斉田 - みる会図書館


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1. SFマガジン 1974年7月号

「新聞に出てるでしよう、例の天文台の発表が」 「そりやね、都電の運ちゃんがいけないよ」 こ花を咲かせていた資材「そうだったかな」 斉田がそう言うと、朝のひととき、雜談冫 「これですよー 課の若手社員は、おやという眼つきで鹿爪らしい課長の顔をみた。 新入社員が朝日と毎日と読売をごっそり斉田のデスクに置いた。 「うまくよけないからいけないんだ」 どれにも大同小異の記事がのっている。 とたんに爆笑が起った。 「きのうの午後から世界中の天文台で地球の大気圏へとび込んで来 「ちげえねえや」 不謹慎な発言が笑いの中からとび出していた。斉田はいかにもポる物体を、いくつも観測してるんです。彼はそれが宇宙人の乗った スらしい、底意のある = タリとした笑い方を気取って連中の顔を見円盤に間違いないって言うんですよ。宇宙人は霊魂みたいに肉体が なくって、僕らの体に乗り移るんだって : : : 」 た。やはりウケた。なんとなく良い日になりそうな予感があった。 「違いますよ。そういう宇宙人さえ考えられるって言うだけなんで 「冴えてますね、今朝は」 「今朝は、ってことはないだろう」 「まさかねえ」 斉田はわざと腹立たしげに言う。 斉田は新聞をひっくり返しながら真面目な顔で言った。「ほほう、 「あ、すいません課長」 積水がまたアガったな : ・ : ・」 また軽い笑い。 、よこの程度 「やつばりあれだよ、宇宙人だよ、宇宙人」 斉田は経済欄を見てそうつぶやいて見せた。朝の雑談を 昨夜最初から最後まで副部長の蔭口を言い続けてたのが言った。 にしめくくりをつけて、課員達を仕事に戻らせるテクニックのひと つだ。 : : : 時にはいっしょに呑む。毎朝仕事のはじまりにお互いの 「なんたい宇宙人って」 コミュニケーションをよくして置いてやる。次に。ヒリリとした課の 斉田が訊ねる。 「のり移るんだそうですよ、宇宙人が。そうすると冴えちゃうんで空気を作り出す。良き課長とはそうしたテクニックに長じていなけ ればならない。そう思っている。 : : : 実の所、それは余り器用に行 す。なあオイ」 今年入社したばかりのが、古株にそう言われて照れ臭そうに頭をつていないし、自分の代になって多少課の空気がだらけているのは 自覚しているのだが、・ キリギリ絞りあげるのは、下積みが長かった 掻いた。 斉田としては抵抗がある。鬼軍曹はとてもじゃないが自分の役柄で 「嘘ですよ」 ないと、斉田は自からそう信じ込んでいるのだった。 「きまってら、馬鹿」 また大笑い。だが斉田には意味が判らなかった。 「この不思議な物体は、アメリカの各地でかなり多数の人々に目撃 「なんだ、それは」 0

