いる。それがまた・ほくに好意を示してくれる。どういうものかへルろ、われわれの造艦技術、特に水艦におけるそれは、ドイツにく ダも平気で、ふたりとも奥さんにしてしまえばいいじゃないの冗談らべるとひどく劣っていました」 だろうが、そういうぐらいだ、これはアメリカのもたらした悪影響「日本の潜水艦は世界一だとばかり思っていましたが」 なのだろうか ? 近づいてきたヘルダは、ぼくの前にいる男に気づ なんとなく変な愛国心にかられて・ほくはそういっこ : 、、 くと、驚いたように眉をびそめた。 をふった。 「お邪魔じゃなくて、ヘル・サカタ ? 」 「ご存知かもしれませんが、日本の潜水艦というのはですね、第一 オサムと名前を呼ばないときは、機嫌が悪くなりかけている信号次大戦後、イギリスの型潜の図面によって作り、そのあとはドイ ・こ。ばくはすぐ紹介した。 ツの濳水艦技術を全面的に導入し、ドイツ人技師をも招き、図面を 「ヘルダです。ばくの : : : 」立ちあがりかけた男の手をおさえて・ほも買い入れ、ドイツの研究を全面的に採用して日本のものを作った くはいった。「かまわないでしよう、いっしょにいても ? 」 のです。ですから、いかに努力しても、たとえ設計そのものが追い 「こちらこそお邪魔じゃないですか。ぼくは安藤大尉です。失礼 : ・ つき追いこしても、造艦そのものの技術、現場の工作能力といった ものでは追いこせなかったのです・ : : ・これは別に、フロイライン・ ドイツ語に切りかえた男の話しかたは、・ほくとはくらべものになヘルダがおられるからのお世辞じゃないですよ」 らないほど流暢なものだった。ドイツ人を母に持っといったが、そ拍手の音に気づいたが、歌手はいっか男に変わっていた。歌はや うだろう、これは子供のころからしゃべってきた言葉だ。自然と会はりアメリカものだ。 話はドイツ語だけになった。 舅「 hen 甼 begin the 「 gu ぎの 「ヘル・アンドウ。どうそお話をお続けになって」 lt brings beek the sound of music きコ d ヘルダの言葉にうながされてかれは、もとの話にもどった。 安藤大尉はちらりとそちらに視線をむけ、また話を続けた。 「海軍の委託学生だったといいましたが、大学での専攻は造艦、そ「ドイツ語がしゃべれるというので、ぼくは母の生まれたこの国に れも潜水艦でした。自分でいうのはなんですが、潜水艦設計につい派遣されてきました。日本海軍の技術将校としてです。日本海軍技 ては若手のホー・フでした」 術陣の考え出した理論を実地に応用し、ドイツ海軍の協力を得て、 土曜の夜をぼくと愛しあうためにやってきたヘルダは、最初すこ新型潜水艦を作ろうというのです。ぼくは有頂天になっていまし しつまらなさそうな顔をしていたが、やがてかれの話にすこし興味た。大変なことになるなどとは考えもせず : : : 」 をお・ほえてきたらしい。彼女はその白い指にタ・ハコをはさんで、ば ヘルダは黙って聞いており、酒場の中のざわめきとタバコの煙の くの肩に顔をもたせかけてきた。 中でかれの話は続いた。 安藤大尉と名乗った男の言葉はつづ く・ : : ・「でも、平均したとこ 「われわれの理論というのは、ひと口にいうと、艦体の強度を驚異 ロ 8
うか。駐在武官だったのだろうか ? ぼくは男の顔を見つめた。瞳 「シュタインへーガーを・ : : ・・ほくはビールですが」 ビールに焼酎をぶちこんだような安酒をというのだ。 に・ほんやりと光がともっている。電灯の光を反射しているにすぎな 「ご商売は何をなさってらっしやるんですか ? ・ほくは新聞社に勤いが、きざにいうなら、千尋の海底に泳ぐ深海魚がともす灯のよう めているんですが : : : 」 にだ。そんなことを考えたのは、もと海軍の軍人だったという言葉 「自分 : : : ぼくは無職らしい、ですがねー からの連想だろう。 