の地方に通用した言語が、性につきまとわれた名詞を持っていたか らかもしれない。もしそうなら、それは土地よりもその住民につい て、多くのことを物語っているわけだ。しかし、わたしはもっと深 いところに根があると思う。 べティがべータ・ , ステーションと呼ばれていたのは、ほんの十年 たらずの間だけだった。二十年後には、市会の決議でべティが公式 名称になった。なぜ ? つまりそれは、わたしが当時 ( 九十なん年 この町がそ か前 ) そう感じ、そしていまもそう感じているように、 ういう町だからだーー多くのものを投げ捨てて、巨大な闇のなかの 長旅をしたあとの、憩いと修理の場、焦げめのある料理と目新しい 顔と耳新しい声が迎えてくれるところ、風景と天候と自然光のある 土地。べティは故郷ではなく、目的地であることすら稀だが、それ でいてその両方に近い。闇と寒さと静けさの中で出あう光と温かみ と音楽は、まぎれもなく〈女〉なのだ。大昔の地中海の水夫も、航 海のすえにやっと港が目にはいったときには、きっとそんな気持を いだいたにちがいない。わたしも、はじめてべティことべータ・ス テーションを見たときには、そう思った。そして、二度目に彼女を 見たときにも。 いまのわたしはべティの地獄警官なのだ。 アイ ・ : 百三十の眼が送ってくる映像のうち、六つか七つがちらちら と瞬いてからもとにもどったとき、そして、ラジオの音楽が急に空 電の波に洗い流されたとき、わたしははじめて一種の胸さわぎを感 じた。 そこで、気象センターを呼び出し、予報をきいた。録音された若 い女性の声が、午後か夕方に季節特有の雨があるかもしれないと教 えてくれた。わたしは電話を切り、・せんぶのアイのカメラを腹面か ヘル・ゴップ ⅢⅢⅢⅢⅢⅢ川ⅢⅢⅢⅢ聞ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ川ⅢⅢⅢⅢⅢⅱⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢⅢ聞ⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅱⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢ 眼の賜物でしよう。それから約一年のあいだに、ときにはハーラン・ エリスン風、ときにはジョン・コリア風な十七篇の習作を発表したあ と、誌の六三年十一月号に発表した『伝道の書に捧げる薔 薇』で、ゼラズニイは一躍注目を浴びることになります。この作品は 本誌一七一号に訳出されているので、お読みになった方も多いでしょ , ロウズ、プラッドベリ以来の失われた火星を舞台に、若い地 球の詩人と火星の女性とのラブ・ストーリーという、一見使い古され た設定をとりながら、詩的でスランギーな若々しい文体とパーソナル なタッチで巨視的なテーマに挑戦するという、ゼラズニイの作風の特 色を、すでに十一一分に発揮したビター・スイ 1 トな味の秀作でした。 この作品はヒューゴ 1 賞候補に推されながら、惜しくも受賞を逸しま したが、翌年には前記の『果てしなき永劫』がヒューゴー長篇賞に、 そして『形づくる人』 ( 未訳 ) と『その顔はあまたの扉ーー』 ( 本誌一 七三号 ) がそれそれノヴ = ラ、ノヴレット部門のネビュラ賞に選ば れ、一年おいた六七年には長篇『光の王』 ( 未訳 ) がふたたびヒュー ゴー賞を獲得するという大活躍を演じます 9 まさに一作一作が注目を 浴びるゼラズニイ時代が到来したわけです。 一方、ゼラズニイから一足遅れて、ディレーニイが六六年から二年 連続のネビ = ラ長篇賞、そして ( ーラン・エリスンが六五年、六七ー 八年とヒューゴー短篇賞を独占して気を吐き、ここにアメリカ界 は完全に若返りの時期を迎えたのでした。 今号に選んだ作品は、 『悪魔の車』 ( 六五年ギャラクシイ誌 ) 『このあらしの瞬間』 ( 六六年 & 誌 ) 『この死すべき山』 ( 六七年イフ誌 ) と、そのゼラズニイの最も脂の乗りきっていた時期のものばかりで す。おたのしみください。 最近のゼラズニイは、一時彼が目指していた神話との融合から 方向を変えて、現代的なタッチのヒロイック・ファンタジイの連作に 手を染めていますが、以前の輝かしさを失ったという声も聞かれま す。しかし、今年三十七歳、まだまだ老いこむ齢ではありませんし、 これからもたくさんの傑作を書いてほしい作家、またそれを期待でき るだけのすばらしい才能をもった作家でもあります。 ( 浅倉久志 ) 5 4
