二人 - みる会図書館


検索対象: SFマガジン 1975年10月号
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1. SFマガジン 1975年10月号

′、ヤカワ・ノン刀クション ある警官殺害事件 オニオン・フィーノレド 、ヨゼフ・ウオンポー / 本上博基訳 1700 円 1963 年 3 月、土曜日の夜。ロスアンジェルス の警官 2 人が、郊外のタマネギ畠に拉致され、 一人が惨殺、他の一人は恐怖の追跡から逃れ た。犯人 2 人による理由なき殺人であった。 ・・・事件の背景を克明に記録すると同時に 権威主義的警察と 10 年に及ぶ裁判の前に、見 る影もなく風化してゆく人間の姿をドラマテ イックにえカゞく、ノンフィクション・ノヴェ 《アメリカ探偵作家クラブ特別賞受賞》 く戦艦ビスマルクの撃沈〉 追跡 ヴク・ケネティ / 内藤一郎訳 イギリスの大洋輸、露を絶っ ~ く、 円年 5 月四日ドイ、ン戦ーヒ ノレクは / 、ンプ丿レク を出港する % こをえ撃つ英海軍は、空前 の大追撃イに愛する祖国のた , ら冫毋の勇達の物語を、これまでにな 、詳細な資 : 三の作ド参加。した著著の一プ 、 = 経験を通して鮮かに再現する ! ゞ国朝 00 ナチ・ドイツを逃れて 絶望の航海 G ・トマス M ・モーガン = ウィッツ / 木下秀夫訳 1000 円 近 最新刊 ノ 著

2. SFマガジン 1975年10月号

の第第 . 第まに 遥、第三朝み三第 1 1 「みんな誰かが必要なんだね」とピーダスンた。そして、もう一方の手でヴィクの壜を下 においた。 はつづけて言った。 固くなっていくような感じが、からだしゅ 「誰にもわからないことだよ」とプリトリー ま - は言 0 て、さらにつけくわえた。「でも、あうに忍びよ 0 た。それは誰かが手を握りかえ してくるような気持だった。やがて、もうこ んたにはわかるかもしれないな」 そう言ったとたん、異星人はさっと身をこのまま、ひとりで行くのだと思って、彼は言 わばらせ、老人の腕に爪のような指先をかけった。「さよなら、プリトリー」 しかし、かたわらの異星人から別れの言葉 た。「来るよ、あの男が、「ヒーダスンー はかえってこなかった。聞こえてきたのは別 いまかいまかと待ちうける興奮、それにと もなう恐怖にちかい戦慄。ピーダスンは白髪れの言葉ではなくて、静かにおりる霧のなか の頭をあげた。暖かい肩掛けをかけていたにを通ってくるようなジルカ人の声だった。 もかかわらず、寒さをお・ほえた。では、もう「わたしたちは一緒に行くのだよ、ピーダス ン。『火色の男』はどんな種族にも訪れてく 近いのだ。「来てるかい ? 」 るのだ。わたしがひとりで行くとでも思うか 「もう来たよ」 ね ? お互いがお互いを必要としていること 二人ともそのことを肌に感じた。というのこそ大切なのだよ」 は、。ヒーダスンにはかたわらにいるジルカ人「おれはここにいるそ、『灰色の男』よ。お がそのことに気づいていることが、気配でわれはひとりではないのだ」不思議なことに「 ジルカ人が手を差しだし、彼の手を握ってく かったからであった。彼はこの異星人の心の 動きに敏感になっていた。同様に、相手も彼れたことが、。ヒーダスンにはわかった。 ビーダスンは盲いた眼をとじた。 の心のなかを奥底まで察しているのだった。 ・一髢一「『灰色の男』よ、ピ 1 ダスンはその言葉をずいぶん時間がた「てから、ふたたび竪琴 コオロギが一段とたかく鳴きはじめ、小屋の 夜の空気にのせて、静かに低く呼びかけた 前のポーチは平和な静寂に占められた。 ご、藩が、月の谷は答えなかった。 夜が、この荒涼たる土地を訪れた。夜、だ 「心の用意はできているよ」と老人は言っ ・ ~ 【【て、握ってもらうために左の手をさしだしが、それは暗闇ではなかった。 2

