そのとき、ふたりの腕が、それ自体命あるもののように動き、そ やむを得ない。他に道はないんだ。 ミサイルが海藻にからめとられてしまう損失もの掌がたがいを求め合 0 て、ジャンのアームの上で、び「たりと重 「ラルフ、それに、 見込んでおく必要があるそ。ミサイル・ソナーが百。 ( ーセント有効ね合わされた。 にはたらいても、やつらの間をすべてすり抜けられるとは限らな「発射」 。走行距離が予定に達しない場合は、爆発しないようにセットし艦は一瞬身を反らせ、たじろいだかのようだった。それそれが二 メガトンの破壊力をもっ死の使いが、その母胎を蹴って飛び出した てくれ」 のだ。一波 : : : 二波 : : : 三波。鋭い発射音が艦を震わせた。 「ストックの六本すべてを使う : : : 」ラルフが答えた。 「計算結果が出た。安全限界距離は、五キロメートルと見込まれ「爆発まで三分」ラルフが告げた。 その三分はながく、そして短かった。凍りついたような意識の流 る」 「よし、五分後に発射。すべての外装モ = ター機器を収納し、艦内れの底で、たがいの掌のぬくもりだけが、澄んだ鏡の音のように、 その深層にこだましていた。 温度をマキシマムに下げてくれ」 クロノメーターの赤い秒針の歩みに目を吸いつけられたまま、チ 残る心配は放射能だ、とチヒロは思った。艦外殻の放射能防禦ス クリーンは、どのていど艦内への滲透を食い止めてくれるだろう ? ヒロはうねり寄せる不安の怒濤に耐えていた。ー充分な効果を及 スクリーン・・ハネル テレビスクリーンを始め、すべての視覚出力装置群の輝きが消えぼすだけの数のミサイルが、予定海域に到達しうるであろうか ? た。艦は、亀がその四肢と首とを引っこめるように、あらゆる突出「三 : 「ーー、来るそ ! 」チヒロは囁き、ジャンの掌をきつく包みこんだ。 部を収納して、強烈な″敵″の襲来にそなえようとしているのだ。 みるまに、温度計の針も下がりつつあった。数分後に、艦を包む海それは、全くだしぬけにやって来た。ふいに、艦をつらぬいて、 は、熱湯地獄に化すだろう。それにそなえて、チヒロがなしうる唯ズウン ! と、爆発音とも波動ともっかぬ衝撃が走り、とたんに ″ノーチラス″はとん・ほを打った。激流に揉まれる木っ端のような 一の防衛手段である。 かって味わったすべてのローリングを超えて艦はは ラルフの秒読みが、静まり返ったコク。ヒットにこだましていものだった こ 0 げしくのた打ち、フラッシュのように明滅する照明のなかで、絶叫 をしぼり出す形に開かれたジャンの唇をチヒロは認めた。 さけび が、その絶叫は彼の耳には届かなかった。ごうごうと咆える海の すでに、ロ 1 プでシートに体を縛りつけたふたりは、足をふんば 9 り、目ばかり光らせてその宣告を聞いていた。すでに零度近いコク叫奐が、すべての音をかき消してしまっているのだ。体をシートに 2 固定しておいたのは賢明たった。さもなければふたりの体はコクビ ビットに坐りながら、頭は灼けるようだ。 こ 0 こ
ほんの十分ほどなら、仮睡してもいいだろう。ラルフには、十分りと答えた。 後に起すように命じておく。幸に、付近には敵性生物の顕著な気配「が、ヂヒロ、あなたは深く眠りすぎていたのだ。私の責任ではな 2 も見られない。・ シートの背に頭をもたせかけ、目を瞑じるとほとんど同時に、チ 二時間前から、艦は漂流藻の多い海域に入った。私は艦速を カ次第に障害物は ヒロはこの上もない甘美な失墜感覚とともに、昏睡の深みにまっし最徴速にとどめ、障害を迂回しつつ前進した。 : 、 ぐらに墜ちて行った。その眠りは純一だった。真の闇が、すばらし顕著になり、停止さぜるを得なくなった。それ以上の危機回避行動 く柔かい触手でチヒロをねんごろに抱きすくめ、夢もよりつかぬそを起す権限を、私は与えられていない。・ の快美な暗黒のなかを、胎児のようにチヒロは漂っていた。 「そして海藻にからみつかれてしまったと言う訳か」チヒロは呻い その失神にも似た自失の底で、かすかな本能の警報ベルが鳴り響た。 