昭和 35 年 4 月 12 日第 3 杯郵仙物認可昭和 34 年 12 月 1 日国鉄東局特別扱承認雑誌第 682 号昭和年 6 月 1 日印刷・発行 ( 毎月 1 回・ 1 日発行 ) 第 16 巻第 6 号 マガジン アメリカ・ファンタジイ & SF 誌特約 197
もちいる用意があった。 まう。そして現在にいたるや、ついに樹木の絶減によって二酸化炭 素の自然のサイクルは破壊され、あらゆる燃焼装置は使用を禁じら 「つまり成行きはそういうことになるのだ , エドウイン・ジェームれ、酸素吸入器が生存をつづけるという、ただそれだけの目的で必 ズは結論として言った。「われわれが主歴史線にこのままの道をた要になるというありさまだ」 どらせれば、結果はそうなるということだ」 「われわれはふたたび、植林に着手しているではありませんかーと ラン・イルが言った。「地球にとっては由々しいことになると予アアウイが言った。 測されるわけですな、部長」 「それがある程度の意味をもつ大きさにまで成長するには、むりに 「遺憾ながら、そういうことた」 成長させる方法をもちいたとしても、何百年もの歳月を要するだろ 。フログラム作成者はグラスに水を注ぐと、手帳のペ 1 ジをめくつう。その間に循環過程の平衡はますます乱れてしまう恐れがある。 ハクスターがわれわれにとって重大な存在であるというのは 「われわれの軸点に位置するのはべン・ ハクスターで、これは一九そこのところだ。かれはわれわれが呼吸する空気についての問題の 五九年四月十二日に死亡している。すくなくとも、あと十年は生き鍵を握っているのだ ! 」 て仕事をすすめ、世界に望ましい影響をあたえてもらわねばならぬ「なるほど」スヴェッグ博士は言った。 「・ハクスターが死んでしま 男だった。十年も生きていたら、べン・ ハクスターは政府からイエ う主歴史線はあきらかに役には立たないようですな。けれどもそれ ローストーン国立公園を買うことになろう。かれはそれを公園としにかかる歴史線がーーー」 て維持しつづけるが、同時に木をさかんに植える。この事業は大い 「たくさんある」ジェームズは言った。「だが例によってその大部 に成功する。かれは南北両アメリカに広大な土地を買う。 よ、。主歴史線を数に入れても、選択の対 バクスタ分は選び取るわけにいかオし ー家の相続人たちは、つづく二百年の間、代々製材界の王となり、象は合計三つしかない。しかもあいにく、どれの場合も、べン・ 世界各地に大きく地歩を固めるにいたるだろう。かれらの努力によクスターは結局のところ、一九五九年四月十二日に死んでしまうの 、世界にはひろく森林が繁茂し、われわれ自身の時代をもふくだ」 め、人類はその恩恵に浴するはずだ。が、もし・ハクスターが死んだ 「もっと具体的にいうと、べン プログラム作成者は額を拭った。 ハクスターは一九五九年四月十二日の午後、ネッド・・フラインな ジェームズはうんざりしたような身振りをしてみせ、「パクスタる男と商用で会い、それが仇になって死ぬことになるのだー ーの死とともに、森林はどんどん伐られはじめ、世界各国の政府が新顔の議員ロージャー ・ビーティが神経質そうに咳払いをした。 その結果に気づいたときはもう遅い。二〇〇三年の大虫害が襲いか「その事件は三つの蓋然的世界すべてにおいて起こるのですか」 かり、すでに残りすくない森林地帯はひとたまりもなくやられてし「そうだ。どの世界においても、・フラインが・ハクスターの死の原因
