フェイビアンは容赦しないことにした。「さあ、いい力い、グレとには、とっぜん泣きだした。両手で顔をおおい、すすり泣いた。 シャムさん」毅然として言った。「ゲーム遊びは終りにしよう。何肩を大きく上下にふるわせ、世の終りのようなすすり泣きだった。 フェイビアンはおどろき、途方にくれた。いまだかって、レスト も言わないですますこともできた。だがきみは、自分の判断で言っ てしまおうと決心したのだ。だからわたしは話の全部を聞きたい。 ランのなかで泣きくれる女性を前にした経験はなかった。 全部をだ。、ほかの問題というのはどういうことだ」 「さあさあ、グレシャムさんーー・ウエンズディ」彼は店を出てしま 効果があった。一瞬椅子の上で身をすくめ、それから背をのばしおうとし、自分の声がかんだかくひびくのに当惑した。「伝票がな て、弱々しい声音でしゃべりはじめた。「すみません。わたしはま さあ、ウエンズディ」 。伝票をくれ。 さか ゲームをしているつもりなどありませんでした。ほかにも「たぶんーと彼女は、すすり泣きのなかであえぎながら言った。 いろいろありますが、仕事にはさしさわりがないのです。たとえ 「た、たぶん、それが真相なんです」 ば、爪にはうぶ毛がはえています。ほら」 「何の真相だって ? 」フェイビアンは、彼女を何とか会話にひきず テープルの上にさしだされた両手に、フェイビアンは目をやっ りこめたら、と絶望的にねがいながら大声で聞きかえした。 た。爪の、かたい光った表面に、ごくわずかだけほとんど顕微鏡的「生まれのことーー・生まれたことについてです。たぶん、わたしは にこまかい巻毛がはえているのが見えた。 生まれたのではないのです。た、たぶんわたしは、つ、つくられた 「それ以外には ? 」 んですリ」 そしてそのとき、まるで今までの涙が準備運動にすぎなかったと 「ええ、舌もそうです。舌の裏に、少し毛がはえています。でも、 それでこまるようなことはありません。どんな意味ででも、不都合でもいうように、本格的なヒステリー状態をしめしはじめた。ここ にお . よんで、フェイビアン ・・ハリックは自分のなすべきことを発見 はないんです。それから、わたしのーー・その」 「言ってごらん」と彼は勇気づけた。いったい誰が信じるたろうした。彼は支払いをすませ、半分かつぐようにしてレストランを出 か。この小さな色白のウエンズディ・グレシャムが : 効き目があった。外の空気にあたったとたん、彼女は静かになっ 「おへそのことです。わたしにはおへそがないのです」 「へそがないんだってーーだが、そんなことはありえない ! 」彼はた。ビルの外壁によりかかって泣きやみ、規則的にときどき肩をふ さけんだ。鼻の上で眼鏡がずりおちた。「誰にもへそはある ! 生るわせるだけでそれもだんだん弱まってくるのだった。最後に一度 きている人間ならーーー生まれた者はたれでもかならずへそはあるん二度と息をもらし、カが抜けて彼にもたれかかった。その顔はまる で、画家のもっテレビン油まみれのぼろ布で徹底的にこすられでも ウエンズディはうなずいた。その瞳は、不自然なまでにきらめしたようだった。 「ご、ごめんなさい」と彼女は言った。「わたし、ほ、ほんとにご き、見ひらかれていた。「たぶんーーこ言いはじめ、おどろいたこ こ 0 8
