た男はその駅員の横をすり抜けて客車に乗り込んだ。私は急いでホなってしまった。 1 ムに駈け上がったので更に疲れており、発車ベルが鳴るとふらふ「あんた誰だね ? どうしておれにつきまとうんだ ? 」 らと近くの扉から客車に入ってデッキで呼吸を整えた。列車は動き 私は相手を以外の何者かと仮想していった。男はようやく私に 始めた。私は男の乗った車輛に向けて客車の通路を歩きながらこれ顔を向けた。 「私は君につきまとってはいない。君が私を追ってきたんだ」 は案外巧妙な逃亡だと思っていた。或いは病院へ運ばれる時に考え ていたのも、こういう偶発的ななりゆきであったのかもしれない。 男はゆっくりといった。その声にも記憶はなかった。もしの声 ただ、私は切符も金も持っていない。 この列車がどこへ向かってい を私が記憶していたとすれば、その声はの声でなかったといい切 るのかはわからないが、ただ乗りをするつもりで検札をさける用意れるだろう。私はただ男の顔を眺め続けていたが、すでに男の顔に だけはしておいた方がよさそうである。車内には数人の乗客しかな対する判断よりも、全く別の何らかの理念と私は闘い続けていた。 、私が歩いていくと雑誌をみつめていた眼を上げる視線を何度かそれは全般的には疲労と似たものであった。男は群衆の中の一員と 受けた。男は三輛目の中央付近の窓側に坐っており、私が車内に入いう点でと共通するものを持っていても、それ以外には全くと っても関心を示さずに窓からタ景を眺めていた。私は男の前の席に関連を持っていないような気がする。そしてその男が、病院で私を 腰を降ろした。最初は話しかけるよりも疲れをおさめることだけに待ち受けていた男と同一人物であると思える根拠もなかった。何も 時間を費し、男と同じように窓に眼を向けた。列車は幾つかの国電かもが更に混乱し、それは結局疲労というものの姿を形成していく 駅を通過しながら高架線を走り続ける。タ陽が雲の群の間に不思議のである。 な光の地図に画き、列車はまるでその地図上のある地点を目ざして「派の者なのか ? 」 いるように思えた。 私は叫一ほうとしたが弱々しい声がもれ出ただけである。そのため 「どこへ行くんだ ? 」 か男は答えようとせずに眼を閉じて眠ろうという意思を表現した。 私がようやく男に向き直っていうと、男は小さく笑った。やはり私が立ち上がると列車の振動に重心をとられ、男のツィ 1 ドの・フレ には似てないようだ。の顔にも男の顔にもはっきりした特徴がザーにすがるように倒れかかり、眠ろうとする男を座席の背にそっ てゆさぶっていた。男は僅かに眼を開いたのち再び閉じた。 あるわけではないが、同時にその両者に共通する記憶も全くない。 なぜこうまでに関する記憶があいまいになったのか自分でも不思「このやろう ! ふざけやがって ! 」 ナ歹車の音の中でそれがどれだけの効果 私はようやく叫んだ。・こがリ 議であったが、記憶というものはそういうものであったような気も する。ともかく記憶は常に私の求めるものを拒否し、私に対する圧を持っていたか自信はない。 「うるさいな ! 静かにしろよ」 迫だけは与え続けるのである。に関して思い出せることは何もな 男はいった。私は両手に力を入れて男を立ち上がらせようとし くなり、の存在したことすら、今では確信を持てるものではなく 283