「脱いで酌せよ」 天変地異地質学の復活 伊豆守はそれきり無言で、自ら首筋をもみつづけている。 このところ例の″高橋仮説″がマ帰しているのに反し、彼はそれを地 お加代はおすおずと体を起し、かたわらの膳部ににじり寄った。 スコミの話題を呼んでいる。超長円球自体の構造にあるとする。 「お加代。わしは脱いで酌をせよ、と申しておる」 軌道をもっ未知の氷惑星が、三千 結論から先に言えば、彼は過去四 伊豆守の声がずしりとお加代の胸にのしかかってきた。 年ごとに地球に異常接近して大雨を万四千年間に計五回の大激変が地球 の表面を見舞ったと主張する。すな 降らし、氷河期や石炭石油の成因と 「なれど : : : 」 なる天変地異を起してきた、ノアのわち四万四千年前、二万九千年前、 お加代は虫の鳴くような声で何か言いかけ、救いを求めるよう 洪水などもその時の″太古の記憶″ 一万九千年前、一万二千年前、そして ではないかという大胆な主張だが、 いちばん最近には六千五百年前だ。 に、思わず添寝の老女に視線を投げた。それがどのようなことなの これは TJ ファンならたいていご存 その論拠として挙げる事実の一つ か、説明を受けてはいなかったのだ。 じの例のヴェリコフスキーの彗星衝に、国際地球観測年の際に発見され たまりかねたように、添寝の老女相生が動いた。上と下の境いで 突説 ( もしご存じなかったら、本誌た、全世界の海面が約六千五百年な の昨年五月号サイエンス・ジャーナ いし七千年前に突然二百フィートほ 一礼すると、そのまま、するすると上段へ上ってきた。お加代のか ル欄を参照のこと ) のいわば日本版ど上昇したという海洋学上のデータ たわらにびたりと坐ると、お加代の方のかげに身をかくす態にて、 と言える。 がある。この異常上昇は以後徐々に 地質学的観点からこの説を見れ現在の海面の高さまで減少したが、 お加代の耳元に口を寄せた。 ば、ヴェリコフスキー説と同じく、 このような上昇を急激にもたらし得 「さ、帯、解かせられましよう」 過去の一時期フランスのキュヴィエ るのは現在の南極とグリーンランド 「殿様には、酌を、とおおせられておりまする」 らによって主張されて一世を風靡し の水の全量 ( 地表の氷の九五パーセ たカタクリズモロジー ( 地質激変説 ) ントを古める ) が、突発的な熱帯化画 「いかにもさようでござりまする。されば帯を」 の系列に属し、現在地質学の主流を によって完全に溶解した場合だけと 老女はお加代の方の胸元を巻いている白絹のしごきを、さっと解 なすュニフォーミタリアニズム ( 地計算する。 質変化均一説 ) に専門外の分野から そのほか彼は、ナイアがラ滝の後 いた。寝衣の前が開いて肌がのそいた。お加代の方は動転して気も あらが 再挑戦を試みる新説と考えてよいだ退開始、両極の極冠の形成、新石器 そそろに体を折り、前を掻き合わせて必死に抗った。 ろう。 時代、ローレンス河床の上昇、最古 おばしめし 「ええい。お上の思召であるそ ! なにをそのように」 ところで日本ではまったく知られのクフ王ビラミッドに印された洪水 の跡などが約六千九百年から七千年 ていないが、この機会に、葬りさら 老女相生は、たちまち目を釣り上げると、か弱い小鳥をいたぶる れた″天変地異地質学″の孤塁を守前であることを指摘し、ノアの洪水 老猫のように、お加代の方の寝衣を引剥ぎにかかった。 る地質学者として、″常識破り″を伝説や太陽が停止したというべルー 喜ぶファンの諸君にご紹介したいの伝説、長い闇が続いたというマレー 「あれ、ご無態な ! 」 が、アメリカのチャン・トーマスと ・スマトラ伝説などと考え合わせて お加代の方は悲鳴を上げた。お加代とて男と女の間のことを、何 ) いう学者だ。上記両説が天変地異の当時、極と熱帯が入れ変わるような も知らぬような小娘ではない。側室とはいえ、伊豆守は愛しい御殿 原因を地球外から飛来した他天体に最後の天変地異が発生したと推論す 2 旧