頭がすこし弱いのかな、無職らしいとは何だ、と思ったときに男「おさしつかえなければ、お話を聞かせていただけませんか ? 戦 争がすんでだいぶたちますが、な・せ日本にお帰りにならなかったの は言葉をつづけた。 か、その理由を : : : 」 「いままでは軍人でしたが : : : 」 「ええ、ぼくもだれかに話す機会を待っていたのです。だれか、信 そういう男の目には、憂愁が満ちていた。底知れぬ淋しさをたた えた瞳なのだ。そのくせ、ひさしぶりに同国人に会えたことが嬉しじてくれる人をといったほうがいいでしようが」 くてたまらないとも思える。だが、あまりにも日本人離れした顔立男の声にすこし熱がこもってきた。アルコールがまわってきたた いやそうでもなさそうだ。こいつはアル中の浮浪者 ちだ。そして〈いままでは軍人だったが : : ↓という言葉が、ぼくめだろうか ? の職業意識を刺激した。ぼくはウェイトレスの運んできたジョッキなどではない。この男には何か話したいことがあるのだ。男はシュ タインへーガーをいっきに飲みほして話しはじめた。 を手に持った。 「まず、おたがいの健康に」 「ぼくは海軍の委託学生でした。もちろん日本でのことです。母親 はドイツ人でした」 相変らずロ数の少ない男だ。 そう、それなのだ。・ほくが最初、この男をドイツ人かと見間違え そうになったのは。 「軍人だったといわれましたね ? 」 男の目がキラリと光ったように思えたのは錯覚だろうか。 男の顔をあらためて見なおしたとき、その肩ごしに酒場の入口で : ついこのあいだまでは、大日本帝国海軍の軍人だと思っ手をふっているヘルダの姿が見えた。ぼくの女友達、それもだいぶ ていました : : : 」 深い関係にある女性。職業は雑誌のルボライター。背は一メートル その声には強いなまりがある。外国で、特にこのドイツのような六十センチたらず。ドイツの女にしては小柄だ。しかし、高く張っ 国で長いあいた暮らしてきた日本人が、ひさしぶりに日本語を話すた腰、くびれたウエスト、発達しすぎたほどの胸。でも、日本人の ときに見られるようななまりだ。 ・ほくにとっては理想ともいえる大きな形のいい乳房だ。胸をときめ 筋骨たくましい偉丈夫といっていいが、その男の目は気力という かせる唇、妖艶なまでの顔だち。ぼくにはもったいない女性だ、と 7 ものを失っていた。敗戦国のもと軍人というものはこんなものだろはっきりいうドイツ人記者もいる。ヘルダにはこれまた美人の妹が
そう尋ねた・ほくの肩にヘルダは手をまわした。 ら、わたしたち、豪華な結婚式をあげられるわよ」 「さっきの続きからお聞きしましようよ、オサム。ねえ、ヘル・ア ドイツ人は、もっと合理的ないいまわしかたをするものだと思っ ンドウ : : : 」 ていたのに、 ヘルダの言葉はまったくわけがわからなかった。わか 紫の煙をゆっくりとはきだした安藤大尉は、夢を見ているような ったのは、結婚してほしいということだけだ。 「何のことなんだい ? 」 目つきで話しはじめた。海軍軍人というよりは、夢見る詩人といっ 「うまく話を聞き出せれば、相当なニュースだわ。行方不明の新型た龕だった。 「われわれの設計にドイツ造艦技術の粋を集めた X101 潜水艦が 潜水艦 X101 のその後、ちょっとした特ダネよ : : : 」 完成したのは、一九四二年の夏でした。もちろん、念入りに試験航 行方不明になった潜水艦たって ? 忘れかけていた職業意識が、 またぐうんと強くおこってきた。・ほくはウイスキーを持って居間に海をおこなうはすだったのです」 ドイツの秘密 かれの言葉は続いたーー最新鋭潜水艦 X101 が もどった。酒好きなら喜ぶにきまっている上等の代物、シ・ハス・リ 工場で完成するころ、アメリカの潜水艦隊が非常な脅威を枢軸国の 海上輸送路に加えてきた。