顔 - みる会図書館


検索対象: SFマガジン 1974年12月号
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1. SFマガジン 1974年12月号

「訊きたいことなんか一つもないわ」 ぶすりと私は応えた。 その時になるまで気がっかなかったのだが、彼女はどうやら酔っ 8 2 しばらくドアが開かなかった。 ているようだった。 タ・ハコに火をつけて、私は待った。 「稲垣のことにも興味はないわけか」 ドアがようやく開いて、弥生が顔を出した。 「アメリカに行ってしまったのよ : : : あなたたちが埋めたて島に潜 私の顔を見るなり、 入する一。日前に、ね」 「びどい顔ー 「始めから分っていたんだな」 弥生は、拳を口に当てて言った。 「分ってたわ」 「ご挨拶だなーーー」 「分っていながら、俺たちをあの島に送りこんだのか」 私は苦笑した。 「そうよ」 私は大きく息を吸って、 「中に入れてもらえるかな」 「なぜだ ? 」 彼女はしばらく躇躊っていたが、 「どうそ」 自分でもふしぎなくらい、平静な声をだすことができた。 意を決したように、私を招き入れた。 弥生は応えようとしなかった。ソフアの下に置かれてあるグラス 弥生はひどくやつれたように見えた。 を手に取って、透明な液体を咽喉に流しこむ。 私の眼の前にいるのは、嬌慢で、あでやかだったあの弥生ではな私も酔っぱらいたいような気分だった。 く、すさまじいほどの荒廃した美を漂わせている、まったく別の女「峰次郎はどうした ? 帰ってこなかったのか」 性であるように思えたーーもっとも、彼女が危険な女であることに「帰ってこなかったわ : : : あなたと一緒じゃなかったの ? 」 は、なんの変化もないようだったが。 「島で別れたきりだ。無事でいるかどうかも分らない : : : 」 部屋に入った私は、眉をひそめた。 「同情するわ」 テープルの灰皿には吸殻がうず高く積み上げられ、床にはジンの私は席を立って、弥生が横たわっているソフアに歩いていった。 空き瓶が転がっていた。 今、ようやく私がいるのに気がついたというような表情で、弥生は 弥生はソフアまで歩いていき、自堕落に身を投けた。私の存在な首をめぐらして、・私を見上げた。 ぞ忘れてしまったかのような、放心した眼つきだった。 私たちはしばらくお互いの顔を見つめ合っていた。 椅子に腰をおろして、私は言った。 やがて、私が口を切った。 「どうしたんだ ? 何も訊かないのか」 「君はひどい顔だと言ったが、俺がこんな顔になったのは、君のせ

2. SFマガジン 1974年12月号

積み重なっているパイプと、その間隙に置かれてある大小の計器類訓練 ? とに遮られて、ドアらしいものは見つからなかった。 なぜかこの言葉は、私の胸にはひどく坐りが悪いもののように 私はあきらめて、窓に歩き寄り、中を覗きこんた。 思えた。 かなり広い部屋で、床がこちらより何メートルか低くなっている再び窓を覗きこんだ。 なか らしかった。窓が小さくてひどく見づらいのだが、どうやら内部に ( これは違う・・ : : ) は相当数の人間がいるようだった。 と私は頭のなかでつぶやいた。 彼等がなにをやっているのかを確めたくて、私は更に顔を窓に近今、私が眼にしている軍事訓練には、大真面目で戦争ゴッコをし づけた。 ている、というあの自衛隊に共通した雰囲気がまったく感じられな いのだ。 私の吐息で、ガラスが白く曇った。 私は顔を窓から離して、指を伸ばして曇りをぬぐおうとした 確かに訓練には間違いないだろうが、これは、どう見ても戦時下 ガラスは氷のように冷たかった。 の軍事訓練だった。第二次大戦の頃、私はまだろくにロもきけない 向こう側は恐しく寒くなっているらしい。こちら側でもこれだけ幼児だったが、その時期に深く刻みつけられた記憶の一つに、やは 寒いのだから、多分、その部屋の温度は零度を大きく下まわってい り軍事訓練がある。その記憶が、眼前の光景にオーヴァ・ラップし るだろう。 て、どうやら。ヒッタリと合致しそうなのだ。 それがなにを意味するのかは、考える必要もないことだった。窓なんの根拠もない、漠然とした勘だった。 しかし私はほとんど盲目的に、その勘が事実を言い当てている、 を覗けば答えを見い出すことができるはずだ・ : 答えは見い出せなかった。 と確信した。窓の向こうの訓練が、その確信になんらかの肉づけを 窓を曇らせないように、細心の注意を込めて顔を寄せた私の眼にしてはくれないか、と私は考えて再びガラスに顔を寄せた。 映ったのは、自衛隊基地で見るのになんのふしぎもない光景ーー軍ガラスはやはり冷たかった。が、私の後頭部にビタリと当てられ 事訓練なのだった。三十人ほどの自衛隊員が二列横隊に並び、教官たなにか固いものは、その数倍も冷たく思えた。 「覗き見はよくねえな。お里が知れるぜ」 の指導するままに機銃らしきものを組み立てているのだ。 溜息のようなひっそりした声だった。 私は拍子抜けした思いで、窓から顔を離した。 室温の低さを異常と呼べないことはないだろうが、それも訓練の私の全神経が後頭部に集中した。モーターのうなりが増幅された 一つと考えれば納得できる。現に、彼等は防寒具に身を固めているように、私の耳に大きく聞こえてくる 歯を喰いしばりながら、私はゆっくりと首をめぐらした。 のだーー多分、寒冷下における戦闘という状況を設定した上での、 最初に眼に入ってきたのは黒い拳銃だった。続いて、拳銃を握っ 軍事訓練なのだろう。 7

