攻撃軍は背あぶり山に野砲を引き上け、飯盛山の会津藩陣地に猛進攻軍は白河の関に、三千の戦死体を残すことになった。 砲撃をあびせた。 進攻軍南へ去るの報に、阿武隈川河口ふきんにあった官軍も、陣 三十日。喜多方方面の戦闘に勝利を収めた中村、上ノ山、桑名、を撤して海上へ逃れた。この官軍艦隊を追う甲賀源吾指揮する幕府 会津の各部隊が、会津防衛軍救援のために会津城下に入って来た。軍艦四隻は、塩尾崎沖でこれを捕捉し、激烈な海戦を演じ、官軍軍 攻撃軍は背後から、あらたに八千余の同盟軍の圧力を受けることに艦二隻を撃沈し、二隻を捕えた。残る一隻は南方へ逃れた。ここに よっこ 0 ュ / ュノ 事実上、奥羽進攻軍右翼部隊は潰減した。指揮官武田耕雲斎は漂流 郡山東方地区における両軍の会戦は、二十八日まで一進一退の激中を漁船に救助され、同盟軍に捕えられたが、のち、江戸に還され 戦がつづけられた。江戸の征東大将軍府は、戦局の打開を求めて、 新編の五個大隊を宇都宮より急行させるとともに、別に二個大隊を 阿武隈川河口に上陸させた。宇都宮より北上した新編五個大隊は、 奥羽進攻軍撤退の報は、江戸の征東大将軍府をはじめ、薩摩、長 奥州白河において、近藤勇指揮する新選組、天野八郎麾下の彰義隊州等の諸藩を震駭させた。戦局の帰趨を見守る小藩の内部には早く を中心とする三千の同盟軍と衝突した。激戦の結果、同盟軍側に多も微妙な態度があらわれはじめた。 大の損害は与えたが、結局、救援部隊は白河の関より反転し、那須 八月十日。奥羽進攻軍は宇都宮を中心に、水戸、桐生、前橋を結 へ後退した。この戦いは白河地方でおこなわれた一局地戦に過ぎなぶ線を防衛線として南下する同盟軍をむかえ撃とうとしたが、碓井 かったが、実は全戦局に重大な影響をおよぼした。進攻軍は郡山盆峠を突破した同盟軍が高崎より熊谷を衝かんとする態勢をとるにい 地に完全に封じ込められ、孤立したことを意味する。 たり、北関東の防衛線を放棄、全軍、利根川を渡って、柏、大宮、 川越ふきんに集結した。 会津進攻軍は猪苗代湖岸で、追尾する同盟軍の猛攻に悩みなが ら、果敢な退却戦をおこなっていた。 郡山盆地における会戦で勝利を得た奥羽列藩同盟は、朝廷に対 総帥西郷吉之助は、ここで、名将の真価をあらわした。戦史に残し、薩長追討の宣旨を要求するとともに、薩長およびその協力諸藩 るその号令に日く。『全軍、南へ ! 』 に対して最後通牒を突きつけた。日く、諸道鎮撫隊の解隊。しかし まだ十分に勝算あり、と主張する参謀、各級指揮官は、総帥西郷その麾下全軍の武装解除、すなわち、銃砲、弾薬、馬匹を同盟軍に の命令に色をなし、中には憤然としてつめ寄る者もあり、西郷斬る引渡したのち、自藩藩領内にて待機、という苛酷なものであった。 べし、の声も出たが、総帥の命令は磐石であり、ついに進攻軍は、注目すべき点は、この時点においては、列藩同盟は、内戦後の政治 全軍、戦線を離れて整然と後退に移った。しかし、これを追う同盟形態については、いっさい言及していないことである。そこには、 軍も、すでに戦力はなはだ枯渇し、退却を阻止することは不可能だ佐幕という意志すらないように見える。実際、水戸にあった将軍慶 った。だが白河における新選組と彰義隊の阻止戦闘はめざましく、喜は、もはや情勢の推移に何の影響力も持っていなかった。薩長連 こ 0 2 旧
