の、ベルトの当っていたところが鈍く痛んだ。内出血でも起したにままの建設資材や機械類の赤錆びの部品の山などでせばめられ、そ の上に剥落した天井や壁の破片が散乱し、漏水が幾つもの水たまり ちがいない。しばらくの間、トンネルの奥から、走り去るモーター カーの音が聞えていたが、それもやがて消えると深い淵の底のようを作っていた。空気はかすかに硫化物の匂いがした。おそらく通風 な静寂がかれをつつんだ。長さ五十メートル。幅五メートルほどのダクトに欠陥があって隣接する生産区の化学工場の排気が流入して 乗降場のプラスタイルの床にできた幾つもの水たまりに、時おり天いるのだろう。その一画を過ぎると、回廊の両側に居室のドアがな 井から落ちる水滴がおどろくほど高く残響を曳いた。錆びついたエらびはじめた。人通りも多くなる。 セクション。〇四九七一。というのはどこだろう ? シン スカレーターが、見上げるような急傾斜で、天井に開いた暗い穴の ・。フレートを読みながら進ん 中に消えていた。他には階段は無かった。どうやらそれが唯一の出ヤはドアに打ちつけられたナン・ ( ー ロらしい。地上へ出てしまうのではないかと思われるほど長い長いだ。 階段を、かれは腹をおさえながら一段、一段、上った。途中、壁面「セクション。 O 三八一四五 : : : O 三八二四九 : : : 六八二八 の発光材が完全に剥落し、三十メートルほど暗黒がつづいている個八 : : : 」 ナイハーはつづいていなかった。これではひとつひとっ当ってゆ 所があった。乗降場とは名ばかりで、久しく利用する者も無いらし この動かない = スカレーターを上りきったところが第七居住区くよりほかはない。聞いてみるとセクションは三層上だった。 だとすれば、居住区の住民たちはモーターカーを利用することはほ居住区専用 = レベーターで上り、ふたたびドアをひとつひとったし かめて歩いた。連番号でないかぎり、誰に聞いてもむだだった。隣 とんど無いらしい。それがテレビ電話を使用するためにわざわざ相 手の所までモータ 1 カーで出かける必要がないからなのか、それと接する居住者どうしであれば知ってもいようが、一プロック離れて も、他の理由、たとえば居住区の住民たちには他の居住区に住む友しまえば、よほどの必要でもないかぎり、直接、相手を訪れること はないのだろう。あらゆる種類の訪問はテレビ電話が十分にその代 人やなかまの所へ直接出かけてゆく自由が与えられていないのか、 りを果してくれる。調査局をもち出すことはもはや危険だった。汚 それはまだかれにはわからなかった。 エスカレーターを上りきったところは広いエレベーター・ホールれた床に、自分の足跡をくつきりとマークするようなものだ。かれ は重い足を引きずって回廊から回廊へ、・フロックからプロックへと だった。左右にのびる回廊の左方から居住区特有の喧騒が流れてく る。廃墟のような乗降場と、錆びついて動かないエスカレーターの歩きつづけた。 階段からようやく脱け出したかれには、そのさわがしい物音は、あ「 : : : 0 七六一五〇 : : : O 三九〇〇五 : : : 四四九一四 : : : 」 かれはしだいに絶望を感じはじめた。ひとつの居住区の人口が二 たたかい湯のようにかれの心にしみた。 2 万前後として、この・フロックだけで約二千。その二千のドアをひ ーこ行き当るのだ 回廊はやたらに積み上げられた箱や金属罐、束ねてこん包されたとつひとっしらべて回って、いつ、めざすナン・ ( ~ ,
