そう気がついて、 「まさかーーー」 ・ヘラドンナ なにを思いだしたのか、弥生は鼻にしわを寄せて、しかめつ面を『美しい女』のリストを調べてみたら、その娘に該当するような名 前はなかった。そうなると考えられることは一つ、早野が私に無断 つくった。 ・ヘラドンナ 「私はね。自分の勘を信じているの。その勘が、私をここまでにしで『美しい女』をストックから持ちだして、その娘にプレゼントし てくれたんですからね : ・ : ・早野が殺されたのにはなにか尋常でないた : : : つまり、その娘こそ、稲垣が早野に預けた年をとらない人間 に間違いない。それつ、今度は鹿島という男を探せーー・・鹿島さんが 理由が隠されているーーーそんな気がしきりにしたのよ」 「なるほどね : ・ : ・それで稲垣を調べてみて、今、君がしゃべったよ早野に渡した名刺が残っていたから、これはわりに簡単でしたけど ね : : : これで私の話は終りよ。今度は鹿島さんが話す番だわ」 うなことを探りだしたわけか。たいした腕だな」 と私をねめつけて、弥生は話を終った。 「探りだしたのは、それだけじゃないわ」 私はうつむいて、しばらく弥生から聞いたことを咀嚼していた。 「稲垣が早野に依頼したのはね、誘拐した年をとらない人間を、ど確かに、すじは通っているようだった。だが弥生の話から推測して ・ハン・ハイヤ いけば、あの眠れる美女は実は吸血鬼だったということになる。そ こかにかくまって欲しいということだったのよ : : : その誘拐された れは信じ難いことであるように思えたし、なにか冒濱でさえあるよ 年をとらない人間は、どうやら若い女性だったらしい 誘拐された若い女性ーーある少女の裸身が、私の酒に濁った頭うに感じた。 に、白くきらめいて消えていった。須藤の姿を、その裸身にオーヴ電撃に打たれたように、私は体を。ヒクリと痙攣させた。 やはり、私はあの少女に愛情を感じていたのか ? 須藤の冤罪を ア・ラップさせようとしてみたが、なぜかうまくい力なカった 晴らしたいというのは、自分をごまかすためのきれいごとでしかな 「どうやら、む当たりがあるようね ? 」 かったのか ? 私は眼を細めた。だが私の視界に映っているのは、 ・弥生がまっすぐに私の顔を見据えで、低い声で言った。

3. SFマガジン 1974年11月号

確かに勝手な言い草だが、電話ロで怒ってみても始まらない。 それが、ホテルであれマンシ「ンであれ、つきるところこの種の 「いいだろう」 建物は同じなのだ。息苦しくて、よそよそしくて、決して生活の匂 「ところで、あのマイクロフィルム と応えて、私は声を低めた。 いをさせない。私は、自分の下駄ばきアパートがなっかしくなって のことなんだが : : : 」 きた。 「それも会った時に話す」 六〇二号室を見つけて、軽くノックした。 電話が切れた。 返事はない 私は受話器を戻し、勘定を払いたいと女に言った。女はびつくり 今度はいくらか乱暴にノックしてみた。 したような表情で私の顔を見ていたが、ようやく自分の役割りを思やはり返事はない。 いだしたらしく、手早く計算して、たいして安くもない金額を私に いらだって、私は呼びかけてみた。 告げた。言われただけの金を払い 「俺だよ。鹿島だ」 「また来るよ」 声がドアごしに聞こえてきた。 私はドアに向かった。いつでも大歓迎よ、と女も応えた。二人と ただし、返事ではなかった。苦しげな呻き声なのだった。 も相手の言葉を信用していなかった。 反射的に私の体は部屋にとびこんでいた。 部屋には明かりがついていた。だが絨毯の上に転がっている早野 に、その明かりが必要であるとは思えなかった。彼は眼をつむつ 七 て、苦痛に顔を歪めていた。胸に果物ナイフが突きたっていれば、 早野の指定したホテルは、十二階建ての高い側壁を、夜空に白く誰でも同じ顔になる。 そびえさせていた。落成してから二年とたっていないはずだが、薄もちろん、頭蓋の奥をたたきつけられたようなショックを覚えた 汚れて、なにか巨大な墓石のように見えた。長かった一日を終えるが、驚いている暇はないようだった。 には相応しくない不吉な建物のように思え、私はなにかしら不満だ私は彼の上にかがみこんだ。 っこ 0 しつかりしろ」 車を駐車場に入れて、私はホテルに入っていった。 早野はビクリと頬を震わせた。ゆっくりと臉を上げる。衰弱しき ホールを横切る私を、フロントの禿げた男が眼で追っていた。好った、すでに死を受け入れた男の眸だった。 意的な眠っきとは思えなかったが、気にしないことにした。私にし「聞こえるか ! 」 ても、このホテルが好きだというわけではない。 私は大声で叫んだ。 「今、救急車を呼んでやる」 エレベ 1 ターに乗り、六階でおりた。 め 5