包囲を逃れて脱出した者、奇兵隊なし。その他官軍約五百。という もに腹背より攻撃せんとする作戦であった。 同盟軍は、先の小田原での戦闘に鑑みて、敵の上陸作戦に備え、数字からも、奇兵隊の奮戦ぶりがしのばれる。隊長高杉晋作は黒森 海岸地方ははるかに北方に防衛線を敷いていた。抵抗を見ることなふきんでの玉砕戦に先立っこと半日、流弾によって、重傷を負い後 く海岸沿いに北上した右翼軍の相馬進出は、進攻軍参謀部の予定よ送された。 りもはるかに早かった。 このような状況のもとで、進攻軍司令部は同盟軍に対する南北か 相馬中村ふきんに布陣する同盟軍は、仙台藩、盛岡藩の歩、砲兵 より成る六個大隊約五千。フランス製野砲十二門。ガットリング銃らの挾撃をあきらめ、郡山、会津方面での両軍主力による会戦を決 二門を持っ精鋭であった。ここにふたたび彰義隊が登場する。彼ら意した。 は農民や商人をよそおって官軍後方に潜入し、ずい所でその兵站線白河を過ぎた進攻軍は、予備部隊もふくめて総兵力五万八千。西 を断ち切った。彼らのとくいとする爆破と放火、切込みは、武田耕郷吉之助直率のもとに、七月二十一日、郡山盆地南部、安積永盛ふ 雲斎指揮する右翼軍をしてその応接にいとまなからしめ、漸時、そきんに展開した。同盟軍は主力を、三春西方に置き、会津防衛軍を の戦力を低下させた。右翼軍は決戦を前にしての、郡山盆地におけ猪苗代湖北岸に配置し、阿武隈川沿いに、奥州街道を北上、仙台を る中央軍との会同に、早くも時間的に絶望的状態におかれるにいた衝こうとする官軍を、その両側面からおびやかす態勢を整えた。郡 山地方は、東に阿武隈山脈、西方に峨々たる奥羽脊梁山脈をひか 一方、喜多方に進出した奇兵隊も、その位置を占むるに時間的にえ、その間を北へ向って流れる阿武隈川の急流の両岸に開けた狭隘 やや早きに過ぎた感があった。中央軍はなお白河ふきんにあり、相な盆地である。その北方の仙台平野に侵攻するためには、・せひとも ここを通らなければならない。 馬、会津線上への展開にはなお数日を要する状況であった。その間 を利して、相馬中村藩、脇本喜兵衛、上ノ山藩藩主松平信安らのひき進攻軍の総帥西郷吉之助は、三万八千を郡山東方へ進出させると いる歩兵三個大隊、騎兵二個中隊は砲兵の援護のもとに喜多方を襲ともに、二万の兵力を猪苗代街道を会津へと進撃させた。 七月二十二日早朝。この日、この夏、最初の台風が関東地方から った。激戦二日をへてもなお勝敗はあきらかでなかった。決戦を前 この方面よりする圧力を取り除いておこうと図る同盟軍は会津東北地方一帯にかけてはげしい雨と強い風をもたらした。戦いは最 城の防衛にあたる会津、桑名の主力より一万二千を分って喜多方戦初から壮烈な白兵戦となった。火器の数では優位を誇る官軍だった 線へ投入した。奇兵隊は孤軍奮闘、屍山血河の死闘を展開したが兵が、天地をどよもす雨と風の中では、精鋭な小銃隊もほとんどその 力の差は如何ともなし難く、ついに食糧、弾薬つき、喜多方西方黒効果を発揮することができなかった。 森ふきんにて全減した。奇兵隊の戦死体、千。その他官軍八百。同正午頃までに、官軍側は六個大隊が戦闘能力を失い、同盟軍側も 盟軍に投降した者、奇兵隊十八。その他官軍、四百五十。同盟軍の死者三千を出し、両軍ともに戦場から離脱した。午後三時頃、ふた 幻 5
面へ撤退する。 理の具体案と、今後予想される政体について要求を掲げるととも 四月。征東大将軍仁和寺宮嘉彰親王ひきいる征東軍は江戸に入っ に、薩長側の意向に関しての質問状を提出した。軍事同盟は、戦後 の政体については基本的に、共和国であり、諸侯を議員とする議会 東海道鎮撫軍副総督、西郷吉之助は東海道、東山道、北陸道の一一一制を主張しながらも、暫定的に初代大統領は薩長側から出すことを 方面軍に対し、奥羽進攻を命ずる。 容認していた。さらに現下の戦闘に関しては臨時協商会議をもって 江戸市内に潜伏せる幕軍彰義隊は、官軍の後方攪乱に猛威をふる公平に万事処理することとし、双方より監視委員を出して一時休戦 う。