実際、こうなってみると、星だの月だの言ってられなかった。塀塀から床半分だけこちらにせり出させた火の見櫓のような・ハラッ に沿ってつけられている狭い舗装道は、皓皓たる月光に照らしださクだった。確かに二人の自衛官が銃を持って立っている。いかにも 7 れて、ネズミが一匹横切っても上から射殺されそうだった。 ・ハランスが不安定そうで、床板を下から竿でつつけば、それだけで 向こう側へ崩れ落ちていきそうに見えた。 射殺されるというのは、決して言葉のあやではない。 弥生の入手した情報によると、塀の上に五十メ 1 トル間隙に監視むろん竿の用意はなかったし、仮に持っていたところで試してみ 台がつくられている、ということだ。煉瓦が凸型に積み上げられ、るはずもなかった。 カービン銃を持った自衛隊員が二人はつめているという。 塀に背中を密着させて、我々はソロソロと歩を進めた。 私は言った。 ようやく監視台の下まで入り込んだ時、上からはじけるような笑 「やむをえんな : : : 塀にできるだけ体を近づけて進もう」 い声が聞こえてきた。ギクリと体を強張らせた私たちの眼の前を、 峰は顔を上げて、塀の高さを目測していたが、 タ・ハコの吸いがらが落ちていった。頭上の床板がギシギシときしん 「どうも完全な死角に入るのはむすかしそうですがね : : : 」 で、 「他にいい智恵でもあるのかね ? 」 「おい、火が消えていないよ。見つかると怒られるぜ」 峰は肩をすくめた。 声が聞こえてきた。 我々は同時に舗装道へ飛びたした。忍者よろしく塀に背中をはり「気にすることはないさ。自然に消えるよ」 つけた。自分たちが黒すくめのスタイルで身を固めているのが、な「ばか言え。あいつを見つかったら、おまえだけじゃなくて、俺ま にか悪い冗談のように思えた。 で懲戒処分に会うんだぜ」 我々の前にはなにもなかった。ただ海が茫洋と拡がっているだけ「どうしろと言うんだ ? 下まで降りていって消せというのか」 だった。誰が私たちの姿を見ることができるはずもないのだが、遮「規則だからな : : : 」 られるもののなにもない空間に、生身で放り出されているという感「規則なんかくそくらえだ」 覚は、 - ひどく神経にこたえるものだった。 まったく同感だった。彼等のうち一人が下に降りてぎでもした 広場恐怖症患者の悩みを理解するのには、絶好の体験ではあつら、その時が我々の最期ということになる。基地に一歩も足を踏み た。たが、患者ならば足をすくませることも許されるだろうが、今入れないうちに、稲垣救出計画は挫折してしまうのだ。 の我々には立ち止まることは許されていなかった。 遵法主義者の隊員が応えた。 時間がないのだ。・、 「分ったよ : : : 俺が消してやる」 タッ。フダンスを踊る蟹のように、我々は横に走った。 心臓が咽喉までジャンプしてきたような気持ちだった。掌がジッ 監視台があった。 トリ汗ばんでいた。 ( 以下次号 )
「車で送らせる。行ってくれ」 をはたき落としたのだった。 景山はパトカーに向かって顎をしやくった。そのまま、私を見向 「と・ほけるな」 くことさえしないで、崖っぷちの方へ歩き去っていった。 決して大声ではなかったが、それがかえって彼の怒りをよく物語 私は火のついていないタ・ハコを唇にはさんだまま、彼の後ろ姿を っていた。唇を一文字に結んで、鼻翼をふくらませていた。 いつまでも見送っていた 私は地に落ちたタ・ハコを見つめた。泥にまみれて、タ・ハコは半ば 二つにちぎれかかっていた。 意に反して、私のうちには怒りらしいものは湧いてこなかった。 私が自分の部屋に戻ってきた時は、もう夜も十一時を回ってい 顔を上げて、私は言った。 「何を怒っているんだ ? 」 例によって、アルコールで脳神経を充分に麻痺させてのごきげん 「そいつがはっきり分れば、俺はあんたを自由にはさせとかない : な帰宅だった。そうでもしなければ、須藤のことで気を減入らせ ・ : あんたは何かを知っている。知っていて、俺には言おうともしなて、枕に顔を埋めて泣きかねなかったのだ。 いんだ」 部屋に入った私は、朦朧とした酔眼で室内を見廻した。なにか部 私が知っていることといえば、せいぜいが眠れる美女がこの事件屋の様子に異和感があるような気がした。 それが酔いのせいではないか、と疑った私は掌で顔をこすろうと に大きく関係しているらしい、ということぐらいだった。 