ソ連 - みる会図書館


検索対象: SFマガジン 1975年10月号
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1. SFマガジン 1975年10月号

ません。一九七五年のソ連にはたしかに「トロイカ」 パシイだけということになった。持って行く の存在は実態としては消減しているかもしれません ものはエジークが発明したポータブルのリモ が、そういうものがあった方が都合がいいと感じて ラリゼターだけだ。その作動原理は被照射体 いる者が権力の側にいるのを感じさせる作品です。 のプリミティ・フな反射作用を抑え、分別、善 げすの勘繰りでなければいいのですが : : : ついでに 意、安定を表面に引きだし外へ向けさせるこ 一言よけいなことを言わせていただくとすれば、三 とにあった。 頭だての馬ぞりは日本にはなかったのでしようか ? 今はないのでしようか ? これからもないといいき 彼らは七六階に着くと合理化された ( トロ イカによって実在を証明されたことを意味す れるのでしようか ? る ) 雪男の案内で三人委員会の会議場へ出頭 読み返してみますと、またいささか固い話になっ する。そこでは申請された発明発見の審議が てしまいました。ソ連のファンのなかには、も 行なわれるが、書類上だけの資格認定のやり っとソ連らしいを紹介しろ、ということをおっ かたのいいかげんさは、本物の「トロイカ」 「月曜日は土曜日に始まる」と「神様はつらい」 しやるかたがかなりおいでになることはよく知って のニ篇を収めた『現代全集』の第七巻 の実態を見ているようで、諷刺がきいている。 。フラウダが、この作品は人種偏見の悪意があるといとめられた。普通のレミントンのタイプライターにいます。その「ソ連らしい」の意味が、このごろの って非難したとき指摘した個所もこの三人委員会のただ整流器やネオン管やスイッチを取りつけただけ一ソ連ではなかなかむつかしくなってきているわ で、特別の装置ではないという・ほくの見解にたいしけです。アメリカナイズ、反体制、共産主 審議場面のやりとりの中にでてくる。 て、委員長は、現実にこの機械が質問に答えている義未来、科学万能、その多様なことおどろ 申請者とは別人の老人が呼びこまれた。かれは鞄事実を無視している。と反論し、結局その実在を認くばかりです、無いのはポルノぐらいではない の中からおん・ほろのレミントンのタイプライターを定する合理化を宣言してしまった。こうして、トロでしようか。それにしたって、あるいは地下出版で 引っぱりだした。それは、科学と経済上の問題をなイカは科学とは無縁の行政的宣言でありもしないこあるのかもしれません。ですからこれを皮切りに、 んでも解決する機械だと説明する、テストが行なわとを科学的実体として認めてしまう。 出来る限り変ったを広く紹介していきたいと思 れた。委員の質問に答えて、タイプライターは、自分 います。翻訳の点数も少ないことですから、シノブ の存在を科学的事実として承認しろと要求する。そストルガッキーは、この作品は無能と出世主義とシス ( 梗概 ) も必ずつけるようにするつもりです。 の認定をめぐって議論がたたかわされるが結論が出官僚が跋扈する現代科学を諷刺して書いたといってご意見がありましたらぜひお聞かせください。 ない。そこでオブザー ・ハーとしての・ほくの意見をもいます。すなおに読めばあるいはその通りかもしれ 0 0 0 0 0 , 、聞“ⅱ Crp a K 数 し op c CTpyrELKHit サ ! ズダート ー 25