: わしのしるしは、 ずに大きな寝返りをそのふんわりとした虚空のべッドでぎたのかしら ? 何にもないー ゆっくり続けているところでもあったのだが ) 、わしはもどこかしらこの太陽系の軌道からすっかりはずれたとこ ろに取り残されていたのだった。わしは天体の重力にあ うあのしるしについての漠然とした記憶さえも失ってい ることに気がついた。わしにできることと言えば、今でらわれる変動を計算に入れていなかったのだが、とりわ はただ、 いろいろなしるしの、さまざまに交換可能な断けまた当時はこれがひどくって、おかげで天体の描く軌 片を、つまり、しるしのなかのしるしを考えつくことで道は不規則な上に、それそれがダリアの花みたいな恰好 しかなく、しかもこんなふうにしるしのなかのしるしをに交又しあっていたのだった。数十万年もかかって、わ 変えてみるたびに、そのしるしはまた完全に違ったしるしは苦心に苦心を重ねながら計算をやり直した。その結 しに変ってしまい、要するに、わしのしるしがどんなふ果、われわれのたどる道すじがあの点を通るのは、銀河 うになっていたのか、わしとしては綺麗さつばり忘れて年の一年ごとではなくて三年ごと、つまり太陽年の六億 しまって、どうしても思いだすことができなかったとい年ごとだということが明らかになった。二億年待ったも のなら、六億年だって待てる。で、わしは待った。道は うわけなのだ。 がっかりしたかって ? しいや、思いだせないのは長いと言っても、歩いてゆかなければならなかったわけ だったけれど、取り返しのつかないほどのことじゃなじゃなし、銀河の尻にまたがって、恒星や惑星の軌道を い。どんなふうになろうと、しるしはその場で、ちゃん計算しながら、さながら蹄から火花を散らして疾駆す と動かず黙ってわしを待っていてくれているとわかってる馬上の人というように、数万光年の道のりをわしは進 いたもの。そこまでたどりついて、見つけだしさえすれんでいったのさ。しだいしだいに昻まって来る感動にひ ば、わしの推理の糸口もまた見つけられようというものたっていると、いま自分はただこの自分だけに価値のあ だ。見当では、もう半分まで来ていたに違いなかったかるものーーーしるしと王国と名前とーー・を征服にむかって いるところなのだというような気になったりもするのだ ら、辛抱が肝要、それにあとの半分というものは、いっ だってずっと早く過ぎる感じがするものだ。こうなるった : と、わしはもう、しるしがあるのだということ、そして 二回め、三回めと、わしはまわった。ついにやったの だ。だが思わず、わしは悲鳴をあげてしまった。まさし いずれはまたそこを通るのだということたけを考えてい ればよいのだった。 くあの点に違いない点にわしが見出したものは、わしの しるしにかわって、形もさだかでない抹消の痕、踏みに 一日また一日とたち、もうすぐそばまでやって来てい るはずだった。今では、、 しっしるしに出会うかもしれなじられて破れかけている空間の傷痕たった。わしはすべ かったから、じりじりして身震いがしたほどだった。こてを失ったのだーー・しるしを、点を、そしてその点にお こだったかしら、いや、もうちょっとむこうだ。さあ百けるそのしるしの当人であるということによって、この までかぞえるぞ : : : なくなっちゃったのかな ? ゆき過わしがまさにわしであることを成り立たせていたもの 9 9
- - 翁業出版はありませんが、現在休刊中の同人誌「から後、明治の翻訳文学界に名を知られるようになった 月倶楽部」が、日本報道社版を部分復刻しています。 人ですが、フランスのイラストレーター兼風刺作家であ なお、第二回の拙稿中、イギリス征服に向かう黄華国るということ以外、あまり詳しいことはわかりません。 の副将軍滬候弘道が水戸黄門のことらしいと書きました もともと、・ほくはフランスのクラシックには叶しくな のは、テレビの「水戸黄門漫遊記」を見ながら原稿を書く、この質問をいただいた後に宮崎惇氏の「フランスに いたためのチョンボで、実は水戸烈公 ( 徳川斉昭 ) の誤おけるの系譜と現状」 ( 世界文学三八号 ) 、北村良三 りです。ごめんなさい。 氏の「フランスの作家たち」 ( 「入門」早川書房 ) の などを調べてみましたが、いずれもロビダーの名前はあ りませんでした。