4. SFマガジン 1974年11月号

ふらっく足で洗面所まで歩いていき、傷の具合を調べてみた。出 腕を伸ばして目覚ましを止めようとして、ようやく私は気がつい 血している様子はないし、指で押してみた限りでは内出血の心配も盟 なさそうだった。 鳴っているのは目覚ましではなかったし、私が寝ているのもべッ ドの上ではない。 理想的なたんこぶなのだった。 蛇のようにかま首をもたげて、私は床の上から鳴り続けている電 コーヒーをいれて、べッドに坐ってたて続けに二杯飲んだ。 話を睨みつけた。もう十秒待って、それでも鳴っているようだった朝の光のなかでそうやってコーヒーを飲んでいると、派手に夫婦 らコードを引き抜いてやる、と三度めに私が決意した時、電話は鳴喧嘩をやらかしたあげく、女房に逃げられてしまった男の気持ちが り止んだ。 分るような気がした。 運のいい電話だった。数少い財産を破損せずにすんだ私もまた運私は溜息をついて、部屋の整理を開始した。疲労しきってはいた カよかった。 が、部屋がこの有様では寝ることもできない。床に放り出されてあ 運のいい二人組を祝しながら立ちあがりかけて、私は小さな悲鳴るものを片っ端から引き出しに投げ入れ、無理やりにその引き出し をあげた。 を机に収める。衣類はタンスの中に放りこみ、入りきらないものは 後頭部が割れるように痛んだ。宿酔いの痛みではない。宿酔いがべッドの下に蹴り入れた 0 こぶをつくるはずがない どうにか人間の住み家らしくなった頃、再び電話が鳴り始めた。 私は頭のなかで呪詛を唱えながら、受話器を取った。 私は後頭部を刺激しないように、ソロソロと立ち上がった。 部屋は荒らされ放題に荒らされていた。机の引き出しはことごと「はい。鹿島です」 今にも消え入りそうで、我ながら三十をすぎた男の声とは思えな く乱雑にとりだされ、書類や衣類が床に放り出されている。・ヘッド のシーツさえ剥がされていて、どういうわけか冷蔵庫のドアまで開かった。 けっ放しになっていた。 湿った、からみつくような女の声が返ってきた。 誰かが私の部屋で何かを探し回っている時に、運悪く私が帰って「私よ : : : 弥生です」 来たというわけだ。もちろん運が悪かったのは、殴られるはめにな 「朝帰りとは隅におけないわね。二十分ぐらい前に電話したのよ」 った私の方である。 言か、ということは分らないが、何か、という方は簡単に見当が「女という女は俺に惚れるんだ」 衝動的に私は不可解なことを口走っていた。 つく。東都新聞の六二年十月三十日の写真がなくなっていた。 多分、犯人が欲しかったのはネガなのだろうが、あいにくそっち「どうしても女房にしてくれと部屋におしかけてくる。たまには外 で休まないと、体がもたない」 の方は私の靴のかかとにしまい込まれている こ 0