2. SFマガジン 1974年7月号

され、道路などに多少の被害が出ているとのことですが、今のとこてやると約東したのを思い出させないように注意しながら言った。 ろくわしい情報は入っておりません。なお、ワシントンにいる鈴木「そりやそうさ。宇宙人にきまってるよ」 特派員は、このニュースについて次のような米国国防省の公式発表「ほらみろ宇宙人だ」 を伝えてまいりました」 二人の男の子は揃って手を叩いた。兄弟仲がとてもよさそうに見 その日の午後七時。斉田はテレビの前で、心もち首を傾けて喋るえる。そしてこれ程発言に権威を持っている自分を、別人のように 癖のあるニュースキャスターの顔を眺めていた。その顔がすうっとよき父であると感じた。 遠のき、背後にある四角い大きな枠の中に、特派員のスチール写真「よかったわね」 妻まで喜んでいる。斉田は久しぶりに家庭のよさを味わった。 が映っていた。電話を通した半ば機械的な声がして来る。 「この物体は現在アメリカの各地に多少の被害をもたらしている「新聞に出てたろ、今朝の : : : ほら、世界中の天文台が見た、地球 が、合衆国国民及びその防衛施設に対して何らかの意図を持っ外国へ向ってやって来る宇宙船のこと」 の計画的行為ではなく、偶然の宇宙的現象であると判断される。従「あら、ほんと」 リンゴをむき終えた妻が眼を丸くして斉田の顔をみた。眼つきに って合衆国国民は外国よりの侵略その他と、この現象を関係づける まだあどけなさが残っている : : : そう感じた時、胃の下の辺りにむ いかなる煽動にも動揺しない、冷静かっ良識ある行動を : : : 」 斉田はハイライトに火をつけると、煙をモヤモヤとロの辺りに漂ずむずとした衝動が走った。 ( 今夜はひとっ思い切り丁寧に扱って やるかな ) わせながら妻に言った。妻は子供達にリンゴをむいてやっている。 「ポールみたいなんだって : ・ 「そう : : : やつばり宇宙船なんだね」 長男が言い、一年坊主の肩をトンと突いて威張った。「みろ、や 妻はナイフを動かしたまま、顔もあげずに熱のない声で答えた。 「なんでしようねえ」 つばり宇宙船じゃないか。おとなだってそう言ってるんだそ」 斉田の妻に対する性欲の一部分が、べしやっと音をたてて萎え 、宇宙人だろ、ねえ」 た。伜達は父親と喋ってはいず、オトナと会話していたのた。たた 三年生の坊主がせがむように言った。 のオトナ : : : と。 ( 今の子供はなんでこう・フク・フク肥るんだろう。 「さあ、どうかな」 食い物のせいかな ) 「宇宙人たよオ、ねえ」 子供はぜひともそうあって欲しいと望んでいるのだ。一年生のほ斉田は自分の長男を眺めながらそう考えた。オヤジの自尊心を傷 うも父親の顔を、期待に満ち満ちた瞳でみつめている。斉田は子供つけられはしなかった。日頃の訓練で突嗟に意識を方向転換できた 達を喜ばしてやることにした。四千三百円もするトミー の月面車をからだ。 ねだられるより余っ程安あがりだと思ったからだ。二週間前に買っ

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1 ターで自分のオフィスへ戻った。 「何がだ」 どの課の部屋もガランとしていた。部長や常務クラスだって、ど「ポールです。ポールが日本へも来たんですよ」 こかでエレビにかじりついているにきまっている。ひとけのない部斉田は一瞬ドキリとした。しかしすぐそれはごく当然の成り行き 屋で、斉田はワクワクするような充実感をたのしんでいた。熱心だと思った。 に、まるで別人のようにテキパキと仕事をかたづけはじめる。 「きまってるさ。日本だけには来ないと信じてたのか。見通しの甘 大雪で電車が停まりそうな時に馴染みのパ ーへ行くのと同じ心境い奴た」 だ。女子供が家の中で吹き荒れる暴風雨に怯えているとき、懐中電新入社員はそう叱られて、ひどく尊敬した眼つきで斉田を眺め 燈を持ち長靴レインコートに身をかためて、用もないのに暗い家のた。 まわりを歩く充実感と同じだ。つまりこの瞬間、彼は正義の味方。 「は、ええ : ードなタフガイ。男の中の男一匹 : ・ 。しかも、いま起「仕事をしろー カ抽斗を っている災害からまぬかれるという安心感がしつかりと支えてくれ新入社員は「 ( イ」と答えデスクに元気なく戻った。 : 、 ている。 ( アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリア : : : とに角外国あっちこっちいじくりまわすだけで碌々仕事に手がっかない。斉田 の出来事だ。俺や俺の家には関係ない。なぜあいつら、あんな風に は上眼遣いでそれを見ていたが、馬鹿馬鹿しくなって来た。こんな 仕事そっちのけで騒ぐんだろう。軽々しいったらありやしない。あ奴を相手に良い所を演技して見せたって何もならない。 とでまとめて見たり読んだりすりや同じことなのに ) 「どこへ出たって : : : 」 斉田はいつもその主義だった。アポロⅡ号のときだって、わざと「屋上です。呼んで来ますか」 のようにテレビに関心を向けなかった。あとでまとめて見せてくれ「放っておけ。いや違う、ポールのことだ」 たし、徹夜でコンピ = ーターの。ヒコビコ動く点々を見せられた奴の途端に新入社員は元気をとり戻した。 愚痴を聞くと、そら見ろと自分を誇らしく思ったりした。 「よく判んないんですけど、東名をこっちへやって来るそうです。 「あっ、いたんですか課長」 途中の車がガンガンやられてます」 新入社員はびつくりしたようにドアの所で言った。 「来たかア : 「いたんですかじゃないよ。みんなはどこへ行った」 溜め息まじりにそう言うと、ゆっくりハイライトに手をのばし こ 0 斉田は怒鳴りつけた。 「あの、屋上へ行きました」 「どの辺を走ってるんだろうー 「屋上 : : : 」 「さっきのテレビじゃ、足柄の辺だとか」 「たいへんですよ。こっちへも来たんです」 「すぐ来るな」 3 2