2. SFマガジン 1975年10月号

トロイカといえば、雪の白樺並木を・ ( ャーンをか外の意味についてはここでは問題にしません。この村浩訳、新潮社 ) 』からの引用だ、と察しをつけら なでながら、粉雪をけたてて走る三頭だての馬そり「三人委員会」がくせものなのです。三人でも三匹れたかたもあると思います。「三人委員会」はただ を思いうかべます。 でも三個でも三機でも、ようするに三つが組になつの委員会ではなかったわけです。 トロイカ (TP0iKa) は、英語の three 、仏語のているか、三を表わす物であればトロイカというの : : : トロイカは革命裁判所以上に恐ろしい存在と ( 3 一 s 、独語の drei などと同じ語源で、三に関係のですから、「三人委員会」があっても別に不思議はなった。そこでトロイカはいっそう孤立化し、秘密 あるいろいろな意味を持っ言葉です。三省堂のコンないわけです。しかし、よく考えてみると実に要領のヴェールをまとい、個々の部屋に閉じこもって、 サイス露和辞典を引いてみますと、 をえない、あいまいな意味です。いったいなんの委やがて委員の名前も雲隠れしてしまった : ・ : ・私たち ① 3 、②三番のもの ( 例三号車 ) 、③五点満点の員会のことでしようか ? 三人で構成されている委が噂で聞いているのは特審 ( トロイカと混同して使 三点、④カルタの三点札、⑤一台の馬車・そりにつ員会ならなんでもトロイカといえるのでしようか ? われることがあるーー筆者註 ) の本質は三位一体で けられる三頭の馬、三頭だての馬車・そり、⑥一編そういう疑問を持っても当然です。もしそうだとすあったということだけだ : ・ : ・すなわち、一つは共産 人・ヴェ・デ 隊をなす三飛行機、⑦三対橇のポート、⑧三人委員れば、「委員会」好きのソ連で出た辞書にその意味党中央委員会であり、もう一つは内務省であり、最 会、⑨三つ揃の服、⑩三人組、三つ組。 がないのは妙です。念のためにソ連の家庭で国語辞後の一つは検事局である : ・ とあります。他の辞典もだいたい似たりよったり典としてよく使われているオジョゴフのロシア語辞引用しついでといってはなんですが、もうひとっ の説明がついています。雪原を突っ走るロマンチッ典を調べてみました。それにはちゃんと「三人からだけ我慢してください。その前にちょっと横道にそ クなトロイカは⑤にあたるわけです。 成る委員会」と出ています。ただし、それ以上の説れますが、恐らく英米その他の国には俗語辞典があ スキャナーでロシア語の話やロシア民謡の解明はありませんから、さっきの疑問は解けないままると思います。ソ連には純正ロシア語しか単語とし 説を始めるつもりはありませんから、もう少し先まです。 て認められていないらしく、俗語辞典に類するもの で読んでください。こんな辞書の引きうっしをやっところが思いがけないところにトロイカの隠れたがありません ( 実は日本でも似たりよったりです たのも、この響きのいいロシア語がソビエト市民に意味を教えてくれるものがありました。 が ) 。現代ソ連文学の翻訳には不便しています。と とっては、ただ鈴の音高くかろやかに、冬の雪原を ・ : その真の活動が始まったのは、絶えず裁判をころがイギリスで ( 親切にも ! ) 一昨年ロシア語俗 走る三頭だての馬そりだけをさす詩的な単語ではな無視して運営されているトロイカが創設された一一〇語辞典 (Beyond Russian Dictiona 「こを出して く、もっと深い意味があるということが言いたかっ年代からであった。最初のうちは国家保安部のトロくれましたのでいくらか助かっています。しかし、 たからです イカとして、誇らしげに前面に押し出されていた。外国で出た俗語辞典というのはやはり邪道です。も ザルービンという日本語学者が出したソ連版の露いや、その委員の名前も秘匿しなかったばかりか、 う一つこれはいちがいに邪道とはいえませんが、 日辞典を見てみますと、①、③、④、⑤の意味しか載かえって宣伝したほどだった : ・ Soviet Prison Camp Speech ・ A Survivor's っていません。これから書くことに関係がある⑧以これが、ソルジ = = ーツインの『収容所群島 ( 木 G 「。 ary という収容所で囚人がしゃべるジャルゴ 00 疆酢翡 -- 0 0 0 0 0 0 ロイカは馬ぞ ) カ ー・ウ 、見 ー 2 2

