顔 - みる会図書館


検索対象: SFマガジン 1975年2月号
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1. SFマガジン 1975年2月号

ら、小声で言うにちがいないと、おれは考えている。アパートの壁二十坪もあるちゃんとした自分の持家があって、十七年まえ借金し はうすいから、おれの怒鳴り声は、隣りまできこえたはずであるて買ったときから、今までに何倍にも値上がりして「・いまは時価一一 6 2 が、ここで引きさがっては、逆上コンサルタントの名がすたる。 千万円もするんだそ。おまえみたいな下層階級の彙将さんに、ガタ 「大きい声は、地声だ ! 」 ガタ言われる義理なんて、これつぼっちもないんだ」 おれは、逆上して怒鳴った。まえには、日に二、三回だけ逆上すおれは、完全に逆上した。額に青筋をたてて喚きちらしてから、 れば、それですっきりしていたが、逆上コンサルタントを開業して入口のところにあるポリ・ハケツを蹴たおした。 からというもの、日に五、六回は逆上しないと、おさまりがっかな となりの奥さんは、そこに棒立ちになって、まじましとおれの顔 くなった。どうやら、逆上する周期がちちまってきたらしい。逆上を見つめたまま、なにも言えなくなった。完全にゲシ、タルト崩壊 するのを我慢していると、一日中むしやくしやして面白くない。 の状態になっている。 「でも、赤ん坊の昼寝ができないんです。おねがいです。静かにし おれは、すっきりした。いい気分だった。が、これだけで済むと てください」 思ったら、大まちがいだ。こっちは、プロの逆上コンサルタント 奥さんの声は、おろおろ声になった。おれの大声にびつくりし だ。こんなことで手加減はしない。さらに追打をかけた。 て、ゲシュタルト崩壊を起こしかけているのだろう。 「いいか、今度からガタガタ文句を言ってきたらタダではおかない 「うるさい、黙れ黙れ ! なにが赤ん坊だ。こっちは、商売で大声から、そう思え。だいたい、あんたの亭主は、けしからん。アパー をだしてるんだ。他人の神聖な職業を、あんた妨害する気なのか ? トの隣人のくせに、おれに対するロのききかたを知らん。こっち 静かにしろだと ? いったい、誰にむかって口をきいてるんだ。 は、大学助教授だ。社会的身分も地位もある。そういう人間にむか 大声をだすのは、おれの職業的使命だ。そんなことを言うんなら、 って、ロのききかたを心得てない。このつぎは、あんたの亭主を謝 そっちはどうだ ? おれが仕事をしている最中に、赤ん坊は泣きわ罪しに来させろ、文句があったら言ってみろ ! 」 めく、マージャンはする、テレビのポリュームは大きい。そっちだ「 : って、うるさいんだ。勝手なことをいうな、この腐れメメコの淫乱奥さんは、真っ青な顔をして、しばらく突ったっていたが、とっ 女め。いくら大きな声をだそうと、大きなお世話だ。おまえなんぜん両手で顔をおさえて、自分の部屋へ駈けこんでしまった。 か、安サラリーマンの亭主と x x しているのが相応だ。でかい 「ざっと、まあ、こんなものだ。よく見ておいてください。こうい ロたたくな、この女め。こっちは大学助教授だ、あんたみたいな下うふうに、機先を制するんです」 層階級とは、人間の出来がちがうんだ。あんたのほうは、この安ア おれは、破顔一笑して、委員長にむきなおった。 パートをマイホームと考えてるだろうが、こっちは、神聖な仕事場「はあ」 として使ってるんだ。こっちは、ここから歩いていけるところに、 「ともかく、やってみなさい。逆上してごらんなさい。それでは、

