キタはあのとき、スタッフの一人にシャナをも要求した。かの女「リュウ ! 」 の才能がキタにとっては心底、必要だったのだ。だが、その結果が それまでかの女を支えていた何かが音をたてて崩壊してゆくのが キタはかの女の心や体まで占めることになった。ミセス・キタとな感じられた。かの女のうるんだ大きな目は、私の体を透明なものの ったシャナは、才能を花さかせ、キタの名前が出るところにはつねように見透して私の背後の空間を見つめていた。そのひとみは過ぎ にかの女の名前もならんでいた。 去った歳月とともに消えたものをむなしく求めてはげしくさまよっ それからの長い歳月は、どうやら私の上だけに流れていったよう かの女は私に向って一歩、踏み出し、それからゆっくりと床に崩 「ごめんなさい。、なんだか「、私、あなたの機嫌をそこねるようなこれおちた。かの女の頭が床に落ちるまでに私はかの女を抱き止め、 とばかり言っているみた小わかってくださる ? 私、とても平静 . 壁ぎわのソフアへ運んだ。 じゃいられないのよ」 私が人を呼・ほうとして立ち上ろうとすると、かの女は私の上体に それは私だって同じことだ。しかし私の心のひだには、すでに乾両うでをからめてきた。 かの女の体は、むかしとは別人のように変っていた。豊かな性の いた軽い砂が厚く積っていた。それはふだんは私自身、少しも感じ てはいないのだが、こうして地球から来た人々や、その地球でのむ堆積が体のすみずみまで浸透し、自ら招く喜悦の深さにかの女はと かしのできごとを想い出すとき、とても耐えられない重さになってめどなく溺れた。むかしはひたすらにとりすがり、しがみついてく るだけだったのに。 私をよろめかせた。 私はすべての力を喪い、。かの女の体から離れた。かの女は豊かな 「今、何を書いていらっしやるの ? 」 シャナは私にとりすがるようにして私の顔をのそきこんだ。そん白い肌を惜しげもなくさらしてもの憂げに私の手をとり、私をソフ アに引きもどした。私とかの女とは無意味なささやきを交した。か なしぐさにも私の胸ははなはだ痛んだ。 の女の汗に濡れた裸の肩に、ほどけた長い髪がまつわりついてい 「何も書いていないよ。毎日、砂漠をながめて暮しているだけだ」 ほんとうだった。それをどうとったのか、 シャナなひとみが傷また。私はむかし、そうしたように一本一本、指でつまんでなでつけ てやった。そうしているとむかしと少しも変らなかった。やがてか しそうに翳った。 の女は脱ぎ棄 . てたものをまた身につけはじめた。上等な下着類が豊 「会議に出なくてはいけないんだろ。そろそろ失礼する」 かな肉体をしだいにおおってゆくのを見ているうちに、私はそれを 私は立去る汐時だと思った。 私がかの女に背を向けてドアの方へ足を踏み出したとき、とっぜふたたび引剥がしたい欲望が猛然とわき上 0 てきた。そのときかの ん、シャナは私の体をすりぬけて前〈走った。ドアの前に立ちふさ女がふり向いた 3 そのフややかな笑いに私は胸を衝かれた。 「あなた。東キャナル文書ってごそんじでしよう」 がり、すばやく後手でドアをロックした。
る。福田室長は〈内情〉の女工作員といった。この女が青鹿である美人だから、あなたのお気に召すとは思うけれど」 はずはない。 「ああ、気に入ったさ」 青鹿晶子が最初から〈内情〉所属の女だったのかと一瞬勘違いし 西城は陰気にいった。福田の魂胆がよくわからない。しかし、底 たのだ。 意がなければ、青鹿に酷似した体形の女を選び、整形手術で青鹿の 「入ってよろしいかしら ? 」 顔のコ。ヒーをつくるような手間はかけまい。 青鹿の顔をした若い女は、何気なさそうにいった。西城は忌々し「それを、よそへ向けていただけないかしら ? 拳銃をつきつけら さを感じながらうなずいた。つまらぬ混乱を起した自分に対してれていると落着かないわ」 だ。