イギリス各地が一応平定されると、ウィリアム征服王は没収した土地 〔イギリス史について〕 をノルマン人の貴族に分けあたえ、ここに集権的封建制が組織された。 その昔、イング、ランドにはケルト人が住んでいた「紀元前のことであ なお、彼らのしゃべる言葉峡、ノルマンなまりのフランス語であった。 ′る。そこに、ガリア平定の余勢をかって攻めこんだのがジュリアス・シ 本篇の主人公、ジョンは、このノルマン人の貴族の息子であり、ステ ーザーだった。紀元前五五年と五四年のごとであゑその後、ローマ人 ィーヴンは征服されたサ久ソン人の少年である。 はこの島を属領とし、ローマン、・ウォールや軍用道路などを建設した。 ウィリアム征服王の息子の時代に始まったのが十字軍運動である。第 しかし、ローマ帝国の内政上の事情から、五世紀初め、ローマ兵はこの 一回十字軍は一〇九五年のことだが、それから百余年後の一二一二年、 島からひきあげていった。そのあとに渡ってきたのが、ゲルマン民族の フランスとドイツで、同時に、しかも相互に関係なく、少年十字軍が起 一部族であるアングロサクソン人である。 こった。 かくして、アングロサクソン人による〈七王国〉の時代が始まる。そ フランスはロワール中流のクロワという村にいた一人の少年 ( エティ して、六世紀末、キリスト教が伝わり「・、百年後には、はやくもイングラ エンヌ、別の伝承ではステファンーー本篇では後者をとっている ) が、 1 ンド全土がキリスト教国となってしまった。 キリストの幻覚を見、多くの子供をひきつれて聖地へ向かった。またド 九世紀の初め、七王国の一つ、ウェセックスにエグ・ハート王、さらに ィッではケルンの少年一一 . コラウスが、フルートを手にライン川をさかの その孫のアルフレッド王がでるに及んで、ついにイングランドの統一が ・ほり、アル。フスを越えて「、イタリアに入った ( これが、のちにハメルン なされたが、王位についたアルフ」ッド大王を悩ませたのは、デーン人 の笛吹きの伝説となる ) 。、この」一組とも、、、最後には自減の道をたどっ の侵攻であった。スカンディナヴィア半島および今のデンマークのあた りには、まだキリスト教を知らない勇敢なゲルマン民族がいて、北海は 以上が、本篇の歴史的背景だが、他にいくつか気づいたことがあるの ) もとより、大西洋、地中海まであらしまわっていた。ヴァイキングであ で、訳注がわりに記しておこう 9 る。彼らはイングライ下に攻めいり、アルフレッド大王の軍と激しい戦 グリュプスとか・ハシリスクという怪物の名がでてくるが、前者はワシ . , いを展開したが、八七八年、らいに破れて ) デーンローの内だけ住む の頭とライオンの胴をもった怪獣、後者はにらまれると死んでしまうリ ようになり、その陸にあがったヴァイキシ , グたちもやがて亡・ほされた。 蛇、とかげ、竜のようなもの。 しかし、そこにまたもや大陸からデーン人が侵入してきた。カニュー ェクスカリ・ハーというのは、アーサ・ー王の魔法の剣。 、ト王である。彼はイギリスの王位を奪って、北海両岸にまたがる一大王 ホス。ヒタル騎士団とは、傷病者の加療を目的とした十字軍の騎士団の 国を手にした。 こと。 が亡くなると、アルフレッドの五代目にあたるエドワ 一そのカ = ート 、、ノブシャーにまたがる ウィールド地方とは、ケント、サセックス , 、 ードが王位についた。その母親は、フランスに渡ったゲルマン民族の一 イギリス南部の大森林地帯。 一派であるノルマン人で「ノルマ , ンディ公ウィ屮アムの従祖母にあたって マーリンは高徳の予言者、 , ヴィヴィアンはその情婦。ともにアーサー が死ぬとウィリアムはイング いた。その関係を盾にとって、エドワード ( 訳者 ) 王伝説。 ( ランドに攻めこんだ。そして、 ~ 一〇六六年のクリスマ「スの日、彼はイギ リスの王位についた。 こ 0