薩摩藩江戸屋敷焼打ち、両国橋爆破、汐留の官軍軍需品集積所することを主張した。奥羽進攻軍総裁西郷吉之助、征東大将軍府参 爆破など相つぐ。官軍特務、必死の探索の結果、上野寛永寺内に在謀吉田稔麿、長州藩京都総務古高俊太郎らは、検討の要ありとした りし彰義隊本拠を発見、急襲。幹部を逮捕するとともに多数の証拠が、京都側では岩倉具視、有栖川宮熾仁親王、中山忠能らが猛反対 し、それに加えて大村益次郎、大久保利通、中岡慎太郎、桂小五郎 品を押収した。これより彰義隊による破壊活動下火となる。 六月。奥羽進攻の準備成った官軍は、奥州街道、水戸街道より続らの態度も極めて硬化した。岩倉らは天皇に要請して密勅を得、征 続と北上を開始した。征東大将軍仁和寺宮嘉彰親王は江戸に征東大東大将軍仁和寺宮に、奥羽列藩軍事同盟に対し、解体降伏を要求せ 将軍府を開き、北上軍の総裁は西郷吉之助。全軍を三個兵団に分しめた。ここに西郷吉之助は、進攻軍全軍に北上を命じた。 七月。奥羽列藩軍事同盟は、郡山盆地に大軍を集結した。また会 け、武田耕雲斎ひきいる右翼軍は水戸より棚倉、三春をへて岩沼に 至る。また奥州街道を進む中央軍は主力で西郷吉之助が直率し、さ津城に会津藩兵を中心とする新庄、中村、山形、梁川の各藩の兵を らに左翼軍として高杉晋作のひきいる奇兵隊を中核とする遊撃部隊入れ、一大防衛拠点とした。別に新潟、長岡方面に本庄、下館、亀 が、新潟へ向っていた。 田などの藩兵より成る別動隊を送って、この方面よりする高杉晋作 総兵力五万五千。さらに予備軍として一万二千が板橋、千住に待麾下の奇兵隊の進撃に当らせた。 機していた。 七月十一日。奥羽列藩同盟軍と奥羽進攻軍の最初の戦火は、長岡 ふきんで開かれた。この遭遇戦はごく短時間で終った。高杉晋作の これより前、幕軍の江戸放棄が決定されるや、仙台主、伊達宗ひきいる奇兵隊はさすがに強く、約千二百の兵力をもって三千の同 基は盛岡藩、久保田藩、庄内藩、米沢藩、会津、白河藩等の奥羽盟軍を潰減せしめた。その余力をかって、奇兵隊は十三日には喜多 大藩に呼びかけ、新たに奥羽列藩軍事同盟を結成し、議長に会津藩方方面へ進出した。この報を受け、官軍の右翼軍と中央軍は強行軍 主松平容大を戴き、参事に白河藩主、阿部美作守正静、米沢藩主、 につぐ強行軍をもって岩代に入り、さらに右翼軍は海岸伝いに北上 上杉式部大輔茂憲を推し、薩長に対抗する構えを見せた。 し、相馬中村ふきんに進出した。この中村より内陸に入り、阿武隈 奥羽列藩軍事同盟は、文書をもって征東大将軍仁和寺宮に戦後処川沿いに南下、郡山盆地に布陣する同盟軍を、北上する中央軍とと こ 0 2 ー 4
合対奥羽列藩同盟の拮抗の間にあって、幕府は完全にらち外に置か岸に迫った。 宇都宮を発し、古河から野田を抜き、松戸に迫ったのは、会津、 れ、その直轄する兵力すらどこにも存在していなかった。 字都宮、古河、佐倉、久保田、米沢の各藩兵よりなる三万五千。指 この列藩同盟の強硬な態度に対し、薩長は動揺する朝廷側を威嚇揮するは久保田藩々主、佐竹義堯。また、同じく古河を発し、大宮 しつつ協力諸藩を督励し、関東における決戦を決意した。名実ともかどら戸田の渡しへ迫ったのは、仙台、庄内、白河、山形、三春な の精鋭三万五千。果配を取るは三春藩主、秋田映季。さらに碓井峠 に天下分け目の決戦であった。 薩長連合は、新たに諸藩より拠出せしめ、編成した二万五千の兵より高崎、藤岡、川越と、江戸の西北方をおびやかしつつ、成増へ をと弾薬、米、等海路、江戸へ送るとともに、さらに各藩の農民、迫ったのは、河井継之助総指揮をとる、長岡、高遠、飯田、松代の 町人より成る徴兵軍、十万を相模平野に配置した。