したがって、生・没年、業績など不明 囹アルべール・ロビダーについての質問 ですが、伊藤典夫氏 ( ともかく、なんでもよく知ってい 明治初期の・フームの際、ジュール・ヴェルヌらるエラーイ人です ) によれば、一 八八三年に「二十世紀 とならんで盛んに翻訳されたという、アルべール・ロビの戦争」という未来戦争予測の絵物語ふう作品が『カリ ダーという作家について教えてください。 カチュール』という雑誌に連載され、後に単行本化され ているそうです。 アルべール・ロビダーは、ヴェルヌと同系統のいわ なお、ヴェルヌとならんで盛んに翻訳されたといわれ ~ ~ ー第ー薹 ( ー物耋、鬻ー」ゆる科学ますが、明治十七年訳のほかには、「世界進歩第二十世 。 1 技術啓蒙紀」 ( 明治十九年、服部誠一訳、岡島宝文館、二十一年ま 的でに三篇に分けられて刊行 ) 「社会進化世界未来記」 ( 明 「第二す治二十年、蔭山広忠訳、春陽堂 ) と、同一書が三回新訳 世紀未来され・ているにすぎず、ヴェルヌとは比較になりません。 」誌」 ( 富 ( ヴェルヌの翻訳については、第十五回参照のこと ) 内容は二十世紀の科学技術の進歩した世界で主人公が 当、、一田兼次郎 ・酒巻邦活躍し、太平洋中に新大陸を作る話ですが、訳文がいず , 助共訳 ) れも漢文調で非常に読みづらく、数年前に入手したま が明治十ま、まだ通読していません。したがって、内容紹介もで 七年に翻きません。またまた、すみません。 なお、ばくは服部訳の三冊本のうち、第一、第三篇を 一一訳され、 これが好所持していますが、柳田泉氏によれば服部訳の第二、第 評を得て三篇は非常に珍らしいものとのことです。うれしいの 9 8
で、表紙文なども入っています。あるいは無視されている以上に 写真をお評価のできる作品かも知れません。 目にかけ・ 囹石川雅望の的小説についての質問 囹「河江戸時代後期の文人、石川雅望という人が、風来山 童」の人 ( 平賀源内 ) の「風流志道軒伝」にも劣らない的 。内容と収録全集など 続篇に小説を残しているそうですが : ・ 義ついてがわかったら教えてください。 の質問 まさもち 石川雅望 ( 宝暦三年 ~ 天保十三年 ) は江戸の書家石 第十川豊信の子で、字名を子相、通称を五郎兵衛。六本木で 二回「大正時代の」に、夏目漱石「猫」の続篇「社宿屋を営んでいたところから六樹園、通称の五郎兵衛を 会主義者になった漱石の猫」という珍本の紹介がありまもじった五老山人などの号を持っ文人です。また狂歌を げきりよ 紙 したが、・ほくはいつだったか芥川竜之介の「河童」の続作る時は宿屋飯盛、逆旅主人などの号も用いました。 第篇を読んだ記憶があります。現在はその本を紛失してし和漢の学に博覧多才で、狂歌、読本、黄表紙、支那小 : 第 まって、作者名も書名も忘れてしまいましたが、もし、説翻案、文学研究に活躍しました。中でも文学研究書 それらがわかりましたら教えていただきたいのですが : 「源註余滴」「雅言集覧」は高く評価されています。 それら、数多くの文芸活動の中で、いわゆる本格的体 裁を整えた小説は「天羽衣」「近江県物語」「飛騨匠物 名作といわれる小説には、賢作や続篇はっきもので語」の三篇がありますが、「飛騨匠物語」 ( 文化五年、 一八〇八年 ) が、ご質問の的小説といえるものです。 すから、おそらく「河童」にもいくつかの続篇のような ものがあるだろうと思いますが、・ほくが知っているの は、永淵熊六なる芥川信者の無名作家が書いた「唯性史今ここに記しつるは、あまたありし飛騨人の中に、す ぐれて機巧に妙にして、其術神に通じて、天地造化の不 誠観夢惣兵衛河童物語」 ( 昭和七年 ) です。もう、かなり きのはし = 服 可思議なるをただ雕鑿のうへに出し、木頭を以て鳥とな 以前に一度読んだだけで内容は忘れてしまいましたが、 著贋作にしてはわりあいおもしろかった記憶があります。し、板片を以て馬をつくりて、一世の人を驚かせしかし たくみ 昭和十二年に永淵熊六遺作刊行会の手によって編さんこき匠夫が物語なり。その時代はたしかに聞きったへ ひだ された同作品をタイトルとする短篇集には、菊池寛の序ず、いづれの御時にかありけん。斐陀の国に猪名部の墨 0 9