3. SFマガジン 1975年10月号

ンだけ扱ったものが、アメリカのウイスコ れたら、てつきりファンタジックかなんかと間 ンシン大学出版局から出ました。こっちの 違えそうです。しかし、トロイカに、泣く子もだま ほうは、辞書というよりソルジェニーツィ る三人委員会の意味があり、いちどそれににらまれ ン研究の一環としてまとめられた仕事です たらそれこそ一巻の終りだということを肌で知って から、文学研究という学問的な意味もあり、 いるソ連市民なら、ストルガッキー兄弟の作だと聞 一間者と少しニュアンスがちがいます。この くだけで、ビーンとくるのではないでしようか。 Grossary からトロイカの説明を書き写し この作品は一九六八年にシベリアの小さな地方文 ておきたかったわけです。これが一番要領 芸雑誌〈アンガラ〉の四・五号に載っただけで、つ よく意味を伝えています。 いにソ連では単行本としての出版はかなわず、日の Troika 略式判決で反革命事件を迅速に 目を見ませんでした。もう一つの「坂の上のかたっ エス・カ・ヴ・デ エム・グエ・デ 処理するための、内務人民部 ( 内務省の前 むり」 ( このタイトルは俳人一茶の句、 / かたつむ 身 ) の特別委員会の如き保安機関によっ り / そろそろ登れ / 富士の山 / から取ってありま て設けられた三人で構成された委員会の す ) も同じ年に、これまたプリャート自治共和国な どという僻地のウランウデで、一万部そこそこし 俗称。一九五三年に廃止されたといわれて「トロイカのおとぎ話」の収録されている いたが、公式には一九五八年の法改正によ 『坂の上のかたつむり』ポセフ社版か刷っていない文芸雑誌〈・ハイカル〉の一号と二号 り廃された。 0S0 ( 特別審議 ) と混用されたこのす。 に分載され、結局「トロイカ」と同じ運命をたどり 語は、第二次世界大戦初期後は収容所でほとんど使この原稿を書いている机の上に、ロシア語の本にました。西側から伝わった情報によりますと、これ われなくなった。 しては表紙のデザインも垢抜けているし、紙質も上らの作品を載せた両誌の編集長は、首がとんだそう 要するにまどろっこしい裁判などという手順は無等なペー ー・ハックがのっています。ストルガッキです。いかにもよく出来た話ですが、まったく嘘っ 視して、反革命、反ソ、ス。ハイ行為などを行なったー兄弟の「トロイカのおとぎ話」が入っている同じ一ばちだと言いきれないところに、ソ連という国の不 か、行なうと判断した社会的に有害かっ危険とみな著者の『坂の上のかたつむり』です。もの覚えのい一可解なところがあるわけです。 される分子をてっとり早く即決で判決をくだせる権い読者なら以前ちょっと触れたことのある作品ばか一九七二年になって、西独のフランクフルトにあ 限を持った恐るべき委員会であったわけです。これりですから、タイトルぐらいはご記憶があるかと思る、とかくの噂のある出版社ポセフ (Possev ・ ve ・ では、トロイカという言葉を聞いて、鈴の音や雪のいます。今回、このうち「トロイカ」の方をスキャ rlag) が、この二作を一冊にし、版権の所在を明記 白樺や・ハヤーンのひびきわたる雪原を思いうかべてナーで取りあげることにしました。辞書の引き写し一して出版しました。手許にあるのは、その版です。 うっとりしているわけにはとてもいくまいと思いまや『群島』の引用がなければ、タイトルだけ聞かさここまで書いてくれば、「トロイカのおとぎ話」 0 0 0 0 0 G え A N ー 、。ス + ャナ 以 3