「ルースよ」 げて、わたしに微笑をかえした。まるで、「今やらなきゃならない 「ルースは天使です」まるで、おれは神さまを信じてますとでも言 9 んだね」と言っているかのようだった。 うような口調だった。 スティーヴンの声は感謝の念でかすれていた 「メアリイ奥さま、おれたちはロンドンへ出発しなければなりませ「あなたは彼女が天使であってほしいんでしよう。でも、ほんとに ん。あなたはおれたちに食べ物も眠る場所もくださいました。この天使かしら、スティーヴン ? 彼女に訊いてごらんなさい」 ことは一生忘れません。暗い森の中でも、あなたはおれたちの光と彼は確認のためルースのほうをむいた。 「きみは天から来たって言ったよね ? 」 なるでしよう。あなたの贈り物ーーー小太妓とレベックは、聖地まで 「あたしは覚えていないって言ったのよ」 の旅費をかせぐ助けになるでしよう」 「騎士や修道士がお金をめぐんでくれるわ。でも、すぐ泥棒にもっ彼女はベルシャ絨毯を見つめていた。その多角形の角の数をかそ てかれちゃうでしようね」わたしが言った。「旅費をかせぐのはたえているようにも、縁に並んだ謎めいた文字を読んでいるようにも 見えた。 いへんなことよ」 「だからこそ行かなくちゃならないんです。旅費をかせぎ始めるん「でも、きみは落下していくのを覚えているって言ったじゃない か」 です。そして、イギリスへ戻ってきたら、あの暖炉の上に飾るサラ 「落ちるのは空からとばかりとはかぎらないでしよ」 センの楯をお土産にもってきます」 ジョンが口をひらいた。 彼は、荒々しく衝動的に、しかしやさしくわたしの手に唇をつけ ヒエンソウ た。昨日の風呂の残り香が彼をつつんでいた。飛燕草よりも青い瞳「でも、きみはいろんなことを覚えていた」その声は肉体から離脱 しているように聞こえた。それは地の底のミトラの神殿から聞こえ の上に黄水仙のようにハラリとかかっていた髪の毛をかきあげた。 髪の毛はまるで、すぐそばに森があるためしおれてしまった花のよてくるのかもしれない。「森のことを覚えていた。どこへ行けばい ちごを見つけられるか。藺草でかごを編むこと。マンドレイクから うだった。くもの巣にからまれ、血をあびた花のようだった。 「わたし思うんだけれど、あなたもお友達の真の姿を知っておくべ逃げるすべも知っていた」 「ルース」わたしが言った。「教えてちょうだい、あなたは何な きじゃないかしら」 彼は不思議そうに眼を見開いた。その無邪気な瞳がわたしの決心の。数えてちょうだい。わたしたちは知りたいのよ」 「あたし知らないわ。なにも知らないの」 を鈍らせた。 「ジョンのことですか ? でも、奴はおれの友達です。奴が若すぎ彼女は震え始めた。 わたしは、彼女が真相を話さねばならないことを気の毒に思い始 るっていうんなら、マンドレイクをやつつけた時の様子を見とくべ めた。 きだったんですよ」
っていることは、ただ一つ。彼女はあの少年たちをきわめて神聖な なっちゃう気がして」 十字軍に導いていくつもりなのだ。 「わたしも行かせたくないわ」 「でも、ね、奥さま。おれたちはエルサレムで戦わねばならないん 冷たい空気にわたしは目を覚した。暑い夏の日でも夜になってぐ です」 「あなたたちは、大勢の王様が失敗したことをなしとげられるとっと冷えこむことも珍しくはなかった。わたしは起きあがり、蝋燭 に火をつけ、わたしとルースのための予備のふとんを見つけた。ル 思っているの ? 赤髭王フリードリヒにも、獅子心王リチャードに 1 スの顔は黄金の髪の上に漂っているように見えた。首を切られた もできなかったことを、ちっちゃな二人の少年がやろうというの ようにも、溺れたようにも見えた。 わたしは少年たちのことを考えた。ガラスのない窓から吹きこむ 「おれたち、ちっちゃくありません」スティーヴンが言い返した。 「若者ですーーもう十五回、冬を過ごしたことがあるし、このジョ隙間風に震えているだろうと思った。彼らのべッドに天蓋をかぶせ ンも、昼顔のようにすくすく伸びる若者です。そうだろ、ジョンるのを忘れていた。わたしはリネンのガウンを着、イギリスの貴婦 人のはくものはみんなそうなのだが、爪先をきつく締める先のとが ったサテンの上靴をはいて、広間をぬけ、台所に入った。天火の近 「大きくはなってるけどね」ジョンが、あまり熱のこもっていない 声で言った。「でも、どうして朝に出発しなくちゃいけないのさ ? 」くで寝ているサラとその子供たちの間をそっと通り、はしごといっ 、ような急勾配の階段をの・ほった。 たほうがしし 「ルースがいるからさ」 「ルースはあなたがたの守護天使なのね ? 