3. SFマガジン 1974年12月号

歩き出しながらも、かもめの頭の中は、今見た二人の男の顔を、記あるだけだった。 憶と照合するのでいつば、だった。 「入れ ! 」 そうだ ! あの顔だ ! 「ねえ。もう一人は誰よ ? 」 元の札入れの中に入っていた古紙幣に描かれていたあの顔だ ! 「うるさい ! 黙って歩け ! 」 かもめの胸は高鳴った。 もう取っく島もなかった。 かもめはふりかえった。また繩尻でびしりとやられるかもしれな いが、この機会を逃すと、いったしかめることができるかわからな おいしげつた木々の間から、煉瓦造りの長い建物があらわれた。 緑青を吹いた銅葺きの長い屋根。その下の廂を支える列柱の歩廊。 「ねえ。今の馬車に乗っていた人、だあれ ? 」 そして馬継ぎの木柵。建物の前には、黒い軍服を着た兵士たちが、 繩は飛んでこなかった。 雑然と列を作ってならんでいた。どうやらこれは兵営か、あるいは 「おまえは、とんでもない山猿だのう。あのお方も知らんのか ! 軍関係の施設らしい ようくお・ほえておけ」 その煉瓦造りの建物のむこう、木々の緑の上に広壮な建築物がそ 制服は見えもしないのに胸を張ったようだ。 びえていた。 「あのお方は、大清国征東都督府を統べられる大都督、李鴻章閣下 かもめの目に、それは一枚の絵となって焼きついた。 じゃ」 それは、あの古紙幣の裏に描かれていた建物に相違なかった。 かもめの背筋を、つめたいものが走った。全身の血流が、どこか あの古紙幣をデザインしたものは、あきらかになんらかの権力の の一点へ向って急に集中しはじめたような気がした。だが、顔と言象徴として、あの建物を描き、さらにその権力を直接、行使する人 葉っきだけは平静をよそおっていた。 物として、あの馬車の上の二人の肖像をその紙幣の表面に掲げたの 「もう一人の人は ? 」 だ。しかも、その肖像の一人は、大都督、李鴻章だという。 「あのお方はの : : : 」 かもめの胸に、ある不安が雲のように湧き上ってきた。それはは 口を開きかけたとき、一行は小さな門の前に到着していた。 げしい焦燥と、えたいの知れぬ危機感となってかもめの体内を灼き そこは通用門らしく、先程の威容などどこにもない。石の門柱はじめた。 と、八文字に開かれた門扉。二人の番兵こそ立っているものの、一 人は小銃を杖に、一人は門の柱に立てかけて、出入りの商人らしい 男と世間話に夢中になっている。 門柱には、ただ、第一通用門と書かれたのみの木札が打ちつけて「入れ ! 」 8 2