女がもし職業的な殺人者だったら、西城の隙に乗じることがで 青鹿の顔をした女は徴笑をつくりながらいった。西城の酷薄な表 きたろう。致命的な失態ともなりかねなかった。。フロにはあるまじ情にやや戸惑っていた。 きことだ。 「ハンドバッグとコートをこっちにほうれ」 、女はドアを閉めて、その場に立っていた。西城の手の巨大な拳銃西城は銃口を徴動もさせずに命じた。 が狙いをはずさないからだ。 「ええ : : : でも、どうして : 西城のガラスの無機質な光を宿した目が、女の全身を這いまわっ 「いわれた通りにしろ」 た。たしかに美しい女だった。西城は、麻薬中毒で魂を抜きとられ西城は容赦なくいった。女は左腕に抱えていたレザーコートと ( た青鹿晶子しか知らないが、この女には青鹿にはない、活きいきしンド・ ( ッグをテー・フルにほうった。西城は巧みに片手で受けとめ、 た精気がみなぎっていた。よく光る黒い瞳も、抜け目のなさを感じ ハンド・ハッグの中味をテー・フルにぶちまけた。化粧道具や財布など させる。落着きはらった表情、滑らかな身のこなし、たしかに青鹿普通の女の所持品とい「しょに薄べ 0 たい小型の自動拳銃が転げだ とは別人だ。 「あなたのご存知の方と、あたしそんなに似ているかしら ? 」 西城は鼻を鳴らし、口径のオートマチックが全弾装填されてい 艶のある声だった。女の武器の有効な扱い方をよく心得ている。 ることを確かめた。青鹿より物騒な女であることはたしかだ。拳銃 〈マタハリ〉にちがいない。 の扱い方もよく心得ているのだろう。 「なにも驚くほどのことはねえ。二日もあれば、整形で顔は変えら コートからは、特に西城の気の惹くようなものは発見されなかっ れる」 た。西城は化粧道具をいじりはじめた。 と、西城はいった。 「ル】ジュには一本、催涙ガスのス。フレーがまざってるわ。コンパ 「そうね : : : あなたと同じことね。だけど、あたしにはオリジナル クトは、無線機が仕込んであるわ」 ひと があって、あたしはその女のコ。ヒーにさせられたんだけど。相当な「ほかにもあるんだろうが、まあいい」 8 6
が、過去の酷烈な生き方が、西城に弛緩を許さないのだった。 「室長の腹の裡を考えてみてもむだなのよ。そんなことより : : : 」 女は小さな椅子にすわり、コニャックをふたつのチューリップ 恵子は空いている右手を伸ばし、仰臥した西城の胸にゃんわりと 7 グラスに注いでいた。どう見ても青鹿品子だった。ほっそりした長手を這わせはじめた。 い首の線に痛々しいような美しさを感じて、西城はロの中が乾い 「あなた、青鹿晶子が好きだったんじゃないの ? 」 「おれは、女に惚れたことなんかねえよ。女はただ抱くだけだ。た やや粗々しくべッドに歩み寄り、二丁の拳銃を枕の下に突っこだそれだけだ : : : 」 む。べッドにすわり、女のさしだすグラスを受け取った。指が触れ 西城は愕いたような顔でいった。 あった。胸中に奇妙な疼きをお・ほえて、西城は顔をしかめた。 「裸にして、武器を持っていないかどうか、確かめた上で ? 」 「名前をなんというんだ ? 」 「女に一杯食わされるような間抜けじゃねえ。女に裏切らせもしね 「品子。青鹿品子・ : : ・」 え。情が移るほどひとりの女にかまけていねえのさ」 「やめろ。おまえの本名を尋いてるんだ」 「でも、あたしを見たとき、顔色が変わったわ : : : 」 「沢恵子 : : : な・せそんなに苛々するの ? この顔が気に入らないん女の一言一言に巧妙な檻穽が仕掛けられているようだった。 じゃないの ? 」 「まさかと思ったからだ。そんなことはどうでもいいー 「気に入らないのは、福田というじじいの下心だ。青鹿晶子のスタ 西城は腹部へ這わせて行く女の手首をみ、引き寄せた。 ンド・インを作って、なにをやらかす気なんだ ? 」 「やつばりもう一度、服を脱がなきゃならないのね」 「あたしは室長の命令に従ってるだけよ。