4. SFマガジン 1975年10月号

こた 宮は微笑んで応えた。 いずつ次の時代の科学で考えると可能な方法によっていることが判 りました。よござんすか【 「可能です。ただし : : : 」 「貴方は五千年前のムムシュの時代が今日のような・またはそれ以「第一の、クフのとき現れた動きあるく神殿というのは何でしよう 上の科学を持っていたというのですか ? 」 馬が牽いているからには戦車です。もちろん内燃機関と無限軌 ソ連とアメリカが代るがわる註した。 道を持った現代の戦車なら歩兵の散兵線を蹂躙することなそお茶ノ 「それは私には何とも言えません」 子で、それこそ先大戦当時ロンメルのパンツアーどもがご当地でさ 宮は考えぶかい面持をして・ んざん披露におよんだ技術でしよう。しかし上エジプトにはそんな 「ただ、すべての可能性を考えてみるのは学術調査団として無駄でものはなかった。 : カ同時に馬車もなかったのです。太古王国の軍団 はないし、また団員の務めだと思ったのです。前にも申したようは、それから約千一一一百年後の十二王朝が馬と戦車を使用するヒクソ そな に、現代に可能なことは同し条件さえ具われば過去でだって可能なスの侵入軍のまえにあえなく潰え去ったのと同じに、異様な動物に わけで、なにか我々の想像外の事由で五千年前ここでだけその条件牽かれて走り廻る屋台に・対処する方法をしらずに殲減されたので もろ が具備されたのではないかとも考えました。しかしそれにしても個す。馬を識らない種族がいかに騎兵軍団のまえに跪いかは、アズテ 個の状況にそれそれの違った反応を示すというような装置は工学的クとコルテスの事蹟をひくまでもなく、我国の征服王朝が一瞬にし には機構が無限に増大するという矛盾に陥るし、また条件の仮定じて銅鐸国土を払拭している勢いをみても明らかです : : : 」宮の言葉 しん有りそうもない事です。するに之はどういう事なのだろう。 はここで妙に尻す・ほみに勢いがなくなり、なにやら甚だ後ろめたそ 可能性云々は後廻しにしてもいいが、一体なぜ、そこでだけ現代にうなお顔いろであったーーーアメリカ人とソ連の委員は笑いだし、フ もまさる科学機構が用いられるなら・つねに一挙に侵入者を殲減しランスの代表はぎやくに「ご尤もだ」というような同情的な表情を 得るメーザー線を装置せずに一々べつな手間をかけて面仆な応対をうかべた。 しているのだろう と思うと妙にその事ばかりが気になりまし「第二のー」 た。すると突然、それはそうする必要ないしは理由があったからで と義仁ははやく話頭を転じようとするもののように、「ーアメシ 冫ないか、という考えにつき当ったのです。で廟が、なぜそのとき = 隊に降った火の雨というのは山上から火箭の一斉射撃をあびせた にそうしたかを知ろうと思って、起った事柄を一つ一つ並べて比較ものとすれば、文字どおり実際の方法として解釈できます。これは してみたら : : : 」 ハビロニアの角逐時、チグラト。ヒレスルの軍が・ハビロン 「ーみたら ? 」 を最終的に撃減する決定兵器となるもので、これまた前から九百五 おく 米ソがこんどは同時につよい興味を示した。 十年ぐらい後れて史上に登場します。がそのアッシリヤの第一一一次侵 「これらの・それそれに違った応対の仕方たちは、いつも千年ぐら入は機関銃でやられている。ここから次のゴート の簒奪王までは約 かみ

5. SFマガジン 1975年10月号

′弋ン 時か実 の一 古田 ~ そド 一触即発という言葉が、このときほど 身近に感じられたことはなかった。なに かしようとしても、もしいま、この瞬間 にも、米ソいずれかの、あるいは双方の ここ数年間で、この十月末の二、三日 ミサイル発射ボタンが押されていたら、 ほど強い危機感を感じたことはありませ と思うと、やりきれない無力感に押しま んでした。もちろん、キュ 1 バをめぐる くられ、押し流されて手がっかない。 ~ 米ソの対立です。アメリカは、公海上で そういってしまっては身も蓋もないか キュー・ハ向け船舶を臨検し〈攻撃的武 ~ 器〉を積んでいる船は追い返すか拿捕すもしれないけれども、全世界が破減し るか場合によっては撃沈も辞さないと発て、放射能まみれの塵埃の塊と地球が化 してしまって、なんの、なんの 表し、一方それらの武器を積んでいるこ マガジンだと、思わずにはいられなかっ との明らかなソ連船が二十五隻も、アメ たのです。 リカの海空の封鎖線にむかって進行中で あの緊張の二日ばかり、なんど、ミサ した。 イルがこの空の奥にと思って、真昼の空 をまた夜空を見上げたかわかりません。 それだけに、フルシチョフの譲歩によ って一応の危機が去ったときの、あの途 方もない安堵感も、それまでのものとは 比較にならない真実味がありました。そ して、思ったことでした・ーー・世界と人類 とを救うものは、この恐怖の再認識しか ない、と。ボタンの一押しが世界の破減 につながるという、まさに的なシチ ュエーションの再確認しかない、と。 ぼくはこれを、一九六三年の年頭の辞 としたいと思います。いかにも意気あが らない年頭の辞ですが、これが現実。現