4. SFマガジン 1974年7月号

ダイニングキッチンの白いデコラ貼りのテー・フルの上に、皿や椀 ( そりやきみ、都電の運ちゃんに責任があるよ。うまくよけないか や箸が乱雑に並んでいる。居間のほうでは登校する子供達の世話をらいけないんだ。未熟運転だな ) 斉田はそれを考えオチだと思った。昨夜一緒に呑んだ部下達が、 焼く妻の声が絶え間なく続いている。 青い格子縞のパジャマの胸をだらしなくはだけた斉田は、自分のきっと大笑いをしてくれるだろう。そう考えると、やっと出社する 椅子ーー左側に冷蔵庫があって頭のうしろに北海道の木彫りの熊や意欲が湧いて来た。 秋田のこけし人形などをちまちまと飾った、申し訳け程度の吊り棚「自動車に気をつけるのよ」 があるー・ー・に坐って味噌汁の椀に手を伸した。左手と視線は新聞か妻の最後のひと声が玄関でしていた。次はこっちの番だな : : : 斉 田は母親の叱責に怯える子供のような心理で、急いで残りの味噌汁 ら放さす、汁をすする時も上眼遣いで活字を拾いつづける。 その社会面の記事に、それ程興味がある訳ではない。朝の儀式のをすすった。椀の底にネギの白いのが五切ればかり残っていた。 「あら、おっゆだけ」 ようなものだ。儀式は今朝、特に念入りにとり行なわれている。二 髪をきりりと後頭部に東ねた、清潔な卵のような妻の顔が斉田に 日酔いなので落ちつかないからだ。苛々している。然し長年にわた る二日酔い経験で、この苛々はどこへもぶつけられないのを承知し向けられていた。 ているのだ。子供達を学校に送り出すような時の妻の声は、いつだ「水をいつばいくれ」 って斉田のカンに触わる。特に二日酔いの朝は堪え難い程だ。だか 「お茶いれるわよ ら新聞を読む。ガサガサと音をたてるそのうすっぺらな何ページか「水でいい」 の間へ自分の首から上を埋めこむことができたら、どんなに楽しい 「二日酔いね。良い加減にしたら、若い人達と遊んで歩くの。上の 人や仕事のおっきあいじや仕方ないけど、払うのあんたでしよ」 だろうと、くだらない事を考えている。眼は正確に活字を追ってい るが、意味は半分も読み取っていない。全部きのうの続きのよう言い方に険がある。三本ばかり棘が生えて斉田の胃の辺りを引っ で、少しも新鮮でない。 掻く。一本は昨夜また遅かったこと。一本は絶えずそうした遅い帰 一棟が全焼、死者六名、老女が一歳の宅があること。残りの一本はいちばんとんがっていて、わが家の経 小さな爆発事故。アパート 子を抱きしめて死んでいた。。フロバンガスのポンべが : : : またか。済のこと。 交通事故。東名で六重追突 : : : よくこんなものが記事になるもの斉田は黙って狭くるしいダイ = ングキッチンを出る。背後で仕切 りの玉のれんが二度音をたて、妻がついて来ることを報らせる。 だと、・ほんやりした頭で考える。 都電に・ ( スが追突。将棋倒しの乗客 : : : このほうが面白い。会社洋服だんすの前でパジャマを脱ぎすて、靴下をはきラン = ングシ へ行って笑い話のタネができた。いや、必ず朝の話題にの・ほるだろャツをかぶる。ワイシャツに袖を通しボタンをかけ、ズボンをは く。新聞を読んでいた時と同じ理由で、斉田はそれを熱心にやる。 う。誰も言いそうもないことを考えなけりや : : : そうだこれがいし 8