室長は、手の内を他人に 恵子は喉で笑った。西城は女の左手のグラスをもぎとって部屋の 知らせないのよ」 隅へほうり投げ、身を入れ換えて女のしなやかな身体の上にのしか 「使い捨ての下級工作員にはな」 西城は邪けんにいい、 コニャックを呑みほした。グラスをサイド 青鹿晶子の顔が間近に西城を見あげていた。西城は頭の芯が灼熱 テープルに置き、べッドに身体を倒す。 する感覚に襲われた。一種倒錯した欲望が激烈に衝きあげてきた。 精巧な人形が突然生命を吹きこまれ、動きだすのを見るような、 「おまえはどの程度知らされているんだ ? 」 鮮烈な驚きが西城を捉えていた。組み敷いた女の身体がくねるのを 「室長が知らせてもいいと思ったことだけ」 感じると、西城は凶暴なほどの欲望に導かれて行為に没入した。縫 「青鹿晶子のことは ? 」 い目のほころびる音を立てて、女の衣服を剥いで行く。西城の欲望 「学校教師をしていた経歴ぐらいは」 恵子はグラスをかかげたまま椅子を立ち、べッドに腰をおろしの激しさに怯えたように女が抗いの動きをしめした。それは巧みな 誘いとなって、一層西城を駆りたてずにはおかなかった。鷲擱みに
西城はルージュを投げだした。 「もう、 「服を脱ぎな」 しし服を着ろ」 「すいぶん気が早いのね。先に一杯いただきたいわ」 西城はようやくマグナム拳銃をひきおろしていった。ロの中にい 女は肩をすぼめて笑った。 ゃな味があった。生人形のような青鹿の肢体の記憶のせいだとわか 「ぐずぐずいうな」 っていた。屍姦を行なったような不快な記憶が甦ったためだ。人殺 西城の目つきは、あくまでも冷酷だった。 しをなんとも思わぬ西城にしては、妙なことだった。気が減入って くる。 女は黙ってファスナーを引き、上衣を脱いだ。ミディのスカート を床に落す。そこで手をとめて西城の顔つきをうかがったが、西城「本当にいし は瞬きもしなかった。女はスリツ。フをとり去って、白い肌をさらし女が意味ありげに念を押すのが、へんに苛立たしかった。 た。・フラジャーはつけていなかった。ひときわ色白の吊鐘型の乳房「お望み通り、・一杯やるさ」 が目を射るようだった。 女はどことなく不機嫌に、衣服を手早く身につけた。西城の反応 「そんなに用心する必要があるの ? あたしは、あなたの味方なのぶりが意外でもあり、腹立たしかったのだろう。 よ。相棒として選ばれて、ここまで来たのよ」 女が服をつけおわると、逆に西城は欲望が目覚めてくるのをお・ほ 女は靴を振り脱ぎ、。ハンティストッキングに手をかけていった。 えた。 「おれには味方なんかいねえさ。頼りにしてるのは自分だけだ。だ「荒れてたようね ? 」 からここまで生き伸びて来たんだ」 床に散乱しているウイスキー瓶の破片に目をとめて、女が尋い と、西城はもの憂げにいった。 「そう。。フロなのね。だれにも心を許さないってわけね」 「片づけましようか ? 」 「特に女にはな」 「どうせ召使が掃除する。べッドルームにコニャックがあるぜ」 女は覚悟をきめたように思いきりよく残りの下着を脱ぎすてた。 西城は、寝室へ入ろうとする女にハンド・ハッグとコートを投げ返 。フロポーションのいい美しい肉体だと西城も認めた。本物の青鹿晶した。マグナム拳銃と護衛からとりあげたモ 1 ゼルを両手に 子と比較している自分に気づき、西城はわずかに唇を歪めた。たしぶらさげて、部屋のドアをロックし、寝室に入った。錠がこっそり かに顔だけでなく身体つきも酷似している。 開けられても聴き落さないように、寝室のドアは閉めないでおく。 「これ以上は脱げないわ。あとはご自身の手でたしかめていただく常に油断を怠らない習性が身にしみこんでしまっている。女を裸に ほかはないわね」 剥いたのもそうだ。 女は挑むように白い裸身をさらし、ロのきき方にも挑発をこめ考えてみれば、い まの西城に女がなにもなしえないのは明らかだ ーい口 9 6