6. SFマガジン 1975年10月号

SF MA GAZINE PEC LATIO & 村 ( 02 ドー SY VOL. 1 OCTO R ー盛夏 連日三十度を越す編集部矼猛暑つづきで、モ ウどうショうもないと、くだらぬ駄洒落をと ては、またまた暑くなるといった悪循環 のです。 暑さに 1 けぬ心意気といいますか、夏のさ にかけて、さわやかな行・トが各 かりから一 地で数多く行しています一一酷暑を吹っと ばすようなエネギを発散させる祗園祭、 前面には来たる の喜びを、裏面には去リ 行くものの良いを現わした、余情にみちたね ぶた祭、夏の、り火のような山焼き、すがす がしい高校野 : などなど。 はる力を虚空の方から、ソ連のソューズ、 アメリカのアポ朝町宇宙船のドッキングー を暑さを忘れるさわや の報が伝えられま 贏必にみぢた字宙も、、わ かなニュース となりつつあるといえましよう ー当編集ロ ) も、暑さに負けぬ心意気で、今月 、、 1974 年度ヒューゴー賞特集 " のメインは、 ノ、一ラン・エリスン、ジェイムズ・テ -1 れ、 イプト当ー ・ジュニア、アーシュラ・ル・ -- グ / プ・トウ・デートな作家に ・トウ・デートな作品です よる、 ・最も / プ・ト・デートなイラストレー 鍋博氏の「 . , ・の憶え描き↓ほ好評 裡に ) をも。て終りす ? さまざまな思考 実験 : シャーーフ。な トによってこセン のヘ誘ってくれまし た。単行本北も進めておゆ、ご期待ください。 ー深井のイラスト連載が始まりま , した 華麗なフンタジーの国々、、真夏 あそびくをし NO. 10 19 7 5

7. SFマガジン 1975年10月号

ドッキングするアポロ ( 左 ) 定より六分早 く、大西洋上空 とソューズ ( 右 ) の想像図 二百二十キロの 軌道上で実現し た。ソューズは 行ラ 一気圧の空気、 国 アポロは三分の 両ド 一気圧の純酸 た一士 しオ行 素、とお互いの 船内大気の状態 揃タ 5 が違うため、 勢スの きなりは飛行士 練ンソ たちは乗り移れ ない。仲だちを 同イク 一するドッキング 合レ のスフ 船にまず移って 前らノ 気圧と大気成分 射かオ の調整をした上 発左レ で、まずアポロ のスタフォード 日本時間十五日午後九時二十分 ( 以下すべて日船長とスレイトン飛行士が、ソューズに乗り移っ ■成功した米ソ共同宇宙飛行 十八日午前四時十九分、スタフォード船長と 本時間 ) 、ソ連のソューズ四号 ( レオノフ船長、た。 ク・ハソフ飛行士乗り組み ) が、史上初のテレビ生ソューズのレオノフ船長が固い握手を交わした。 「ハロー」「ズドラーストウィ ( こんにちわ ) 」 ー二つの国の宇宙船が軌道上でがっちり手を握り中継のうちに中央アジアの・ ( イコヌール宇宙基地歴史的なこの瞬間は、カラーで全世界に中継され から打ち上げられ、の幕は切って落とさた。 合った初の米ソ共同宇宙飛行実験 ( ) は、 ドッキングは二日間続けられ、五項目の米ソ共 成功のうちに幕を閉じ、宇宙開発史上に新たな一れた。次いで、七時間半後の十六日午前四時五十 分、米国のアポロ宇宙船 ( スタフォード船長、・フ同科学実験も行われたが、切り離したあとも、三 べージを書き加えた。 は、もともと米ソ両超大国間の緊張緩ランド、スレイトン両飛行士乗り組み ) がフロリ十五項目にの・ほる科学実験を続け、ソューズは二 和の象徴としての国際政治的なねらいがあった。ダ州ケープカナベラルのケネディ宇宙センターか十一日午後七時五十一分、カザフ共和国アルカル イク付近に着陸、アポロも二十五日午前六時二十 この点、ドッキングした宇宙船上で手を握り合ら打ち上げられ、ソューズの後を追った。 、肩を抱きあって地上の米ソ両国首脳からの祝両船とも打ち上げ後まもなくからいくつかのト分ハワイ西方の太平洋上に着水した。 こうしては所期の目的は達成したが、 福のメーセージを受けた両国飛行士は″宇宙外交ラブルに見舞われた。ソューズは船内のテレビカ 官″としての役割りを十二分に果たしたといえメラが働かず、アポロは、両船の間をつなぐドッその裏では、なお秘密のべールに隠された部分、 る。また技術的には、システムの異なる宇宙船同キング船との連結部分に不具合いを生じた。その両国間の抜きがたい対抗意識が垣間見られた。ま たしよせんアポロとソューズは″中古品″同士、 士を結合させる共通ドッキング装置の性能が確かほかにも小さな問題はあったが、幸いいずれも計 最先端の宇宙技術はお互いに公開しないし、核ミ められ、将来万一の宇宙事故のさいにも国際救助画の遂行に大きな支障はなかった。 世紀のドッキングは、十八日午前一時九分、予サイルで依然しのぎを削っている以上、真の米ソ 活動が可能であることを立証した。 すべーー・た影、 あんてな 以 6