陽は東海のたようです。最近では、筑摩書房の「明治文学全集ー第 ~ 水平線か十七巻に収録されています。 ら、今まさ 一に昇ろうと囹「西征快心篇」異種本についての質問 ( している。 , 、一一まちがいな第二回の「日本第一号とその周辺」で紹介され 、く、彼の体た、日本最初の架空戦争小説テーマで、現代日本 物気を 。 ( ( 験は夢だっの先駆的作品である巌垣月洲「西征快心篇」には、紹 、たのであ介のほかに別版があるそうですが、その発行年、書名な る。 どわかりましたら、おねがいします。 西征快 = 心篇 をやがて、 こ彼は夢の中「西征快心篇」の活字化されたもので、ばくの確認ず で雁にいわれた言葉を思いだして苦しむ。すると、そのみのものには雑誌「日本及日本人」昭和二年秋季増刊号 時、背後からさえざえとした歌声が、風に乗って聞こえに掲載されたものと、日本報道社版「英国征服記 ( 通俗 てきた。それは賛美歌だった。しかも、その声は夢の中西征快心篇 ) 」 ( 昭和十九年 ) のほかに二点あります。 の姫そっくりの声だ。 一つは巌垣月洲の門弟で、明治・大正期の著名な思想 そこで彼は悟る。「ああ、我を救うものは神よりほか家杉浦重剛の編による「巌垣月洲」 ( 大正七年、政教刊 ) はない。」そして、彼は天の父の前にひざますき、おのれに収録された原文 ( 漢文体 ) のもの。 一身の力を頼み、おのれ一身のくふうによって道を立もう一つは月洲の子孫のひとり、雨森民雄氏が昭和十 て、なすべきことをなさず、なすべからざることをなし八年に自費出版したもの ( 千阪弥寿訳 ) です。 この二書は、第二回原稿を書いた後に入手したもの て神の道からはずれていたことを射し、安らかなる道に : 快 帰してくれることを神に祈るのであった。 で、そのどちらにも第二回紹介の書には省かれていた作 者厳垣月洲の肖像画が載っていました。 ( 門弟、望月玉 これが「夢現境」の全篇です。ばくはこの作品には、泉筆 ) 日本の先駆者のひとりの顔ですから、ぜひ、 ここで紹介しておきます。 ほとんど的要素が見受けられす、したがって日本 このほか「西征快心篇」には、嘯耕園叢書版、岩崎行 史上は無視していい作品と考えますが、みなさまの判 . 遺定はいかがでしようか ? 親版の二種があるそうですが、確認していません。ま = 洲 た、大東亜戦争中にもう一種別版が刊行されているとも この作品は矢崎嵯峨の屋の代表作の一つでありなが ら、これまで文学全集などにあまり収録されていなかっ聞きましたが未確認です。もちろん、戦後、この書の商 6 8
の切り換えの理論的可能性を証明して見せた。ただし一定の範囲内 畳んだ。 でのことである。 「だが今、われわれはディレンマに直面している。予測のとおり、 たとえば、ノルマンディー公ウィリアムがヘイスティングズの戦 歴史主線は、紛糾をきわめた面白くない状態の中にみちびかれよう いに敗れるような過去へと切り換えることは不可能なのた。そのよ としている。けれども切り換えるべき適当な交代線はひとつもない うな事件から発展する世界はあらゆる面で、あまりにも違いすぎ、 のだ ! 」 異質でありすぎるだろう。切り換えはごく近接した線にのみ可能な 議員たちはささやきをかわす。 のだった。 ジェームズは言った。「状況を説明させてもらおう」彼は壁の一 この理論的可能性は、二二一三年には、実際的必要性になった。 つに歩み寄り、大ぎな図表を引き下ろした。「危機の瞬間は一九五 ・・ ( クスターとその年、 ( ーヴァードのサイクス日ラボーン計算機が放射能副産物 九年四月十二日におとずれ、われわれの問題はペン の添加による地球大気の完全な不毛化を予測した。この過程は元に いう一人の人間をめぐって起こる。その状況はつぎのとおりだ : 返すことも、避けることもできないものだった。