4. SFマガジン 1974年12月号

り、ときおり彼女の顔にむかって視線を上げていた。会が終わった「ぼくは、セーヌ教授のもとで、心理学の特別課程を専攻してるん あと、彼はその娘が ( ンドバッグを見つけるのに苦労しているらしですよ。あの人は、超心理学では、たぶんわが国でもいちばん有名 な権威者ですからね」 いのに気づいた。 ノーラはフンと鼻を鳴らした。 自分のまわりを手さぐりしている彼女に、フランクはその腕をつ 「セーヌ教授はキじるしだわ。それにあいにくですけど、今夜の講 ついて話しかけた。 「お嬢さん、失礼ですが、 ( ンド・ ( ッグはあなたのシートの下です演をした頑固じじいは、たまたまわたしの父にあたりますのよー ノーラは青年の前をすりぬけて帰ろうとしたが、フランクは手を よ ノーラは目をばちくりさせた。「でも、いまそこを見たばかりでのばしてその肱をつかんだ。 「その前にハンドバッグの中を見たほうがいい。香水のビンのふた すわ」 がはずれて、ほかの品物がびっしよりですよ」 フランク・タレントは顔を赤らめた。「いや、・ほくのいったのは シートには「おし 、・ハッグの中をかきまわした。 ノーラは立ちどまり 木のシートじゃなくて : : : ( ) 」とロごもりながら、 り」の意味もある いったいどうしてわかったんですか ? 」 「ほんとうだわー 「ちょっと立ってみてもらえば : : : 」 「・ほくはの能力があるらしくて」と、フランクは謙虚に答え こんどは / ーラが顔を赤くする番だった。 いまぼくを使って実験を進めているんです た。「セーヌ教授は、 「あら、どうもありがとう。どうしてこんなところへはいったのか しら。きっと講演に夢中で、背中のほうからすべってきたのに気がよ。あなたのハンド・ ( ッグの中になにが起こっているかが、ほく つかなかったんですわ」につこりして、「とてもおもしろい講演ではよく見えました。これがふつうの視覚でないことはわかります したもの、ちがいます ? 」 ノーラはうつかりうなすきかけて、あわてて首を左右に振った。 「ほくはくだらんと思いました」フランクは語気するどく答えた。 しいえ、わかりません。なにも特別の視覚がなくたって、もれた ノーラははったと目をいからした。「あら、そう ? じや教えて「、 香水の匂いからでも、そういう結論へと飛躍はできますもの。父も いただきたいわ、どこ・が気にいらないかを」 「どこって、あの頑固じじいは、そもそも自分がなにをしゃべって言ってましたわ、ーーセーヌ教授はそんなふうにしてデータを歪める いるかすら、知らないんですよ。それの目方や寸法を測ることがでんだって。父は、なにもかもわたしに説明してくれますの。でも、 こんなこと、もちろん、あなたには興味はありませんわね」 きず、顕微鏡でものそけないからという、ただそれだけの理由で、 「とんでもない。大ありですよ」フランクは答えた。「できたら、 と主張するんですからね」 透視力などは存在しない、 あなたのお父さんの理論のことを、もうすこしお聞かせねがえませ 「じゃ、あなたは存在するとおっしやるの ? 」 んか。コ 1 ヒーでも飲みながら、いかがです ? 」 「もちろんです」フランクはメガネごしに彼女の顔を見上げた。 8