5. SFマガジン 1974年7月号

着換えの最後は、妻からゆうべの残りの ( イライトの箱と安物のガ毎日あれで送り出されてたのかな、と考えてみたが、きのうのこと スライターと白いハンカチーフを受け取ることだ。ガスライターにすら思い出せない。 は、時々遠くへ抛り投げてしまいたくなるような鮮明さで、赤く石交通事故、交通事故 : : : 交通事故ばかり心配してやがる。そう思 うと斉田はなんとなく腹が立った。その瞬間も狭い道を威張ってマ 油会社の社名が刷り込んである。刻み込んであるのかも知れない。 イカー族が行く。座席が四人分あって、そこに一人で坐って会社ま 三十八歳。小学校一年と三年の子を持っサラリーマンとしては、刷 り込んであろうが刻み込んであろうが、消しとる気力などないのだで行く奴らだ。斉田は道の左端を、田圃の畔を行くお百姓のように からどっちでもいい。気になるのは酒場で女達にかこまれて、然も慣れたフットワークで駅へ向っている。地下鉄が都心まで乗り入れ しらふ てくれたから約五十五分の通勤時間、年に一度か二度座席にありつ まだ素面の状態でいるほんの短い間のことだ。 靴をはく。ちゃんと磨いてある。女房としては最高の出来だと自くだけの斉田は、比較すれば王様と乞食みたいなその身分の違いを 負している。どこへ出しても恥かしくない。飾ればちょっとしたホ考えようとしたことなど一度もない。それでなくても苛立たしいこ ステスよりはるかに上で、子供を二人産んだ肢体ではない。近頃めとが多すぎるのに、車を持つ者持たぬ者の違いまでいちいち考えて つきり好色になった点も成績優秀だ。だが本人はそのどのファクタいたらやり切れたもんじゃない。 でも妻が交通事故の心配を本気でしているらしいのはやり切れな 日常のごたごたした段取りに夢中で、それ ーにも気づいていない。 ・ : それが斉田の 。安心していてもらいたいのだ。そんなものといちばんかかわり 以外の天地がこの世にあるのを認める風もない。 合いのないのが自分だと、そう思っている。 心を妻から遠のける唯一の理由だ。重荷になる、済まいと思う、 甲斐性のない奴と自分を責める。女房の奴が責めさせるのだと、勝まず第一に車を持っていない。第二に免許証を持っていない。第 手は承知で帰宅の足が重い。金を稼ぐことが、生きて行くむずかし三に免許を取る時間のゆとりもない。第四に車を買う金がない。第 もの さが、妻の存在で代表されている。女と女房は別物 : : : 斉田は招か五にその金を持っ可能性もない。第六にあまりタクシーに乗らな 。第七にほとんど会社にいる。第八にいつも車に気をつけてい れた結婚披露宴で必ずそうス。ヒーチする。結婚披露宴のスビーチな いくらでもある反証を考え続けている内に駅へつい んて、どんな毒づいたってご当人達は上の空でたいてい善意に聞きる。第九に : 流してしまう。年輩の客、それも男の客にスビーチがウケればそれた。乗った電車がひっくり返りでもしない限り、俺は交通事故なん もの でいい。女と女房は別物 : : : 実力のある年輩者ほどうなずいて笑っかと縁がない : : : 電車に押し込まれて体を弓なりにそり返したまま てくれる。 揺られながら、斉田はまだそんなことを考えていた。自信満々とい うのではなく、車とまるで無縁な自分をうらめしく思うような気分 「気をつけてよ、車に」 もの 別物が言った。反射的に「ウン」と言ってしまってから、斉田はで : おやっと思った。子供達に言うのと文法が違っているだけだ。俺も たんば 9 ~