3. SFマガジン 1975年10月号

われる以前から人類を支配してきたのだ。だからスタックは、自分していたからではないか。しかしいまわたしの愛するのは神であ る。人間たちをわたしは愛さない。人間はいまわたしから見れば、 の力がそれに勝ることを知っていた。 彼は、大文字で始まる呼び名を持っ狂った存在をさがしに出かけあまりにも不完全なものである。人間への愛はわたしを減ぼすであ ろう」 「そして超俗の人は森で何をしているのであろうか」とツアラトウ ストラはたずねた。 超俗の人は答えた。「わたしは歌をつくって、それをうたう。そ ツアラトウストラは単身山をくだった。そして何びとにも行き会して歌をつくるとき、わたしは笑い、泣き、そしてうめく。こうし わなかった。しかし森林地帯にはいったとき、不意にひとりの老翁てわたしは神をたたえるのだ。うたい、泣き、笑い、うめいて、わ がかれの前に現われた。それは森に木皮と根をたずね求めて、世俗たしはわたしの神である神をたたえる。だが君はわたしたちに何を 贈り物としてもってきたか」 を離れたおのれの庵から出て来たのである。その老翁はツアラトウ このことばを聞いたとき、ツアラトウストラは超俗の人に一礼し ストラにこう語った。 この人はて、言った。「あなたがたに与えるようなものをどうしてわたしが 「わたしにはこのさすらいびとは未知でない。幾年か前、 ここを通って行った。ツアラトウストラという名であった。しかし持っていよう。いや、速やかにわたしをここから去らしてくれ。わ こうし いま、それは以前と変わった人になっている。あのとき君は君の火たしがあなたがたのものを何も取らずにすむように」 て、二人、老者と壮者は別れた、さながら二人の少年が笑いあうよ を山上に運んだ。きようは君に君の火を谷々へ運ぼうとするのか。 うに笑いあって。 君は放火者の受ける罰を恐れないのか。 おさなご しかし独りになったとき、ツアラトウストラはこう自分のむにむ ツアラトウストラは変わった、ツアラトウストラは幼子になっ かって言った。「いったいこれはありうべきことだろうか。この老 た、ツアラトウストラはいま目ざめた。さてその君はいま眠ってい いた超俗の人が森にいて、まだあのことを何も聞いていないとは。 る者たちのところへ行って、何をしようとするのか。君は海に住む ように孤独のうちに生きてきた。そして海は静かに君を浮かべてい神は死んだ、ということを」 ( 手塚富雄訳『ツアラトウストラ』中央公論社刊より ) た。ああ、君はいま陸にあがろうとするのか。ああ、君は君の身体 をふたたび引きずって歩くつもりか」 4 ツアラトウストラは答えた。「わたしは人間たちを愛する」 「なぜ」と超俗の人は言った。「いったいな・せ、わたしは、山林には こうぶ いり荒蕪の地にはいったか。それはわたしが人間たちをあまりに愛スタックは、終焉の森をさまよう狂える者を見つけた。疲れきっ 3 2