完了しないうちは生活物資の配給が受けられない。実際には転籍事に見つからぬようにさえすればどこにでもある。だが、食料は厳重 な配給制度になっているから容易に手に入るというものではない。 務の完了を待って身柄が移るわけだから、手つづきが終らない間、 食うものもなければ寝る所もないわけだった。地球から火星の東キ食料をどこで手に入れるか ? それが最大の難関だった。 「ま、なんとかなるさ ! 」 ャナル市や金星のビーナス・クリークへ転籍を希望する者は多いが、 シティ シンヤは自分で自分を元気づけ、居住区の雑踏の中に足を運ん それらの市から地球連邦へ移り住みたいと願うような者はいないか ら、かれの転籍申請は簡単に受理されるはずだった。よほどの物好だ。たまらない解放感がかれを有頂天にさせ、そのため怒りもしだ きでなければ、この貧しい薄汚ない地球連邦の地下都市などに転籍いに薄らいできた。これでえたいも知れぬような連中に襲われるこ したいと思う者はいないだろう。 ともないだろう。わざわざ生命を棄てるためにはるばる地球までや 転籍するとなると、いちばん面倒がないのは身元保証人の登録ナってきたのではないのだ。調査局の工作員などという任務を放棄で ーに包括記入されることだった。つまり身元保証人の登録ナンきれば、薄汚ない、せま苦しいこの地下の市街もそうすてたもんじ ・ハーが七七〇一二とすれば、七七〇一二 O ー一というようやない。 にしてもらうことだった。これは居住区の分区に属している七「そうだ ! 」 七〇一二、という人物の同室居住者、生活史的に言えば家族あるい かれはあることを思いついた。 はそれに類する者ということになる。 「身元保証人の登録ナン・ハーはあの女のものを貸してもらおう ! 」 おれの場合はどうだろう ? シンヤは胸の中であれこれと思保安部に追われて逃げまどっているうちに地震におそわれ、壊減 シティ 案した。火星、東キャナル市に籍を持つ人間が地球のどこかの市にした回廊からのがれて這いこんだあの女の所だ。 ーに包括記入してもらえるよう 籍を持っ友人に移籍をすすめられた。これは問題がない。東キャナ「事情を話してあの女の登録ナン・ハ ル市での仕事。調査局、資料部。これもたいして障害にはならない にたのんでみよう ! 」 だろう。ふつう、市民からは特権階級と思われている調査局職員と その上で登録局へ申請すれば、これは容易にパスする。もち いう地位を棄ててまで地球に移住するについては、登録局の窓口をろん登録局の窓口ではいろいろたずねられるだろうが、それは口先 十分になっとくさせるだけの理由がなければならない。そいつはこでうまく言いくるめることはできる。これだ。これにかぎる。うま れから考えればなんとか考えつくだろう。登録局さえ通過してしまくゆけば、今日中にも転籍の手つづきは完了する。あとはそれを持 えば、民生局の方は O* だ。食料や衣類、そして居住室の配給や割 って民生局へ直行すればよいのだ。 当はその日からもらえる。しかし問題は登録局に申請するまでと、 「あの女の居室はどこだったろう ? 」 申請してから許可がおりるまでの四、五日の間、何を食っている広大な居住区のどこがその場所だったのだろうか ? どこだった 2 ハトロールろう ? シンヤは一度は耳にしたそのナン・ハーを思い出そうとして か、だ。地下都市のことだから寝る場所などは保安部の。
しかし、息子やおやじが戦死したという通知を受け取った者は誰も取り去ったというが、このような粗末な乗降場など、何の目標にも なるまい。 いねえんだぜ。火星じやどうだった ? 」 「ま、まあ、そうた」 三十分ほど待ったが、レールの上をやってくる何ものの気配もな 「派遣軍の半分ぐれえが死んでる、とも聞いたぜ。死んでるなら死 い。かれは立っている男に近づいた。 んでるで、早く知らせてくれたらいいじゃねえか ? これで派遣軍「いつくるんだろうか ? 」 が帰って来るなんて聞かされてよ、いざふたをあけてみたら自分の 男はたまって首をふった。待っことには馴らされているらしい ところのやつは死んでいた、なんてことになったらこいつはたまら「第七居住区へ行きたいのだが、これにかわる乗物はあるのか ? 