すでに官軍の兵藩兵一万五千。それに合して、近藤勇ひきいる新選組、大鳥圭介ひ は枯渇していた。流動する情勢下にあ 0 て小藩は兵を出すことに難きいる振武隊、また榎本武揚の洋式海兵隊、等、計二万。三軍合し 色を示しはじめていた。この徴兵軍は、すなわち、士気装備ともにて九万。さらに予備兵力三万は古河ふきんにあり、総兵力、十二万 余という大軍だった。 劣悪な、雜軍ともいうべき内容のものであった。 これに対して、千住ロへは征東大参謀高杉晋作が戦傷の身を、駕 西郷吉之助は、防衛線をさらに縮小後退させ、荒川を天然の堀と して、千住、板橋、成増を、江戸防衛決戦拠点とした。もはや一歩籠にゆだねて指揮を取る東海道鎮撫隊を主力とする三万。板橋ロへ も退くことはできなかった。総帥西郷吉之助に対する奥羽進攻作戦は、征東大将軍府参謀より出向した吉田稔麿指揮する東山道、北陸 失敗の責任を追及する声も強かったが、この危急に際して、総帥をの兵計四万 9 さらに成増口には、水戸の藤田小四郎ひきいる新天狗 交代させることの無意味さを説く者も多く、沙汰やみとなった。ほ党、坂本竜馬の海援隊、薩摩の桐野利秋こと中村半次郎のひきいる んとうのところは、この大任をよく果し得るであろう人物が、ほか征東隊。岡田以蔵のエゲレス隊、等、機動力にすぐれた部隊合して 五千が布陣していた。総帥西郷吉之助は、将旗を北豊島郡高松郷熊 に見あたらなかったからでもある。 天皇は西郷吉之助に対し、三条鍛治宗近の太刀一口と、正三位右野神社に掲げ、汐の如くひた押しに迫る同盟軍と乾坤一擲の攻防戦 を展開すべく、背水の陣を布いた。 近衛少将の位階を贈って、その労をねぎらった。 八月十九日早朝。川越街道を板橋方面へ向って進む振武隊の前衛 補給成った奥羽列藩同盟軍十二万は、八月十日頃より、そくそく と白河の関を南へ向って越えた。休養と補給を兼ねつつ、那須高原小隊と、同じく川越街道を成増方面へ向って探察行動中の = ゲレス 隊偵察小隊とが遭遇し、はげしい肉弾戦を展開した。大きな損害を に展開し、戦備成るや、一気に行動を起し、三梯陣をもって荒川」 幻 9
巨弾連載第七回 征東都督府 光瀬龍画土石井三春 慶応三年、四月 官軍は江戸に入った 江戸城を放棄した幕府軍は常陸方面へ徹退し 奥羽列藩軍事同盟の結成を計った そして六月一一雌雄決すべく官軍は北へ向かう 幻 2
「二人とも、これを見てちょうだい」 な湖を描き忘れるということはないでしよう」 笙子がふところから折りたたんだ紙をとり出して、ばさばさとひ「それはそうだ」 ろげた。木版刷りとおぼしい一枚の地図だった。 「お姉さん。そうすると、この武蔵大湖というのは、一六五三年か 「これよ。ほら」 ら一六五八年の間にできた、ということなの ? 」 「おいおい、じよう談言うなよ。そんな五年ぐらいの間に、こんな 笙子の指が地図の上を指した。 「なに ? 武蔵国総絵図 ? 」 湖が生れるものか ! 」 おおうみ 元は体を折って笑った。 「あら ! 武蔵大湖だって ! 」 二人の目が、あわただしく絵図の上を動いた。そこには、武蔵国「私ね、何か大きな勘違いをしていたような気がするの。いろいろ 調べてみたのよ。この絵図ばかりではなくて、幾つかの古文書をあ の西北、武州一帯を占める大きな湖が描かれていた。 「よく見て。この白子、新倉という村は、今の埼玉県和光市よ。そらためてみたわ。やはり承応三年頃から以前のものには武蔵大湖の れから笹目、膝折。折は今の朝霞市。志木、福岡、川越の旭、石名は出てこないわ。