2. SFマガジン 1975年2月号

ングに変りつつあった。 「念のために安全ロックだけしといたほうがいいわ。万一つてこと ォメガはカプセルから離れようとしたが間にあわなかった。博士があるから」 の腕が彼の胴にまきついてきた。ォメガは自分の足が床を離れ、博・フ = の言葉にアルガムはスイ ' チ・。 ( ネルに身をかがめた。そ 士の胸に引きつけられるのを感じた。 していきなりはじかれたように身を起した。 , 彼の顔はまっ青だっ こ 0 「アマルガム ! 」 ォメガは叫んで両腕をさし伸ばした。ア「ルガムは走りよ 0 て助「どうしたの ? 」 けようとしたが、博士の強い腕にさえぎられた。片腕に仰向けのオ ブュがたずねた。アマルガムは唇を震わせて。 ( ネルを指さすだけ メガを締めつけたまま博士は、もう一方の手でアマルガムのむなぐ だった。ブュは指の方向を見た。赤い異常ランプが不吉な点滅をく らを掴んで引きよせた。アマルガムはカプセルの蓋に手をかけ、腰りかえしていた。 をひいてようやく博士の力に耐えた。博士はふたたび高々と叫びだ「ダメ、早くだすのよ」 ブュとアマルガムが同時にカプセルの蓋に手をかけた。遅かっ 「わしはオラーフの倅、シグトウ . リッグ。戦いの野を進んでヴァル た。白光がカプセルの内部を貫いた。つづいて青いガスが博士とオ ( ラへ行く。血にまみれて死ぬはわが喜び。オーディン ! 」 メガの足をひたしはじめた。この瞬間に蓋を開くのは二人を死に追 博士はいきなりアマルガムを突きはなした。アマルガムはカプセ いやることだった。 ルの蓋をんだままよろめいた、鈍い音をたてて蓋はしまり、博士 ブュとアマルガムは息をつめて、シェル化していく二人を見つめ の叫びもとだえた。 た。青い靄が二人を閉じこめた。博士の片眼とオメガの眼が浮かん 「しまった ! 蓋が閉った」 でいた。ォメガの両眼はさっきと同じ哀しそうで穏かだった。・フュ アマルガムは苦痛に顔を歪めてカプセルに駈けよった。 は顔をそむけた。 「大丈夫よ。慌てることはないわ。スイッチがはい 0 ていないも「還 0 てこられるかしら : ・ : ・」 の。かえ 0 てそのままにしておいたほうがいいわよ。そのうち博士眼をそらしたまま・フ = がい「た。 も落着くでしよう」 「こられたとしても : ・・ : 」 ・フ = には博士とヴァイキングが同一化したという事態がのみこめ アマルガムの声はおびえていた。・フュは思いきってカプセルを見 ていなか 0 た。博士の狂乱が一時的なものだと思いこんでいた。オた。ォメガの胸に大きな焼けこげがあ 0 た。作業衣のビジ ' ウが当 メガももう苦しんでいる様子はなか 0 た。透明なカプセルごしに彼 0 た両肺のあたりだ 0 た。その焼け穴はオメガの驅をとおして博士 の少し哀しそうだが、穏かな眼が見えた。ォメガの頭の下からのそまで貫いていた。のそきこんだ・フ = の眼にカプセルの白銀色の台が く博士の片眼だけが燃えていた。 見えた。 364

3. SFマガジン 1975年2月号

しながら、首を振った。「いったい、誰が、そんなことをするんだ 少女の細い顔に血がのぼった。 ピッグコン・ヒューダ 「巨大電子頭脳よ」 ぼくは、体のなかでガラスの砕け散る音を、聞いたように思っ ビッグコン・ヒュータ 「巨大電子頭脳」とぼくはつぶやいた。 一心にうなずき返す少女の表情に、ふとやりきれない思いが、ほ くのうちに拡がっていった。 左翼学生たち、新宿にたむろする若い連中、彼等が持っ巨大電子 7

4. SFマガジン 1975年2月号

薬売りは小腰をかがめて、ひくつな愛想笑いを浮かべた。 「この男、実にけしからんやつです。人のうわさを聞いたとかなん とかぬかしおって、金創薬なんそを売りつけようとのこんたんです わ」 一葉がけげんな顔をした。 ー、第は第心きいを 「人のうわさ ? 」 「いいかげんなことを言っておるのですよ。そんな口実を考えてく あきんど るのです。この手の商人は」 売薬売りは、早々に荷物をまとめて退散しようとする。 「お待ち。そのうわさとやらを聞きましよう。御近所とは、まるで 24 ー