」 ねえぜ。え、そうじゃねえか ? 」 「別に : ・ : かわりの乗物って : : : 」 「全くだ」 「ないのか」 「地球連邦だか太陽系連合だかしらねえが、えらいやつらのやるこ「旅行者か ? 」 とはわからねえよ ! つまらねえ戦争なんそはじめやがって地下都「そうだ。第七居住区へいそいで行きたいのだが」 市だのなんだのっておれたちをこんな穴ぐらに閉じこめやがって、 「テレビ電話を使ったらいいだろう。われわれは急用の時はそうし おめえ、子供なんか地上の話をしたって本気にしねえんだぜ」 ている」 老人はまるでシンヤ自身がそのえらいやつらの一人であるかのよ「いや。直接、行かなければならないのだ」 うに、凄い目つきでかれを見上げた。シンヤはなんとなく背すじの 「と、すると公用か。公用なら輸送車が使えるのだろう ? 」 あたりがひんやりして居づらくなってきた。 「公用ではないのだ」 そのとき、走路の両側の固定した床の部分が広くなり、明るい広男はどうもわからないというように首をかしげた。 場へ出た。 「公用でもないのに、直接行くのか ? 」 「乗降場だな。それじゃ、またな」 「おかしいのか ? 」 シンヤは走路からとび降りた。うずくまった老人の姿はみるみる 男は急に落着かないそぶりで周囲に視線を走らせた。 広場のむこうへ遠ざかっていった。 「旅行者なら知らないのかもしれんが。市条例で、居住区に出入り 軽金属の薄板を横にわたしただけのプラットホ 1 ムに二、三人のできるのは一時から三時まで、一三時から一五時までの二つの時間 人影が立っていた。銀色に光る一本のレ 1 ルが左右に長くのび、二帯に限られているのだ。それ以外の時間に出入りすることはきびし 百メ 1 トルほどむこうで暗いトンネルに呑みこまれていた。線名もく禁止されている。公用なら別だが」 記されていなければ行先の標示も無い。潜入した工作員の破壊活動「どうしてそんなにうるさいんだ ? 」 を防ぐために、市の地図はおろか、回廊からいっさいの地区標示を「どうしてって : : : それはな」 ベルト シティ 幻 9
頭をかかえた。 と、そこが第七居住区ということだった。 「 : : : 第五、いや、第七だったかな。そうだ。第七だ。第七居住「じいさん。高速鉄道の乗降場はまだかね ? 」 区。セクションええと、、〇四九 : : : 一、〇四九一だつ「乗降場 ? もうじきだよ。あんた、旅行者かね ? 」 た。名前は : : : 」 「そうだ」 名前はどうしても思い出せなかった。それだけわかれば名前が思「どこから来たね ? 」 い出せなくともさがしあてることはできる。 「火星からだ」 シンヤは通りすがりの男に第七居住区をたずねた。そこはこの地老人は感嘆したように口をとがらせた。 下都市の反対側のはずれだった。教えられたとおりに回廊を三百メ「派遣軍かね ? もう帰って来たのか」 ートルほど進むと広いエレベーター・ホールがあった。その中の下「派遣軍 ? いや。ちがう」 層へ向うものに乗って三十五層まで下る。エレベーターから出ると「そうか。おれはまた火星から来たなんていうから、派遣軍で行っ ホールの中央を、幅五メートルほどの走路が流れている。右へ向うていてもう帰って来たのかと思ったよ」 流れに乗る。乗っている者は男も女が、走路に腰をおろしている。 「派遣軍はまだ帰れないだろう。誰か知っている者でも加わってい ベルト かれもそうやってみたが、走路の下面を支える小転輪の動きが、ごるのか ? 」 ろごろとたえ間なく尻にったわってきてとてもがまんできたもので「知っている者どころじゃねえ。おれの息子たちはみな行っている はない。よく見るとプラスチックの路面に細い横じまがたくさん入よ。