樹木の下には小さな水色の花をつけた草が一面に繁っていた。草花私がいうと男は不思議なものでも見るように私の全身を眺め廻し た。その瞬間新しい当惑が襲ってきた。その相手が列車の男と異っ は家の庭まで続いており、庭の奥には再び巨大な雑草が伸びてい る。家屋は荒れた平屋で、屋根の一部は軒にたれ下がり、破れた雨ているように思ったのだ。やはり確かな記憶を持っているわけでは なしが、どこか合致しないところがあるようだった。男は笑った。 戸は閉ざされたままだった。戸口の扉の一枚は外に向けて倒れてい て、そこから薄暗い土間がみえている。人の住んでいる気配はない例によっての笑いである。そしてその笑いだけを残してそのも が、一応「ごめんください」と呼びかけながら中を覗いてみた。土歩き去ろうとした。 いいかげんに結着をつけようではないか。おれは 間には冷い空気が溜っていてなぜか甘い香りが伝ってくる。中は暗「待ってくれ。 くてよくみえなかったが、間もなく奥で荷車のようなものに腰を降を殺したことを認めているんだ」 ろしている人影が動いた。その人影はゆっくり立ち上がり私の方に私は男の腕をつかんだが、男は簡単に振り離してもう一度私を見 つめながらいった。 向かって歩いてきた。 「私はだ。生きている」 「やつばりお前がいたな」 私はいった。人影は立ち停まり二つの眼を輝かせて私を見つめ「お前ではない。もう一人のを殺したんだ。派のスパイだ 0 た 」 0 からだ」 男は小さく頷いて歩き始め、鉄道駅とは逆の方向に小道を入って 「何の用だ ? 」 男の低い声は他所他所しく、初対面の相手に話しかけているかのいった。 「おれに復讐しないのか ? お前も派の人間だろう ? それとも ようだった。 「用があるのはお前だろう。お前はおれを復讐するためにここ〈呼別の組織の人間なのか ? 一体お前たちは何者なんだ ? とは一 体どういう人間なんだ ? 」 んだんだ」 男は両手で草をかきわけながら早足で歩き続けた。 「復讐 ? 」 「君は何者だね ? 、、 . 君はどういう人間だね ? 」 「そうさ。確かにおれがを殺した。さあ白状したそ」 男は正面を向いたまま呟くようにいった。 私はいった。男は再び歩き始めて私の前を通り過ぎて庭に立っ こ 0 「おれは学生だ。今は大学文学部自治会執行委員だ。 Z 県の出身 で両親はそこにいる」 「というのは私だが」 「まあ、そういってもいいだろう。お前はの姿をしている。そし「ではと似たようなものだ」 てという人物は偽物だった。だからお前がそのの偽物であって「は偽学生だ」 「君は本物では偽物か ? それでもい も、同じ偽物同士だ」 。それならは学生でな 287
い」男は、黄色い乱抗歯をむき出して笑いかけながら、よれよれのは、どこらへんで飲んでるの ? 」 上衣のポケットをさぐった。「このごろ銀座はお見かぎり ? 」 「このごろは、もつばら小ちんまりした所さ。そちらの方が、性に 「そんな事はない : : : 」彼は不愛想にいう。「しよっ中来てるよ」あって来て : : : 」 男はたれさがったポケットをもそもそとさぐりつづける。 次「というと ? 」 に何を言うかは、わかっている。いつもの事だ。・ : ほら来た。 「まあね ″めるくうる〃とカ 「あ、切らしちゃったな : : : 」男は、乱抗歯をいつばいにひき出し″ イカロスみ て、ひっ、ひっ、というような、卑屈めいた笑い声をたてる。「一 つい話にのせられて、言ってしまってから、しまった、と思う。 本くれませんか ? 」 せつかく変えた河岸を、またこいつに聞き出されてしまった。 彼はだまって、セヴンスターの袋をとり出し、わたしてやる。 「おやまあ ! 」男は、乱杭歯を大げさにむき出して、ふき出すよう ー袋には、二本しかのこっていない。新しい、まだ封を切っていな なしぐさをして見せる。「へん 、 ! ーーーえらく宗旨がかわったもんだ いのが、もう一つポケットの中にある。吸いかけの方が、ほとんどね」 から 空だったのは幸運だった。 「やつばり、アットホームな方がいいよ。ーーー年齢だね。第一、安 「ありがと : : : 」といって男は、平べったくつぶれた袋から煙草をくつくし : : : 」 とし 出してくわえながら、先の方を彼にむかってつき出す。