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ルのボの字も侵入しては来なかったーーわざわざポールの通る大き 「馬鹿たな、起きるじゃないか」 2 そう言うと、ひくひくと体をふるわせながら、「だってえ : : : 」な道まで歩いて行って、こわいもの見たさで横丁から褐色のポール をちらっと拝んで来る。しまいに運動不足を理由にして、毎日のよ と妻は甘く囁いた。「すてきだったんですもの、特別に」 うにそこまで散歩し・ーー・と言っても万一の場合を考えズックに古い 「そうかい」 トレバンという身軽ないでたちでーー。歩道橋の上でポールのやって 斉田は闇の中でニヤついた。 「良かったわ」 来るのを待っている。風を切って二三十のポールが足もとを走り抜 けるのを眺めるのは、無害でスリリングな娯楽だった。 「そんなにか」 しかし、やがてずっと都心寄りの住宅地ではあるが、住宅街の道 「馬鹿ね。あんたが車を持ってなくてよ」 路にまで五つ六つのポールが侵入して来たとなっては、それも命あ 「ポール、こわいかー 「ちっとも。だって私たちって、モータリゼーションと無縁ですもっての物種になってしまう。 「俺達は駄目かな」 のねー 斉田は妻にくるりと背を向けた。 ( 会社はどうなるんだろう ) と家族の前で本気でロに出してそう心配しはじめた頃、テレビは遂 思った。一生懸命会社の、そして社会の将来を憂えた。だから車をに自衛策を呼びかけた。 買えないことなど、一向に気にならなかった。 「アメリカの成功例に基き、宇宙ポール対策として政府は今日、閣 議ですべての橋梁、及び道路の徹底的破壊を決定しました。この決 斉田の会社から、何度も電話連絡があった。いま少し出社を見合定は国の経済及び財産の莫大な損失をもたらすことは明らかです が、同時に宇宙ポールによって破減寸前に追いやられている国民を わせよう : : : とそればかりだ。親会社の″商事″がそう指令してい 救う唯一の方法でもあります。国民は総力をあげて道路の破壊に協 るから、それに倣ったのだろう。 ハイライトを日に三箱吸う斉田は、買い溜めの必要を感じはじ力してください」 みんなが苛立ち、ヒステリックになっていた。自衛隊の砲火も平 め、勇を妓して駅前まで行った。妻も子供も外出させるわけには行 かす、家長の彼が野菜や肉、味噌醤油まで買いに行くことになっ気、航空機からの銃撃も無効、核兵器は使えない。手も足も出ない た。買物籠を手に、時代劇の泥棒よろしく辻々の塀に身をはりつけ状態に、最初で最後の防衛策が発表された。 て、ポールの有無をたしかめてから次の物蔭へ走る : : : そんな男達ひ弱な都会人、自動化、電化の進んだ現代社会に、よくこれ程鋤 が増え、顔を合わすと何となく照れて、「ヤア」とかなんとか声を鍬のたぐいがあったと驚ろく程、掘削用具が持ち出された。 斉田の家にもシャベルがひとつあった。斉田は妻子のじっと見守 かけ合う。 る中で、家の前に大きな穴を掘りはじめた。簡易舗装でも仲々手剛 それにも慣れて来るとーーー東京西郊のこの建売地帯にはまだポー