5. SFマガジン 1974年11月号

「まず稲垣をゆさぶることね。稲垣は早野にその娘を預けてはみた かすれた声で、私は言った。 ものの、どうやら逃がしてしまったらしい : : : 鹿島さんが車ではね笑いを含んだ声で、弥生は応えた。 たのは、逃亡中の彼女だったんじゃないかしら」 「両刀よ。男も女も私に夢中になるのよ」 「多分、そうだろうな。だが、稲垣をゆさぶって、なにか新事実が「そいつは残念だ。話が合うと思ったのに」 出てくるかな ? 」 彼女の腕から逃がれようと身をよじりながら、したり顔で私はう 「出てこないかもしれないわね。でも、その娘は、稲垣にとって勢なずいた。 力回復のための切り札だったのよ。その切り札に逃げられて、動揺「実は、俺はホモなんだ」 しているはずよ : : : うまくいけば、年をとらない人間の正体がなん弥生は咽喉の奥で笑い、身をくねらし、唇を重ねてきた。舌をか らませ、低いうめき声をあげるーー・私の意志とは無関係に、快楽へ であるか、訊きだせるかもしれなくてよ」 「俺たちがパ の渇望で下腹部が熱くなっていた。 ートを組んで、うまくやっていけると思うかね ? 」 「私は、年をとらない人間の正体をみたい。鹿島さんはお友達の実際、弥生のような女にこんな持ちかけられ方をされて耐えきれ る男がいたら、お目にかかりたいものだ。 行方を探している : : : 利害は反していないわ」 「今のところはな。だが、俺は年をとらない人間の秘密を利用し私は耐えきれそうになかった て、社会を自分の思うままに操りたいという君の計画には賛同でき突然、外が騒しくなった。 よい。いずれは対立することになるぜ」 何人かでもみ合っているらしい物音に、激しい怒声が重なって聞 「そうはならないと思うわ」 こえてくる。 弥生がつつつと体を私に寄せてきた。その眸がしっとりと艶を帯私の頭にかろうじて残っていた理性が、弥生の体を押しのけさせ び、ちらちらと燃えていた。 こ。ほとんど突きとばさんばかりに、必死に押しのけたのだ。 だらしのない話だが、私は思わず逃げ腰になっていた。だが、逃からからに乾いた声で、私は言った。 げだせなかった。彼女の腕がするりと私の首に回され、 「なにかトラ・フルらしいぜ」 「あなたは、私の言うままに動くようになるのよ。切ないぐらい、 弥生はゆっくりとしたしぐさで、身づくろいを整えながら、 私を恋い焦がれるようになるんだわ」 「うまく逃げたわね」 しなやかな白い指が、私のうなじを愛撫し始めた。 嘲弄するように言った。その眸に浮かんでいる光は、蛙をとり逃 とんでもない話だ。 がした蛇のそれを思わせた。 耳に感じられる熱い息を懸命に無視しようと努めながら、 私はたて続けに酒をあおった。弥生の手管に危うくよろめきそう 6 「最初に会った時、君はレズに違いないと思ったんだが ? 」 になった自分が、ひどくあさましく思えて、情けなかった。

6. SFマガジン 1974年11月号

「車で送らせる。行ってくれ」 をはたき落としたのだった。 景山はパトカーに向かって顎をしやくった。そのまま、私を見向 「と・ほけるな」 くことさえしないで、崖っぷちの方へ歩き去っていった。 決して大声ではなかったが、それがかえって彼の怒りをよく物語 私は火のついていないタ・ハコを唇にはさんだまま、彼の後ろ姿を っていた。唇を一文字に結んで、鼻翼をふくらませていた。 いつまでも見送っていた 私は地に落ちたタ・ハコを見つめた。泥にまみれて、タ・ハコは半ば 二つにちぎれかかっていた。 意に反して、私のうちには怒りらしいものは湧いてこなかった。 私が自分の部屋に戻ってきた時は、もう夜も十一時を回ってい 顔を上げて、私は言った。 「何を怒っているんだ ? 」 例によって、アルコールで脳神経を充分に麻痺させてのごきげん 「そいつがはっきり分れば、俺はあんたを自由にはさせとかない : な帰宅だった。そうでもしなければ、須藤のことで気を減入らせ ・ : あんたは何かを知っている。知っていて、俺には言おうともしなて、枕に顔を埋めて泣きかねなかったのだ。 いんだ」 部屋に入った私は、朦朧とした酔眼で室内を見廻した。なにか部 私が知っていることといえば、せいぜいが眠れる美女がこの事件屋の様子に異和感があるような気がした。 それが酔いのせいではないか、と疑った私は掌で顔をこすろうと に大きく関係しているらしい、ということぐらいだった。 別に、秘密にしておくべき理由もない。だが、人がなにかを秘密した。 そのとたんに後頭部が炸裂した。頭のなかでファンファーレのラ にするのは、必ずしも理由があるからばかりとは限らない。 ッパが鳴り響き、くす玉が二つに割れ、紙吹雪が舞った。鳩が飛ん 私は景山の眼を見つめながら、もう一本タバコをとりだし、ロに だかどうかまでは確める余裕がなかった。 くわえた。 ポッカリ口を開けて待っている穴にすべり落ちていく時になって 「あいにく、話すことは何もない」 私は石のように冷たい男なのだ。たとえ景山という男を好きになも、私はそれが安酒をすぎたせいだと信じて疑わなかった。 りかけていたにしろ、彼の感情に心を動かされるようなことがあっ てはならないのだ。 景山の表情に浮かんでいた怒りが、しだいに失望にとって変わら れていった。 「そう言うだろうと思っていたよ」 自分に言い聞かせるような口ぶりでそうつぶやくと、 目覚ましが鳴っていた。 どんな仕事にも就いていないはずの今の私が、未だ目覚ましにな やまされるというのは、ひどく理不尽なことのような気がした。