「マッチ、 「年齢はないでしよ。天下のオーさんともあろうお方が : : : 」男は ある ? 」 煙草の煙にわざとらしくむせて見せ、ついでに肩をゆすってくつく そういいながら、さりげなく、男は袋を自分のポケットにいれてっと笑う。「でもさ、″イカロスみたいなちっちゃな所へ行くん しまう。 いつもながらうまいものだ、と、思いながら、彼はラ だったらーーそう、最近あのくらいの・ハーで、面白い所が一軒でき イターの火をさし出す。見えすいているが、その呼吸がいい たんだ。まだ誰もあんまり知らない。ほんとの穴場。路地の奥で、 時、手品師の助手をして、浅草の舞台に出た事がある、という話は、 ″工ス〃っていうの。名前きいただけで、大体わかるでしよ。す 嘘だらけのこの男の身の上話や自慢話の中でも、信じていい事の一 ごく中味の濃いやっ : つかも知れない。 ・ : 」彼は短く 「そっちの方も、このごろとんと興味がなくてね。 「″オリ矛ン″の三人娘の話、知ってる ? すぐちかくの″うさぎ″なった煙草をすててふみにじる。【「ごくおとなしくーーーあまり羽も ってパ 1 に、三人ともひきぬかれそうになってさ : : : 」ふうつ、 のばさずやってるんだ」 とうまそうに煙を吐きながら、男は耳もとでささやくようにいう。 「これから、そちらの方へ御出勤 ? 」男は身をすりよせるようにし 「いやーーこのごろ、あっちの方はとんと御無沙汰だから : : : 」 て、上眼づかいにこちらを見る。「誰かと待ちあわせ ! 」 ? ーーじゃ、このごろ「ああ、そうだ : : : 」彼は、潮時と見て、歩きはじめる。「ちょっ 「へえ、そうなの ? 河岸をかえたってわけ 、、″コメット とし 9
テナの一隅に詰込まれている、と言うべきであろう。乗っていると 今日も火星ロケットが飛ぶ。 いうには、それはあまりにもひどい待遇であった。旅客用のス。ヘー 窓一つない貨物用のスペ 1 ス・シャトルが、船腹いつばいにコン ス・シャトルなら、三 ~ 四人分のシートしか置けない狭いスペ 1 ス テナを積込んで、今しも宇宙空港を飛びたたんとしていた。 に、一五人の男たちは押込まれていた。 操縦席に坐っているのはジョナサンただひとり。副操縦士はいな 。地球と火星の間を往復する惑星間航行は、操縦のほとんどをコ食糧や資材をぎっしりと積込んだコンテナの片隅に、なにかに使 ンビューターがやってくれるので、人間は一人いればそれで充分でう資材を流用して、間に合わせの仕切りを作っただけのスペース は、所どころに不必要で危険な突起がでており、何人かの男の背中 あった。 ジョナサンはゆったりとした座席に身をうずめ、出発前の計器のや脇腹をこづいていた むろん、シートなどがある筈もなかった。一五人の男たちは、堅 チェックを行なった。そして、その間に、積込まれたコンテナの一 つに、一五人の男たちが遠慮がちに小さくなって乗っていることをい床の上に直接座っており、身動きできぬほどぎゅうぎゅうに詰込 思い、ゆったりとしたキャビンにくつろげる自分と比較して、なんまれていた。そして、彼らはこのままの状態で、発進時の大きな に耐えなければならなかった。 だか悪いような気がすることを、どうすることもできなかった。 まさに奴隷の待遇であった。だがそれも道理。この一五人の男た コンテナに乗っている一五人の男たち。正確に言うならば、コン , ・ゾツ " 第、を ・を・をンイレッ、ドみ 第・をえ ,