いた。艦が、異常な動揺を示しているーー今や、チヒロと〃ノーチ 再びあの不条理な感覚ーーラルフへの、いわれのない疑惑と畏怖 ラス四世″は、文字通り一心同体の境地に達しており、艦のすべて が甦ろうとしていた。確かに、彼の釈明は筋がとおっている。唯一 の運動べクトルは、チヒロの神経にもろにはね返って来る状態になの問題は、ラルフがじっさいにチヒロを起そうと努力したかどう っていたのだ。 ラルフがサポター か、だ。それを証しだてるものはどこにもない。 のろのろと、糊付けになってしまったかのような瞼をこじあけジュしたと言うこともありうるのだ。 る。テレビ・スクリーンに映る光景が、チヒロの後頭部を蹴り飛ば チヒロはそこで思わず苦笑したーーー俺はどうやら、偏執的な疑心 した。巨大な褐色の帯のようなものが、スクリーンを覆ってうごめ暗鬼にとりつかれているようだそ。な・せ、ラルフがどんなサポター いている。とっさに全神経を研ぎ澄まし、艦の気配をうかがった。 ジュを犯す必要がある ? 故意に艦を窮地に追い込むような動機 異様に静かだ。エンジンが停っているのだ。何ものかに、巨大なが、どこにあると言うのだ ? 指でもてあそばれているかのように、″ ノーチラス〃はぎこちなく ともあれ、脱出のための試行錯誤と、熱い焦燥に充ちた漂流が、 左右に揺れている。まるで酔っているかのようだ。 その時から始まったのだった。 チヒロは反射的にクロ / メーターを見上げ、愕然とした。彼が眠 異変が起きて一時間後に、ジャンが姿を見せた。臉がまだ赤 り込んでから、すでに五時間近い時間が流れていた。 く腫れているが、目にはもう理性のいろが戻っていた。 「ラルフ ! 」ほとんど絶叫に近い声をチヒロは上げていた。 「ごめんなさい、チヒ尺子どもみたいに取り乱して。すっかり迷 「どうしたんだ ! なぜ、俺を起さなかった ? 艦は今どこにいる惑をかけてしまったわ。 でも、もう大丈夫」 んだ ? 」 スクリ 1 ンを見やって、はっと息を呑んだ。 「 : : : 私はそうと努力した。五度、呼びかけた」ラルフはうっそ「何なの、あれは ? 」 のり トツ・フ・スロ あか
て隠されかかっているが、紛れもない一連の文字が読めた。艦名に居住ドームの、巨大なテトラボットにも似た、不細工なシルエッ トを、いつばいに描き始めた。 と、そして艦籍をあらわす文字だ。 ″プラックマ 1 丿ノ 「あの亀裂からなかに入れろーー慎重にな、ラルフ」 —< ・ 0 一七九 チヒロの目を釘付けにしたのは、その・の二文字だ。そその注釈はなくもがなだったろう。同軸ケー・フルを巧妙にさばき テレファクター れは、唯一つの結論にしかチヒロをみちびかない。・ O 。ーーっまながら無人機を進めるラルフの手際には、非の打ちどころもなか 0 たからだ。スクリ 1 ンいつばいに、メインドームの横腹にひらいた り、アトランティック・シティに属すると言うことである。 亀裂の、黒い洞口が迫って来る。次の瞬間、テレファクターは、ふ 「どうしたの ? 」 「あれを見ろーー・あの認識 = ードを。こいつは、アトランティックわりとその内部に入り込んでいた。 ふね 投光器の黄色い光がその内部を浮び上らせた瞬間、思わずチヒロ ・シテイからやって来た艦だそ」 は呟いていた。 ジャンがかすかな嘆声をあげた。チヒロの頭はめまぐるしく回っ た。通常タイ。フの巡視艇では、はるかなアゾレス海台から、大西洋「こいつはひどい これその区画はおそらく研究室だったのだろう。何ものかの牙が、高 のなかばをよぎってここまで辿り着くような真似は出来ない。 はおそらく特別につくられた艦なのだーー特定の目的のために。た張カ鋼の外殻を紙のように切り裂いた瞬間、七気圧の海水がせめぎ とえば、″ ノーチラス。に課せられているもののような。いや、事合いつつなだれ込み、狼藉の限りを尽したのだ。フ 0 アには、さま 実そうだ 0 たのではなかろうか。この艦こそ、太平洋側のアクアポざまな機器やフラス = 、試験管のたぐいが、得体の知れぬ塵の山と なって堆積している。