7. SFマガジン 1974年11月号

が、人の気配がドアを通してひしひしと感じられるのだ。 私は動転しながら、この部屋に入ってからの自分の行動を頭のな かで総ざらいしてみた。どう考えても、ドアに鍵をかける暇などあ私はハンカ委で拳を巻いた。こうなったら、外にいる人間を殴り 3 たおしてでも、逃げるしかない。 るはずもなかった。 息をつめて、一気にドアを開けようとした私は、 ドアが更に激しくたたかれ、声が怒声に変わった。 「中にいる奴、ドアを開けないか ! そこにいるのは分っているん「鹿島さん。・今のうちだ。ポーイはマスターキーを取りに下へ降り ていった。早くここを抜けだそう」 という声に、棒立ちになってしまった。 私のこめかみはジットリと汗ばんでいた。 その声には聞き覚えがあった。 殺されて間もない死体と同し部屋にいる男が、警察に電話もしな いで、しかもドアに鍵までかけていたとしたら、誰が考えてもそい ドアの外に立っているのは、なんと聡子のマンションで出会った あの青年なのだ。 つが人殺しだ。 罠ーー確かにそうだろうが、それを証明する手だては私にはな私はドアを開けて、彼と対峙した。 「君は : : : 」 。早野を殺した奴は、まったくうまくやってのけたのだ。 私は絶句した。 逃げ道をさがして、私の視線は部屋をさまよった。 ニャリと笑って、青年は言った。 逃げ道はなかった。 ホテルの、しかも六階にある部屋から、どうやって逃げだそうと「逃げるんだったら、非常階段からだ。まさか、鹿島さんは高所恐 怖症じゃないでしようね」 い、つの・か 0 部屋にいないはずの誰かがドアを内側からロックできたなら、私 が霞のように姿をかき消したとしてもなんのふしぎもない。ふしぎ私は高所恐怖症ではないが、たとえそうであったとしても、断じ て峰次郎のいまいましい腕を借りて非常階段を降りていくことだけ はないかもしれないが、私にはとてもできそうもない芸当だった。 あきらめて、私がドアに歩いていこうとしたその時、外の様子がはしなかったろう。 それぐらいなら、いっそ飛びおりた方がましというものだ。 変わった。 誰か別の人間がやって来たらしく、ヒソヒソとなにごとか囁き合そう、青年は名前を峰次郎といった。もっとも、本名であるかど うかは保証の限りではないが う声が聞こえてきて、廊下を駆けていく音がそれに続いた。 事態がよくめないままに、私はドアに顔を寄せて聞き耳をたて「かんたんなトリックですよ」 手帖ぐらいの大きさの。フラスチック片を手に持って、峰は言っ ていた。 確かに、外に誰か立っている。もうなんの音も聞こえてこない