この両方の絵図は正しいのよ」 原から坂戸、松山、毛呂山、入間から現在の東京都の福生市、立笙子の声音は、深い謎を秘めてかすかに震えていた。 小金井、吉祥寺、井草、貴井をふくみ、そして北西へ向って野「最初、官軍や奥羽同盟軍の配備を見て、妙だな、と思ったのよ。 火止へのびる全体が三角形の大きな湖よ。現在の東京都の半分がす攻めロの千住や板橋はわかるわ。でも、大きな川や沼のない江戸の つぼり入ってしまうほど大きいわ」 西北一帯は、いちばん攻めやすい場所のはずよ。それなのに、成増 「こいつはおどろいた。笙子ちゃん、すると、この世界の関東地方ロというのは、千住や板橋の方にくらべると、ずっと少ない兵力し か回していないでしよう。どうしてこの方面に大軍を回さないの には、こんな大きな湖があるというわけかい」 「元さん。次元が違っていても、自然地理的特徴には全く変化は無か、ふしぎに思って来てみたのよ。そうしたら、こんな湖があるで というのは知っているでしよう。たとえ、ここが現代とは異っしよう。びつくりしたし、うかつだったわ。これでは攻める方も守 た次元の世界でも、関東地方に大きな湖があるということはありえる方も、大軍が動かせないわけよ」 ないわよ。それに、もうひとつ、これを見て」 「なるほど、そうか。それで、その勘違いをしていたようだ、とい 笙子は、さらに他の絵図を開いた。 うのは何なんだ ? 」 「万治元年つまり一六五八年に発行された絵図よ。これにも武蔵大「元さん。かもめちゃん。あなたたち、野火止用水って知っている うみ 湖は描かれているわ。こちらの絵図は承応二年、一六五三年、小田でしよう」 うなずいたのは、かもめの方だった。元はあいまいな顔をした。 原で発行されたものなの。これには武蔵大湖など描かれていない わ。小田原で発行されたものだといっても、まさかこれだけの大き「玉川上水と新河岸川を結ぶ野火止用水が掘られたのは、明暦元年 ふっさ おお 227
「この子が天使かどうかわからないじゃないか。彼女そんなこと言 「でも、ステファンの軍はどうなったと思う ? 奴隷として売られ ってないだろ」 たり、海で溺れたりしたじゃないか。彼の行方を知ってるのは、ペ テン師たちだけなんだよ」 その時、少女が口をひらいた。 「ステファンは死んじゃいないと思うな。もし死んでるなら、そり 「あたし、どうしてここに来たのかわからないの」 と、流暢なラテン語で言い、それから、スティーヴンがポカンとやあ、彼が神の声じゃなく、・悪魔の声に耳をすませたからなんだ。 しているのを見ると、同じことを英語で繰り返した。だが、そのロでも、おれたちは、このとおり天使を見ることができるんだ」 調にはこの粗野な言語を柔らげるだけの重々しい響きがあった。 「たしかに、あなたはあたしを見ることができる」少女が言った。 同時に、ジョンは、彼女が持っている、というよりはしつかり握「それなら、あたしが飢えていることもわからなくっちゃ。天使も りしめている十字架に気づいた。どのアームも同じ長さの、小さな食事をするのよ。本当よーーー少なくとも、旅をしている時はね。蜜 ギリシャ十字架だ。金の細工物で、そこにちりばめられている宝石とか露なんかよりももっと実のあるもの 9 鹿の肉はないの ? 蜂蜜 は、父の城では見られないものだった。ジョンも本で知っているた けの宝石ーーー東洋でとれる真珠というものだ。 「城へお連れしなきゃあ」スティーヴンが、この新しく見つけた天 「あたしの覚えているのは、闇だけ。あと、落ちていく感じと、大使を手放したくない様子で言った。「大小屋にはろくなものがない きな森。あたし、いろいろとさまよって、それからこの洞窟を見つもの」 けたの。夜が恐いから、ここに逃げこんだの。