早くも、赤つぼい沈澱物が、いちめんにその リスと連絡をとるべく送り出されたコマンド艇なのではないか。 ーそして、その使命はここ・フロムレイ海台で途絶した。何かが起上を覆「ている。 チヒロは、喉が貼り付くような思いを味わいながら、なかば無意 、艦からすべての機能を奪って、乗員たちの鋼鉄の棺と変えたの 識にひとつの映像を追い求めていた。死者たちの骨ーーしかしどう だ。 やらそれは見当らぬようだ。あるいは機材の堆積の下に埋もれてし いったい何が起ったのだ ? チヒロは目を細めてスクリーンを凝視した。 " ・フラック・マ 1 リまっているのかも知れないが : ン″が死に絶えて久しいことは明らかだった。すでに、無数の小動「ーー奥の区画はどうだ ? 入れそうか ? 」チヒロの問いに応じて、 うろこ テレファクターはぐるりと投光器を振った。部屋の奥に、くろぐろ 物たちが鱗のようにその外殻を覆い始めている。大きく吐息をつ と口を開けたハッチが浮び上った。各区画を閉じる余裕もなかった き、チヒロは言った。 らしい 「よし、ラルフ。テレファクターを進めろ」 スクリーンの映像が動き始めた。カメラは首をもたげ、その視野「よし、あの中へ進めてくれ、ラルフ 205
一瞬、チヒロは艦に何が起ったのかを把握し切れなかったようだ。 ルスを、・ 0 は吸収しているかに思われる : : : 」 まば それは、だしぬけにテレビスクリーンに炸裂した眩ゆい光に、ほと レ 1 ダーもソナーも利かないだと ? チヒロは罵りかけて、スク んど目をつぶされたためもある。同時に妻まじい反動が、チヒロとリーン群に目を走らせ、再び体をこわばらせた。いかなる反応もそ ジャンをシートから跳び出させ、メーター。 ( ネルに鼻面をこすり付こには現われていない。螢光盤はむなしく緑色に輝いているばかり けんばかりにさせた。異常を悟ったラルフが、警告を出す間もあら だ。ラルフが苦しまぎれの嘘を言う訳もなかった。彼が警告を発し ばこそ、停止のための緊急後進をかけたのだ。 なかった理由も頷ける。文字どおり、ラルフには見えなかったの ぶしよう 艦は激しく軋みながら、不承不承のように行き脚をおとした。 チヒロは凝然としてスクリーンをみつめていた。そこに展開する しかし、どうやったら、そんな真似が出来ると言うのだ ? 光景が、たちまち彼の心を奪 0 たのだ。それは、海中にはりめぐら「テレビカメラを振 0 てくれ、ラルフ」 された壮麗なイルミネーションのようだった。艦の前方、約五十メ 映像がゆるやかにパンし、その光りの壁のすべての文句の拡がり 1 トルの海中に立ちはだかっている、星々のきらめきをちりばめたを映し出し出した。ジャンが、チヒロの肱をきつく擱んだ。 " 壁。 巨大な蜘蛛の巣。整然とした、方眼を綾なしているかに見える、光は、目路のつづく限り、ゆるやかに湾曲して連なり、艦の行く手を りの糸。その無数の座標に、ひとつひとつの輝点が輝いている。そさえぎっているかのようである。 れらは固有の光りの消長のリズムをそなえ、その数百かがひとつの罠だーーふいに脈絡もなく、その意識がチヒロに閃いた。プラン ・フロ ' クとな「て、一種の幾何学的なパターンを形成しているかにト・ o 、 1 と、そこから発せられた。ヒンガーそのものが罠だ「た 見える。そしてそのパターン自体が、随時めまぐるしく変化してい に違いない。それは″ノ 1 ーチラス〃を海台におびきよせ、この不可 こ 0 ぎんちゃくあみ 解な光りの網で封じ込めたーー艦はまさに、巾着網にとらえられた 「こいつはいったい何だ。ラルフ、・ とうして早く気付かなかった一匹のマグロ同然となっている。おそらく、あの " プラック・マー リン″も同様の運命を辿り、古代の嵬女サイレンにおびき寄せられ ネガテイイ・ 「 : : : 不明」奇妙に不明瞭なラルフの声が戻って来た。 た船のように、海底に沈められる羽目となったのだろう。 「すべての探知システムはこの存在を検出していない。