汚染がはじまった 過去に戻ってくいとめるよりしかたがなかった。 事件というものは本来の性質上、それに代るべき、さまざまの可最初の切り換えは、新しく開発されたアダムズ日ホルト日マール 能性を心に呼び起こし、その一つ一つがそれ自身の歴史の連続を生テンズ選択機をもちいておこなわれた。世界計画協議会は、ヴァシ リー・アウチェンコの若死 ( とその誤った放射線損傷理論の抹殺 ) み出す。ほかの時空連続体の世界においては、スペインはレバント で敗れ、ノルマンディー公は〈イスティングズで敗れ、イギリスはを含む一つの線を選んだ。結果として伴う汚染の大部分は回避され たが、七十三人もの人間の生命をーーーアウチェンコの子孫たちに切 ウォータールーで敗れている。 り換えの両親を見つけてやれなかったためーーー犠牲にしなければな スペインがレバントで敗れた場合はどうなるか : スペインは壊滅的な大敗を契した。そしてトルコの海軍は向こうらなかった。 いったんそうなると、もはや引き返すことはできなかった。歴史 ところ敵なく、地中海からヨーロッパ各国の船舶を一掃した。さら に十年後には、トル = の艦隊はナポリを征し、ムーア人のオース線の切り換えは病気の予防同様、世界にと「て必要欠くべからざる ものになった。 トリア侵略の道を開いて : だがそうした過程にもおのずから限界があった。手のとどくどん というような経過を、べつの時空においては、たどるのである。 この推測は、一時的の選択と置換の発展の後には観察可能な事実な歴史線も利用できない時、あらゆる未来が不都合にみえる時が、 どうしてもやってきてしまうのだった。 となった。二一〇三年には、オズワルド・マイナーとその同僚が、 そのような事態が起ったとき、計画協議会はより直接的な手段を 歴史主線ーーと便宜上、呼ばれるものーー・からさまざまの交代線へ 8
石井研堂校訂「校訂万物滑稽合戦記」表紙 本及日本人」です。〈インカ帝国顛覆秘史〉とサ・フタイしていたような、 ( チャメチャ擬人小説を集めた本はあ トルのついた。「真紅の供骨」という冒険小説は大正十りませんか ? 一年の一月十五日号 ( 第八二十七号 ) から翻訳連載が開 始されていますが終了は手元の資料では不明です。作者あります、あります。おたすねのものにビッタリの はフランスの作家、劇作家、 = ンサイクロペディストと本があります。題名は「校訂万物滑稽合戦記」 ( 明治三 して名高いジャン・フランソワ・マルモンテル ( 一七二十四年、博文館『帝国文庫』の一冊 ) 。石井研堂校訂に よるもので、先月号で紹介した「精進魚類物語」「虫合 三 ~ 一七九九 ) 。原著は一七七七年に書かれた "Les lncas" で、「インカまたはベルー帝国の減亡」のタイト戦物語」のほか、室町時代から江戸時代にわたって書か れた擬人もの合戦記が三十九篇収録された千ペ 1 ジを越 ルで翻本があるらしいのですが、未見です。 「黎紅の侠骨」の訳者は、ただ史山とありますが、おそえる大冊です。 内容はいずれも似たりよったりですが、「忠臣瀬戸物 らく猪狩史山でしよう。猪狩史山は政教社のメイハー で、思想家杉浦重剛の弟子にあたるんです。 ( というこ蔵」「太平気」「花見虱盛衰記」「餅酒合戦」「麻疹太 平記」「衣食住世帯評判記」など、なんでもかんでもみ とは、先の巌垣月洲の孫弟子になります ) 史山は、小説も書いていますが、冒険小説、的なんな擬人化されていて、ひまを持てあました時に読むに ものも多く、「日本及日本人」の昭和二年春季増刊号には最適です。入手しにくい本ですが、図書館にはあるで は「夢語日本未来記」なる未来小説が掲載されていましよう。 す。同誌の別号にも、かなり長編の未来小説があったは いかがでしたか ? 手紙のヌシさま。今回は、読者の ) 、 ~ 失念しま した。 ためになりましたですか ? それにしても、質問に答え るっていうのは、大変な作業ですねえ。次回は・ほくが読 囹擬人者に、ひたすら質問するなんてのはどうでしよう。 小説全 集につ 、冫オ《 、、いての 先月 号で紹介 5 9