5. SFマガジン 1975年2月号

息子はうなずき、ちらと上目づかいに、母親を見る。 「もう、ちょっと、くわしい図鑑、買ってくれない ? 」 「とっても、すてきな秘密。ね ? 」 「図鑑 ? 」 甘ったるい声で、息子を妻は流し見る。 「うん、ぼく、あらゆる鳥が乗っている図鑑がほしいんだよ」 「大人の図鑑か。大人の図鑑はすごく高い。せ。それに説明のところ「いいかげんにしろよ」 私は書斎に帰って行った。 も、おまえには読めやしないだろう」 いそがしくなければ、もう少し息子と接触して、男らしい子供に 「でも、欲しいんだよ。・ほく、この鳥のこと調べようと思って、高 校生のお兄ちゃんのいる友だちのところ〈行「たんだ。そのお兄ちしてやれるのだが。 ゃん、だいぶ、くわしい図鑑持「てたけど、この鳥のことは出てな昼食時に息子の顔を見ると、またもや、涙のあとが、歴然として かったんだ」 例の鳥が飛んで行ったのだという。 「すてきな鳥よねえ」 妻の声がした。「だ 0 て、だんだん色が、きれいな白になり、だ母親までが、スカラを溶かしているのだから、あきれた話だ。 んだん、ちっちゃく、かわいくなるんだもの」 某月某日 「ばかばかしい、まだ言ってるのか」 つい私は笑ってしまった。 成長の異常に早い鳥ならともかく、だんだん小さくなる鳥などと今日は、あまり仕事にならない。 音楽鳥科の二種類が、早朝から、やって来たのだ。 いうものが考えられるか。 「同じ鳥だという証拠があるのか。・ないだろう。ま、いずれ図鑑も 0 とも、連中の声をきくのは、きらいではないが。 は買ってやってもいいが、根拠のないことは、あまり言わないこと 音符鳥。 だな」 まるい頭と長い尾の、小垣の黒い羽毛の鳥で、電線に並び、とき 「証拠なら : : : 」 おり位置を変えては、さえすり続ける。 息子が言いかけたとき、 今朝のやつは、めまぐるしく動きまわり、す 0 かり、浮き浮きさ いくぶん真劔な顔で、妻が息子のロを封じた。「約東よ。そのこせられてしま 0 た。 とは、お父さんには内緒。だ 0 て、きみの秘密もばれちゃうでしよ」 トリオ鳥。 「なんだ秘密というのは」 飛びながら、さえずり続けるのだが、かならずリーダー役の一羽 「うん」 7