それに対する報復任務を X101 は試運 ヘルダは手早く作ってきたサンドイッチとビールを卓上におい た。胸の谷間がちらりとのそく。意識してやっているのだろうか ? 転と同時に帯びた。処女航海ですぐ戦闘行動に入れというのだ。 「さっきはごめんなさい、ヘル・アンドウ。でも実を申しますと、 安藤の言葉がとぎれ、かれはウイスキーのコップを持ちあげた。 あなたが X101 といわれたので、わたし、本当にびつくりしまし「もう戦争も終って平和になったいま、こんな話は面白くないでし ようがね・ : ・ : 」 たの : : : 」 そう話しかけるヘルダを前にして、このくたびれた服装の日独屁ヘルダの赤い唇がひらいた。 血男は表情をまったく変えなかった。ヘルダの美しく悩ましい曲「とんでもないわ ! かっての新鋭潜水艦 X101 失踪の秘密、十 線、そしてその目を見ると、たいていの男は顔の筋肉をゆるめる年後にそのヴェールをぬぐ : : : 大したニュースですわ」 か、目をそらせるのだが 彼女は膝の上に大きな / ートをひろげた。要点をお得意の速記で 「わたし、酒場にいたほかの人々に、あなたのお話を聞かれたくなとるつもりらしい 「あなたがたが、・ ほくの話をニュースにされようとするのはわかり かったの。この人が新聞記者でしよう。だから、ひょっとすると、 ますが、大切なことは、沈没の原因とか状況ではなく、沈没してか あなたのお話が大ニュースになるかもしれないと思って : : : 」 かれはうなずいた。 ら以後のことなんです」 「そうかもしれませんな。ただの沈没じゃあなかったのですから」 「潜水艦が沈没してからの話というのは珍しいですね。ドイツでは 有名だったのですか、その 101 潜水艦のことは ? 」 「その潜水艦は沈没したのですか ? 」 0
うにいいかえした。 ころまできた。そのころ、太陽は赤く西の水平線に沈めはじめ、タ 闇が音なくせまり、波も高くなってきた。 「かかあのお世辞よ ! 」 「何をつ ! 」 おれはほっとした。そばにいた島田機兵長もその気配を感じたら 「気持が悪いくらいさ : : 、・」 「大尉 ? もうすぐすみそうですか ? 」 「気持の悪いぐらいどうなんだ、この野郎」 「波ひとつないんだ。釣堀で日なた・ほっこをしているようなもんだ 「もう十分もあれば熔接も完全にすむだろう。もうひとがんばり だ」 ぞ」 うなり続ける排水ポンプの音をおさえるように、法田兵曹は元気 それは誇張としても、空が明るく紺青色に澄みわたり、波も少な いとすれば、 X101 の舷側がいくら低くても、相当な遠距離からにいった。 「すると、もう夜になるから、あとはのんびりできるというわけで 発見されることはきまりきっている。 乂 101 が正確にどの地点にいるのか、おれにはわからなかったすな」 しくらドイツ本王に近くてもそうだ。そのとおり、もうしばらくすると暗黒の夜がやってく ドイツ譟報機関の連絡によれば、、 アメリカの潜水艦がドイツ艦船を餌食にしようと待機しているといる。この広い北海に夜がくればもうしめたものだ。とはいえ、情な ら 0 」とだ。 い話だ。敵を攻撃するのが任務の潜水艦が、敵の艦影におびえてい 艦の設計に加わったおれとしては、経過してゆく一分一秒が煉獄るのだ。しかし、もうあとしばらくの辛抱というので全員がほっと した。安心感がもどりはじめ、みんなが陽気になってきた。だがー にいる苦しみだった。作業員は胸まで海水につかり、悪態をつき、 ーおれたちに本当の危険が迫ったのはそのころだった。 怒鳴り、熔接の火花に青白く顔を照らされながら、唇を紫色にして 日本海軍設計技術の象徴であり、ドイツ海軍造艦技術の勝利を示 作業を続けた。 恐怖にかられると能率はあがらず、注意力も散漫になる。最初にすはずだった最新鋭潜水艦 X101 の処女航海は、当然、栄光をも って飾られるべきだったのに、厄病神についてまわられた。