おれの弟も行っているし、居住区の男の半分は連れてゆかれた っている。触れてみると鉄の帯だった。 「それかね ? 」 「そんなにかり出されたのか ! 」 シンヤの背後にうずくまっていた老人がひざにのせていたあごを「特殊な技術を持っている者いがいはみんな行っているんだ。この シティ 上げた。 市はおれたちのような年よりで機能を保っているようなもんだぜ。 シティ 「むかしは脚に磁石のついたスプリング椅子が置かれていたのさ。早くやつらが帰ってこないと、そのうちほんとうに市ははたらき手 ところが、市政庁では、走路は近距離用のものだから椅子など不用がいなくなっちまうぜ」 らたといって全部とりはずしてしまったのさ。戦争にでも使ったの 「じいさんの息子たちは無事だったんだろう ? 」 だろうよ。おおかた鋳つぶしてミサイルにでもしちまったのさ」 「なあに ! そんなこと、わかるもんか ! 死んでたとしても通知 老人は吐き棄てるように言った。 なんかあるものか。帰って来なければ死んでたとわかるだけだ」 先ほど道を教えた男によれば二十分ほど行ったら高速鉄道の乗降「そいつはひでえな」 場があるから、それに乗ってæ訂という標示のある乗降場で降りる「ひでえ戦いだったそうじゃねえか。たくさん死んでるはずだぜ・ ベルト ベルト ・ヘルト 幻 8
声を落した。 られた。それが急激な加速のせいだとわかるまでに、ごく短いなが 「市政庁では破壊工作にはひどく神経過敏になっているのさ。居住ら時間を要した。宇宙ケットと呼ばれた頃の原始的な宇宙船をし 2 区にもぐりこまれたらちょっとやそっとじやわからないものな」 のばせるようなしろものだった。リ一一ャー・モーターのひびきが歯 「おれがこれから行ったらどうなるだろう ? 」 科医のグラインダーのきしみのように脳天に衝き上った。防音装置 「旅行者じゃ何とも言えないが : : : 居住区のゲイトに保安部員が立も、発車の際の強烈なに対する緩衝装置も全くついていないよう っているよ」 だった。ついているのだろうが、とうのむかしにその機能は失われ シンヤは胸の中で舌打ちした。調査局をやめ、しかも現在、移籍てしまっているのだろう。かれはあぶら汗を流してリニャー・モー の手つづきもしていない身で、保安部にとつつかまったのでは申しターと戦った。ほかの連中はどうしているのだろうと思って首をの 開きがやっかいなことになる。勝手にとび出してきた調査局が、そばしてみると、みな悪魔によって石にされてしまったかのように身 うなってからかれのために有利な発言をしてくれるかどうか極めて動きもせず座席に埋って前を見つめていた。 うたがわしかった。へたをするとえらいことになる。 五分。十分。モーターカーは風を切って薄暗いトンネルの中を疾 「あ、来たようだ」 走した。以前は、発光材で張りつめられたトンネルは光の洪水のよ 男は子供のように声を上げるとシンヤの前を離れた。右方のトンうに美しかったことだろう。しかし今は、断線する直前のフィラメ ネルから魚の頭のようなものが顔を出した。みるみるそれが大きくント電球のように赤つぼい光のまだらと化し、滝のような漏水に洗 なって接近してきた。 われて幻覚のようににじんでいた。 「第七居住区へ行くのはあれでよいのか ? 」 やがて三十分近くたったと思われる頃、プラスチックの透明な天 男はふりかえりもせずにうなずいた。 井に『礙』というサインが浮き出した。ス。ヒード が急速に低下す ン るとともに、体はおそろしいカで前方にすべり出し、ベルトが腹に リニャー・モーター特有のおしころしたような低い回転音がかれくいこんできた。かれはいそいでベルトのフックをはずそうとした の鼓膜を震わせた。 が指が入るすき間もない。かれは必死に前の座席の背もたれに両足 弾頭型の銀色の頭部につづくプラスチックの円筒型の長い車体のを突張って飛び出ようとする体を支えた。