8. SFマガジン 1975年10月号

が、サイボーグ・トロイカか、ロポット・トロイカるので日本語にするのはひどくやっかいではなかろを探らせるつもりでいるが、・ほくたちの関心はその か、あるいはロケット・トロイカを手綱さばきもあうか、といってきました。日本語が堪能なアルカー階にあるといわれているプラック・ポックスと〈喋 ざやかに、美しいスラブ娘が星のかがやく大宇宙をジイが、やっかいだというだけあって、「トロイカ」る南京虫〉だった。七六階についてわかっているこ かけめぐるスベオペでもなければ、自走トロイカをが「三頭だての馬そり」式の訳をやったんではなにとといえば、科学技術と社会発展のあらゆる段階で かって、火星の大自然を探険するイワンの勇気をたがなんだかさつばりわからない話になってしまうよちゃんとした理屈にあう説明がっかないことはなん たえた大叙事詩でもないことはお察しいただけるとうな難解なです。それこそとんでもない意味のでもかんでもその階にほうりこんでおいて、よりよ き時代がくるまで保存しておくことになっている、 とり違いをやってしまいそうな代物です。 思います。 ということだけだった。昔はその階は二階にあった そうだとすれば、今までなんだかんだと手のこん だ思わせぶりな書きかたをしてきたことが気になり昔は、自由に行き来していた研究所の十三階よりから自由に出入りできた。ところが科学の殿堂がで だしました。気の早い読者のなかに、宇宙共産主義上は、現在は往来のかなわぬ未知の世界である。工つかくなるにつれそこへ入るのがむつかしくなり、 エレベーターが発明されるにおよんで、全く往来が 連邦かなんかに収容所惑星か収容所星雲があって、レベーターも境階である十三階までしか行かない。 悪逆無道なトロイカが連邦に都合の悪い有害かっ危だが研究所の歴史によると、エレベーターの操作になくなってしまい、その宝庫を学術的な目的に利用 険な分子 ( 惑星 ) を消してしまう話で、ソ連体制の巧みな連中のなかにはじようずに操って夢のようなオることはできなくなってしまった。 批判か諷刺をやってるんじゃなかろうか、と思う人高さまで昇った者もいないわけではないが、たいが二〇年ほど前、エレベーターが暴走して、都市管 いの者にとっては十三階から上の無限とも思える多理部の検査員たちが七六階にほうりあげられてしま がいてもしかたがないと思います。 残念ながら ( なにが残念なのかわかりませんが ) くの階はまったく未踏の地だった。そこは、こちらうという事故が起った。かれらはそれつきり降りて それは考えすぎで、直接政治批判につながるようなの世界とは行政的影響から完全に切り離されていこなかった。それでも始めのころは、エレベーター て、いろいろ矛盾した噂が流れていた。たとえば一の縦坑から、下水道設備の調査報告や高地出張手当 露骨な政治ではありませんでした。 この作品は、〈より若い世代の学術研究者のため二四階は、別の物理法則に支配されている空間とつの請求書類を落してきた。だがやがてそれは検査委 のおとぎ話〉といういやに長ったらしいサプタイトながっているとか、二一三階にはインドのアショカ員会の会議録に変り、ついでそれは状況調査特別委 ルのついた「月曜日は土曜日に始まる」の続編王の思想的後継者である錬金術師たちが住んでいる員会となり、突然ズボ市異常現象コロニイ司令官活 動調査臨時三人委員会の議事録になった。そして最 として書かれました。これらの作品を通して、出世とか、いろいろ噂があった。 主義者や無能な学者や官僚主義者がはばをきかせて今日はその境階を越えるエレベーターの試運転の後に、指令や命令書が送りつけられてくるようにま いる科学者の世界を諷刺しています。翻訳について日だ。若手研究者を代表して : ほくとエジークがそでなった。 作者の意向を問い合せたとき、学者仲間の隠語や疑れに乗って七六階に行くことになった。上役の線型そのトロイカの実態調査をするのが・ほくらが送ら 似学術用語や特殊なお役所式ないいまわしが多すぎ幸福局の局長は・ほくらをス。 ( イとして送りこみ様子れる目的だ。下との連絡は用心のためもつばらテレ 登 0 一 -0 4