6. SFマガジン 1975年2月号

彼女はいつものように、問、 しつめるようなとげとげしい口調でいと婆さんは息をはずませながら、財布の金をオメガの眠の前にぶち まけた。六年間の血と汗と涙の結晶だった。 「なんだか、ひどくきれいだね」 「三十五年前に戻りたいんだけど、これでたりるかしら ? 」 ォメガは皺だらけの札や手垢に光った硬貨を数えてみた。四時間 ォメガは感じたままを口にした。プュが変って見える理由がやっ とわかった。いつもの毒々しい化粧をすっかり落し、額にさげた髪と十数分間の旅行ができる額だった。彼が金を数える間じゅう婆さ んは心配そうにそわそわと軆を動かしていた。 をかきあげている。意外に広い額だった。 「三十五年前の三月十七日、それが倅の出征の日だった。列車の出 「・ハ力をいわないで。からかうもんじゃないわよー ・フュはどぎまぎしていた。″きれいだ″などと聞こうとは思って発は午後二時と決っていたから、わたしは朝起きぬけに兵営へいっ いなかったのだ。彼女の頬に赤みが射し、オメガが一度も見たことた。倅の好物をうんともってさ。午前八時から午後一時三十分ま で、わたしは倅といっしょにいた。幸せだった。あの子は一人息子 のない徴笑みが浮んでいた。 てて だったし、父親は五年前に死んでしまっていたから、あの子はわた 「いや、本当だ。君ってきれいなんだな」 ブュはなにかいいかけたが、黙って肩をすくめると、そのまま部しの心臓だったんだよ」 屋からでていった。 婆さんはそこで言葉を切って・オメガの顔と机の上の金をかわる 時計の針は十七時三十五分を指していた。もう少しするとイヌサがわる見つめた。 てて フラン婆さんが還ってくる。ォメガはこのまま小旅行室にいようと「驅の大きな、胸の部厚い子だった。父親ゆずりでね。 : : : 午後一 時半に整列して、二時には東部行の列車にのりこんだ。窓にちらっ 思った。 婆さんの息子は出征して二年後に戦死した。いまから三十三年前と顔が見えて、指先で窓ガラスを叩いた。それつきりだった」 のことだ。その頃はまだ機は作られていなかったから、婆さ「第三次世界大戦ですね」 ォメガは言った。イヌサフラン婆さんはバッグから一枚の写真を んは骨も埋まっていない息子の墓に花を捧げ、どこで死んだかもわ からない倅を偲ぶより仕方がなかった。だが六年前に号機がとりだした。陽に焼けた男らしい顔が微笑みを浮かべて映ってい 完成し、タイム・トラベル株式会社が営業を開始すると、噂を耳にた。 した婆さんは料金を問い合わせ、せっせと金を貯めはじめた。婆さ「途中から手紙が一通きたっきりだ。どこにいるとは書いてはなか んの仕事はビルの床磨きだったから、毎月ごく僅かの貯金しかできった。きっと所在を書いてはいけなかったんだろうね。元気で愉快 よ、つこ 0 ↓ / ・カー にやっている、と書いてあった。そんなはずはない。戦争にいって 5 婆さんが財布をいれた古くさいハンド・ハッグを胸に抱きしめて、 ″元気で愉快な。はずはないものね。戦争を楽しむように育てた憶 ・ : 二年二カ月たって戦死の公報が舞いこんだ。紋 ォメガの前に現われたのは五時間前だった。旅行の説明を聞き終るえはないもの。

7. SFマガジン 1975年2月号

かつま うに噴出してくる。 み、胴がくびれ、腰が大きくはり出し、美しい服を着て闊歩する姿 吉村先生は息もつまるような苦しみを味わい、畳の上に丸くなを、都会の男たちがうらやましそうに見送る。だれとでもいっしょ り、小さな衛門を抱きしめる。そうしたとき先生の心には、男と女に風呂へ入れるようになるが、困ってしまう。 ( いやだわ、こんな の肉体が大きく浮かび、からみあっているのだ。先生はそれを引きに毛深くて ! ) 先生の風船はふくらみ、溜息をつき、やっと緊張か 離そうとし、つかみかかり、抱きっき、こすりつけ、おしこみ、吸ら解放されるときがくる。軽い疲労の中で現実と妄想が重なりあ いっき、ほおばる。セックス、、せつくす、 Z 、 、先生は恋人に抱かれて眠りこみ、灰色の空白があとに残る。 、、知っている限りの性に関連した衛門の心の中に大きな疑問がふくらんでくる。先生もふくめてみ 言葉が先生の心いつばいにひろがり、それが大きくふくらんでゆんなの心に潜んでいる醜いもの、他人の肉体に対する異常な関心と き、しまいにはり裂ける。 欲望。なぜなのだ ? 衛門は自分がのそきたいと思っていることだ 先生は大きく溜息をつき、うわごとのように心の中でつぶやく。けをのそいていることに気づいていなかったのだ。 ( いけないわ、そんなこと ) みんなの欲望。そのことで子供が生まれる。それはもうわかって だが、それはすぐに違う意味の言葉に置きかえられ、またセック いる。では、・ほくの父親はだれなんだ ? その謎を解こうとかれは スの文字がいつばいにつまった風船となり、大きくふくらんでゆ村人たちの心をのそきつづけた。それはいっこうにわからなかった き、お仙の家へと飛んでゆく。先生は自分をお仙だと考え、訪ねてが、断片的な知識が集まるにつれて、母親のお仙は何か恐ろしい過 くる男のだれかれを抱きしめて濡れてゆく。その姿はそのまま若衆去から逃がれるために狂気の世界へ逃げこんだのではないかと思わ 宿へとうつる。先生は暗闇の中でさけぶ。「わたし、女よ」先生れるようになった。 は、まわりにうごめく男女の姿に抱きっきロ走る。先生は、月の光例えば、よろずやの主人の心はこういっていた。 がさしこんでいる部屋にもどり、衛門を抱きしめてうめく。 ( お仙屋敷 : : : 昔はお化けのすみかだと聞いてたが、お仙はいつも 「せんせ、くるしいよ」 泣いていたな。いや、年から考えるとお仙の母さまかな ? 祖父さ 衛門の声に先生はびくっとわれに帰り、そしてまた妄想の世界へまが殺されたとか死んだとか、それで気が違っただなあ ) と迷いこんでゆく。 若衆宿の婆さんはささやいていた。 ( 工モン、どうして大きくならないの ? ) ( うちの死んだばあさまに聞いたけんど、なんでも頭のおかしな外 先生は自分の顔を心の鏡にうっしてみる。その顔がみるみる美し国人をかくまっていたちゅうもんね。それにお仙はひどい目に会わ へんばう く変貌をとげてゆく。知っている限りの美しい顔が現われては消されたとか、殺したとか : : : ) え、やがてひとつの形に定着する。やせていた体もまたたくまに変木樵の徳さんはつぶやいた。 わった。洗濯板に小豆がのっていたような平べったい胸がふくら ( 爺さまは見たってよ。お仙屋敷の中が血だらけで、みな殺しにな 296