4. SFマガジン 1975年10月号

暮せたことか。彼は有難いと思っていたのだよってきたブリトリーは肩掛けをとってき が、それを口にださないだけの賢明さももった。それを老人の肉のおちた肩にかけ、暖く 屮トリーは脚の三つの関節 包んでやちと、プ ていた「 それそれの想いを胸に、二人はそのまま静を折って、またもとのようにしやがみこん かに坐っていた。ビーダスンは過ぎこしかた 「わたしにはわからないんだがね、プリトリ のさまざまな出来事のなかから、心に刻みつ ー」とビーダスンはしばらくして言った。 けられたことを選りわけていた。 彼は宇宙船での孤独な日々や、父の宗教返事はなかった。聞き返しもしなかった。 「どうにもわからないんだよ。それだけのこ と、孤独についての父の言葉を思い起こして は、最初のうち、笑いとばしていたことなどとはあったのだろうか ? 宇宙空間で過した . 担を思いだした。「道を歩くときは、誰でも道年月、これまでに出会った人々、死んでいっ 連れがいるものなんだよ、ウイル」と父は言た孤独な人々、死にのそんでも孤独を知らな かった人々」 ク一・つたものだった。彼は父の言葉を笑いとば し、自分は一匹狼なのだと宣告したものだ「人はすべて、その苦しみを知っているのだ が、いま、そばにいるこの異星人の言葉につよ」とプリトリーは哲人めいた口調で言っ くせぬ温かみと存在とを知るにおよんで、彼た。そして、深く息を吸いこんだ。 は真実を知ったのであった。 「自分が誰かを必要とするなんて考えてもみ なかった。わからないもんだね、プリト丿 、表一物冪第、一父の言葉は正しか 0 たのだ。 「そんなことはなんとも言えないよ」。ヒーダ ものだっ 友だちがいるということはいい スンはこの異星人になんにも教えたことはな た。特にまもなく『灰色の男』が来ようとい プリトリーは来たときから英語を話 う時には。そのことをこれほど平静な気持でかった。 受けとめているのが、。ヒーダスシには不思議していたのだった。 - そのこともこのジルカ人 だったが、現にそうなのだ。彼にはわかってについての不可解なことの一つであったが、 。ヒーダスンはこのこともたずねてみたことは いた。そして、心静かに待っていた。 5 0 なかった。火星にはたくさんの宇宙航行士や 2 しばらくすると、山のほうから冷気が忍び宣教師がきているのだ。 を , ・三らメ - 、 トわ厂

5. SFマガジン 1975年10月号

「怪塔王」 ( 自由書房・再録版 ) 表紙 は、配電盤のスイッチを入れた。すると、怪塔はものす 「さあ、い ごい轟音を残して地上を離れた。なんと ! この怪塔は くそ ! 」 ロケットになっていたのだ。ああ、想像力を絶するこの 怪塔王は いきなり大 声をはりあ いま帆村探偵と一彦とは、怪塔ロケットに閉じこめら げると、隠れたまま、思いがけない空中旅行をしているのです。 怪塔ロケットを操縦しているのは、、 、し持ってい しわずと知れた怪 たフットボ塔王です。 ールほどの 、ったい怪塔王のほんとうの名前は何というのであり 球を、頭上ましようか。まだだれもそれを知りません。 高くさしあ げました。 怪塔ロケットは、水戸の返くに着陸した。警察は場所 「これは殺人光線燈だ。きさまたち今このあかりがつくを発見するや、爆撃機をしたてて爆弾を投下する。この のを見るしやろうが、その時はお前たちの最期たそ。わどさくさにまぎれて一彦は脱出。 かるじやろう。そのときは殺人光線がきさまたちの全身そのころ、怪塔内では大事件が起こっていた。という をまっ黒こげに焼いている時じゃ」 のは、このロケットは怪塔王の命令で三人の小人が操縦 ああ、あぶない。殺人光線燈のスイッチを入れると、 しているのだが、二人の怪塔王が小人たちの前に現われ すぐそのあかりはっきましよう。そうなれば帆村も一彦たため、どちらの命令を聞いていいかわからなくなって も黒こげになって死ぬというのですから、二人の命は、 しまったのだ。しかも、爆撃はますます激しくなる。と もはや風の前のろうそくと同じことです。 りあえず、小人たちはロケットを飛びたたせるや、一瞬 向きを変えると海中につい落した。怪塔王と帆村荘六の しつこいほどの繰り返し。でも、これがいいんだな運命やいかに " あ。これが戦前の少年科学冒険小説の典型。フロイト的 に分析すると、怪塔は母親の胎内を象徴しているらしい だが、われわれが英雄帆村荘六は健在なり。帆村は海 んだけど、イラストを見ると父親のシンポルみたいだ。中に突っこんだロケットの中で怪塔王を追いつめた。し まあ、いいわ。 おふきのマスクは取りあげたが、怪塔王は覆面をしてい さて、二人の命が、まさに風前の灯となった時、検察て、その正体はまだ不明。お面の下にまだ覆面をかぶつ 隊が爆薬を持って怪塔に迫ってきた。おどろいた怪塔王ているなんて、よっぽどすごい顔なのだな : ・ : 8 =