9. SFマガジン 1975年10月号

一ガジンの主役たちの顔がほ・ほ出揃ったこと小松左京が、原子力発電についての博学ぶた。小松左京の『拝啓イワン・エフレーモ になる。もちろん、作家クラ・フは、そりを披露して、技官を蒼白にさせたり フ様』石川喬司の『戦略的論』は、こ 一の後もしだいに会員を増やし、小尾芙佐、そんな伝説的 = ビソードをたくさんつくつうした成果の一つであ 0 た。 ) 深町真理子の両女流翻訳家や、工学博士石た思い出は、いま思っても懐かしい ) とか、 また、アーサー・ O ・クラークのすぐれ 原藤夫やその他の人々が入会することにな航空自衛隊航空医学実験隊を訪問して遠心た的未来論『未来のプロフィル』も、 ) るが、それはもう少し後のことになる。 加速機や瞬間減圧装置を見せてもらったり この年に連載がはじまっている。このエッ セーがわが国の未来論あるいは科学論に与 こうして作家クラ・フは活動をはじめ技研へ行ったり、東京三鷹天文台へ えた影響は決して少なくない。 ~ た。それまで、個人的あるいは宇宙塵中心行「て四〇〇ミリ屈折望遠鏡の = ントロー だったライターたちの活動は、クラ・フルをやらせてもらったりというふうに、大日本作家の活動も、軌道に乗ってきた。 という軸を持って動きはじめた。 星新一、小松左京、光瀬龍などが、着々 いに精力的に歩きまわった。 〉その一例は、この頃クラブが行なったさ もちろん、かんじんのの作品活動と、自己の世界を構築する意欲的な作 品を発表しつづける一方で、自らを新らし も、それ以上に活発になりつつあった。 ~ まざまの施設への見学にも現われている。 一最初のそれは慶応大学の三田電算室のコン この当時のマガジンのファイルを繰い波として自任する豊田有恒、平井和正、 一ビ = ーターの見学だ「た。 ( 翻訳家小尾芙 0 てみると、ほとんど毎号のように、アシ半村良などの活躍も目立 0 てきつつあ 0 佐さんの夫君小尾教授ーー・当時経済学部助モフ、ハインライン、ラインスター た。豊田有恒が彼の仕事のメインとなる歴 〉教授ー・、、が、当時ここの主任だった ) 一応ルトン、ヴォクトなどヴ = テラン作家の、史の端緒をつかむ作品を発表しはじめ たのもこの時期だし、平井和正が、の の見学を終えてのち見せてもらった野球ゲ四〇年代アメリカの基盤をなす作品 " ームのデモンストレーションに、メンパ が、連載あるしを 、ま単発のかたちで紹介され中に強烈な情念のドラマを持ちこんだ虎の は子供のようにはしゃいだものだった。 た。また、ストルガッキーをはじめとするイメージによる連作を書いて、やがて彼の そのほか、科学博物館に村山定夫さんをソ連作家たちゃ、ポーランドのレムの作品その後のキャリアを決定づける道を歩きは 訪ねての歓談とか、東海村の日本原子力発も、たいてい一編は紹介されていた。さらにじめたのも、同じこの時期であった。た 。電所の見学 ( このとき、星新一が原子を一 この頃、誌面にあらわれた重要な作だ、この頃の半村良は、明らかに、自己の 〉つお土産にほしいといって接待役の技官の品としては、イワン・エフレーモフの麟質である風俗小説的要素と、との結 合に苦慮して、低迷を余儀なくされていた 目をしろくろさせたり、矢野徹が中性子を論『社会主義的論』がある。これは、エ この低迷は、もちろん、当時の半村の ~ 浴びるとき身体を横にすればいくらか軽症フレーモフの持っ観をきわめて具体的 で済むのかと大真面目で質問して相手の度かっ広範に語った、おそらくわが国に紹介本業であった広告業界での仕事の盛衰とい 胆を抜いたり、筒井康隆が、原子炉室を出されたはじめての本格的論であった。 う事情もあいまって、数年後、伝奇小説の ) るとき放射能検出器の前に立ったとたんに これは、わが国の作家、ライターた かたちで開花するまでの間かなり長くつづ 9 ちのあいだに、活発な論の展開を促しき、彼を苦しめることになったのである。 ~ 警報ブザーが鳴りだして蒼白になったり、