8. SFマガジン 1975年2月号

と、お糸は、わあんと鳴っている耳鳴りの底 いた老僧が、盃をぐい、とあおって言った。 あら、大変 ! ーー 。お糸坊、あんたはいっ あたし、知らない男の人の胸に、顔「そっちは、浜松町の源吉つつあんか・ : で、大あわてにあわてた。 からそんな飲んべになった ? 」 くつつけてる ! それも、素肌に : 小鉢にとった菜や豆腐を、すすりこむようにかきこんだ僧は、が まっかにほてった頬に、ひやりとなめらかなものが押しつけられ りりと歯の鳴る音をたてて、む、と顔をしかめた。 ている。冷えこんで来たのに、男は卸し立ての藍微塵の素袷せで、 お糸坊の笄からとんだ珊瑚玉じゃないか ! そのすこしはだけた襟元からのそく、かたい胸の皮膚に、べったり「何じゃ、これは ? , ーー : ほう、いたた、何本ものこってない歯が、またやられてしもう 頬をくつつけてしまっているのだった。 「や、どうもすいやせん ! 」肝をつぶして、もたもたしていた源伯たわい」 父が、やっと立ち上って来た。「あっしが、なれねえ酒をのませち まったもんだから : ・ 四 すみません、すみません、とお糸もしつかり立とうともがきなが ら、ロに出して言おうとした。が、酔いときまり悪さ、うまれては 究淵山了源寺ー・ー小日向村と小石川の境いあたり、道からだいぶ じめて、知らぬ男の肌へふれた恥しさに、かっかとしてしまって、すっこんだ、草・ほう・ほう、竹藪だらけの、こんな寺が、いったい寺 、、つ。ほけな破 夢の中のようにまるで声が出なかった。 もがくようにして、や社奉行の台帳にのっているのか、と思われるような っと男の胸に腕をつつばって体をはなすと、今度はがくりと首があれ寺だが、その本堂で、住持托空は、歯のかけたロをあけ、まばら おのいた。 な顎ひげをふるわせて、烏の鳴くような声で笑った。 「なんじゃ、それでは、お糸坊は恋わずらいか ? 」 「おや、お娘さんは : : : 」 ぶくぶくの畳に、綿の出た座蒲団をしいて、障子の破れ目からび と朦朧となりそうな視野の中で、色の白い男の顔が、おどろいた ゅうびゅう吹きこむ空ッ風に、さむそうに身をちちめている二人の ように眼を見はった。 「あ ! , とお糸は、いきなり脳天からずしんとしびれが走ったよう初老の男・ーー一人は浜松町の源吉、もう一人はお糸の父親辰造だっ に、棒立ちになった。「あなたは昼間の : : : 」 いなりずし屋さんという声はのどにひっかかった。ーー・酔いも何「まあ、早い話がそういうことで : : : 」と辰造は、渋面つくってう なずいた。「あれから一緒にかえったんですが、もうまるつきり・ほ も、一瞬にとんでしまったようだった。 ーとしちまって、せつかくあっしが買ってかえってやった米利堅み 「おや : : : 誰じゃと思うたら、本郷のお糸坊じゃないかな : 台のむこう側で、たった、今、鍋焜炉ひっくりかえ 0 ての灰神楽やげも見むきもせす、次の日から、何だか様子がおかしくなって、 になろうとしたのも知らぬ顔に、鮟鱇の肝をばくばく食べつづけて味噌汁の中に沢庵ぶちこむやら、座敷箒で表をはくやら、突然泣い