5. SFマガジン 1974年12月号

思ったが、靴の持ち主が鮫のような口をしていたのを想いだし、考「それを説いたのは、おまえで四人めだ」 彼もまた繩がなにに使われるのか知らないのだ、ということに私 え直すことにした。 は自分の車を賭けてもいい。 いずれにしても、拳銃には歯がたたない。 靴が私の肩を軽く蹴った。 「いつまで寝てる気なんだ ? 起きろ」 なんの予備知識も与えられずに、今、私たちが歩いている廊下に なか うめき声を一つあげてから、私は頭をもたげた。他の誰を期待し放りだされたら、誰もがここをどこか大会社のビルの内部である、 ていたわけでもないが、私の脇に立っているのが骸骨だとはっきりと断言するに違いない。窓が一つもないのにいささか奇異な感じを したのには、やはりいくらかがっかりした。 受けるかもしれないが、それも、間接照明の発達した最近のビルで 頭が重く、胃がむかついていた。かなり長い時間コンクリートのはさほど珍しいことではあるまい。見るからに有能そうな制服姿の 床に放りだされていたらしく、身を起こす時、体のあちこちが痛ん女性たちが、小脇にファイルを抱えて、しきりに廊下を行き来して だ。できればもう一眠りしたい気持ちだったが、これ以上骸骨に蹴いるのも、大会社の内部という印象を強め、るのに一〉役かっているー とばされでもしたら、逆上してそれこそなにをするか分らなかっー顔を腫らした男が拳銃をつきつけられて歩いていくのに、誰一人 た。逆上するのは怖くないが、その結果が怖かった。 として関心を払わないような会社があればの話だが。 ふらっく足で、ようやく立ち上がった私の肋骨を、 ここは、埋めたて島の地下なのだ。 「さっさと歩くんだ。ここで年を越すわけにはいかねえ」 骸骨がまた私の肋骨を拳銃でつついた。私が呼び鈴だったら、の べつべルを鳴らし続けねばならなかったろう。 骸骨が拳銃でつついた。 「ここだ」 「分ったよ」 と応えて、私は拳で顔をぬぐった。顔にぬらついていたのは、汗私の眼の前で、自動ドアがスルスルと開いた。 私は骸骨の顔を振り返った。骸骨は銃身を振って、中に入れ、と だけではなかった。 狭いコンクリートの部屋だった。家具はおろか、窓さえなかっ私を促した。 た。ただ、天井からもうすっかりおなじみになったが繩がぶら下が部屋に入った。 最初に私の眼に入ってきたのは、円筒型のガラス容器だった。ド っているだけだった。 拳銃に追いたてられて部屋を出ていく時、私は振り返って骸骨にアと真正面の位置に壁がくりぬかれていて、その中に二つ、ガラス 容器が並んで収められているのだ。直径こそ多少大きいようだが、 訊いた。 「あの繩はなんに使うんだ ? 」 高さはせいぜいが一升瓶ぐらいだった。液体がいつばいに入ってい て、その液体になにか臓器のようなものが漂っている。 骸骨は応えた。 なか

6. SFマガジン 1974年12月号

鼻を鳴らしてミセスクラウスンは背をむけ「始終みんなの心を読んでいますよ超感覚 る を封じこめる能力がないんですから」 「あまり嬉しそうな顔をしないでしよう ? 」だがきさまおっとりと笑うこのくそっ まわりの世界もわからない迷路の奥岩山たれひげメガネにはおれを新鮮な空気太 の下におれを埋めたやつにひとなつつこい陽雨から草から封じこめる能力があるの 顔ができるものかおれは だ遮断壁曲りくねった通路大きな蝶っ 「こんなところに閉じこめられればだれだがいのある自在金属ドアにさえぎられて少 ってぶつきら・ほうになるわ」 女の心からしみでるあざやかな記憶だけで満 「ゲイ ! 」 足しなければならないとは プレイプ アメリカ国 「いいえそんなに暮しにくくもないんです自由の国勇者の祖国 ( 歌の一節 グレイプ 墓場 よミスクラウスン」おっとりした徴笑をう 生きながらの埋葬 かべて飼育係のくそひげメガネが説明してい る囚われのライオンがこの先どれくらい生「何もわるいことをしていないのにこんな きられるか「ごらんのとおり快適な生活をところにとじこめるなんて人権無視だと思う するための設備はすべてととのっていますわ」 ニューヨークに住む人たちがうらやむような反抗的なかわいい顔そして若さだけが生 アパートメントたくさんの本テレビもラみだせるふしぎな現象そとから見た一風変 ジオも地表から通じていますそれからエアった自分ハンク・ハーレルの姿がみるまに輝い コン窓だってごらんのとおり地表の天候のてゆくちがうおれはそんなに聖人らしく 変化にあわせて風景が変ります環境設定はも虐待されてもいないだがああそうい まず完璧といっていいでしようもちろんハうふうに感じるのはなんといいものだろう クラウスン ( 何を代表して来たのか ? ) の ンクにはそれが必要なわけですが」 メガネをかけない習慣とおなじように虚むきだしの心の片隅にうずく不安それと知 栄でつけたびっちりした小さなガードルのなってひげメガネが精神的負担の大きさを説 明する夫人の安堵ゲイの悲しみと寛大な 8 かに震えが走る 「今もわたしの心を読んでいるのかしら ? 」なぐさめ