肝臓のあたりから胴体が 側面に小さなドアが開いた。内部に入ると、中部のせまい通路をは二つに引き千切られるのではないかと思われるような苦痛に、かれ さんで、両側に六列ずつの座席が前向きにならんでいる。百五、六 は歯をくいしばって耐えた。長い長い何秒間かが過ぎさり、モータ 十人は乗れるだろう。しかし乗っているのは七、八人だった。シン ーカーはようやく停止した。かれはふるえる指でフックをはすす ヤはドアに近い座席に腰をおろし、ベルトをしめた。音もなくドアと、這いずるようにドアからのがれ出た。かれは乗降場の柱のかげ がしまり、ふいにかれはそろおしいカで座席の背もたれにおしつけで長いことかかって呼吸をととのえた。呼吸するたびに衣服の下
「でもねえ : : : 調査局みたいな特別な組織に長くいた人がこの地球女は勢いよく口ッカーのとびらをしめた。かの女の食料はその音 とともに完全にかれとは無縁の状態になった。 連邦の、しかも市の一般市民になれるかしら ? 」 「なれるさ ! 調査局にいたといったっておれなんか資料部の奥の「戦争で物資が不足したって言うけれども、べつに戦争してくれつ てたのんだおぼえはないわよ。地下都市では健康管理がむずかしい そのまた奥の穴ぐらにいたんだ。こことたいして変りねえよ」 かれはみすぼらしい女の居室をながめまわしてからしま 0 たと思って言うけれども、そんなこときまっているわよ。じゃなぜこんな 地下で生活しなければならないようなことをしでかしたのよ ? 人 った。しかし女は少しも気にしたようすはなかった。 間というのは地上で暮すようにできているはずよ。土の中で暮して 「でも食料から衣類からちがうし、配給される量までそれはみじめ いるモグラという動物がいるんですってね」 なものよ。調査局などにくらべたら。ここは」 女はテー・フルに両手をついて体重をあずけ、シンヤを見すえた。 「そんなこと、かまわん」 「そんなこと、おれに言ったって : ・ : ・」 「それに自由も無いわ」 「しかたがない、と言うんでしよう。それもお役人のみんなが言う 「自由 ? 」 「かってに他の居住区へ出かけて行くこともできないし、いつでもことよ。さあ、わかったら出て行って。もう二度と来ないでくださ 居生局や保安部に見張られているようだし、地上には出られない 「まってくれ ! 」 し、食事も睡眠もきめられた時間できめされた量しかとれないし・ : 女は音もなく移動してドアを開いた。 ・ : あなたにがまんできるかしら」 「この前は親切にしてくれたじゃないか」 女はたれさがった髪を指でかき上げた。 「そうだったわね。でもあれはあなたが調査局の職員だったから、 ・ : どこだって同じことさ。戦争で物資が不足しているか 「それは : らな。それに食事や睡眠の時間がきま 0 ているのも、このような地私の夫の帰還を早くしてもらえるように計 0 てもらえるかもしれな いと思ったからよ。でも今のあなたは調査局の職員ではないわ。私 下都市では健康管理がいちばん大事だからさ」 女はくちびるの端をゆがめた。終りまで聞こうとせずにテー・フルにとっては何の役にもたたない不愉快な存在であるだけ。さよな ら」 の前へもどって行った。 「私が言っているのは、あなたがここの生活にたえられるかどう女は、早く出て行け、とあごで回廊を指した。 「いや。それなら大丈夫だ。おれは調査局をやめてもおれのなかま か、ということなのよ。あんた、調査局を脱け出してきたなんて言 ったって結局、らしいことしか言えないんじゃない。民生局の連中が運動してくれる。かならずおまえの夫の早期帰還を実現させてや る。おれ、自信があるんだ」 も保安部の連中もみんな同じごとしか言えないのね」 「いいから。もう」 「同じこと ? 」 シティ 225