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「日交だ」 思わなかった。 「コンドルた」 「帰れなくなるんじゃないかな」 「また個人だ。可哀そうに」 「大丈夫さ。ポールは道路でしか暴れない。鉄道は平気さ」 常日頃乗りつけているタクシーが浮んで消えるたび、男達はてん「でも俺は車だぜ」 でにそう言った。 「馬鹿だな。さっき放送で車を持って来た者は退避しろって言って だが実際には、この惨劇をもっと身近に味わった目撃者が数多くたの知らないのか、 いた。配達に出たトウチャンの車が虚空に浮んだのを見て、トウチ 「いつもの公園の傍に置いてある」 ャンがあれ程夢見ていた失神とやらを、生まれてはじめて演じた力「知らねえそ、ポールにやられたって」 アチャンがいた。余りにも数多く浮ぶ自社の車を眺めて、半狂乱に 「 : ・ : ・俺、帰るそ」 陥ったタクシー会社の社長がいる。現金輸送車の消失を見せつけらそのやりとりで屋上からかなりの人数が降りて行った。 れて辞表を書きにデスクへ戻った銀行マンがいる : ・ 「課長、社内放送をやってますよ」 しかし、どれもこれも斉田には無縁だった。 新入社員が斉田を呼びに来た。 「少しは減ったがいいんだ」 「何だって」 流石に気兼ねして声を落したが、斉田は幾分溜飲のさがる思いで 「なるべく早く退社するようにつて・ : : ・」 空を眺めていた。 「そうかー 「来た来た来た来た」 「部課長は第二会議室へ集合です。さようなら、お先きに失礼しま 屋上の金網にしがみつくようにして男達が叫んだ。その位置からす」 僅かな距離だが高速道路の曲線が見えている。そこにポールが百キ新入社員は言うだけ言うと消えた。 ロくらいのス。ヒードでさしかかったのだ。 ( 会議か。何かって言うと会議、会議だ。良い智恵も出ないくせ 「やった、やった」 黒いフォードがやられた。白いクラウンが消えた。それはすぐ頭斉田は心中でポャいた。いつの会議でも発言や提案をする顔ぶれ の真上に虚像となって浮んだ。 はきまっている。第一、議題がきまると斉田と無縁な時点で、すで 「粉が降って来る : ・ : ・」 に結論は出ているんだ。いつだって本気に考える時間などくれやし 誰かがそう言い、空をあらためて見あげた。みんな迷惑そうに服 ない。多分このポール騒ぎに関する件だとは思うが、ひょっとした についた粉を払った。粉はキラキラと輝いていて、湿った掌に附着ら東日商事の件かも知れない。電算機システムの件だったら自分な した。ポールの第一周目だったから、誰一人それが車の残骸だとは りに考えてあるし、ひょっとしたら意見を述べるチャンスがあるか 6 2