別に、秘密にしておくべき理由もない。だが、人がなにかを秘密した。 そのとたんに後頭部が炸裂した。頭のなかでファンファーレのラ にするのは、必ずしも理由があるからばかりとは限らない。 ッパが鳴り響き、くす玉が二つに割れ、紙吹雪が舞った。鳩が飛ん 私は景山の眼を見つめながら、もう一本タバコをとりだし、ロに だかどうかまでは確める余裕がなかった。 くわえた。 ポッカリ口を開けて待っている穴にすべり落ちていく時になって 「あいにく、話すことは何もない」 私は石のように冷たい男なのだ。たとえ景山という男を好きになも、私はそれが安酒をすぎたせいだと信じて疑わなかった。 りかけていたにしろ、彼の感情に心を動かされるようなことがあっ てはならないのだ。 景山の表情に浮かんでいた怒りが、しだいに失望にとって変わら れていった。 「そう言うだろうと思っていたよ」 自分に言い聞かせるような口ぶりでそうつぶやくと、 目覚ましが鳴っていた。 どんな仕事にも就いていないはずの今の私が、未だ目覚ましにな やまされるというのは、ひどく理不尽なことのような気がした。
「この自殺は狂言であるという見解を警察が取っているのなら、そ「誰からの圧力だろう ? 」 の機動力をもってすればついずれは須藤を探しだすことができるだ「雲の上のことだ。俺に分るはずがない。だが、上層部のびびり方 5 ろう。あんたがなぜそんなに不機嫌になっているのか、そのわけが から見ても、相当なえらい様からのお達しであることはまず間違い 分らない」 ない」 「警察の見解については、俺は一言だってしゃべっちゃいない」 「だから、捜査を打ち切るのか ? 」 「俺たちを見損うな : : : 現場には、現場のプライドというものがあ 「今、誰が見てもこの自殺は茶番だ、と言ったばかりじゃないか」 「そのことと、警察の見解とは関係ない。捜査はこれで打ち切られるんだ。上層部がなにをあたふたしようと、女を殺すような奴は放 る。多分、本部は明日にでも解散するだろう」 っておかない」 私には景山の話は支離減裂であるように思えた。 彼は大きく息を吸って、興奮を静めようとした。成功したように 「誰もが信じていない自殺のために、捜査を打ち切るのか ? 」 は見えなかった。顔の赤みがいくらか引いただけだった。 「聡子は須藤に殺された。須藤は罪の意識に耐えかねて自殺した・ : 「しかし、こをがこんな風になったんじゃ、俺たちも頑張るのがむ ・ : よくある話だ。世間は疑いもしないだろう」 ずかしくなる。犯人は自殺したじゃよ、 オしか、と言われればそれまで 「なぜだ ? なぜ捜査を打ち切る ? 」 険しく眼を光らせると、景山は堰を切ったようにしゃべりだし景山は私から顔をそむけて、視線を海に向けた。あまりに饒舌に すぎたのではないか、と後悔しているような表情になっていた。 「この事件は最初からおかしかった。須藤が麻薬を横流ししている「なるほどーーーー」 という密告にしてからが、まったくのガサだった。もともとが拘留うなずくしかなかった。 なんかできるはずはなかったんだ。ところが、誰かの意向で、彼を「警察にもあんたのような人がいるんだな」 二晩も拘留しておく。聡子殺しにしてもそうだ。須藤には聡子を殺景山は応えなかった。そこに自分の探している犯人が潜んでいる す明確な動機がない。我々が聞き込みをした限りでは、彼はカッととでもいうかのように、細い眼をまばたかせもしないで海を見てい したからといって女の首を絞めるような男じゃない。そのくせ、なる。ほめた方が照れるというのも間尺に合わない話だが、事実、私 んだかんだじゃまが入って、思うように他を当ってみることさえでは自分の吐いた言葉の処置に困っていた。不用意に他人をほめたり きない」 するものではない。相手が景山のような男だったら、なおさらのこ 「 : : : じゃま ? 」 とだ。やむなくタ・ハコを唇にはさんで、私は言った。 「即座に捜査を打ち切れ、という圧力だよ。それも、ひどく強い圧「火を持っていないかね ? 」 力だ」 景山はゆっくりと顔を私に向けた。そしてーー・・私の唇からタ・ハコ