当該・ 0 ロも瞥見したあの怪物の仲間によって。 は、たった今まで存在していなかったのだ : : : 」 ″敵″ーーっづいて、そのことばが、くつきりとチヒロの意識の前 「馬鹿な」チヒロは歯軋りした。 面に浮び上って来た。これほど手の混んだ罠をしかけられるもの 「それなら今からさぐれ。こいつはどのていど拡がっている ? 」 は、″敵″をおいて他にない。しかし、かれらは、″ ノーチラス〃 0 数秒間を置いて、のろのろと、ラルフは答えた。 のような、特殊任務をおびた艦の存在を予知していたのか。妙に煮 ネガテイプ 2 「不可能。探知システムはすべて不能。すべての電波および音波。 ( え切らぬ今までの態度を一変させて、露骨な敵意をむき出しにして
始めたラルフと、この先折り合って行けるだろうか ? すべてにおその熱および衝撃波に″ノ 1 チラス″が耐えうる、ぎりぎりの近 いて周到な、その頭脳の緻密さと冷徹な意志力にかけてはチヒロをさで爆発させるとして、その方位と距離を出してもらいたい」 ろうらく 言い終って、ラルフの応答を待ちうける瞬間、チヒロの胸ははげ はるかにしのぐコン。ヒュータを、どのようにして籠絡すればいいと しくとどろいていた。ラルフはスムーズに協力してくれるだろう いうのだ ? か ? これは、ラルフの存在なくしては不可能な計画なのだ。 例の特殊ディジタル時計の、残り時間を表わす数列の、右端の数しかし、真実、ラルフが″ / ーチラス″をこのような羽目に追い 字が、かちりと音をたてて跳ね上った。なろん、それは現実の物音込んだのだとしたら、そこから脱出するための作業に力を貸そうと ではない。しかし、焦燥に研がれてこの上もなく鋭くなった二人のはしないだろう。 「ひとっ質問がある」ラルフの乾いた声が言った。 神経は、牝膳が、藪の向うの、葉ずれをも聞き逃さぬように、その 「そのような条件でミサイルを爆発させる場合、艦が耐え得ても、 かすかな動きに反応したのだ。 そしてそれはここ数時間、コクビット・に縛りつけられたまま、二内部の自然生命系ーーーすなわち、あなたがた二人が耐えうるという 保証はない。あなたがたへの安全係数をとらなくてもいいのか ? 」 人が繰り返して来た仕草だった。 今やそれは、二桁の数字でしかない。四十八・ーーすなわち、″ノ 「ーーーそいつは気にするな。″ ノーチラス″が身動きできない以上 1 チラス″の使命のために余された時間は、丸二日分でしかないのは、われわれも死んだと同然なのだ。 ジャングル ! 」っこ 0 をもかく、まわりの密林を切り拓かないことには話にならないー 「どうするの ? チヒロ」刻々と規定の航路から外れてゆく、艦位ーそうだな、ジャン ? 」 座標スクリーン上の″ノーチラス″の輝点をみつめながら、ジャン ジャンの目をとらえて言った。 が呟いた。それは彼への問いというよりも、彼女自身のうつろな囁「たしかに : : : 」彼女は呟いた。 きのようだった。 「その手しかないようね。このがんじがらめの鎖を解き放っために うなじ でも : は、核ミサイルのエネルギーによるほかはない : チヒロは、その長い項をまっすぐに立てた。血走った目に こで、物問いたげな目をチヒロに向ける。チヒロはそこに、奥ぶか は、強い光が宿り始めている。その瞬間、彼は心を決めたのだっ こ 0 い不安のいろを認めた。その目はこう言っているようだった 「ラルフ : ・ : 」冷静な声でコン。ヒューターに呼びかける。 ルフがそのまともさを取り戻したという証拠はどこにもないわ。も 「ひとつ計算をしてみてくれないか。複数の核ミサイルを、垂直おし、艦が自爆しかねないような計算を、故意にしたとしたらどうな よび水平方向に向けて、その爆発エネルギーが艦を球形に囲繞するるの ? ように発射したとする。 チヒロはかすかにかぶりを振り、声にならぬ囁きを彼女に返し 幻 8