西方の 舷側を調べた者が使った救命ポートが、いつのまにか流れ去ってい た。灯台もと暗しとはこのことだ。水平線に煙が見えぬか、波間に海上に白い航跡を光らせ、艦影がせまってきたのだ。 「敵、駆逐艦らしきものを発見 ! 左舷艦首より二度 ! 」 敵の潜望鏡が現われないかと目を皿にしているあいだに、足もとか ら救命ポートが流失し、それが何週間かのちにイギリス巡洋艦に拾見張りの水兵が絶叫する。 いあげられ、破壊工作の成功により新型潜水艦沈没すと知られるこ「急速潜航用意 ! 」 とになったのだ。 全艦内に大きくプザ 1 が鳴りわたる。浸水個所で作業していた連 しかし、全員の努力は徒労に終らず、作業はもうすこしで終ると中は、あわてふためいて艦内に飛びこんだ。ハッチ閉鎖の報告が
信じようと信じまいと、ひと昔前、ひとりの日本人新聞記者が謎の男 と、・ほくは、われ知らず話しかけてしまった。外国で、しかも今 からこの話を聞いた。海外旒行がいまのようなプームにな「ていない時夜のような淋しい霧の夜に、つまり人淋しい夜、ひさしぶりに日本 7 代のドイツでだった。この面妖怪奇な事件は一一十年ほど前に一度報道さ 人らしい姿を見かけたのだ。 ( 断っておくが、これはずいぶん前の れたが、大戦後の殺伐とした世情に合わなかったのか、荒唐無稽なこと 話だ。いまごろは、海外で日本人どうしが顔を合わせると、おたが として無視されてしまった。忘れ去られてしまうには惜しい話なので、 伝説をつたえるには時代の古さも許されていいことと、当時の記者 いに目をそらせるというし、日本語を使いたがらないというが、け 氏に協力していただき、ここに改めてご紹介させていただく。お断りしちな話だ。とい 0 ても、団体旅行の連中は使いすぎて駈々しい。中 ておくが、登場人物のうち生存者の名前はすべて、事件の性質上、仮名 庸ということを日本人は知らなくなったのだろうか ? ) とした。また、この物語があまりの異常さによって詩人スタントン・コ 「失礼ですが、日本のかたじゃあないですか ? 」 ・フレンツや作家コナン・ドイルの著作を模したもの、あるいはその。ハロ ディと思われるむきがあっても、それは偶然の一致にすぎないことを、 ぼくの言葉に、虚ろな目がこちらをむいた。男が低い声で答えた あらかじめお断りしておく。 言葉は、やはり日本語だった。 「そうですが : ・・・こ 「失礼のつづきに、一杯いかがです : : : おごらせていただきます 霧雨がけむる中に、街灯に濡れた舗道を黄色く照らしている。十よ」 字路の角にたたずむ女は、だれを待っているのだろう。コッコッと「ありがとう」 石畳をたたく足音が、あわい煙のかなたから近づいてくる。異国の無ロな男だった。背をならべて歩きだしたぼくらに、街角に立っ 夜は、もの悲しいものだ。 ている金髪濃化粧の女がその大きな腰をくねらせ、流し目をよこし こ 0 ドイツ ( イフルグに次ぐ第二の貿易港、北海沿岸からウェー ゼル川を六十キロほどさかの・ほった・フレーメン。 〈ラインハルトの三人姉妹〉は、いつものように葉巻の強い匂いと 煉瓦の建物がつづくべッチャー街。中世以来のせまい街路がその男たちの体臭でむっとしていた。歌い手が、いまはやりのアメリカ まま保存されているところだ。〈鐘の音楽の家〉につづく美術館の曲をひどいドイツなまりで歌っている。 〈ロゼリウスの家〉の角を通りすぎようとした男の顔が、ネオンに DO ( ou know that Sunday morning ou can sleep late 照らされた。 その男の顔は虚ろだ。くたびれた背広に、度の強い眼鏡。あさ里 ヘルダが迎えにくる約束の時刻までには、まだだいぶある。ぼく い肌の色。アル中のドイツ人浮浪者か : : : 日本人のような気もするは無ロすぎる男を相手にしたことに、すこし後悔しかけており、無 理にも陽気に話しかけた。 「失礼ですが : : : 」 「何を飲まれます ? 」