「青竜堂画廊はあなたがつづけたければ、今のまま、つづけたらよ い。ただ、あなたには私といっしょに居てもらいたいのだ。二人で やや荘重な口調が、かれ個人の問題よりはるかに大きな意味内容 を示していた。それも当然のことで、三宅貞造のひきいる大コンツのんびりと外国へも行ってみたいし、外国にあなたの気に入った土 エルンは日本の経済界を名実ともに支えている存在だった。貞造は地があったらそこに住んでもよい」 その中核をなす三宅合名の会長として傘下の厖大な企業群に多年采貞造の言葉には押しつけがまく出て笙子の機嫌を損じてはなら 配をふるってきた。 ぬ、という遠慮がにじみ出ていた。 「あら。たいへんなお話し」 貞造は、笙子が銀座で開いている青竜堂画廊の有力な顧客の一人 笙子は当りさわりなく受けてほほ笑んだ。貞造の引退に関する感だった。かれはこれまでに何回となく、青竜堂を会場とする展覧会 想など、・ とうのべられるものでもない。 のスポンサーとなっていた。かれは浮世絵や明治期の絵画の著名な 「どうやら後継者も育ったところだし。私もこのへんで楽をした コレクターでもあり、その批評眼は専門家の間でも高く評価されて いた。三宅貞造が笙子の画廊に出入りするようになったのは、画商 。あなたも知ってのとおり、私はやもめだし、子供ももう一本立 ちになって会社を切りもりできるようになった。引退するのには少としての笙子を通じて画を手に入れるということのほかに、笙子そ しも心配がないのだが、いざ、引退するとなると、私の身の回りはれ自体を自分のものにしたいという熱望があったからでもあった。 ひどくさびしい」 笙子も、それは十分に感じていた。だから三宅貞造の誘いに応じ 貞造の顔がふっと曇った。 て、一一、三回食事につき合ったことはあるが、のつびきなくなるよ 笙子はハンド・ハッグを胸にだいて、黙々と貞造にしたがって歩をうな言動はっとめてさけてきた。 運んだ。 今日は笙子は都内のある有名なホテルでおこなわれた浮世絵の某 貞造が、胸に溜っているものを、こらえきれなくなったように切コレクションの竸売会に、三宅貞造を誘ったその帰りだった。画商 り出しこ。 の鑑札と顔にものを言わせて、いわばアマチュアである貞造にも、 「笙子さん。どうだろう ? , 私といっしょになってもらえんだろう二、 三品を落させ、その礼に貞造から早目の晩餐を馳走されての ち、散策に出てきた日比谷公園だった。 か」 あいせき 淡々とした口調に無言の愛惜がこもっていた。青年のような相手「いや。これはいかん。自分の気もちばかりしゃべりすぎてしまっ を圧倒するような激情こそないが、男と女の結びつきについて、あて。あなたは機嫌をそこねたのではないかな」 る見通しを持つようになった女性の胸には、しみ通るような説得力貞造は軽く肩をすくめて笙子の顔をうかがった。 があった。 「私、お返事に困っておりますのよ」 笙子は涼しい目元に恥らいの色をたたえてほほ笑んだ。 笙子は無言で目を伏せた。 209