せた。 車に乗せられた。かれを運んできた男たちがそろぞろと出てゆくと かれは真白な部屋にただ一人残された。窓ひとっ無く、壁も天井も 痛つつつつ ! 2 シンヤは思わず耳をおさえようとし、その動きが金具でしめつけ塗りつぶしたように白一色だった。天井の中央にはめこまれた四角 な発光材から滝のような強烈な光が降ってくる。どうやらそれは発 られている筋肉の痛みを激増させた。 「いたい ! しーし やめてくれ ! 」 光材ではなく、強力な投光器と思われた。 見栄も意地もない。 シンヤは声をふりしぼった。しかし男たちは「こんな所へ運びこんで何をするつもりなんだ ? 」 かれのさけびには全く耳をかそうともしなかった。 すべてはあの、歯のない、ほら穴のような口を持った支局長 回廊は市民たちであふれていた。その中をかれは高々と荷物のよの指図にちがいない。支局長の絶対的な権威にたてついて口汚なく ののしったおれに、やつは何か思いきり腹いせをするつもりらし うにかつがれて運ばれていった。 「なんだ、なんだ ? あれは ? 」 「スパイだそうだ」 「誰もいないのか ! 出てこい 「いや、重大な犯罪を犯した兇悪犯人だそうだ」 シンヤはしだいに不安になってきた。まさか生体実験の材料にさ 「この居住区の者ではないようだが」 れることもないだろうが、兇悪犯罪者に大脳手術をほどこすことに 「かくれていたらしい」 よって社会生活への適応性を与えている金星やルナ・シティのやり 市民たちの会話がきれぎれにかれの耳にったわってきた。 方を思い出してシンヤは胸が悪くなった。かれは、かれの頭蓋骨に かれは自分が闘争に関して全くしろうとだということをつくづく 加えられる電気鋸の歯の浮くようなかん高いひびきや、やわらかい 味わせられた。あの円筒が超高周波を発して相手の神経をまひさ大脳にぶすりと切りこまれるメスのつめたい感触などを想像して全 せ、行動の自由をうばってしまう一種の手榴弾だということを今の身がかっと熱くなり、ロの中がからからになった。考えまいとすれ 今まで気がっかなかったのだ。爆発を恐れてひれ伏している間に、 ばするほどそれらの光景が毒々しいあざやかさで頭の中に浮かんで くる。 神経のすみずみまで超高周波にどっぷりとっかってしまったのだ。 もちろんかれらは保安部の制服の下に防護用のプロテクターをつけ きっとそうだー この部屋でやられるんだ。この部屋は手術 ているのだ。それにしても、よくおれの居る所をかぎ出したもの室なのだ。 かれは気が狂ったようにあばれた。どうせ大脳手術をされるなら いっそ、その前に気が狂ってしまえばよい。かれはもうそれからわ エスカレーターを乗りつぎ、乗りつぎ、かれの運ばれていった所ざと、あぶら汗を流しながら、これでもか、これでもか、とむごた は医療部だった。かれは手足を金具でしめつけられたまま患者運搬らしい場面を想像した。かれの目には、床を河のように流れる鮮血 っ
力。フセルから出るとはげしいめまいがおそってきた。シンヤはふ コンウェイがいそいでシンヤからは見えない何かの装置に手をの らふらと床にうずくまった。 ばした。痛みは氷がとけるように消え去った。 「自分で立つんだ。三半器官が常態にもどるまでに四、五分かか 「痛むか ? まだ」 る」 「いや。なおった」 シンヤは波のようにゆらぐ床を踏みしめて体を引きずり上げた。 「そうか。それで、あの時、おまえは頭にひどい傷を負った。手足 の知覚も失うし、言語障害を起すし、ここへ運びこまれてきたとき「椅子にかけろ。さあ、歩くんだ」 コンウェイの言葉に引きずられて、一歩、二歩、シンヤは幼児の は正直言っておれも助かるまいと思った」 ように足を進めた。果しない道のりをたどるような思いで、二、 「そうか。お・ほえていない。