われ殺し屋時分には味わったことのない巨大な昻揚感だった。 西城の声はややしわがれていた。 手早く身体を拭き、服をつけて浴室を出た西城は、、はつ、と棒立ち「忘れたの ? あたしはあなたの相棒じゃないの。お役に立てるわ 7 になった。 いぎたなく眠りこけていたはすの女がべッドに半身を起こしてい 「女の相棒なんか持っ気はねえ : : : なぜおれに拳銃を向けた ? 」 た。両手に巨大なマグナム拳銃を掴んでいた。 「セックスのお相手を務めるだけが能じゃないと証明したのよ。こ 「脱走する気なのね ? 」 れでも、マグナム級の射撃訓練は受けてるわ。狙いをはずさない自 女は疲憊のあとも見せていなかった。 信があったわ」 「そうはさせないわよ。あなたから目を放すなと命令を受けている女は平然といった。 んだからー 「ふざけるな : : : 」 「そのガンは、女には無理だぜ」 「とにかく、あなたは勝手な行動をとれないようになってるのよ。 西城は、おのれの間抜けさを罵りたい気分でいった。さすがに女あたしといっしょでなければ、生きて山荘を出られない 工作員だけあって、並みの女ではなかった。 「賭けてみるか ? 」 西城は、牙のように歯を剥き、せせら笑った。 「撃ってみろ。必ず弾丸ははずれる。肩の骨を折るかもしれねえ・ : : 一発で狙いをはずしたら、生命はねえからな。八つ裂きにしてや「室長は、いつでもあなたを殺せるのよ。粉々になって吹っとぶ わ」 る」 西城は頭髪を逆立てた物凄い形想になった。至近距離でのマグ「なに : ・ ナムのとほうもない威力は知り尽している。身体がまっぷたつにち 西城は笑いを消した。体毛がよだってきた。べッドの女にとびか ぎれるだろう。西城の両眼は緑色の炎を噴いた。 かり、片手で首を損んだ。 女はマグナム拳銃を西城にほうってよこした。ずしりと凶暴な重「そいつはどういう意味だ ? いってみろ、いえ ! 」 みを受けとめた西城は、熱湯のような安堵の汗が全身に流れるのを「あなたはね、・人間爆弾なの。手術の時にプラスチック爆薬を体内 感じた。 に埋めこんだって、室長が : : : 」 声がとぎれ、女がもがきだした。西城の手に恐ろしい力が加わっ 「撃てとは命令されていないわ」 たからだ。みるみる顔が紫色にチアノーゼを呈する。 たしかに撃鉄は起こされていなかった。 「畜生 ! 福田の野郎 : : : 」 「強力な車を用意してあるわ。いつでも出かけられる : : : ただし、 西城は歯ぎしりした。苦悶する女が爪で手を掻きむしっているの あたしも同行するけど」 「どういうことだ ? 」 にも気づかない。 ( 以下次号 ) たま
若者たちのうち二人が、庸を立って、女の両側の吊皮にもたれて めきがぐんぐん拡大してくるのが見えた。駅が近づいてきたのだっ いた。一見、女の連れのように見える雰囲気だった。 た。ゴムタイヤが、ガイドレールを摩擦する耳障りな擦過音が防音 ドアが閉まりかけた。 装置を透して響き、スピードがみるみるゆるんでくる。 つぎの瞬間、彼は、身を翻えして、わずかな隙間から、身体を車 下部は、出入口のドアと、若者たちとの距離を測った。むこうが その気になれば、なんなく彼の退路は遮断されてしまう。ただ、も内へねじこんでいた。 し、駅から乗り込んでくる客が何人かいれば、彼らも気勢をそがれ 戸口に立っていた女が、身体をぶつけられて、金粉を散らした夜 るかもしれないから、その隙に電車から飛びおりることはできるかの化粧の顔をしかめ、下部をにらんで身体をそらした。若者の一人 もしれない : が、驚いたような目で彼を見た。彼はその目を睨み返した。 「何か用か」 希望が湧いてきた。 ひくい、腹話術師の声のような含み声が、耳元に直接ひびいた。 。フラットホームが、電車のかたわらに、光の流れとなって走りこ んできた。