「まず稲垣をゆさぶることね。稲垣は早野にその娘を預けてはみた かすれた声で、私は言った。 ものの、どうやら逃がしてしまったらしい : : : 鹿島さんが車ではね笑いを含んだ声で、弥生は応えた。 たのは、逃亡中の彼女だったんじゃないかしら」 「両刀よ。男も女も私に夢中になるのよ」 「多分、そうだろうな。だが、稲垣をゆさぶって、なにか新事実が「そいつは残念だ。話が合うと思ったのに」 出てくるかな ? 」 彼女の腕から逃がれようと身をよじりながら、したり顔で私はう 「出てこないかもしれないわね。でも、その娘は、稲垣にとって勢なずいた。 力回復のための切り札だったのよ。その切り札に逃げられて、動揺「実は、俺はホモなんだ」 しているはずよ : : : うまくいけば、年をとらない人間の正体がなん弥生は咽喉の奥で笑い、身をくねらし、唇を重ねてきた。舌をか らませ、低いうめき声をあげるーー・私の意志とは無関係に、快楽へ であるか、訊きだせるかもしれなくてよ」 「俺たちがパ の渇望で下腹部が熱くなっていた。 ートを組んで、うまくやっていけると思うかね ? 」 「私は、年をとらない人間の正体をみたい。鹿島さんはお友達の実際、弥生のような女にこんな持ちかけられ方をされて耐えきれ る男がいたら、お目にかかりたいものだ。 行方を探している : : : 利害は反していないわ」 「今のところはな。だが、俺は年をとらない人間の秘密を利用し私は耐えきれそうになかった て、社会を自分の思うままに操りたいという君の計画には賛同でき突然、外が騒しくなった。 よい。いずれは対立することになるぜ」 何人かでもみ合っているらしい物音に、激しい怒声が重なって聞 「そうはならないと思うわ」 こえてくる。 弥生がつつつと体を私に寄せてきた。その眸がしっとりと艶を帯私の頭にかろうじて残っていた理性が、弥生の体を押しのけさせ び、ちらちらと燃えていた。 こ。ほとんど突きとばさんばかりに、必死に押しのけたのだ。 だらしのない話だが、私は思わず逃げ腰になっていた。だが、逃からからに乾いた声で、私は言った。 げだせなかった。彼女の腕がするりと私の首に回され、 「なにかトラ・フルらしいぜ」 「あなたは、私の言うままに動くようになるのよ。切ないぐらい、 弥生はゆっくりとしたしぐさで、身づくろいを整えながら、 私を恋い焦がれるようになるんだわ」 「うまく逃げたわね」 しなやかな白い指が、私のうなじを愛撫し始めた。 嘲弄するように言った。その眸に浮かんでいる光は、蛙をとり逃 とんでもない話だ。 がした蛇のそれを思わせた。 耳に感じられる熱い息を懸命に無視しようと努めながら、 私はたて続けに酒をあおった。弥生の手管に危うくよろめきそう 6 「最初に会った時、君はレズに違いないと思ったんだが ? 」 になった自分が、ひどくあさましく思えて、情けなかった。
確認させてくれるものだった。それは、小説の まり・ : ・ : その : ・ : 小惑星の上、銀河系の縁、 なかの見知らぬ世界がとっぜん親しい存在にか ( よ、 A にか 2 、一・てこで 異次元 : : : どこでもい わり、自分の住む退屈な現実がとっ・せん見知ら さまざまなドラマが展開されている。いろん ぬ世界にかわる瞬間の感動を表わす言葉だっ なドラマがさ。だけど、こいつをぐいーと、 こ 0 。ハースペクテイプのオーダーをひと桁あげち まえば、そんなドラマなんざ景色ン中、あっ この、僕がかりに〈新しい認識〉と呼ぶ感動は、 さり呑みこまれちまう : : : 。絵だよ、残るの の専売特許ではない。 はーーー」 ( 『奇想天外』一九七四年五月号 ) 野 たとえば、謎とき推理小説 ( 以下パズラーと呼称 田昌宏「いとしい紙たち」 ・ , れ、 3 、 ( 》ハ料する ) で意外な犯人が指摘された時、前半で見事に 張りめぐらされていた伏線に舌をまきながら、僕は これでやっと、僕にとってのセンス・オヴ・ワ それを感じる。 ンダーは、イメージ " 絵だ、というところまでい 萩尾望都の『ポーの一族』 3 あるいは、梅原猛さんの『隠された十字架』や ったのだが、これで充分ではない。 フラワー・コミックス版 『水底の歌』を読んで、僕の認識していた法隆寺や もう一つあるのである。 