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下が、会長や社長や専務クラスも乗せるんたという意欲向上に変じ、 「ほんとにご主人のおっしゃ . る通りかもしれませんわね」 公けの機関としての責任感と誇りを回復した。結果は事故の激減。 3 隣りの細君は斉田夫人にそう言った。 ししえ、ポールのこ》混みはしたが平和だった。銀座などショッピングセンターには道 「これで子供達も安心して学校へ行けますし、、、 とじゃありませんわよ。自動車のことなんですの。交通戦争もこれ路 : : : というより細長い広場の再建が許され、人々は道の中央を、 わき見しいしいゆったりと歩いた。子供達の間から肥満児が減り、 でおしまいになるかしら」 めつきり丈夫になった。遠足は本物の遠足 : : : 遠くへ足で行くこと 交通戦争は綺麗さつばり終った。道路がないのだ。ポールは狩りになった。 ' 排気ガスがなくなり、「空が綺麗になって、意味不明の。 ( ンチばかり物凄い自動車広告がゼロになった。 たてられ、追いつめられて殆んど全減したらしい。伊豆スカイライ また問題は沢山あるが、人類は自動車という馬鹿けた道具から解 ンへ逃げこんで、山の中の脇道で辛うじて生き長らえたのも、地元 の人達に気づかれて罠をかけられた。停止が死 : : : 思えば割合い簡放され、落ちつきをとり戻したように見える。 単な相手ではあった。 植物と鉱物と動物の要素を兼ねそなえた、怪奇な生物であったこ , 斉田はオフィスからぶらぶらと歩いて新橋の辺りまでやって来 た。どこかで一杯やろうか、まっすぐ帰ろうかと思っている内にそ とに疑いはない。サヤに当る円盤に強い磁気があったことから、サ ヤの中のポールの子供達が強力な回転運動をしていて、それが何等うなった。都心の道は歩道だけで、ついこの間まで車がのさばって いた所は樹や草花が植えられ、至るところ公園のようだった。 かのカの場の源になっていたことも推測された。死んで溶けたポー ルは全然無害だが、学者はそれが無限に増えて行ったとき、地球の決断のつかぬまま、斉田は軍艦マーチの聞えて来る店へ入った ~ ほとんどを舗装状態にしてしまったであろうと、今更ながら恐ろし両手に山盛りの玉を買い、連発式の台の受皿へ流し込んで、ポッ い結論を出した。 リ、ポツリと弾きはじめる。鋼鉄のポールはあっちこっちの釘にぶ つまるところ、宇宙ポールはころげまわることだけが生の目的つかり、素気なく一番下のアウト穴へ落ちる。やがて最初の・一発が ップがひらいた。玉が十五ふえ で、死は子孫に道路を残すだけなのだ。表面を全部ハイウェイにしてつべんに入って、下のチューリ てしまい、褐色のポールがそこを疾走するだけの星に、すんでの所る。 ドキリとして斉田は台を離れた。 で地球はなる所だった。 秩序は少しずつ回復したが、モータリゼ 1 ションとやらは決定的 ( これじゃまるで宇宙ポールだ ) 斉田は肩をすくめてパチンコ屋を出た。まっすぐ帰るのか、どこ に否定され、新しい交通手段の開発が要求された。 鉄道のダイヤはいっそう過密になったが、事故はガクンと減少しかへ引っかかるのか、また自分でもよく判らなかった た。車にも乗れない底辺階級だけを運ぶんだという鉄道員の意識低

9. SFマガジン 1974年7月号

て落された。霞力関のトンネル内に強力な爆薬が置かれ、高架線のた。 各所と殆んど同時に爆破された。住民は予め避難をさせられ、各所隣家はそこにいつも車を置いていたーーー週末ドライ・フ用の 360 3 で故意にガス管を爆発させた。自衛隊のヘリコプターが小型爆弾を o o だーーが斉田はそれをどかせと言った。現に自分の家の側は掘 道路に・ ( ラ撒き、完全地帯を作った上で決死のプルドーザーがそのり返してしまっていた。完全を期するには車が邪魔 : : : しかし隣家 中間地帯を減茶減茶に掘り返した。荒川放水路にかかる橋が惜気もに車庫はない。 なく爆撃され、無残に橋桁をさらした。 「無理言わんでください。どこへ持って行けと言われるんです」 都心の地下鉄網をなんとか無傷で残そうとする努力にもかかわら青白い、額の広い背の高いその男が言う。 ず、破壊作業の進行に伴って数カ所で落盤し、道路破壊を助けた。 「どこへ持って行こうと僕は知らない。とに角どけてくれ」 「無理だな」 江東方面は無数の小さな橋があるおかげで、物事はより計画的に 進んだ。道路破壊を全面的にやらなくても、橋を全部犠牲にすれば 相手はムッとして答えた。朝九時のことである。 ポール達を分断できるからだ。 「ポールが来たらこの砕片でウチがやられる。お前さんの車でウチ とに角、幅が二メートル以上の道はことごとく掘り返され、ぐちがやられちやかなわないぜ」 やぐちゃにされる運命にあった。長く広い道路ーーー街道や高速道路斉田は凄んた。車庫もないくせに車を持っているので日頃からわ は主として自衛隊の手で砲撃、もしくは爆撃で分断され、そのあとだかまりがあった。それがなぜか爆発した。 「この道は私道だ。半分は私の物たよ」 に歩兵戦的方法で気長にほじくられた。 「半分は俺のだ。俺の分に食い込んでいつも停めてる。三百六十五 随所でポールが無害速度ーーー時速二〇キロ以下をそう呼んだ 日毎日だ」 に落ち、やがて死んだ。死んだあとにはアスファルトそっくりな、 平べったい塊りが残り、下手をするとその屍の上をポールが更に転「馬鹿なことを : : : 」 って行き、彼らの自主制作による新しい舗道が出来そうだった。し「馬鹿とはなんだ。始末しろ」 かしこれも人々の手で掘り返された。 「できないよ」 日本中から舗装道路が消えて行った。平らなポールが走れる道「できる。絶対できるそ」 は、横丁一本なくなって行くのだ。 人だかりしはじめて来た。 「どうするんだか教えてもらいたいね」 斉田は右隣りの主人と大喧嘩をした。隣家との間に二メートルた相手はやけに煙草をふかせてうそぶいた。 らずの道路があり、郊外住宅地の常として、両家とも私道を買わさ「ハラ・ハラにしちまえ。そしてどっかへ積んどけよ」 男は引きつった笑声で、精一杯虚勢を張った。斉田の激しい意気 れていた。つまりそれは斉田と隣家のあるじとの共同所有地だっ