しい。魚のファッシ靆ン・ショウのように、異様な姿形をしたものた耳にしたこともないものだった。強いていうなら、ハドソンの が現われては消えてゆく。 〈緑の館〉に出てくるような言語だ。しかしそれにしてもなぜ、そ 0 おれの両腕をつかんだふたりは、水を蹴って小型潜水艦の艦首にの意味がはっきりとわかるのだろう ? むかった。その円盤状艦首全部が穴になっている。出入口らしい。 「きみたちはいったい何者なんだ ? 」 ふたりはおれをまん中にしたまま、その中に入った : : : 息がとまり おれがそういうと、男はとまどったような表情になった。 おれはうしろをふりむいた。丸い出人口のむこ そうだ、苦しい 「それは、こちらが聞くことですよ。わたしたちはこの国に住んで いる兄妹ですが、あなたは ? 」 うに薄明るく、おれの設計した X101 潜が見えている。 いつのまに服を着てきたのか、女がもどっていた。男と同じよう さようなら、諸君 ! あたりがまっ暗になった。気を失うのか : に肌が薄い緑色がかっているのが気になるが、相当な美人であり、 : ・水が音もなく引いてゆき、肌が空気にふれるのを感じた。おれは これまたすばらしい肉体の持主だ。おれより背丈はすこし低いが「 急いで〈水中肺〉をむしり取った。甘い空気が思う存分、肺に入っ てくる。 すばらしい胸をしている。ギリシャの彫像のように高くつき出た美 一条の光がさしこんでくる。それが広くなり、ばっと明るくなっしい乳房の形が、薄い衣裳の上からはっきりと想像できる。おれの た。内部への扉が開いたのた。ふたりの男女はおれを見て、につこ視線を感じたのか、女は恥すかしそうに顔をうつむけ、その顔の肌 り笑った。なんの悪意もない表情だ。そして、艦内の部屋へとうながすこし緑色を増した。 「ドイツの港を出たのですが : : : 」 がした。 おれは初めての外国語が理解できることに驚きながら、これまで ターザンのように偉大な胸部・ : : ・いや、ターザンはいけない。ド ィッの敵だからな。それにワイズミュラーとなると、アメリカ人なにおこった出来事をかいつまんで話した。 んだ : : : 理想的に発達したドイツ人、もしくは日本人の胸部という「ドイツ国 : : : それは、地球の表面ですか ? 」 「もちろんですとも」 べきだろう。背丈はおれと変わらないが、肩幅と胸の厚さがまった 「地球の表面から来られた初めてのお客さま : : : 」 ぐ違う。ただ、肌の色がうっすらと緑色をしている。白に近いが かれらの驚きはおれの確信を深めた。 かすかに緑がかっている。濃い緑色の唇は塗っているのか ? 「ということは、ここが地球の表面ではなく、海底に存在する国だ 男のほうが口を開いた。 ということですか ? 」 「どうそ、お坐りください」 おれの心にアトランティス大陸の物語が浮かんで消えた。 おれは思わずそばにあった椅子に腰をおろしたが、その瞬間、ま た忘れかけていた恐怖をお・ほえた。こんどの恐怖は、まったく違う「ええ、もちろんですわ。あなたがたはアトランティスと呼ばれて いますの ? でも、地球の表面に大勢のかたが住んでいられるって 性質のものだった・その男の歌うような言葉は、生れてからこのか