る者だけの反応のスビードだ。 長身の男は、だらりと無造作に両手を身体の脇に垂らしていた。 が、護衛は・ヘルトのサックから拳銃を抜くこともできなかった。拳の関節にタコはなく、大きな手は女のように滑らかだ。 背もたれに上体を倒していた長椅子の男は、魔法のようにテー・フ獰猛な呼気を鋭く吐き、護衛が襲いかかった。右の突きを出すと ルのマグナム拳銃を右手に握っていたからだ。時間の継起が狂った見せて、蹴りを放ち、間髪を入れず左の貫手を繰りだす上中下の三 としか思えなかった。動作があまりにも迅速なために、目で捉える段攻撃だ。目まぐるしい攻撃をすり抜けて体勢を入れ換えた男は、 ことができないのだ。 暴力を楽しんでいる薄笑いを顔にへばりつかせていた。 男は前屈みになり、巨大な拳銃の銃口を、化石した護衛の心臓部烈しい気合をつんざかせて、護衛の若者はしなやかな体躯をはね に向け、冷酷な薄笑いを口許から立ち登らせた。 あげ、鮮やかに跳躍した。左脚で腹を蹴りに行き、折りたたんだ右 「どうした、若造。続きをやってみな」 脚が顔面を狙って繰りだされて行く。みごとな二段蹴りだ。 歯を剥きだし、鮫のような口をして笑う。頑丈そうな大きい犬歯 が、男は若者よりも迅く、そして高く跳躍していた。まるくなっ が牙のように覗いた。 た身体が天井近くまで飛びあがったのだ。鞭のように伸びた脚が、 「拳銃をゆっくりと抜いて、床に落せ。こっちに蹴飛ばすんだ。さ空中に飛んでいる若者の身体を蹴りつけ、叩き落した。筋骨の砕け あ、やんなよ」 ひしやげる無気味な音に次いで、若者は床に激しく叩きつけられて いた。人間業ではなかった。 若い護衛は屈辱に顔をひきつらせて、命令に従った。男は左手を 伸ばし、絨毯の上を滑ってきたモ 1 ゼル O を拾いあげた。 若者は立ちあがる努力も見せなかった。あっけなく悶絶してい 「アマチュアだ」 た。鼻孔と口から鮮血が噴き出してくる。 「医者の用をつくってやったぜ」 男は小馬鹿にする口調だった。 「次は素手で、名誉挽回と行くか ? こんなにあっさり武装解除さ床におり立った男は呼吸も乱さずにうそぶいた。シャープに整っ れちまったら、このおっさんにクビをいい渡されるぜ」 た顔には、いまだに薄笑いが残っていた。暴力への渇望がおさまら 右手のマグナム拳銃とひとまとめにして、モーゼル O を長椅ずに疼いているのだった。 子に置き、立ちあがった。ひょいとテー・フルを跳び越えて護衛の前 「おれをかまってるどころじゃなかろう。早く手当しないと、くた に仁王立ちになる。 ばっちまう・せ」 若造の護衛はやりたかった。空手の構えは本格的だった。拳の関男はのんびりと部屋の隅の大型冷蔵庫へ歩き、扉を開けてコーラ 節は、巻きワラを突いて鍛えたタコが異常に隆起している。実戦空の瓶をとりだした。無造作に金属の蓋を指先でむしりとり、ラッパ 手の殺気に満ちていた。眼光は火を噴くように猛々しい。猫足立ち呑みする。 でじりじりすり寄ってくる。 ″青銅仏は、顔中の皮膚に栗を生じさせて、絨毯に投げ捨てられ・
一人で歩ける状態を知って汚れた靴に足を入れた。会計係に学生証姿におびえる必要など全くないはずだ。は私が殺してしまったの を預けて病院を出たが解放されたという気持にはなれない。・ とのみだ。また、私が殺人者でないならば、更に殺さなかったの姿を恐 0 ム ち警察に呼び出され、引な取り調べを受けることになるだろう れる必要はない。だがもし私がそのどちらでもないならば・ーー・そん が、今度は出頭を拒否することもできないだろう。相手は逮捕状もなことがありえるとは思ってもみなかったのだが、確かに私は殺人 用意できるはずである。そして、取り調べ中にのことを自供しな者でありながら殺人者ではなく、そのいずれの概念からも拒絶され いで済ませる自信も私にはない。 続けているのである。私はを殺したのに、殺されたが存在しな 病院の前には数台の車が停っていたが、その端に救急車があり、 いという過去の矛盾を埋め合わせるように、今の幻影が私の意識 救急車の後部にもたれかかって背の高い男が待ってした。