9. SFマガジン 1975年2月号

そんなものに眼を馳せながら、いったい、何をしにとび出して来 たんだろう、と思うと、何とはなしに物がなしくなった。 お嬢さん、き ふと、あのいなりずし屋の顔が、眼にうかぶ。 日がすっかり短くなって、四字前だというのに、もう影が長くな りはじめていた。 れいたね、といって、にやりと笑った顔が : 小春日和といっても、そこは師走で、日がかたむくと、もうそこ 馬鹿にされた ! ここの物かげから、しん、とした寒さが立ちこめてくる。 と思うと、妙にうずうずした、くやしさ、腹たたしさがこみあげ 絆纒をはおって表へかけ出して来たものの、父親はまだかえってて来て、お糸は唇をかみ、とん、と下駄で橋板をふみならした。 え、ほ、え、ほ・ くるはずもなく、船着場は遠く、行くあてもなくただ足を早めて、 : という声が橋のむこう側からちかづいてく 川っぷちまで来て、橋をわたりかけた。 る。ーーー重い足音が、橋板をとどろかせた。 からくりかご 橋板にこばこぼ鳴る日和下駄の音に、ふとわれにかえって、おの お糸は欄干にもたれたまま、ちらと橋をわたってくる機械駕籠を ずと足がおそくなる。ーーー橋の中ほどで、欄干にもたれて、ぼんや見て、そのまま水を見つづけた。ーーー駕籠は、鉄の脚をぎくしやく り水をながめた。 動かしながら後を通りすぎかかる。 しばらく晴天がつづいたので、川の水はすくなく、そのかわり冷とーーー足音がふととまって、 たそうに澄んでいて、かるい音をたてて橋の下を流れている。 「ほい ! 」 冬になると、鮒や蝦はどこへ行っちまうのかしら、とお糸は水をな駕籠の中から声がかかった。 丿なんかのそいて、身投げでもする気かえ がめながらぼんやり考えた。 「お糸坊じゃないか。日 眼をあげると、寒む寒むとした枯木をそわせてゆるくまがった川 のむこうに、遠い山が見え、その頂きが白くなっていた。 もう「あら、浜松町のおじさん : ・ : こ お糸は眼を見はって、ばっと顔をかがやかせた。 じき、あの山の向うから、江戸の町に空っ風が吹く。大寒む小寒む : と子供たちがうたうのもきかれるだろう。 「いやですよ。身投げなんて : 川ン中のそいてごらんなさい な。こんな水じゃ、こぶができちゃう」 だが、西からわずかずつ、色を深めて行く初冬の青空は、雲もな く、風もなく、おだやかなタ暮れへとむかっていた。 「それでも、そろそろ日暮ってころに、若い娘が一人、ぼんやり橋 その空に、 二つ、三つ、と白いものがうかんでいる。 の上から川をのぞきこんでる図なんざ、おだやかじゃねえ : 子供たちが凧をあげているのだが、そのうちの誰かが機械凧もと浜松町の源伯父ーーーもう六十に手がとどこうという、おだやかな ばしているらしく、ぶんぶんと虻の鳴くような音と、子供たちの甲顔つきの老人で、髪が半白を通りこして、白に近かかった。駕籠の てつおなんど ン高い歓声もきこえてくる。 引き戸をあけて、おりたった所を見ると、鉄御納戸色の袷に、銖色 からくり 2 2