たとえば、半村良さんの『石の血脈』でのあのゾ伊藤典夫さんの言葉を引用させていただこう。本柿本人麿にまるで新しい光があてられた時。 クゾクした感じ。巨石信仰や大神伝説など、僕のお誌一九七二年三月号の『エンサイクロべディア・フ古田武彦さんの『「邪馬台国」はなかった』にお いて、三世紀に卑弥呼のいた国は「邪馬臺 ( 台 ) 国」 なじみのものに、まったく新しい意味が与えられたアンタスティカ』である。 だが、センス・オヴ・ワンダーとは何だろう。ではなく、「邪馬壹国であると論証された時。さら 時の衝撃。 ・・ラッセルの『超生命ヴァイトン』。実際的確に表現できる自信はないが、かってのぼくに、『失われた九州王朝』において、あの有名な「日 にとって、それは絵空事でしかない遠い世界が出ずる処の天子 : : : 」という聖徳太子の国書を送っ にあった数々の超自然現象に、一つの仮説を組みこ その背後にある論理の一端を知ったとき、とったのは、奈良の大和王朝に非ずして、倭の五王のし むと。ヒタッとおさまってしまう驚き。 ・せん開けてくるその世界と・ほく自身とをつなぐろしめした九州王朝である、と論理で証明された あるいは、ハインラインの『夏への扉』。前半の 一見無意味な描写が後半で大きな意味をもっている道のことだった。それは日常性からの飛躍であ時。 こういったものが、新しい認識である。 ると同時に、この壮大な時空のなかで一見脈絡 とわかった時の爽快さ。 なくおこるできごとも決して・ほくと無関係ではそれから、これは次の話題とも関係してくるのだ これらを、〈新しい認識〉と呼・ほう。これも ないのだと教え、自分という存在をあらためてが、ウィリアム・フォークナーの「ヨクナノ センス・オヴ・ワンダーの一部であると僕は思う。 0 0 ポーの一族 3 3
は、だれもいない。いったい、その土地はどこにあるのか ? のんだくれてちょっぴり暴れるのと、オーセージ族の若いのがふた 一方、谷のなかでは、すべてが正常だった。谷はまさしく半マイりほど、ときどきグレイ・ホースからやってきてぶつ騒ぐのと、ま ルの幅があり、深さは八十フ ィートたらずで、たいそうなだらかなあそれぐらいのもんだろう」クラレンス・リトルサドルはいっ 斜面にかこまれていた。谷は暖かで香しく、みどりの牧草と穀物が 生い茂っていた。 「まさかあなたはインディアンのふりをして、あたしたちを言いく ニーナと子どもたちは、たちまちこの谷が気にいってしまい、そるめるつもりじゃないでしようね」メアリメイベルが挑戦した。 して、どこの無断居住者が自分たちの土地にこんな家を建てたのだ「いっときますけど、あたしたちは海千山千だから、そんなお芝居 ろうと、そこへ駆けよっていった。それは、家というより、掘っ立にはだまされないわよ」 て小屋に近いしろものだった。それは一度も塗料のお世話になった「なあ、嬢ちゃんよ、あんたがそんなに海千山千なら、この牝牛に ことのない小屋だったが、塗料を使えば、かえって風情がそこなわも、牝牛のふりをするなといってやったらどうだい ? こいつは自 れそうに思えた。小屋は、手斧と引き削り刀で表面をざっとならし分のことを、スイート・ヴァージニアという名の、短角種の牝牛だ た丸太で組まれ、白い粘土ですきまを詰めて、側壁の半分の高さまと思いこんどる。わしも自分のことを、クラレンスという名のポー で芝土で覆ってあった。しかも、その小さな丸太小屋のそばには、 ニー族インディアンだと思いこんどる。もし、それがわしらの思い ひとりの不法侵入者が立っているではないか。 ちがいなら、やんわりと本当のところを打ち明けておくれ」 1 ート・ラ 「よう、よう、・ほくたちの土地でなにしてんだよ ? 」ロ・、 「あなたがインディアンなら、ポネット ( 羽飾りの 0 いたイン ) よどう ディアンの戦闘帽 ート・ジュニアがつめよった。