きっと、すごく疲れ「だめだよ」と、ジョン。「城へ連れてくことなんかできないよ。 ているにちがいないわ。ものすごく長いこと眠り続けた感じ」 ぼく、きみと大小屋に泊まることに決めたんだからー 彼女は十字架をもちあげ、やがて、その重さで両手が疲れ果てて「おめえの親父さんのせいかい ? 」 しまったかのように、十字架を胸のあたりにポトンと落とした。 「うん。お父さん、みんなの前で・ほくを刀のみねで叩いたんだ。そ 「きっと」ジョンがイライラした口調で言った。「おなかがすいてして、・ほくを・ー・ー」あの侮辱の言葉を繰り返したくなかった。特に るんだ」 スティーヴンの前では。「・ほくを・ハ力者って言ったんだ。・ほくが鹿 スティーヴンはびよんととびあがって を逃がしたもんだからさ。・ほくたちの鹿たよ。決して傷つけないっ 「でも、天使は食事なんてしないよ ! わかんないのかい、 て約束した鹿なんだよ」 ン ? 神さまが彼女を、あるしるしとしておれたちにつかわしてく スティーヴンはのみ込み顔でうなずいた。 ださったんだ。おれたちを聖地に導くためにね。フランスのステフ 「逃がしてやったんたね、おれも嬉しいよ。あれは森で一番年寄り 5 アンはキリストさまからお告げをうけた。おれたちは天使をうけとの鹿だっていうもの。実はーーー」と、彼は声をおとした。「ーーー、鹿 5 ったんだ ! 」 じゃないって話たよ。ヴィヴィアンによって鹿に変えられたマーリ
めし せいではなく、 ( チミッ酒のせいで赤い頬。毛皮の内張りをした上 しかし、神は盲いてはいらっしゃなかった。一年と経ぬうちに、 神はわたしに、同じ狂気にとりつかれた子供たちを送「てくださ 0 衣につつまれた肉体からは、鼻をつく臭 . いが漂 0 ている。、夏の盛 5 りといえども、彼らはその上衣を誇らしげに着用している。上着は 黒い髪のノルマン人、ジョン。フランスのあの少年と たのだ。 同じ名をも 0 たサクソン人、スティーヴン。それに、二人が自分たつけず、簡単な腰布やズボンだけの農奴のまねはしたくないのであ ちの守護天使と呼んでいる、ルース ( だけど、彼女が天国から来たる。ま 0 すぐで柔かく、汗に濡れた長い髪はほとんどうしろになで のか地獄から来たのか、本当のことは誰も知らない ) 。神はわたしつけられていたが、一房だけ、額にはらりとかか 0 ていた。 を道具として、この子供たちを、わたしの息子にふりかか 0 たのと領主の息子であるジ ' ンは、猟大どもに取り囲まれたその雄鹿を 同じ運命から守ろうとしたのではないだろうか。だが、それほどに一番に射ることを許されたのた 0 た。ジ = ンはすぐれた弓使いとは いえなかったが、雄鹿はすぐ近くにいて、故意にでもないかぎり、 難しい仕事をわたしに託されたのは、神の間違いではなかったろう か ? わたしは努力しました、聖母「リアさま、わたしは努力した狙いがはずれることはありえなか 0 た。ジ = ンはわざと矢をはずし た。かって、友達の羊飼い、スティーヴンといっしょに栗拾いに行 のです ! 子供たちを愛し、子供たちを傷つけ、そして、ついには った時、ジョンはこの鹿を見たことがあるのだ。北海沿いにはえて いえ、その判断は、あなたさまにおまかせいたしましよう : いる、寒風にさらさらされた木々のような角をもった立派な鹿だっ 眼にい 0 ばい涙をためて、彼は荒野をめくらめ「。ほう走りぬけ「おれたちを恐が 0 てないそ , スティーヴンが小声で言「た。 た。小鳥たちは驚いて飛びたち、雉子や雷鳥は王の饗宴にだしても「恐がる理由なんかないもの」と、ジョン。「・ほくたち、あれに悪 さなんかしかけやしない。