下部は最後にちらりと女に目を走らせた。女は相変らず反対側の男がいったのだ。 無の中をさまよっていた。彼はそれが、女の行手に待っている運命「その女をどうする気だ」 を、幾分かで柔らげることを願った。意識を失っているも同然な彼下部も、ひくく答えた。こもったようなモノレールの加速音で、 女にとっては凌辱も、あるいは死さえも耐えやすいだろうと思った二人の会話は、すぐそばにいた一人か二人の乗客にしか聞こえない はずだった。 思うと同時に、彼は素早く立ち上った。モノレールはプラットホ「俺の女をどうしようと、それがお前に何の関係がある」 「その女は、病気だ。病院へ連れて行ってやらなきゃならない」 1 ムに停止しようとしていて、ドアの前には、深夜のわりにはかな りの人数の乗客が寄って来ていた。目の端に捉えた若者たちの姿「よけいなお世話だ」 「ほうってはおけない」 は、まだ全身を座席にあずけただらしない恰好のままだった。 すると、二人の若者が、顔を見合わせて、につこり笑った。それ ドアが開いた。 下部は足早やにドアにむかい、乗り込んでこようとする乗客たちは、はっとするほど純粋な喜びを表わすきれいな笑顔だった。 「おもしろい」 をかきわけるようにして。フラットホームへ下りた。 一人がいった。 誰もついて来なかった。 安堵が、足もとから、むっと胸もとまで、湧いてきた。彼らは下「とめてみな」 もう一人が、くすくす笑いながら、たたみかけた。 部を見逃したのだ。 そばにいた女客と、もう一人の中老の男とが、後しざりした。彼 ふり返ってみた。 235
下部は、つぎの駅が来たら、いきなり大声で奐きたててやろうか風が恐ろしく冷たく乾いている。見上げる空にオリオンと、赤い と思った。そうすれば案外この若僧たちは、あわてふためぎ、彼を火星が見分けられた。 置き去りにして逃げだしてしまうかもしれない。だが、その逆も考みな、黙って歩いた。 えられる。彼のわき腹近くにある鋭いナイフの切先が、一瞬のうち メキシコ・オパールの目のハーフと下部が先に立ち、女を中には に内臓までえぐっているかもしれない。彼はプラットホームに転がさんでほかの二人の若者が後に従っていた。 って、血しぶきをあげ、呻きのたうっている自分自身の無残な姿興奮が収まるにつれて、奇妙な気持が拡がっていった。モノレー を、ありありと見ることができた。途方に暮れてさまよわせた視線ルの中で、離魂病の女を見かけて、よけいな庇いだてをしたため が、若者のすぐうしろにある女の横顔にめぐりあった。女はまだ虚に、それに目をつけていた街の野獣たちに因縁をつけられ、女とも 空を見つめていた。 ども電車から人気のない夜の街へ引っ張り出されたーー・せんぜん、 ( きさまのせいだ。地獄へ行け ! ) そんな気がしないのだ。 胸の中で、思うさま罵ると、それが、そのままの強さで、わが心 「寒くないか ? 」 に撥ね返ってきた。おまえこそ、地獄行だ。 ふと後ろで、そんな声がした。男が女に聞いたのだ。 つぎの駅が、闇のむこうから、またこっちへ向かって近づいてき「、 しいえ、ちっとも」 た。ナイフが、それと正比例して近づく。 女が答えている。甘い声だ。 これは奇妙だ。まるでデートの若者同士という感じじゃないか。 下部は後ろを振り返ってみたい衝動と軽く抗った。男たちの一人が 3 優しく女の肩を抱いているらしかった。女はその腕の下で気持よさ たぶそうに背を丸めている。 何度も通り過ぎてはいるのに、一度も降りたことのない とんでもない勘違いを、やはりしていたのだろうか。彼女は、も ん、こんなハプニングでもなければ、生涯けっして降りることもな ともと彼らの仲間だったのかーー↓てれとも単なるハントの途中だっ かったろう駅だった。 モノレールがあのおそろしく気に障る擦過音とともに行 0 てしまたのか。だとすれば、下部の勘ちがいは、ばからしいというよりは うと、プラットホームに残ったのは三人の若者とれいの女と下部だみじめになる。 「おっさん、あんた、何しとるんや」 けになった。完全自動の駅のウオノニング・プレ 1 トが、オレンジ 風のあい間に、メキシコ・オパールが馴れた関西弁でいった。 色に点減しながら、早く出て行けと促していた。一時を過ぎると、 アナウンスの音声テー。フは回らないのだ。 「サラリー 五人は一塊りになって駅を出た。 マンとも見えへんし、会社の偉いさんともちゃうやろ。 237