で聞いたニュースのあとが詳しく発表されました : : : 地球上の種族 いつのまにかダイモスの姿は部屋の中から消えていた。 がこの平和な海底の国に侵入し、九人の男たちが武器を携行してぼ 「兄さんは ? 」 くらの仲間を襲い、女子ふたりを殺害したそうです」 「今夜はほかの家で泊るの。わたしたちだけよ、ここは」 おれは愕然とした。なぜ ? どうして衝突したんだ ? 武器を持彼女はじっとおれを見つめ、おれの手を頬におしつけた。おれの たない女を殺すような連中ではないはずだ。 腕がその高くつき出た胸におしつけられる。意識しておれを挑発し 「何かひどい誤解があったのではないでしようか。かれらは考えもているのか ? なく人を襲う連中じゃあありません」 「ねえ、アンドウさん。わたし、こんなに貧弱な体でしよう。だか ダイモスは怒りも見せずに答えた。 ら、いままで恋人ができなかったの : : : それをあなたは褒めてくた 「理由はそのうちわかるでしよう。でも、当分はここから出られなさったわ。そのお気持が本当なら、わたしを愛して」 いほうがいいですよ。・ほくがあなたをかくまうのは、妹のセレスが何ということを : : : その体で、貧弱な体とは ! それにおれはそ あなたを恋しているからです。火星人には愛情が最高のものですかんなことを口にしてしまったのか ? あの飲み物に酔っ・はらってし らね。・ほくらにとってプライシーは絶対のもの。家の中にいられまい、おれは思ったままを口にしたらしい。日本からドイツに着い る限り、絶対に安全です」 たとき、ドイツ人女性の積極さにはずいぶん驚かされたし、多くの おれは女の顔を見た。モレスの顔がほんのりと緑色に染まる。す経験もつんだが、これほどむきだしに迫られたことはなかった。 けて見えるそのすばらしい体つき、だがその美しい顔は初々しい 「ねえ・ : ・ : 愛して : : : そのかわり、どんなことがあっても、わたし 愛情が最高のものだと ? それはいし 、ことだ。でも、愛情とはそれあなたを守るわ。わたし科学者だから、きっとお役に立つわよ」 ほど早く形作られるものだろうか ? 確かにこの娘はおれの好きな「セレス、人種が違う男を好きになっても困らないか ? 」 タイ。フだし、おれは恥ずかしいことだが欲望をもお・ほえはじめてい 「困らないわ。女が仕える相手は男性よ。人種の違いは問題じゃな る。美しい女だというだけで : : : この娘のほうは : : : 生まれて初め いわ。わたし、淋しかったの : : : 」 て会ったばかりの男が殺人者の仲間であると知りながら : : : その兄おれは彼女の肩に手をかけた。その薄い衣がはらりと流れるよう はおれを保護し、妹とおれを結びつけたがっているような素振りをに落ち、みごとな、ヴィーナスのそれをうわまわるほどの裸身が現 示す。どうも変だ 6 われた。おれはその唇へいっきに唇を重ねていった。セレスの体は おれがもし完全に正気だったら、大日本海軍技術大尉のおれが、 こきざみにふるえはじめ、唇を離すとその顔を濃く染め、両手をお 緑色の肌をした火星人の女に愛情を持たれたというだけの理由で、 れの頸にまわした。 生命の安全を保障されたなどと聞かされたら、笑止千万、無礼者と 怒鳴っていたことだろう。 207
「最後まで慎重に行動するべきです。まず、脱出装置のタンクに入「しゃあ行くよ。閉めてくれ」 ってみて、海中にあるものか、それとも海上にあるものかを実験し と、おれはいいながら酒瓶を少尉にもどした。かれのうなずく顔 てみればいいと思います」 が鉄の扉に隠れるとすぐ、ハッチのハンドルがまわった。クレマー 艦長はうなずき、おれは続けていった。 を見ると、かれはにやりと笑って大きな手をのばした。 「この艦の設計者として、自分が脱出装置に入りたいのですが」 「元気でいこうぜ、アンドウ。地獄へでも天国へでも ! 」 そのとき、クレマー中尉が尋ねた。 おれはうなずき、〈水中肺〉で顔をおおうと、海水注入のハンド 「アンドウ、説明してくれないか ? 」 ルをまわした。一秒、二秒、三秒 : : : 重苦しく何秒かが経過した。 おれが手短に話すと、クレマーは行動を共にしたいといった。おだが海水は入ってこない。おれはいぶかしく思いながら〈水中肺〉 れの体にドイツ人の血が半分流れているというだけのことで、かれをはずした。