6. SFマガジン 1975年10月号

~ ャーナリズムの不明を、つとに指摘してい 長編に手を出すのは無理かもしれない、とければならないし、新人作家に対しては、 た。そして自ら、サンデー毎日に数度にわ思っていたのだ。時期が早すぎると思ったある程度の援助も、考えておくのが出版界 たって特集企画を提案し実現させて、 からではない。その意味でならば「東都にの常識だった。しかし正直いって、それほ ・強い刺激を与えてきたのである。その最初は先を越されたし、ほかにも二、三社が ど長編シリーズのためにリスクを冒す ) は、早くも一九六一年に行なわれたが、こ長編を企画中というも流れていたか気持は、当時の早川書房にあったとはいえ の年は、五月 ( 『これがだ十人集』佐ら、遅すぎるくらいだと思っていた。 なかった。そして・ほく自身も、作家た 野、光瀬、小松、福島、都筑、豊田、星、 だが、早川書房がこれ以前に刊行してい ちの成長ぶりを、過小評価していたかもし 眉村、半村、結城 ) と十一月 ( 福島、矢た〈日本ミステリ・シリーズ〉の難行ぶり れなかった。 野、斎藤 ( 守弘 ) 、星、小松ほか作家を見るにつけ、世間にミステリ・ブームの けれども、もう愚図っいてはいられなか クラプ全員 ) の二回にわたって企画を声が高かったにもかかわらず実際の売行きった。手を出せば潰れるという通説を敢え は伸び悩んでいるその情況を見るにつけー て無視してを強行出版し、を創 一同誌別冊で実現させたのである。 ーそして、その担当者だった当時のミステ刊したぼくらにとって、日本作家の手にな 一また石川喬司は、文芸年鑑のミステリー リ・マガジン編集長小泉太郎 ( 生島治郎 ) る最初の長編シリーズを、他社に攫わ ( 部門の執筆を以前から担当しその欄でしば ) しばに言及して、の普及に努めての苦労ぶりを目の当りするにつけ、二のれることだけはどうしてもできなかった。 ) いたが、この年からは、彼の強力なサジェ足、三の足を踏んでいたのだ。もっと強力ぼくは星新一に、そして小松左京に相談を ~ ストによって、新たに〈界展望〉の項な宣伝と販売努力をと、二人で話しあった持ちかけた。小松左京は快諾したが、長編を ~ が設けられるようになった。それが、いまこともあった。長編シリーズを手がけると危ぶむ星新一は説得しなければならなかっ の〈推理小説・〉の項になったのは、 いうことになれば、当然、金もかかる。流た。安部さんの遅筆ぶりも、佐野さんの殺 それから間もなくのことである。 行作家には、それ相応の部数を約東もしな人的多忙ぶりも有名だった。そして都筑道 この年の夏、早川書房は、〈日本シ 夫から長編の原稿をとることは至難のわざ とされていた。〈日本シリーズ〉の前 ~ リーズ〉の刊行を決定し、第一期六冊のラ 途は、考えたたけで多難であった。マ インナップを発表した。小松左京、光瀬物き、、 宀 ガジンにだけかまけているわけこよ、 ) 龍、星新一、都筑道夫、安部公房、佐野洋 一の六人であ 0 た。 夫かった。それに、〈 ( ャカワ・・シリ 杜 ) ぼくがこの時点で日本作家の長編シリー ーズ〉の方も、この年から、急に。ヒッチを 〉ズ刊行の企画に踏み切った、直接の動機は、 あげて、出版点数は月二点になっていた。 やはり東都書房の〈東都〉に刺激され 〈異色作家短編集〉第二期も、ぼくの企画 たことだったかもしれない。実をいうと・ほ であり、ぼくの担当領域であった。ぼくの 0 くは、まだこの時点では、早川書房が 忙しさはこの頃、頂点に達しつつあった。 1