刑 、 - 事でもに存在し、それが街中や学校の様々な場所に断片的な実体を形成し 仲間でもなかった。ツィードの・フレザーを着て黒いズボンをはいて始めているように思える。は雑踏の中の一員にすぎない。そして いて長髪を肩に落していたがでもなかった。ではないとはっき同時に雑踏という全存在をシイホライズするものでもある。私もま りいい切れるほどに関する記憶に自信があるわけではないが、少たそこに属することで私自身は永久に私の中のという矛盾を認識 くともその時にはすぐにの顔とは思えなかった。ところがその男し続けなければならない。おそらく私の疲労感はそうした外側と内 は丁度が私に会った時に示すようなとぼけた笑顔をみせたのだ。 側から切り裂こうとする重圧によるものだろう。 或いはその時に私もまた笑い返すべきであったのかもしれない。だ 私は・ハスで駅に出ていた。駅の地下改札ロの雑踏にまぎれ込むと が私は疲れており、それが派の連中の嫌がらせならさけて通りた 周囲のや私自身が更にとらえ難い錯綜を生む。私はそれら群衆の いと思 0 た。私のそういう気持を読みと 0 たように、男はすぐに笑不在を確認しようとしてそれらの質量の全てを自分の意識世界にか 顔を閉ざして鋭く私をにらみつけながら近付いてくる。私は何らか かえ上げようとするのだ。そして群衆の全存在を背負い込んだ時、 の反応の必要に迫られていっか立ち停っていた。男もまた立ち停未だ残っていた一人の男が通路で私を待ち続けていた。は私を見 り、しばらくその状況に耐え合ったが、何を思ったのか相手は急に失ってはいなかった。ホームに昇る階段の角で壁にもたれて手持無 振り返って道路に向けて歩き始めたのだ。私がそのまま立ちすくん沙汰に乞 ( コを吹かせている。私を発見すると例の笑顔を作り、今 でいると、病院の通用門から数人の白衣の男が出てきて大声で笑い度は私の反応を確かめることもなくタ・ハコを捨てると、靴で踏み消 ながら救急車に乗り込み、サイレンを鳴らして出ていった。男はそして階段を昇っていった。私はその男を追っていた。男は私が追っ のサイレンにも振り返らずに歩道を去っていき、やがてビルの影にていることに全面的な自信を持っているかのように、振り返ろうと みえなくなってしまった。そしてその瞬間、私は急にその男がでせず階段を昇り切ってホームに出ていく。 そこは長距離列車の発着 あったのではないかという疑問を抱き始めていた。 ホ , ームで、殆んど人影もなく置き忘れられたように列車が停ってい しかし私は殺人者である。つまり私が殺人者であるからにはのた。駅員が一人直立不動の姿勢で列車前方を眺めていたが、に似
た。だが私は疲れており男の身体を持ち上げることはできず、結局さな土盛りがあるだけの駅で、窓から身を乗り出して捜しても駅名 男の首を一心に縛め上げていたのだった。 表示板がなく、ただ裸電球の下った木柱が一本あっただけである。 そこは駅ではなく信号所か何かなのかもしれない。列車も私の乗っ 「のように私を殺すのか ? 男は苦しげな声で極めて冷静にいった。それは私自身の内部で誰ている客車を小さな蒸気機関車が引いているだけの二輛編成で、機 かが喋っているような奇妙な音声を伝え、・ほやけた私という存在の関車はテンダー型ではなく、後向きに客車に継がれて側辺の錆びた 空間をエコーしながら降下していく。いっか音声は列車のレールに水タンクの平らな鉄板をみせている。 響く音によって現実に環元されていた。私は男から手を離して崩れそして黒煙を勢いよく吐き出して、この死減した世界に活動する るように座席に倒れ、急な眠りへの誘惑にとらえられていった。男ただ一つの生物であるかのように列車は動き始めた。