あんなに見事な鹿なんだもの」 恥すかしくないほど沢山に姿を見せ、うさぎは、池の蛙みたいに、 巣からちょっと顔をのそかせて、低い単調な音と共に、ふたたび頭今、その鹿は首をめぐらせて、ジョンを見た。彼を見覚えている ようだった。あきらめているようにも見え、犬たちに吠えたてられ をひっこめた。みんなは知らないのだろうかーー・ - ・森で弓をなくし、 て、しだの繁みの中で困惑しているようにも見えた。ジョンは、鹿 ガタガタ震えて矢をみんな落としてきてしまった臆病ジョンなど、 の枝角の上に向けて矢を射た。雄鹿は逃げた。しだの葉が突如とし ちっとも恐くないということを。 て刃と化したかのように、繁みからとびだし、三匹の犬をその頑丈 狩りの帰りなのだ。ガスホーク城の城主である父や、騎士の、 ひづめ な蹄にかけた。 工 - ドガーたちといっしょにでかけた狩りだった。 1 ト、アーサ おとこおんな 騎士たちの名前はそれそれ違 0 ていても、その姿かたちはほとんど「男女め ! 」父が叫んだ。その声は、晩餐と殺風景な広間を飾る角 同じだ。異教徒に対してーーーそして、同じイギリス人に対して、剣をのがした怒りでしわがれていた。「おまえには、弓よりも刺繍針 をふるいつづけたため堅くなった、ごっごっした手。英国の気候のをくれてやるわ ! 」 つの
でいた暗澹たるものすべてが別世界の存在だった : : : あ違いはない。きみの方法ではどうにもならんよ」 「しかし、どうしてですか ? 何故ですか ? どこが間 まり見事だとは言えないにしても、今や彼は昔夢みてい たように、それらのことをすべて超越していた。だが、違っているのでしようか ? 問題は何ですか ? 教えて はたして、言葉で彼の感情をいいあらわせるだろうか ? くたさい ! 」 ところで、ゴードンが彼の話を聞いてくれるのか、何年老いた、八〇歳のゴードンに説明を要求するなどと か考えごとをしているのか、それとも居眠りをしているいうことは、冒濱にちかい振舞いであった。彼が、自分 のか、さつばり見当がっかなかった。 の言葉に間違いがない、真実であると、きつばりいい切 スチグスは話し終って、黙った。ゴードンが眼を開けった後ではなおのことである。だが今、場の統一理論が こ 0 生れたこの部屋では、それは冒漬でもなんでもなかっ 「申し訳ないが、きみを失望させなきゃならん。左旋回た。二人ともーースチグスもゴードンもーー彼らを超え る、より高いひとつの法則に従っており、その法則がゴ 光子は、あれは幻想だよ : : : 」 《学部長と同じことを言うとは ! 》スチグスはあおくな ードンに証拠を提出せざるをえなくしていた。彼はそれ っこ 0 を破るわけこよ、 冫。しかなかった、そうでないと、科学が宗 「 : : : 理論的にあり得ることが、自然界にすべて存在し教に、彼が教祖になる破目になりかねなかった。 ているという訳ではない。人霊や沼の化ーー左旋回光子「いいかね : : : 」 ゴードンの前にある机の上に紙が積み重ねて置いてあ もそれと同じだ。残念ながら科学という道の道端にも、 いつもその種の火が燃えていて、まどわされる。私自身った。その一枚をとると、注意深く皺を伸ばして、節く もそれを追っかけて、五年も無駄にした。おしいことをれだった指を曲げにくそうにしてペンを握った。そし したと思っている ! フュアにしても、シェリングトンて、そのペンの下から数式がいかめしい行列となって次 にしても同じだ。犠牲はそれだけで充分じゃないです次と進みでてきた。 それは判決だった。