ット中を転げ回り、すべての骨を砕かれていたに達いない。 症を惹き起すほどの量ではない。あと四十八時間、体が保てばいい 艦はごっごっと突き上げられ、鼻先をつかまれてゆすぶられ、身のだ。 も世もあらぬように身を揉んだ。妻まじいインパクトのつるべ打ち「他に艦の損傷はないか ? 」 みじん に、自我が微塵に引き裂かれる苦痛をチヒロはおぼえた。 三秒近い空白があった。それだけの時間で、ラルフはすべての電 おどろな海鳴りはゆるやかに去って行き、艦の動揺も次第に子回路を、二度反覆して走査し終えたのだ。 おさまって行った。点減していた照明もおちついたようたった。 「ミサイル発射制御回路に異常。ミサイル・コン。ヒュータへの伝達 びら ジャンが、乱れた金髪の間から、いつばいに見瞠かれた目をのそ回路が途絶している。自己修復は不可能」 チヒロは唇を噛んだ。 かせた。そこに蒼く凝結していた恐怖のいろが、ようやくゆるみ出 そいつは俺にも直せそうもない。つい すのをチヒロは見た。 に″ノーチラス″はすべての矛を抜かれたのか。 「どうやら納まったようだな」ロープをほどきながら呟く。さいわ「熱くなって来たわ」 ふたりとも、これといった怪我はないようだ。 ジャンが言った。その額に汗がきらめいている。チヒロは温度計 「様子を見よう。 ラルフ、テレビカメラを生かしてくれ」 を見上げた。摂氏三五度を突破しようとしている。初めてチヒロ 映像が甦った。視界を覆っていたうごめく褐色の壁は消え失せては、胸にこもるような熱苦しさに気づいた。汗腺がなかば退化しか ギル・マン いた。今だに沸き返っている水を示唆するように、引き千切られた かっている水棲人には、大気のなかでの体温調節は大の苦手なのだ。 その断片が、ゆるやかにうねりながら、スクリーンをよぎって舞い 「よし、早いとこ逃げ出そう。ラルフ、潜るそーーー深度一千メ 1 ト 落ちてゆく。 ルだ。そこなら熱も届くまい」 こいつは、文字どおり " 熱く″なった水だ・ーチヒロは身ぶるい 「了解。潜航する」 よみがえ しながら思った。今ここで艦外に出ることだけは願い下げだ。 ″ノーチラスは機関の響きを高め、蘇ったように身ぶるいした。 そして、おくればせながらよろこびが噴き上って来た。海はきれなっかしく、頼もしい微震動が伝わ 0 て来る・ースクリ = 1 が再び いさつばり掃除されている。賭けは当ったのだ。いや、そいつはま回転を始めたしるしだった。 だ分らない。 すばらしい高揚感がチヒを押し包んだ。ラルフへの不信は既の 「ラルフ、艦内の放射能濃度は ? 」 ように消えていた。あれは、まるでつかのまの悪夢だったようだ。 「約五十マイクロ・キュリー 。線量、二百 ミリ・ラッド。生体への コンピュータは、再びチヒロの分身のごとく立ちはたらいたではな 、、 0 許容量を二十パーセント上回っている」 チヒロは凄味のある微笑を浮べた。なるほど、やはり完璧な勝利 ともあれ、最悪の危機からは脱け出せた。大至急既定航路へ戻ら という訳には行かなか「たらしい。が、まあよかろう。急性放射能ねばならない。余すところ四十八時間しかないが、任務を果たしう 220
ウォータージェットで沈澱物を擾乱させながら、ロポット潜水機「ラルフ、ピンガーはどうしたんだ ? 」 は前進した。うつろな眼窩に似たハッチが迫って来た。ゆるやか「一分前に停止した」落ち着きはらってラルフは答えた。 に、その闇のなかにカメラは呑み込まれた ジャンが小さな悲鳴「消えた ? 一分前に ? 」チヒロは絶句した。頭の芯がめくるめく をあげた。思わずチヒロも頭を引き、シートの背にはげしく後頭部ように熱くなった。まるで何ものかにていよく翻弄されているかの をすりつけていた。スクリーンいつばいを占めているものは、狼のようだ。 それのようなサーベル状の牙がびっしりと植わった、巨大な顎だっ 「チヒロ : ・ : 」そそげ立った頬をジャンが振り向けた。彼女もま えら た。一瞬、そのロの奥で伸縮しているビンク色の鰓がちらりと見え た、ふいに得体の知れない不安にとらえられたかに見えた。 た。しかしそれは、テレファクターの送りえた最後の映像だったよ「ケー・フル収容完了。