地方のローカ はの死を知っている。男は派の人間か、或いは他の何らかのル線では客車一輛だけの列車も珍らしくはないし、駅名表示板のな い駅も時にはある。むしろそうした貧しさがこの風景に対しては不 とかかわりを持っ社会の人間である。私は遂にという存在があっ たことを確認できたのだ。列車の音はこの一瞬の時間をくり返すよ思議な現実感を与えており、全ての存在が希薄になったような虚無 うに続き、私はその音に甘やかされているように眠っていったの世界に私の意識のアイデンティティを感じることができた。私は昨 夜と似た男を一一度もみかけ、その一人を追ってこの列車に乗り込ん だことを思い出した。今ではその二人が同一人物か、二人が本当に 眼覚めた時、私には自分が列車に乗っている理由がどうしてもっに似ていたのか。二人が私に対して何をしようとしていたのか、 かめなかった。最初に経済学部の学部集会での乱闘を思い出し、筋全て確かめることはできない。あの男は私だけを残して列車を降り 道を追っていくと病院を抜け出てきた事実に到達する。そして私はてしまったようだ。それとも私が夢遊病者のようにあの列車を降 自分が今逃亡しているのだと思った。 り、街へ戻ろうとして、間違えてこんなローカル、列車に乗ってしま 旧式の木造客車の乗客は私一人だけで、開かれた窓から朝の冷いったのだろうか ? また、男が眠っている私をこの列車に運び込ん 風が吹き込んでいる。一晩も走り続けているのだから列車はかなり だのかもしれないし、およそそういった現実的つじつまを無視して 遠くへきているはずだ。窓の外には雑草が一面に繁った荒地が続い私はこの列車に乗っているということだけを認めねばならないのか ており、空は宇宙への拡がりを失って灰色に閉ざされたままでどこもしれない。 にも太陽の姿がみえない。雑草の間に粗末な木材で組み立てた小さ私は立ち上がって車内を歩き廻った。客車の前のデッキは機関車 なやぐらがみえた。やぐらは何かの見張り台か、この不毛の地に何の前部と対面しており、鉄板にと書かれた機関車のナイハー。フレ ートがみえた。国鉄の»-äでないことだけは確かである。客車の中 かを建設するための調査台のようである。 には、乗客の形跡すらなく、古びているが座席も窓も清潔に掃除さ 列車はス。ヒードをゆるめ、ゆっくり駅に停車した。線路の横に小 284
している人々の夢をこわすようなことだけはやめてくれ ! それが「きみ ! きみは何か感ちがいしているね。・ほくはきみの名前など ひとことも言ったお・ほえはないね」 宇宙開発といったいどのような関係が : : : 」 「いったいどうしたんです ? 勝手に入って来られては困ります「つまらない言いのがれをするな ! 私の古い友人の一人が、かれ な」 に全面的な協力をあおぐべくエ作中です、と言ったじゃないか ! 」 キタはくちびるをゆがめた。 誰かが合図し、スタジオのすみから作業員がばらばらととび出し 「ことわっておくが、私の古い友人はきみだけじゃないんだよ。現 てきて私をさえぎった。 にここにもたくさん居る」 「出てくださいー 出てください ! 」 キタは呼吸も忘れたように私とキタのやりとりを見つめているか 「カメラはもうストップしているんだろうな ? 」 れの部下やなかまたちを見やった。かれらはいっせいにうなずい 「モニタ 1 ! 確認してくれ ! 」 た。あの部屋でのシャナの言葉が私の胸に爆発ガスのようにふくれ 「警保局員 ! 何をしているんだ ! 」 私は男たちを押しもどし、うでに取りすがった男を引きずって足上 0 たが、私がそれを口にすることはできなか「た。私は敗北をさ とった。 を進めた。 「いいかね。きみ。宇宙開発や惑星調査というものはおとぎ話では 「取消せ ! キタ ! 