クレマーもはずしはじめた。 はだれよりもおれに親近感を持っている。そして、この艦がドイツ 「空気だ ! 」 人工員の手によって建造されたのたということを、かれはたれより興奮したかれの言葉どおり、確かに新鮮なうまい空気の香りが入 も強く意識し、その責任感からおれと生死を共にしたがっているのってくる。海上にいるということだー 「あけてもいいな、クレマ 1 「お許しいただけますか ? 」 軍医はうなずいた。おれはふるえる手で脱出ハッチのハンドルを 艦長は黙ってうなずき、みんなが見ている中でおれとクレマ まわした。 は、脱出用に新しく開発された呼吸装置〈水中肺〉と救命具をつけまばゆい光がさしこんできた。クレマーとおれは甲板におどりあ がった。球面甲板に立ったおれたちは顔を見あわせた。 101 潜 法田兵曹が脱出タンクのハッチをゆっくりとあけた。おれは手を水艦は、ひろい川のまん中に擱座しているのだ ! 両側の岸辺には ふってタンクの中に入った。クレマーが続く。これで永久の別れと緑の木立ちが続いている。おれは司令塔に走っていった。電話にす なるのだろうか。まわりには平方メートルあたり二千トンもの水圧ぐ艦長の声がひびいた。 が存在していて、おれたちは瞬間的に粉砕されてしまうのかもしれ「確かに浮上しているのだな ! 」 / . し 。海水を注入できるとしても、それは剃刀よりも鋭くおれたち「そうです。きれいな川のまん中に。潜望鏡で見たとおりの景色で の体を引き裂き、タンクを断ち切り : : : 全身に脂汗が出てきた。 いや、全員では ハッチのむこうから片山少尉がウイスキーの瓶をよこした。おれすぐ艦長が甲板に現われた。つづいて全員が : 。十五名しかいなかった。残りの者は、後部居住区画で戦死し はひとロ飲んでクレマー中尉に渡した。だがかれは、要らないとい たのた。 うように手をふった。 こ 0
「おお、わが主イエスよ。われらが弱き羊を見捨てないでください 「おれにわかるものか。夢か幻だろうよ」 いや、夢などではない。艦内の気圧は同じだが、炭酸ガス量がふ 日本海軍の潜水艦にドイツ人の軍医が乗りこんでいるのか、と不えてきたのか ? おれは思いきり頬をつねってみた。痛いっ ! 」 審に思われるかたもあるだろう。出航のまぎわにわれわれの軍医が「航海士、このへんの水深は ? 」 盲腸の手術を受けることになり、この出動のあいだだけクレマ 1 中片山少尉は重い口調で答えた。 尉が乗りこんでくれたのだ。 「はあ・ : : ・二千一「三百のはずですが : : : 」 「あれを見ろ ! 」 それでは、やはり、黄色く輝いているあたりが海底ということに なる。技術者のひとりとして、おれはこの不可解な現象を信じたく おれは驚いて中尉のそばへ行った。い くら紅毛碧眼の毛唐だとは いえ ( おれだって、それが半分混じっているのだが、教育とは恐ろなかったが、いま見えている海底の怪光を否定するわけこよ、 しいものだ ) 、かれもまた光輝あるドイツ海軍の士官だし、それに かった。海底火山の噴火にしては静かすぎるし、色も変だ。見たこ 日頃からロの重たい男だ。無いものを有るかのように錯覚する男でとはないが、噴火というからには赤いのだろう。 X101 が木の葉 はないし、そんなことを口にする男でもない。だが、この深海に何のように翻弄されてしかるべきだ。では、光の正体は何だ ? 光を が見えるというのだ ? 発する巨大な生物でもいるというのか ? 「クレマー、どうしたんだ ? 」 考え続けるうちにも潜水艦は沈下してゆき、黄色い怪光はしだい 問いかけたおれに、クレマーはふりむきもせずに呟いた。 に近づいてくる。 「あれを見ろ : ・ : ・」 「あ ; : : 動きはじめたぞ ! 」 だが、しばらくのあいだは何も見えなかった。とっぜん、窓をの と、片山少尉が驚いたように低く叫んだ。