7. SFマガジン 1975年10月号

〔中で、協調という名のそれほど投げやりな知で、敢えて作家クラブの創設を強行出席全員の一致で指名された。 ・ものはない。そして、界で一番頭の堅したのは、大要右のような発想と思考。フロ運営方針は、つぎの三項目に要約された。 8 一、クラブ員は作家、翻訳家、科学ライ い二人にとって、投げやりさほど、縁の遠セスからであった。ぼくは、この考え方を、 いまでも間違っていたとは思わない。あるター、評論家、編集者で構成する。 ~ いものはなかった。あの時点でぼくらは、 しをいまさらっこんなことをくどくどと 二、入会希望者は、その属する部門のク 〕ああして対立するしかなかったのである。 いいたてるぼくを、非難し、また嘲笑するラブ員 ( 作家ならば作家のクラブ員 ) の推 この時点で、ジャーナリズム一般は、 〉を、まだ毛色の変った娯楽読物としてし者があるかもしれないが、それはそれで少センを受け、他の会員全員の支持を受けて かーーせいぜい ミステリーの変種か、伝しもかまわない。その連中には、人の執念はじめて入会を許可される。 三、月一回ないし二カ月一回の会合を開 奇小説の現代版くらいにしか受けとろうとというものが、どういう働きをするのか していなかった。しかし、それだけに、編が、理解できないだけのことだからであく。会合の目的は、クラブ員相互の連絡を ・集者たちは、たとえば雑誌の編集技術上のる。また、その後の作家クラ・フの推移とり、作品のアイデアやテーマについての からして、発足当時の・ほくの思惑はみごと意見交換を行ない、海外事情、出版事情な 色合いをつけるためのものとして、あるい は目先の変った読物として、に対しはずれたではないか、いまはそんな目論見どの情報を交換するなど、それそれの分野 て、ある程度以上の関心を持っていた。彼など全く消え去って影もない、というものにおける研鑽を通じて、の普及と発展 らにとっては、プロの作家も、同人作がいるかもしれないが、そのての輩にむかとに寄与すること。クラブ員の発意によっ ハ家も、大して変りはなかった。いずれにしっては、・ほくはお気の毒さまといえば事足て、特殊部門の専門家を呼び講演を聞き、 ろ、一般文学の作家たちと較べれば、素人りる。すべての目論見は、時間とともにそのあるいは、研究所施設などを見学すること に毛の生えた類いの小者であり、その間の形を変える。作家クラブは、少なくとももある。 会員は、最初のうち、あまり急激には増 区別を主張するなど、目くそ鼻くそを嗤うあの当時、ぼくの目論見に答えてその機能 に似た風景だと、ぼく自身にむかってはつを発揮してくれた。それ以後のことは、はやさない方針であった。しかし、当初の十 つきりいって、。ほくの知ったことではない。 きりいった者もいた。 一人では、とうてい、足りなかった。そこ で、発起人それそれの推センによって、や ~ ぼくにとって、もしが何らかの意味 がて、さらに九人が順次入会した。伊藤典 を持っとしたら、まず、こうしたジャーナ 夫 ( 翻訳家 ) 大伴昌司 ( 評論家 ) 筒井康隆 冖リズム一般の偏見を除去しなければならな ( 作家 ) 手塚治虫 ( マンガ家 ) 豊田有恒 こうして作家クラブは、発足した。 。それらを打破して、はじめては一 人前になりうる。そしてそのためには、 正式名称は、日本作家クラ・フ JAPAN ( 作家 ) 野田宏一郎 ( 翻訳家 ) 平井和正 ( のプロは、。フロとしての自己を、そうで SF WRITERS ASSOCIATION 略称 ( 作家 ) 眉村卓 ( 作家 ) 真鍋博 ( イラスト ~ ないものと峻別しなければならない 連絡事務所は当分のあいだ早川書レーター ) である。 これで、これ以後の日本界とマ ほくが、このとき、宇宙塵との確執を承房編集部内におき、初代事務長は半村良が