」わたしが皮肉っぽく訊きめの荒い皮のカーテンを横にもちあげて、わたしは息子の部屋 の入口に立って、少年たちを見た。二人は、・ヘッドのそばにさがっ ねた。 た白鑞製のランプを消すことも忘れて寝入っていた。熊の皮は彼ら 「そうです。彼女、すでにおれたちの生命を救けてくれました」 、わ。今はお休みなさの顎まで隠し、二人の身体は暖を求めてべッドの中央でびったりあ 「ほんとなの、スティーヴン ? まあ、いし し。明日お話ししましよう。わたしの子供のことを聞いてもらいたわさっていた。わたしは二人の上にかがみこみ、。ふとんをかけよう 、こジョンが眼をあけ、微笑 とした。その時、わたしに近いほうにしナ いの」 わたしは足取りも重くソウラに戻った。ルースのほうはだいじよした。 うぶだった。彼女はナイトガウンに着かえ、窓ぎわの椅子をあわせ「お母さん」 て寝椅子をつくり、クッションの間にもぐりこんでいた。眠ったふ「メアリイよ」べッドの端に腰かけて、わたしが言った。 りをしていたけれど、本当に眠った者がするゆっくりした深呼吸を「そういう意味です」 まねするのを忘れていた。彼女への質問も明日できる。わたしが知「おこしてしまったのね、ごめんなさい」 ・ヒューター 9
は年をくってた。もう何年も生きられねえ身体だづたのさ。この根 ないのだ。人は、愛を得、春をとり戻すためなら、金でも銀でも、 を精製して売った金で、おれたちは新しい犬舎が買えるって寸法 王地でも家畜でも惜しまないのだった。 狩人たちがその恐しい仕事を終えると、息子のほうが二人に微笑さ」 やがて男たちは、次の市のたつ日にこの宝を売る話や、そうして みかけ、マンドレイクのきれはしをさしだした。 「これを女に喰わしてみな。その女、おめえにべたべたへばりつく得た金を密かにどう使うか、どうすれば売りあげの三分の一を領主 に払わすにすむかなどという話をしながら去っていった。それか ことになるぜ」 「彼には、そんなものいらないんだよ」ジョンが言って、ことわっら、二人の少年は大を埋葬した。 「いつも女の子がくつついて離れないんだ。まるで砂糖にむら「この犬にも耳栓をしてやればよかったんだ」スティーヴンが苦々 しげに言った。「それに、むちを使ってこんなことをやらせるなん がるアリみたいなんだから」 「だけんど、おめえには必要だろうに」息子は笑って、片方しかなて ! 」 「大には蜜鑞はきかないよ」ジョンが言った。「少なくとも、そう い眼をつぶってみせた。 いう話を動物寓話集で読んだことがある。大の耳はとても敏感で、 フランスでもイギリスでも、片眼の農奴は珍しくなかった。たい てい、腹をたてた主人につぶされるのだ。喧嘩で眼をやられることマンドレイクの金切り声は蝋の耳栓を通りぬけて、や 0 ばり犬を殺 ・はめったにない。 この若者は、大ホールの暖炉にせっせと薪を運ばしてたよ」 「マンドレイク族がおれたち人間を喰うのは少しも不思議じゃねえ なかったのだろう。 「おめえのあれもそのうち役にたたなくなるぜ。それから砂糖をさな。おれたちがこんな風に、奴らの赤子をひ「ばりだし、切り刻ん だりするんだもの。親乂とお袋のことがなけりゃあ、おれはこの哀 がしたって、見つからねえよー った。「砂糖なんかどっさりあるんだ。一、二年もしてみなよ。彼が伊達男みてえに気取って歩き、女中たちの尻を追っかけまわすっ はまだ十二なんだからーそれから、スティーヴンは犬の死骸を指さてわけだ」 「・ほく思うんだけど」マンドレイクのきれつばしも犬といっしょに した。「あんたたち、グレイハウンドを使わなくっちゃならなかっ たのかい ? 自分じやできないのかね ? 耳に蝋をつめてんだろ埋めおえたジョンが言った。「問題は、どっちがどっちを先に食べ たかってことなんじゃないかな」 「誰でも知ってることだが、大のにうが力が強いんだよ。たちまそれから、彼はスティ 1 ヴンの手にすがった。 「ほく、気分が悪いよ」 ち、マンドレイクを引っぱりだしてくれる。歯をひっこぬくみてえ に、根からなにからす 0 かりとってくれるわけだ。それに、あの犬「だいじようぶだよ」ジョンを片腕でささえて、スティーヴンが言 一 7 6