「正気にもどったのか ? る。そこへ、身体が空を切って落ちていく 下部は、手を引っこめて、いった。 ( いまごろはとっくに、どこへ行っていたのだろう ? ) 女は、またちらと上目遣いに彼を見た。精一杯の怨嗟をこめた目わからなかった。 附だった。 彼は、あわてて、頭の中を整理してみた。 どこかへ行くためにーーーあるいは帰るために、彼は深夜のモノレ 「気がついたんだな ? ー ールに乗っていたのだった。その中で、この離魂病の女に気づき、 もう一度いったが、女はいっそう身を固くし、頑なに頭を垂れ つづいて、あの不良どもに気づいて、そして た。彼を敵と思いこんでいるようだった。 「何もしない。・ほくも誘拐されてここへ連れてこられたんだ。きみ ( なぜあのとき、おれは、わざわざこの女を救いに、せつかく一度 おりたモノレールにまた飛び乗ってきたのだろう ? ) といっしょに」 それは、およそ彼らしくない反応だった。他人が彼に乗り移った 女はちらと目をあげて見たが、そこにはまだ、彼を信用しはじめ たような気配は毛程にもなかった。しかし、他人を拒絶しようとすとしか思えない、軽はずみなヒロイズムだった。そして、考えてみ るからには、離魂病の症状はなおったか、少なくとも軽くなったとれば、そのあたりから、記憶の断絶がはじまっているようだ ( 本当のおれは、あのとき、あの駅でおりたまま、ぶじに、もとも 見てよかった。 と向かっていた目的地に行ったのではないだろうか。そして、ここ 「おぼえていないのかい、何も ? 」 にいるおれは : : : ) 女は下をむいたままだった。極度に警戒しているのだ。 彼は思わず、薄ら笑いを浮かべて、頭を振った。そんなくだらな ここで ? 」 「何かされたのかい、 、馬鹿げた考え方を、他人ならいざ知らず彼がやっていたこと 女はきっと顔をあげると、敵意に燃える目で彼を睨んだ。 が、気恥かしかったからだった。 「何もされやしないわ。変なこと、いわないで ! 」 だが、行先はどこだったのだ ? 「わかったよ。そういちいち、とがらないでくれ。こっちの神経が 思いだせなかった。 まいっちまう」 彼も、思わず声を荒くしていた。すべては、この女にかかわりあそのとき、とっぜん、ロビーの中に新らしい騒ぎが巻き起 0 た。 「手入れだ ! 」 ったために、起ったことなのだ。この女を、モ / レールの中で見か 「警察だそ ! 」 けさえしなければ、いまごろはとっくに : 「逃がすな ! 」 彼はふいに、ぎよっとして目をみはった。深淵の上に、気がっか ずに足を踏みだしかけたような気がした。絶壁ががあっと口をあけ「全員逮捕する ! 」 そんな叫びが、きれぎれに聞こえてきた。 て足もとから下にひらき、はるか遠い岩根を荒々しい波が噛んでい 246