「さあ、もときたところへおとしたのよ ? どこにも羽根なんかつけてないじゃないさ」 なしくひきあげてもらおう力を 、。まくのにらんだところ、おじさんは 「どうしてそういえるんだね ? 物語によると、わしらが羽根をさ 泥棒もやってるな ? あそこに群れてる牛も、盗んできたやつじゃずかったのは、毛深い体の代りに いや、小娘あいてにこんな話 ないのかい ? 」 はできんわい ! もし、あんたが白人の女の子なら、どうしてロン 「いやいや、白黒ぶちの牝牛だけだ」クラレンス・リトル日サドル ルディアの鉄の冠をかぶっておらんのかね ? それをかぶらずに は答えた。「あいつだけはつい手が出たが、残りは正真正銘わしのおいて、いくらあんたが白人の女の子だとか、あんたの先祖は三百 もんさ。わしはもうしばらくここにいて、あんたらがちゃんと住み年前にヨーロッパから渡ってきたとかいったところで、わしが信じ つけるのを見届けてやろうと思う」 ると思うかい ? インディアンにはぜんぶで六百の部族があるが、 「このへんには、おそろしいインディアンが住んでるの ? 」ファッそのうちでポネットをかぶるのはオグララのシュー族だけ、それも ・ランパートがきいた。 頭株だけなのさ。それをかぶれる人間は、一つの時期に、せい・せい 「いや、べつにそんなわけじゃない。三月に一ペんぐらい、わしが二、三人どまりだろう」 4
夏子の育った家はその中にあってまるで廃屋のような様相を呈しなっかしさというより深い悲しみであった。なんと遠くまで来てし ていた。表札は出ているしテレビのアンテナはたっているのだからまったのだろう。二十年の経過を自分のものとして認めることは永 人は住んでいるのだが、門柱は朽ち、屋根瓦は落ちところどころ雨久にできないに違いないと、夏子は感じた。 もりを防ぐトタンがはってある。建物の横腹もめったやたらと板片男は追憶にひたる夏子を道に立たせたままひとり、橋の下へ土手 がうちつけてあって、小住宅全体が崩れ去るのをどうにかくいとめを降りていった。 ているといった感じである。生垣はまばらに粘れおち、かって夏子「どこへ行くの ? 」 男はニッと歯を見せて、姿を消した。小用だろうくらいに夏子は が住んだ子供部屋の南の角には鳩小屋がつくられていた。鳩の姿は 一羽もなく、わずかになごりの羽根が微風に舞っていた。玄関は格思った。・フランコに腰をおろしてかすかにゆすっていると、頭の中 子戸から、薄っぺらな化粧板をつかった扉にかわっている。朴の木が幾分整理されてくる。ここからなら、菩提樹越しに確かに家は見 は根本から切りとられて、すでに無い。切株は腐り果てんとしてい えるのである。見えるといっても左半分は新築ア・ハートのために欠 けてしまうし細部に至ってはまるで絵と現実とは違う。構図は同じ であっても、眼の前の家はトタンばりの・ハラックであり、白い花を あんなに広く感じられた家の前の通りは今見ると幅わずか四メー トルほどの砂利道で、舗装されていないことが幼児期のなごりを残美しく咲かせた朴の木は切り倒されてしまっている。表札に″新 田″と記したのはやはり冗談だろう。男のいう通りすべて想像の産 していて、夏子をわずかにホッとさせた。 道の西側のかって麦畑のあったところは、ところどころ空地は残物だったのだろうか。しだいに熱気を帯びてくる朝の空気を夏子は ゃあたりの家からは出勤するらしい男 しているもののプレハ・フの民間アパートが数多く建ち並び、ラーメ胸いつばい吸った。アパート 女が前かがみに出てゆく。麦畑のさらに西側の国道 >< 号線からは車 ン屋の黄色い看板が顔を通りにつき出していた。 小道を南へ行くとかすかに上り坂になっていて″めがね橋とよの騒音が伝わってきていた。 ばれる小さな橋を渡る。下には日光線の単線がのびているのだ。