ゾだっていうもつばらのうわささ。でも、ジョン、大小屋でどうやった衣服。彼の母は死後につくられた歌の中にのみ生きている そんなことしたら、おめえの親父高貴なる戦士と消えることのない愛の歌の中に っておれと暮らすつもりだい ? ごらん、この森を拓きし者 さんは誇りを傷つけられる。領主の息子が大の世話人といっしょに もっとすごい わたしに訓ねよと命する。 屋根裏に住んでいるなんてことがわかったら 刀打ちをうけることになるそ。おれの親父なんか、大鎌を折ったと 宝玉に飾られし君よ 想い出したまえーーー いうだけで両耳をそがれたんだからな。ところが、おれたちには天 あの昔の誓い : 使がいる。となりゃあ、やることは、たた一つ 「天使と別れるのかい ? 」 「すぐに、聖地に向かって出発するのさ。大小屋に少しは食料もあ「・ほくのお父さんの城をでるんだって ? 」ジョンは繰り返した。 る。着がえもある。城へ戻る必要はねえよ。おれたちは、ローマ人「そして、戻ってこないっていうのかい、永遠に ? 」 スティーヴンの顔は、かってのフランスの軍旗、赤色王旗のよう の道を通って、ウィールド地方を抜け、ロンドンへ出ればいいん だ。そして、マルセイユ行きの船にのる。マルセイユから大洋へでにまっ赤になった。 「おめえの親父の城だって ? 冗談じゃねえ、おめえらがこぎたね ればいい」 「でも、マルセイユはフランスのステファンが奴隷商人の手におちえヴァイキングだった頃には、この土地はおれの御先祖さまのもの だったんだそ ! おめえは、おれが犬の世話や羊の世話をしていっ たところだよ」 までもあの城にいると思ってたのか ? てめえの息子を刀で殴るよ 「でも、おれたちには案内人がついている」 うな奴にずっとっかえてると思ったのか ? 奴におれの育てたもの 「もし、彼女が本物の天使しゃなかったらーーー」 や、狩りでとったものを捧げて、妻をもらう許しを請うとでも思っ 「少なくとも、おれたちは城から逃げだすことにはなるな」 ていたのかい ? ジョン、この城にいたって、おれたちにはなんの 「つまり、永遠に城から出るのかい ? 」 とく 父から離れることができるという期待でジョンは陽気になった。得にもならねえんだよ 9 おれたちの前にはエルサレムがあるんだ」 フート スティーヴンにとって、その名は進軍ラッパであった。ジョンに 頭覆いをとってもらった鷹のような気分だった。だが、城には彼の 持物がみんな置いてある。彼が上質の皮紙に写して、象牙の表紙をとっては不吉な弔鐘だった。 つけた『イギリス列王史』、自分の手でいっしようけんめい写した「でも、ロンドンまでには森があるし、大陸との間には海峡がある。 お気に入りの詩、『梟とナイチンゲ 1 ル』などの羊皮紙もおきつば荒海は異教徒でいつばいだよ。彼らの船は。ほくらのより速いし、ギ リシャ火薬をもっている」 なしなのだった。もっと大事なものもある。母の魂ーー彼の思い出 だが、スティーヴンはジョンの肩をぎゅっとっかみ、その青い、 のすべて。母のの・ほりおりした階段。母の織った綴織。母のつくろ つづれおり 6 5
「全部というわけじゃないわ」わたしは微笑して、頭上のつなぎ梁「いけないことだと思う ? 」 しんつか と真束の組みあった天井を示した。「サラの息子たちに掃除をさせ「わかりません、奥さま」 ないとくもの巣がひどいのよ。彼らはすす払いが嫌いでね。妖精が わたしたちは支脚にのせたテー・フルについていた。わたしとジョ 恐いのー 「でも、それ以外は」ルースが言った。「どこにも暗いところはあンが並んで、スティーヴンとルースに向かいあっていた。わたしと りませんわ」 夫は、かっては、台所の召使いから料理をうけとっては忍びやかに 部屋は窓からさしこむ午後の陽光で明るかった。薪を積み重ねた歩く従者の給仕で、広間で食事をとったものだった。しかし、夫が 暖炉。背もたれの高い、クッションに刺繍をほどこした椅子。内側死んでからは、広間ではなくソウラで食事をするようになった。こ に少しひっこみ、コンスタンティノー。フルからもってきた薔薇色のの一年は、料理女サラの私生児たち、シャデラク、メシャク、ア・ヘ ガラスをはめたアーチ型の大きな窓。床を隠しているのは、赤と黄デネゴの三人が給仕をしてくれている。わたしは概して形式ばった と白の、縁にベルシャ文字を図案化した多角形のサラセン絨毯。