7. SFマガジン 1974年12月号

いっかないほど、私は野暮な男なのだった。 弥生を責めようという気持は、すでになくなっていた。 ドアのノ・フに手をかけた私に、 私は言った。 「災難だったな : : : 俺にはどうしてやることもできないが、これを「鹿島さんはこれからどうするの ? 」 機会に、年をとらない人間のことなどすつばり忘れて、ごく普通の弥生が説いてきた。 : ・幸福私は振り返らなかった。彼女の顔を見るのが、なぜかつらかっ 女の子の生活を考えるんだね。君はきれいだし、頭もいい : になれないわけがないさ」 「友達の行方を探す : : : あいっからも訊きだしたいことが、幾つか 実際には、幸福になれる人間などほとんどいないのだ。 だが、こんな陳腐な人生相談の回答めいた言葉をかけるのが、私出てきた」 にできるせい・せいのことなのだったーーー人が自分の無力を心底悲し「執念ね」 「どうかなーー君と違って、俺にはどうしても守らなければならな く思うのは、こんな時だ。 いものがないからね」 「普通の女の子の生活 : : : 」 弥生は黙っていた。 そうつぶやいて、弥生の視線はぼんやりと宙を泳いだ。 私はドアを開けた。 彼女に、今更そんな生活が送れるはずがなかった。 「稲垣の奥さんに聞いたんだけどーー」 しかし、私はうなずくしかなかった。 独り言のように、弥生が言った。 「そうだ : : : 普通の女の子の生活さ」 「稲垣は、年をとらない人間は横浜に停泊している船に隠れてい 「だめだわ : : : 遅すぎるわ」 る、って口を滑らせたことがあるそうよ : : : 」 と沈んだ声で言うと、弥生は肩に置かれた私の手に顔をふせた。 私は廊下に踏みだしかけていた足を止めた。だが、やはり振り返 なにかひんやりとしたものを、私は手に感じた。 る気にはなれなかった。それが、弥生の別離の言葉であることは、 私たちがそうしていたのは、それほど長い時間ではなかった。 よく分っていた。 彼女はやがて顔を上げて、 、リこ発「すまない」 私は、明日、。 / 冫 「 : : : もう訓きたいことはないでしよう ? と私は言って、後ろ手にドアを閉めた。 つわ。なんとしてでも、『美しい女』の販売委託権だけは確保しな 廊下を歩いていきながら、弥生はド 1 ベルマンをどうするつもり ければね」 なんだろう、と私は考えた。 あい変わらず沈んだ声だったが、キッパリとした口調だった。 その後、彼女には会っていない。 部屋を出ていってくれ、という意味らしかった。 うなすいて、私は彼女から離れた。気のきいた別離の言葉一つ思 べラドンナ ( 以下次号 ) 2 日