10. SFマガジン 1974年7月号

い相手だったが、やみくもにシャベルをこじり、小さな破れ目を作落ちたところをみんなで押えつけて止めたら死んじゃったそうなん るとあとは平べったく面白いように土が顔を出す。憎らしい砂利、 砕石の層が次にあり、柔い土に届くまでに一服を六回もやった。ポ 「ねえ坊っちゃん」 クシングのセコンドのように、妻がタオルでそのたびに額を拭き、 と斉田は説ねた。「死ぬとどうなるんです。ポールは」 ああしろこうしろと、岡目八目を並べたてる。家の前は四メートル「溶けるみたいで丁度アスファルトみたいになっちまうんですよ」 程の幅で、前の家には五十歳くらいの父親と若い息子が二人いたの大学生らしいのは、小生意気な様子で言った。 で、その日の内に道路は徹底的に掘り返され、所々にガス管や水道「暗くなったな、明日にするか。どうです」 管が顔をのそかせている荒れ地に変った。区役所の男が何度も見廻オヤジが言ったので、斉田も同意した。あらためて見廻すと、そ りに来て、道の両側を五十センチ以内なら残しておけと言った。歩こら中の道が原型を留めない程に荒らされている。男手に恵まれた く分だ。 家の前には、石の門柱を引っこ抜いて道の中央に立てたり、大切な 「あのポ 1 ルって奴は、なんで平らな道路しか走れないんですかね庭木を移植したりしたのさえ見える。 「やればやれるもんですなア」 え」 斉田は泌々とそう言い、それからふと、戦時中の隣組の協力ぶり タ闇迫る自宅の前で、斉田は今日一日ですっかり仲良くなった前 の一家にそう言った。前の家のあるじは鍬を振ったが、その振り方を思い出した。 「昔は日本中みんなこうだった。オカミの命令ひとつでみんな気を に腰が入っていて、百姓の年季が相当入っていることをうかがわせ た℃日曜の朝早くというと車が迎えに来てゴルフへ行く、どこかの揃えたもんです」 オヤジも同じことを思ったらしい 会社の役員だ。 「へつ。オカミだなんて言いやがら」 「連中は走ることが生きることなんだそうです。停まれば死ぬ」 息子達が笑った。 「死ぬ : : : お前、それどこで仕入れた」 「黙れゼンガクレン」 前の家のオヤジが息子の一人に言った。 オヤジはそれが慣用句なのだろう、大して深刻な様子もなくそう 「アメリカの生物学者達の公式見解です。ついさっきラジオで言っ 怒鳴った。 てましたよ」 「そう」 ともう一人の息子も言った。金てこで舗装はがしを受持ってたほ斉田達のがささやかなレジスタンス運動だとしたら、都心や主要 うだ。筋肉たくましい。「ポールは時速二〇キロ以下になると瀕死道路では本物の戦闘が行なわれていた。 まず首都高速の代官山のトンネル出口で、皇居のお溝の水が切っ の状態になるんだってさ。静止すればすぐ死んじゃう。ス。ヒードの 3 3