し食事は嫌いだった。この見分けのつかない三つ児とおしゃべりをし かし、腰板をはめた壁は純粋にイギリス製だ。絨毯にあわせて緑に ながら食事をとるのだ。彼らは頭と腕に火のような赤い毛をはやし ており、名前が名前だけに、炉から出てきたばかりのような感じを 塗られ、縁を薔薇色にした樫の羽目板である。 ルースは、美とか、美の形や色をよく知っている少女のように部うけるのだった。しかし、今日はお客様がいらっしやるからそのよ 屋を見てまわった。しかし、驚きにあふれていた。彼女はわたしのうに用意をするよう、わたしはサラとその二人の娘、ラ ( プとマグ 織機に愛らしくうなすいてさわり、天蓋付きのべッドのところではダレナに命じ、息子たちにも、ただの夕食ではなく正餐の準備をす るように言っておいた。娘たちはテー・フルに、敏捷な小馬にのった 足をとめて叫んだ。 サラセン人の騎士たちを描いた豪華な錦織をひろげ、その騎士たち 「絹のテントみたい」 に攻撃されているような場所に、砂糖、米粉、アーモンド・ それから、べッドの傍らにあげてある枝編みのかごを指さして、 トの城を置いた。 「・ヘニヒワだわ」といった。「森が恋しくないかしら ? 」 レイヴァ わたしが食事の前のお祈りをおえると、息子たちは水鉢、水さ 「その鳥たちは満足してるわ。ひまわりの種をやるの。あと、貂と いたちから守ってあげるのよ。そうすれば、すてきな歌をきかせてし、ナプキンをもってきて、客人たちの前においた。スティ 1 ヴン は水鉢を口にもっていって飲み始めた。 くれるわー ジョンが気も狂わんばかりの様子でささやいた。 「かごに入れられたべニヒワは声変わりするって本当ですか ? 」 「それは飲み物じゃないよ。手を洗うものだよ」 「ええ。声がやさしくなるわ」 「飲み物はあとででてくるわよ」わたしが言った。 「ええ、だそうですわね。野性が消えちゃうのかしら」 てん トレスル 7 8
のよ。鹿の肉やいちごを食べているんだわ。狩人なんか食べない れずにすんだ。今では、べッドに新しい赤ん坊が寝ていたり、町へ 見知らぬ子供がやって来たりすると、ナイフでその子を刺してみるわ。さあ、寝ましよう。あなたたちの話じゃ、ロンドンまではまだ んだ。樹液がにじみでたら、子供は殺され、焼かれる。だけど、時遠そうだし、休養をとらなくちゃ」 には、マンドレイク族が・ほくらの世界にうまく入りこむこともあ「おやすみ」スティーヴンが言った。 「おやすみなさい」ルースが言った。 る。 きみにもわかるだろうけど、彼らは前の世紀に、 ( ンガリーを行 第三章 軍中、吸血鬼になってしまった十字軍兵士とは違うんだよ。あれは 行軍に同行していたハソガリー人の商人や娼婦がうっしたんだ。や がて十字軍兵士はその病いをイギリスに持ち帰 0 た。彼らが血を吸翌朝、太陽は空にかか 0 たザラセン人の楯のようだったーーサラ う時には、皮膚を破らねばならなか「た。彼らはまるで死人のようデイソ王の . 楯だ、と十字軍兵士なら言うところだろう。森は木洩れ な顔色だったんだけど、血を吸うと顔色が。ヒンクになり、身体に肉陽にきらきらと輝き、白い小鳥が空をとびまわり、枝にとまって、 が戻ってきた。彼らは吸血鬼だとすぐに見破られ、みんな焼かれ尾羽をせわしなく震わせていた。 ジョンが目を覚すと、ルースとスティーヴンは木の叉に立ち、微 た。しかし、マンドレイクの娘は肌に唇をおしあてるだけで、気孔 を通して血を吸うことができるんだ。そして、恐しいことには、彼笑をうかべて彼を見おろしていた。 「おめえを好きなだけ寝かしておくことにしたんだ」スティーヴン 女たちは吸血鬼には見えないし、時には自分でも、自分がマンドレ イク族だとは知らないこともあるんだ。彼女たちは一種の夢遊状態が言 0 た。「最初おこした時は、いのししみたいなうなり声をあげ たんだぜ。で、おれたち、朝めしが見つかるかと思ってセキレイを で血を吸う。そして、翌朝にはすべてを忘れてしまっているー 追いかけたんだ」 「恐しいことねールースが言った。 「彼らがかい ? 。自分の話が成功をおさめたのに満足して、ジ = ン「野いちごを見つけたわ」ルースが言 0 た。その唇はいちごで赤く 、つ。よい入っ なっていたが、それがよく似合った。