10. SFマガジン 1975年2月号

髪を梳きおえたおきんさんは、指にはめた土圭を見ていった。 「へい、毎度 : ・ : ・」 「もうそんなかい : ・ : ・」母親は、疲れたように、首を左右に動かしすし屋は、肩にかついだ小ぶりの餅箱の蓋をとり、中身をおおっ ながら言った。じゃ、お八つにしようよ。 あ、それからお糸た布巾を半分めくると、黄金色の薄揚に包まれたいなりずしを、長 ゃ。ここへ錦絵鏡をもって来とくれ 9 三字から、・ほら、試合がはじ いぬりの箸で、お糸の持って来た皿にとりわけた。 まるから : : : 」 お糸は皿の上に小ぎれいにならべられて行くいなりずしを、遠い 「いいよ、お糸ちゃん。お前さんは、いなりずし買っといで。まごものでも見るようにぼんやり見つめていた。ーー・すし屋は、最後に まごしてると行っちまうよ」おきんさんは、立ち上りながら手をふ筆生姜をそえ、酢づけの山椒をちんまり傍にもりつけると、つい とさし出した。 った。「どっちの鏡にします ? おりくさん、小さい方 ? 」 「尺五寸の新しいのがあるから、それにしてくださいな」と母親皿をうけとり、夢の中にいるような気分で、機械的に代金をわた は。後にたたんでつみ上げた蒲団に背をもたせながらいった。「もすと、手を出しながら、すし屋はまたにつこり笑った 9 う八寸やそこらは見にくくってねえ」 「お娘さん、きれいだね : : : 」とすし屋はあやすようにいった。 台所から皿を持って裏木戸を押し、小走りに表へ走り出ると、い 「いいお嫁さんになんなさいよ」 なりずし屋は門の前を通りすぎる所だった。 はっとしたとたん、指先が男の掌にふれて、電気にかかったよう 「あの : : : 」とお糸は声をかけた。「くださいな」 に手をひっこめると、胸もとにすしを盛った皿をかかえこむように いなりずし屋はふりかえった。 豆絞りの手ぬぐいを頭にのして、お糸は一息二息あえいだ。 せ、棧留縞の法被の襟もとから紺のにおうような腹がけがのそいて「おっとっと : ・ : ・」すし屋は、道化た身ぶりで手を泳がした。「す 、た。豆絞りの下の顔は、ぬめっとした、青みがかったような白さしをおっことさないようにしておくんなせえよ、もうそちらに渡し で、眼にちょっと険があり、苦み走った、・役者のようないい男だっちまったんだからね」 一文字に生えそろった濃い眉の下から、涼しい眼でまっすそう言いすてるなり、肩にひょいと餅箱をかつぎ上げたかと思う ぐ見つめられると、お糸の動悸は急にはやまり、・顔にばっと血がのと、もう二、三間も先をとっとと歩きながら、 まっこ 9 「おいなーりさん ! 」 「おいくっさし上げやす ? 」 と呼び声をあたりにひびかせていた。 すし屋は、眠もとでニコッと笑って、さびたいい声できいた。 遠ざかって行くいなりずし屋の後姿を、お糸は憎いものでも見す ー笑うと眼の険が消えて、何ともいえない愛嬌がうかんだ。 えるように、しばらくあえぎあえぎにらみつけていた。それから、 「ええ、あの : : : 」お糸は、汗が顔ににじむのを感じながら、かすくるっと踵をかえすと、門内にかけこんだ。 れた声でやっと言った。「六つ : ・ : いえ、八つ」 母たちのいる表屋敷の方から、わっと大勢の歓声がきこえて来 こ 0 とけい 9