何も」 「この分なら助かるのではないか、と思われるようになるまで四十メートルの距離を歩み、シンヤはようやく目的の椅子に体を投げか けた。 日もかかった」 「ところでコンウェイ。まだ聞いていないぞ」 「四十日も ? すると、今日でどのくらいになる ? 」 「何を ? 」 「かつぎこまれてから六十日になる」 「調査局はおれをどうしようというのだ ? 」 「そんなに ! 」 「別にどうしようということはないだろう。おまえは居住区で何も 「ずっと眠っていたのだ。これは眠らせておいたわけだが」 のかにおそわれた。もうすこし連絡がおそかったら、生命を失うと 「それで : : : おれは完全になおったのか ? 」 「大丈夫だ。 / 、 後遺症が心配だったが、コンピュ 1 ターの診断によれころだった」 「おそわれた ? 」 ば、そのおそれも全くないようだ」 「急報でかけつけた救急隊も待ち伏せにあい、一人死んだ。調査局 コ・ンウェイがカプセルの下部にうでをのばした。透明な力。フセル がゆっくりとすべって、シンヤの体は室内の空気にさらされた。コ員が急行したときにはおまえは虫の息たった。いや、死んでいたと ンウェイの手がめまぐるしく動いて、シンヤの両足から金属の輪を言ってよい」 「おれをおそったのは、何者だ ? 」 はずした。 「なんだ ? それは」 「知らん」 「おまえはずっと人工代謝調節装置によって養われていたのだ。栄「調査局ではないのか ? 」 養も、ガス交換も、排泄も、体温調節もな。もう解放してやる。出「ち・むつだろう」 「そんなはずはない ! 」 コンウェイはあごをしやくった。 シンヤははね起きた。とたんに頭蓋の奥で何かが炸裂した。シン 2 引
かれでないかれ。かれと全く同じかれが天の星のように無数にかンプのリズミカルな音がたえず聞えているほかは何の物音もしなか れを見つめていた。 った。記憶がよみがえってくるまでには短い時間が必要だった。 「そうだ ! あれからおれは : 遠い遠い見知らぬ土地の、凍りついた天と地。鐘のような氷崖と、 ・ハイプ その切り立ったような崖の下のわずかに幅を持った岩だなと。そこ体を動かしたはずみに、カプセルの外の管の束がゆらゆらとゆれ ・ハイ・フ に何かがある。星の光がかすかにかすかにうつろう時、何かが動く。 た。その管の東はカプセルをつらぬいてシンヤの体に結ばれている あるかないかほどのささやかな意志が動く。 ようだった。 意志とは何だ ? そうありたいとねがう生きるための約束「気がついたな」 か ? 何のために ? だれのために ? ふいに黒い影がカプセルの上に落ちた。 意志とは目的に過ぎないと言う。また言う。星の光が氷の崖に変「だれだ ? 」 る時、目的は形象を完成するとは誰が言う。 黒い影はいったん遠のき、こんどは足もとの方にあらわれた。や かれの目の前にひとつの顔があった。 わらかい照明を受けてその顔がはっきりとシンヤの目に映った。コ おまえ、聞かされて来たのだろう ? ンウェイだった。 聞かされて ? 何を ? 「おれは : : : おれよ。、 冫しったいどうしたんだ ? 」 聞かされているはずだ。このことを。 記憶が近づいたり遠のいたりしながらしだいに鮮明になってき このことを ? ・ た。コンウェイが体をかがめてカプセルの下部に目を寄せた。ロの このことをだ。 中で何かつぶやきながら一方から一方へゆっくりと視線を動かして シンヤの目の前からすべてが消え、永遠の眠りがかれの心におと いった。そこにならんでいるメーターでも読んでいるらしい ずれてきた。シンヤの心が完全に閉されるその一瞬、かれはとっぜ「体温も脈搏も安定したようだ。血球の沈降速度がまだ少し早いよ ん、自分が何ものかに変貌したことをさとった。 うだが」 「おれはどうしたんだ ? 」 コンウェイが顔を上げた。 