ライヴ・ショウの横を通るとき、悦楽の表情を浮かべて弓なりに 反った女の顔を、重なりあって脈動するもう一つの肉体の一部ごし 3 によく見たが、それはれいの離魂病の女とは似ても似つかない別人 だった。見まわしたが、さっき・ハビロン衛星の秘密を彼に明かした 咽喉が、焼けつくようにかわいていた。 女もいなかった。 下部は水を探したが、。 とこにもただの水はなかった。 ハンドのステ 1 ジの前を通りすぎると、その裏に小部屋があっ 喝きを、何とかしてとめないと、気が狂いそうな気がした。とう た。そこでは、三人の男が、それそれ一人の女を縛りあげて、白い とう、それまで避けていた緑色の酒に手をだした。一口飲んでみる 肉の中に喰いこむ繩目の巧緻さを誇りあっていたが、無残に縛りあ と、それほど悪くはなかった。うすいスコッチ・ソーダのように、 げられた女たちの顔に浮かぶ苦痛の表情はじつはマスクにすぎず、 さわやかな味さえした。 甘美なエクスタシーを追い求める貪欲な欲望に、赤黒く充血してい 喝きが収まったので、出口の方へむかった。 るのだった。 れいの若者たちか、それとも他の誰かがとめに出るかと思った つぎの小部屋では、逆に、三人の男が五人の女たちに鎖でつなが が、誰一人、彼に注意さえしていなかった。 ドアに手をかけて、 / ・フをまわすと、て 0 きりかか 0 ていると思れ、鞭うたれていた。全裸の肌が、汗にまみれているので、一寸見 にはわからなかったが、蛇のようにうねる鞭に発止と胸を打ち据え った鍵も、かかっていなかった。重いドアが、おそろしくスムーズ られてのけそった顔を見ると、それはあのメキシコ・オパ 1 ルの目 にあいた。夜気が、冷たく頬を撫でた。階段のあたりにも、少しも の ハーフだった。 敵意は感じられなかった。 通りすぎ、つぎの小部屋のドアをあけてのそくと、そこにはべッ 出ようと思えば、いつでも出られるのだ。 しかし、一度出てしまえば、二度と入ることはできないような気ドが一つ置かれていて、その端にパンタロンの女が一人だけ腰かけ ていた。女は戸口から首だけ突きだした彼の顔を見ると、しげしげ がした。彼はそっとドアを閉めた。 と見つめた。それは、あの離魂病の女にちがいなかった。。しかし、 このチャンスに、もっと内部を知っておいて損はないと思った。 何かは知らよ : : オしカこの地下室の内部に、最近起りつつある奇妙な女の方には、彼にぜんぜん見覚えもないらしく、はっきり失望の表 情になって顔を伏せた。誰かを待っているらしかった。そばへ寄っ 現象への手がかりが、必ずあるにちがいないと思った。 て行くと、恐ろしげに身を縮める。手を肩にかけると、ぞくりとふ 彼は出口を離れると、ロビ 1 の中央を通って、奥へ歩きだした。 酒のせいか、騒々しいだけだった音楽が、いまはあまり神経にさわるえる。 らなくなった。そればかりか、いつの間にか、あの勘らない頭痛も「いや : : : 」 去っていた。 かすかに、弱々しげにいっこ。 2
0 0 第 黄色い葉 当 04 0 イラスト / 畑農照雄 だろうか。いやになれなれしい なんということもない日。 あらためて見なおしたが、水商売づとめ その青年は街なかの通りを歩いていた。 むこうから女がやってきて、青年の前でとらしくなかった。清潔感もある。どこで会 った女なのだろう。青年はもどかしく思 まる。彼も立ちどまらざるをえなかった。 、適当な応対のできないことが残念でな 女は言った。 らなかった。 「あら、ひさしぶりねえ」 二十四歳ぐらいだろうか。背のすらりと「そのへんで、お茶でも飲まない。山口さ ん」 した、ちょっとした美人だった。悪くない 気分、と言いたいところだが、青年は表情それを聞いて、やつばりと彼は思った。 を崩そうとしなかった。なぜなら、まった山口は自分の姓でない。・相手の人ちがいだ く記憶にない女性だったからだ。当惑してったようだ。しかし、このまま別れてしま いたくもなかった。急用もなく、彼は時間 いると、またも女が言った。 「あたしよ、春子よー を持てあましていた。 「そうですね」 春子という名の親類や知人はいる。しか と応じ、二人はそばの契茶店に入った。 し、この女はそのどれでもなかった。もし 3 かしたら、一、二回ほど寄ったことのあ静かな音楽の流れる、落ちついた好ましい る、どこかの・ハ 1 にでもっとめている女性ムードの店だった。しかし、人ちがいと知 星新一