彼女はいちごがしー ば幸せそうにうなずいた。 すげ た深い鉢をジ - ョンに手渡した。「あたしが菅で編んだのよ」 「彼らがじゃないわ。赤ちゃんをナイフで刺すことが恐しいのよー 森については何も知らないと言ったくせに、彼女はとても見事な マンド 「でも、他にどういう見分けかたがあるっていうんだい ? レイク族がまた・ほくらの社会に入りこんでいるのは、きみみたいな腕をもっていた。 地上におりた三人は、争って朝食を食べた。とげのあるぶなの実 おセンチがいるからなんだよー 「は「きりい 0 て」と、ルース。「あたしにはマンドレイク族が人は、上手に叩きつぶして、器用な手で殻をとらないと食べられない ・間の中にいるとは思えないわ。彼らは森の中でひ 0 そり暮しているのだ「た。スティーヴンのビールをひとりじめしたルースは、とう
めし せいではなく、 ( チミッ酒のせいで赤い頬。毛皮の内張りをした上 しかし、神は盲いてはいらっしゃなかった。一年と経ぬうちに、 神はわたしに、同じ狂気にとりつかれた子供たちを送「てくださ 0 衣につつまれた肉体からは、鼻をつく臭 . いが漂 0 ている。、夏の盛 5 りといえども、彼らはその上衣を誇らしげに着用している。上着は 黒い髪のノルマン人、ジョン。フランスのあの少年と たのだ。 同じ名をも 0 たサクソン人、スティーヴン。それに、二人が自分たつけず、簡単な腰布やズボンだけの農奴のまねはしたくないのであ ちの守護天使と呼んでいる、ルース ( だけど、彼女が天国から来たる。ま 0 すぐで柔かく、汗に濡れた長い髪はほとんどうしろになで のか地獄から来たのか、本当のことは誰も知らない ) 。神はわたしつけられていたが、一房だけ、額にはらりとかか 0 ていた。 を道具として、この子供たちを、わたしの息子にふりかか 0 たのと領主の息子であるジ ' ンは、猟大どもに取り囲まれたその雄鹿を 同じ運命から守ろうとしたのではないだろうか。だが、それほどに一番に射ることを許されたのた 0 た。ジ = ンはすぐれた弓使いとは いえなかったが、雄鹿はすぐ近くにいて、故意にでもないかぎり、 難しい仕事をわたしに託されたのは、神の間違いではなかったろう か ? わたしは努力しました、聖母「リアさま、わたしは努力した狙いがはずれることはありえなか 0 た。ジ = ンはわざと矢をはずし た。かって、友達の羊飼い、スティーヴンといっしょに栗拾いに行 のです ! 子供たちを愛し、子供たちを傷つけ、そして、ついには った時、ジョンはこの鹿を見たことがあるのだ。北海沿いにはえて いえ、その判断は、あなたさまにおまかせいたしましよう : いる、寒風にさらさらされた木々のような角をもった立派な鹿だっ 眼にい 0 ばい涙をためて、彼は荒野をめくらめ「。ほう走りぬけ「おれたちを恐が 0 てないそ , スティーヴンが小声で言「た。 た。小鳥たちは驚いて飛びたち、雉子や雷鳥は王の饗宴にだしても「恐がる理由なんかないもの」と、ジョン。「・ほくたち、あれに悪 さなんかしかけやしない。あんなに見事な鹿なんだもの」 恥すかしくないほど沢山に姿を見せ、うさぎは、池の蛙みたいに、 巣からちょっと顔をのそかせて、低い単調な音と共に、ふたたび頭今、その鹿は首をめぐらせて、ジョンを見た。彼を見覚えている ようだった。あきらめているようにも見え、犬たちに吠えたてられ をひっこめた。みんなは知らないのだろうかーー・ - ・森で弓をなくし、 て、しだの繁みの中で困惑しているようにも見えた。ジョンは、鹿 ガタガタ震えて矢をみんな落としてきてしまった臆病ジョンなど、 の枝角の上に向けて矢を射た。雄鹿は逃げた。しだの葉が突如とし ちっとも恐くないということを。 て刃と化したかのように、繁みからとびだし、三匹の犬をその頑丈 狩りの帰りなのだ。ガスホーク城の城主である父や、騎士の、 ひづめ な蹄にかけた。 工 - ドガーたちといっしょにでかけた狩りだった。 1 ト、アーサ おとこおんな 騎士たちの名前はそれそれ違 0 ていても、その姿かたちはほとんど「男女め ! 」父が叫んだ。その声は、晩餐と殺風景な広間を飾る角 同じだ。異教徒に対してーーーそして、同じイギリス人に対して、剣をのがした怒りでしわがれていた。「おまえには、弓よりも刺繍針 をふるいつづけたため堅くなった、ごっごっした手。英国の気候のをくれてやるわ ! 」 つの