10. SFマガジン 1975年10月号

と一体化し、火花がエネルギーに変るのを待った。肉体は融け、ひ 世界の一生カラ見レ・ハ、一瞬ニスギナイ。 んやりした静かな土となった。彼の眠は惑星の暗黒の中心部を照ら ネイサン・スタックは適応できる男だった。彼はすかさず徴笑し 2 て、いった、「きっと疲れていたんだな」 す光を放ち、彼は母親が子供たちを育てるありさまをながめた 虫、植物の根、巨大な洞窟内部の断崖から数マイルにわたって流れ影は答えなかった。 おちる川、樹皮。大いなる母、〈地球〉の胸にふたたび抱かれ、男「おれにはよくわからない。やたらにこわいだけだ。死んで、それ からめざめるなんて : : : こんなところに。こんなふうに」 は彼女の人生の喜びを知った。 キミハ死ンダノデハナイ。連レテ行カレテ、アソコニ置カレタ / コレヲ亡 5 レルナ、とダイラは男にいっこ。 ダ。最後ニハ何モカモワカル、約東スル。 ナントスパラシイコトダロウ、と男は臥い ・ : 砂漠にもどった。天然の母とともに眠り、その体を愛し、楽「だれがあそこに置いた」 ワタシダ。チョウドョイトキニ来テ、キミヲ見ッケ、アソコニ置 しんだ記憶はすっかり失われていた。 イタ。 2 「おれはまだネイサン・スタックなのか ? 」 ソウ思イタケレ・ハネ。 彼らは、山のふもとにある青色ガラスの洞窟に泊った。さほど奥「ネイサン・スタックなのか ? 」 行きはないが、内部で大きく折れ曲っているので、吹き流された軽ソウデナカッタコトハナイ。キミ ( タクサンノ名前ャタクサン / 石に埋れる心配はなかった。行火石を洞窟の床の亀裂におくと、熱体ヲ持ッテキタ。ダガ、火花 ( ィッモキミノモノダッタ。スタック が急速にひろがり、彼らをあたためた。影の生き物はその三角の頭が口を開こうとしたとき、影の生き物はつけ加えた。キミハ今マデ を暗がりにもたせかけて眼をとじ、野外に放射される狩猟本能が食ズット、今ノキミニナロウトシテイタノダ。 「だが、おれはいったい何だ ? まだネイサン・スタックだといえ 物を見つけだすのを待った。風にのって絶叫がかえってきた。 しばらくのち食事が終って、満腹し、いくらか落着きがもどるるのか ? 」 と、ネイサン・スタックは深い影のなかを見つめ、そこにすわって ソウ思イタケレバネ。 いる生き物に話しかけた。 「そこのところがあんたにもはつぎりしないようだな。あんたはあ そこへ来て、おれを助けだした。つまり、おれが目をさますと、あ 「どれくらいおれはあそこにいた : : : どれくらい眠っていた ? 」 んたがいたわけだ。あんたのほかに、おれの名前を答えられるもの 影の生き物はささやきで答えた。二十五万ダ。 スタックは言葉を返さなかった。想像を絶した数字だった。影のがいるのか ? ー キミハ時代ガ変ルゴトニ、イクタビモ名前ヲ変エテキタ。ねいさ 生き物は理解してくれたようだった。