指示を乞う」ラルフが言った。チヒロは胸の うちで呟いたーーどうやら長居は無用のようだな。″プラック・マ ナイトメア 夢魔めいた上顎ががくりと落ちかかり、スクリーンは暗黒につぶ 1 リン″の謎を出来ればさらに洗ってみたいが、どうも香ばしくな れ、同時に艦は激しく揺れた。テレファクターを呑み込んだ怪物い予感がする。 が、同軸ケーブルをも引きちぎるべく頭を振っているのだ。 「よし、ラルフ、撤退だ。全速でこの海域から離脱する」 「ラルフ ! ケープルを外せ ! 」 がビッチを 艦はものものしく身震いし始めた。二基のスクリュ 1 さいな チヒロの叫びは遅かったようだ。嘘のように、艦を責め苛んでい いつばいに上げたしるしである。艦は、広大な廃墟と、そのなかに たカがかき消えた。強化。フラスチックで幾重にも被覆されたケー・フ立ちこめる謎をあとにして、ゆるやかな弧を描きながら、所定の針 ルコードを、あっさりと怪物は食いちぎってしまったようだった。路に戻って行った。テレビスクリーンには、ふたたび茫々とした青 「 : : : 何だったの、あれは ? 」震えの残っている声でジャンが囁い 一色のパノラマが拡がった。 こ 0 チヒロはちらりとソナースクリーンを見上げた。見慣れたタイタ 「ウッポだ。それも馬鹿巨い奴だ : : : 」チヒロはかすれた声で呟いンのエコーが、はるか前方、レンジぎりぎりの境界で輝いている。 「ずいぶんお先走っているようだな、やつは」 ジャンは肩をすくめた。 「ドームは奴の巣になっていたんだね。要員の生き残っている可能 性はまずない : 「彼はどうやらこのプラントにまつわる匂いが気に入らないらしい まだ、チヒロの頭は痺れたようになっていた。そのおぼろな意識わ。さっきも近づこうとはしなかったし : : : 」 ピンガ の隅で声が叫んだ。 タイタンは利ロだ、とチヒロは思った。やつはとうからうさん臭 いったいあの信号超音波はどうしたと言う い何かを嗅ぎつけていたに違いない。 : 、 カそいつは何だったのだ ? んだ ? 反射的にオシログラフを見上げる。波形は消え失せてい た。ビンガーはすでに途絶えたのか ? それが起るまでに、ものの三分とは走っていなかったろう。 でか 2
従って″敵″の襲来とそれに続く孤立化にもめげず、プラントのた。この数日のあいだにいっそう大きくなった青い目が彼を見下ろ ストレス 海中要員たちが生き永らえうる可能性は極めて少ない。しかし、そしている。うちつづく緊張と慣れぬ閉鎖環境での生活が彼女の頬を いつばいに削いでしまったのだ。 - しかしその憔悴は、よりいっそう のわずかな可能性が、今チヒロたちの前に実現しているのかも知れ ない 彼女を妖精じみた存在に変容させる効果があったかのようである。 すなわち、ラルフがとらえた不可解なビンガー波は、生残りの「艦はたしかに転舵した。十二時間ばかり道草をくってゆくつもり 人々が打ち鳴らしている鐘ーーー救助を乞う信号であると言う可能性なんだ。運がよければ、・ほくらは会えるかも知れない。ぼくらの同 もありうるのだ。 類・ーー人間にね」 「ラルフ、時間の余裕はどのくらいある ? 」 「 : : : 約十二時間」 水はすばらしく澄んでいた。まだ三百メートルも距っているうち そうか、とチヒロは思った。それだけあれば、ちょいと覗いてこ から、・ O ー 1 の外郭が、艦首のテレビアイにぼんやりと姿を現 れるな。 わし始めた。スビーカーに切り換えられている例の。ヒンガー音は、 「ラルフ、進路変更だ。プロムレイ海台上の海台の海中プラントに いっそう強く、鮮明になっていた。発信源が・ O ー 1 の内部に存 ピンガ 向う。信号超音波の発信源を突きとめるんだ」 在していることはもはや明白だった。 「勧告する : : : 」ラルフが言った。 しかし、テレビスクリーンに、ひときわくつきりと海中プラント 「そのような行動パターンは私には指示されていない。進路をこのの全容が浮び上ったその瞬間、チヒロの目は凍りついた。 