橋夏子は再びこれから先の休暇のことを思った。何も予定のなかっ た夏休みとしては、まあまあといったところだろう。三日目にこう の畔には公園が残っていた。手入れは昔よりゆきとどき、シーソー やジャングルジムや・フランコができていたが、菩提樹は昔のままでして見知らぬ男と、昔育ったあたりに来て追憶にひたっている。悪 をしったんこの魔力にとりつかれたら抜 あった。 くはない気分だが、追憶ま、、 今昔の感にうたれて夏子は思わず涙ぐんだ。あの頃は父がいて祖け出すことのできない麻薬のような効果を持っている。それもいい 母がいて、妹がいて、近所のややがいた。物質的には決してだろうと夏子は思った。思い出以外に、人が生きていく上で、何が 豊かとはいえなかったけれど、乳色のカオスの中で暮した幼児期の残されるというのだ。 夏子は三十路に足を踏み入れようとしている。三十年という月日 楽しい記憶が次々と襲いかかってきて、夏子はめまいを覚えた。 こ 0
を交換して、また札入れを元さんのポケットにもどす、というめん すらとほこりをかぶっている。 「こいつはこれまで全く知られていない紙幣だぜ」 どうなことをしなければならないじゃないの。そんなこと、するか 「でも、それがどうして元さんの札入れに入っていたの ? 」 しら ? 自分の作ったにせ札をかくすなら、なにもそんなことをし かもめにとっては、その札とすりかわってしまった四枚の千円札 なくともかくす場所はたくさんあるでしよう」 の方がよっぽど問題なのだ。 かもめは、まだ元が、自分にだまって古紙幣を買い求め、有金を 元はかもめには応えず、世界の古紙幣に関する自分の知識を動員はたいてしまったばつの悪さに、そんなことを言っているのではな していた。 いか、と疑っている。 清国とあるからには、これは先ず疑いようもなく、一六三六年か「おれの札入れをすり取って、中に入れておいた、というのは、た ら一九一二年の間の清朝時代の紙幣であろう。だが、このような紙・しかにおれにもちょっと不自然に思えるんだが、どうもこいつはそ 幣が発行されたという記録は全くない。 うとしか考えられないよ」 試作品が流れ出たのたろうか ? しかし、試作品としても、それ「そうかなあ ? 」 が今の東京で十数枚もまとめて手に入るということはほとんど考え 「もし、そうだとすると、やったやつはこの紙幣をとりもどしたさ られない。 に、またおれのポケットをねらうだろう。しばらくようすを見よ う」 偽造だろうか ? 考えられないことではない。古紙幣の中でも、 元はかもめの気もちなどにはかまわず、かもめの背を押してどん とくに値うちのあるものなら、偽造してでも自分のコレクションに 加えたいと思うような超マニアもいるだろう。ましてそれが高価にどん階段を降った。もうそうなっては元にしたがうほかはない。か もめは背を押されるままに足を運んだ。 売買されるものなら、悪心を起すような者もいるかもしれない。 元の心はしだいにそれにかたむいてきた。 「歩こう」 混み合うデパートを出て、横断歩道をわたり、雑踏する街路を・ハ 元はかもめの肩を押して階段を降った。 スの停留場へいそいだ。買物をしたら、久しぶりにレストランで食 「これは偽造だと思う。実際には存在しない古紙幣や切手などをこ っそり印刷して、知識のとぼしいアマチュアに高価で売りつけるよ事をしようと考えていたかもめは、大むくれだった。 うな悪いやつがいると聞いている。この紙幣はたしかに存在してい ないものだ。これを作ったやつは、追われるかなにかして危険を感 じておれの札入れに入れたんだと思う」 店の奥の、元たちが帳場と呼んでいる二畳の畳敷にすえた小机に 「でも、元さん。それには一度、元さんの札入れをすり取って中身向って、元は分厚いパインダーを開いていた。それは古物商組合の 幻 4