8. SFマガジン 1975年10月号

クの両足にねばっくニカワをかぶせたので、田園の散歩にはほど遠マダ、キミガ知ルベキ時デハナイ。 いものの、足を固定してよじのぼることはできた。いま二人は、螺「いいか、たずねないからといって、知りたくないわけじゃないん 3 旋状に頂きへのびる岩棚で休んでいた。〈蛇〉が、目的地で彼らをだ。そりや、おれに扱いかねるようなことよ、、 をしろいろ教えてくれ 待っているもののことを話したのは、それが最初だった。 たさ : : : 気ちがいじみたことばかり : : たとえば、おれの歳が : 「彼 ? 」 おれがいくつかは知らん。だが、あんたの話を聞いていると、おれ はアダムだったみたいだ : : : 」 〈蛇〉は答えない。スタックは岩壁にもたれかかった。ここまで登 ソノトオリサ。 る途中、彼らはナメクジに似た生物におそわれていた。その生物は スタックの体にとりつこうとしたが、〈蛇〉が追いはらうと、彼ら「 : : : うう」彼はむだ話をやめ、影の生き物を見返した。そして、 はふたたび岩を吸いはじめた。生物は影の生き物には決して近づこ想像を絶するその事実をうけいれると、ひっそりした声で、「〈蛇〉」 うとしなかった。それからすこし登ると、頂きでまたたく光点が見といった。彼はふたたび沈黙した。ややあって、「つぎの夢を見せ えるようになった。スタックは、恐怖が胃のあたりからこみあげてて、残りを教えてくれ」 くるのを感じた。この岩棚にたどりつく直前、彼らは山腹にある洞辛抱スルンダ。頂上ニ住ムモノ ( ワレワレガ来ルコトヲ知ッティ 窟のそばを通りかかった。そのなかでは、コウモリに似た生物の群ル。キミノモタラス危険ヲ、ワタシガ今マデ彼ニサトラセナカッタ が眠っていた。群は、人間と〈蛇〉の出現に興奮したようだった。 / 彼ノモ、キミガキミ自身ヲ知ラナイカラコソナノダ。 らの発する音は、吐き気の衝撃波となってスタックをおそった。 「じゃ、一つだけ教えてくれ。彼は : : : 頂上にいるやつは、おれた 〈蛇〉に助けられ、スタックは洞窟のわきを通りすぎた。そしてちが来ることを望んでいるのか ? 」 今、二人は足をとめ、〈蛇〉はスタックの問いに答えようとしない 大目ニ見ティルダケサ。危険ガワカッティナイカラダ。 のだった。 スタックはうなずき、〈蛇〉のあとにしたがうことにした。彼は なんなりとお申 立ちあがると、念のいった召使いの仕種をした サア、登ラナケレ・ハ 「おれたちがここにいることを、そいつが知っているからか」皮肉しつけください、ご主人さま。 をこめた尻あがりの声でスタックはいった。 〈蛇〉は背をむけると、平たい両手を岩壁にはりつけた。そして二 〈蛇〉は動きだした。スタックは眼をとじた。〈蛇〉は立ちどま人は、頂きめざして螺旋状の道をのぼりはじめた。 り、もどってきた。スタックは一つ目の影を見上げた。 〈死の鳥〉は急降下したのち、ふたたび月にむかってのぼっていっ 「一歩も動かんそ」 た。まだ時間はあるのた。 キミニワカラナイハズハナイ。 「あんたが全部話してくれればわかるさ」

9. SFマガジン 1975年10月号

同 , 插絵 いそ」 「なにを ! 」 帆村は一時、頭の中が乱れて、ぼんやりとしていまし 怪塔王よ、、、 をしカりの色もものすごく、突然にあらわれた。しばらくたって、彼はやっとおそろしい事実に気が た二人へ叫びかえしましたが、何を見たか、 ついたのです。 「あっ、それはいかん。あぶない。ちょっと待ってく「そうだ、わかったそ。怪塔王のほんとうの素顔という れ」 のは と、その先をいうのがおそろしくて、帆村は とにわかに怪塔王はうろたえ、ぶるぶるふるえ出しま思わずここでつばをのみこみましたが、 した。 「ーーーほんとうの素顔というのは、あの、大利根博士な 「あははは。これがそんなに恐ろしいか。だが、これはのだ。大利根博士がいくつものマスクをつけて、怪塔王 きさまがつくったものではないか」 になりきっていたのだ。では、あの憎むべき怪塔王の正 小浜はあざ笑いました。彼がいま小脇にかかえて、怪体は、意外にも大利根博士だったのか」 塔王に向けているのは、怪塔王秘蔵の殺人光線燈であり ました。 どうして、怪塔王が大利根博士だったのが意外なのか 「そこで、怪塔王どの」 よくわからないが、ともかく、これで事件は一挙解決。 帆村は、横の方から怪塔王のそばに一歩近づきまし遂に白骨島は帆村たちに爆破されてしまった。 「何者か ? 」 帆村に呼びかけられ、怪塔王は額ごしにおそろしい目 と、うしろををぎよろりとうごかし、 ふりかえった怪「なんだ、お前たちは卑怯じゃないか。わしの大事にし 塔王の眼にうっていた殺人光線灯を盗んで、わしをおどかすなんて、風 ったものは、何上にもおけぬ卑怯な奴じゃ」 であったでしょ「何をいう」 う。それは外な と小浜はおこっていいました。 らぬ帆村探偵と イ 小浜の二人の姿さあ、話はだんだん佳境に入ってくる。帆村は、つい でありました。 に怪塔王のしおふきの仮面をはぎとることになった。と 「動くな、怪塔ころが、そこからでてきた顔は予想した大利根博士の顔 ではなかった。それは、若い見知らぬ外国人の顔であっ 「動けば命がな