まま維持するべきと思われる」 それはまさに廃墟だったのだ。手前に見えているのは石油精製所 ぐち 「差し出口と言うことばを知っているかね ? ラルフ」チヒロはマのプロックらしい 少くともかってはだ。しかし今は、ドリリン イクに唇を近づけて唸った。 グ・。フラットフォームの支柱は傾き、いちめんに海底にひらいたキ ノコのような貯油タンクは見るかげもなくへしやげており、パイプ 「ぼくが呼吸をしているうちは、ぼくの指命に従うんだ」 が、その声にわずかな逡巡のひラインもねじれ、折れている。何かとてつもなく兇暴な破壊力が吹 「 : : : 了解」ラルフは答えた、 びきがあったように思えたのは、チヒロの錯覚だったろうか。 き荒れたかのようだ。むろん、かってはこのプラントを精彩あるも のにしていただろう投光器のゆらめきもなければ、ダイ・ハーや潜水 三分後、刻々と減ってゆく水深計のディジタル表示をみつめてい 艦の活動も認められない。魚群のすがたもなく、その機能美を失っ るラルフの背に、ジャンの声が降って来た。 「私の気のせいかしら ? 艦が急に転舵したような気がして、目がた構築物の残骸が、ひっそりと海底の潮流に洗われているだけだっ 覚めたんだけど : : : 」 「君の方向感覚はタイタンなみさ」首をねじ向けてチヒロは答え墓場だ、とチヒロは思った。深さ六十メートルの、広大な金属の こ 0 へだた 203
私には覚えがないのだ」 はゆうにあり、ぶきみな収縮を繰り返している褐色の帯に目を当て チヒロはロをつぐんだ。めくるめく怒りをのりこえて、とらるたび、チヒロはその幻聴に悩まされぬ訳には行かなかったのだ。 え所のない奇妙な恐怖がこみ上げて来たのだ。それは不条理なるも そいつは、艦にいちめんまつわりつき、ミイラを包なあの亜麻布 のヘ理性が感する、あのかすかな酩酊をともなった戦慄だった。ラさながらに、 ″ノーチラス″を封じ込めているのだ。そいつは、変 ルフは、コンビュータを超えたある存在に変容しつつある。まる異を遂げた巨大な海藻であり、艦の周囲に、今びっしりと蝟集して ミス 、わま、うっそうとした海の密林のただなかに、艦は押し で、深く病みつつあるようだ。今ここで、かれの過失を責め立てるいるーーーし。 ことこそ、その病状を悪化させるたすけになるのではないかーーそ込められてしまっているのだ。 の直観的な畏れが、チヒロを沈黙させたのだった。 はるか昔から、そのジャングルの名は畏怖とともに呼ばれていた しかもなお、チヒロには容易に信じられなかった。明らかにラル ″サルガッソー・海″という名で。 フィート・・、ンク フは嘘をついている。数重の論理補正回路をそなえた、ハリスン 北大西洋の旋流の中心域、アンチル湾流とメキシコ湾流にかこま 中尉の言によれば″究極的″なコン。ヒ = ータであるところのラルフれたこの海域は、しかし、海洋生態学の冷徹な目に、正体をさらけ に、論理をもてあそぶ能力があるのだろうか ? 論理コン。ヒ = ータ出されるに及び、そのミステリアスなべ 1 ルをはぎとられた。それ は、ジョン・オズボーンがかってその痛快な冒険譚のなかで描写し にとっては致命的な毒薬にひとしい自家撞着を、切りぬける力をい たような、伝説に充ちた船乗りの墓場・ーー奇怪な食肉海藻がはびこ っそなえたのだろうか ? 得体の知れぬ怪物が出没し、幾多の難破船が朽ちた姿をさらけ チヒロは祈ったー・ーー今や″ノーチラス″はその力強い伴侶を失っり、 た。しかもまだ五千キロに及ぶ道程がひかえている。今こそラル出している。鬼気迫る″神秘のゾーン″ではなかった。 旋流の中心にあるために水の新陳代謝が少なく、また常に太陽熱 フ、お前の明晰な頭脳が必要なのだ。お前の機能が損われた瞬間 にあたためられて表間水温が高いために下からの水の湧昇もなく、 に、われわれの旅も終りを告げねばならない。ねがわくばラルフ、 従ってプランクトンの繁殖も限られている。 俺たちに背を向けないでくれ。 透明度だけはいたずらに六十メートルもある、青く明かるく、そ して荒漠とした水の集積に過ぎなかったのだ。