」 キタを背後にかばうように、学者面の男が緊張でくちびるをふるないのだ。退役ス。〈ース・ンの夢だかなんだか知らんが、これは 情緒の問題ではないのだよ。ある惑星にかって生物が存在していた わせながらかすれ声でさんだ。 かどうかはこれは純然たる科学の問題なのだ。きみに協力してもら 「きさま ! 先生に失礼なことを言うとしようちしないそ ! 出て う必要はない」 ゆけ ! 」 かれの言葉が終らぬうちに、私は警保局員つ手でスタジオから引 私は両手でその男の肩をつかむと投げ棄てた。男は頭から床に落 き出された。 ち、なめらかな床をまるで肩でスケ 1 トでもするかのように遠く滑 0 ていった。空気は一変した。かけつけてきた警保局の男たちは本「教授。《東キャナル文書》をかくし持 0 ているという男を把握し ておく必要がありますな」 気で腰の警棒をぬいた。市政庁の役人がおよび腰でさけんだ。 「何が言いたいことがあるなら聞いてやろうと思ったが、暴力をふ私の背後で性急な声が聞えた。 「連行したまえ」 るうようではだめだ。つまみ出せ ! 」 市政庁の役人が命じていた。廊下に押し出された私の体を突きと 「逮捕しろ ! 逮捕しろ ! 」 周囲から声がとんだ。それに勇気づけられたらしい。キタが胸をばすように、警保局の白いへルメットが走り出ていった。 張った。 私はとっさに左右から羽交いじめにされているうでをふりほどい 377
を起こしていた。 1 新秒前には頭の下に敷かれていた手は、巨大な 〇を超しているだろう。脚が長く、骨格が日本人放れしていた。 顔立ちも彫りが深く端正といえた。なめし皮を直接貼りつけたよ肉厚の回転拳銃を握り、小揺ぎもせず、戸口に狙いを定めていた。 うに贅肉のない顔だ。片腕を頭の下に敷き、無表情に天井を見詰めプロ中のプロの手際だった。 口にくわえたシガレロの煙が目をなぶっても、大きくみひらかれ ている。ワイシャツをまとっただけの部厚い胸がゆっくり上下して た目は瞬きもしない。 その都度、筋肉の束がくつきりと薄い生地に浮きだす。身長から最初に部屋に入った男が、小型の大砲のように巨大な拳銃の銃ロ すると痩せぎすの方だが、肩幅は広く腰が緊まり、実にいい体格でを覗きこむことになった。マグナムの強大な威力をひめたリポル バーだ。凄まじい反動といい重量といい、並みの射手に扱える拳銃 あった。 おとなしく寝そべっていても、血なまぐさいほどの野獣的な精気ではない。それをこの男は、爪楊子のように苦もなく扱っているの を全身から発散させていた。猫科の大型獣がのんびりと怠惰をむさだった。 戸口の男は立ちすくみ、あからさまに厭な顔をした。青銅仏のよ ・ほっている雰囲気が、この男にはっきまとっていた。退屈していた にしろ、危険であることに変りはないのだった。 うにどす黒い皮膚をした初老の人物だ。それが一瞬淡く見えたの 開けっ放しのフランス窓のテラスの向うから絶え間ない渓流の響は、たぶん血の気がひいたのだろう。 きが伝わってきている。残雪の残る季節で、冷気が遠慮なしに室内 ショックをおし隠し、虚勢を張るように傲岸な表情をわざとらし に流れこんでくるが、男は気にかける様子もなかった。 く押しあげた。 無精たらしく空いた片手を伸ばし、テー・フルの上からシガレロの 「やめろ。そんなものを私に向けるな」 パッケージを手探りする。セロファンを破ったシガレロの吸い口を権柄づくな調子で叱りつける。 「気色が悪い : : : そいつは拳銃ではなくて大砲だ。暴発でもさせた ゴムのように弾力に富んだ唇の間に突っ込み、デュポンのライター で点火する。立ち登って行く煙を凝視する窪んだ目の奥で、無表情らどうする ? 怪我どころじやすまんそ。必ず人死にが出る」 な顔とはそぐわぬ炎が明減していた。