8. SFマガジン 1974年11月号

「いいかげんにしないか。俺は待てと言ってるんだぜ」 した傷ではなかったが、一応、近くの病院に運んでおいた。ところ かまわず、私は続けた。 が、どういうわけか、彼女、病院から姿を消してしま 0 た。ひき逃 「この写真なんだが、ここに写 0 ている若い女の名前を知 0 ていたげじゃなく、はねられ逃げだ。後でや 0 かいなことになると困るん ら、教えてもらえないだろうか ? 」 でね。なんとかみつけだして、示談の話をまとめておきたい」 神谷は眉をくもらせた。 話し終って、私は神谷の言葉を待った。神谷は黙っていた。唇を 「若い女 ? 言ってることがよく分らんが : : ・こ 歪ませているのは、私の話を疑っているからたろう。やむなく私は 「この笑っている女だよ。どう見ても、写真を撮っている人間と知言った。 り合いって感じなんだがね」 「これが、娘の名を知りたい理由だ」 私の指差した眠れる美女を、神谷はしばらく見つめていたが、 神谷は嘲るような眼を向けて、 「悪いが、十分ほど席を外さしてもらう」 「どうやってさっきの写真を手に入れた ? 」 振り返って、仲間たちに言った。彼等が、一勢に舌打ちしたりぼ ようやく口を切った。しかし、またしても質問だった。立場が逆 ゃいたりするのを気にもとめないで、 転しているのに気づいた私は、いらだちを覚えながら応えた。 「ちょっと外へ出ないか」 「たまたま図書館で見つけた。キュー ・ハのことを調べていたら、古 神谷は私を促した。 い新聞のとじこみの中にあったんだ」 連れだって外へ出た私たちは、そのまま隣りの契茶店に入った。 「どうして、キュー ハのことなんか調べていたんだ ? 」 私はコーヒーを、神谷はビールを、それそれにオーダーして、 ・「失業の身でね。暇つぶしだよ。さあ、彼女のことで何か知ってい 「さて、話を聞こうか」 たら教えてくれないか」 神谷が私に向き直った。 「まだだ。どうも腑におちない。十年もたてば女は変わる。そんな 「話を聞くのはこ 0 ちの方だ。俺はただこの娘のことを知りたいだ写真で、よく同一人物と分 0 たもんだな」 けだ」 「美人だからさ。美人は年をとらない」 「たからさ。どうして、その娘のことを知りたいのか、それを先に 「まったく変わっていなかったんじゃないかね ? 」 言 9 てくれないか」 私は息を呑んだ。 も 0 ともな質問だ 0 たが、私にはまともに答える気はま 0 たくな神谷は平然とビールを飲んでいる。そのすぼめた肩のあたりに、 か 0 た。まともに答えれば長い話になる。時間がないのは、神谷だ妙に悄然とした雰囲気を漂わせていた。 けではないのだった。 彼の反応をうかがいながら、私は言った。 「ひと月ぐらい前のことだが、若い娘を車ではねてしまった。たい 「まったく年をとらない女がいるものだろうか」

9. SFマガジン 1974年11月号

「ああ : : : それで ? 」 骸が、 ? マークのようにねじれ曲がって、そんな血の海に漂ってい 「あのうちの一隻だけでも爆破できないものか、と思いましてね」 た。 死んだカモメには用はない。死んで、しかも油に黒ずんだカモメ驚いて、私は峰の横顔を見つめた。 は、もうカモメではない。海に無数に漂っているビールの空き瓶降はいつになく、思いつめた昏い眼をしていた。 首を振って、私はマンホールの上にかがみこんだ。 や、コンドームとなんの変わりもないただの物なのだ 「さあ、なかに入るそ」 もっとも、こちらにしても死んだカモメを見下せるような立場で はなかった。なにしろ私が乗っている船は、塵芥運搬船なのだから。 重い鉄の蓋を開けると、塵芥のすえたような臭いがたちのばって 船腹に収められた塵芥タンクを覆っている甲板に立ち、私は海をきた。私と峰は、水で湿した ( ンカチで覆面して、穴に体を滑り込 見ながら、タ・ ( コをくゆらしていた。潮風に吹かれて、と形容したませた。私たちが塵芥の上にそれそれの足場を定めてうずくまった いところだが、あいにく廃液の放っ異臭に顔を打たれながら、であ時には、上に立っている誰かが鉄蓋をしつかりと閉めていた。 私はペンシルライトをつけて、塵芥タンクの内部をひとわたり照 久里浜の方角に低く連なっている山なみが、しだいにその稜線をらしてみた。 高さは三メートル、広さは四メートル四方といったところだろ 空の暗みに溶かしていく。 機関室から声がかかった。 「もうそろそろ埋めたて島に着くよ。下にひっ込んだ方がよかねえ弥生の話だと、ほとんどが紙屑であるからさほど臭いは気になら ないだろう、ということだったが、どうして多種雑多な屑の山だっ か」 たーーその多種さに比例して、当然、異臭の方も強くなる。 私はタバコを海に捨て、峰の姿をさがした。 ( 塵芥運搬船に話をつけたわ。あなたたちは屑のなかに姿を隠し 彼は一段上の船尾甲板に立っていた。 て、埋めたて島に上陸するのよ ) 私は下から呼びかけた。 「おい、降りる時間だそ」 とまるで飛行機の座席がとれたとでもいうように、あっさり言っ 私は見下ろし、峰はうなずいた。低いタラップを降りてきて、私てのけた弥生が恨めしかった。男二人をゴミの山に追い込むには、 それなりの後ろめたさがあってもしかるべきではないか。もっと と肩を並べる。 「ずいぶん長い間、あそこに立っていたな。なにを見ていたんだも、そんなことを口に出そうものなら、誰が資金を出したのよ、と 反駁されるのは分りきっているのだが : エンジンの響きが、塵芥の山を通して徴かに伝わってくる。私は 私は説いた。 側壁に背をもたせかけ、膝を抱え、眼を閉じた。波と機関音の相方 「横須賀港に、魚電艇が何隻か停泊していましたね : : : 」