要するに情け容赦ない禁止の判決 か ? きみは、拝見した論文から判断しても、才能がお が述べられており、数式の矢東は防御柵より堅固で、コ ありになる、いたずらに時間を無駄にしないことだネ。 ンクリートの壁より高かった。ゴードンは淡々として、 これは私の忠告です」 「しかし、《ポリソフ効果》のことは : : : あなたは表玄夢に対して道を塞ぎ、その隙間はますます : : : 顔をあお ぎよう ・・・関から入られて、むきだしの壁に突き当ってしまわれたざめさせて、スチグスは、止めようもなく進む行の歩 み、確信に満ちたペンの素早い動き、証拠の無情な論理 ・ : 裏口からならあるいは : : : 」 「何もないところへは、表玄関からだろうと裏からだろを眼で追っていた。そして今、ペンが紙を引掻くように うと入りこむことはできない。ポリソフがあの効果を発して最後の数式を仕上げた : 見したあとすぐに、私は彼の結論を再検討してみた。間 「この先は、書かなくとも分ってもらえると思う」ゴー ひとだま
小原正太郎著「蜻蛉洲本草虫廼双紙」表紙 く、暮相々々 「ヤアヤア敵の奴原よくね・ほけまなこでこれを見よ。汝 しく押しだしらのうち慾深き者あらば相手にいでよ。われ、これ引き たるありさあてに借り倒してくれんず」 ま、実に見すというままに、勝ち誇ったる福軍の眼前に当るを幸い ぼらしく見え振りまわしつつ、見せまわれど、福方はいかでか相手に ) 、をー・、 ' 新帯を」ておざりまなるべきや。 す。 「アンナ反古にひとしき古証文、味方に受けては損失多 かくと聞くきそ、寄るなとくと逃げよ」 よりこなた この時、福方の陣中より、 よくづらいっ・ほう は、また福方「われこそは福軍に去る者ありと知られたる、慾面一方 さいあっかわ におきまして斉厚皮というものなり」 くにあり は、軍師国有と、名乗り安物買うて鼻落しの鎧に熊鷹の前立物うつ しろもったくさん しまのかみかねため 仕満守金為の軍配として、その先鋒第一陣には代物沢山たる甲を冠り、 もとや十・かい しおくりしがのかみもとかた しじゅうせんきん の城主仕贈仕賀守元方、第二陣は始州先金の城主元安買「汝、家財売九郎安具とやらん、一番この慾面が見倒し よしかみたかうり 能守高売 : ・ に値切り殺して買取り、また借手を汚かして物にせん」 ガラクタ戦争とまったく同趣向の、的ダジャレ貧などという話。実によくできているではないか。あな たはどうか知らなしカ 、 : 、・ほくは本当にうれしくなってし 富戦争軍記だ。ガラクタ戦争と甲乙つけがたいハチャハ チャ講談たが、目新しいのは、同じ擬人物でも今度は台まう。 所用品のように具象物の擬人化ではなく、貧・富というそして、三つ目のエビソード。これがまた珍奇な話な 抽象物を擬人化していることだ。最初から最後までダジのだ。「今夜は、ちと人間らしい軍談をしてくれぬか ? 」 ャレの連続で、ストーリイ自体には見るべきところはこの秀吉の言葉に新左衛門が語りだす、失敗の鑑み痴呆軍 れといってない。それにしても、 師の物語。これは前二つの軍談と比較すると、一応スト 1 リイらしきものがあるので、あらすじを書こう。 かざいうりろうやす われこそは貧方に狼無茶と呼ばれたる、家財売九郎安 もろこし 具なり、イデ一勝負して投げくれん。とわが先祖より伝昔、天竺 ( インド ) の国は土唐 ( 中国 ) の横町にひと えたる、年限切れの古証文元利のメ高三十六貫五百目のりの浪人がいた。なんとか戦場にでて手柄をたて立身出 みん 鉄棒ならで、減法と名づくる手ごろの棒を振りまわしつ世したい。そこで戦争を探したが明国は平和で戦争がな つ、躍りいでたが天地に響く大音声。 い。いろいろ考えた末、はるばる日本にやってきた。日 0 : に 4