褐色の虹彩が琥珀のように黄「条件反射というやつでね。身体が勝手に動いちまう」 色つばく変じ、また黒ずむ。その変化が、くつろぎきった姿勢とは 長椅子の男は錆びた声でいった。相手の狼狽ぶりを面白がってい 裏腹に、男の秘める想像を絶した機敏さを物語っていた。 る響きがあった。 人間の目ではなかった。いかなる状況の急変にも抜け目なく備え 「それに暴発なんかさせねえよ。おれは混りけなしのプロだから ね。拳銃をしゃぶって育ったのさ」 ている野生動物のそれであった。 ノックもなしに部屋のドアが開いたとき、男の凄まじい反応の速彼はゆっくり銃口をさげ、巨大なマグナム拳銃をテ 1 ・フルに横た さが証明された。映画フィルムのコマが飛んだように長椅子に上体えた。長い脚を長椅子からおろして座り直す。優美といえるほど滑 6 5
たコーラの蓋を見た。半分ちぎれてめくりかえっている。並みの怪「そうかい。だが、けっこうお役に立ちますぜ。先生がやってる秘 プンヤ 力ではなかった。 密の人体実験を新聞記者に嗅ぎつけられたりしたようなときには 「肋骨が減茶減茶に折れて、内臓に突き刺さっている。すぐに入院ね」 させて、開胸手術をする必要がある」 「なにをいう、私は : : : 」 床の護衛に屈みこんで診ていた医者のひとりがロ早やにいった。 「精神病院ぐるみ爆薬でブッとばして、きれいさつばり証拠を消し 「応急手当だけしておく。救急車を呼びなさい。急がないと危い」てあげます・せ。新聞社でもしし おれは消し屋としては世界最高だ 「そんなに重傷ですか ? 」 からね」 ″青銅仏″が尋いた。 医者はありありと顔色を変えた。身震いすると喉の奥で押し潰さ 「重態だ : : : まるで車にはねられたようだ。空手とは恐ろしいものれたような声を漏らし、荒々しく部屋を出て行った。男の嘲笑が後 ・ : この頑強な青年の肉体が、ただの一撃でこうもひどく破壊を追った。 されるとは : : この目で見なければ信じられなかったところだ」 数名の使用人たちが入って来て、若手の医者の指示の下に、重傷 いかにも社会的地位の高そうな医者は、恐怖と嫌悪のまじった視者を担架に乗せ、静かに運び去った。 線を、長身の男に注いだ。連れの年下の医者が持参した鞄を開き、 「なんという奴だ。恩知らすめが。まったく虎みたいに乱暴な男 応急の処置を加えていた。 「ともかく、これでは話にならん。説得しても無駄だろう。まるで″青銅仏″は吐き捨てるようにいった。 虎のような男だ : : : 狂人用の拘束衣でも着せなければ、とうてい手「警告はしておいたぜ : : : それにちょっとばかし退屈してたんで が出せんよ、君」 な。おれに銃口を向けようとしやがる奴は、ただじゃおいとかねえ 医大の教授風の医者はシニカルにいった。 のさ」 「実験動物みたいに、おれを生体解剖でもしたいだろうが、そうは男はテー・フルにコーラの空瓶を置き、とりあげたシガレロのセロ いかねえよ、先生」 ファン包装をひき破りながらいった。獰猛無類の動から、くつろぎ 男が嘲った。 きった静へとみごとに戻っていた。 「おれの身体には、もう指一本、だれにも触れさせねえ。おれは医「若いが選り抜きのボディガードだ 0 たんだそ。射撃の腕もオリン 者 0 てやつを信用しないんでな。今後おれに手出しする奴は、医者。ヒック級だし、でみっちり研修を積ませたんだ。空手、柔剣 を跳び越して坊主の厄介になるぜ」 道合計十三段だ。それをあっさりぶちこわしよって : ・ : ・大損害だ」 「まったく野獣のような男だな。虎の檻にでも容れておくべきだ。 しんそこ忌々しげだった。 こんな人間とひとっ空の下に住なのは、どうにもそっとしない」 「あれでか ? 笑わせちゃいけねえよ。ほんの仔犬さ。でかい虎に 6