10. SFマガジン 1975年10月号

えないでいるものもいたーーーと雑談をしな プーム間近い風俗派の 彼はやがて映画批評やジュヴナイル 女に弱きカ持ち 雑誌のためのグラフ企画なども手がけて人がら、半日も待たされた。もっとも、・ほく 伊達な眼鏡がキラリと光る に知られる存在になり、作家クラブでは当時、かなりの量の少年ものを書いてい その名も知られた半村良 は、都合で退いた半村良の後を襲って二代たので、彼らを相手に、ばく個人の用を足 めの事務長となって、その後長く界のすこともよくあったのだが : ~ さてどんじりに控えしは リエーゾン・オフィサー的存在となってい 取りにくい原稿ということで、また一つ くのだが : 〉浪風荒きテレビ界で : これまた、しばらくのちの話思いだした。北杜夫氏から、強引にシ である。 ( 時計片手の水商売 ヨート・ショートの原稿をねじりとった時 この時期、手塚治虫が、石森章太郎のあのことである。当時彼はまだ四谷にあった 一一念発起の原書探しも どうせしめえはアッカーマンと とを受けて、はじめてマガジンに登場斎藤神経科病院に医師の一人として務めて いて、ぼくはそこへ、原稿依頼に出むい 覚悟はかねて英雄録 する。 念仏嫌えの野田宏一郎 フ丿ー』た。どういうわけかその日は一人の患者も 連載マンガ『ファンシー がそれである。この頃の手塚治虫の多忙ぶいず、広い診療室の裏にあった居間に招し りはまさに殺人的で、少年週刊誌、月刊誌入れられて話をしたのだが、ちょうどその たその他におそらく十本以上の連載をかかえ時は、例の欝病の時期だったのかもしれな い。は読むのが楽しみなだけであっ 作ていたばかりでなく、〈ムシプロ〉を創設 して間もない時期でもあり、雀の涙ほどのて、自分で書くつもりは毛頭ないという意 味のことを、・ほそぼそと、蚊の鳴くような の稿料しか払えないマガジンなど、とう 学てい割り込む隙もないはずであった。事実、声で喋りながら、きよろきよろと四方に目 見手塚治虫からを貰ったあと、・ほくは当を走らせる北さんを見ながら、ぼくは、こ 号時のマネージャー氏から、「マガジンの人は本当に患者を診られるのだろうか の原稿は、先生が独断でお決めになったもと、失敬な疑問を感じたりしていた。だが いくら断わってもねばりつづける・ほくに、 ので、私の方のスケジュールには入ってい いたたまれなくなったのか、北さんは、戸 言を、学ません。責任は負いかねますよといわれ 研たのをおぼえている。そして実際、彼の原棚からウイスキーのポトルを持ちだすと、 誠い , 原稿取りは一苦労で、ぼくはしばしば、彼の = , プになみなみと半分くらい注ぎ、い 0 海家の〈待合室〉にたむろしている各種の少きに飲みほしてしまった。ぼくもお相伴し ・を ~ を」年誌の〈手塚係〉の編集者たちーー彼らのながら、 = ップの半分も行かないうちに、 中には二日も三日も居続けでまだ原稿を貰彼よ・ : 、 をくしくし二杯、三杯とウイスキーを胃 ー 07