目が、モイシャ・ユーファーウォーナーだ」 「そのモイシャの話を聞きたいものだね」 「モイシャはいいやつだったよ。だから、よけいかわいそうなん だ。おかしなのは、何が彼をいまわしい海にひきよせたかというこ とだな。十年考えたって、おまえさんにやわからんだろう」 「ああ、波止場女でないとしたら、ちょっと見当はつかないな」 「こいつあ驚いた。むちゃくちゃな話はいろいろあるが、そんなむ ちゃくちゃな話はますないだろう。ところが図星、それが真相なん だ。といっても、必ずしも女とはいえん。そうなる可能性がある ( 哲学者にいわせれば、そういうことかな ) 、つまり、年端もいか ない娘なのさ。 だが、そこまでいわれてはしようがない。一部始終を話すとしょ うか」 話は十年前にさかの・ほる。そのころモイシャはコちょ 0 と前 で、海とは直接関係のない、高利貸というまっとうな商売を父親と いっしょにやっていた。だが客の中には海の男も多くて、海の男と いうのはいのちがけの仕事だから、利息もふつう考えるよりいくら か高かった。 モイシャは取立てなんかをやりながら、商売を勉強していたわけ だ。それで、海のにおいがするところへも行くことになった。物の わかった人間ならみんなそうだが、これはモイシャにはあまりそっ としないことだった。そういうわけで、青魚亭へ行く用事もでき た。波止場のレストラン兼バ 1 兼下宿屋だ。 店の主人のひとりつ子で、十二になるびつこの娘が。ヒア / をひい ていた。ほかにいろいろ気をとられていたこともあって、娘の。ヒア 当ⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ スミコミケ』についても、訳者の米川良夫氏が別欄で書いておられる ので、ここではくりかえさないが、こんなおもしろい本はめったにな いということだけは強調しておこう。雄大な宇宙の歴史を背景に、哲 学的な大問題から日常の些事まですべてをひっくるめて描かれるこれ らの物語は、夢幻的で、神話的で抒情的で、しかも抱腹絶倒だ。・ほく は英訳で読んだのだが、たとえば最後の恐竜のエピンードのほろにが い幕切れとか、銀河系の公転周期をはかるため、ある場所に印をつけ てどうのこうのという、あのドタタ漫画風の物語など、今でもなっ かしく思いだす。そのうちのいくつかは、本誌に引続き掲載され、や がて全訳されて一冊の本になる予定だ。 「薔薇の荘園」のトマス・ スワンは、一九二八年生まれ のアメリカの作家。本職は英文学を教える大学教授で、作家の評伝な どの著作も数点あるようだが、六〇年代前半から ( 小説それも、すべ てファンタジイ ) を精力的に書きはじめ、長篇 Wolfwinter ( 狼の 冬 ) 、 The Goat Without Hors ( 角のない山羊 ) ほか十冊近くをも のしている。 スワンの特徴は、作品の素材をすべて神話や民話に求め、それを現 代発な視点から描いている点で、この「薔薇の荘園」も例外ではな 。伝説の魔物マンドレイク族の謎を興味の中心にすえ、十字軍の騎 士が子供たちの憧れであった十三世紀はじめのイギリスを舞台に展開 される、スワンのおとなのおとぎ舌よ、リ」 言 ( 倉甲二百号を迎えようとして いる「マガジン」でも、ちょっと類のない異色作だろう。 「チャリテイからのメッセージ」の作者ウィリアム・・ ては、ほとんど何もわからない。なにかの研究所の管理職にあって、 そのかたわら & 誌などにときおり短篇を発表している。 マイクル・ビショッ。フは、先月号につづいて再登場。処女長篇 A Funeral for the Eyes of Fire ( 炎の瞳のための葬儀、と仮りに訳 しておこう ) か、つい最近出版された。作家払底状態のわが国と ちがって、アメリカでは未来の大物と噂される新人が続々と現われて くる。 ・・ラフアティは、すでに本誌の読者にはおなじみといってい いだろう。「みにくい海」は、一九六一年、リテラリイ・レビュー ( 文芸評論 ) というリトル・マガジンに発表されたラフアティのもっ とも初期の作品。とてつもなく変な小説であることは保証する。 ( 訳者 ) ⅱⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ聞ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ 7 3