8. SFマガジン 1974年12月号

るんだが、その眼の漠然とした表情のため、妙にちぐはぐな笑顔だの顔に正面から眼を向けず、ーーただドレスだけを見ているのだっ た。ディアブッシュには、彼女が人前で自分自身の顔に見惚れるに った。ディアブッシュは思わず呟き声を物した。 「まあ、いらっしゃいませ、お嬢さん ! 」と女店員はこぼれるよう は自意識が強すぎるのだと思えた。 やっと彼女と女店員は何着かのドレスを選び取った。 な笑顔で愛想よく言った。「そのドレス良くお似あいですこと ! 」 にもかかわらず、やつばりその表情には何かしら曖昧なところがあ「ほんとに有難うございます」と女は息を切らせながら言った。 「お気に召していただいて嬉しいわ」と女店員は暖かな微笑みを浮 ほほえ 女はえく・ほを浮べた。「あら、有難う ! 」そう言って微笑んだ。 べて言う。「どうかまた来てくださいね」だが相変らずその顔には 刑事たちは相変らず彼女を無視していた。ディアブッシュを無視すどこかいぶかしげな、途方に暮れたような表情があった。だがそれ はごくかすかだった。 るのと同様にだ。 すると女は両手を後に組んで顔を赤らめてお辞儀をした。「でも 刑事たちは相変らず監視の眠を光らせていたが、彼らはすべて何 あなた 貴女はここにこんなに沢山、きれいなのを持ってるじゃありませんかほかのことに気をとられている様子だった、ーーー絨毯のヘりがめ の」と彼女は内気そうに小声で言うのだ。 くれ上っていることとか、天井から下って回転している扇風機だと 「あら、気がっきませんで。この中にお望みのものがございますのかーー - 、そういっ . たことが彼らの注意を惹き続けていたのだった。 ね ? 」と女店員はそのことにもっと早く気づかなかったことを深く「また来ますわ」と女は言った。「ほんと、約束するわよ」・ドレス 悔いているといった風情を示した。しかしディアブッシュは女店員をかかえて帰り始めた。「さようなら ! 」 の眼の中に、どこかいぶかしげな表情があるのを見てとった。不正「さようなら」と女店員。彼女は曖昧ではあったが、愛情のこもっ なことがおこなわれているのを知ってはいるのだが、それがもう一た微笑みを浮べて、自分の売り場へ漠然とした足どりでもどった。 っ呑み込めないといった曖昧な表情が。 彼女は自分のスカートに眼を落すと、綿屑を荒々しくつまみ取り始 「あら ! いただけるの ? 」とサマードレスを着た女は叫んで両手めた。 サマードレスを着た女は、道草を食い食い、ゆっくりと扉ロのほ をばんと打ち合せた。「本当に美しいドレス ! 」 うへ歩いて行った。時折り、あちこちの売場の前で立ち止っては商 「もちろん、差し上げますわ」と女店員はやさしさをこめて言う。 「さあ、こちらへどうそーーーここにはそれこそ、うんと素敵なのが 品を眺め渡した。一度、彼女は通行中の客が漠然としたおももちで ありますわ。どれでもお好きなのを取ってください」 彼女に道を譲るのを立ち止って待った。 ディア・フッシュはびつくりして見守っていると、女は棚から次々 ディア・フッシュは彼女の後について歩いた。彼は背後に物音を聞 とドレスを取り上げ、一つ一つ自分の体の前にかかげては、壁いっき、頸筋が鳥肌立つのを感じた。彼は振り返ってみた。在庫品調べ ばいに張られた大鏡の前に向きなおるのだった。彼女は決して自分係りの連中が婦人服売場に来ており、あの女店員がカウンターにつ

9. SFマガジン 1974年12月号

「あれで、彼はなかなか有能な男なんだよ。現に、君を毀さないよ 横手から、私に声がかカった うに捕えて、気がっきしだい私たちの所へ連れてくる、という役目 7 「二つとも腎臓だよ」 、リトンだった。 を立派に果たしたしゃないか : : : あの顔つきで誤解される。彼にし 柔らかい / てみれば、営業用と、私用の二つの顔がほしいとこだろうがね」 私は声がした方に顔を向けた。 息を呑んだのは、そこに巨大なスクリーンがあったからだ。その声音から際するに、部屋に入った私に声をかけたのは、どうやら 下には、制御卓がしぶい銀色を放っている。隅にあるのは、テレタこの老人らしかった。 イプライターと呼ばれる装置だろうか。始めての部屋に入ると、反長身の、鶴のように痩せた体に、ダークスーツをきちんと着こな 射的に頭のなかで自分の部屋と較べてしまう性癖を持っ私も、今度している。オリープ色のネクタイが、彼の陽に灼けた褐色の肌に、 ばかりは調子がでないようだった。これでは比較しようにも、その実によくマッチしていた。ウェー・フがかった見事な銀髪さえなけれ 規準が見つからない。もう七年越し使っている冷蔵庫を、そろそろ新ば、三十代と言っても通りそうだった。すさまじいほどの知力をう かがわせる眸と、高い鼻、強靱な意志力を示して一文字にむすばれ しいのと取り換える必要があるな、とフッと考えた程度だった : もちろん、私に声をかけたのは、スクリーンでもなければ、テレている唇ーーー私の眼の前にいるのは、正しく男の理想像だった。 タイプでもない。それらの装置の前に、クラシックスタイルのソフ彼に較べれば、その両側に坐っている二人の老人は影のような存 アとテー・フルが配置されていて、三人の老人が腰をおろし、私を見在だった。私から向かって右側の老人は、禿げて太っていて、左側 の老人は、眼鏡をかけて口髭をはやしている。どちらも、大学教授 つめているのだった。 タイプ によくある型だ 首をねじ曲げて、私は部屋の反対側に眼をやった。 反対側の壁にも巨大なパネルがかけられていて、世界地図が映し頬を彼等に見せて、 だされていた。私が顔を老人たちに戻した時、・溜息のような音をた「これでも、毀さないように捕えた、と言えるのかね ? 」 私は皮肉な口調で言った。 てて自動ドアが閉まった。 「三日もすれば、腫れはひく : ・ : ・もっとも、我々との話し合いがお 骸骨の姿が消えていた。 互いの納得がいくような結果にならなければ、それも保証できない 自動ドアに顎をしやくって、 「どうして、あんなサディストを使っているんだ ? 」 私は訊いた。返答しだいではこのままでは済まさん、というよう「脅迫するのか」 な気持ちだった。拳銃をつきつけられてさえいなかったら、これで「弱みがある人間なら、他人を脅迫する必要もあるだろう・ : こわも が、我々にはなんの弱みもない。ただ事実を言ってるだけだ」 私はけっこう強持てがする男なのだ。 まん中に坐っている老人が応えた。 コンソール