そしてすぐ、 X101 ぞきこんでいた連中の口から驚きの声がもれた。 ばめまぐるしいまでの速さで走りはじめた。二千メートルの海底に 「あれは : : : 」 近いところを走る激しい潮流があり、それにさらわれているのだ。 「何かあるそ、海の底に ! 」 あの怪光とこの潮流とのあいだに何か関係があるのか ? その疑 おれは自分の目が信じられなかった。二千メート ルをこすと思わ問をおぼえたとき、艦は黄色い怪光源に近づき、その上を矢のよう れる海底の一部が、黄色くぼんやりと輝いているのだ。常識では考にかすめたかと思うと、暗黒の中へと飛びこんだ。そして地下鉄の えられないことだ。あれは本当に海底なのか ? 中にいるような轟音が鳴りひびく。艦体が初めて音を立て、最後に 「何だい、あれは ? 」 大きくきしんだ。 おれがそう呟くいつもは丁寧な言葉づかいをするクレマ もうだめだ、と観念した瞬間、いままでの轟音が嘘のようにびた りととまった。気味悪い震動もなくなり、窓の外を見ると、 X10 が、ぶつきらぼうに答えた。・
「三宅さんが新発見の写楽を一堂に集めて展示しようというのよー 「どこで ? 」 「ここで」 「それは呼物になるな」 これは画廊にとっても、たいへんな宣伝になる。 「三宅のおじいさん、よっぽどお姉さんに気があるのねえ。そうい う展覧会って町の画廊でやるものじゃないものね」 かもめが首をすくめた。保険料や出品者への謝礼など三宅の出費 さな目、一文字に結んだ薄いくちびる、ゆがんだ顔などは様式化さ はたいへんなものだろう。三宅には一文のとくもない。ただ世の愛 れた美しさとはまるで裏腹でむしろチンケではあるのだが、それが すなわち写楽の受けた印象なのだ。その顔が生きた人問の顔であ好者のためと、笙子の画廊のためという二つの動機しかない。 り、声をふりしぼり、舞台を踏み鳴らしている役者そのものの顔な「泣かせるう ! 」 のだ。 「かもめちゃん ! 」 だがこの写楽の似顔絵は、とろりとした美しいだけの似顔絵を求笙子が綺麗な目でかもめをきゅっとにらんた。 める当時の大衆には当然のことながら好まれなかった。役者たちは 「それで何か問題があるのか ? 」 元が笙子にたずねた。 写楽の絵にはげしい反発を感じ、中には評判を落そうとしてこのよ うな絵を描いたのだろうと言い出す役者さえいた。一部では熱狂的「あなたがたにわざわざ来てもらったのは、そんな展示会のことじ はんもとったや な支持者もいたが、板元の葛屋重三郎が出版をためらうにおよんでやないの。実はあたしが気にしているのは、な。せ近頃、これまで未 ? ・としうことな 写楽は急激に制作意欲を失ったらしく、一「三の駄作ともいうべき発見だった写楽の絵があちこちから出てくるのか のよ」 役者絵を最後に永久に江戸の画壇から姿を消してしまった。 美人画の歌麿とならんで、 . 役者絵の写楽といわれ、浮世絵の神髄・笙子の声が翳った。 「なるほど」 を最高度に高めたこの写楽の絵が現代で再認識されたのは残念なが ら日本ではなくてフランスやドイツ、アメリカが先だった。その印「事務所の小島くんに調べてもらったのよ。そうしたら、新発見の 象主義的表現はフランスやアメリカの画家たちに強い影響を与えて写楽は全部、同じ人から出ていることがわかったの」 いる。 「誰です ? 」 「台東区の仲御徒町に住む関根という人よ。でも、この人、絵とも 古美術ともまるで縁のない人なの」 「誰かほかの人にたのまれたのではないかな ? 」 いえ。写楽の絵なんていうものはね、名刀と同じで、これまで 知られていないものなんてないのよ。絵は知られていなくとも、な んらかの記録は残っているものなの。それに小島くんの調査では、 この人から先は全くつかめないの。まるで、この人の手元に湧き出 したような感じなのよ 小島青年の調査能力は信頼できる。 5