飲みおえると、彼女は二人の少年の手助けをかたくなに断わって、 一人で地上に戻った。彼女が木登りがうまいことが、これであきら 聖痕の奇跡の謎 かとなった。 「・ほくたちに怒ったのかな ? 」ジョンが言った。 調査に当った三人の医学者はこれ 一九七二年三月初旬、アメリカの 「彼女、ビールをぜんぶ飲んじゃったろ」スティーヴンが説明し カリフォルニア州オークランド市のを″典型的な聖痕の実例″と口をそ ろえて保証した。 ニューライト・バブティスト教会の た。「つまり、用をたしに 「クロレッタの事例はきわめて稀 中で、一つの奇跡が起った。キリス 二人は争って寝床の端に近づいた。大きな枝に身体をもたせかけ ト像の前で祈りを捧げていたクロレ だ。七四八年前のアッシジの聖フラ て、隣りの木のほうを見る。ジョンは胸をどきどきさせて、ル 1 ス ッタ・ロバートソン ( 2 ) という黒ンシスコ以来三三〇件の報告がある 人少女の両の手のひら、両足の甲、 が、安定した性格の人間に起ったの がその枝の下にしやがんでいるのではないかと期待した。 心臓に近い脇腹から、突然痛みを伴はほんの一一、三例しかない。だが彼 しかし、残念なことに、ルースは彼が眼をこらしていた樫ではな わぬ出血が起ったのだ。 女はヒステリー性格ではなく、バラ 世にいう″スティグマタ ( 聖痕 ) ″ ンスのとれた安定した性格の少女で く、にれの木の下から姿をあらわした。そして、木を登って二人の 磔刑に処されたキリストの体にあることがわかった」 ( 聖痕現象の もとに戻ってきた。 残ったという両手両足の釘づけの権威として知られる精神分析学者ジ ぐさ ョゼフ・・リフシャツツ博士 ) 傷、脇腹の槍傷、頭のいばら冠の傷 「毛布がわりの藺草を捜してたのよ」ルースが言った。「でも、一 などが、キリスト教信者の肉体上に 「出血を自分で起しているかどうか 本しか見つからなかったわ。いっしょにくつついて寝るしかなさそ チェックしてみたが、その徴候は全 出現する奇現象である。 うね」 当のクロレッタはこの体験につい く発見できなかった。これは聖痕の て、無邪気にこう言った。「自然に典型的実例と確信する」 ( クロレッ 彼女が一番に寝床の中央に横たわった。二人の少年に両側から暖 そうなったの。痛くもなんともなか タを最初に診察した小児科医ロレッ めてもらおうというわけだ。スティーヴンは愛想よく、彼女の左側 タ・アーリー博士 ) った。変な感じがしたので、見たら 「あらゆる医学的調査を行った結 血が出ていたの。あたしには何のこ に身体を横たえた。 果、この少女が典型的な聖痕者であ とかわからないわ」 蛇に姿をかえた魔王さながらの速さと器用さで、ジョンはルース だが、大人達にしてみれば大変なることが裏付けられた。彼女はこの を寝床の端におしやって、二人の間にもぐりこんだ。ジョンがひど ことだった。彼女の聖痕現象は四旬種の事例にありがちなヒステリーの 節 ( 復活祭前日までの四十日間、荒野徴候が少しもない、明るくて聡明で く失望したことには、ルースは何の反対も見せずにその配置を受け のキリストを記念して断食や懺悔を精神の安定した少女だ」 ( オークラ いれたのだった。そして、ガランガ根ーーー東洋から輸入される芳香 ンド・カイザー財団病院の小児科医 行う期間 ) 中に始まって、聖金曜日 エラ・ユリアー博士 ) ( 復活祭直前のキリスト受難日 ) の 性の植物で、イギリスの貴婦人たちの匂いの基礎として使用されて 聖痕に関するエピソードはキリス 三月三十一日にびたりとやんだが、 いるーーーの香りをかすかにただよわせて、彼によりかかったのであ その間聖職者や医者は勿論、あらゆト教の発祥当時からあり、多くの研 る。 るマスコミが殺到して大いに話題を究者は新約聖書のガラテャ書の最後 にある「今よりのち誰も我を煩わす 1 「今夜は星がきれいねー彼女が言った。「ね、ジョン、葉の間から呼んだのである。