10. SFマガジン 1974年11月号

しい女』が、女のステイタス・シンポルだからよ。あの香水を使っ 弥生はうなずいた。 ているということは、上流階級に属していると宣言しているわけだ 5 「でも、警察がそれを信じるかしら ? 私が一言しゃ・ヘるだけで、 彼等は大喜びであなたのところに駟けつけてよ。もちろん、手錠をし、金のかかる女でいられる、と周囲に明らかにすることでもある のよ : : : そして、上流階級の女たちを左右できる人間は、結局、そ 振り回しながら、ね」 弥生は明らかに楽しんでいたが、私にしても決して冷や汗をかいの国の社会をも左右することになる。『美しい女』の販売権を手に ていたばかりではなかった。私の無実を晴らすために、今度は須藤入れようと運動していた時、私はすでにこの『西林』を手に入れて たわ。知ってる ? ここはね。保守党の代議士が組合の指導者と密 が奔走することになる、といういくらか皮肉な想像を楽しんでもい 談しようなんて時には、必ず使われる料亭なのよ。時には、お忍び たのだ。 渺ゲ崎の高い崖が、ふいに黒い影となって私の脳裡にそびえ立つで来日したアメリカ大統領の補佐官と、閣僚なんかが話をしていく わ : : : ここで起ったことは、たとえそれが殺人であっても、絶対に 外に洩れることはない。日本の政治と経済は、この『西林』で動い 私は言った。 ていくのよ」 「脅かすのはそれぐらいにしてくれ。俺は気が弱いんだ : : : 君に、 俺のことを警察に告げる気はないさ。その気があったら、とっくに殺人、という言葉を使った時、弥生の眸に冷たい色がよぎった。 しているはずだ」 ほんの . 一瞬のことだったが、その眸の色が、かって本当にここで殺 「今は、ねーーー」 された人間がいるのだ、と私に囁いていた。 弥生は眸をキラリと光らせた。 かすれた声で、私は訓いた。 「今はないわ。でも、話の具合では、警察の手を借りることになる「君は一体いくつなんだ ? 」 かもしれないわよ」 「いくつに見える ? 」 「じゃ、早く本題に入ってくれ。確か、電話では、俺の得にもなる弥生は嫣然と微笑んだ。 私は慌てて杯を口に運んだ。本当の年齢より若く言うのはしやく 話だと言ってたな」 だったし、本当の年齢より上に言うのは恐しかった。 「あなたの得になって、その上、面白い話よ」 どちらにしても分が悪いのだ。 弥生は杯を取りあげた。面白い話を聞かせる前に、咽喉を湿らせ ようというわけだ。しばらく待っていたが、私が酒をついでくれそ最初から私の答えなど期待もしていなかったらしく、弥生は平然 と話を続けた。 うにないと覚って、彼女は自分で酒をついだ。 「どうしても、『美しい女』の販売権が欲しかった。日本を動かし しい気味だった べラドンナ 「私が、『美しい女』の日本での販売権を手に入れたのはね。『美ている男と女の両方をこの手に収めればーー・」 ラド / ナ ペラドンナ べラドンナ