褐藻類の一種、ホン マイナス ダワラだけがこの水を好み、海面に漂流しつつ繁殖し、それが時に コロニー 厖大な集落を作って、帆船時代の船乗りに、″藻の海″の伝説を 艦の、超合金の外殻が、ぎしぎしと軋んでいる。 むろん、それは幻聴だ。深度三千メートル・三百気圧の外圧、、生じせしめたのである。 しかし、皮肉なことにーと、チヒロは思った。この伝説はふた に耐えられる一体構造の外殻が、このていどのことで軋むわけもな 。しかし、テレビスクリーンを縦横に覆っている、幅五十センチたび甦ったのだ。いや、それ以上の世界が出現している。今、″ / モノコック ダーミナル ミステリー サルガッソー・シー 幻 4
間髪を入れず艦の行き脚がドロップし、衰えてゆく機関の唸りを「間に合わないわ。タイタンは窒息しそうになっているのよ ! 」 背景に、ラルフが答えた。 「頑張るように言え。ーー艦を出来るだけ接近させる。やつの注意 「当該生物はダイオウイカ。体長約八十メートルと見積られる : ・ を引きつけられるかどうかやって見る。それまで粘り抜くんだ ! 」 そうだ、とチヒは思 0 た。タイタンには初めからのない戦い ダイオウイカ : : : 深海の魔王 ! チヒロは、タイタンの陥ち入っ だったのだ。ジャンが危惧していたように、かれは自らの潜水能力 た苦境を正確にさとって慄然とした。それらのイカを常食としてい に信を置きすぎて、いささか限度を越えた深みに舞い下りて行った るマッコウクジラでさえも、時には深みにひきずり込まれて溺れるに違いない。その縁者のマッコウクジラのひそみにならって、かれ そうぐう 場合がある。しかもタイタンの遭遇した個体は、八十メートルに及もまた、柔かい頭足類の肉が大好物だった。その癖が、かれの命取 しんく ぶ、まさに伝説のクラ 1 ケンにも等しい怪物なのだ。 りとなりつつある。王国を荒された怒りに、その体を真紅に染めた 「チヒロ ? 何とかして ! 」ジャンが紙のように白くなった顔を振巨大な大王が出現した瞬間、タイタンは自らの生命をさとったこと り向けて叫んだ。 につ、つ 0 「ミサイルを使って ! 」 まだ無益と知りながらも、チヒロの目は、艦首が切り裂いてゆく 「そいつは無理だ : : : 」チヒロは唇を噛んだ。 テレビスクリーンの海中光景と、ぐんぐんはね上ってゆく深度計の 「かれらがからみ合っている限りミサイルは使えない。ジャン、何数字に、交互に吸いつけられずにはいられなかった。深度一千メー とかイカを引き離させろ ! 望みはそれしかないそ。 トル : : : 名も知れぬ深海魚の群れが、その肌をネオンのように光ら ラルフ、濳航してかれらに接近。マグナムミサイルスタン・ハ せて、慌だしく放射状に逃げ散る、風に吹かれる木の葉さながら イせよ ! 」 に。深度千百、千二百 : : : 投光器がむなしく照し出す、冷ややかに ・ミサイルは、核弾頭のそれを別として、″ノーチラス″に搭蒼ざめ切った水が、際限もなく左右に流れ去ってゆく。しかもまだ 載されている最強の兵器だ。その破壊力は、たとえ直撃せずとも、 このあたりは、奈落のほんのとばロでしかないのだ。 周辺直径千メートル以内の生物の組織を、衝撃波でばらばらにして深度千五百 : : : と、そのときチヒロは、わが耳を疑った。艦が一 しまうだろう。 瞬異様に身ぶるいし、同時にかすかな、しかし聞き違えようもない 「了解」 響きをチヒロは聴いたのだ。短いが鋭い、かるく咳き込むような響 ″ノーチラス″は三十度近い俯角で深みへと突っ込んで行った。格き。ミサイルの発射音だ。同時に、テレビスクリーンを、灰色の魚 闘しつつある二頭の巨大な生物を表わすエコーが、みるまにソナー雷形が、幻のようにかすめて過ぎたようだった。 スクリーンの中央に移動してゆく。 反射的にミサイル・コントロール・パネルを見上げる。スタン・ハ 「駄目よ ! 」ジャンが悲鳴を上げた。 イ 0 ・を表わして緑に輝いていた三つの・ミサイル表示ランプ おば えんじゃ 2 日