10. SFマガジン 1974年12月号

ている手と腕 : : : 長い長い努力の後に、ようやく私は一人の男と真私は応えなかった。なぜ神谷がここに、という疑問と、これで俺 もお終いだ、という思いが頭を交叉して、私は呆然と立ちすくんで 6 正面から向かい合うことができた。 骸骨のような顔の男だった。生気のない痩せた顔に、落ち窪んだ 眼が光っている。鮫という魚のように、歯ばかりがずらりと並んだ骸骨は神谷を振り返って言った。 口を、ニャニヤとゆるませていた。民間人らしく、黄色いストライ「この旦那、よっ。ほどショックだったらしいぜ。神谷さん。ろくに ロもきけねえ」 プが入った背広を着こなしている。 双眼の銃口が首をうなだれた。ほとんど反射的に、私の腕が拳銃 夢に見たらうなされそうな男だ。そんな男が拳銃をつきつけて、 を下から横なぐりに叩きあげていた。が「骸骨は拳銃を離そうとし 死人のような声でなおも私に話しかけてくるのだ。 い年をして、覗き見をするなんなかった。よろめくことさえしなかったのだ。彼はステップ・ハック 「恥かしいとは思わないかね ? して、耳ざわりな笑い声をあげた。サッと横にはらわれた拳銃が、 てよ : : : 」 あんたも自分の顔を恥かしいとは思わないか、と訓いてやりたか私の頬をしたたかに殴りつけた。私の体は壁まですっとんで、・ハウ ンドして床にたたきつけられた。遠くなっていこうとする意識をな ったが、危ういところで私はその言葉を呑み込んだ。拳銃は冗談ご んとか引きずり戻そうと、私は必死に首を振り続けた。その首を、 とではない。 ツートン・カラー 「すいません : : : つい迷いこんじゃって、別にどうこうって気はな二彩色の靴が蹴りつけてきた。三回までは数えていたが、四回め かったんで。どうか見逃してやって下さいな」 に後頭部を蹴りつけられて、私の意識は急速に薄れていった。 私の声は卑屈に震えていた。別に演技だったわけではない。心の金臭いものがロ内に溢れてきたのを覚えている。血は、悔恨の味 がした 底から解放されたかったのだ。 「見逃がすわけにはいかねえな : : : 」 第三章謀略 「そこをなんとか」 と頭を下げかけて、私はギクリと体を強張らせた。暗がりになっ ていてよく見えなかったのだが、骸骨の後ろに、もう一人男が立っ ていた。機械に背をもたせかけて、昏い眼つきで床を見つめている気がついて、まず眠に映ったのは、天井からぶら下がっている繩 の切れ端だった。首をつるには短すぎ、無視するには長すぎた。私 その男はーー・東都新聞の神谷だった。 は・ほんやりとした眼で繩を見ていたが、やがて再び気を失った。 骸骨は私の視線に気がついて、 二度めに眼を開けた時、私の視界には靴が大写しになっていた。 「どうした ? 芝居を続けないのか」 ツートン・カラー 見覚えのある二彩色の靴だった。その靴に噛みついてやろうかと ニャニヤと乱杭歯をなきだした。