「おまえが居住区でなにものかに襲われたのはお・ほえているか ? 」 気がついたとき、シンヤは医療カプセルの中に横たわっていた。 シンヤの胸に、あの回廊でのはげしい戦いの記憶が刺すような痛 最初に目に入ってきたものは、天井を走る・フームから垂れさがってみをともなってよみがえってきた。シンヤは奥歯をかみしめてうめ いる何本もの細い管だった。それはもつれ合うように複雑にくねっ いた。痛みはほんものだった。頭蓋の深奥に灼熱した銀の針金を刺 て、シンヤが閉じこめられているカプセルに連結していた。圧縮ポし通されたかのようなするどい痛みがはしった。 ・ハイ・フ 2 30
ろうか ? それはいっかは発見できるとしても気の遠くなるようなとび出そうとして必死に足をとめた。一回はうまくゆくだろう。だ 作業だった。しかし他に方法はなかった。かれは気をとり直し、迷が、そのつぎからはどうする ? 顔を見られるだろうし、たちまち 2 路のような回廊をさまよいつづけた。何回も、一度見たナイ ( ーを保安部がのりだしてくるだろう。地球連邦にかぎらず、どこでも盗 目にした。いそいでそこを離れると、こんどは何分か前に通った回みは第一級の犯罪だった。こんな所で今、求めて自分の行動範囲を ーに目をこらすはせばめることはなかった。 廊に出てしまい、もう一度はじめから同じナン・ハ めになった。シンヤはしだいに疲れと空腹に耐えられなくなってき「どうかしたのか ? 」 こ 0 食料をかかえた市民の一人が、立ち止ってシンヤの顔をのぞきこ 《各プロックの配給車はエレベーター・ホールに集合。各・フロックんだ。 の配給車はエレベーター・ホールに集合》 「顔が真青だよ」 《第七一居住区、 2 ・ 8 ・ 9 ・ 1 ・ 1 ・ 1 ・・四食堂は停電で使シンヤの胸や背中をつめたい汗がすじをひいて流れるのを感じ 用できない。該当する食堂を使用する各プロックは配給車を用意せた。 「大丈夫だ。ちょっと気分が悪かっただけだ」 シンヤは機械人形のように足を動かしてその場を離れた。危険な インターフォンが遠く近くさけんでいる。 一瞬だった。たとえ食料をうばい取ることができたとしても、逃げ 「食料配給車か ! 」 おおせる自信などまるでなかったのだ。あぶなかった。耐え難い緊 シンヤの足はしぜんにエレ・ヘーター・ホールへ向った。どうとい うあてはなかったが、もしかしたら食料が手に入るのではないだろ張が去ると、それについていっしょに意識までもがぬけ出してゆく うかと思った。 ような脱力感がシンヤの足をうばった。 手荷物運搬車のような食料配給車の周囲に黒山の人垣ができてい 「送ってゆこうか ? どこだ ? 部屋は」 た。身分証明書を見せてチェックを受け、食料を受けとっているら声があとを追ってきたがシンヤはヘんじをするだけの力もなかっ しい。これでは手も足も出ない。配給を受けた住民たちは、壁を背た。シンヤはとんでもない深い山の中へ、たった一人で迷いこんで にして立っているかれなどには見向きもしないで帰ってゆく。そのしまったような気がしてきた。脱け出す道はただひとつ、あの女の 手の戦時配給食のひとつであるクロレラのビスケットの緑色のパッ 部屋のナン・ハーを発見することだけだった。それも、うえに耐えら ケージがかれの胃をたまらなく衝き上げた。オレンジ色の三角パッれなくなった体がついに食料配給車を襲う前にだ。シンヤの心の奥 ケージに入った人工脱脂乳。アルミ箔の固形スープ。チュー・フ入の底のどこかを、ちら、ともう一度調査局へもどろうか、という考え 合成マーガリン。かれはしだいに誘惑に耐えられなくなってきた。 がかすめた、かれはあわててその考えをふるいすてた。かれらは絶 ひったくって逃げれば逃げきれないことはなさそうだった。かれは対にシンヤを受け入れるはずがなかった。かりに受け入れてくれた